雅が本当の兄の様に慕っていた分家の兄が、雅の母親を介錯した話。 作:ザワザワする人
ダミアンの手配によって、停止していた衛非ロープウェイが深夜に動き始めた。
衛非地区の安全調査を理由に、運行を厳しく制限されていた路線。
今夜だけは保守点検という名目で、運行記録や警備員の配置が書き換えられている。
人気のない駅を離れた搬送用車両は、暗い谷を越え、巨大なホロウへ向かって進んでいた。
ゴンドラ内にいるのは、柚葉、リン、アリスの三人
真斗は、まだ激しい戦闘に耐えられる状態ではなかった。
潘と福福が泗瓏囲へ残り、真斗の護衛と住民の避難を担当している。
儀玄の姿も、ここにはない。
ロープウェイが出発するより前、何も言わずに一人で姿を消していた。
潘によれば、儀玄には別に確かめるべきことがあるらしい。
それ以上のことは、誰も知らなかった。
柚葉は席へ腰を下ろし、流雅の二刀を両腕で抱えていた。
地下水路で無理やり持たされた二振り。
鞘へ収められた刀は、持ち主がいなくとも僅かに共鳴し、時折小さな震えを返している。
そのたびに、柚葉は抱く腕へ力を込めた。
「そんなに強く抱えていたら、手が痛くなるのだわ」
隣に座るアリスが心配そうに言った。
「いいの」
柚葉は二刀を抱き直した。
「また勝手にどっか行かれたら困るから」
「刀は勝手にどこかへ行ったりしないと思うのだわ」
「持ち主はするよ」
リンが苦笑する。
「それは否定しにくいかも……」
「でしょ?」
軽く返しながらも、柚葉の顔には笑みがなかった。
あの場で流雅が優先したのは、自分が逃げ延びることではない。
柚葉を確実に逃がすことだった。
「……バカ」
柚葉は、誰にも聞こえないほど小さく呟く。
その時、リンの端末から少女の声が響いた。
『聞こえる?』
柚葉が顔を上げる。
「誰?」
『特別執行課のツイッギーよ。流雅の下で副課長をしているわ』
声は静かで、事務的だった。
けれど、その奥には隠しきれない苛立ちが滲んでいる。
「流の副課長?」
『その呼び方をするのは、あなたね。浮波柚葉』
「流から柚葉のこと聞いてるの?」
『昔できた知り合いと再会した。それだけ』
「それだけ?」
『それ以上、あの人は話していないわ』
柚葉は少しだけ唇を尖らせた。
「ふーん」
『何。その露骨に不満そうな声は』
「別に~。流って昔から、自分のことはあんまり話さないなって思っただけ」
『それには同意するわ』
ツイッギーの返事は早かった。
『聞かないと答えない。聞いても肝心な部分は誤魔化す。自分だけで納得して説明を省く。その上、相手のためだと思い込んだら勝手に一人で動く。最低ね』
「ほんとそれ!」
柚葉が思わず身を乗り出す。
「何でも勝手に決めるし、危ないことしても平気な顔してるし、謝れば許されると思ってるし!」
『そうなのよ。ようやく話の分かる人が現れたわね』
「二人とも、今は流雅さんを助けることに集中しようよ……」
リンが遠慮がちに止める。
柚葉とツイッギーが同時に黙った。
『……そうね』
「うん」
二人の返事まで重なった。
アリスが僅かに首を傾げる。
「初対面とは思えないほど、息が合っているのだわ」
「流の被害者同士だからね~」
『一緒にしないで。私は職務よ』
「柚葉は私情だから、もっと怒っていいってこと?」
『好きになさい』
短いやり取りの後、柚葉は二刀へ視線を落とした。
「流の場所は分かった?」
ツイッギーの声から、先ほどまでの軽さが消える。
『流雅の端末から、微弱な反応がある』
「生きてるってこと?」
『少なくとも、端末は完全には壊れていない。位置は研究所の最下層から動いていないわ』
「流は?」
僅かな沈黙。
柚葉の指へ力が入る。
『確証の無い事を言われて、安心したい?』
「……ううん」
ツイッギーが続ける。
『研究所の照明制御へ、内部から干渉した痕跡を見つけた。通信機能を失った端末で、施設の設備へ信号を送っている』
「それ、流なの?」
『あの人以外に、こんな回りくどい方法で私へ情報を送る人はいないわ』
ランダムプレイから、アキラの声も届く。
『信号を送った時刻は、二十分ほど前。少なくとも、その時点では流雅さん本人が動ける状態だったと思う』
柚葉は大きく息を吐いた。
抱えていた二刀の震えが、僅かに強くなった気がした。
「じゃあ、生きてるんだね」
『ええ。今のところは』
「絶対に助ける」
柚葉は二振りの柄を強く握った。
「流も、刀も。今度は全員一緒に連れて帰るから」
『そうして』
ツイッギーの声が、僅かに低くなる。
『丸腰で敵の本拠地へ残るなんて、課長としても人間としても最低だから』
「帰ったら二人で怒ろうね」
『私は仕事として怒るだけよ』
「柚葉は私情で怒るから大丈夫」
『何が大丈夫なのか、まったく分からないわ』
ゴンドラが大きく揺れた。
窓の外を覆っていた景色が、ホロウ特有の歪んだ空へ変わっていく。
『到着するわ』
ツイッギーが告げる。
『ここから先は、私とパエトーンで経路を案内する』
アキラの声が続く。
『研究所へ入ったら、通信が不安定になるかもしれない。三人とも、絶対に離れないで』
「分かった」
リンが頷く。
柚葉も二刀を抱えたまま立ち上がった。
「待ってて、流」
ロープウェイが、到着した。
□
ダミアンから渡された認証情報を使い、リンたちは研究所の外周へ入った。
本来なら周辺を巡回しているはずの警備員は見当たらない。
ダミアンが別の区画へ移動させたのだろう。
けれど、研究所そのものの危険がなくなったわけではなかった。
通路には濃いミアズマが漂っている。
壁や床には巨大な爪痕が刻まれ、天井の一部は完全に崩れ落ちていた。
ミアズマ・フィーンドは、まだ研究所のどこかにいる。
「静かだね」
柚葉が小声で言う。
「静かすぎるのだわ」
アリスは剣へ手を添え、周囲を警戒していた。
リンの端末へ、研究所の簡易地図が表示される。
『正面通路は崩落してる』
ツイッギーの声が響く。
『右へ進んで。旧保守区画を抜ければ、地下へ続くエレベーターがある』
『警備機械の反応が三つ』
アキラが告げた。
『このまま進めば、正面で鉢合わせる』
『認証を書き換えたわ』
ツイッギーが淡々と答える。
前方に現れた三体の警備機械が、一斉に武器を展開した。
柚葉たちが身構えた直後。
機械の光が赤から青へ変わる。
そのまま三体は、何事もなかったように壁際へ下がった。
「すご……」
柚葉は警備機械の横を通りながら、まじまじと見つめる。
「流もこんなことできるの?」
『あの人は、機械を殴って直す方よ』
「流らしいなぁ」
『褒めてない』
旧保守区画へ差しかかった時、頭上の照明が点滅した。
三回。
僅かに間を空けて二回。
さらに三回。
「何?」
リンが足を止める。
ツイッギーはすぐに反応した。
『流雅ね』
柚葉が顔を上げる。
「流から?」
『位置情報と警告。最下層の制御室に爆薬の起動装置がある。フェロクスは研究所ごと証拠を処分するつもりよ』
「流はどこ?」
『その制御室から少し離れた、旧実験区画』
床に埋め込まれた誘導灯が、青く点灯していく。
『青い光を追って。フィーンドの反応からも離れられる』
「ツイッギー」
『何?』
「ありがとう」
『礼は嫌い』
「ほんとかな~?流雅は、照れ屋さんなだけって言ってたよ?」
『………今はどうでもいいでしょう。早く行きなさい』
柚葉は少しだけ笑った。
二刀を抱え直し、青い光の先へ駆け出した。
□
旧実験区画の照明は、一定の間隔で明滅していた。
白い光が点くたび、天井から垂れ下がった配線と、使われなくなった検査台の影が床へ伸びる。消えれば、部屋には機械の待機音と、濃いミアズマが擦れる音だけが残った。
流雅は検査台へ座らされ、両腕を背後で固定されていた。手首にはエーテルの流れを阻害する拘束具が嵌められ、足首も床へ繋がれている。少し身じろぎするだけで金属が食い込み、右肩から先へ鈍い痛みが走った。
端末は数歩先の床に落ちていた。
画面の大半が砕け、通信機能も失われている。落とされる直前、施設の保守回線へ接続できたのは幸運だった。
もっとも、今の流雅にそれを操作できるとは、誰も考えていないらしい。
「もう一度聞こう」
フェロクスが流雅の前へ椅子を置いた。
自分は座らず、その背へ片手を添えている。声だけは落ち着いていたが、指先が革張りの背もたれへ深く沈んでいた。
「小娘をどこへ逃がした」
「小娘って、柚葉のことですか?」
「他に誰がいる!」
「名前で呼んであげてください。本人、結構そういうの気にするので」
フェロクスの顔が歪んだ。
傍らに立つ警護が、流雅の肩を検査台へ押しつける。負傷している右側を狙われ、視界が一瞬だけ白く染まった。
流雅は息を詰めた。
声を漏らせば、相手が喜ぶだけだ。そう思って耐えたものの、身体は正直だった。呼吸が乱れ、額から落ちた汗が頬を伝っていく。
「柚葉はどこだ」
「知りません」
「嘘をつけ。お前が逃がしたのだろう」
「逃げる経路までは作りました。でも、その後どう動いたかは柚葉が決めることです」
フェロクスはしばらく流雅を見つめた。
「ずいぶん信用しているのだな」
「ええ」
「なら、戻ってくる可能性も考えているのか?」
流雅の指先が僅かに動いた。
背後へ回した手の中には、検査台から抜き取った細い接続端子が隠されている。拘束具の縁へ触れさせるたび、弱い電流が端末へ流れた。
三回。
間を空けて二回。
さらに三回。
照明制御へ送るには弱すぎる信号だったが、ツイッギーなら気づく。
気づいてくれる。
そんな期待を持てる相手がいるのは、流雅が思っていたより心強かった。
「戻ってきませんよ」
流雅は答えた。
それは願いだった。
柚葉なら戻ってくる。そう分かっているからこそ、戻ってきてほしくなかった。
「私があの娘なら、貴様を見捨てはしない」
「本人をよく知らないのに、変なところだけ正解ですね」
フェロクスが椅子を蹴った。
倒れた椅子が床を滑り、古い培養槽へぶつかる。甲高い音が実験室へ残り、奥で待機していた警護たちが僅かに身体を強張らせた。
「ダミアンとは、いつから繋がっていた」
「晩餐会に呼ばれた時からでしょうか」
「奴から何を受け取った」
「食事と、少しの情報を」
「記録はどこだ」
「何の記録です?」
「ふざけるな!」
フェロクスに襟元を掴まれ、流雅の身体が前へ引かれた。背後で固定された右腕が不自然に捻られ、今度は耐えきれず、喉の奥から短い息が漏れる。
「特別執行課はどこまで把握している。研究所の所在か。出資者の名簿か。讃頌会との取引記録か」
「質問が多いですね」
「答えろ!」
「僕も、全部知ってるわけじゃないんです」
それは嘘ではなかった。
情報の全てを一人へ集めないのは、特別執行課で最初に定めた規則だ。課長が捕らえられれば組織全体が止まるような仕組みでは、誰かを守ることなどできない。
流雅が持つ情報。
ツイッギーだけが持つ情報。
隊員が各自で確保した記録。
それらを照合して、初めて一つの証拠になる。
「僕を消しても、特別執行課の調査は止まりませんよ」
フェロクスの手が止まった。
「課長一人がいなくなれば終わるような組織ではありませんから」
「では、部下にも何かを渡したのか」
「さあ」
「貴様……」
襟元から手を離された直後、腹部へ重い衝撃が落ちた。
息が途切れる。
流雅は検査台から落ちかけ、拘束具へ引き戻された。肺が空気を拒むように縮まり、咳き込むたび傷んだ肩まで震える。
床に落ちた端末が、滲んだ視界の中で一度だけ光った。
信号が届いた。
確信はない。
それでも、あの一瞬の光を偶然だとは思わなかった。
「まだ続けますか?」
流雅は顔を上げた。
声を普段どおりに戻そうとしたが、掠れまでは隠せなかった。
「ここで僕に時間を使ってる間にも、証拠は外へ運ばれていますよ」
フェロクスの目が細くなる。
「強がりを」
「だったら、試してみます?」
流雅は笑った。
いつもと同じ形へ戻したつもりだった。
けれど頬の筋肉が引きつり、上手く笑えているか分からない。
「僕をここへ置いたまま、残ってる証拠を確認しに行けばいい。まだあるなら、僕の嘘です」
「私をここから遠ざけ、その間に何かするつもりか」
「疑い深いですね」
「貴様のせいだ!」
「それは申し訳ないです」
「謝れば済むと思うな!」
フェロクスの怒声が響く。
流雅は目を伏せ、背後の端子を拘束具へもう一度触れさせた。電流が指先を焼き、僅かに焦げた匂いがする。
今度は、短く二回。
長く一回。
それから、端末に残した保守番号を送る。
爆破装置の存在まで、ツイッギーが読み取れるかは分からない。ただ、フェロクスが研究所そのものを処分しようとしていることだけは伝えなければならなかった。
「何をしている」
警護の一人が、流雅の指先へ気づいた。
手首を掴まれる。
隠していた接続端子が床へ落ち、軽い音を立てた。
フェロクスがそれを拾い上げる。
「これは何だ」
「さあ。古い設備の部品じゃないですか?」
フェロクスは端子と端末を見比べた。
次の瞬間、床に落ちていた端末を踏みつける。
画面へ新しい亀裂が走り、残っていた光が消えた。
「これで何もできまい」
流雅は砕けた端末を見た。
もう応答はない。
それでも、必要なものは送れた。
多分。
「そうですね」
流雅は検査台へ背を預ける。
「困りました」
本当に困ったようには聞こえなかったらしい。
フェロクスが顔を寄せる。
「怖くないのか」
「怖いですよ」
「嘘をつくな」
「ついてません」
流雅は天井を見た。明滅する照明が眩しく、目を細める。
柚葉は外へ出られただろうか。
リンとアリスも一緒にいる。潘と福福も泗瓏囲に残っている。ツイッギーが信号を受け取っていれば、特別執行課も動く。
心配する理由などない。
そう並べても、胸の奥の不安は消えなかった。
自分のためではない。
柚葉が戻ってくるのが怖かった。
「僕が怖がったところで、あなたが見逃してくれるわけじゃないでしょう?」
「それでも人間なら、命乞いくらいするものだ」
「命乞いをしたら、柚葉たちを追わないと約束してくれますか?」
フェロクスは答えない。
「なら、意味がないですよ」
「自分の命に価値がないとでも?」
「あります」
流雅は即答した。
「帰りたい場所もあります。叱られる約束も、聞かないといけない話も残ってる。師匠にも、まだ会えてませんから」
言葉にしてしまうと、思っていたより未練が多かった。
雅と話したい。
ツイッギーへ謝りたい。
柚葉の話を、今度こそ最後まで聞きたい。
儀玄へ一度でいいから、ただいまと言いたい。
帰りたい。
その感情は、胸の奥で小さく燃えていた。
「でも、そのために柚葉を呼び戻すつもりはありません」
流雅はフェロクスを見る。
「柚葉を逃がした意味がなくなるから」
「殊勝なことだ」
フェロクスは鼻で笑った。
「その娘が、お前と同じ考えならな」
遠くで、何かが鳴った。
一度。
続いて、二度。
金属製の扉が外側から叩かれている。
流雅の顔から、僅かに表情が消えた。
「侵入者です!」
通路から警護の声が飛ぶ。
「最下層へ侵入! 警備システムが応答しません!」
フェロクスが振り返る。
流雅は目を閉じた。
来てほしくなかった。
それでも。
胸の奥に生まれた安堵まで、否定することはできなかった。
□
実験室の照明が一斉に落ちた。
暗闇の中で怒号が飛び交い、続いて赤い非常灯が点る。扉の向こうから銃声と、剣が金属を弾く音が近づいてきた。
「迎撃しろ!ここへ入れるな!」
フェロクスの命令を受け、警護たちが扉へ武器を向ける。
一度目の衝撃。
分厚い扉が、内側へ丸く膨らんだ。
二度目。
錠が弾け、扉が床を擦りながら開く。警護が発砲するより先に、隙間からアリスの剣が滑り込み、銃身を上へ跳ね上げた。
弾丸が天井へ突き刺さる。
続いてリンが室内へ踏み込み、覚感の術で警護の足元を払った。床へ倒れた二人の間を、赤い影が走り抜ける。
「流!」
柚葉だった。
両腕には二振りの刀を抱えている。息を切らし、髪も服もミアズマと埃に汚れていた。
それでも怪我はない。
自分の足で立っている。
その姿を確かめた瞬間、流雅の身体から力が抜けかけた。
「どうして戻ってきたの?」
口から出たのは、安堵でも礼でもなかった。
柚葉の眉が吊り上がる。
「それ、今言う!?」
「だって、ここは危ないから」
「知ってるよ!見れば分かる!」
柚葉は警護の一人が起き上がろうとするのを見て、抱えていた刀の鞘で肩口を打った。もう一人はアリスが剣を向け、動きを封じる。
「柚葉たちは、外へ」
「帰らない」
「でも」
「でもじゃない!」
声が実験室へ響いた。
怒っている。
目元は泣きそうなほど歪んでいるのに、涙だけは落とさなかった。
「流が待ってるのに、帰れるわけないでしょ!」
「待ってはいなかったよ」
思ったまま答えると、柚葉の顔がさらに険しくなる。
「……言い方を間違えたかな」
「流のバカ!」
「うん」
「最低!」
柚葉は流雅の前へ駆け寄り、検査台の傍へ膝をついた。
近くで見ると、彼女の手が震えていた。
二刀を抱えていた腕にも、強く力を込め続けた痕が残っている。
柚葉の視線が、流雅の右肩と、両手首へ移った。
「何されたの」
声から怒りが消えた。
代わりに、ひどく冷たい響きが落ちる。
「ちょっと話をしただけだよ」
「こんなになるまで?」
「向こうが、聞き方を知らなかったみたいで」
「流」
「うん」
「誤魔化さないで」
流雅は答えられなかった。
柚葉がそっと手を伸ばし、傷ついた手首へ触れかける。けれど痛ませるのが怖いのか、その指は直前で止まった。
「……痛い?」
「少し」
「嘘」
「今は少しだよ」
柚葉は唇を噛んだ。
怒ればいいのか、泣けばいいのか分からない顔だった。
「どうして、柚葉に刀を持たせたの」
「柚葉を守れると思ったから」
「流が守られないじゃん」
「僕は何とかできると思ってた」
「できてない!」
「そうだね」
「すぐ認めないでよ!」
「じゃあ、できたって言った方がいい?」
「それも駄目!」
柚葉は叫んだ後、深く息を吸った。
怒鳴ってしまったことを後悔したように目を伏せる。それでも、流雅を見る目だけは逸らさなかった。
「怖かったんだから」
今度の声は小さかった。
「水路を出てから、ずっと。刀だけ持ってるのに、流がいなくて。もし戻った時に、もう間に合わなかったらって」
「ごめん」
「謝るだけじゃ駄目」
「うん」
「柚葉が怖かったってこと、ちゃんと覚えて」
「覚えるよ」
「次は勝手に置いていかないで」
「うん」
「柚葉の気持ちを、流が勝手に決めないで」
流雅は、すぐには答えなかった。
柚葉の手が、二本の柄を差し出している。
それを受け取れば、また戦える。
それより先に、答えなければならない。
「約束する」
流雅は柚葉の目を見た。
「今度は、一緒に帰る」
「今度じゃない」
柚葉は首を横へ振った。
「今日。今から」
「うん」
「絶対に?」
「絶対に」
柚葉はしばらく流雅の顔を見つめていた。嘘を見つけようとするように、目の奥まで覗き込んでくる。
やがて、二刀を一本ずつ持ち上げた。
「じゃあ、返す」
「持ってきたんだね」
「当たり前でしょ。流が丸腰のまま残ったら、柚葉が安心できないもん」
「重かったでしょう?」
「流より軽いよ」
「それはそうかも」
「笑うところじゃない」
それでも、柚葉の口元がほんの少し緩んだ。
流雅が柄へ手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、二刀が低く震えた。
持ち主のエーテルを確かめるように、鞘の内側から赤と淡い光が滲み出す。離れていた時間を埋めるような共鳴が、流雅の腕を伝って胸へ届いた。
「おかえり」
柚葉が言った。
刀へ向けた言葉なのか。
流雅へ向けた言葉なのか。
答えを聞く前に、二刀の引力が発生した。
拘束具が左右へ引かれ、検査台の固定部が軋む。罅が走り、金属片が床へ散った。
自由になった流雅は立ち上がろうとする。
足に力が入らなかった。
身体が前へ傾き、柚葉が咄嗟に腕を回して支える。
「ほら!」
「ごめん。思ったより痺れてたみたい」
「もう、無理しないで!」
「でもフェロクスが」
流雅が顔を上げる。
フェロクスは、いつの間にか実験室の奥へ退いていた。警護を盾にして、別の通路へ逃れようとしている。
「流雅さん、追わないで!」
リンが声を上げた。
「外の経路はツイッギーさんが閉じてる。今は流雅さんの手当てが先だよ!」
「証拠を処分されるかもしれない」
「それもツイッギーさんとお兄ちゃんが押さえてる!」
「なら」
流雅が言い終える前に、床が大きく揺れた。
天井から細かな埃が降る。
奥の壁を、内側から何かが叩いた。
一度。
二度。
三度目には壁面が裂け、濃いミアズマと共に巨大な腕が実験室へ突き出した。
白い髪。
金色の翼。
傷ついた身体を、周囲のミアズマで継ぎ合わせ続ける異形。
ミアズマ・フィーンド。
低い咆哮が、研究所全体を震わせた。
「まだ生きてたの……?」
リンが端末へ視線を落とす。
『マスター、核の反応が再活性化しています』
Fairyの警告と同時に、フィーンドが壁を崩して室内へ踏み込んだ。
フェロクスの警護が悲鳴を上げる。
「まだ制御できていないのか!?」
「フェロクス様、退避を!」
フェロクスたちは警護に守られ、別の通路へ逃げていく。
流雅は追わなかった。
今は、目の前の異形を止めなければならない。
「柚葉、離れて」
「嫌」
「でも」
「さっき約束した」
柚葉は流雅の腕を支えたまま、フィーンドを見る。
「一緒に帰るって言ったでしょ」
流雅は何かを言いかけた。
それから、口を閉じる。
以前なら、一人で前へ出ていた。
柚葉を下がらせ、リンとアリスにも逃げるよう命じ、自分だけで時間を稼ごうとしただろう。
その結果が、この拘束と負傷だった。
「……分かった」
流雅は柚葉から身体を離さず、二刀を構える。
「一緒に戦おう」
柚葉の目が僅かに開かれた。
「うん!」
「ただし、僕の死角から離れないで」
「流も柚葉の見えるところにいて」
「約束する」
リンとアリスも武器を構える。
流雅は三人の位置を確かめ、フィーンドへ視線を戻した。
今度は一人ではない。
だからこそ、帰れる道を選ぶことができる。
フィーンドが大きく翼を広げ、研究所を震わせるほどの咆哮を上げた。
流雅はフィーンドから目を離さぬまま、、リンとアリスへ視線を向ける。
「二人とも、周囲のミアズマを抑えてください。再生に使われる量を少しでも減らしたい」
「分かった!」
「承知したのだわ!」
柚葉も武器を構える。
流雅は止めなかった。
「柚葉は、フィーンドの動きを見て。翼を畳んだ直後に、胸部の核が一瞬だけ露出する」
「流は?」
「動きを止める」
フィーンドが床を蹴った。
巨体に似合わぬ速度で、一行との距離を詰める。
流雅は二刀を交差させ、そのまま横へ振り抜き、投げた。
引力、慣性、重力、全てを味方に付けて二刀は踊る。
刃の軌道に沿い、赤い光が空中へ残った。
一本、二本、四本。
さらに細い光が重なり、無数の糸へ変わっていく。
流雅の指先が、その糸を掴んだ。
「縫え」
赤い糸が、一斉にフィーンドへ伸びる。
腕へ巻きつく。
脚へ。
翼へ。
首へ。
糸の端は周囲の床や壁へ突き刺さり、フィーンドの巨体を空間そのものへ縫い留めた。
硬いもの同士が軋み合う、耳障りな音が響く。
フィーンドの動きが止まった。
「何それ!?」
柚葉が目を見開く。
「拘束じゅっ………つ!」
流雅は両手を広げ、指先へ赤い糸を絡めていた。
糸は二刀の柄と繋がっている。
刃の動きに合わせ、糸がさらにフィーンドの関節を締め上げていく。
「イヴリンさんから教わったんだ」
「こんなものまで流の友達は、教えてくれるの!?」
「基礎だけね」
糸を維持する流雅の腕が震える。
傷口から、血が滲んでいた。
「後は実戦で覚えろって」
「それ、柚葉より流の方が子供扱いされてない?」
「否定できないかも」
赤い糸の一本が、大きく軋んだ。
フィーンドが無理やり腕を持ち上げる。
壁へ固定されていた糸が、周囲の建材ごと引き剥がされた。
「流、切れる!」
「長くは持たない!」
一本目が弾ける。
続いて二本目。
フィーンドの翼が開きかけた。
「柚葉!」
「分かってる!」
柚葉が飛び出した。
武器を振るい、フィーンドの膝へ一撃を叩き込む。
僅かに体勢が崩れる。
アリスが剣を突き立て、周囲に滞留するミアズマを浄化する。
リンは端末から送られるアキラの解析結果を確認した。
『核の位置を再計算した!』
アキラの声が届く。
『胸部中央。翼が完全に開いた直後だ!』
「柚葉、胸部中央!今!」
フィーンドの翼が大きく開く。
その奥で、赤黒い核が露出した。
流雅は残った糸を右手へ集める。
全ての糸が一斉に収縮し、フィーンドの身体を後方へ引いた。
一瞬だけ、核への道が開く。
流雅は、いつの間にか手元に戻した星彩を構えた。
一歩。
次の瞬間には、フィーンドの懐へ入り込んでいる。
「終わりです」
フィーンドの動きが止まる。
胸部から光が溢れ出した。
巨体が大きく傾き、床へ崩れ落ちる。
周囲に漂っていたミアズマが、風に散らされる霧のように消えていった。
しばらく、誰も動かなかった。
柚葉は倒れたフィーンドと、流雅を交互に見る。
「……倒した?」
リンが端末を確認する。
『核の反応が完全に消えた』
アキラが答える。
『今度こそ、フィーンドは停止したよ』
流雅は刀を下ろした。
直後、全身から力が抜けたように片膝をつく。
「流!」
柚葉が駆け寄り、その肩を支えた。
「大丈夫?」
「ちょっと疲れただけ」
「流の少しは信用できないって言ったでしょ」
「最近、よく言われるなぁ」
「誰のせいだと思ってるの?」
柚葉は流雅の腕を自分の肩へ回し、無理やり立たせる。
流雅が何か言おうとするより先に、柚葉は睨んだ。
「今は柚葉に従って」
「……分かった」
「最初からそうしてればいいの」
その時だった。
研究所全体へ、けたたましい警報音が響き渡った。
赤い非常灯が点灯し、天井に設置された表示板へ無機質な文字が浮かぶ。
【全区画爆破処理開始】
【起爆まで――】
表示された数字が減り始めた。
「爆破装置!」
リンが端末を見る。
「フェロクスが起動させたんだ!」
アリスの顔が青ざめる。
「この研究所ごと、証拠を消すつもりなのだわ……!」
流雅は柚葉の肩から離れようとした。
「制御室へ行かないと」
「その身体で何するつもり?」
「装置を止める」
「今は歩くのだって大変でしょ!」
「でも――」
『そこで大人しくしてなさい』
ツイッギーの声が、全員の端末から響いた。
流雅の動きが止まる。
「ツイッギー?」
『今、爆破装置の制御系へ入ってる。あなたが怪我を増やす必要はないわ』
リンが端末を操作する。
「でも、爆破装置は独立回路のはずだよ。外部から停止できるの?」
『通常なら無理ね』
「通常なら?」
『ダミアンから、ポーセルメックスの管理者権限を全て提供してもらった。それに、流雅が送ってきた信号には起爆装置の位置だけでなく、旧式回路へ接続するための保守番号も含まれていたわ』
流雅は少しだけ目を見開く。
「そこまで分かったの?」
『あなたが分かりにくい信号を送るから、解析に時間がかかったのよ』
「ごめん」
『謝罪は後』
ツイッギーの声は平静だった。
けれど、端末の向こうからは激しい操作音が聞こえる。
【起爆まで百二十秒】
表示板の数字が減っていく。
研究所の各所で、防爆扉が閉じ始めた。
「ツイッギー、間に合う?」
柚葉が尋ねる。
『間に合わせるわ』
短い返事だった。
『フェロクス側の起動命令を遮断。管理者権限を一時凍結。各区画の起爆回路を、中央制御から切り離す』
端末に複数の回路図が表示される。
一つ。
また一つ。
赤く表示されていた爆薬の印が、灰色へ変わっていく。
【起爆まで九十秒】
「まだ半分以上残ってるよ!」
『見れば分かるわ』
「手伝えることは?」
『これ以上余計な端末を接続される方が邪魔。黙って待ってなさい』
「は、はい」
柚葉が素直に返事をする。
流雅は僅かに笑った。
「ツイッギーらしいね」
『あなたは黙ってなさい』
「…はい」
次々と回路が遮断されていく。
けれど、一つだけ赤い表示が残った。
研究所最深部。
倒れたフィーンドのいる区画より、さらに下。
『旧式の補助起爆装置……』
ツイッギーの声が低くなる。
「止められないの?」
リンが尋ねる。
『中央制御から完全に独立している。通常の命令は受けつけない』
表示板の数字は、既に六十秒を切っていた。
アリスが周囲を見回す。
「今から逃げても、研究所の外までは間に合わないのだわ」
「なら、直接壊すしかない」
流雅が二刀を握り直そうとする。
だが、ツイッギーが即座に止めた。
『動くなと言ったでしょう』
「でも、他に方法が」
『あるから黙って』
ツイッギーは迷わず答えた。
『旧式回路なら、起爆装置そのものへ命令は送れない。でも、起爆に使う電力は施設の補助電源から供給されている』
アキラが意図を察する。
『補助電源ごと落とすのか』
『ええ。ただし、研究所の生命維持装置と隔離設備も全て停止するわ。プロキシ、他に生存者は』
リンが端末を確認した。
「生存者の反応は、私たち以外にないよ」
『なら問題ないわね』
表示板の数字が三十秒を切る。
流雅が端末へ顔を向けた。
「ツイッギー」
『何?』
「任せるよ」
『最初からそうしなさい』
研究所の照明が、一斉に消えた。
次の瞬間。
床の下から響いていた低い駆動音が止まる。
赤い非常灯も消え、表示板の数字が残り十三秒で固まった。
暗闇の中、リンの端末だけが淡く光っている。
しばらく、誰も声を出さなかった。
爆発は起きない。
研究所を満たしていた警報音も、完全に途切れていた。
やがて表示板が再起動する。
【爆破処理中断】
【全起爆装置:停止】
柚葉が大きく息を吐いた。
「止まった……?」
『ええ』
ツイッギーは、何でもないことのように答える。
『爆破装置は全て停止。フェロクス側から再起動することもできないよう、管理者権限ごと凍結しておいたわ』
リンが端末を確認する。
「本当だ。全部の反応が消えてる」
アリスの耳からも力が抜ける。
「研究所も、証拠も守られたのだわ……」
「すごいね、ツイッギー!」
柚葉が声を上げる。
『当然よ』
「流より頼りになるかも」
『比べるまでもないわ』
「聞こえてるよ」
流雅が困ったように言う。
『わざと聞かせてるの』
「二人とも、本当に仲良しなんだね~?」
『違うわ』
「違うよ」
二人の返事が重なった。
柚葉は目を細める。
「やっぱり怪しい」
『そんなことを考える余裕があるなら、さっさと流雅を連れて帰りなさい』
「言われなくても、そのつもり」
柚葉は流雅の腕を自分の肩へ回し直した。
「ほら、流。行くよ」
「もう少し自分で歩けるけど」
「流の自己申告は信用しない」
『賢明ね』
「ツイッギーまで……」
『拘束され、丸腰になり、負傷した状態でエーテリアスと戦った直後の人間へ、自己判断を許すほど私は楽観的ではないわ』
流雅は反論を諦めたように息を吐く。
「分かった。柚葉に任せるよ」
「うん。それでいいの」
爆発の危険は消えた。
けれど、フェロクスとその警護はまだ研究所のどこかにいる。
証拠を確保し、全員で外へ戻るまで、終わりではない。
リンたちは、ツイッギーが再び点灯させた青い誘導灯を追い、搬出区画へ向かった。
原作から大分離れてもオーケー?
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おっけ
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だめ