雅が本当の兄の様に慕っていた分家の兄が、雅の母親を介錯した話。 作:ザワザワする人
そして、アキラとリンは二階の会場に着いた。
「こんなに大勢の人が来ているなんて……」
アキラは会場を見渡しながら呟いた。
豪奢な照明。
磨き上げられた床。
談笑する者達の、薄く張り付いた笑顔。
安全調査の前夜という名目にしては、あまりにも華やかだった。
「今回の安全調査とやらは、相当な規模で実施するみたいだな」
「前にあんな騒動があったから、今回は気を抜けないのかも」
リンがそう答えると、アキラは頷いた。
「讃頌会が暴れていなくとも、労働者とポーセルメックスの間には安全上の問題が多々あった。今回でまとめて解決できればいいけれど」
二人が会場の奥へ向かおうとした時だった。
リンが、料理の並ぶテーブルの方を見る。
「あれ……流雅さん?」
そこには、見覚えのある狐のシリオンがいた。
ただ、今の流雅は任務中というより、リンからすればスープの香りを真剣に分析している料理好きにしか見えなかった。
「流雅さん?」
リンが声をかけると、流雅は顔を上げた。
「あ、リンさん。それにアキラさんも」
小皿を片手に、流雅は少しだけ笑う。
「二人とも呼ばれてたんですね」
「うん。ダミアンさんから招待をもらって」
「そうですか。僕も一応、特別執行課の名義で。まぁ半分は調査で、もう半分は料理の研究です」
「料理の研究?」
リンが首を傾げる。
流雅は手元のスープへ視線を落とした。
「このスープ、香りの立て方がすごく上手です。多分、仕上げに香味油を少し落としてるんですけど……何の油だろ」
「流雅さん、こういう場所でも料理見てるんだ……」
「こういう場所だからこそ、です。高い食材より、手間のかけ方の方が参考になりますし」
アキラは少し笑った。
「流雅さんらしいね」
「そうですか?」
「あぁ。調査に来てるのに、ちゃんと料理も見てるところが」
「食べられる時に食べて、見られる時に見る。結構大事です」
リンは苦笑しながら、並んだ料理を見た。
「じゃあ、流雅さん的におすすめは?」
「今のところ、このスープですね。あと向こうの山羊肉の燻製。香りの移し方、味の漬け方がかなり丁寧です」
「詳しい……」
「料理は好きなので」
その時、会場の奥から山盛りの皿を抱えた人物が歩いてきた。
潘引壺だった。
「よしよし、まずはこれくらいから――」
潘はそこで流雅に気づき、目を丸くした。
皿の上の点心が一つ、危うく落ちかける。
「……あ、兄弟子!?」
声が思いのほか大きく響いた。
周囲の数人が振り向く。
流雅は苦笑した。
「潘、久しぶり。でも、声大きいよ」
「いやいやいや、なんでいるんだ兄弟子!? ここ、ポーセルメックスの晩餐会だぞ!? 雲嶽山の食堂じゃないぞ!?」
「分かってるよ。招待されたの」
「誰に!?」
「一応、特別執行課として」
「特別執行課ぁ……? ああ、そういや兄弟子は今そういう立場だったな。お師匠が言ってた覚えも……忘れてたわけじゃないぞ? 忘れてたわけじゃないが、なんかこう、料理の前にいると昔の兄弟子すぎてな……」
「それ、褒めてる?」
「半分くらいは」
「もう半分は?」
「何でこんな場所にさらっと混ざってんだっていう驚きだ」
潘は本当に驚いているようだった。
リンが目を開きながら二人を見る。
「りゅ、流雅さんって雲嶽山だったの!?」
「おう。兄弟子だ兄弟子。昔から真面目でなぁ。修行中でも飯の味付け気にしてたぞ」
「言い方」
「事実だろ?」
「否定はしないけど」
流雅は苦笑しながら、潘の皿を見る。
「で、その量は?」
「味見だ」
「それ全部?」
「味見だ」
「潘」
「なんだ兄弟子」
「持ち帰りまで頼む気でしょ」
潘の耳がぴくりと動いた。
「……なぜ分かった」
「顔に書いてる」
「兄弟子は昔からそういうところだけ妙に鋭いよな…………変な所、鈍感な癖に」
「普通に見れば分かるよ」
リンは思わず笑った。
そんな空気の中、控えめな声が流雅の背後から届く。
「流雅さん……?」
振り返ると、そこにはウサギの耳を小さく揺らした少女が立っていた。
「アリスさん。久しぶりです」
流雅の声が少し柔らかくなる。
「前の食事会以来ですね。元気でした?」
「あ……はい。お久しぶりなのだわ。その節は、きちんとご挨拶できず……」
「気にしないでください。あの場は結構騒がしかったですし」
「でも、流雅さんには色々とお話したかったのだわ。エーテル化学のことも、その……特別執行課のことも」
「僕で答えられることなら、何でも」
アリスはほっとしたように笑う。
けれど、すぐにその笑みは薄くなった。
流雅はそれに気づいた。
「……アリスさん、大丈夫ですか?」
「え?」
「顔色があんまりよくないです。人が多いから疲れました?」
「い、いえ。私は調査監督チームの一員として招かれているから……その、光栄なことで……」
言葉は丁寧だった。
けれど、声は少し震えていた。
流雅は少しだけ目を細める。
「無理してるなら、休んだ方がいいです。こういう場所は慣れてても疲れますから」
「……流雅さん」
アリスが何かを言いかけた時だった。
「アリス嬢」
にこやかな声が割り込んだ。
ダミアンだった。
「こちらにいらっしゃいましたか。調査監督チームの皆様へご挨拶いただきたいのですが」
アリスの肩が跳ねる。
「は、はいなのだわ」
流雅の雰囲気が、少しだけ変わった。
さっきまでの柔らかさが引いていく。
「ダミアンさん」
「これはこれは、流雅特別執行課長。ご来場いただき光栄です」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
声は丁寧だった。
けれど、リンには分かった。
流雅の目が笑っていない。
「ただ、アリスさんは少しお疲れのようです。挨拶は少し時間を置いてからでもよろしいのでは?」
「おや、そう見えましたか?」
ダミアンは笑う。
「ですが、彼女は名門タイムフィールド家の代表としてお越しです。皆様もご挨拶を楽しみにされているでしょう」
「代表であっても、まだ学生です」
「ええ。だからこそ、多くを学べる場になるかと」
「経験と圧力は違うでしょう」
空気が少し冷える。
潘が皿を持ったまま、目だけで流雅を見る。
「……兄弟子、怒ってるな」
リンが小声で聞く。
「分かるの?」
「分かる。兄弟子は怒ると逆に丁寧になるんだ」
アキラは少し頷いた。
「確かに」
ダミアンは一瞬だけ流雅を見つめ、それから笑みを深めた。
「ご忠告、痛み入ります。ですが、どうかご安心を。アリス嬢には最大限配慮いたしますので」
「そうしていただけると助かります」
「ええ。もちろんですとも」
言葉だけなら穏やかだった。
だが、二人の間には薄い刃のような緊張があった。
アリスは慌てたように頭を下げる。
「わ、私は大丈夫なのだわ。流雅さん、心配してくれてありがとう」
「……何かあったら、すぐ言ってくださいね」
アリスはダミアンに連れられていった。
その背中は、会場の明るさとは不釣り合いなくらい小さく見えた。
リンは眉をひそめる。
「今の、やっぱり変だよね」
「うん」
アキラも頷いた。
「アリスさん、何か言いかけていたし。ダミアンさんも、明らかに遮ったね」
潘は皿を抱えたまま、難しい顔をする。
「兄弟子、どうする?」
流雅はアリスが消えた方を見ていた。
「まだ何もしないよ」
「意外だな」
「今ここで動くと、アリスさんの立場が悪くなるかもだし」
流雅は軽く息を吐く。
「でも、放っておく気もないよ」
潘は口元を緩めた。
「だろうな」
「潘」
「なんだ?」
「今のうちに食べすぎないでね。何かあった時に動けないと困るから」
「兄弟子、俺を何だと思ってるんだ」
「料理に対してだけ歯止めがない弟弟子」
「否定できないな」
「してよ」
□
その後、晩餐会は表向きには滞りなく進んだ。
ルクローとフェロクスの挨拶。
TOPS上層部の余裕ぶった談笑。
軍の研究顧問、イゾルデ。
調査監督チームの専門家達の内輪話。
リンとアキラは会場を回り、情報を集めていく。
流雅もまた、少し離れた位置から会場を見ていた。
ただ、時々料理を見ている。
「流雅さん、調査してるのか料理見てるのか分からないね」
「両方……?」
「両方なんだ」
「料理から分かることもありますし」
「あるかなぁ?」
「ありますよ。たぶん」
「たぶんなんだ……」
潘は横でロブスターを見つめていた。
「兄弟子、あれは?」
「駄目」
「まだ何も言ってないぞ」
「三匹頼もうとしてたでしょ」
「なぜ分かった」
「さっきから目が怪しい」
「兄弟子怖いな」
そんなやり取りをしながらも、流雅の視線は何度もアリスの方へ向いていた。
アリスは専門家達に囲まれていた。
笑っている。
けれど、流雅にはそれが無理をした笑顔に見えた。
□
晩餐会が終わった深夜。
ポーセルメックスが調査監督チームのために用意した高級客室。
その一室で、アリスは震えていた。
「うっ……ぐす……」
泣きながら、彼女は過去の事を思い出す。
「タイムフィールド家。新エリー都でも有数の名門であり、科学分野にもその名を轟かせていらっしゃる」
「うぅ……」
「現在流通している侵蝕緩和剤の精錬に関する特許も、あなたのお祖父様の手によるものだとか」
「み、身に余る光栄なのだわ。ただ、祖父は重い病で……」
「この際、はっきり申し上げましょう」
ダミアンの声が低くなる。
「その家名さえ名簿にあれば、私としては十分なのですよ。あなたもその一族でしょう?」
「でも、私はただの学生で……祖父の代わりになんて……」
「ご存じですよね? 例の侵蝕事故で問題となった侵蝕緩和剤と、あなたのご一族は切っても切り離せない、と」
アリスの顔が青ざめる。
「事実無根なのだわ!だいいちそれは讃頌会が――」
「ハッハッハ。貴族の凋落劇というエンタメを前にして、大衆は気にも留めませんよ」
ダミアンは静かに笑う。
「タイムフィールドの栄誉は、今やあなたにかかっています。お祖父様に代わって、よくよくお考えください」
「お祖父様……私、どうしたら……」
少女の悲痛に満ちたかすれ声は、誰にも届く事はなかった。
□
その頃。
流雅は晩餐会場を離れ、新エリー都へ戻る車の中にいた。
窓の外を流れる夜景は、衛非地区のそれよりも整っている。
けれど、どちらが綺麗かと聞かれれば、すぐには答えられない。
整っているものほど、隠すのが上手い。
今日の晩餐会が、まさにそうだった。
並べられた言葉は綺麗だった。
けれど、その奥にあるものは別だ。
誰が責任を取るのか。
誰が逃げるのか。
誰が利用されるのか。
流雅は座席に背を預け、目を閉じた。
アリスの顔が浮かぶ。
言いかけた言葉。
怯えた耳。
ダミアンに遮られた瞬間の、小さな硬直。
「……あれは、放っておけないな」
呟きは、車内に溶けた。
ただ、今すぐ戻っても意味はない。
特別執行課長が表立って動けば、ダミアンは警戒する。
ポーセルメックスは体裁を整える。
アリスは、余計に身動きが取れなくなる。
だから、流雅は一度引いた。
引くために、戻った。
逃げたわけではない。
たぶん。
そう自分に言い聞かせながら、流雅は端末を取り出した。
返事はすぐに来た。
『遅い。資料は用意してあるわ』
流雅は小さく笑った。
「相変わらず早いなぁ」
□
特別執行課の執務室に戻ると、ツイッギーはまだ残っていた。
机の上には資料が積まれている。
ポーセルメックス。
衛非地区。
調査監督チーム。
物流記録。
輝磁関連製品の搬入履歴。
それから、タイムフィールド家に関する古い資料。
流雅が扉を開けると、ツイッギーは顔を上げずに言った。
「おかえり。腹黒しかいない晩餐会は楽しかった?」
「スープは美味しかったよ」
「そういう話を聞いてるんじゃないわ」
「香りの立て方がすごく上手で」
「だからいらない」
流雅は苦笑して、ツイッギーの向かいに座った。
「ただいまです」
ツイッギーのペンが、少しだけ止まる。
「……そういうのもいらない」
「そっか」
「でも、戻ってきたのは正解ね」
「そう思う?」
「ええ。あの場に長くいればいるほど、あなたは目立つ。特別執行課長。星見家の関係者。雲嶽山とも繋がりがある。ダミアンからすれば、置いておくだけで便利なカードよ」
流雅は少しだけ目を細める。
「やっぱりかぁ……」
「そうでしょ。彼があなたを呼んだ理由は、歓迎じゃない。保険よ」
ツイッギーは資料を一枚差し出した。
「ダミアンは、今のポーセルメックスの中では綱渡りの立場。ルクローとフェロクス、どちらにも完全には属していない。だからこそ、外部の目を置きたがった」
「市政に近い特別執行課を?」
「ええ。何もなければ、外部にも開かれた安全調査だと言える。何かあれば、自分は隠していなかったと言える。あなたが動けば、それを利用できる」
「嫌な話だね」
「あなたが言う?」
ツイッギーが流雅を見る。
「利用されることに慣れた顔をしている人が」
流雅は返事をしなかった。
少しだけの沈黙のあと、ツイッギーはため息をついた。
「そういう顔は嫌いよ」
「うん。知ってる」
「知ってるならやめなさい」
流雅は困ったように笑った。
ツイッギーは、その顔を見て余計に不機嫌そうになった。
「本当に嫌な人」
「久しぶりに聞いた気がする」
「毎日言ってもいいわよ」
「それはちょっと傷つくかも」
「傷つきなさい」
流雅はそれ以上、冗談に逃げなかった。
机の上の資料へ目を落とす。
「アリスさんのことも調べた?」
「当然よ」
ツイッギーは別の資料を流雅へ押し出した。
「タイムフィールド家。侵蝕緩和剤の精錬特許。エーテル工学、化学、力学の名門。今は祖父が病床、父は故人。表に出せる人間がほとんどいないらしいわ」
「だからアリスさんが来た」
「来たというより来させられた、が正しいでしょうね。しかも、調査監督チームとしては若すぎる。あの場に置く意味は、専門性より家名でしょうね」
流雅は資料をめくる。
「ダミアンさんに脅されてる可能性は?」
「高いんじゃない?」
「……やっぱり」
「でも、あなたが今すぐ助けに行くのは駄目」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってるよ。僕が前に出すぎると、アリスさんが自分で立つ機会を奪う。それに、向こうに警戒される」
「分かってるならいいわ」
ツイッギーは義手の指で机を叩いた。
一定のリズムのそれは、考え込んでいる時の癖になっていた。
「それより、気になるのはこっち」
ツイッギーは数枚の資料を並べた。
「衛非地区の物流記録とポーセルメックスが管理する閉鎖済み施設への搬入履歴よ。名目は建築用断熱材、補修部品、清掃用具。でも重量と頻度が合わない」
「偽装搬入?」
「可能性は高いわ。しかも、ルートが妙に迂回してる。正規の工業港経由じゃなくて、古い搬入口や下層方面を使っている形跡がある」
「下層方面」
流雅は資料に視線を落とす。
ツイッギーは短く言った。
「泗瓏囲という場所よ」
その地名に、流雅の指がほんの少しだけ止まった。
ツイッギーはそれを見逃さない。
「……何かあるの?」
「いや」
「嘘ね」
「嘘ってほどじゃないよ」
流雅は少し困ったように笑った。
「昔の知り合いがいるかもってだけ」
「泗瓏囲に?」
「うん。もうずっと前の話だけど」
「名前は?」
「覚えてる。でも、今ここで話すほどのことじゃないかな」
「隠すのね」
「隠すっていうか、まだ関係あるか分からないし。そもそも、ここにいるのかも分からないし」
ツイッギーはじっと流雅を見る。
「あなたがそういう言い方をする時、大体関係あるのよ」
「ひどいなぁ」
「経験則」
流雅は否定しなかった。
資料に書かれた泗瓏囲の文字を、もう一度見る。
赤い髪。
前髪につけたヘアピン。
「もし、その知り合いが関わっていたら?」
ツイッギーが問う。
流雅は少しだけ黙った。
「会って話すよ」
「止めるんじゃなくて?」
「危ないことをしてたら止める」
「ほら」
「でも、まずは話さないとね」
ツイッギーはため息をついた。
「あなたは、子供相手になると面倒ね」
「子供って決まったわけじゃないよ。そこまで年齢は分からないし」
「あなたの中では、まだ子供なんでしょう」
流雅は返事に詰まった。
ツイッギーは淡々と続ける。
「昔の知り合いだったとしても、今は今よ。相手には相手の事情がある。大人ぶって心配して、上から止めようとしたら絶対に揉めるわ」
「……揉めるかな」
「揉めるわね」
「即答だ」
「あなたが相手なら」
流雅は苦笑した。
「気をつける」
「その言葉は信用できないわ」
「じゃあ、努力する」
「もっと信用できない」
「厳しいな~」
ツイッギーは資料を揃えた。
「泗瓏囲周辺の物流ルートと、閉鎖施設の情報だけまとめておくわ。個人のことは勝手にしなさい」
「いいの?」
「あなたが本人から聞くつもりなんでしょう」
「うん」
「なら、そうしなさい」
流雅は少しだけ目元を緩めた。
「ありがとう」
「礼は嫌い」
「助かる」
「それも嫌い」
「じゃあ……お願いしてよかった」
ツイッギーは一瞬だけ黙った。
それから、顔を背ける。
「……最初からそう言いなさい」