───十年前。王都レクシオン。
既に反乱軍は王都の外壁を突破し、城下の市街地になだれ込んでいた。数百年の栄華を誇った王宮は包囲され、陥落の時を待つばかり。
「……余と
王の
「余の代で王朝の歴史が幕を閉じるなどという不条理を許してはならぬ。必ずや最後の
老齢の宰相は悲憤の涙と共に最後の王命を受諾した。騎士団長は俯いた。フルフェイスの兜に覆われ、その表情は窺い知れない。しかし、彼の苦悩は誰の目に見ても明らかだった。
が、彼はその葛藤を呑み下し、王命に従った。足元で震えている幼い少女を抱き上げ、宰相と共に王宮を脱出する。少女はもがき、泣き叫んだ。豪奢な金髪と深い蒼の瞳を持つ、齢10にも満たない娘だった。
王の姿が遠ざかる。そして、その足元に寄り添う少女。王宮を去りゆく彼女に酷似した容姿を持つ、幼い娘の姿が。
「……お父様!! ■■■■───ッ!!」
少女の悲痛な叫びが虚しく響いた。それが、彼女が父たる王の姿を見た最後だった。
序幕Ⅲ 忘れ形見のサフィアと白亜の戦鎚ゼウドナス
王都陥落、そして霊都議会の成立より十年の月日が経った。
劇的な技術革新によってその姿を全く革めた
ネオ・アストラ・ホールディングス。通称ネオ・アストラは、旧王国崩壊後の星界において急激に台頭し、技術・通信・開発といった複数の分野にて業界トップシェアを占める
技術分野においては、今や″一人に一台″と謳われ、欠くべからざる社会インフラとして確立したモノリス端末や、全
通信分野においては公的アストラネット回線の管理・整備を委嘱され、人間と星霊とを結びつけるマッチングアプリの最大手たる「
そして、開発分野においては、市井の冒険者たちを社員として抱き込み、ネオ・アストラ調査隊を編成。霊都議会の認可の下で、彼らをアストラネットの未踏領域や人類生存圏外の霊障地帯へと送り込み、昼夜を分かたず探索と開発に取り組んでいる。
新時代の霊貨経済圏を牽引する
「遠慮はいりませんよ。どうぞお召し上がりください、
「……は、はい」
応接室のテーブルを挟んで反対側に座るのは、この場に似つかわしくない若い男……否、少年だった。彼はカインが用意させた仕立ての良い衣服を身につけ、霊都の夜景とテーブルに並ぶ豪華な料理を落ち着きなく見回している。
「あの……社長さんは信じてくれてるんですか? おれが
おずおずと切り出した少年に対し、開拓王カインは微笑とともに明確な肯定を返した。
「勿論です。王国時代以前の古文書や太古の史跡は、
カインは深い蒼の瞳に好奇の色を爛々と湛える。祥真は居心地が悪そうに身をすくめた。
「少なくとも地球なる異世界は実在し、そして過去に一度は星界との間に接点を持っている。私と貴方との間で言語によるコミュニケーションが成立していることがその証左です。そうでなければ、星界の同時翻訳アプリが
「……た、確かに」
カインに再度勧められ、祥真は恐る恐る料理を手元の皿に取り始めた。一口食べた彼が目を輝かせる様を莞爾として見ながら、ネオ・アストラの総帥は話を再開した。
「さて。先程のご希望通り、我が
人間が生きる物理の世界たる現界と、星霊が生きる精神の世界たる霊界。星界とはこの二つを総称したものです。人間と星霊はアストラネットを通じて自由に交信し、霊契によって経済を動かすことで、互いの世界を豊かにしているのです。
そちら側には『インターネット』なる情報伝達ネットワークが存在すると聞き及んでいます。
「発見、ですか?」
「ええ。旧王国の時代においては、現界と霊界を結ぶ経路は
カインの背後にウインドウが出現し、彼の解説を図示したスライドを表示する。現界に存在する少数の扉を旧王家と旧魔導師ギルドが占める様を。そして、その支配領域の外側に数百倍、数千倍もの数の扉が出現する様を。
「旧王家の治世が数百年を数えた頃、それらが続々と発見されるに至り、旧王国を盤石たらしめていた魔法の独占という土台が崩壊します。
″
カインは漆黒の一枚板じみた携帯型情報端末を掲げた。その形状とサイズ感は、時空を隔てた異なる星の人類にあるものを連想させた。
「……
「ほう。地球にも似たようなものがお有りですか。こちらはモノリス
「……なんか、変な感じです。間違いなく別の世界なのに、すごく似てる。とても近い」
「あるいは因果が逆なのかもしれませんね。星界は遥かな昔に
カインは自らも秘蔵のヴィンテージワインを傾け、グラスを置いた。祥真が思わず見惚れてしまうほどに美しく、流麗な所作だった。彼は諸手を広げ、上機嫌に微笑んだ。
「今日は実に佳き日です。大いに語らいましょう、彼方の異なる星より来たる隣人よ。その他にもお知りになりたいことがあれば何なりと。このカイン・アストレイア、浅学の及ぶ限りお答え致しましょう」
◇◇◇◇◇
忘れ形見のサフィアは、砂塵のごとき
この過酷な環境に鍛えられた
サフィアは戦霊領域に属する星霊ではなく、現界からこの地を尋ねてきた人間だった。この領域を訪れる者の大半は戦場に身を置く無骨漢たちだが、彼女はそれらとはかけ離れた容姿の所有者だった。綺羅星を散らしたような黄金の髪と、
フード付きのマントに身を包んだ彼女の周囲には柔らかな気流が渦を巻き、前方から吹き付ける情報嵐を左右に受け流していた。
(……あと、少し)
困難を極める道程ではあるが、
過酷な巡礼の果て、情報嵐の向こう側に途方もない大樹の影が浮かび上がり始めた。
「……
サフィアの声が高揚に上ずった。
大樹の頂に築かれた戦士たちの館。それが戦霊領域の中枢である。
◇◇◇◇◇
一難去ってまた一難。世界樹の館に辿り着いたサフィアは、3等級および2等級の戦霊たちに行く手を塞がれていた。
戦霊との契約には儀礼としての戦いが不可欠ではあるが、あくまでそれは一対一で己が力を示すもの。サフィアがこのような状況に陥っているのは、彼女の要求が戦霊たちにとって僭越極まるものであったからだ。
「ならん!! ならんと言ったらならーん!!
2等級、すなわち
サフィアに動揺はない。この展開は予め想定していたものだ。アポ無しで領域の主に会わせろなどという要求が容易く通るわけがない。
「そういう訳には参りません。会わせていただきます。貴方がたの長、白亜の戦鎚ゼウドナスに」
不逞な来館者はマントを脱ぎ捨てた。ピリ、と空気が緊張する。戦士たちは武器を掲げ、咆哮を上げた。前列の3等級の群れが襲い来る。見かけは人間で言えば年端もいかない子供。が、彼らとて闘争と武具を司る戦霊の端くれ。全力で応戦すべし。
サフィアは右手を前方に差し出した。人差し指と中指に二つの指輪。人差し指の指輪に埋め込まれた翠の宝玉が光を放つ。
「……《風の聖女よ。蒼翠の庭園に座す麗しきものよ。契約に従い御身の
風霊たちは召喚者に対して親しげに微笑みかけ、敵めがけて一斉に両腕を振り下ろした。突風が吹き荒び、サフィアに殺到せんとした戦霊の隊列を押し戻す。
居並ぶ戦霊たちの間に動揺が走る中、三柱の風霊はサフィアの方を振り向いた。
「アズ……じゃなかった。サフィア、これでいいのー?」
「ええ。詠唱が終わるまで彼らを近付けないで」
右手を突き出した姿勢のまま、サフィアは次の詠唱に入る。自身を護る使い魔を呼び出し、詠唱の時間を稼ぐのは、魔導師にとって基礎中の基礎である。
「《雷帝よ。雷禍の玉座に座す苛烈なるものよ。契約に従い御身の力をここに。神の怒りたる雷霆よ、我が敵を打ち据え裁きを下せ》」
中指の指輪が黄金の光を放つ。詠唱の進行とともに霊素が振動し、上空に黒々とした雷雲を生み出してゆく。戦霊たちは雷雲が剣呑な唸り声を発し始める様を見上げ、慌てて術者を排除しにかかる。が、呼び出された風霊たちが接近を許さない。敵が攻めあぐねているうちに、サフィアは悠々と詠唱を完遂した。
「や、や、やべえっ……!」
「───【
雷轟によって大気が破裂した。降り注ぐ雷の束が広大なエントランスを白く染め、戦霊の群れを呑み込んでいった。
◇◇◇◇◇
「……ふぅ」
サフィアの溜め息に疲労の色が滲んだ。砂塵の峡谷の踏破、続いて戦霊の軍団との交戦。ここまでの道のりを単身で突破するのは並大抵の苦労ではなかった。
が、その甲斐あって彼女は本懐を遂げるチャンスを得た。戦霊領域の中枢、世界樹の館の主。この領域のメインフレームそのものたる大領主への謁見を許されたのだ。
サフィアが進んでいるのは領主の間へと続く通路であった。視線の先の扉は固く閉ざされているが、その向こうから荒々しく刺々しい霊素の圧力を感じる。一般人が晒されれば失神は免れず、魔導師であっても生半な者は肝を潰して逃げ出すであろう威圧感。
しかし、サフィアは臆することなく前進する。こんなところで膝を屈するようでは、戦霊たちの王たる大星霊の力を獲得することはできない。ましてや、彼女が胸に秘した
(御身は切り札をお持ちです。それは白亜の戦鎚にとって致命の弱点。謁見の機会さえ得られれば、必ずやかの軍神を屈服せしめることができましょう)
彼女の忠臣たる聖騎士はそう言った。が、サフィアは到底安堵する気にはなれなかった。いくら強力な手札を持っていようと、出方を間違えれば人間一人なぞ小指の先で粉々にされる。彼女がこれから相手取ろうとしているのは、それほどまでに強大な存在なのだ。
それでもやってみせる。果たしてみせる。必ず。決意を胸に歩を進めるサフィアの頭上から───質量を持った声が落ちかかった。
『子分どもが世話になったようだな、小娘』
「ッ……!!」
サフィアは凄まじい重圧に膝をつきかけ、踏み留まった。凝固した空気が全身を圧迫しているようだった。
『あァ、仇討ちがどうとかみっともねえことは言わねえから安心しろ。お前ェは強く、子分どもは弱かった。それだけの話だ。……つまり、これから起こることはすべて俺様とお前ェの間の問題だ』
荷重がさらに増大する。サフィアは歯を食い縛り、扉に向かってじりじりと前進する。
『俺との契約がお望みなんだってな? 王だろうと戦霊は戦霊、我らが傅くものは己を凌駕する力のみ。……分かるよな。子分どもを蹴散らした業前に免じて、今なら見逃してやらんでもない。が、その扉を潜れば最後だ。いいな?』
美しい顔から血の気が引いた。だが、一瞬のことだった。サフィアは深呼吸を繰り返し、背筋をぴんと伸ばして歩を進めた。戦霊領域の大王、その重圧を涼風のように受け流しながら。
『……ほう』
その凛とした姿、気品すら漂わせる堂々たる歩みに、大いなるものは感嘆の声を漏らした。サフィアは扉に手をかけ、押し開いた。
領主の間は途方もなく巨大な吹き抜け構造になっており、空中へと向けて細い通路が伸びている。サフィアは通路を進み、吹き抜けの大穴へと張り出した円形の足場へと辿り着いた。
サフィアは足場から前方を見上げた。彼女の前に君臨するものは赤銅色の山嶺じみていた。足場はその者の胸の高さに築かれていた。筋骨隆々の胴体は太古の岩盤のごとく、爛々と白熱する双眸が御前に立つ小さきものを睥睨している。
片膝を立てて座る大巨人の傍らには、異名の由縁たる白亜の
「大したタマだな。いいだろう。俺様に相対する栄誉を許す。名乗ってみろ、小娘」
「忘れ形見のサフィアと申します。……お初にお目にかかります、白亜の戦鎚ゼウドナス」