雅が本当の兄の様に慕っていた分家の兄が、雅の母親を介錯した話。   作:ザワザワする人

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決して変わらぬもの

あの日から、数日が経った頃。

 

「お疲れ様です。流雅特別執行課長」

 

「お疲れ様です。今日の事で無理を言ってすみません」

 

流雅は治安局の収容所を訪れていた。

 

目的は一つ。

 

「今日は面会でよろしかったでしょうか?」

 

「はい。彼女との面会を」

 

「承知しました。では、こちらで少々お待ちください」

 

「ありがとうございます」

 

ツイッギーとの面会。

なぜその目的に至るのか、時間はあの事件の翌日までさかのぼる。

 

 

 

□

 

 

 

あの事件の翌日。

 

星見家の屋敷には、朝から重苦しい空気が漂っていた。

 

普段から静かな家ではある。けれど、今日の静けさはいつものものではない。

廊下を歩く者達の足音は妙に硬く、襖の向こうから聞こえる囁き声は、誰もが何かを探り合うように低かった。

 

その原因は、昨日の夜に届いた一つの資料だった。

 

未登録研究施設から回収された紙資料。

兄上が現場で発見し、部下に命じて私へ直接届けさせたもの。

 

その表紙には、淡々とした文字でこう記されていた。

 

星見家由来遺伝情報を用いた複製体生成に関する経過報告。

 

私は、それを昨夜のうちに読んでいた。

 

そして、父上へ報告し、分家の重鎮達にも召集がかかった。

 

星見家全体での会議。

 

そう呼ぶには、あまりに血生臭いものになる予感があった。

 

 

□

 

 

「兄上」

 

会議の始まる少し前。

私は、屋敷の奥にある縁側で兄上を見つけた。

 

兄上は庭を眺めていた。

 

特に何かを見ているわけではなさそうだった。

ただ、そこに立っている。

 

昔から、兄上はそういう時がある。

考え込んでいるようで、何も考えないようにしている時。

 

「雅」

 

兄上は振り返り、いつものように少しだけ笑った。

 

六課や特別執行課で見せる顔とは違う。

星見家の者達の前で見せる、硬い顔とも違う。

 

私に向ける時だけの、柔らかい兄の顔だった。

 

「早かったね。会議、まだ少し先でしょ?」

 

「あぁ。だが、兄上が一人でいる気がした」

 

「よく分かったね」

 

「分かる」

 

「さすが」

 

兄上は少しだけ肩を竦めた。

 

軽い調子だった。

けれど、私はその顔を見て、少しだけ眉を寄せる。

 

「無理をしているな」

 

「してないよ」

 

「嘘だ」

 

「……雅は昔からそういうの、見逃してくれないね」

 

「兄上が隠すのが下手なんだ」

 

「それは手厳しいなぁ」

 

兄上はそう言って、また庭へ視線を戻した。

 

風が吹き、庭の木々が揺れる。

葉の擦れる音が、二人の間に薄く流れた。

 

「資料は、昨日読んだ」

 

「うん」

 

「兄上が私に直接見せろと命じたとも聞いた」

 

「うん。あれは、雅に最初に見せるべきだと思ったから」

 

「父上ではなく?」

 

「お父様にもすぐ伝わると思った。でも、星見家で一番動けるのは雅だし……それに」

 

兄上は少しだけ言葉を止めた。

 

「雅のことでもあるかもしれないから」

 

胸の奥が、僅かに冷えた。

 

「私の遺伝情報が使われた可能性がある、と?」

 

「断定はできないよ。資料だって全部じゃないし、研究所のデータ解析もまだ途中だから。でも……目的が星見家の戦闘適性なら、本家の血を狙うのが自然だと思う」

 

「……そうか」

 

私は短く答えた。

 

声は落ち着いていたと思う。

けれど、兄上にはきっと分かっている。

 

私は怒っている。

 

刀を抜く前のような怒りではない。

もっと奥深く、冷えていくような怒り。

 

私の血だけではない。

母上の血。

父上の血。

星見家が背負ってきたもの。

 

それを、誰かが勝手に切り取り、増やし、道具にしようとした。

 

「雅」

 

「分かっている。ここで感情に任せて暴れるつもりはない」

 

「そこまでは心配してないよ」

 

「では何を心配している」

 

「雅が、全部自分の責任みたいに抱え込まないか」

 

私は少しだけ目を見開いた。

 

それから、むっとして兄上を見る。

 

「それは兄上にだけは言われたくない」

 

「……まぁ、それはそう」

 

兄上は気まずそうに笑った。

 

その顔を見ると、私は少しだけ力が抜ける。

昔からそうだ。

 

兄上はこういう顔をする。

自分のことになるとすぐに誤魔化すのに、人のことになるとやけに真剣になる。

 

「兄上」

 

「うん?」

 

「今日の会議は荒れる」

 

「だろうね」

 

「兄上に、酷い言葉を向ける者もいる」

 

「それも、昔から変わらない。いつものことだよ」

 

何でもないことのように、兄上は言った。

 

私は、その言い方が嫌いだった。

 

傷ついていないわけではない。

慣れたふりをしているだけだ。

 

いや、もしかすると本当に慣れてしまったのかもしれない。

それが、余計に腹立たしかった。

 

「いつものこと、で済ませるな」

 

「雅」

 

「私は、兄上がそうやって自分の傷を無かったことにするのが嫌いだ」

 

兄上は何も言わなかった。

 

困ったように、少しだけ目を伏せる。

 

「……ごめん」

 

「謝れと言っているのではない」

 

「うん。でも、ごめん」

 

その優しい声に、私は言葉を詰まらせる。

 

怒りたいのに、怒りきれない。

昔からそうだった。

 

兄上はずるい。

優しくて、苦しくて、いつも自分を後回しにする。

 

「今日は、僕も出るよ」

 

兄上が言った。

 

「正直、僕がいない方が話は進むかなって思ってたけど」

 

「そんなことはない」

 

「どうかな。星見家の人達、僕の顔を見ると本題を忘れるから」

 

「忘れた者は、私が思い出させる」

 

「怖いなぁ」

 

「冗談ではない」

 

「分かってる」

 

兄上は軽く笑った後、少しだけ真面目な顔になった。

 

「でも、会議中は僕も言葉を選ぶ。星見家の皆の前では、いつも通り私(・)で話すから」

 

「……兄上が遠くなるから、少し嫌だ」

 

「会議が終わったら戻るよ」

 

「約束だ」

 

「うん。約束」

 

私は小さく頷いた。

 

「兄上」

 

「うん?」

 

「私の隣にいろ」

 

兄上は、少しだけ驚いたように私を見た。

 

それから、困ったように笑う。

 

「命令?」

 

「お願いだ」

 

「……それは断れないなぁ」

 

兄上はそう言って、私の頭に手を伸ばしかけた。

 

けれど、途中で止める。

 

もう子供ではない。

星見雅は、虚狩りであり、六課課長であり、星見家の中心に立つ者だ。

 

きっと、そんなことを考えたのだろう。

 

でも、私はその手を見逃さなかった。

 

「途中で止めるな」

 

「え?」

 

「撫でようとしただろう」

 

「いや、会議前だし」

 

「今は誰も見ていない」

 

「……雅って、そういうところ昔から変わらないね」

 

兄上は少し困ったように笑い、私の頭を軽く撫でた。

 

黒い耳が僅かに揺れる。

 

ほんの一瞬だけ、胸の奥の張り詰めたものが抜けた。

 

「兄上」

 

「うん」

 

「私は、兄上の隣に立つ」

 

「……うん」

 

「だから兄上も、私の隣にいろ」

 

兄上は手を止めた。

 

それから、小さく頷いた。

 

「分かった」

 

 

□

 

 

星見家の大広間には、既に多くの者が集まっていた。

 

分家の重鎮。

古くから星見家に仕える者。

 

畳の匂い。

古い木材の香り。

壁に掛けられた歴代当主の肖像。

 

どれも昔と変わらないはずなのに、流雅にとって今はひどく息苦しかった。

 

流雅が広間に入ると、いくつもの視線が向けられた。

 

好意的なものは、ほとんどない。

 

「……来たか」

 

「本当に同席するつもりなのか」

 

「忌み子が」

 

「奥方様の件を忘れたわけではあるまい」

 

「本当に尾が……」

 

囁き声は、隠す気すらなかった。

 

流雅は反応しなかった。

 

ただ、雅の一歩後ろを歩く。

それが星見家の中での、自分の立ち位置だとでも言うように。

 

「兄上」

 

雅が小さく呼んだ。

 

流雅は、少しだけ首を横に振る。

 

大丈夫。

 

声には出さなかった。

けれど、雅には伝わった。

 

雅は納得していない顔をしたが、それ以上は言わなかった。

 

「雅様」

 

分家の老人が声を上げた。

 

「その者を、この場に同席させるのですか」

 

予想通りだった。

 

流雅は内心で息を吐く。

 

何も始まっていない。

資料の話も、研究所の話も、複製体の話もまだだ。

 

それでも、最初に出るのは自分への拒絶。

 

分かっていたことだ。

 

「何か問題があるか」

 

雅の声は低い。

 

「問題しかございません。その者は本家の血筋ではなく、ましてや奥方様を――」

 

「その名を使うな」

 

広間の空気が止まった。

 

雅は老人をまっすぐ見ていた。

 

「母上の名を、兄上を貶めるために使うな」

 

「……失礼いたしました」

 

老人は頭を下げた。

 

しかし、その目は納得していない。

 

むしろ、流雅への憎悪が濃くなったようにも見えた。

 

流雅は、ほんの少しだけ目を伏せる。

 

慣れている。

 

慣れてしまった。

 

それが良いことか悪いことかは、もう流雅にも分からなかった。

 

「流雅」

 

上座から、星見宗一郎の声がした。

 

「こちらへ」

 

「……はい」

 

流雅は姿勢を正し、雅の隣へ進む。

 

星見家の前では、声も言葉も変わる。

 

僕ではなく、私。

 

兄ではなく、星見家に連なる一人として。

 

そうしなければ、この場では立っていられない。

 

流雅が雅の隣に座ると、広間が再びざわめいた。

 

「隣だと……?」

 

「雅様は何をお考えなのだ」

 

「あの者を本家の席に……」

 

雅は一切、気にしていなかった。

 

むしろ当然だと言わんばかりに、前だけを見ている。

 

宗一郎が資料を手に取った。

 

「本日の議題は、未登録研究施設より回収された資料についてだ」

 

その言葉と共に、複写された資料が配られていく。

 

紙をめくる音が広間に広がった。

 

最初は静かだった。

だが、すぐにその静けさは崩れた。

 

「星見家由来遺伝情報……?」

 

「複製体生成、成功……?」

 

「何だ、これは」

 

「誰がこのようなものを」

 

声が増えていく。

 

怒り。

困惑。

恐怖。

疑念。

 

そして、資料を読み進めた者達の視線が、少しずつ雅へ集まり始めた。

 

そこに雅の名はない。

 

だが、星見の血を引く、高い戦闘適性を持つ者など、今の星見家に多くいるはずがなかった。

 

「……雅様が、素体なのですか」

 

誰かが呟いた。

 

広間から音が消えた。

 

雅は資料を見つめたまま、動かなかった。

 

自分の名が書かれていないことなど、何の慰めにもならない。

むしろ、名前だけを伏せていることが、ひどく生々しかった。

 

誰かが、星見雅という存在から必要な部分だけを切り取り、別の器に移そうとしていた。

 

その事実が、怒りより先に、冷たい不快感となって胸の奥へ沈んでいく。

 

「断定は早い」

 

宗一郎が静かに言った。

 

「資料上に雅の名はない」

 

「ですが、宗一郎様」

 

分家の男が顔を上げる。

 

「この条件が揃う者など、星見家にも限られます。雅様以外に考えろと言われる方が難しい」

 

「分かっている」

 

宗一郎の声は低かった。

 

「分かっているからこそ、慎重に扱うべきだと言っている」

 

慎重に。

 

その言葉はもっともだった。

名が書かれていない以上、断定は危険だ。

資料が罠である可能性もある。

 

だが、広間にいる者達の多くは、すでに答えを見つけてしまっていた。

 

素体は雅ではないのか。

 

その疑念は、もう誰の胸からも消えない。

 

「流雅」

 

一人の男、流雅の父が口を開いた。

 

「この資料を発見したのは、お前だと聞いた」

 

「はい。現場にて発見いたしました」

 

「そして、お前の部下が雅様へ直接届けた」

 

「はい。私がそう命じました」

 

「随分と都合が良い話だな」

 

空気が変わった。

 

怒りと恐怖の向かう先が、少しずつ流雅へ集まり始める。

 

流雅は表情を変えなかった。

 

「……と、申しますと」

 

「星見家の名を穢す資料を、お前が見つけた。しかも、その内容は雅様の複製体に関わる可能性がある。お前は資料を宗一郎様ではなく、雅様へ流した」

 

男は、わざとらしく間を置いた。

 

「まるで、最初から雅様を動揺させるために用意していたようではないか」

 

雅の気配が変わった。

 

だが、流雅は雅より先に口を開く。

 

「疑われるのは当然です。発見時の記録、回収班の証言、現場映像、資料保全の手続きは全て提出可能です」

 

「記録など、いくらでも改竄できる」

 

「では、第三者機関を通じた検証を提案いたします」

 

「星見家の恥を外へ晒すつもりか」

 

「恥を隠した結果、人が死ぬならば、その方が余程の恥です」

 

広間が静かになった。

 

流雅は声を荒げていない。

 

淡々としていた。

 

それが余計に、言葉の重さを際立たせた。

 

「この資料が正しければ、星見家の遺伝情報を用いた複製体が既に生成されています」

「加えて、素体が雅様である可能性が高い以上、目的が単なる研究であるとは考えにくい」

「戦闘利用、無尾への適合実験、あるいは星見家の後継そのものへの干渉も視野に入れるべきです」

 

「よく喋る」

 

老人が低く言った。

 

「まるで、全てを知っていたかのようだ」

 

「知っていれば、もっと早く止めていました」

 

「本当にそうか?」

 

別の声が飛ぶ。

 

「お前は本家の血を持たぬ。星見家から疎まれた。奥方様に拾われたとはいえ、所詮は分家から捨てられた身だ」

 

言葉が、刃のように広間を渡る。

 

「雅様という本物の天才を、羨ましく思ったことはないのか」

 

流雅は答えなかった。

 

雅の指先に力が入る。

 

「雅様の複製体が作られた。だが、それを最初に発見したのがお前だ。お前が特別執行課を率いる立場になった直後に、都合よくな」

 

「何が仰りたいのでしょうか」

 

「お前が関与しているのではないかと言っている」

 

広間が、完全に静まった。

 

誰も、その言葉を止めなかった。

 

むしろ、いくつかの視線はそれを待っていたように流雅へ向いていた。

 

たれ耳の忌み子。

育ての母を殺した男。

本家に入り込んだ異物。

星見にある筈がない尾を持つ者。

血を持たぬくせに、星見の中枢にいる者。

 

彼らにとって、流雅を疑う理由はいくらでもあった。

 

「動機はある」

 

男は続ける。

 

「星見家への復讐。雅様への劣等感。あるいは、星見家の血を持たぬ自分が、星見家を支配するための手段」

 

「馬鹿なことを言うな」

 

雅の声が落ちた。

 

今度は、流雅が止めるより早かった。

 

広間の空気が凍る。

 

「兄上が、そのようなことをするはずがない」

 

「雅様。お気持ちは分かります。しかし」

 

「分かっていない」

 

雅は男を見た。

 

「何一つ、分かっていない」

 

「ですが、上京は」

 

「証拠もなく兄上を犯人扱いしたのは、お前だ」

 

男は口を閉じた。

 

雅の目は冷えていた。

 

刀を抜いていないのに、広間にいる者達の背筋を震わせるほどに。

 

「兄上は、私を羨んでなどいない」

 

雅は静かに言った。

 

「兄上は、私のために何度も自分を捨ててきた。星見家のために、母上の願いのために、自分がどれほど傷ついても立ち続けた」

 

「雅」

 

流雅が小さく呼んだ。

 

だが、雅は止まらなかった。

 

「兄上を疑うなら、証拠を持ってこい。憎しみや偏見で語るな」

 

「……雅様は、その者に情が深すぎます」

 

「情ではない」

 

雅は即答した。

 

「事実だ」

 

流雅は、机の下でそっと雅の手に触れた。

 

止めるためではない。

 

落ち着かせるためだった。

 

雅は一瞬だけ流雅を見る。

 

流雅は、ほんの少しだけ首を横に振った。

 

大丈夫。

 

また、そう言っている。

 

雅は唇を噛みそうになった。

 

 

何が大丈夫なのだ。

 

兄上は、いつもそうだ。

 

自分が傷つけられることには慣れた顔をして、こちらの怒りまで宥めようとする。

 

 

流雅は改めて顔を上げた。

 

「私は、本件への関与を否定いたします」

 

静かな声だった。

 

「必要であれば、私自身への調査も受け入れます。通信履歴、執務記録、特別執行課の行動記録、研究所発見までの経緯、全て開示いたします」

 

「開示すれば済むと思っているのか」

 

「済むとは思っておりません。ですが、まず事実を確認すべきです」

 

流雅は資料へ視線を落とす。

 

「現時点で重要なのは、私を疑う事ではありません。雅様の遺伝情報がどこから持ち出され、どの程度の複製体が生成され、今どこに存在するのかです」

 

広間に、重い沈黙が降りる。

 

誰もが分かっていた。

 

流雅を疑うことは簡単だ。

 

忌み子だから。

異物だから。

嫌いだから。

 

けれど、それで問題が解決するわけではない。

 

どこかに、雅の複製体がいるかもしれない。

 

星見雅という名を持たない、星見雅に似た何かが。

 

その可能性の方が、遥かに恐ろしかった。

 

「……仮に、素体が雅様であるなら」

 

別の者が、声を絞り出すように言った。

 

「それは、星見家の後継そのものを脅かすものです」

 

「あぁ」

 

宗一郎が頷いた。

 

「だからこそ、この場で感情に流されることは許さぬ」

 

宗一郎の目が、広間をゆっくりと見渡す。

 

「流雅を疑う者がいるなら、証拠を出せ。出せぬなら黙れ」

 

その声に、誰もすぐには反論できなかった。

 

「本件は、星見家の存続に関わる。雅個人への冒涜であると同時に、星見の血そのものへの干渉だ。内輪の憎悪で潰してよい話ではない」

 

流雅は静かに頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

「礼を言う話ではない」

 

宗一郎は、少しだけ苦しそうに言った。

 

「お前に疑いが向くことも、分かっていた。それでも、この場に呼んだのは私だ」

 

「承知しております」

 

「本当に承知している顔ではないな」

 

流雅は返事をしなかった。

 

雅は隣で、その横顔を見ていた。

 

兄上は、また受け入れている。

 

疑われることも。

嫌われることも。

星見家に必要な時だけ使われることも。

 

全部、自分が耐えればいいと思っている。

 

それが、雅にはたまらなく嫌だった。

 

「兄上」

 

雅は小さく呼んだ。

 

会議の場に似つかわしくない、私情の滲んだ声だった。

 

流雅がこちらを見る。

 

「何でしょうか、雅様」

 

雅ではなく、雅様。

 

さっき縁側で約束したはずなのに、もう遠い。

 

 

 

□

 

 

 

「それじゃ、とりあえず一応初めまして……ですかね?」

 

「帰って」

 

面会場に、冷酷な軽蔑の声が響いた。

 

ガラスに遮られた二名の顔には、明らかな表情の違いがあった。

 

「あなたに聞きたい事が……」

 

「何も話す気はないわ」

 

拒絶。

 

ツイッギーは椅子に座ったまま、こちらを見ることすらしなかった。

 

流雅は、しばらく黙っていた。

 

面会室の空気は冷たい。

壁も、机も、ガラスも、何もかもが無機質で、そこにいる人間の感情だけが妙に浮いていた。

 

「……分かりました」

 

「なら帰って」

 

「帰る前に、一つだけ」

 

「何も話す気はないわ」

 

「あなたが話したくないなら、それでいいです」

 

「なら帰って」

 

ツイッギーは同じ言葉を繰り返した。

 

流雅は椅子に腰掛けたまま、資料を一枚だけ机の上に置いた。

 

ガラス越しに、それが見えるように。

 

「でも、これはあなたにも関係があると思いました」

 

ツイッギーは動かなかった。

 

けれど、視線だけがほんの少し、机の上へ落ちた。

 

星見家由来遺伝情報を用いた複製体生成に関する経過報告。

 

その文字を見た瞬間、ツイッギーの指先が僅かに跳ねた。

 

本当に僅かだった。

普通なら見逃すほどの反応。

 

けれど、流雅は見逃さなかった。

 

「……それを、どこで」

 

「研究所で見つけました」

 

「そう」

 

短い返事だった。それ以上はない。

 

「あなたは、これを知っていますね」

 

「知らないわ」

 

「そうですか」

 

「随分あっさり引くのね」

 

「今のあなたに、問い詰めても意味はありませんから」

 

ツイッギーはようやく流雅を見た。

その目には、明確な軽蔑があった。

ひらひらと、もう無くなった彼女の右腕の袖が揺れる。

 

「分かっているなら帰って」

 

「僕は、あなたを責めに来たわけではありません」

 

「責めればいいじゃない。楽でしょう? 悪い研究所にいた、悪い女を責めれば、あなた達は少しだけ安心できる」

 

「安心したいわけではありません」

 

「じゃあ何?」

 

「確認したいだけです」

 

流雅は資料に視線を落とした。

 

「星見雅の複製体は、存在しているのか」

 

面会室から、音が消えた。

 

ツイッギーは答えなかった。

 

否定もしない。

肯定もしない。

 

ただ、ガラス越しの流雅をじっと見ていた。

 

その沈黙が、何よりも重かった。

 

「……答える気はありませんか」

 

「ないわ」

 

「では、聞き方を変えます」

 

「何を変えても同じよ」

 

「この報告書にある成功という言葉は、事実ですか」

 

ツイッギーは目を細めた。

 

「あなた、嫌な聞き方をするのね」

 

「必要ですから」

 

「必要なら何を聞いてもいいの?」

 

「いいとは思っていません」

 

「なら黙って」

 

流雅は口を閉じた。

 

ツイッギーも何も言わなかった。

 

数秒の沈黙。

 

その間に、面会室の時計の針の音だけが妙にはっきり聞こえた。

 

「あなた達って、いつもそう」

 

ツイッギーが小さく言った。

 

「必要だから。守るためだから。正しいことだから。そう言えば、誰かの痛いところに踏み込んでも許されると思っている」

 

「……そう見えますか」

 

「えぇ」

 

ツイッギーの声は冷たい。

 

けれど、先ほどまでの拒絶だけではなかった。

 

嫌悪。

疲労。

諦め。

 

それらが薄く混ざっていた。

 

「あなたも同じよ。星見家に嫌われて、便利に使われて、それでも真面目な顔で役目を果たしている。見ていて苛々する」

 

「あなたには、そう見えるんですね」

 

「そうよ」

 

「間違ってはいません」

 

流雅は静かに答えた。

 

ツイッギーの眉が僅かに動く。

 

「否定しないのね」

 

「否定できるほど、器用ではないので」

 

「気持ち悪い人」

 

「よく言われます」

 

「でしょうね」

 

ツイッギーはそれきり黙った。

 

流雅も、すぐには口を開かなかった。

 

ガラス一枚隔てた向こうにいる少女は、何も話す気がない。

少なくとも、今日この場で核心を明かすつもりはない。

 

それでも、全く無意味ではなかった。

 

資料を見た時の反応。

成功という言葉への拒絶。

星見雅の複製体という問いに対する沈黙。

 

答えではない。

 

けれど、何もないわけではない。

 

「今日は、ここまでにします」

 

流雅は資料を閉じた。

 

「最初から来なければよかったのよ」

 

「そうかもしれません」

 

「もう来ないで」

 

「それは約束できません」

 

ツイッギーは、少しだけ目つきを鋭くした。

 

「本当に嫌な人ね」

 

「すみません」

 

「謝ればいいと思っているところも嫌い」

 

「……気をつけます」

 

「そこも嫌い」

 

流雅は少しだけ困ったように笑った。

 

ツイッギーは、その顔を見てさらに不機嫌そうに視線を逸らした。

 

 

原作から大分離れてもオーケー?

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