雅が本当の兄の様に慕っていた分家の兄が、雅の母親を介錯した話。 作:ザワザワする人
ホロウから戻った頃には、すっかり日が暮れていた。
オブスキュラの欠片が流れてきた場所を辿り、閉鎖されたはずの材料研究所へ続く手掛かりも見つけた。
けれど、研究所の奥へ進む経路までは確保できなかった。
日没も近い。
装備も足りない。
一行は翌朝に改めて調査することを決め、適当観へ戻った。
「今日はみんな適当観に泊まっていけ!」
潘の一声で、そのまま宿泊の準備が始まった。
人数に対して部屋は少ない。
真斗はアキラたちと同じ部屋を使い、柚葉とアリスはリンの部屋へ布団を運ぶことになった。
家具を端へ寄せ、床に三人分の寝床を並べる。
「なんかアレっぽくていいじゃん。修学旅行!」
柚葉は敷いたばかりの布団へ、勢いよく寝転がった。
「修学旅行……話には聞いたことがあるのだわ」
アリスは少しだけ羨ましそうに呟く。
「行ったことないの?」
リンが尋ねると、アリスは頷いた。
「私の通っている学校は貴族の子供が多いから、団体旅行なんてリスクの塊なのだわ。どこへ行っても見栄の張り合いになるし、警備や宿泊施設にも相応の条件が求められるから……」
「じゃあ今日は、庶民の修学旅行を体験してもらわないとね~」
柚葉が身体を起こす。
「定番といえば、夜更かし、秘密の話、それから怪談!」
「か、怪談は必要なのかしら?」
アリスの耳がぴんと立った。
「もちろん。アリス、すっごくいい反応してくれそうだもん」
「人の反応を娯楽にしないでほしいのだわ!」
「まあまあ。朝までには終わるから」
「朝までやるつもりなの!?」
リンは二人のやり取りに笑いながら、部屋の明かりを少し落とした。
三人で布団へ入る。
話題は学校や家族のことから始まり、今日の調査で見つけたものへ移り、それから次第に脈絡のないものへ変わっていった。
柚葉が奇々解々へ来た変わった客の話をすれば、リンがビデオ屋で起きた珍事件を話す。
アリスも最初こそ少し緊張していたが、しばらくすると家庭教師や家の使用人について話すようになった。
「……そういえば」
会話が一度途切れたところで、リンが柚葉を見る。
「流雅さんには、今日のことを話してなかったんだよね?」
柚葉の表情が、ほんの少しだけ固まった。
「うん。話してないよ」
「やっぱり?」
「だって、話したら止めるじゃん」
柚葉は天井を見上げたまま答える。
つい先ほど、山道で言い争ったばかりだった。
【これは子供がすることじゃない】
流の言葉が、まだ耳の奥に残っている。
「でも、流雅さんも泗瓏囲のことを調べていたのよね?」
アリスが尋ねる。
「うん。ポーセルメックスの物流記録を見てたって」
「それなら、協力できたのではなくて?」
「流が最初から話を聞いてくれたならね」
柚葉は口を尖らせた。
「帰れ、あとは大人に任せろって、そればっかりだったもん」
「流雅さんは、柚葉が心配だったんだと思うよ」
「分かってるよ」
返事は、少しだけ早かった。
リンとアリスが顔を見合わせる。
柚葉は布団を胸元まで引き上げた。
「流が悪気なく言ってたのも分かってる。危ない目に遭ってほしくないって、思ってくれてるのも知ってるよ」
「なら、どうしてあんなに怒ったの?」
リンは責めるのではなく、純粋な疑問として尋ねた。
柚葉はしばらく答えなかった。
薄暗い天井を見つめたまま、言葉を選ぶ。
「昔の柚葉は、ほとんど喋らなかったの」
「柚葉が?」
リンが驚いたように聞き返す。
「似合わないでしょ?」
柚葉は小さく笑った。
「その頃の流は、柚葉が何も言わなくても隣にいたんだ。勝手に座って、勝手に料理や山の話をして、柚葉が何か言ったら最後まで聞いてくれた」
「優しい方だったのね」
「変な人だったよ」
柚葉の口元に、懐かしむような笑みが浮かぶ。
「柚葉が無視して川を眺めてても、横でずっと料理の失敗談を話してた。返事しなくても、次の日曜日にはまた来たし」
「それで柚葉も、少しずつ話すようになったんだね」
「うん」
柚葉は布団の端を指先で摘まむ。
「流は、柚葉が話すまで待ってくれた。勝手に柚葉の気持ちを決めたりしなかった」
その笑みが、少しずつ薄くなる。
「でも今日の流は、何も聞いてくれなかった」
「……」
「柚葉たちがどうして泗瓏囲へ行くのか。誰のために調べたいのか。何を見つけたのか。そういうのを聞く前に、子供だから帰れって」
柚葉は顔を横へ向けた。
「それが、嫌だった」
アリスが少しだけ身体を起こす。
「流雅さんは、昔の柚葉を知っているからこそ、心配しすぎてしまったのかもしれないのだわ」
「それも分かってるよ」
「柚葉は、流雅さんのことをよく分かっているのね」
「……長い間、話し相手だったからね」
柚葉は少しだけ顔を背けた。
「って言っても、柚葉はほとんど聞いてただけだけど」
リンも身体を横向きにし、柚葉を見る。
「じゃあ今度は、流雅さんに今の柚葉をいっぱい話せばいいんじゃない?」
「話そうとしたよ」
「今日の流雅さんは聞けなかった。でも、これからもずっと聞いてくれないとは限らないよ」
「リンちゃんは流の味方?」
「柚葉の味方だよ」
「むぅ………」
「アリスも柚葉の味方だよね?」
急に話を振られ、アリスは目を瞬かせた。
「え、ええ。もちろん、そのつもりなのだわ」
「ほら、二対一」
「流はここにいないんだから、関係ないでしょ」
柚葉は呆れたように息を吐く。
それから、小さく身体を丸めた。
「柚葉、流に会えて嬉しかったんだよ」
「うん」
「ずっと会いたかった。次の日曜日も会う約束をして、今度は柚葉が料理を作るって決めた」
「何を作るの?」
「まだ秘密」
「私たちにも?」
「流より先に教えたら、特別感がなくなるじゃん」
「やっぱり、すごく楽しみにしてるんだね」
「……まあね」
柚葉は枕へ顔を埋める。
「………あんなこと言うつもりじゃなかった」
「会わない方がよかった、って?」
柚葉は答えなかった。
布団の中で、僅かに頷く。
「あれは嘘だよ」
枕へ顔を押しつけたまま、くぐもった声で続ける。
「会わない方がよかったなんて思ってない。むしろ、会えてよかった。流が柚葉を忘れてなくて、本当に嬉しかった」
「それなら、次に会った時に伝えないとね」
「嫌」
「どうして?」
「悪いのは流だもん」
柚葉は顔を上げた。
「まず流が謝るべきでしょ。柚葉は、その後に仕方なく本当のことを話してあげるの」
「頑固なのだわ」
「アリスに言われたくないな~」
「わ、私は頑固ではなくて、信念を貫いているだけなのだわ!」
「同じ意味じゃない?」
「違うのだわ!」
アリスの声が少し大きくなる。
直後、壁の向こうから潘の声が飛んできた。
「おーい!まだ起きてるのか!明日は早いんだぞ!」
三人は顔を見合わせる。
「はーい!」
リンが答え、慌てて声を落とした。
柚葉は布団の中へ潜り込む。
「明日の調査が終わったら、流に自慢してやるんだから」
「自慢?」
「流がいなくても、ちゃんと調べられたって」
「また喧嘩にならないといいけど……」
「ならないよ。流が素直に褒めれば」
「それは怪しいのだわ」
「アリスまでひどくない?」
三人の小さな笑い声が、静まりつつある適当観に溶けていった。
やがて会話は少しずつ途切れ、眠りが部屋を包んでいく。
柚葉は目を閉じる前に、枕元の端末を見た。
流からの新しい連絡はない。
自分から何か送ろうかとも思った。
けれど、結局端末を伏せる。
先に謝るのは流だ。
そう決めて目を閉じた。
□
翌朝。
一行は再びホロウへ入り、前日に見つけた研究施設へ向かった。
認証カードと暗証番号を使い、停止していたエレベーターを動かす。
下層へ進むほど、周囲のエーテル濃度は上昇していった。
「なんか、昨日より静かじゃない?」
柚葉が周囲を見回す。
「静かな方がいいんじゃねぇのか?」
真斗は前方を警戒したまま答える。
「ホロウが静かな時って、大体何かいる時でしょ」
「嫌なこと言うなよ」
「でも、確かに妙だね」
リンも足元へ視線を落とす。
通路の脇に、瀕死のエーテリアスが倒れている。
傷口は滑らかで、一撃で急所を断たれていた。
「私たちより先に、誰かが通ったみたい」
アリスが屈み込み、結晶の状態を確認する。
「倒されてから、それほど時間は経っていないのだわ」
真斗が武器へ手をかけた。
「ポーセルメックスの連中か?」
「それなら、もう少し大人数の痕跡が残ると思う」
リンは周囲へ視線を巡らせる。
複数人で戦った形跡はない。
一人で素早く片づけたように見える。
柚葉は、倒れたエーテリアスの傷を見つめた。
細い切創。
踏み込みの跡。
必要以上に傷つけず、次の敵へ移るために最小限へ抑えられた動き。
柚葉は、流が本格的に戦う姿をほとんど見たことがない。
それでも、流の癖は覚えている。
料理をする時も、道具を置く角度はいつも同じだった。
何かを切る時は、一度決めた線を途中で変えない。
目の前の傷跡は、それによく似ていた。
「……流」
柚葉が小さく呟く。
「え?」
リンが振り返る。
柚葉はすぐに首を横へ振った。
「何でもない」
真斗には聞こえていたらしく、傷跡を見ながら眉をひそめる。
「流さんが先に来てるってのか?」
「分かんないよ」
「顔に書いてあるぞ」
「真斗まで、そういうこと言うようになったの?」
柚葉は歩き出す。
けれど、胸の奥は落ち着かなかった。
流が来ている。
断言できる証拠はない。
それでも、そんな気がした。
□
研究所の奥には、さらに多くの痕跡が残されていた。
強引にこじ開けられた扉。
切断された警備装置。
通路を塞いでいたエーテリアスの残骸。
ただし、施設そのものを不必要に破壊した形跡はない。
誰かが内部を調べながら、慎重に進んでいる。
柚葉は確信を深めていた。
「これも流だね」
「どうして分かるの?」
アリスが尋ねる。
柚葉は、僅かに開いた扉を指した。
「流は、開けた扉を最後まで閉めないから」
「開けたままではなくて?」
「完全に閉めたら、後から来た人が困る。でも、開けっぱなしだと向こう側にいる何かが出てくるかもしれない。だから少しだけ開けておくの」
「昔からそうだったの?」
「うん。流は、料理の棚も同じようにしてた」
「研究所に残された痕跡を料理棚の癖で判断できるのは、柚葉くらいなのだわ……」
「でも、合ってると思うよ」
柚葉は扉を押し開く。
その先には、広い礼拝所があった。
壁には讃頌会の印。
床には、処分されるはずだった資料が散乱している。
一行は手分けし、その内容を確認し始めた。
ポーセルメックスと讃頌会の繋がり。
秘密裏に行われていた人体実験。
子供を被験体とした、プロジェクト・ニューリーフ。
資料を読み進めるほど、空気が重くなっていく。
リンとアリスは、実験内容の異常さに顔を青ざめさせていた。
真斗は怒りを押し殺すように拳を握っている。
柚葉だけが、妙に静かだった。
流雅の姿は見えない。
しかし、途中まで日付順に並べられた資料や、危険な薬品のみ別の場所へ移されている様子を見る限り、既にこの部屋も調べたのだろう。
「流も、これを見たのかな」
柚葉は資料の一枚へ視線を落とす。
被験体番号。
侵蝕抗体。
高性能な清浄設備。
定期的な侵蝕緩和剤の投与。
生存数の減少。
何度も目を逸らしたくなった。
けれど、柚葉は無理に笑った。
「………酷いことする人がいたんだね」
誰も、その声に気づかなかった。
柚葉が内容へ驚いていないことにも。
紙を支える指先が、僅かに震えていることにも。
この時点で、リンたちはまだ知らない。
「柚葉、大丈夫?」
リンの声に、柚葉はいつもの笑みを作る。
「もちろん。柚葉はラッキーだから」
昔、流から教わった言葉。
今は、その言葉が少しだけ重く感じた。
その時。
研究所の奥から、何かが崩れるような轟音が響いた。
床が大きく揺れる。
「何だ!?」
真斗が武器を構える。
施設の奥から、濃いミアズマが押し寄せてきた。
その中心に、人の形をした異様な怪物が姿を現す。
白い髪。
金色の翼。
女性を思わせる輪郭。
けれど、それは既に人間ではない。
「何あれ……!」
リンの端末が警告音を鳴らす。
怪物が一気に距離を詰めてきた。
真斗と柚葉が前へ出る。
アリスも剣を抜き、リンを守る位置へ移動した。
攻撃は当たる。
だが、傷つけた箇所へ周囲のミアズマが集まり、瞬く間に修復されていく。
「こいつ、回復してやがる!」
「ミアズマを吸収してる!」
リンが浄化を試みる。
しかし、周囲の濃度が高すぎる。
一度削っても、すぐに別の場所から補われてしまう。
「このままじゃ、こっちが先に持たない!」
柚葉は呼吸を整えながら周囲を見た。
通路の向こう。
一方通行の裂け目。
その近くには、ポーセルメックスが設置した爆薬が残されている。
リンも同じものに気づいた。
「みんな聞いて!あの裂け目を使って逃げよう!私たちが通った後に爆薬を起動すれば、あいつを止められるかもしれない!」
「それしかねぇな!」
真斗がフィーンドを押し返す。
一行は少しずつ、裂け目の方へ下がっていく。
しかし、怪物の速度は予想より速かった。
柚葉の背後へ回り込み、鋭い翼を振り下ろす。
「柚葉!」
真斗の声が響いた。
避けきれない。
そう思った瞬間。
硬質な音と共に、刃が翼を受け止めた。
柚葉の目の前を、二本の黒い尾が横切る。
「……流」
流雅は柚葉へ背を向けたまま、フィーンドの攻撃を押し返した。
服の一部は裂け、頬には浅い傷がある。
既にどこかで、この怪物と交戦していたのだろう。
「リンさん!」
流雅は怪物から目を離さずに叫ぶ。
「今のうちに!」
リンは一瞬だけ迷った。
けれど、すぐに頷く。
「みんな、裂け目へ!」
アリスが先に駆ける。
続いてリン。
真斗は柚葉の腕を掴んだ。
「行くぞ!」
「でも、流が――」
「今は信じろ!」
柚葉は、その場を離れようとしなかった。
流雅が怪物の攻撃を受け流す。
一撃ごとに、足元の床が砕けていく。
それでも彼は退かない。
柚葉たちが裂け目へ辿り着くための道を、たった一人で守っている。
「流!」
柚葉が呼ぶ。
流雅が、ほんの一瞬だけ振り返った。
目が合う。
山道で別れて以来。
流雅の目には心配も、後悔もあった。
何かを伝えようとしているようにも見えた。
けれど、彼は何も言わなかった。
帰れとも。
後は任せろとも。
謝るとも。
ただ、柚葉たちが進むことを止めなかった。
フィーンドが再び襲いかかる。
流雅は振り返り、真正面から攻撃を受け止めた。
「柚葉、行くぞ!」
真斗に強く腕を引かれる。
柚葉は最後まで流雅を見ていた。
けれど、流雅はもうこちらを見なかった。
「……絶対、後で話すから」
届いたかは分からない。
柚葉は真斗と共に裂け目へ飛び込んだ。
直後。
背後で爆発音が響く。
空間が激しく揺らぎ、裂け目が閉じていった。
最後に見えたのは、爆炎の中でフィーンドを押し留める、流雅の背中だった。
□
裂け目を抜けた先で、柚葉たちは地面へ投げ出された。
「みんな、大丈夫!?」
リンが身体を起こす。
アリスも真斗も、軽い傷はあるが動ける。
しかし、柚葉は閉じた裂け目を見つめたまま動かなかった。
「流……」
戻る道はない。
通信も繋がらない。
流雅がどうなったのか、確かめる方法もなかった。
「流さんなら大丈夫だ」
真斗が言う。
「訓練を受けてて、何か起きても自分で対処できるんだろ」
柚葉は唇を噛んだ。
次に会ったら、ちゃんと話す。
山道で言ったことも。
会わなければよかったという言葉が嘘だったことも。
自分たちの選択を止めず、進む道を守ってくれたことへの礼も。
全部、話したい。
そう思った時だった。
複数の足音が聞こえた。
前方から、こちらへ近づいてくる。
「待ち伏せか……!」
真斗が武器を構える。
霧の向こうから現れたのは、ポーセルメックスの武装した人間たちだった。
その奥に、フェロクスが立っている。
「随分と手間をかけさせてくれたな」
フェロクスは冷たい目で一行を見渡した。
「まさか、あの怪物から逃げ延びるとは。だが、ここまでだ」
「みんな、下がって!」
アリスが剣を抜く。
柚葉と真斗も構えた。
しかし、フィーンドとの戦闘で消耗しすぎている。
逃げ道もない。
背後にあった裂け目は、既に完全に閉じていた。
武装した者たちが、左右から一斉に距離を詰めてくる。
「抵抗するな」
フェロクスが告げた。
「これ以上、余計な犠牲を出したくなければな」
柚葉は悔しさに奥歯を噛んだ。
流雅が守ってくれた道の先で。
彼へ何も伝えられないまま。