雅が本当の兄の様に慕っていた分家の兄が、雅の母親を介錯した話。   作:ザワザワする人

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継続は力なり

それからも、流雅は収容所に通い続けた。

 

一度目は拒絶。

二度目も拒絶。

三度目は、面会室に入った瞬間に帰れと言われた。

 

それでも流雅は来た。

 

一週間に一度。

時には、仕事の合間を縫うようにして。

 

ツイッギーは何も話さなかった。

 

研究所のことも。

複製体のことも。

自分のことも。

 

ただ、流雅が来るたびに、同じように椅子に座り、同じようにこちらを見ないまま時間が過ぎるのを待っていた。

 

最初は、それでよかった。

 

何も話さなければ、何も踏み込まれない。

何も受け取らなければ、何も返さなくていい。

 

そう思っていた。

 

「あなた、暇なの?」

 

ある日の面会で、ツイッギーはようやくそう言った。

 

流雅は少しだけ目を丸くした。

 

「ようやく、僕からじゃなくてあなたから話しかけてくれました」

 

「質問に答えなさい」

 

「暇じゃないですよ?」

 

「なら来ないで」

 

「それは難しいですね」

 

「気持ち悪い人」

 

ツイッギーは吐き捨てるように言った。

 

流雅は机の上に、小さな箱を置いた。

 

面会室の職員が中身を確認し、ガラスの向こう側へそれを運ぶ。

 

ツイッギーは箱を見た。

 

「何」

 

「義手です」

 

空気が止まった。

 

ツイッギーの目が、初めてはっきりと揺れた。

 

右腕。

 

もう存在しない腕の袖が、膝の上で力なく落ちている。

 

「……頼んでない」

 

「はい」

 

「いらない」

 

「そう言うと思いました」

 

「なら持ってこないで」

 

「それでも、必要だと思ったので」

 

ツイッギーは箱を睨んだ。

 

「あなた、本当に嫌い」

 

「はい」

 

「善人ぶって、私に施しでもするつもり?」

 

「違います」

 

「何が違うのよ。腕を失った可哀想な女に、優しいあなたが義手を用意してあげた。そういう話でしょう?」

 

「違います」

 

流雅の声は、少しだけ強かった。

 

ツイッギーは眉を動かした。

 

「これは、あなたが選ぶためのものですから」

 

「選ぶ?」

 

「使うか、使わないか。捨てるか、しまっておくか。全部あなたが決めていい」

 

「なら、今すぐ捨てるわ」

 

「構いません」

 

「……本当に?」

 

「はい」

 

流雅は静かに頷いた。

 

「僕が渡したかっただけですから。あなたが受け取った後、それをどうするかはあなたのものです」

 

ツイッギーは黙った。

 

箱へ視線を落とす。

 

開けるつもりなどなかった。

使うつもりもない。

 

けれど、捨てるとも言えなかった。

 

それが、ひどく腹立たしかった。

 

 

 

 

 

 

義手は、捨てられなかった。

 

最初は箱の中に入ったままだった。

次に来た時も、その次に来た時も、ツイッギーは使おうとしなかった。

 

だが、四度目の面会で、流雅は気づいた。

 

箱の封が、開いていた。

 

「見たんですね」

 

「見てない」

 

「でも、封が」

 

「職員が勝手に開けたのよ」

 

「そうですか」

 

「そうよ」

 

ツイッギーは視線を逸らした。

 

流雅はそれ以上、何も言わなかった。

 

その次の面会で、義手は机の上に置かれていた。

 

まだ装着はされていない。

ただ、箱から出されていた。

 

「重い」

 

ツイッギーはそれだけ言った。

 

流雅は少しだけ笑った。

 

「調整しますよ」

 

「あなたが?」

 

「専門の技師に頼みます。僕は細かい調整内容を伝えるだけです」

 

「勝手に?」

 

「はい」

 

「最悪」

 

「すみません」

 

「でも軽くして」

 

「分かりました」

 

ツイッギーは、そこで初めて少しだけ言葉に詰まった。

 

自分で言ってから、失敗したと思ったような顔だった。

 

流雅は何も言わなかった。

 

 

 

 

三ヶ月が経つ頃。

 

ツイッギーは義手をつけていた。

 

動きはまだぎこちない。

指先も不自然に止まる。

 

けれど、カップを持つことくらいはできるようになっていた。

 

本人は決して認めなかったが。

 

「使ってますね」

 

「違うわ」

 

「では、それは?」

 

「邪魔だから腕につけてるだけ」

 

「便利な邪魔ですね」

 

「黙って」

 

流雅は黙った。

 

すぐに黙ったので、ツイッギーは少しだけ不満そうな顔をした。

 

「……今日は、何?」

 

「外出許可が下りました」

 

「は?」

 

ツイッギーは初めて、分かりやすく間の抜けた声を出した。

 

流雅は一枚の書類を机に置く。

 

「監督付き、短時間、指定区域内での外出です。職員の許可も取っています。僕が同行します」

 

「誰が頼んだの?」

 

「頼まれていません」

 

「じゃあ何で取ったのよ」

 

「必要だと思ったので」

 

「またそれ?」

 

ツイッギーの声が低くなる。

 

「あなた、私の意思ってものを何だと思っているの?」

 

「大事なものだと思っています」

 

「嘘」

 

「嘘じゃありません」

 

「なら何で勝手に取るのよ!」

 

面会室に声が響いた。

 

職員が反応しかける。

 

流雅は手で制した。

 

「外に出るかどうかは、あなたが決めてください」

 

「もう許可を取った後で言う台詞じゃないわ」

 

「そうですね」

 

「そうですね、じゃない!」

 

ツイッギーは義手の指を机に叩きつけた。

 

硬い音が鳴る。

 

「あなたはいつもそう。勝手に来る。勝手に渡す。勝手に許可を取る。結局、私がどう思ってるかなんて関係ないんでしょう?」

 

「関係あります」

 

「ないわよ!」

 

ツイッギーは立ち上がった。

 

「あなたは私に選ばせてるつもりかもしれないけど、違う。あなたが先に道を置くのよ。ほら、選べって。これなら歩けるでしょうって。義手も、外出も、全部そう」

 

流雅は何も言わなかった。

 

「私は、そんなもの欲しいって言ってない!!」

 

ツイッギーの声が震える。

 

「外なんて見たくない。自由なんて欲しくない。今さら普通の人間みたいな顔をして外を歩けって? ふざけないで!」

 

「……」

 

「私はもう、戻れないのよ」

 

その言葉だけは、怒鳴り声ではなかった。

 

静かで、苦しい声だった。

 

「どこにも戻れない。研究所にも、過去にも、未来にも。なのにあなたは、戻れるみたいな顔をする。やり直せるみたいに言う」

 

ツイッギーは流雅を睨んだ。

 

目元が赤い。

 

「そんなの、残酷なのよ」

 

流雅は、ようやく口を開いた。

 

「……すみません」

 

「謝らないで!」

 

「はい」

 

「はいじゃない!」

 

ツイッギーの感情は、もう止まらなかった。

 

「あなたを見ると腹が立つ!」

 

「あなたは星見家に嫌われてるくせに、まだそこに居場所がある」

 

「帰ってこいって言ってくれる人がいる」

 

「怒ってくれる人がいる」

 

「心配してくれる人がいる」

 

声が震える。

 

「私はない」

 

義手の指が、ぎこちなく震えた。

 

「私には、そんなもの()()ない」

 

流雅は、ツイッギーを見ていた。

 

いつもの困ったような笑みはない。

 

ただ、まっすぐに。

 

逃げずに。

 

「僕にも、なかった時があります」

 

ツイッギーの眉が動いた。

 

「……何よ、急に」

 

「生まれて、実の母に捨てられ、家を転々としていた頃、僕はずっと嫌われていました」

 

流雅は静かに言った。

 

「垂れ耳だから。星見家での自分達の地位を下げるから。どうせ、出来損ないだから」

 

ツイッギーは黙った。

 

流雅は続ける。

 

「廊下を歩くだけで、背中に声が刺さりました。稽古場に行けば、木刀を持つ前から笑われました。食事の席では、何も出されなかった事もあります」

 

淡々としているからこそ、その痛みが妙に生々しかった。

 

「押し入れに閉じ込められたこともありました。耳を掴まれて、星見の形ではないと言われたこともあります」

 

ツイッギーは目を逸らせなかった。

 

「その時の僕は、ずっと思っていました」

 

「何をよ」

 

「僕が我慢すればいいんだって」

 

風もない面会室で、ツイッギーの義手の指だけが小さく震えた。

 

「僕が黙っていれば、誰にも迷惑はかからない。僕が何もしなければ、誰も怒らない。僕が気にしていないふりをすれば、全部そのうち終わる」

 

流雅は少しだけ目を伏せた。

 

「終わらなかったですけどね」

 

ツイッギーは何も言わなかった。

 

「僕が慣れただけです」

 

その言葉は、静かに落ちた。

 

ツイッギーは、その意味を理解してしまった。

 

慣れる。

 

それは救いではない。

傷が消えたわけでもない。

 

痛みに名前をつけるのをやめただけだ。

 

「……だから何?」

 

ツイッギーは小さく言った。

 

「あなたも辛かったから、私の気持ちが分かるって言いたいの?」

 

「違いますよ」

 

流雅はすぐに首を横に振った。

 

「僕には、あなたの気持ちは分かりません。僕の過去と、あなたの過去は違います」

 

「じゃあ何で話したのよ」

 

「あなたに、僕が何も知らない人間ではないと伝えたかった」

 

「……」

 

「そして、僕があなたに外を見せたかった理由が、少しだけそこにあるからです」

 

流雅は義手へ視線を落とした。

 

「僕は閉じ込められていた時、誰かに扉を開けてほしかった。けれど、扉が開いた時に外へ出るのも怖かった」

 

ツイッギーの目が揺れた。

 

「外に出たら、また傷つくかもしれない。笑われるかもしれない。自分がいない方がいい場所だと、改めて分かってしまうかもしれない」

 

「……」

 

「それでも扉が開いていることだけは、知りたかった」

 

流雅はツイッギーを見る。

 

「だから、勝手に外出許可を取りました。あなたに押しつけたかったわけじゃない。扉があることだけ、先に知っておいて欲しかった」

 

「それが、残酷だって言ってるのよ」

 

「はい」

 

流雅は頷いた。

 

「あなたにとっては、そうだったと思います」

 

「……認めるの?」

 

「認めますよ」

 

「じゃあ、何で」

 

「僕が間違えたからです」

 

ツイッギーは言葉を失った。

 

流雅は、まっすぐに頭を下げた。

 

「あなたに選んでほしいと言いながら、僕はあなたが選ぶ前に道を用意しました。それが助けになると思っていました。でも、あなたにとっては怖かった」

 

「……」

 

「ごめんなさい」

 

今度の謝罪は、いつもの癖のようなものではなかった。

 

場を収めるためでもない。

傷を薄めるためでもない。

 

ちゃんと、ツイッギーへ向けられた謝罪だった。

 

ツイッギーは義手の拳を握った。

 

「ずるい」

 

「はい」

 

「そうやって、ちゃんと謝るのはずるい」

 

「すみま……」

 

「謝らないで」

 

流雅は口を閉じた。

 

ツイッギーは、しばらく流雅を睨んでいた。

 

怒りはまだある。

消えない。

 

けれど、その怒りの奥で、別の感情が膝を抱えていた。

 

怖かった。

 

外が怖い。

自由が怖い。

 

怖い。

 

自分で選べと言われたら、失敗も痛みも全部自分のものになる。

 

それが怖かった。

 

「……あなた」

 

「はい」

 

「外に出た時、私が逃げたらどうするつもりだったの」

 

「追います」

 

「私が暴れたら」

 

「止めれます」

 

「私があなたを傷つけたら」

 

「それは困りますね」

 

「困るだけ?」

 

「まぁでも。今のツイッギーさんに遅れを取らない自信はありますけど、傷ついたら痛いですね」

 

ツイッギーは一瞬、ぽかんとした。

 

それから、少しだけ顔を歪める。

 

「何よ、それ」

 

「傷つけば、普通に痛いですよ?僕だって人間ですからね」

 

「あなた、そういうところ本当に嫌い」

 

「はい」

 

「でも」

 

ツイッギーは視線を落とした。

 

「……痛いって言うなら、少しは信用できるわ」

 

流雅は何も言わなかった。

 

「あなたは、何でも受け止められる顔をするから嫌いだった」

 

「そんなに強くはありません」

 

「知ってる」

 

ツイッギーは改めて吐き捨てるように言った。

 

「今、知った」

 

 

 

 

 

 

外出の日。

 

ツイッギーは収容所の外で、しばらく立ち尽くしていた。

 

空は曇っていた。

 

眩しすぎない。

暗すぎない。

 

新エリー都の遠い雑踏が、風に乗って聞こえてくる。

 

車の走る音。

誰かの話し声。

店先の電子音。

 

どれも、収容所の中にはなかった音だ。

 

ツイッギーは義手の指を曲げたり伸ばしたりしていた。

 

落ち着かない時の癖になったものだった。

 

「大丈夫ですか」

 

「大丈夫じゃないって言ったら戻るの?」

 

「戻ります」

 

「……本当に?」

 

「はい」

 

ツイッギーは不機嫌そうに顔を歪めた。

 

「そこで引き止めないところも嫌い」

 

「すみま……」

 

流雅は途中で止めた。

 

ツイッギーがこちらを見る。

 

「今、謝ろうとした」

 

「しましたね」

 

「駄目」

 

「はい」

 

二人は、収容所から少し離れた公園へ向かった。

 

監督の職員は少し後ろにいる。

逃走防止というより、手続き上の同行だった。

 

ツイッギーはベンチに座った。

 

流雅は少し離れて立っていた。

 

「座らないの?」

 

「いいんですか」

 

「立たれてると監視されてるみたいで不快」

 

「分かりました」

 

流雅は隣に座った。

 

少し距離を空けて。

 

ツイッギーは空を見た。

 

何も言わなかった。

 

長い沈黙。

 

それでも、面会室の沈黙とは違った。

 

ガラスがない。

壁がない。

時計の針の音だけが響く閉じた空間でもない。

 

風がある。

 

それが、ツイッギーにはひどく落ち着かなかった。

 

「……気持ち悪い」

 

小さな声だった。

 

「何がですか?」

 

「全部よ」

 

ツイッギーは義手の指を握った。

 

「音も、匂いも、人が歩いてるのも。全部、私に関係ないみたいな顔をしてる」

 

「……」

 

「私は、こんなところにいていい人間じゃない」

 

流雅は何も言わなかった。

 

ツイッギーは続ける。

 

「軍の研究所で何があったか、あなたは知らない。私がどれだけ姉妹を見捨てたかも、どれだけ壊したかも知らない。私は、外の空気を吸っていいような人間じゃない」

 

「僕も、昔そう思っていました」

 

ツイッギーは横を見た。

 

流雅は空を見ていた。

 

「星見家の庭に出るのが怖かった時があります」

 

「庭?」

 

「はい。屋敷の奥に、小さな庭があって。母上様と雅が、よくそこに連れて行ってくれました」

 

流雅は少しだけ笑った。

けれど、それは懐かしさだけではなかった。

 

「最初は嫌でした。前は廊下でも悪口を言われるのに、庭なんか歩いたら、もっと見られる。それなら、部屋にいた方がましだと思っていました」

 

ツイッギーは黙って聞いていた。

 

「でも、母上様が言ったんです」

 

「何て」

 

「ここは、あなたがいていい場所ですって」

 

ツイッギーの目が揺れた。

 

「僕は、その言葉を信じられませんでした。星見家の人達が僕を嫌うたびに、やっぱり違うと思いました。僕がいていい場所なんて、どこにもないんだって」

 

流雅は少しだけ目を伏せる。

 

「でも、雅はずっと僕の隣にいました。母上様も、何度も庭へ連れ出してくれました。僕が怖がって部屋に戻っても、また来てくれました」

 

「……」

 

「僕は、多分、それで少しずつ覚えたんです。いていいと思えなくても、そこにいてみることはできるって」

 

ツイッギーの義手が、ぎこちなく膝の上で動いた。

 

「あなたは」

 

声が震えていた。

 

「あなたは、結局救われたじゃない」

 

流雅はツイッギーを見る。

 

「私は違う」

 

ツイッギーの声が荒くなる。

 

「あなたには、母親がいた。星見雅がいた。今は帰る場所もある。私は違う。私には誰もいない。私を庭に連れ出す人なんていなかった。私が怖いって言っても、誰も止まってくれなかった」

 

涙が落ちた。

 

怒りのまま。

 

「だから、あなたと一緒にしないで!」

 

流雅は逃げなかった。

 

「分かったような顔しないで!」

 

「私に、あなたの昔話で納得しろって言うの!?」

 

「言いません」

 

「じゃあ何で話したのよ!」

 

「僕は、あなたと同じじゃありません」

 

流雅は静かに言った。

 

「でも、あなたが怖いと言った時に、僕はそれを笑いたくなかった」

 

ツイッギーは息を詰めた。

 

「怖いと言えるまでに、きっと長い時間がかかったはずです。だから、僕はそれを否定したくありません」

 

「…………」

 

「外が嫌なら、嫌でいい。怖いなら、怖いでいい。戻りたいなら、今すぐ戻ります」

 

ツイッギーは拳を握る。

 

「でも」

 

流雅は続けた。

 

「あなたがほんの少しでも、このまま座っていてもいいと思えるなら、僕は隣にいます」

 

ツイッギーは、流雅を睨んだ。

 

「それが嫌なのよ」

 

「はい」

 

「隣にいられると、怒れなくなる」

 

「怒ってもいいですよ?」

 

「……」

 

「僕に怒っていいです。僕は勝手に許可を取りました。あなたを怖がらせました。僕の過去を話して、あなたの傷に触れました」

 

流雅は少しだけ息を吐いた。

 

「怒られて当然です」

 

ツイッギーは唇を噛んだ。

 

「じゃあ、怒るわ」

「あなたは最低」

 

「はい」

 

「勝手で、無神経で、善人ぶってて、私の嫌なところにばかり踏み込んでくる」

 

「はい」

 

「でも」

 

声が詰まる。

 

「でも私が怖いって言ったら、戻るって言った」

 

流雅は何も言わなかった。

 

「それが、一番腹立つ」

 

ツイッギーは顔を伏せた。

 

 

「何で、今さらそんな人が来るのよ……」

 

 

その声は、もう怒鳴り声ではなかった。

 

子供のような、掠れた声だった。

 

 

「もっと早く来なさいよ……!」

 

 

流雅は返事をしなかった。

 

できなかった。

 

ツイッギーは泣いていた。

 

怒りながら。

悔しがりながら。

それでも、もう隠しきれずに。

 

義手の指が流雅の袖を掴んだ。

 

弱い力だった。

 

「……戻らない」

 

「はい」

 

「まだ、戻らない」

 

「はい」

 

「でも、歩くのは少しだけ」

 

「分かりました」

 

「手は貸さないで」

 

「はい」

 

「転びそうになったら助けなさい」

 

「はい」

 

「返事が早い」

 

「……気をつけます」

 

「そこも嫌い」

 

ツイッギーは立ち上がった。

 

足元は少しふらついていた。

義手の重さにも、まだ慣れていない。

 

それでも、ツイッギーは自分で歩き出した。

 

流雅は隣を歩いた。

 

近すぎず。

遠すぎず。

 

しばらくして、ツイッギーがぽつりと言った。

 

「あなた」

 

「はい」

 

「次に勝手なことをする時は、先に言いなさい」

 

「……はい」

 

「許可するとは限らないけど」

 

「分かりました」

 

「あと」

 

「はい」

 

ツイッギーは前を向いたまま言った。

 

「義手、もう少し指先を軽くして」

 

流雅は少しだけ笑った。

 

「調整します」

 

「勝手にじゃなくて、私が言ったからよ」

 

「はい。あなたが言ったからです」

 

ツイッギーはそれ以上、何も言わなかった。

 

けれど、歩く速度はほんの少しだけ落ち着いていた。

 

和解と呼ぶには、まだ遠い。

 

許したわけでもない。

救われたわけでもない。

過去が消えたわけでもない。

 

それでも、ツイッギーは外を歩いていた。

 

自分の足で。

 

そして、その隣には、流雅がいた。

 

「……流雅」

 

初めて名前を呼ばれて、流雅は横を見る。

 

ツイッギーは前だけを見ていた。

 

「今日は、嫌だった」

 

「はい」

 

「でも」

 

少しだけ間が空いた。

 

「……全部が嫌だったわけじゃない」

 

流雅は何も言わなかった。

 

その言葉を、ただ静かに受け取った。

 

ツイッギーは義手の指をゆっくりと握る。

 

「次も、公園でいいわ」

 

流雅は、今度こそ少しだけ笑った。

 

「分かりました」

 

「勘違いしないで」

 

「はい」

 

「あなたを許したわけじゃない」

 

「はい」

 

「でも、話くらいは聞いてあげる」

 

「ありがとうございます」

 

「礼は嫌い」

 

「……気をつけます」

 

「そこも嫌い」

 

そう言って、ツイッギーは小さく息を吐いた。

 

 

 

 

 

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