鮮血が散った。
己のものではなく、眼前の女から溢れたものだった。
鉄の錆びた匂いが漂う。しわひとつなく纏われた着物が、腹部から流れる血を啜って鮮烈に色付いていく。
「直哉様、ご無事ですか……?」
なんやの、それ。
負傷した女の言葉に、至極当然のように疑問が湧いた。
「なんでや」
痛いだろう。
苦しいだろう。
痛みで泣きたいだろう。
苦しみで叫びたいだろう。
だというのに、真っ先に意味のある音になったのが、他人の安否を確認する内容であったものだから。年端もいかない少年――禪院直哉は、胸を締め上げる感情のままに疑問を口にした。
「なんで死にかけのアンタが俺の心配なんてせなあかんの」
至極当然の疑問だった。
ただし少年の生まれ育った環境でなければ、と注釈がつくが。
死にかけの人間と、傷ひとつない人間。どちらが優先されるべき存在であるか。年齢や性別、関係性等の事情は考慮されるのだとしても、真っ当な環境に生きる人間であれば前者を選択するだろう。しかしながら、その常識観念に直哉という存在は含まれない。というのも、直哉は生まれながらにして勝者の立場にいた人間だった。
呪術界において、長い歴史と権力を誇る三家がある。
御三家と呼ばれる一角が、直哉の属する『禪院家』だ。
血統術式至上主義で男尊女卑な封建的な家である。相伝の術式を引き継いでいない者は落伍者として人生を歩み始めることとなり、そのなかでも女性は落伍者の呼び名すら生ぬるい扱いを受けることも多い。そんな家に産まれ落ちたのだから代々血筋によって伝わる相伝の術式を受け継いだ直哉を取り巻く環境といえば、想像に難くないだろう。
血脈を次いでいく。圧倒的な力を誇るからこそ後世に残そうと継がれていく。
血筋で繋いでいく。純粋な強さゆえに、時として手段を選ばずに継がれていく。
強ければ、たとえ誰に何を――貶そうが、蔑もうが、辱めようが、蹴落とそうが、軽んじようが、嘲ようが、犯そうが、卑しめようが――しようとも許される。とんでもない極論であるが、それが罷り通るのが禪院家相伝を継いだ人間の立場だった。
ろくでもない。時代錯誤も甚だしい。
古臭く、カビでも群生してそうな、吐き気のする思想に顔を顰めて。
(待てや、どないなっとんねん)
そんな環境で育ってきた禪院直哉に相応しくない考え方に、唐突に浮かんだ疑念。瞬間、思考回路が弾けた感覚。誰のものでもない記憶と感情が、血管という血管を焼き切ろうとするように駆け廻る。
「……笑ける」
いや、ちっとも笑えへん。
狭まっていく視界。落ちていく意識。
くそったれた世界への呟きとともに、暗転。
『禪院家に非ずんば呪術師に非ず』『呪術師に非ずんば人に非ず』
禪院家でなければ呪術師ではない。呪術師でなければ人間ではない。
日本国憲法も驚愕で目を見開くだろう意味を持つのは、禪院に生まれた子どもたちが、子守歌よりも先に覚える謳い文句である。
「あかん」
言い聞かせられ過ぎて諳んじれるようになってしまった口上に、現在進行形で異議を唱えるのは禪院直哉という名の少年だった。
周囲に人がいないのは確認済みだし、声量は囁く程度の大きさだ。この家の思想に浸かった人間に聞かれれば面倒……ではなく大変なことになるのは理解している。呟きひとつにしても神経を使わなければならない現状に、ついつい子どもらしからぬ溜息がこぼれた。
「あーあ、なんでこないなことになってしもたん」
禪院家相伝を受け継いだ直哉は、解答を期待せずに空に問いかけた。
整った顔立ちに、憂いの満ちた表情。子ども特有のまろさの残る、育ちかけの体躯。大人の境目という、絶妙な均衡の成り立った雰囲気の少年が空を見上げる様子は、今にも消えてしまいそうな儚さがあった。
だが、他でもない直哉自身こそが、中身に可愛げの欠片も備わってない自覚があった。
(やって、ガワだけやもんなあ)
遠い目をした直哉は思う。どうしてこうなった、と。
なにせ以前の自分には〝呪い〟などという不可視の存在は見えなかったし、それこそある意味魔法のような不思議な術を使えた体験もなかった。そもそも名家と呼ばれるような家庭で育ったわけではなく、むしろどこにでもあるような一般家庭に生まれ育ったはずである。
(なのになにがどうしてこうなった)
頭を抱える直哉には、なぜだか幼子が持て余すほどの記憶がある。
ひとつ、禪院直哉という子どもの記憶。
ふたつ、■■■■■という大人の記憶。
常識的に考えて「あり得ない」出来事だが、事実は事実である。
きっかけはそう、女中を供に散歩でもしようかと庭に出たときのことだった。ゆっくりとした歩幅で歩く直哉の前に、突然、後ろに控えていた女中が飛び出したのである。同時に、一瞬にして視界が赤く染まった。何者かに襲われた直哉を、女が庇ったことに他ならなかった。
顔を隠した襲撃者は、自らの刃が直哉に届かなかったとみた途端に撤退した。撤退後の現場に残ったのは、直哉と、それから血塗れの女。
「直哉様、ご無事ですか……?」
瀕死の状況にも拘わらず、女は真っ先にこちらの身を案じた。
衝撃だった。
ふざけるな、と思った。
息も絶え絶えの状態でまず直哉の安否を確認し、かつ助けを求めることもないのである。大人として当然、という話ではない。直哉を守って死ぬのは当然、という意思さえある言動だった。
——なんやの。
そのときの直哉は戸惑った。
理由が分からなかった。意味が分からなかった。特別でもなんでもない自分が、身内ですらない誰かが命を懸けてまで守る存在であることを、到底信じられなかった。
「――なんでや」
そして。
御三家が一角『禪院』に生まれた自分が、どうしてそんな疑問を抱いたのか。
溢れた記憶は、山火事のようだった。焦がし、焼き尽くさんと、身体中を廻る存在しないはずの――■■■■■という大人の――記憶の数々。幼い身体に燃え広がる情報が重なり、混ざり、溶け合って。
そうして現在の禪院直哉が生まれたのであった。
外身と中身がちぐはぐな直哉には、誰にも言えない秘密がある。
ふたつの記憶が脳内に収められているのは当然として、輪をかけて秘匿していなければならないのは「この世界の行く先を知っている」ということだ。
今の直哉が存在する限り俗に平行世界と呼ばれる可能性もあるが、少なくともあるかもしれない未来の、そのひとつを完全でないとはいえ知っているということ。誰も知らないはずの情報を握っている。このことが外部に漏れれば、相伝を継いだ直哉とてまだ幼い、他人の好きなように利用されてボロ雑巾と同じく捨てられるに違いなかった。
結果、原作のことは錨をつけて心の底に沈めている。
使い方を誤れば即死だが、ふたつの記憶が合わさったことによって、現状認識が上手くできたのは僥倖だった。おかげで狸がわんさかと住まう魔窟で、のらりくらりと面倒事を躱しては、そこそこ良い感じに立ち回っている。
ときに優秀な後継ぎ候補として。
ときに心優しい少年として。
ときに可愛げのある子どもとして。
気取られないよう慎重に、けれど鯛を釣るため大胆に。笑顔の裏に隠した打算は今のところ見抜かれたことはなく、このまま騙されていてくれよ、なんて可愛いらしくないことを考えている。
(ま、お互いさまやし)
結局のところ、一言に尽きる。
禪院家の当主候補に選ばれた直哉を利用したくて、周囲は良い顔をして近付いてくる。家の存続のために教育を施して、第二第三の禪院の子どもを育てていく。
だからお互い様だった。
さて、ここで原作の禪院直哉という男についてである。
古くから続く呪術界の思考に染まりきった人間だった、と今の直哉は思う。
血統術式至上主義。男尊女卑の思想。
強烈な自己愛。強者への憧憬と羨望。
強ければ何をしても許されるとばかりの傲慢な態度に、青筋を立てた方々も多いのではないだろうか。かく言う自分もその一人である。
誰の腹から生まれてきたと思ってんだ。女の腹からやぞ、倫理観奈落の底野郎。
躊躇いもなく十五の子どもを殺す言うたのはどの口や。どっちがドブカスやねん。
つい溢れた罵倒は多分こんな感じだった。
生まれ育った環境を思えば致し方ないことだったのかもしれない。元より跡取り候補としての根回しもあっただろうし、ぽっと出の若造に当主の座を取られるなど、名家に生まれ蝶よ花よ勝者よ持つ者よと育てられた矜持が許さなかったことだろう。同じ状況下に置かれている直哉だからこそ、ほんのちょっとだけ原作の彼の思考には同調も妥協する。
でも、だからと言って許せねえもんは許せねえのである。
崇め奉って敬いたまえとは言わないが、他者に対するリスペクトは人間関係を構築するうえで抜かしておけない要素だ。尊敬できない人間も一定数存在することは確かであるが、少なくとも越えてはいけない一線というものがこの世にはある。
一線を軽々しく越えていける人間がいるだけで。
あろうことか、そんな人間に「今の禪院直哉」は成り代わったわけであるが。
美形に分類される顔の造形。
見た目にも動くにも均整のとれた身体。
禪院の子どもとして恵まれた術式。
しかも自動翻訳でもついてるのか、普段の会話では意識せずとも方言に変換される。(もちろん標準語も話そうと思えば話せるし、まあ方言に囲まれれば癖付くのかもしれない)
以前とは何もかも違う環境に置かれ、そのうえ確実に巻き込まれる立場に成ったのだ。
もしかして、前世の自分は何か業深い罪でも犯したのだろうか。確かに火のないところに煙を立たせるオタク趣味は業深かったかもしれないが、こんなにもハードモードな世界に放り込まれるほど、ひどいものだったろうか。
価値観を金槌で砕かれていくような日々だ。
繰り返し響く。何度も響く。
声が『禪院家に非ずんば呪術師に非ず』する。そんなはずがないのに『呪術師に非ずんば人に非ず』誰かが人間から家畜へと落とされていく。才能を持って生まれたから呪いを祓うのに『禪院家に非ずんば呪術師に非ず』もっと貪欲に強くなれと『呪術師に非ずんば人に非ず』他家に負けるなと『禪院家に非ずんば呪術師に非ず』『呪術師に非ずんば人に非ず』教育されて指導されて躾けられていく。
痛くて苦しくて寒くて暑くて悲しくて寂しくて狂っていて。
なによりも、怖くて恐ろしくて。
呪霊が怖くて、人間も怖くなった。
いっそ真っ新な状態からの教育であれば、禪院の家訓に染まることができた。恐怖を抱くこともなく、罪悪感を抱くこともなく、禪院の家訓のままに生きることができた。
それでも。
以前の記憶が、残された価値観が。
——これは間違っている。
そうやって耳元で囁いて、禪院に成りきることを許さない。
術式の有無で待遇が変わることも、女が冷遇されることも、意味もなく暴力が振るわれることも、血の繋がった兄弟が血で血を洗う争いを起こすのも、感情に振り回された采配も、甘い蜜を吸う大人がいることも、何をしても許されると考えている人間がいることも、ぜんぶ、全部間違っている。
「せや」
なんで思い付かんかったんやろ。
ほたり。息苦しい檻のなかに降ったそれを、未来の直哉は何と呼ぶだろうか。
「俺が当主になったる」
奇しくも原作の禪院直哉も掲げた内容と同じだった。
禪院家の頂点に立つ。そして何人足りとも侵せぬ玉座に坐して。
「当主になって、全部変えたる」
少なくとも現在の直哉は、それを野望だと思った。