俺の脳内選択肢が、呪術師としての尊厳を全力で破壊してくる 作:シモケンサンバ
有沢は、伊地知から渡された顔写真の男――与幸吉を追って山中を疾走していた。
写真に写る男、与幸吉が交流会で対峙した究極メカ丸の本体であるという確証は、有沢の中にはない。
だが、五条悟からの「この男を捕縛せよ」という命令は、有沢にとって逆らえば更なるハラスメントを招く絶対のルールだった。
「誰だよこの薄幸そうな男は。高専の健康診断で引っかかった逃亡者か?」などと毒づきながら、有沢は岩肌を蹴る。
急峻な斜面を駆け抜けた先、ダムの堰堤付近で、鼓膜を震わせる激しい呪力の衝突音が響いた。
有沢が視線を向けると、そこには全身が継ぎ接ぎだらけの特級呪霊・真人と、巨大な機械鎧の残骸から這い出した、写真通りの男がいた。
戦況は絶望的だ。
真人の掌が、今まさに男の顔面に触れようとしたその瞬間、有沢の視界に世界を止める無慈避な二択が割り込んだ。
【選べ】
① 脱ぎたてのボクサーパンツを真人の掌に向けて射出する
② その場で全裸になり、「三点倒立」を維持しながら決め台詞を言う
有沢の脳内で、瞬時に冷徹な計算が走る。
(ここで捕縛対象の与幸吉を死なせれば、あの目隠し教師に何をされるか分かったもんじゃない。与幸吉を生け捕りにするには……クソが、最初から選択肢なんてねえんだよ!)
有沢は涙を流しながら、①を選択した。
真人の掌と与の顔面の間に、有沢の体温と不吉な湿り気を帯びた布地が、物理法則を無視した回転で割り込んだ。
呪力によって硬質化したパンツは、真人の術式発動を物理的に妨害し、与の死を数秒だけ先送りにした。
真人の掌が、有沢の社会的死の象徴をがっしりと掴む。
「……あー、なんだ。……その、洗いたてじゃなくて済まないな」
有沢は下半身に拭い去れない開放感を覚えながら、堰堤の上から真人の前に降り立った。
真人はパンツを払いのけ、目の前の男を凝視した。
「(仲間のためにそこまでするなんて、)立派だね」
真人の言葉は、一見すれば窮地で仲間を救った術師への純粋な称賛そのものだった。しかし、その甘い声の裏側には、底寒い侮蔑と嘲笑がべったりと張り付いていた。
だが、全裸の下半身を外気に晒し、精神が極限状態にある有沢の耳には、その言葉は別の意味で、それも致命的なニュアンスで突き刺さった。
(……立派? 立派だと言ったか、今。……この呪霊、俺のそれを見て言っているのか!?) 有沢は顔面を紅潮させ、震える指で真人を指差した。
「……立派? まあ、そうだろうな! 日本人の平均よりは、その、立派な方だと自負はしている! だがな、初対面の相手に対して、しかもこんな状況で性的な部位を評価するのはセクハラだろうが! 警察呼ぶぞ、この継ぎ接ぎ野郎!」
有沢の支離滅裂な返答を聞き、傍観していた夏油が堪えきれずに吹き出した。
「……く、ははは! 彼は面白いね、真人」
真人が困惑した表情で夏油を振り返る。
「……夏油、何がおかしいの? 」
夏油は肩を揺らしながら答えた。
「いや、すまない。君たちの噛み合わなさが、あまりに滑稽でね。手伝おうか?」
真人はその提案を即座に拒絶した。
「いいよ。この男は僕が、僕の手で始末したい」
有沢もまた、吉野順平とその母を弄んだ真人の存在を、ここで終わらせる覚悟を決めていた。
(ここでこいつを逃せば、また誰かが俺のような……いや、順平のような悲劇に遭う。……社会的死など、今更惜しくもない!)
有沢が呪力を練り上げると、その余波が空気を震わせ、同時に有沢のムスコも激しく揺さぶった。
真人は領域展開直後で術式が焼き切れており、純粋な肉弾戦で有沢を圧倒しようと踏み込んだ。
ここで、有沢に回避のための選択肢が提示される。
【選べ】
① 真人の全攻撃をミリ単位で、かつスタイリッシュに回避する
② 全弾全力で被弾しながら、アニソンの主題歌をフルコーラスで絶叫する
「死ぬわ! ②は物理的に死ぬわ!」
有沢は断腸の思いで①を選択し、関節が軋むほどの速度で真人の連撃をかわし続けた 。
だが、回避行動の終盤、身体を捻った有沢の動きに伴い、慣性の法則に従って振り回された有沢の「ムスコ」が、真人の頬を真っ向から、湿った音を立てて強打した。
真人は不愉快な感触に顔を歪めた。
肉弾戦による時間稼ぎで術式が回復した真人は、怒りとともに再び領域を展開した。
「自閉円頓裹――」
黒い繭が世界を包み込もうとした瞬間、有沢に新たな天啓という名の呪いが提示された。
【選べ】
① 黒閃を5回連続で叩き込む
② とりあえず、「領域展開」と大声で叫んでみる(成功確率:0%)
(成功確率0%!? だったらそれは『選択肢』じゃねえだろ! 悪趣味な冗談を添えて出すんじゃねえ!お前はこれを楽しんでるだろうが! この状況でスカシて死ぬのが、どれだけ社会的にも物理的にも損失か理解してんのか!?)
有沢は怨念を込めて①を選んだ。
因果の強制により、5回の黒閃を完遂するまでは真人の術式による魂の改変を無効化するプロテクトが発生する。
「五回だ。五回殴るまで、俺の魂は誰にもいじらせねえ!」
有沢は領域内での凄惨な殴り合いを開始した。
真人もまた、仕組みは不明だが有沢の防御性能を理解し、領域内での凄惨な殴り合いを再開した。
一撃、二撃と、空間が揺れるほどの衝撃が真人の顔面を、胸部を、そして腹部を撃ち抜く。
黒い火花が真人の領域内を蹂躙し、四度目の黒閃が真人の胸骨を粉砕した瞬間、領域の構造が限界を迎え、空間そのものが硝子のように砕け散った。
瀕死の真人を祓い切ろうとした有沢だったが、その目前で夏油傑が動いた。
「待って、夏油……! 僕をどうするつもり……ッ!」
真人の叫びは、夏油の呪霊操術によって黒い球体へと凝縮され、飲み込まれることで遮断された。
「よくやったよ、真人。君の経験は、私の中で活かされることになる」
夏油は満身創痍の有沢と与を見渡し、冷徹な取引を持ちかけた。
「提案がある。君たちの命と引き換えに、私の存在を口外しないという『縛り』を結ばないか? 君も、今の状態で私と戦うのは得策ではないだろう?」
夏油の細められた眼の奥には、有沢への純粋な警戒が混じっていた。
「……正直に言えば、今の君と事を構えるのは、私にとってもあまりに不気味でね。コストが合わないんだよ」
有沢は自身の呪力の枯渇と、横たわる与の負傷を鑑み、不本意ながらも血を吐くように答えた。
「……わかった。取引成立だ。だがな、次にお前の面を拝むときは、お前の遺影を持ってきてやるからな」
夏油が闇の中へ消えていくのを見届けた後、有沢の意識は一度途切れた。
*
*
*
後日、高専の医務室で有沢が目を覚ますと、そこにはニヤニヤと笑う五条悟が立っていた。
「やあ、お目覚めかな? 有沢」
「……五条先生。与幸吉は、どうなりましたか?」
拘束された与幸吉を傍らに、五条は有沢の戦果を称賛した。
「拘束はしてるけど、無事だよ。君が気絶した後、彼が君を背負ってここまで運んでくれたんだ。……ノーパンで全脚を晒した男を背負って山を降りる彼の気持ち、考えたことある?」
有沢は顔を覆った。与幸吉が、絶望的な敗北の直後に、恩人とはいえ全裸の男を抱えて高専まで歩き通したという事実は、救われた命の重みよりも深い傷を有沢の心に刻んだ。
「特級呪霊を祓えたのは上出来だ。有沢、君は本当に頼りになるね」
「……ええ、祓いましたよ。完膚なきまでにね(夏油が食ったとは言えねえからな、縛りがあるし)」
有沢は与の処遇について五条に問うた。
五条は窓の外を眺めながら答えた。
「内通者だったのは事実だけど、彼は高専側に有力な情報をもたらした。だから今回は、彼が単独で判断して潜入調査を行っていた、という形で上層部には報告しておいたよ」
「有力な情報とは?」
有沢の問いに、五条は真剣な眼差しを向けた。
「渋谷。そこで呪霊と呪詛師が何かを企んでいるらしい。呪詛師の正体までは与も知らないようだけど、大きな戦いになるだろうね」
五条は軽口を叩くように付け加えた。
「次までに、ちゃんとパンツを履く練習をしておきなよ」
その言葉を最後に、有沢の長くて不条理な任務は幕を閉じた。