俺の脳内選択肢が、呪術師としての尊厳を全力で破壊してくる 作:シモケンサンバ
地下鉄構内の空気が、物理的な質量を伴って圧縮された。
呪胎から変態を遂げた特級呪霊・陀艮。
その完全な成体から放たれる呪力は、直前のそれとは次元が異なっていた。
周囲の気圧が急激に変化し、コンクリートの壁面に無数の亀裂が走る。
直毘人が「投射呪法」による加速状態を維持したまま、再度陀艮の死角へと回り込む。
「小僧! 攻撃を合わせろ、二人で一気に攻め立てるぞ!」 直毘人は、五条悟と同類のバカでありながら底知れぬ実力を持つ有沢を明確な戦力として頼りにし、背後に叫んだ。
「七海! 貴様は真希を守れ!」 その指示に呼応するように、七海建人が鉈を構え、真希が呪具を握り直した。
有沢もまた、自作の目隠し(制服の裾)を装着したまま、呪力を練り上げて前線へ踏み出そうとした。
――その瞬間である。 有沢の脳髄を、高圧電流を直接流し込まれたかのような規格外の激痛が貫いた。
「が、ぁっ……!?」
前触れもなく膝から崩れ落ちた有沢の視界に、システムからの冷徹な通知が赤いフォントで明滅する。
それは、かつて彼がメカ丸救出任務において真人と交戦した際、実行を強制された『5連続の黒閃』に関するログだった。
あの戦闘において、有沢は4発目までを命中させたものの、夏油傑の乱入により最後の1発を放つ前に戦闘が強制終了していた。
システムの強制力は、あくまで「当事者間(有沢と真人)」の因果に作用するもの。 第三者介入による強制終了はシステムとしても担当範囲外である。
ただし、システムにおいて「縛りを破った」という事実は残る。
ゆえに、完遂されなかった未完の選択は「負債」として扱われ、別の戦闘時に清算することになる。
そのペナルティの徴収が、よりにもよって特級呪霊との死闘の最中、この瞬間に実行されたのだ。
有沢の体内から呪力が急速に枯渇し、全身の筋繊維が痙攣を引き起こす。
「なに……!?」 突如として有沢が行動不能に陥り、合わせるはずだった連携が崩壊する。
前衛で突出し、次の一手を預けていた直毘人の動きに、致命的な隙が生まれた。
その僅かな綻びを、高度な知性を持つ特級呪霊が見逃すはずもなかった。
陀艮が、両手で印を結ぶ。
「領域展開――『蕩蘊平線(たううんへいせん)』」
周囲の空間が完全に上書きされる。
駅構内の無機質な風景は消失し、陽光が降り注ぐ熱帯の砂浜と、果てしなく広がる海原が出現した。
それは、陀艮の必中効果が付与された絶対的な生得領域。
「死累累湧軍」 陀艮の術式が発動した。
直後、直毘人の腕が、七海の脇腹が、真希の足が、見えない「何か」に抉り取られる。
それは海中から無限に湧き出す、肉食魚や海獣の形をした式神の群れだった。
「術式が発動した時点で既に命中している」という、回避不可能な必中の攻撃により、術師たちは瞬く間に窮地へと追い込まれる。
ペナルティによる身体的硬直で身動きが取れない有沢の全身にも、無数のピラニア型の式神が食らいついた。
肉が裂け、鮮血が南国の砂浜を汚していく。
防戦一方となり、全滅の未来が確定しかけたその時、有沢の脳内に激しいアラートと共にあの選択肢が提示された。
【選べ】
① その場のノリで「領域展開!」と叫び、勢いだけで陀艮の領域を押しつぶす(成功率25%)
② 常夏のビーチに敬意を表し、全裸に貝殻のみを装着して「ヴィーナスの誕生」のポーズをとる
(ふざけるな……! ②は必中効果による物理的な死以前に、人間としての存在意義が完全に終わる!)
有沢は論理的思考を極限まで加速させる。
25%という成功率は、逆に言えば75%の確率で失敗することを意味する。
だが、この絶対的不利な現状を覆すには、こちらも領域をぶつけるしかない。
有沢は①を選択し、血まみれの両手で無理やり印を結んだ。
……が、そもそも領域展開の正しい印など知る由もないため、とりあえず両手でキツネの影絵を作り、「これなら何かすごいのが出そう」という完全にその場のノリだけで指を交差させた。
領域の展開を試みる。
しかし、有沢の周囲に発生したわずかな呪力の結界は、陀艮の圧倒的な領域の圧力と、ペナルティによる自身の呪力乱れによって、シャボン玉のように呆気なく弾け飛んだ。
「……ッ、失敗か!」
「陀艮の領域を押しつぶす」という選択行動を完遂できなかったシステムからのペナルティにより、有沢は大量の血を吐き、さらなる式神の猛攻を受ける。
直毘人が右腕を失い、七海の左目が潰される。 状況は絶望の一途を辿っていた。
その直後、システムから再び選択肢が突きつけられる。
【選べ】
① 「俺の背後には宇宙(コスモ)が広がっている!」と適当なハッタリを叫びながら、陀艮の領域を押しつぶす(成功率50%)
② 浮き輪を持参して「流れるプール最高!」と叫びながら、式神の群れに自らダイブする
(まだだ……! まだ確率が足りない!)
有沢は再び①を選択する。
今度は空間が明確に歪み、陀艮の領域の海水を一時的に弾き飛ばすほどの結界が構築されかけた。
だが、陀艮が有沢を最大脅威と認識し、巨大な海王類型の式神を有沢に直接けしかけたことで、集中を物理的に破壊され、結界は崩壊した。
成功率50%の賭けにも敗北した。 真希が倒れ伏し、七海が限界を迎えようとしている。
外部からの侵入者などというイレギュラーは存在しない。
この領域を破壊する要素は、もはや有沢以外に残されていなかった。
【選べ】
① 「刮目せよ、これが令和の領域展開だ!」とドヤ顔でカメラ目線(※目隠し中)を決め、陀艮の領域を押しつぶす(成功率75%)
② 砂浜で「あはは、捕まえてごらんなさーい」と陀艮と追いかけっこを開始する
有沢は三度、①を選ぶ。 体内の全呪力を振り絞り、印を組む。
空間が黒く染まりかけ、陀艮の「蕩蘊平線」の風景が剥がれ落ちそうになる。
しかし、ペナルティの負債による神経の軋みが、有沢の繊細な呪力操作を狂わせた。 75%という高確率すらもすり抜け、領域の構築は三度目の失敗に終わる。
三度目となる「陀艮の領域を押しつぶす」という選択行動の失敗。
そのペナルティは、内側からの容赦ない破壊だった。 有沢は全身の毛細血管を焼き切られるような激痛と共に、目や鼻、そして口から大量の血を吹き出し、糸の切れた人形のように力なく砂浜へ崩れ落ちた。
もはや虫の息となった術師たちを見下ろし、陀艮はとどめを刺すべく呪力を一点に収束させる。
その瞬間。 有沢の脳内で鳴り響いていた「負債の清算」を知らせるアラートが、静かに停止した。
これまでの「陀艮の領域を押しつぶす」という選択肢の失敗と、式神からのダメージによって、システムが要求する未完のペナルティの支払いが完了したのだ。
そして、四度目の選択肢が視界を埋め尽くす。
【選べ】
① 『現代最強の変態』として領域を展開し、陀艮の領域を押しつぶす(成功率100%)
② 陀艮の頭を撫でて「よく育ったね」と親目線で涙を流す
(誰が現代最強の変態だ、ぶっ殺すぞクソシステム……! だが……ようやく、確率の向こう側に辿り着いたか)
有沢は、折れた足を引きずりながらゆっくりと立ち上がった。
その姿勢には一切のブレがなく、システムによる100%の成功保証が、彼の魂の形を「領域を展開する絶対者」として固定化させていく。
血に濡れた指が、かつてないほど淀みなく、幾何学的に完璧な角度で交差する。
有沢は、特級呪霊の必中領域の中央で、静かにその名を口にした。
「領域展開――『歪想叙事(わいそうじょじ)』」