ポケモン最強トレーナー・サトシ、バレンタインで好感度が限界突破している件 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
卒業式を目前に控えた、ある夜。オレは、ブリアー先生に呼び出された。
向かった先は、テラリウムドームの最深部。天井から吊るされた、巨大なガラスの球体――「テラリウムコア」の、真下だった。
「サトシ君。あなたには、話しておきたいことがあるの」
ブリアー先生の瞳は、いつもの情熱的な光とは違う、どこか神聖な熱を帯びていた。
「このコアが、なぜ学園中にテラスタルの力を撒けるのか。……その本当の理由を、私はずっと追いかけてきたわ。パルデアの土。キタカミの水晶の水。それらを満たしたこの球体の、さらに奥にある『源』を」
先生は、コアの奥で明滅する、虹色とも銀色ともつかない不思議な光を指さした。
「テラスタルという現象の、すべての源。パルデアの大穴――エリアゼロの、さらに奥深くに眠るとされる、幻のポケモン。その名は……テラパゴス」
「テラパゴス……」
初めて聞く名前なのに、オレの胸は、なぜか激しく高鳴った。あの、初めてのテラスタル実習の日。ピカチュウを氷にしてしまった、あの失敗の日から――オレはずっと、この力の「正体」を掴みきれずにいた。その答えが、今、目の前にある。
「私は、パルデアのポケモンリーグから、エリアゼロの探査許可を得たわ。テラパゴスの存在を、証明するために。……でも、その前に。世界の頂点を知るあなたに、確かめてほしいことがあるの」
その時だった。テラリウムコアが、突然、激しく脈打った。
ゴォォォ――と、大気そのものが震えるような、低い共鳴音。コアの中の光が暴走し、テラリウム全体のテラスタルエネルギーが、制御を失って渦を巻き始める。
「そんな……コアが、共鳴している……! まさか、テラパゴス自身が、この学園の『何か』に応えているというの……?」
オレは、迷わなかった。肩のピカチュウと、そして――卒業を前に、いつだってオレの隣にいてくれた、たった一人のパートナーと、顔を見合わせて頷き合う。
「先生、行こう。……あいつが呼んでるなら、応えなきゃな。それが、オレの流儀だ」
暴走するコアの光に導かれるように、オレたちは、テラリウムの、そして世界の境界を越えた。
光の奔流の果て。そこは、どこまでも澄んだ、虹色の霧に満ちた、静謐な空間だった。エリアゼロの最深部。テラスタルの、すべての始まりの場所。
その中心に、それはいた。
亀のような、けれど宇宙そのものを甲羅に宿したような、荘厳な光を放つポケモン。全身が、見たこともない「ステラ」の輝き――どのタイプにも属さない、すべてのタイプの源である、虹色の光を纏っている。
「お前が……テラパゴス」
テラパゴスは、警戒するように、その身から鋭いエネルギーの奔流を放った。かつてテラスタルを暴走させ、ピカチュウを氷漬けにした、あの荒々しい力の、何万倍もの奔流。
「ピカチュウ!」
けれど、オレは戦おうとは思わなかった。倒そうとも、捕まえようとも、思わなかった。
だって、この学園で、オレはずっと教わってきたんだ。ジャック先生の言葉。「バトルは、あくまでコミュニケーションの手段だ」って。
「テラパゴス。オレは、お前と戦いに来たんじゃない。……お前の力に、応えに来たんだ」
オレは、ジュエルを掲げた。だが、それは相手を打ち倒すためのテラスタルじゃない。
「いくぞ、ピカチュウ。オレたちの絆の全部を、こいつに見せてやろう。……テラスタル!」
ピカチュウの体が、でんきタイプの黄色でも、あの日のこおりタイプの青でもなく――テラパゴスと同じ、虹色の「ステラ」の光に包まれた。
それは、オレとピカチュウが、これまでの旅で結んできた、数えきれない絆の色だった。カスミの水しぶき。ハルカの舞台の輝き。ヒカリのハイタッチ。スイレンの海。マオの太陽。アイリスの竜。リーリエの光。そしてセレナがくれた、あの日の勇気。8人分の想いと、仲間たちの、ライバルたちの、すべての熱量が――ピカチュウの体で、一つの虹になって輝いていた。
テラパゴスの荒々しかった奔流が、ゆっくりと、凪いでいく。
敵意じゃない。オレの、そして人とポケモンの間に流れる「共存」の光に、テラパゴスは、静かに応えてくれたんだ。
「……そうか。お前は、ずっと待ってたんだな。人とポケモンが、力じゃなく、心で繋がれる日を」
テラパゴスは、オレの差し出した手に、そっとその額を寄せた。あの、荘厳な瞳に、もう警戒の色はなかった。ただ、深い、深い安らぎだけが宿っていた。
「先生。……テラパゴスは、証明されたがってたんじゃない。理解されたがってたんだ。この力が、誰かを傷つけるためじゃなく、絆を分かち合うためにあるってことを」
ブリアー先生は、光の中で、ぼろぼろと涙を流していた。研究者として追い続けた「真実」が、こんなにも温かい形で、目の前にあったことに。
テラパゴスの力が完全に凪ぐと、暴走していたテラリウムコアの光も、穏やかな輝きを取り戻した。
オレたちが元のテラリウムに戻ると、天井のガラス――世界の境界を映し出す、あの巨大なスクリーンの向こうに、イッシュの本物の空が、嘘みたいに晴れ渡っていた。
そして、その空に。
嵐が過ぎ去った後のような、鮮やかな七色の虹が、架かっていた。
――終章で見た、あの虹だ。テラリウムの空に架かった、あの虹の、本当の正体が。今、明かされようとしていた。
「サトシ……あれ……!」
オレは空を見上げた。
虹の彼方から。まるでその虹そのものを生み出すように、一羽の巨大な鳥が、悠然と羽ばたいてくる。
見る角度によって色を変える、七色の翼。神々しい、黄金の輝き。
――ホウオウ。
にじいろポケモン、ホウオウ。世界中を飛び回り、その通った後には虹を架けるという、伝説の聖鳥。そして、正しい心を持つトレーナーの前にだけ、姿を現すという――。
オレは、その姿に、見覚えがあった。忘れるわけがない。
5年前。マサラタウンを飛び出して、ピカチュウとオレが、まだ心も通わせられずにボロボロになった、あの旅立ちの日。嵐が過ぎた空に、一瞬だけ見えた、あの虹色の翼。
「……あの日の、ホウオウだ」
あれから、ずっと。オレの心のどこかに、あの光は焼き付いていた。いつかきっと、もう一度会うんだって。あの翼に相応しい自分になるんだって。
ホウオウは、テラリウムの上空をゆっくりと旋回し、その荘厳な瞳で、真っ直ぐにオレを見つめた。
試すような視線じゃない。……認める視線だった。
世界の頂点に立っても、まだ何かが足りなかった、五年前のオレ。その「足りなかった何か」を――仲間の想いを、ライバルとの絆を、そして愛する人の心を、この胸いっぱいに抱えて、それでも真っ直ぐ前を向いている、今のオレを。
ホウオウは、確かに、認めてくれたんだ。
バサリ、と大きく翼が翻る。その羽から、一枚の、虹色に輝く羽根が、ひらひらと舞い落ちてきた。
オレは、両手で、そっとそれを受け止めた。温かい。まるで、これまで出会ったすべての命の鼓動が、この一枚に宿っているみたいに。
「……わかったよ」
オレは、空を見上げたまま、噛み締めるように呟いた。
「ポケモンマスターって、たった一人で一番強くなることじゃない。世界中の頂点に立つことでもない。……人とポケモンの絆を信じて、その心を、誰よりも大切にできること。そういう奴の前にだけ、お前は姿を見せてくれるんだな、ホウオウ」
ずっと探していた、究極の目標。その答えが、こんなにも近くに――オレがこの学園で、仲間たちと、ヒロインたちと、ライバルたちと結んできた、この「絆」そのものの中に、最初からあったんだ。
ホウオウは、満足したように一声高く鳴くと、虹の彼方へと飛び去っていった。その後には、さっきよりもずっと鮮やかな、二重の虹が架かっていた。
肩の上のピカチュウが、オレの頬に、そっと顔を寄せた。
バレンタインの前の夜。オレのあまりの鈍さに、両手で顔を覆って、「もう知らん」とでも言うように、深く長い、諦めのため息をついた相棒。
その相棒が、今は。
「ピカ……ピカチュウ!」
これまでで一番、晴れやかで、満足そうな声で鳴いた。ようやく、オレが「気づいた」ことを、心から喜んでくれているみたいに。
「悪かったな、ピカチュウ。……オレ、ずいぶん長いこと、遠回りしちまった」
「ピカッ」
――ピカチュウは尻尾でオレの頬を、ぺしっと優しく叩いた。
オレは、隣を向いた。
涙で潤んだ、世界で一番綺麗なその瞳の中に、真っ直ぐにそいつを見つめる、オレ自身の姿が映り込んでいる。
「なあ。……オレ、やっと本当の意味で、スタートラインに立てた気がするんだ」
オレは、ホウオウがくれた虹色の羽根を、パートナーの手のひらに、二人で包み込むようにして握った。
「ポケモンマスターへの道は、きっと、ここからが本番だ。バトルの先だけじゃない。この胸の鼓動の先にも、ちゃんと続いてる。……だから、これからも。ずっと、オレの隣にいてくれ。一緒に、誰も見たことのない景色を、見に行こうぜ」
返ってきたのは、言葉を遮るように力強く握り返された手の感触と、震える声での、幸せに満ちた「うん」という返事だった。
その瞬間、オレの胸の中にあった最後の欠けていたピースが、カチリと音を立てて嵌まった。
――賑やかで、騒がしくて、誤解だらけの日々だった。
でも、それは夢でも、まぼろしでもなかった。仲間の熱意も、ライバルの厳しさも、ヒロインたちの真っ直ぐな想いも、ホウオウがくれたこの羽根の温もりも。全部、確かにオレが、この手で掴み取った、かけがえのない「現実」だ。
すべての旅で出会った仲間たち。テツヤとの因縁も、ホップの宣戦布告も、シンジとの決着も、タケシの旅立ちも、ゴウとコハルの、アランとマノンの新しい門出も。そして、テラパゴスとの出会いと、ホウオウとの再会も。
そのすべてが、この虹を架けるための、かけがえのない大切な欠片だったんだ。
「さあ、行こうぜ、ピカチュウ! 最高の仲間と、最高に大切なパートナーと! ……オレたちの伝説は、この虹の向こうで、ここからまた、新しく始まるんだ!」
「ピカーッ!」
繋いだ手を決して離さないまま、七色に輝く水平線へ向かって、オレたちは走り出した。
かつて旅立ちの日に見た、あの虹色の翼に、ようやく胸を張って手を振り返せる自分になって。
オレたちが共に紡いだこの「絆」の物語は、この虹の向こう側で、永遠に、どこまでも鮮やかに続いていく。