雅が本当の兄の様に慕っていた分家の兄が、雅の母親を介錯した話。 作:ザワザワする人
「もちろん」
軽く、友達同士の約束をするように流雅は声にした。
山野は、その声を聞いた瞬間、喉の奥が震えた。
救われた、と思った訳ではない。
まだ何も終わっていない。
隊長はあの場に残っている。
隻眼の女は、こちらを見つけた。
同じ顔をした女達は、研究所の周囲にまだいるはずだ。
けれど、流雅がそう言ったのなら。
きっと、来る。
そう思えてしまうだけの何かが、流雅の声にはあった。
「……っ、お願いします……!」
「うん。山野さんはそのまま救護班の指示に従って。侵食の検査も必ず受けてね」
「で、でも、私はまだ」
「山野さん」
静かな声だった。
強くはない。
怒ってもいない。
それなのに、山野の言葉はそこで止まった。
「君が持って帰ってくれた情報で、もう十分助かってる。次は、君が無事でいる番だよ」
「…………はい」
「ありがとう。ちゃんと繋いでくれて」
そこで通話は切れた。
山野は端末を握りしめたまま、その場に崩れるように膝をついた。
全身が震えている。
ホロウを抜けた反動か。
恐怖が遅れて来たのか。
それとも、ようやく声を出せた安心からか。
分からない。
それでも、頭の中ではさっき見た光景が何度も繰り返されていた。
同じ顔。
白い髪。
白を基調とした服。
隻眼の女。
そして、緑色の装備をした女性。
あの人は何者だったのだろう。
ホロウレンジャーだと、隊長は言った。
けれど違う。
山野には、今なら分かる。
あの人は、あの場の誰よりも真っ直ぐに隻眼の女を見ていた。
敵を見る目ではなかった。
味方を見る目でもなかった。
もっと古くて、もっと痛いものを見るような目だった。
「……隊長」
山野は震える息を吐きながら、顔を上げた。
「あの人は、来てくれます」
誰に言うでもなく。
ただ、自分が折れないために。
そう、声にした。
□
通話を切った後、僕はしばらく端末を見つめていた。
山野さんの呼吸は最後まで整っていなかった。
それでも、彼女は報告した。
見たものを、感じたことを、自分の言葉で伝えてくれた。
同じ顔の女性。
白を基調とした服。
量産施設のような建築物。
隻眼の女。
そして、隊長が残ったという事実。
「…………」
机の上に広げた資料へ目を落とす。
シルバーの復活。
11号。
防衛軍。
失踪。
盗聴機。
そして山野さんの報告で加わった、新しい情報。
白髪で、緑色の装備をした女性。
(……アンビーさん)
その名前を頭の中で呼んだ瞬間、全てが少しだけ嫌な形で繋がった。
白髪。
緑色の装備。
ホロウ内で単独行動が可能な技量。
顔が同じ複数の女性達。
偶然、で片付けるには材料が揃いすぎている。
けれど、まだ断定はしない。
断定して動けば、間違える。
間違えれば、誰かを危険に晒す。
「まずは、隊長の救出かな」
そう口にしてから、椅子から立ち上がる。
装備棚へ向かおうとして、足が止まった。
『ちゃんと、兄上は人を頼ってくれ』
雅の声が、頭の奥で響く。
それから、もう一つ。
『あなたは人を頼るべき』
淡々としたアンビーさんの声。
(……耳が痛い)
一人で向かう方が早い。
そう思ってしまう。
準備も判断も、自分の中だけで完結させれば、きっと速い。
でも、それは速いのではなく、雑なのだろう。
少なくとも、今はそう考え直せるくらいには、僕も少し学んだらしい。
端末を操作し、特別執行課の緊急回線に繋ぐ。
『課長!?』
呼び出し音が鳴る前に出た気がする。
「零号ホロウ内で第三小隊隊長が孤立。現時点で生存確認は取れていない。救出を優先するよ」
『了解しました!!総員――』
「全員じゃなくていい」
『…………え?』
「突入部隊は最小限。救護班、侵食対策班、通信支援班を優先。残りは外周封鎖と防衛軍への連絡、それから撤退導線の確保」
『し、しかし課長!敵性勢力が複数確認されているのであれば、我々も――』
「だからこそ、大人数で入らない」
電話口の向こうが静かになる。
僕は続けた。
「相手は研究所周辺の地形を把握してる可能性が高い。こちらが数で押せば、分断される。救出対象を増やす訳にはいかないよ」
『……了解しました』
「うん。ありがとう」
『課長は、現地へ?』
「行くよ」
『護衛を――』
「最小限でいい。僕を守るためじゃなく、隊長を助けるために動いて」
『…………了解しました。必ず、支援体制を整えます』
「お願い」
通話を切る。
次に、防衛軍情報統括へ繋ぐ。
備え付けの指紋認証式の電話機に指を置くと、低い起動音が鳴った。
『星見流雅様ですね。接続先を指定してください』
「防衛軍情報統括へ」
数秒の沈黙。
やがて、聞き慣れ始めた声が返ってきた。
『……随分と早い再会ですね、星見流雅殿』
「はい。出来れば、もう少し穏やかな話題でお電話したかったです」
『同感です。それで、何が判明しましたか?』
「零号ホロウ内に同一外見の女性が複数確認されました。研究施設と思しき建築物もあります。自分の第三小隊隊長が現地で孤立中です」
『…………』
電話口の無言が、先ほどよりも明確に重くなる。
「それと、11号さんについて」
『はい』
「そちらで何か掴めていますか?」
『該当区域外縁で、防衛軍識別信号が一つ移動した記録があります。微弱ではありますが、照合結果は11号。死亡反応ではありません』
「つまり、生きていると」
『その可能性が高い。加えて、正規軍の回収ではありません。第三者による救出と見るべきでしょう』
「…………」
白髪。
緑色の装備。
あの研究所へダウトから侵入した女性。
『心当たりが?』
「まだ、確認前です」
『貴方のまだは、半ば答えのように聞こえますね』
「よく言われます」
『では、続けましょう。11号の登録情報は極端に薄い。兵士としての認識コードは存在しますが、個人としての履歴がほとんど確認できません』
「消されている?」
『あるいは、最初から存在しない』
受話器を握る手に、少しだけ力が入った。
『星見流雅殿。貴方が追っているシルバーという言葉。その周辺には、本来存在してはならない空白があります』
「……やっぱり、軍が法を犯して作った部隊ですか」
『私は何も断定しておりません』
「でしょうね」
『ただし』
メモリーさんの声が、僅かに低くなる。
『存在しないはずのものが、今も動いている。それだけは事実でしょう』
「分かりました」
『こちらから公式部隊を動かすには手順が必要です。ですが、該当区域付近の防衛軍部隊へ、識別不能の武装勢力および研究施設残骸の可能性を共有します』
「助かります」
『貴方はどう動きますか?』
「まず、自分の部下を助けます」
『その後は?』
「見たものを、市長へ共有します」
『……本当に面倒な人ですね』
「よく言われます」
『ご武運を』
電話が切れる。
僕は受話器を置き、すぐに端末を開いた。
邪兎屋。
アンビーさん。
少しだけ、指が止まる。
聞いていいのか。
踏み込んでいいのか。
今、彼女が何を抱えているのか。
そんな迷いが一瞬だけ浮かんだ。
でも、すぐに消した。
聞かないまま進む方が、きっと失礼だ。
通話を押す。
コール音は二回。
『なに?』
いつもの短い声。
「アンビーさん。急にすみません」
『あなた?』
「はい」
『声が硬いわ』
「……分かりますか」
『分かる』
僕は少しだけ息を吐いた。
「零号ホロウの件で、確認したいことがあります」
『………』
「11号さんは、あなたが救出したんですか?」
沈黙。
短い。
けれど、十分な沈黙だった。
『えぇ、そうよ』
「今は?」
『プロキシ先生が見ている。外に出した。負傷はあるけど、生きてる』
「……よかったです」
その言葉は、自然に出た。
本当にそう思ったからだ。
けれど、すぐに次の不安が浮かぶ。
「アンビーさんは、今どこにいますか?」
『研究所へ戻る途中よ』
「戻る?」
『うん』
「何のためにですか」
『ラボを壊すわ』
即答だった。
あまりにも迷いがない声だった。
「一人で?」
『プロキシ先生も来るわ』
「それでも危険です」
『知ってる』
「知っていて行くんですか」
『うん』
アンビーさんらしい返事だった。
だからこそ、胸が痛くなる。
「同じ顔の女性達。あれは何ですか」
今度の沈黙は長かった。
通信の向こうで、微かな風の音がした。
ホロウの入口付近だろうか。
あるいは、もう内部に近いのか。
『私と同じよ』
「同じ、というのは」
『同じ素体からできている』
予想していた答えだった。
それでも、本人の口から聞くと重い。
「クローン、ですか」
『あってるわ』
「11号さんも?」
『えぇ』
「隻眼の女性も?」
『そうよ』
また、短い肯定。
僕は言葉を選びながら聞く。
「アンビーさんは、その人達とどういう関係なんですか」
『元は、同じ部隊』
「シルバー小隊」
その名を出した瞬間、通信の向こうで息が止まった気配がした。
『知ってるのね?』
「少しだけです。幻の精鋭部隊という噂と、既に破棄された情報らしいということだけ」
『そう』
「アンビーさんは、その部隊にいたんですか」
『えぇ』
短い肯定。
そして、続いた言葉は、静かすぎるほど静かだった。
『私は、シルバー小隊の隊長だったの』
「…………」
言葉が出なかった。
隊長。
山野さん達が聞いた言葉。
11号がきっと呼んだであろう言葉。
隻眼の女が、怒りと共に吐いた言葉。
全てが繋がってしまう。
『シルバー小隊は解散を命じられた』
「軍から?」
『えぇ』
「それで、皆さんは」
『ほとんどは自害したわ』
淡々とした声だった。
感情を削ぎ落としたように。
もう何度も自分の中で繰り返して、言葉だけが残ったように。
「……アンビーさん」
『私は運良く生きた。11号は生かされた。あの子も、偶然だと思う』
あの子。
隻眼の女。
『あのラボが残っている限り、また誰かが作られるかもしれない』
「…………」
『番号で呼ばれて、命令で生きて、命令で死ぬ人が』
怒りが湧いた。
けれど、それはアンビーさんへ向けるものではない。
彼女に背負わせるものでもない。
「だから壊すんですね」
『そうよ』
「止めても、行きますよね」
『行くわ』
「ですよね」
僕は小さく息を吐いた。
「僕も向かいます」
『だめ』
即答だった。
「なぜですか」
『あなたは自分の部下を助けるべき』
「もちろん、そうします」
『なら、そっちを優先して』
「はい。その後、研究所へ向かいます」
『外で合流すると遅いわ』
「……そうですね」
『………研究所で会う』
「場所を送ってください」
少し間があった。
『来るのは止めない?』
「止めても行くんでしょう?」
『えぇ』
「なら、僕が行く方がまだいいです」
『あなたは、そう言うと思った』
「迷惑ですか?」
『少し』
「……すみません」
『でも、助かるわ』
その一言で、僕は少しだけ黙った。
アンビーさんが、助かると言った。
簡単な言葉ではないはずだった。
「では、現地で」
『えぇ』
「アンビーさん」
『なに?』
「一人で前に出ないでください」
『あなたも』
「はい」
『あなたは、はいって言う時も危ない』
「……そこまでですか」
『えぇ』
「では、実行します」
『良い』
端末に座標が送られてくる。
研究所内部。
下層寄りの中継地点。
外ではなく、中。
本当に時間を惜しんでいる。
「確認しました。隊長を救出してから向かいます」
『分かったわ』
『流雅さん、聞こえる?』
別の声が割り込んだ。
リンさんだろう。
「はい」
『こっちはアンビーを連れて先に入るから。11号は安全圏にいるから、安心して!』
「ありがとうございます」
『ただ、研究所内部はかなり歪んでる。こっちでルートを送るけど、途中で変わる可能性があるから気を付けてね!』
「分かりました」
『あと、アンビーを止める役も!』
『聞こえてるわ。プロキシ先生』
アンビーさんの声が即座に返る。
『聞こえるように言ったんだよ~?』
リンさんの声には、少しだけ苦笑が混じっていた。
『私達だけだと、たまに聞かないから』
『聞く』
『聞くだけで止まらない時があるでしょ~?』
『…………』
沈黙に、僕は少しだけ笑いそうになった。
「分かりました。必要なら止めます」
『蹴る?』
「蹴りませんよ」
『弱い』
「その話、まだ続いてたんですね」
『重要』
「では、別の方法で」
『分かった』
通話の向こうで、アキラさんらしい声が小さく笑った。
『じゃあ、研究所で。無用の心配だろうけど、遅れないと助かるかな』
「はい。そちらも無理はしないでください」
『それは。こっちの台詞かな』
通信が切れた。
僕は端末をしまい、装備棚を開く。
刀。
通信機。
侵食対策薬。
簡易治療キット。
研究所内部の座標データ。
一つずつ確認する。
(……本当に、大事になってきた)
でも、やることは変わらない。
隊長を助ける。
アンビーさんを一人にしない。
研究所を止める。
その順番を間違えない。
□
零号ホロウ臨時進入口には、既に特別執行課の支援班が展開していた。
「課長!!通信支援班、配置完了しております!!」
「侵食対策班、救護班共に待機完了!!」
「第三小隊隊長と思しき熱源は、南東区域で静止中!生体反応ありです!」
「うん、ありがと。皆、無理はしないでね」
『はい!!』
声が揃いすぎていて少し怖い。
(優秀なんだけどな……本当に)
僕は展開された地図を見る。
隊長の最終位置。
研究所。
アンビーさんから送られてきた合流予定地点。
パエトーンが提示した侵入経路。
全てが零号ホロウの歪んだ地形に重なっている。
本来なら、突入人数は絞るべきだ。
人数が増えれば増えるほど、ホロウ内では事故が増える。
通信は乱れ、視界は悪く、敵に分断されれば救出対象が増えるだけになる。
けれど、今回に限っては別だ。
隊長の救出。
アンビーさん達との合流。
研究所内部の確認。
撤退導線の維持。
全部を少人数で抱えれば、どこかで必ず手が足りなくなる。
(……一人で前に出ない)
アンビーさんの声が、頭の中で響いた。
『あなたは、一人で前に出ないで』
本当に、耳が痛い。
「課長?」
通信班の一人が、不安そうにこちらを見る。
僕は少しだけ息を吐いて、地図から顔を上げた。
「方針を変えるよ」
その一言で、周囲の隊員達の空気が変わった。
「僕はまず第三小隊隊長を救出する。その後、研究所内部へ向かう。ここまでは変わらない」
「はい!」
「でも、研究所内部には僕だけじゃなく、現地にいる突入可能な隊員も連れて行く」
一瞬、沈黙。
次の瞬間、隊員達の目が一斉に輝いた。
「我々も、ですか……!?」
「うん。ただし、勘違いしないでね。戦いに行く訳じゃない。救助、調査、退路確保、データ保全。役割を分けるために行く」
「了解しました!!」
「命に代えても――」
「代えないでね」
「……了解しました!!」
「今ちょっと迷ったよね」
「迷っておりません!!」
「まあいいけど……」
僕は研究所を示す地図上の一点へ視線を落とす。
問題はもう一つある。
研究所は、現時点で所属も所有者も不明。
防衛軍の施設である可能性もあれば、破棄された民間設備を改造したものかもしれない。
あるいは、存在してはならない軍の残骸かもしれない。
だが、どれであっても同じだ。
僕達が勝手に内部へ入れば、形式上は侵入罪に問われる可能性がある。
特別執行課は、いまだに立場が盤石ではない。
ここで手続きを間違えれば、隊員達にまで責任が及ぶ。
それだけは避けないといけない。
「課長、研究所への突入についてですが」
法務記録を担当している隊員が、一歩前へ出た。
「所有権が不明な建造物とはいえ、現状では内部侵入に法的リスクがあります。緊急救助の範囲であれば一部正当化可能ですが、研究所全域の調査やデータ確保まで含めると、後から問題視される可能性が」
「うん。分かってる」
僕は頷いた。
だから、ここで必要なのは力ではない。
権限だ。
特別執行課に与えられた、かなり面倒で、かなり重い権限。
使えば必ず、市長への共有義務が発生する。
関係各所にも記録が残る。
後から監査も入る。
でも。
誰かを助けるために使えない権限なら、持っている意味がない。
僕は端末を取り出し、指紋認証を通す。
画面に、特別執行課課長権限の起動確認が表示された。
「星見流雅、特別執行課課長権限に基づき、零号ホロウ内未登録研究施設への緊急調査及び救助活動を宣言」
端末が低い電子音を鳴らす。
「現時点をもって、当該研究施設内への侵入、探索、救助、証拠保全、及び撤退経路確保に関わる行動を、特別執行課の正式な執行活動として認定する」
「同行する全隊員に、僕の監督下における一時的な執行権限を付与」
一拍。
そして、僕ははっきりと告げた。
「――執行許可」
端末から、認証完了の音が鳴った。
僕は端末をしまいながら、なるべく穏やかに言う。
「いい?皆、覚えてると思うけど、これは好き勝手に暴れていい許可じゃない。あくまで救助と調査のための権限付与。施設内の破壊行為は必要最小限。証拠品の持ち出しは記録必須。敵性存在と遭遇しても、交戦より生存と情報共有を優先」
『了解しました!!』
「あと、揉め事を起こしたらダメだよ」
『了解しました!!』
「本当に分かってる?」
『はい!!』
勢いが良すぎて逆に不安になる。
(大丈夫かな……大丈夫だよね……?)
通信班が端末を操作しながら報告する。
「執行許可ログ、市長府共有回線に自動送信されました。防衛軍側へも、特別執行課による緊急執行活動として通知が飛びます」
「うん。ありがとう」
「なお、後日監査が入る可能性があります」
「だろうね」
「課長、監査用の行動記録もこちらで残します」
「お願い。なるべく綺麗にまとめてね」
「承知しました!課長のご判断を一点の曇りもなく――」
「盛らないでね」
「……承知しました」
今、少しだけ間があったけど、まあいいや。
僕は全員を見渡す。
「隊を三つに分けるよ。第一班は僕と一緒に隊長救出へ。第二班は研究所外周で退路確保。第三班は通信支援と侵食対策班の護衛。研究所内部へ入るのは、第一班と第二班から選抜した数名だけ」
「了解!」
「研究所内でアンビーさん、及びパエトーンのお二人と合流する。外部協力者だけど、今回は正式な協力対象として扱うこと。余計な詮索はしない」
「了解しました!」
「特に、アンビーさんに関しては」
僕は一度、言葉を切った。
隊員達の視線が集まる。
「今回の件と深く関わっている可能性がある。だからこそ、本人の許可なく過去や出自について踏み込まないこと。必要な情報は僕が確認する」
「……了解しました」
今度の返事は、少し静かだった。
よかった。
ちゃんと伝わっている。
「それと、パエトーンのお二人の指示には従って。ホロウ内の経路判断に関しては、僕よりあちらの方が何倍も上だよ」
「課長より上……!」
「そんな存在が……!」
「記録しろ」
「だから記録しなくていいよ」
本当に、油断するとすぐ記録しようとする。
僕は小さく息を吐いて、ホロウの入口を見る。
この奥に、隊長がいる。
アンビーさんがいる。
パエトーンの二人がいる。
そして、隻眼の女がいる。
僕は一歩進む。
「行こう」
その言葉に、隊員達が一斉に動いた。
□
「ここからは研究所の外周区域だね」
「はい。監視装置が複数」
「壊さないで。位置だけ記録して」
「了解」
刺激すれば、向こうが動く。
隊長の身に何が起きるか分からない。
だが、今はもう違法侵入を恐れて足を止める必要はない。
僕が出した執行許可は、既に全隊員の端末に同期されている。
研究所の外壁に触れ、内部へ踏み込んでも、その行動は特別執行課の緊急執行活動として記録される。
もちろん、何をしても許される訳じゃない。
むしろ責任は重くなる。
監査も入る。
市長にも説明しなければいけない。
防衛軍から抗議が来る可能性もある。
(まあ、それは後で考えようかな……)
今は、助ける方が先だ。
通信支援班から声が入る。
『課長、第三小隊隊長の熱源反応、継続確認。周囲に複数の敵性反応あり。動きは鈍いです』
「隊長は?」
『静止していますが、体温反応あり。生存している可能性が高いです』
「分かった」
間に合う。
そう思った瞬間、足が速くなりかけた。
だが、自分で止める。
『あなたは、一人で前に出ないで』
アンビーさんの声が、再び頭の中に蘇る。
「……実行しますよ」
「課長?」
「何でもないよ。配置に入ろう」
崩れた壁の先に、開けた空間が見えた。
そこに、第三小隊の隊長がいた。
膝をつき、片腕から血を流し、右足には拘束具。
それでも武器は手放していない。
周囲には、同じ顔をした女達が複数体。
白い髪。
白を基調とした服。
感情の薄い目。
だが、隻眼の女はいない。
(研究所の中……アンビーさんの方かな)
焦りが胸を突く。
だが、今の最優先は隊長だ。
「第一班、予定通り。閃光で視界を切って、僕が拘束具を外す。第二班は左右から射線を抑えて。第三班は外周警戒、敵の増援を通さないで」
『了解!』
「それぞれ敵を追いすぎないでね。隊長を連れて帰るのが目的だよ」
『了解しました!』
小型閃光弾が投げ込まれる。
パァン!!
白い光が空間を焼いた。
同時に、僕達は動く。
一人が反応する。
刀を抜き、攻撃を受け流す。
斬らない。
倒し切る必要はない。
必要なのは、隊長に辿り着く時間だけ。
左右から隊員達が入り、同じ顔の女達の進路を遮る。
さっきまでの熱量が嘘のように、皆が正確に役割を果たしている。
(……やっぱり、すごく優秀なんだよね)
過激なだけで。
「隊長!」
「……課長……来るなと、言ったはずですが……」
「ごめんね。聞けない命令だった」
「俺は、課長の部下です」
「うん。だから助けに来たよ」
足元の拘束具を見る。
解除構造は単純だが、無理に破壊すれば足を傷つける。
アンビーさんから聞いた、シルバーで使われていた拘束具。
右側面を押し、裏のピンを下へ引く。
金属音と共に、拘束具が外れる。
「立てる?」
「……立てます」
「嘘だね」
「…………肩を、お借りします」
「うん」
隊長を支えた瞬間、通信が乱れた。
『課長……研究所内部で……通信反応……パエトーン……信号……』
「アンビーさんは?」
『おそらく同一地点……ただし……妨害が強く……』
「分かった」
合流予定地点より深い。
つまり、もう隻眼の女と接触している可能性が高い。
僕は隊長を隊員へ預ける。
「隊長を外へ。救護班へ引き渡して」
「課長は?」
「研究所へ向かう」
「我々も同行します」
今度は、隊員の声に迷いがなかった。
僕は少しだけ彼を見る。
「……そうだったね」
もう、彼らには執行許可を出している。
研究所内部へ入ることを前提に、権限も付与した。
頼ると決めたのは、僕だ。
ここでまた一人で行こうとしたら、たぶんアンビーさんに怒られる。
……蹴られるかもしれない。
「第一班から二名、僕に同行。第二班は隊長搬送を補助。第三班は外周の退路確保。研究所内部に入る隊員は、僕の指示があるまで単独行動禁止」
『了解しました!!』
「いい?これは調査と救助。戦果はいらない。生きて戻るのが最優先」
『了解!!』
隊長が、苦しそうに息を吐きながら僕を見る。
「課長」
「なに?」
「隻眼の女は、アンビーという者を待っていました」
「……やっぱり」
「あの女は、課長のことも知っているようでした。ですが、それ以上に……アンビーさんへ向ける感情が異常です」
「恨み?」
「それだけではありません」
隊長は、少しだけ顔を歪めた。
「羨望に近いものを感じました」
「……分かった」
「課長」
「うん?」
「人を頼ってください」
僕は周囲の隊員達を見る。
皆、次の指示を待っている。
僕を守るためではなく、僕と一緒に誰かを助けるために。
「頼ってるよ」
そう答えると、隊長はほんの少しだけ笑った。
「なら、安心です」
「ちゃんと治療受けてね。後で報告書も聞くから」
「……叱責も?」
「うん。そこはちゃんとしないとね」
「………了解しました」
隊長を運ぶ部隊が動き出す。
僕は研究所の方を向いた。
「行くよ」
同行する隊員達が頷く。
『はい!』
今度の声は、熱だけではなく、覚悟と、役割を理解した声だった。