雅が本当の兄の様に慕っていた分家の兄が、雅の母親を介錯した話。   作:ザワザワする人

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二人で生きて、迎えに行く

激しい水流が柚葉の乗った浮き板を押し流していく。

 

暗い地下水路に、冷たい水音が反響していた。

 

柚葉は上着へ突き刺さった二振りの刀を握り締める。

 

無理に引き抜こうとしても、互いを引き寄せ合う刀はびくともしない。下手に動かせば、今度は刃が身体へ触れてしまう。

 

そこまで計算していたのだろう。

 

最後まで、余計なところだけ冷静だった。

 

「……バカ」

 

流雅の姿は、もう見えない。

 

丸腰のまま警護たちへ向き直った背中だけが、目に焼きついている。

 

「流のバカ……!」

 

怒鳴った声は、激しい水音に呑み込まれた。

やがて周囲のエーテル濃度が下がり、暗かった水路の先に薄い光が見え始める。

浮き板は勢いを落とさないまま管を抜け、そのまま霧に覆われた海へ放り出された。

 

「きゃっ――!」

 

身体へ冷たい海水が降りかかる。

柚葉は浮き板の端へしがみつきながら、必死に顔を上げた。

 

「柚葉!?」

 

少し離れた場所から、聞き覚えのある声がする。

 

振り向くと、アリスが別の浮き板につかまりながら、こちらへ手を伸ばしていた。

 

その向こうにはリンと真斗もいる。

 

「いた!柚葉だよ!」

 

「こっちだ、柚葉!」

 

柚葉は片腕で水を掻き、三人の方へ近づいた。

 

リンとアリスに浮き板を支えてもらい、ようやく不安定な身体を起こす。

 

「柚葉、無事だったのだわ……!」

 

アリスは安堵したように息を吐いた。

 

けれど、すぐに柚葉の上着へ突き刺さった二振りの刀に気づく。

 

「その刀は……?」

 

柚葉は答えなかった。

 

閉じた水路の出口を振り返る。

 

待っていれば、流雅も流されてくるのではないか。

 

そんな期待を捨てきれなかった。

 

けれど、水路から流れてくるのは濁った水と細かな瓦礫だけだった。

流雅の姿はない。

 

「流さんはどうした?」

 

真斗の問いに、柚葉は刀の柄を強く握った。

 

「……残った」

 

「何だと?」

 

「フェロクスを人質にして、柚葉を逃がしたの。柚葉の服に刀を刺して、二本を引き寄せて……無理やり」

 

真斗の表情が険しくなる。

 

「自分の武器を、両方とも手放したってことか?」

 

「うん」

 

その事実を声にした途端、感情が追いついてきた。

 

流雅は丸腰だ。

 

フェロクスを人質にしていた間は、警護も手を出せない。

けれど、柚葉を逃がすために二刀を手放した時点で、その優位は失われた。

どれほど強くても、武装した警護に囲まれて無事でいられる保証などない。

 

「迎えに行かなきゃ」

 

柚葉は刀へ手をかけた。

 

「今すぐ戻らないと。流が」

 

「柚葉、待って!」

 

リンが柚葉の腕を掴む。

 

「今戻るのは無理だよ!入口の場所も分からないし、みんなもう限界なの!」

 

「でも!」

 

「戻っても、流雅さんが柚葉を逃がした意味を無駄にするだけなのだわ!」

 

アリスの声が響いた。

 

柚葉が振り向く。

 

アリスも苦しそうな顔をしていた。

 

それでも、柚葉の腕を掴む手には力が込められている。

 

「流雅さんは、柚葉を生かすために残ったのでしょう?なら、今の私たちは生きてホロウを離れて、助けを呼ばなければならないのだわ!」

 

「アリスだって……」

 

柚葉はアリスを見る。

 

「さっき柚葉が押した時、怒ってたじゃん」

 

「今も怒っているわ!」

 

アリスの耳が強く立つ。

 

「勝手に私を突き飛ばして、父への償いだなんて言って……柚葉は、自分が残れば全て解決すると思っていたのでしょう!?」

 

柚葉は言葉を失った。

 

アリスの目から、涙が零れる。

 

「父が貴方を助けたのは、いつか命を返してもらうためではないのだわ」

 

「……」

 

「父は、柚葉に生きてほしかったから助けた。それなのに貴方が自分を犠牲にしたら、父が柚葉を助けたことまで間違いだったことになってしまうでしょう!」

 

「でも、柚葉のせいでアリスのパパは……」

 

「柚葉のせいじゃない!」

 

アリスは強い声で否定した。

 

「悪いのは人間を実験体にしたポーセルメックスよ。秘密を守るために父を殺して、その死を事故として隠した人たちなのだわ!」

 

「だけど、柚葉がいなかったら」

 

「柚葉がいなかったら、父は目の前で苦しんでいる子供を救えなかった」

 

アリスは僅かに震えながらも、柚葉から目を逸らさなかった。

 

「きっと父は、柚葉を見捨てて帰る方が、ずっと耐えられなかったはずなのだわ」

 

柚葉は俯いた。

 

流雅にも同じことをされた。

 

自分を逃がすために、置き去りになることを選ばれた。

 

あれほど腹が立った。

 

何でも勝手に決めるなと叫んだ。

 

それなのに自分も、アリスに同じことをしていた。

 

彼女の気持ちを聞かず、父親への償いという理由だけで、自分が残ることを決めた。

 

「……ごめん」

 

柚葉の声が小さくなる。

 

「アリスの気持ちも聞かないで、勝手に償わなきゃって決めた」

 

「ええ。本当に勝手なのだわ」

 

「そこは否定してくれないんだ」

 

「できるわけがないでしょう」

 

アリスは涙を拭った。

 

「でも、きちんと謝ってくれたなら……今回は許すのだわ」

 

「今回は?」

 

「次に同じことをしたら、絶対に許さないという意味よ」

 

「そっか」

 

柚葉は僅かに笑った。

 

「じゃあ、もうしない」

 

「約束できる?」

 

「うん。約束する」

 

アリスは柚葉の手を取った。

 

「私たちは、二人で生きていくのだわ」

 

「二人で?」

 

「父が助けた柚葉と、父が残してくれた私で。これからも一緒に生きて、フェロクスたちにきちんと償わせるの」

 

アリスの言葉で、柚葉の目からとうとう涙が落ちた。

 

「……うん」

 

その手を、強く握り返す。

 

「二人で生きてこ」

 

アリスも泣きながら頷いた。

 

柚葉は自分の涙を拭い、無理に明るい笑みを浮かべる。

 

「も~お。泣かないの~」

 

「柚葉も泣いているのだわ」

 

「柚葉のは海水だよ」

 

「そんなわけないでしょう!」

 

二人のやり取りを見て、リンは安心したように息を吐いた。

 

その横で、真斗は水路の出口を見つめたまま、拳を握っていた。

 

「……流さんも、絶対に助けるぞ」

 

柚葉は上着に残された二刀を見る。

 

「うん」

 

流雅は、次の日曜日に会うと言った。

 

また守れない約束をしたのか。

 

今度こそ、本当に守るつもりなのか。

 

その答えを確かめるためにも、必ず連れ戻さなければならない。

 

「流には、言いたいことが山ほどあるからね」

 

怒っている。

 

心配している。

 

それでも。

 

もう、会わなければよかったとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 

しばらくして。

 

地下河川から海へ流された一行は、捜索に来たイゾルデたちによって救助された。

 

泗瓏囲へ戻ると、アキラと潘はすぐに事情を聞き、救出計画を立て始める。

 

救出する相手は、柚葉ではない。

 

今度は、研究所へ残った流雅だった。

 

「フェロクスを人質に取り、柚葉を逃がした……か」

 

アキラは険しい表情で呟いた。

 

「流雅さんのことだから、何か考えてはいると思う。でも、武器を二本とも手放したなら猶予はない」

 

柚葉の上着から抜かれた二刀は、壁際へ丁寧に立てかけられている。

 

「今すぐ行こうよ」

 

柚葉が立ち上がる。

 

「流が何を考えて残ったのか知らないけど、フェロクス相手に長く保つわけない」

 

「落ち着け嬢さん」

 

潘が柚葉を制した。

 

「ホロウの構造が変わってる。前と同じ経路じゃ、研究所へ辿り着くまでに時間がかかりすぎるんだ」

 

「じゃあ、別の入口を探せばいいでしょ!」

 

「その入口が、ポーセルメックスの管理下にある」

 

アキラが地図を示す。

 

「衛非ロープウェイを使えば、研究所の近くまで行ける。でも、安全調査の影響で運行は厳しく制限されている。動かすには、ポーセルメックス幹部の承認が必要だ」

 

「ポーセルメックス幹部……」

 

リンが呟く。

 

その場にいた全員が、同じ人物を思い浮かべた。

 

「ダミアンさんだね」

 

「協力してくれるかしら?」

 

アリスの問いに、リンは少し考える。

 

「簡単じゃないと思う。でも、フェロクスを倒せるって分かれば、話には乗ってくれるかも」

 

「流も、ダミアンさんのことを警戒してた」

 

柚葉は壁際の二刀へ目を向けた。

 

「でも、話が通じない人だとは言ってなかった」

 

アキラが頷く。

 

「ダミアンさんへ接触しよう。フェロクスを救うためではなく、失脚させるための協力だと伝えるんだ」

 

「なら、私も行くのだわ」

 

アリスが立ち上がった。

 

「アリス?」

 

「フェロクスを止めて、流雅さんを助ける。そのために使えるものが、私にもある」

 

アリスの目には、もう迷いがなかった。

 

 

 

 

 

 

約束の場所は、澄輝坪上層のロープウェイ駅付近だった。

 

夜風が吹き抜ける展望台。

 

眼下には衛非地区の明かりが広がり、その向こうには暗いホロウが沈んでいる。

 

ダミアンは一人で手摺のそばに立っていた。

 

「時間どおりですね。大変結構です」

 

リンたちが近づくと、ダミアンはゆっくり振り返る。

 

「私がお待ちする価値のあるお話だと、期待しておりますよ」

 

その視線が、一行を順番に確かめていく。

 

リン。

アキラ。

アリス。

柚葉。

そして、イゾルデ。

 

「これは驚きました。雲嶽山の方々のみならず、タイムフィールド様にイゾルデ女史。それから、泗瓏囲の少女まで」

 

ダミアンの視線が柚葉へ止まる。

 

「確か、流雅特別執行課長と面識がおありでしたね」

 

「流のこと、覚えてるの?」

 

「ええ。晩餐会では、随分と丁寧なご忠告をいただきましたから」

 

ダミアンは薄く笑う。

 

「もっとも、流雅課長は最初から私を警戒していらしたようですが」

 

「今、流がフェロクスに捕まってる」

 

柚葉は、前置きもなく告げた。

ダミアンの笑みが、僅かに薄くなる。

 

「……詳しくお聞かせ願えますか?」

 

これまでに判明したことを、リンたちは簡潔に説明した。

 

フェロクスと讃頌会の繋がり。

 

秘密裏に運用されていた研究所。

子供を被験体にした人体実験。

研究所へ運び込まれた、大量のエーテル爆薬。

そして、流雅がフェロクスを人質に取り、柚葉を地下水路へ逃がしたこと。

 

話を聞き終えるまで、ダミアンは口を挟まなかった。

 

「なるほど」

 

やがて静かに口を開く。

 

「つまり、弊社の共同CEOたるフェロクス氏は、長年にわたって讃頌会と繋がり、ホロウ内の施設で非合法な研究を行っていた」

 

「うん」

 

リンが頷く。

 

「今は研究所を爆破して、証拠を全部消そうとしてる」

 

「そのうえ、流雅特別執行課長を拘束している可能性もある、と」

 

柚葉は流雅の二刀を強く抱え直した。

 

「流が今どうなってるかは分からない。でも、武器は二本とも柚葉を逃がすために手放した。急がないと、本当に危ない」

 

「事情は理解いたしました」

 

「だったら、ロープウェイを動かして」

 

柚葉はダミアンを真っ直ぐに見る。

 

「研究所の近くまで行けるんでしょ?」

 

「可能ではあります」

 

「じゃあ――」

 

「ですが、それと私が協力することは別問題です」

 

ダミアンの声は穏やかだった。

 

「衛非ロープウェイを無断で動かし、皆様をホロウへ送り込む。これは私にとって、極めて大きな危険を伴う行為です」

 

「あなたにも得はあるはずだ」

 

イゾルデが口を開いた。

 

「フェロクスが失脚すれば、ポーセルメックス内部の勢力図は変わる。少なくとも、君にとって不利益ばかりではないだろう」

 

「ええ。否定はいたしません」

 

ダミアンは微笑む。

 

「フェロクス氏がいなくなれば、私は今よりものびのびと仕事ができるでしょう」

 

「なら、協力して」

 

リンが言う。

しかし、ダミアンは小さく首を横へ振った。

 

「メリットばかりを並べ、リスクに触れないというのは、いささか不誠実なのではありませんか?」

 

ダミアンは一同を見回す。

 

「仮に作戦が失敗すれば、どうなります?」

 

誰もすぐには答えなかった。

 

「フェロクス氏が研究所と証拠を全て処分した場合、皆様の勇気ある告発は、根拠のない名誉毀損へと成り下がる」

 

風に煽られ、ダミアンの外套が揺れる。

 

「そして私は、曖昧な情報に踊らされ、自社の共同CEOを陥れようとした裏切り者です。フェロクス氏はもちろん、ルクロー氏も、そのような愚か者を庇ってはくださらないでしょう」

 

「私たちが、必ず証拠を持ち帰る」

 

アリスが告げる。

 

「勇敢なお言葉です」

 

ダミアンは、アリスへ笑みを向けた。

 

「ですが、勇気だけで会社と自分の将来を賭けるわけにはまいりません」

 

「人が捕まってるんだよ」

 

柚葉が低い声で言った。

 

「もちろん、承知しています」

 

「本当に?」

 

「どういう意味でしょう?」

 

柚葉は一歩前へ出た。

 

「流を晩餐会に呼んだのは、ダミアンさんなんでしょ」

 

ダミアンの目が、僅かに細くなる。

 

「ええ。招待状をお送りしたのは私です」

 

「どうして?」

 

「衛非地区の安全調査へ、特別執行課………つまるところ市政側からも関心を寄せていただければと思いまして」

 

「嘘でしょ」

 

柚葉は即座に切り捨てた。

周囲の空気が張り詰める。

それでも柚葉は止まらない。

 

「流を利用したかったんでしょ?」

 

「柚葉」

 

アキラが静かに名前を呼ぶ。

柚葉は一度だけアキラを見る。

けれど、そのままダミアンへ向き直った。

 

「流は特別執行課の課長で、星見家の人間で、雲嶽山とも繋がりがある。そんな流を晩餐会へ呼んでおけば、何か起きた時に言えるもんね」

 

腕に力が入る。

 

抱えた二刀の鞘が、僅かに鳴った。

 

「自分は外部の人間にもちゃんと見せていた。何も隠していなかった。流が何か見つけたなら、それは自分の責任じゃないって」

 

ダミアンは否定しなかった。

 

「それに、流が動けば、そのまま問題を調べさせられる。ダミアンさんは、安全な場所から結果を利用できる」

 

「……なかなか鋭い見方ですね」

 

「褒めてないよ」

 

柚葉の声には、怒りが滲んでいた。

 

「流を利用するために呼んだくせに、その流が危なくなったら、今度は自分が損するから助けないの?」

 

ダミアンの笑みが消える。

 

「自分が必要な時だけ流を盤面へ置いて、いらなくなったら見捨てるんだ」

 

「言葉を選びなさい、小娘」

 

「嫌」

 

柚葉は一歩も引かなかった。

 

「流は、自分が利用されようとしてることに気づいてた。それでも晩餐会へ行った。アリスのことを気にして、ポーセルメックスの記録まで調べた」

 

アリスが柚葉の横顔を見る。

 

「流は、ダミアンさんのために動いたんじゃない。でも、そのおかげでフェロクスの不正が分かったんでしょ?」

 

「流雅課長が研究所へ向かったことと、私に直接の関係はありません」

 

「関係ないって言えば、関係なくなるんだ」

 

「少女の言い方は厳しいが、筋は通っていると思うぞ」

 

イゾルデが静かに告げた。

ダミアンが彼女を見る。

 

「貴方まで私を責めるおつもりですか?」

 

「責めてはいない。ただ、君が流雅君を招いたことで、今の状況が生まれたのは事実だ」

 

イゾルデは淡々と続ける。

 

「君は彼を、外部の目として利用した。そして彼は、君の期待どおり不自然なものへ気づいた」

 

「……」

 

「ならば、彼が見つけたものを、君自身の手で表へ出すべきではないか?」

 

「ずいぶんと道徳的なお話ですね」

 

「道徳ではない。利害の話だ」

 

その後を、アキラが引き取る。

 

「流雅さんが研究所で命を落とせば、特別執行課は必ず捜査に入る。星見家も、雲嶽山も動くだろう」

 

ダミアンの目が、僅かに動く。

 

「そうなれば、あなたが晩餐会へ流雅さんを招待していた事実も調べられる」

 

「私に責任を押しつけるおつもりで?」

 

「違うよ」

 

アキラは穏やかに首を横へ振った。

 

「でも、あなたが何も知らなかったという説明は、かなり苦しくなる」

 

「……」

 

「逆に今、あなたが自分の権限で救出と証拠保全に協力すれば、意味は大きく変わる」

 

アキラは衛非地区の方角へ目を向けた。

 

「外部機関の調査を妨害せず、自社の不正を知った時点で迅速に対処した責任者。そういう立場になれる」

 

「つまり、流雅課長を救うこと自体が、私の保険になると?」

 

「そういうこと」

 

リンが頷く。

 

「流雅さんを利用するつもりだったなら、最後までちゃんと利用すればいいよ」

 

柚葉は不満そうに眉を寄せた。

けれど、反論はしなかった。

今は、言葉の綺麗さへこだわっている場合ではない。

 

「流雅さんが生きて戻れば、フェロクスの不正を見た外部の証人になる。特別執行課長として、あなたが捜査へ協力したことも証言できるよ」

 

「なるほど」

 

ダミアンは顎へ手を添えた。

 

「流雅特別執行課長が生還すれば、私がフェロクス氏と結託していなかったことを示す、極めて有力な証人となる……」

 

「だから、私たちを行かせて」

 

柚葉が言う。

 

「これは流のためだけじゃない。ダミアンさん自身のためでもある」

 

ダミアンは、柚葉をじっと見つめた。

 

「貴方は先ほど、私が星見課長を利用したと責めたばかりでは?」

 

「責めてるよ」

 

「ならば、私の利益を理由に説得するというのは矛盾していませんか?」

 

「別に」

 

柚葉は冷たく答える。

 

「流を利用しようとしたことは、今でもムカついてる。でも、ダミアンさんが自分の利益のためにしか動けないなら、それで流を助けられる方がいい」

 

ダミアンは一瞬、目を見開いた。

 

柚葉は二刀を強く抱き締める。

 

「柚葉は、ダミアンさんに良い人になってほしいわけじゃない。今すぐロープウェイを動かしてほしいだけ」

 

「……ハハ」

 

ダミアンの口から、乾いた笑いが漏れた。

 

「流雅課長も、随分と厄介な方と親しくなったものですね」

 

「あなたに言われたくないと思うよ」

 

「違いありません」

 

だが、ダミアンの表情から迷いは消えなかった。

 

流雅の生還には価値がある。

自分の潔白を示す証人としても使える。

それでもなお、作戦が失敗した時に背負う危険には届かない。

 

「確かに、流雅課長の生還は、私にとっても大きな意味を持つでしょう」

 

ダミアンは静かに告げる。

 

「ですが、それは作戦が成功した場合のお話です」

 

「まだ足りないの?」

 

「ええ」

 

ダミアンは隠すことなく頷く。

 

「流雅課長を救出し、なおかつ研究所から決定的な証拠を持ち帰る。そこまで成功して初めて、私は潔白な協力者になれる」

 

「私たちならできる」

 

「根拠は?」

 

「やるから」

 

「あまりにも感情的ですね」

 

「だったら――」

 

柚葉が声を上げかける。

 

その腕へ、アリスがそっと触れた。

 

「柚葉。ここからは、私に任せて」

 

「アリス?」

 

アリスは一歩前へ出た。

その顔には、晩餐会で見せた怯えはなかった。

 

「ダミアンさん」

 

「はい。タイムフィールド様」

 

「貴方は、失敗した場合の損失を恐れている」

 

「当然でしょう」

 

「なら、その損失を補って余りあるものを、私が差し出すのだわ」

 

ダミアンの目が細くなる。

 

「タイムフィールド家が、侵蝕緩和剤の精錬に関する特許を保有していることはご存じでしょう?」

 

「もちろんですとも」

 

「作戦に協力してくださるのなら、その特許をポーセルメックスへ無償で譲渡すると約束するのだわ」

 

その場の空気が止まった。

 

「アリス!?」

 

リンが驚いて声を上げる。

柚葉も目を見開いた。

 

「待って。それ、本当に渡しちゃっていいものなの?」

 

「簡単に決めたわけではないのだわ」

 

アリスは柚葉を見る。

 

「父が守った柚葉の命も、柚葉を守るために研究所へ残った流雅さんの命も、誰にも踏みにじらせたくはない」

 

「でも……」

 

「私はタイムフィールド家の後継者よ」

 

アリスはダミアンへ視線を戻す。

 

「衛非地区には多くのホロウ内作業員がいる。ポーセルメックスが侵蝕緩和剤に支払う特許使用料だけでも、毎年莫大な額となるはずなのだわ」

 

ダミアンは黙って聞いている。

 

「それだけではない。この特許があれば、ポーセルメックスは侵蝕症状に関する別分野の研究も、自社で進められる」

 

「……」

 

「フェロクス氏が失脚した後の損失を埋め、新しい研究事業を始められるだけの価値はあるでしょう?」

 

アリスはダミアンの目を真っ直ぐに見た。

 

「貴方が全てを賭けるに足る切り札として、十分ではなくて?」

 

しばらく、誰も口を開かなかった。

 

夜風だけが、展望台を吹き抜ける。

 

やがてダミアンは俯き、肩を震わせた。

 

「ハッ……」

 

小さな笑い。

 

それは次第に大きくなる。

 

「ハハッ……ハハハハハ!」

 

ダミアンは顔を上げた。

 

「いやはや。晩餐会では、あれほど怯えていらしたタイムフィールド家のご令嬢が……今やこうして、私の目を真っ直ぐに見て一世一代の賭けをなさるとは」

 

「答えを聞かせて」

 

アリスは目を逸らさない。

 

ダミアンは少しだけ黙り、柚葉が抱える二刀へ視線を移した。

 

「流雅課長からも、以前忠告を受けました」

 

「流から?」

 

「ええ。アリス嬢へ圧力をかけることと、経験を積ませることは違う、と」

 

アリスの目が僅かに揺れる。

 

「私は、その忠告を受け流しました。彼が何かを掴めば自分に有利となり、何もなければ外部機関にも開かれた安全調査だったと示せる。どちらに転んでも損はないと考えていた」

 

「やっぱり、流を利用してたんだ」

 

柚葉の声が低くなる。

 

「否定はいたしません」

 

ダミアンは柚葉を見た。

 

「ですが結果として、流雅課長は私の予想を遥かに越えて踏み込み、今やフェロクス氏の手中にある」

 

「それを見捨てるの?」

 

「いいえ」

 

ダミアンは静かに首を横へ振る。

 

「自ら盤面へ置いた駒を、責任も取らず捨てるようでは、今後誰からの信用も得られませんからね」

 

「流は駒じゃない」

 

「ええ。だからこそ、私自身の手で取り戻す価値がある」

 

柚葉はダミアンを睨んだ。

 

その言い方は気に入らない。

 

けれど、今は噛みつくべき時ではない。

 

ダミアンはアリスへ向き直った。

 

「タイムフィールド家の跡取りたるお方が、文字どおり一世一代の賭けに出た。そして流雅課長は、私の招待を受けた末に今回の件へ辿り着いた」

 

その笑みから、迷いが消える。

 

「ここで引き下がるようでは、私は臆病者である以前に、商売人として失格でしょう」

 

「ということは……」

 

「この取引、お受けいたします」

 

柚葉の耳が跳ねる。

 

「流を助けに行けるの?」

 

「ええ」

 

ダミアンは端末を取り出した。

 

「衛非ロープウェイの運行許可を出しましょう。付近に張り込んでいるフェロクス氏の部下も、私の権限で遠ざけます」

 

「本当に?」

 

「私は、利益にならない嘘は申しませんよ」

 

「やっぱり信用できない」

 

「それでも今は、私を利用するしかないのでは?」

 

柚葉は二刀の柄を強く握る。

 

「……流を利用した分、絶対に働いてもらうから」

 

「承知しました」

 

ダミアンは端末を操作しながら、一行へ背を向けた。

 

「準備には少々時間をいただきます。後ほど、ロープウェイ駅で合流しましょう」

 

「ダミアンさん」

 

立ち去ろうとする背中へ、柚葉が呼びかける。

 

ダミアンが振り返った。

 

「何でしょう?」

 

「絶対に裏切らないでね」

 

「随分と信用がないようですね」

 

「流が警戒してたから」

 

ダミアンは僅かに眉を上げた。

 

それから、薄く笑う。

 

「では、流雅課長の評価を覆すためにも、最善を尽くすとしましょう」

 

ダミアンは夜の通路へ姿を消した。

 

柚葉は腕の中にある二刀を見る。

 

二振りの刀は、今ここにある。

 

つまり、流雅の手元には何もない。

 

「待ってて、流」

 

柚葉は柄を強く握り締めた。

 

「今度は柚葉が、絶対に連れて帰るから」

 

 

 






読者の皆さんに相談があります。
今迄まぁまぁ自分の中では原作ストーリー準拠にしてきたんですけど、次の章が自分の中で滅茶苦茶書きにくい状況になっております。まずいですねぇ~。
そこで原作から大きく破綻してオーケーか皆さんに聞きたいです。
アンケートにしておいたので、投票してくれると嬉しいです。

原作から大分離れてもオーケー?

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▼「――あぁ、これでいい。俺一人が壊れれば、正解に辿り着く」▼部屋で1人コントローラーを握っていたはずが、Zenless Zone Zero(ゼンレスゾーンゼロ)の世界に転移した主人公レン。▼死に戻りを繰り返し、自らを「目的達成のための安価な交換部品」と定義する死に損ないの観測者(リセット・ホロウ)だった。▼ ▼0でも構いません。評価とご意見をください。▼


総合評価:1870/評価:8.6/連載:9話/更新日時:2026年05月08日(金) 21:00 小説情報

脱ニート中の元職業軍人の俺が炎の銀兵士に詰め寄られている件(作者:ライハイト)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

銀の髪。▼燃える大鉈。▼ドスを効かせつつどこか芯があり、謎の色気を感じさせる(当社比)ようなしっとりしてる声。▼タイツの上からハイレグインナーを着用したことによって素肌が隠れ、線と形がより際立つことになるお尻。▼バケモンみたいなスタイルを誇る女性陣の中で慎ましいながらも健康的な色香を放つ肢体。▼その全て性癖に刺さった。▼だから書いた。▼インフレが順調に進んで…


総合評価:3273/評価:9.01/連載:33話/更新日時:2026年07月16日(木) 00:44 小説情報

最強の盾は橘福福しか見えなくなる。〈旧題:最強の盾〉(作者:カブトムシの相棒)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

▼大姉弟子に一目惚れをした男を書いてみたくなったんや。


総合評価:1798/評価:9.09/連載:17話/更新日時:2026年07月11日(土) 01:16 小説情報

ゼンゼロのキャラに好かれ過ぎた男の話(作者:しいたvol.3)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

我、流浪のものなり。▼強さと童貞の卒業を求む。▼全身鎧の男がゼンゼロのキャラたちから狙われる話。▼ガバ設定・キャラ崩壊多めです。


総合評価:1865/評価:8.23/連載:11話/更新日時:2026年06月29日(月) 23:23 小説情報


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