ポケモン最強トレーナー・サトシ、バレンタインで好感度が限界突破している件 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ブルーベリー学園、コーストエリアの海水プールサイド。
貸し切られた静寂の中、寄せては返す波の音だけがドームに反響している。
オレはプールの縁に立ち、水面に映る自分の顔をじっと見つめていた。
「ピカピ……」
肩のピカチュウが、不安を押し殺すようにオレの頬に体を寄せた。
「大丈夫だ、ピカチュウ。……決めたんだ」
誰か一人を選ぶということは、残りの全員の想いを真っ向から否定することになる。
その残酷さに、拳を握る手が自然と震えた。
「その震え、不純物を削ぎ落とした純粋な決意の味だ。……サトシ、いい顔になったな」
不意に背後から響いた落ち着いた声。
振り返ると、白衣を羽織ったタケシが立っていた。
「タケシ……。見てたのか?」
「ああ。カスミが来る前に、一つだけ伝えておきたくてな」
タケシはプールサイドに並んで座り、遠くを見つめた。
「かつて、俺もブリアー先生にすべてを懸けて告白し、敗れた。だが、あの時彼女がくれたのは拒絶じゃなく、俺の『愛の形』を認め、別の道へと導く光だった」
タケシはオレの肩に力強く手を置いた。
「カスミは、サトシにとって最初の旅の仲間であり、最も手強いライバルだ。ただ『ゴメン』で終わらせるな。彼女が抱いたその熱い情熱を、次のバトルへ、次の夢へと繋げる『最後の一撃』を撃ち込んでやれ。それが、振る側の責任だ」
「最後の一撃……」
オレがその言葉を反芻した瞬間、背後の扉が開いた。
現れたのは、いつもの元気な水色のパーカー姿。
だけど、その足取りはどこか重く、オレの前に立った彼女の瞳は、今にも決壊しそうなほど揺れていた。
「……待たせたわね、サトシ」
「いや。来てくれてありがとう、カスミ」
数秒の沈黙。
いつもなら喧嘩腰の言葉が飛び交うはずの二人の間に、冷たい緊張が走る。
先に沈黙を破ったのは、カスミだった。
「……返事、聞かせて。あんたがどんなにニブくても、わざわざこんな場所に呼び出した意味くらい、私にだってわかるわよ」
カスミは無理に笑おうとしたが、右手の拳をきつく握りしめているのが見えた。あの時と同じ、震える拳だ。
オレは逃げずに、カスミの目を真っ直ぐに見つめた。
「カスミの気持ち……本当に、嬉しかった。でも、オレの隣を歩いてほしいのは……カスミじゃないんだ」
カスミの顔から、一瞬で表情が消えた。
「……そっか。やっぱりね」
絞り出すような声。彼女は俯き、長い前髪で顔を隠した。
「わかってたわよ。あんたと出会ってから、もう何年も経つのに。ずっと、一番近くにいたはずなのに……。私じゃ、ダメだったんだ」
タイルに、ポタりと雫が落ちた。
「『ダメ』なんかじゃない!」
オレは一歩踏み出し、カスミの震える肩を掴みたい衝動を抑え、言葉をぶつけた。
「カスミはオレにとって、恋愛っていう言葉で括れるような相手じゃないんだ! 初めて出会った時から、オレの未熟さを叱って、一緒に強くなろうって背中を叩いてくれた……最高の、唯一無二のライバルなんだよ!」
カスミがハッと顔を上げる。
その瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「カスミがくれたその情熱は、ここで終わらせちゃいけない。オレを振った相手として、世界一の水ポケモン使いになって、いつかオレの前に立ち塞がってくれ! オレたちの絆は、隣に座る形じゃなくて、フィールド越しに全力をぶつけ合う……そんな形なんだ!」
「馬鹿っ……。馬鹿サトシ……!」
カスミは両手で顔を覆い、しゃがみ込んだ。
「なんでそんな、カッコいいこと言うのよ……。諦められなくなるじゃない……!」
彼女の泣き声が、プールの水面に溶けていく。
オレはただ、その背中が落ち着くまで、波の音を聞きながら立ち尽くした。
カスミは乱暴に袖で涙を拭い、立ち上がった。
顔は真っ赤でぐしゃぐしゃだったが、その瞳には、ハナダジムリーダーとしての、そして最強のライバルとしての「炎」が灯っていた。
「……わかったわよ。そこまで言うなら、一生後悔させてやるわ。あんたが誰を好きになろうと、世界一の水ポケモン使いとして、いつかあんたを完膚なきまでに叩きのめしてやるんだから!」
カスミはそう言い捨てると、一度も振り返らずにプールサイドを走り去った。
その去り際は、どんな水ポケモンよりも激しく、そして潔かった。
「……行ったか」
タケシが静かに隣に来て、空になった出口を見つめた。
「ああ。アイツらしい、最高の顔だったぜ」
オレは、カスミが去った後の静かな水面を見つめた。
彼女から受け取った「好きだ」という真っ直ぐな言葉。
それを断った痛みは、今も胸の奥にズキリと残っている。
でも、逃げずに本音でぶつかったからこそ、オレとカスミの絆は「腐れ縁の仲間」から「未来を誓い合うライバル」へと、新しく生まれ変わったんだ。
「タケシ、ありがとう。オレ、もっと強くならなきゃな。アイツが本気でオレを倒しに来る、その日まで」
オレはピカチュウを肩に乗せ、ゆっくりと歩き出した。
カスミがくれた熱い情熱を、これからの自分の力に変えていくために。