雅が本当の兄の様に慕っていた分家の兄が、雅の母親を介錯した話。   作:ザワザワする人

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すれ違いをすり合わせ

数日後。

 

柚葉と真斗が通う学校では、朝からある噂が広まっていた。

 

「今日、すごい人が来るらしいよ」

 

「すごい人?」

 

「特別執行課の課長だって。衛非地区で起きた事件について、学校に挨拶に来るみたい」

 

「課長って、もっと偉そうなおじさんじゃないの?」

 

「知らないよ。先生たちが朝から慌ててるんだから、偉い人なのは間違いないんじゃない?」

 

教室のあちこちで、そんな話が飛び交っている。

 

柚葉は窓際の席で頬杖をつき、興味があるのかないのか分からない顔で聞いていた。

 

「柚葉」

 

隣の席から真斗が呼んだ。

 

「んー?」

 

「お前、また考え込んでんのか」

 

「考えてないよ。柚葉はいつだって明るく元気な優等生だから」

 

「どこがだよ」

 

「ひど~い。か弱い女の子に向かって、そういうこと言う?」

 

「お前がか弱いなら、俺は綿毛だな」

 

「綿毛にしては圧がすごいね」

 

真斗が呆れたように息を吐く。

 

こうして誰かと軽口を交わしている自分を、昔の柚葉は想像できなかった。

 

研究所を抜け出したばかりの頃、柚葉はほとんど笑わなかった。

 

怖いとも、痛いとも、寂しいとも言わなかった。

 

何を聞かれても、必要なことだけ答える。

自分のことを話そうとはしない。

隣に誰かがいても、その人がいなくなるまで黙って待っていた。

 

宝栄に拾われてからも、しばらくは同じだった。

 

自分の部屋を与えられても、ベッドでは眠らなかった。

食事を出されても、誰かに促されるまで手を伸ばさなかった。

 

何かを好きになった後で奪われるより、最初から何も持たない方が楽だった。

 

あの日、自分を助けてくれた大人の男の人は、どうなったのだろう。

 

時々、そんな事を想ったりした。

 

そんな頃に出会った人がいた。

 

彼は、柚葉を無理に笑わせようとはしなかった。

 

ただ隣に座り、雲嶽山で起きたことや、料理の話をした。

 

師匠が苦手な料理を知らずに作ってしまったこと。

弟弟子が食べ物となると歯止めが利かなくなること。

可愛い可愛い姉弟子がいること。

山の中で見つけた、変な形の石のこと。

 

柚葉が黙っていても気にしなかった。

 

返事が一言だけでも、彼は嬉しそうに続きを話した。

 

時には、柚葉がぽつりと口にした言葉を、急かさず最後まで聞いてくれた。

 

話し相手。

 

当時の柚葉にとって、彼はただそれだけの人だった。

 

けれど、何も話さなくても隣にいてくれる人がいると知ったことで、柚葉は少しずつ自分から話すようになった。

 

冗談を覚えた。

誰かをからかうことも覚えた。

声を上げて笑うこともできるようになった。

 

自分を幸運だと言うようになったのも、彼との話がきっかけだった。

 

「生きてここまで来たのなら、それを少しくらい幸運だと思ってもいいんじゃない?」

 

彼はそう言った。

 

最初は借り物だった言葉も、何度も口にするうちに柚葉自身のものになった。

 

「皆さん、静かにしてください」

 

教師の声で、教室のざわめきが収まっていく。

 

「本日は、特別執行課より来賓の方がお越しです」

 

扉が開いた。

 

教師に案内され、黒髪の狐のシリオンが入ってくる。

 

落ち着いた服装と穏やかな表情。

二本の尾は隠されることなく、その後ろで静かに揺れていた。

 

教室のあちこちから、小さな声が上がる。

 

「若くない?」

 

「課長って、もっとおじさんかと思ってた」

 

「尻尾が二本ある……かわいい……」

 

「あの人、もしかして星見家じゃない?」

 

柚葉も何気なく顔を上げた。

 

そして、そのまま動きを止めた。

 

教壇の前に立った男が、柔らかく笑う。

 

「はじめまして。特別執行課の星見流雅です」

 

柚葉にとって、初めて聞く名前だった。

 

星見流雅。

 

けれど、声を知っている。

 

笑う時に少しだけ目を細める癖も、穏やかな目も知っている。

 

忘れるはずがなかった。

何年も会っていない。

 

あの頃より背は高くなり、声も低くなっている。

着ている服も、背負っている立場も違う。

 

それでも、柚葉には一目で分かった。

 

「……流?」

 

あまりに小さな声だったため、隣の真斗にしか聞こえなかった。

 

「知ってんのか?」

 

「……知らない」

 

「今、名前呼んだだろ」

 

「真斗うるさい」

 

柚葉は前を向いたまま答えた。

 

胸の奥が、ひどく騒がしい。

 

流雅は学校を訪れた理由を説明していたが、柚葉の頭には半分も入ってこなかった。

 

「怖いことや不安なことがあった時は、一人で抱え込まないでください。助けを求めることも、逃げることも、決して弱いことじゃないですから」

 

昔と同じだ。

 

何も決めつけず、柚葉が口を開くまで隣で待つ。

 

言いたくなければ、言わなくていい。

けれど話したくなった時は、いつでも聞く。

 

柚葉は無意識に口元を緩めていた。

 

生きていた。

 

あの頃とは違う名前で、違う場所に立っている。

 

それでも、確かに流だった。

 

やがて挨拶が終わり、教室にまばらな拍手が起きた。

 

流雅は教師と共に出ていこうとする。

 

けれど、扉の前で不意に足を止めた。

 

その視線が教室を横切り、窓際の席で止まる。

 

柚葉と目が合った。

 

一瞬。

 

流雅は驚いたように目を見開いた。

 

「……柚葉?」

 

教室が静まり返る。

 

柚葉は、すぐには返事ができなかった。

 

驚きと嬉しさが喉につかえて、いつもの軽口すら出てこない。

 

流雅は教師へ短く断りを入れ、そのまま柚葉の席へ歩いてきた。

 

教室中の視線が二人に集まる。

 

「柚葉、お前……」

 

真斗が小さく呼んだ。

 

柚葉は流雅から目を離さず、ようやく答えた。

 

「……本当に、流なの?」

 

「うん」

 

流雅は柚葉の前で足を止めた。

 

目線を合わせる為に屈む。

 

間近で見る顔は、記憶の中にあるものと変わらない。

 

「久しぶり」

 

「……うん」

 

柚葉の声が、珍しく素直に出た。

 

「久しぶり、流」

 

流雅は安心したように目元を緩めた。

 

それから、昔と同じように柚葉の頭へ手を置く。

 

ゆっくりと、赤い髪を撫でた。

 

「よかった。元気そうで」

 

懐かしい手だった。

 

柚葉が黙って話を聞いていた頃も、流は時々こうして頭を撫でてくれた。

 

子供扱いされているようで、当時は少しだけ不満だった。

 

それなのに今は、その温かさがどうしようもなく嬉しい。

 

柚葉は目を細め、ほんの僅かに流雅の手へ頭を寄せた。

 

しかし、すぐに周囲の視線を思い出す。

 

「……ちょっと待って」

 

柚葉は流雅の手首を掴んだ。

 

「ここ、教室なんだけど」

 

「うん」

 

「同級生も見てる」

 

「そうだね」

 

「そうだね、じゃないよ!柚葉はもう、頭を撫でられて喜ぶような子供じゃないんだけど!」

 

遅れて、教室中から声が上がった。

 

「ええっ、浮波さんの知り合い!?」

 

「課長に頭撫でられてる!」

 

「今ちょっと嬉しそうだったよね?」

 

「昔からの知り合いなの!?」

 

真斗も目を丸くしている。

 

「お前、そんな知り合いいたのかよ」

 

「柚葉だって交友関係くらいあるよ!」

 

「いや、これは普通の交友関係じゃねぇだろ」

 

「普通だよ。昔、ちょっと話してただけ」

 

「ちょっと?」

 

流雅が聞き返す。

 

柚葉はすぐにそちらを向いた。

 

「何?」

 

「結構たくさん話したと思ってたけど」

 

「……覚えてるんだ」

 

「もちろん」

 

あまりにも自然な返事だった。

 

柚葉は一瞬、言葉を失った。

 

ずっと、自分だけが覚えているのかもしれないと思っていた。

 

流にとっては、短い間に出会った子供の一人だったのかもしれない。

 

けれど、違った。

 

流も柚葉との会話を覚えていた。

 

柚葉は緩みそうになる顔を隠すように、わざとらしく髪を整えた。

 

「ま、まあ、柚葉は一度会ったら忘れられないくらい魅力的だからね~」

 

「うん。そうだね」

 

「そこで普通に同意されると困るんだけど」

 

流雅は困ったように笑った。

 

教師が咳払いをする。

 

「流雅さん。その……浮波さんとはお知り合いでしたか?」

 

流雅は姿勢を正した。

 

「失礼しました。彼女とは昔、少し縁がありまして」

 

「流も少しって言った」

 

柚葉がすぐに反応する。

 

「さっき柚葉も言ったよね」

 

「柚葉が言うのはいいの」

 

「難しいなぁ」

 

教師は戸惑いながらも、二人の様子を見て少し笑った。

 

「積もるお話もあるでしょう。放課後でしたら、応接室を使っていただいて構いませんよ」

 

「ありがとうございます」

 

流雅は柚葉を見る。

 

「放課後、少し話せる?」

 

「うん」

 

柚葉は迷わず頷いた。

 

「柚葉も、いっぱい話したいことがあるから」

 

「分かった。待ってる」

 

「約束?」

 

「約束」

 

柚葉は満足そうに笑った。

 

流雅が教室を出る。

 

扉が閉まった瞬間、生徒たちが一斉に柚葉の席へ集まった。

 

「浮波さん、説明して!」

 

「いつ知り合ったの!?」

 

「どういう関係なの!?」

 

「今、頭撫でられて嬉しそうだったよね?」

 

「星見課長のこと、流って呼んでたよね!?」

 

机を囲まれた柚葉は、少しだけ目を瞬かせた。

それから、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「え~、どうしよっかなぁ。すっごく長い話だから、一人百ディニーで聞かせてあげてもいいよ?」

 

「お金取るの!?」

 

「だって、流との思い出は高いからね~」

 

真斗は少し離れた場所で、その様子を見ていた。

 

「……めちゃくちゃ嬉しそうじゃねぇか」

 

「何か言った?」

 

「別に」

 

「真斗も気になる?」

 

「それより、放課後は俺もついてくからな」

 

「来なくていいってば。流は悪い人じゃないよ」

 

「悪いかどうかを確かめに行くんじゃねぇ」

 

「じゃあ何?」

 

真斗は柚葉を見る。

 

「お前が、変な顔してるからだ」

 

「変な顔?」

 

「嬉しそうなのに、今にも泣きそうな顔」

 

柚葉は一瞬だけ黙った。

それから、真斗の額を指で弾く。

 

「見すぎ」

 

「いてぇ!」

 

「放課後は柚葉一人で行くから。これは昔の話だもん」

 

真斗は不満そうだったが、それ以上は言わなかった。

 

柚葉は窓の外を見る。

 

会えた。

 

流は生きていた。

 

柚葉のことを覚えていた。

 

今は、それだけでよかった。

 

どうして流がいなくなったのか。

 

その答えを聞くまでは。

 

 

 

 

 

 

教師から借りた応接室で、柚葉と流雅が向かい合って座っていた。

 

部屋へ入った直後は、柚葉もよく喋った。

 

二本生えた尾を眺め、昔はなかったと何度も確認した。

特別執行課長という役職について、本当に偉くなったのかとからかった。

教室で頭を撫でたせいで、明日から同級生に質問攻めにされると文句も言った。

 

流雅も笑いながら、それに答えた。

 

けれど、やがて会話が途切れた。

 

静かになると、柚葉の胸の奥に押し込められていたものが、少しずつ浮かび上がってくる。

 

「……柚葉?」

 

流雅が心配そうに顔を覗き込む。

 

「どうしたの?」

 

「流」

 

柚葉は俯いたまま、名前を呼んだ。

 

「うん」

 

「その、星見流雅って名前は何?」

 

流雅は少しだけ目を瞬かせた。

 

「今の僕の名前だよ」

 

「柚葉が知ってるのは、流だけなんだけど」

 

「……当時は星見を名乗ってなかったからね」

 

「どうして?」

 

流雅は、すぐには答えなかった。

 

少しだけ考えてから、静かに口を開く。

 

「星見家との関係を、全部断ち切るつもりだったんだ」

 

「全部?」

 

柚葉は眉を寄せた。

 

「家族のことも?」

 

「……うん。当時はね」

 

「でも、戻ったんだ」

 

「戻ったよ」

 

柚葉は流雅の顔を見る。

昔、流は家族のことをほとんど話さなかった。

それでも時々、妹の話だけはした。

 

名前を出さずに。

大切そうに。

けれど、どこか寂しそうに。

何かに向き合う様に。

 

「それで、流じゃなくなった?」

 

「ううん」

 

流雅は首を横に振った。

 

「流も僕だよ」

 

「……じゃあ柚葉は、流って呼ぶ」

 

「うん。それでいいよ」

 

「今さら偉そうに星見流雅です、なんて言われても知らないもん」

 

「手厳しいなぁ」

 

「流が勝手に増やした名前でしょ。柚葉には関係ないよ」

 

「確かにそうかも」

 

流雅は小さく笑った。

柚葉も、その時だけは笑った。

けれど、すぐに表情を落とす。

 

「それじゃあ、流」

 

「うん?」

 

 

 

「どうして、いなくなったの?」

 

 

 

流雅の表情が止まった。

 

柚葉は膝の上で手を握る。

 

「また来るって言ったよね」

 

「……言った」

 

「次は、美味しい料理を持ってくるって。柚葉が話したくなったら、いつでも聞くって」

 

「覚えてるよ」

 

「なら、どうして来なかったの?」

 

柚葉は顔を上げた。

教室で再会した時の、嬉しそうな笑みはもうなかった。

 

「最初は忙しいんだと思ってた。実際、会えるのは日曜日のお昼からってなんとなく決まってたし。でも、次の週も、その次の週も、ずっと待ってたよ」

 

流雅は何も言わなかった。

 

「でも、来なかった」

 

声が震えそうになる。

柚葉は唇を噛み、無理やり押さえ込んだ。

 

「パパに聞いても分からないって言われた。流は遠くへ行ったみたいだって、それしか教えてもらえなかった」

 

「……ごめん」

 

「謝らないで」

 

柚葉は強く言った。

 

「謝られたら、それで終わりみたいになるから」

 

流雅は口を閉じる。

柚葉は椅子から立ち上がった。

 

「柚葉は、流が来るのを楽しみにしてた」

 

「……」

 

「流は、ずっと柚葉の話を聞いてくれた。柚葉が何も言わない日も、どうでもいい話をいっぱいしてくれた」

 

思い出す。

 

失敗した料理の話。

師匠や弟弟子たちの話。

山で見た景色の話。

 

あの頃の柚葉は、ほとんど相槌を打つだけだった。

 

けれど本当は、全部頭に残して聞いていた。

 

次は何を話すのか、楽しみにしていた。

 

「流と話すようになって、柚葉も自分から話していいんだって思った。くだらないことでも、誰かに聞かせていいんだって」

 

流雅の顔が苦しそうに歪む。

 

「なのに、その流が何も言わずにいなくなった」

 

「柚葉」

 

「最初から、誰とも話さなかった方がよかったのかなって思った」

 

「それは違う」

 

流雅の声が強くなった。

 

柚葉は少しだけ目を見開く。

 

流雅はすぐに声を落とした。

 

「柚葉は悪くない。僕が悪かった」

 

「だったら、説明してよ」

「柚葉はもう子供じゃない。分からなくても仕方ないからって、勝手に隠さないで」

 

流雅は少しだけ目を伏せた。

 

「……勝手な話だけど、戻らなくちゃって思った」

 

「それだけ?」

 

「しばらく自由に外へ出られなかった。落ち着いてから衛非地区へ行こうとしたけど、その頃には環境も変わってて……柚葉がどこにいるのか、僕には分からなかった」

 

「探したの?」

 

流雅は答えなかった。

 

その沈黙だけで、柚葉には分かってしまった。

 

「……探さなかった」

 

「……うん」

 

「どうして?」

 

流雅は膝の上で手を握った。

 

「怖かった」

 

柚葉の眉が寄る。

 

「何が?」

 

「柚葉に忘れられていることが。もう会いたくないと思われることが。僕が会いに行ったせいで、嫌なことまで思い出させることが」

 

流雅は苦く笑った。

 

「勝手に考えて、勝手に怖くなった」

 

「……何それ」

 

「うん。勝手だよね」

 

「本当に勝手」

 

「うん」

 

「うんじゃない!」

 

柚葉は机を叩いた。

 

「柚葉がどう思うかを、流が勝手に決めないでよ!」

 

「ごめん」

 

「だから謝らないでって!!」

 

目元が熱い。

 

教室では、会えたことが嬉しかった。

 

頭を撫でられた時は、昔に戻ったようで安心した。

 

だからこそ、今まで押し込めていた怒りまで全部一緒に溢れてくる。

 

「柚葉は、会いたかった」

 

声が掠れた。

 

「流に、ずっと会いたかった」

 

流雅はしばらく動かなかった。

 

それから立ち上がり、柚葉の前まで歩いてくる。

 

けれど、勝手には触れなかった。

 

柚葉の頭へ手を伸ばしかけ、途中で止める。

 

「……撫でてもいい?」

 

柚葉は目元を拭いながら、流雅を睨んだ。

 

「教室では聞かなかったくせに」

 

「反省した」

 

「遅いよ」

 

「うん」

 

「でも」

 

柚葉は少しだけ俯いた。

 

「今度はいなくならないなら、いいよ」

 

流雅の手が、柚葉の頭へ触れる。

 

教室にいた時よりもゆっくりと、確かめるように赤い髪を撫でた。

 

柚葉は目を閉じる。

 

「黙っていなくならないで」

 

「うん」

 

「会えなくなるなら、ちゃんと言って」

 

「分かった」

 

「柚葉が怒っても、逃げないで」

 

「逃げない」

 

「本当に?」

 

「約束する」

 

柚葉は流雅の手へ、ほんの少しだけ頭を寄せた。

 

「前も約束したよ」

 

「今度は守る」

 

すぐには信じられない。

 

それでも今は、その言葉を聞きたかった。

 

「……じゃあ、今日は許さない」

 

「うん」

 

「何年も待たせたんだから、そんな簡単には許さないよ」

 

「分かった」

 

「これからいっぱい、柚葉の話を聞いてもらうから」

 

「うん。いくらでも聞くよ」

 

柚葉は顔を上げた。

 

「本当に?」

 

「昔みたいにね」

 

「昔よりいっぱい話すよ?」

 

「それは楽しみ」

 

柚葉は、ようやく少しだけ笑った。

流雅の手は、まだ頭の上にある。

 

「柚葉、よく喋るようになったでしょ」

 

「うん」

 

「流がずっと話してたから、柚葉も真似したの」

 

「僕の真似?」

 

「そう。黙ってる相手にも勝手に話しかけて、勝手に面白い話をして、勝手にまた来るって言うの」

 

流雅は少し困ったように笑った。

 

「最後は真似しない方がいいかな」

 

「うん。守れない約束はしちゃ駄目」

 

「肝に銘じる」

 

「それと、柚葉がラッキーだって言うようになったのも、流のせいだから」

 

「そうなの?」

 

「生きてここまで来たなら、少しくらい自分を幸運だと思ってもいいって言ったでしょ」

 

流雅は少しだけ目を見開いた。

 

「……覚えてたんだ」

 

「柚葉、記憶力いいもん」

 

「そっか」

 

「だから責任取って」

 

「責任?」

 

「これからも、柚葉の話し相手になって」

 

流雅の表情が柔らかくなる。

 

「喜んで」

 

「また急にいなくなったら?」

 

「その時は、ちゃんと柚葉に話す」

 

「連絡もする?」

 

「する」

 

「柚葉が忙しくても?」

 

「するよ」

 

「しつこいって怒るかも」

 

「それでもする」

 

柚葉は満足そうに笑った。

 

「じゃあ、少しだけ許してあげる」

 

「少しだけ?」

 

「残りはこれからの流次第かな~」

 

「手厳しいなぁ」

 

「流との会話で鍛えられたからね」

 

流雅がもう一度、柚葉の頭を撫でる。

 

今度は柚葉も文句を言わなかった。

 

完全に許したわけではない。

 

寂しかった時間が消えたわけでもない。

 

けれど、言いたかったことは言えた。

 

今度は、黙ったまま待つだけではなかった。

 

「それじゃ、流」

 

「何?」

 

「まずは今日、教室で柚葉の頭を撫でたことについて、どう責任取ってくれる?」

 

「まだその話する?」

 

「当然でしょ。明日から質問攻めなんだから」

 

「僕も学校に来て説明しようか?」

 

「余計に騒ぎになるよ!」

 

応接室の外で、真斗が吹き出す声が聞こえた。

 

柚葉が扉を振り返る。

 

「真斗、聞いてたの!?」

 

「声がでけぇんだよ!」

 

「最低!」

 

「心配して待ってたんだろうが!」

 

柚葉は扉を開け、廊下にいた真斗へ詰め寄る。

 

流雅はその後ろで、困ったように笑っていた。

 

柚葉が振り返る。

 

「何笑ってるの?」

 

「元気だなって思って」

 

「今度それ言ったら怒るよ?」

 

「もう怒ってない?」

 

「もっと怒る!」

 

柚葉の声が、放課後の廊下に響く。

 

昔の彼女なら、決して出せなかったほど大きな声だった。

 

流雅はその姿を見ながら、少しだけ目を細める。

 

ずっと心配していた。

 

無言で隣に座っていた少女が、その後どう生きたのか。

 

けれど、柚葉はもう一人ではなかった。

 

それでも、もう自分は必要ないなどと勝手に決めることだけはしない。

 

「柚葉」

 

流雅が呼ぶ。

 

「何?」

 

「また話そうね」

 

柚葉は一瞬だけ黙った。

 

昔とよく似た言葉。

 

けれど、今度は怖くなかった。

 

「うん」

 

柚葉は笑った。

 

「今度は柚葉が、いっぱい話してあげる」

 

 

 

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