俺の脳内選択肢が、呪術師としての尊厳を全力で破壊してくる 作:シモケンサンバ
特級呪霊・陀艮の肉体が完全に灰化し、空間を満たしていた南国の領域がガラスのようにひび割れて崩壊していく。
『歪想叙事』の結界が完全に消失したことで、有沢たちは元の薄暗い渋谷駅地下の、ひんやりとしたコンクリートの床へと帰還した。
「……終わったようだな」 右腕を失った肩口を自身の着物で簡易的に縛り、血を止めながら、直毘人が短く、しかし重い息を吐き出す。
七海もまた、潰された左目を手で覆いながら、極度の疲労と呪力枯渇によって肩を激しく上下させていた。
歴戦の一級術師であっても、特級との死闘は命を削るものだった。
「ええ。ですが、こちらの被害も甚大です。それに……」
七海が、残された右目の視線を向けた先。
そこには、生まれたままの姿で立ち尽くす有沢がいた。
『主人公補正』による「俺、またなんかしちゃいました?」というなろう系テンプレの強制発声。
その致死量の羞恥心から、有沢は両手で顔を覆い、全裸のまましゃがみ込んだ。
(なんで!? なんで服は戻ってねぇんだよ!!)
有沢の脳内で、絶望と理不尽に対する悲鳴がこだましていた。
確かに領域の報酬として「劇中の負傷」は完全に治癒し、左肩をえぐり取られた激痛も今は全くない。
だが全損した衣服は、システム的に「負傷」ではなく「仕様」として処理されたらしい。
(領域内で桃太郎を演じきるために全裸になったのに、舞台が終わったら服はそのままって詐欺だろ!!)
その直後、領域により『おばあさん』として結界の安全圏へ隔離されていた禪院真希が、空間の正常化に伴い合流した。
真希は壁に背を預け、ズルズルと座り込んでいた。
意識ははっきりとしているが、陀艮の容赦ない水流や際限なく湧き出る式神の猛攻をその身に受けたダメージが、ここにきて彼女の身体に重くのしかかっていたのだ。
満身創痍という言葉がふさわしく、自力で立ち上がり歩行することも困難な状態に陥っている。
「チッ、急に元の場所に飛ばされたと思ったら……終わったのか。ジジイも七海さんもボロボロじゃねぇか」 真希は荒い息をつきながらも周囲の惨状と、完全に消え去った陀艮の残滓を確認し、微かに警戒を解く。
しかし、その鋭い視線が足元でうずくまる有沢の「全裸」に落ちた瞬間、彼女の顔に明確な生理的嫌悪が浮かび上がった。
「テメェ……こんな状況で、何してんだ」
「違う! これは不可抗力だ! 領域の必中効果のせいで、俺の服だけがピンポイントで強制的に消滅させられてだな——!」
「頼むからそのまま呼吸を止めて、土に還ってくれ」
いつもなら薙刀の石突で容赦なく脳天をカチ割ってくるところだが、今の満身創痍な真希には腕を上げる力すら残っていないようだった。
代わりに、絶対零度の声と視線が有沢の尊厳をゴリゴリと削り取ってくる。
視界に入るだけで呪力が濁る、とでも言いたげに露骨に顔を背けられた。
頭を抱えて呻く有沢だったが、これ以上この場で時間を潰すわけにはいかない。
「……直毘人さん、七海さん。お二人の負傷も深刻すぎる。それに真希さんも自力じゃ動けないみたいです。俺たちは一度地上へ撤退し、後方の救護班と合流しましょう」
有沢は羞恥心を必死に奥底へ押し込め、立ち上がって周囲を警戒しながら撤退を提案した。
「……異論はありません。特級を一体祓えただけでも御の字でしょう。これ以上の戦線維持は無謀です」
有沢の真っ当な提案に、七海が同意する。
直毘人も血の気の引いた顔で短く頷いた。
「カカッ、右腕一本で済んだと考えれば安いものだ。行くぞ、お前ら」
方針が固まり、いざ移動を開始しようとしたその時。
七海が酷く疲弊した声で有沢に問いかけた。
「……有沢君。まさかとは思いますが、あなた、その格好のまま地上まで移動するつもりですか?」
「えっ」
七海の残された右目が、有沢の丸出しの下半身を冷ややかに捉えている。
直後、有沢の脳内に聞き慣れた電子音が響き、視界に非情なポップアップが浮かび上がった。
【 選べ 】
① 動けない真希を背負って撤退することを志願する
② このまま裸で撤退することを強く希望する
(出たよ絶対選択肢!! しかもどっちも地獄じゃねえか!)
有沢の思考が高速で回転する。
①を選べば、動けない真希を運ぶという「名目」は立つ。だが、よく考えろ。
全裸の男が、年頃の女子高生を背負って移動するのだ。
肌と肌が触れ合う密着状態。間違いなく、背後から首の骨を折りにくるだろう。
生き延びたとしても社会的な死、いや、普通に事案として逮捕される。
消去法だ。有沢は血の涙を流す思いで決断した。
「……ええ、このままで行きます。俺はありのままの姿で撤退を希望します」
「正気ですか? せめて周囲の瓦礫から布切れの一枚でも——」
「いいえ!! 俺はこれでいいんです!! むしろこれがいい!!」
「……そうですか。」
七海は深く溜め息をつき、それ以上の制止をあっさりと諦めた。
特級呪霊との死闘で限界を迎えており、全裸の男の奇行にいちいちツッコミを入れるほどの気力すら残っていなかったのだ。
七海は深く溜め息をつき、制止するのを諦めた。
これ以上の対話は自身の精神衛生上良くないと判断したらしい。
七海は有沢から完全に視線を外すと、座り込んでいる真希へと歩み寄り、肩を差し出した。
「真希さん、私に掴まってください。あの全裸の不審者に背負われるよりは、幾分かマシでしょう」
七海の提案に真希が応じ、片目を失ったサラリーマンが満身創痍の少女に肩を貸す形で、ゆっくりと立ち上がる。
一行は警戒を維持したまま、渋谷駅の地下から地上ルートへの撤退を開始する。
先頭に片腕の老人、その後に片目のサラリーマンと歩くこともままならない少女。
そして——堂々と全裸で行進する男。
あまりにも異様で狂気に満ちた集団だったが、奇跡的に道中で他の呪霊との接触は発生しなかった。
地上付近の比較的安全なエリアまで後退し、さらに後方――家入硝子をはじめとする高専の医療スタッフが待機している拠点へと歩を進める。
そこに、待機命を受けていた釘崎野薔薇と補助監督の新田明が駆け寄ってきた。
「ちょ、七海サン!? 直毘人サンも大怪我じゃないスか!」 新田が慌てて駆け寄り、釘崎も血まみれの七海と直毘人を見て表情を強張らせる。
「七海さん、真希さん……って、ちょっと待ちなさいよ。そこの変態は何?」
釘崎の鋭い視線が、堂々と直立する全裸の有沢を捕捉する。
彼女の顔が、汚物を見るようなそれへと瞬時に切り替わった。
「ち、違うんだ! 領域内で俺が『桃太郎』の配役を成立させるためには、桃から生まれたばかりの姿、つまり全裸にならなきゃいけなくてだな……!」
「は? 桃太郎になるために裸になった? アンタついに脳みそまでイカれたわけ?」
「見ない方がいいぞ野薔薇。目が腐る」 真希が疲労困憊の中でも、吐き捨てるように言う。
「家入さん! すぐに負傷者の手当てを!」 七海の呼びかけに応じ、臨時テントから家入硝子が姿を現した。
彼女は凄惨な怪我を負った直毘人と七海を見て眉をひそめたが、その直後、堂々たる全裸の有沢に気づいて目を丸くした。
「……おい、なんだその露出狂は。ここは救護所だぞ」 家入のドン引きした声が響く。
「いや、だからこれは不可抗力で! 俺だって好きで脱いでるわけじゃ——」
有沢が必死に弁明しようと口を開いた、まさにその瞬間だった。
突如として、急激な目眩が有沢の脳髄を激しく揺らした。
アドレナリンで麻痺していた感覚が切れたのか、全身の筋肉が一気に鉛のように重くなり、足元のコンクリートがぐにゃりと波打つように視界が回転し始める。
(な、んだ……これ、急に、体が……)
領域展開に伴う莫大な呪力消費と、特級との死闘で蓄積された肉体的な過負荷。
それらが今、完全に許容範囲の閾値を超越したのだ。
バランスを崩した有沢は、どうにか体勢を立て直そうとするものの、脳への血流が急速に低下していく感覚に抗うことができない。
「……あ、」
掠れた呼気を漏らしたのを最後に、有沢の意識は急速に暗転した。
前のめりに倒れ込む彼の体を、新田が悲鳴を上げながら辛うじて受け止める。
「おい、有沢!? ふざけてる場合じゃ——」 釘崎が顔をしかめる。
しかし、有沢は深い昏睡状態に陥り、ぴくりとも動かなかった。
「……安心しろ、死んじゃいない」 家入が呆れたように煙草の煙を吐き出しながら、有沢の首筋に触れて確認する。
「命に別条はない。ただ、無茶な呪力の使い方をしたせいで極度の疲労状態に陥ってるだけだ。しばらく目は覚まさねぇだろうな」
家入はそう皆に告げると、彼を手荒に担架へと転がした。
——有沢が深い眠りに落ち、意識を手放している間。
世界は、致命的で取り返しのつかない分岐を迎えていた。
両面宿儺の顕現による、渋谷広域の無差別虐殺。
最強の呪術師・五条悟の封印完了。
そして、羂索による無為転変の遠隔発動と、呪霊の大量解放。
東京は一夜にして壊滅し、日本のインフラは完全に機能不全に陥った。
呪術界の勢力図は塗り替えられ、生き残った者たちもまた、それぞれに地獄のような現実と向き合うことを余儀なくされていた。
*
*
*
有沢が再び重い瞼を開けた時。
そこは冷たい病院の天井の下だった。
消毒液の匂いと、規則的な電子音。
身体を起こし、窓の外へ視線を向ける。そこには、見慣れた日常とはかけ離れた、廃墟のような結界の空が広がっていた。
「……ここは?」
彼はまだ知らない。
生き残った仲間たちがどのような状況に置かれているのか。
そして、この狂ったデスゲームにおいて、自分がどのような配役を押し付けられるのかを。