禪院直哉の想望   作:端取合

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日射の元では生きられず、星の元でも生きられず、さりとて暗闇では生きられず


伏黒甚爾の希望

 「大きなったなあ」

 

 子どもたちが寝静まった夜、リビングにて。

 伏黒甚爾は、我が子の成長を心底嬉しそうに話す従弟を、酔えもしない酒を片手に相手していた。

 

「年寄りみてぇなこと言ってんじゃねぇよ」

「ひどない? こんなピチピチの若者捕まえといてそない言わんでも」

「捕まえてないし、中身はピチピチというよりもビチビチだろうが」

「活きが良すぎやん」

 

 打てば響くような軽口を返し返される従弟――禪院直哉は、どうにも自分の破天荒さに自覚が足りないらしい。

 禪院家の人間にしては珍しい毛並みをした直哉は、こうして時折、家の者の目を盗んでは伏黒宅にやって来る。いつだって唐突に、どこまでも気ままなように、酔えないからと断る甚爾の元に、ふらりと酒を土産に訪れる。

 ――禪院家次期当主候補有力者

 大層な肩書きを負う直哉に思うところがないと言えば嘘になるが、家をおん出てやった甚爾には何をどうこう言う権利もない。

 ただ残念なことに無関係だとは断言できないのである。

 

「……恵は……」

 

 伏黒恵は甚爾の実子だ。

 呪力がまったく備わってなかったために禪院の落伍者として育てられた甚爾だが、血筋は確かに禪院のものだったらしい。自身を飛び越えて子に表出した資質は生まれついての勝者そのものの証で、けれど甚爾は我が子が才に恵まれたことを喜べなかった。

 

「ありゃあ持ってる側の人間だ」

 

 恵が持って生まれてきた、甚爾は持たなかった才能。

 落伍者としての扱いを享受するしかなかった家で、もしも甚爾に恵のような術式があれば、心を削られることなく生きられたかもしれない。少なくとも呪霊の群れに放り込まれたりなんて過去はなかった。今となっては息苦しい環境を抜ける選択ができて良かったと思えるものの、腹底にべったりと張り付いた負の経験が消えてなくなるわけじゃない。

 否応なしに掘り起こされる記憶に、少しだけ呼吸が浅くなって。

 

非術師()の俺の血を継いだ術師(人間)の恵)

 

 喉奥にせり上がってきた劣等感に、甚爾は頭を振った。

 心の芯から摩耗した甚爾には、ぽっかりと空いた隙間を埋めてくれるひとがいた。忘れることはできなくても、考えなくても良いとでも言うように傍で支えてくれるひとがいたのだ。

 人間である甚爾の手を握ってくれたのは、今は亡き妻だった。

 離しがたい温度はもう近くにはないが、彼女は恵を残してくれた。妻の死後、自暴自棄になりそうだった甚爾が、その温もりにどれほど心を救われたか。

 そして。

 おまけとばかりにもうひとり。この目の前で堂々と飲酒する直哉という未成年が、甚爾にとっての分岐点のひとつであったことは疑いようもない事実だった。

 

 

 

 

 ――おかしなガキだ。

 

 禪院甚爾にとっての「禪院直哉」という少年の第一印象はそんなものだった。

 禪院家に生まれた、相伝術式を受け継いだ子ども。家にとっての価値は計り知れず、甚爾の目から見てもまるで殿上人もかくやな待遇を受けていた。

 目に入れても痛くない子女の教育方針が「蝶よ花よ」であるのなら、直哉の教育方針は「蜂よ蜜よ」である。ちなみに蜂は蜂でも毒蜂のほうだ。家のためにと詰め込まれる知識と対呪霊の鍛錬、苛烈極める教育とは裏腹に大人たちの直哉への媚びへつらいは黒い泥沼のように甘やかだった。

 両手にも満たない齢で、禪院直哉の才能はどこまでも研ぎ澄まされていた。

 持たざる者である甚爾は、恵まれた直哉を横目で見ているだけだった。羨まし、かったのだろうか。今でもわからない。親から期待をかけられるのも、周囲から大切にされるのも、甚爾にとっては分からないものだったから。

 

 

 

 ある日のこと。

 ただの傍観者でいた甚爾に転機が訪れる。

 理由は覚えていない。分かったところで避けられるはずもないし、どうでも良かったから記憶にないのだし。いつものように殴られている最中のことだった。

 

「猿のくせに」

 

 いくら甚爾の身体が他人よりも頑丈な作りとて、決して無痛なわけではない。暴虐のなかで、甚爾は猿――「人間以下」と蔑まれていた。

 

(いつものことだ)

 

 出自は選べず、

 環境もまた同じく、

 才能ともすればなおさら。

 自分にはどうすることもできない理不尽に身を任せ、甚爾は諦観に沈んでいた。反撃も、できないことはなかった。だが、呪力を持った人間を傷付ければ面倒なことになると身を以って知っていたから、無抵抗に暴力を受けていた。

 

「何してはんの」

 

 凛と、声が響いた。

 子どもである甚爾よりも、なおも幼い声が、高さに見合わぬ響きで場を支配でもするように落とされた。

 

「直哉、様……」

 

 呆然とした呟きとともに暴力の嵐が止んだ。

 地面を擦る音がして伏した顔を上げると、甚爾よりはずっと持った者がひれ伏した姿が見えた。

 

「お前さんら、何してはったの」

 

 まろく小さな身体から発せられたのは、真冬の倉庫よりも冷たい声だった。

 お綺麗な顔に浮かべた笑みは柔らかく、口調こそ穏やかであるのに、背筋に刃を当てられているような気さえした。

 

「……猿が!」

 

 甚爾に手を上げた者たちは一様に縮みあがって、そんで声を張って言い募った。

 

「猿がおったんです!」

 

 猿、と書いて「さる」と読む。

 禪院であるのに呪術師ではない。つまり人間ではない甚爾の、ここでの呼び名だった。

 

「そうです! 立場を教えてやろうかと思ったんです」

「ここは禪院、屋敷は人間の住まう場所。猿は家畜で、這いつくばっているのが世の通りでしょう」

 

 早口に捲し立てる主張に、甚爾は瞼を閉じた。

 視界を夜闇に落とす器官があるのなら、完全な沈黙を与えてくれる器官も備わってくれていたら良かったのに。尖った五感を恨んで、もうどうにでもなれと身体を弛緩させた。

 人間様の言うように、この場の責任はきっと甚爾が負わされるのだろう。何せ猿なので。

 しかし甚爾の諦観は切り裂かれる。

 

「ならお前さんらは猿一人に多数でかからな躾もできん無能やんな」

 

 こともなげに言った。息を呑んで言葉を重ねようとする彼らに、幼子は「いねや、無能はいらん」断言した。

 甚爾を猿と蔑んだ人間が、この幼子の前では無能に成り下がる。彼らは弁解も許されず、御前を下がることを余儀なくされた。

 

 

 

「で――君が天与呪縛の甚爾君やんな」

 

 理不尽から連れ出された甚爾は、なぜだろうか、直哉の部屋で歓待を受けることになった。

 

「甚爾君は甘い物嫌いなん?」

 

 差し出された甘味に手を付けることもできず、甚爾は借りてきた猫のように大人しくすることしかできなかった。

 人間を無能に引きずり落とすような立場の人間だ、何が原因で不興を買うか分からない。気分は象の足元にいる蟻だった。下手に動けるはずもなく、出来ることと言えば平伏するのみ。

 

「んー、やったら命令な。俺と一緒に食べてや」

「……はい」

「堅うてかなわんな。もっと砕けた調子で話せへんの」

「直哉様相手に恐れ多いことでございます」

「つまんな」

 

 ――俺のセリフだっての。

 無表情の裏側、内心で毒吐いた言葉が。

 

「俺もそう思うで、禪院つまらんよな」

「……っ!」

 

 読まれたのかと考えてしまうほどの投げかけだった。

 

「ま、皆はそう考えてないみたいやけど」

 

 特に気にしたふうでもなく、直哉は菓子を摘まんで、その小さな口に欠片を迎え入れた。

 

 

 

 直哉との邂逅をきっかけに、甚爾の生活は少しだけ色を変えた。

 表向きの扱いは変わらない。が、時々次期当主候補の元を訪ねるようになった。直哉の元にいる間は、少なくとも暴力を受けることはない。物も食わしてもらえる。

 何より。

 

「ほんに勿体ないなあ」

 

 甚爾に向けて紡がれる直哉の口癖が、そう、悪くなかったので。

 術式持つ者が甚爾を人間扱いしないなかで、最も当主の座に近いのに、甚爾を人間として接する。そうして、この天与呪縛――呪力がまったくないことと引き換えに手にした強靭な肉体――を、得難い才能であるかのように話すのだ。

 異質だった。

 奇異だった。

 異端だった。

 伝統に縛られた世界で、直哉だけが違った。

 禪院に生まれ育ち、けれど禪院に根差さない直哉は、まるで人間の皮を被った化け物のようであった。普段は飄々と禪院らしく振る舞い、息苦しさしかない家のなかを上手く泳いでいく。

 噎せ返るような重みを小さな身体に背負って、さながら蝶のごとく軽やかに、しかれども蜂のごとく毒針を隠し持って、静謐な表面と苛烈な裏面を携えて生きているのだ。

 甚爾にとっての直哉はそういう生き物であったし、彼のなかでは確かに〝化け物〟であった。

 

「甚爾君、こんなとこ出たほうがいいで。その身体能力でも活かしてオリンピック選手にでもなったらどうや。あっちゅう間にスターになれんで」

 

 ――英雄(スター)

 

「ああ、顔もええんやしアイドルとか。ファンが押し掛けるようになんやろうな。先にサインでももろうとこか」

 

 ――偶像(アイドル)

 

「……お前、どこでそんなこと覚えたんだよ」

 

 この頃ともなれば、お互いに分厚く被った猫は剥がれきっていた。口調も態度も砕けに砕け、遠慮などはどこかに消え失せていた。

 

「? こんなん一般常識やろ」

「一般常識ねえ」

「そないおかしいことやの?」

 

 直哉は、魔窟での教育を受けたにしては一般常識というやつをなかなか知っているふうだった。

よくもまあジジイからこんな歪な生き物が生まれたものだ。

 ただ直哉の異質さが、甚爾の生活に彩りを添えたことは、悔しいながらに真実だった。

 

 

 

 

「大丈夫や」

 

 直哉は言った。相も変わらず穏やかな笑みだった。

 纏う雰囲気は出逢った頃よりも、すっかりと大人のものになってしまっていて、月日の流れを痛感した。

 

「恵君をこっちには来させへん。甚爾君は禪院のことはなあんも心配せんでええ」

「直哉……」

 

 手を差し伸べられている。

 助けられている。

 救われている。

 禪院で冷遇されていたときも、家を出奔したときも、妻が永遠の眠りについたときも、――こうして我が子が地獄に踏み込む才を持っていることが分かった今でさえ、いつだって直哉は真っ当だった。

 

「そん代わり、言うても甚爾君にとっては当然のことやろうけど、ちゃんと守ったってや。子どもは自分らが思うとるよりもずっと強いけど、同じくらい弱いねんから」

「……ああ」

 

 甚爾がそうであったように、恵もまたそうだ。だからこそ甚爾を直哉が守ったように、今度は、甚爾が恵を守る番だった。

 

「お父さん……?」

 

 ふと。トタトタと軽い音がしたと思ったら、少女――津美紀が扉から顔を覗かせた。

 

「誰か来てるの?」

 

 眠気眼を擦りながら近付いてくる義娘の、はて、養子縁組をしたのはどういう経緯だったか。すっぽ抜けた記憶は思い出せないが、覚えていないということは、やっぱりどうでもいいということだったのだと思う。血の繋がりはなくとも津美紀は確かに家族で、目に入れても痛くない娘であった。

 

「お、津美紀ちゃんはますます別嬪さんになっていくなあ」

「嫁にはやらんぞ」

「気が早いし、いつか誰かと結婚するかもしれんし、そもそも俺は嫁に迎えたいて言うたことないやろ」

「テメェ、俺の娘が力不足だってか」

「うわっ、メンドクサ!」

「うるせえ、少なくとも俺より強い男にしか任せられん」

「無理ゲーやん? 結婚さす気どころか恋人すらできんのとちゃう?」

 

 息子も可愛いが、娘はまた違う可愛さがあるのだ。

 ドン引きした目で見てくる直哉を睨むと「おー、コワいコワい」とわざとらしく腕を擦る。軽薄な仕草が妙に似合うな、こいつ。

 

「お兄さん、津美紀のこと知ってるの?」

 

 きょとん。小首を傾げて津美紀は尋ねた。

 

「あー、こうやって会うのははじめましてやったね。俺は――禪院直哉言います、どうぞよろしゅう」

「はじめまして、直哉君。私の名前は津美紀です」

「直哉君かあ。女の子には敵わへんねえ」

「えっと……津美紀、勝ったの?」

「おん。津美紀ちゃんの勝ちも勝ち、大勝利や」

 

 悪くない人間と愛娘とのやり取りに、意図せず口元が緩んでいくのが分かった。

 ここに妻がいれば、と思う。でもってここに恵が起きてくれば、とも思う。

 そうすれば甚爾の好きなものが勢揃いするのに、なんて詮無きことを考えた。まるで幼子の戯言だ。甚爾は鼻で笑った。

 

(本家の人間が見たら二度見すんだろうな、この光景)

 

 出奔したと言えど禪院出身(術師の系譜)。甚爾とて独自の情報源くらいはある。

 噂に伝え聞く本家での直哉の評判は、まあなんだ、良いものではない。やれ任務で一般人を巻き込んで殺しただとか、やれ離れに女を複数囲っているだとか、やれ逆らった人間を再起不能にしただとか……――悪い話題に事欠かない人間である。

 そんな直哉がこんな伏黒宅では、こんなにも和やかに過ごしているのだ。面白いったらありゃしない。

 

「なあ甚爾君」

「なんだ」

「津美紀ちゃんめっちゃ可愛ええな」

「嫁にはやんねえぞ」

「褒めただけやのに飛躍させんとって。子どもが可愛ええんは世界共通や!」

「愛に年齢は関係ないだろ」

「カーッ! 正論のはずやに甚爾君に言われたらなんや腹立つ」

「なんでだよ」

 

 甚爾は愛を得た男であるというのに遺憾である。

 不意に、軽口が止んだ。一瞬だけ忍び寄ってきた静けさを追い払うように、真面目な表情で直哉は言った。

 

「子どもは宝物やよ」

 

 ――未来を生きて、作っていくんや。

 小さな頭を撫でる手つきは、ひどく優しかった。理想でも語るみたいな声音は温かく、津美紀は居心地が良さそうに身を任せている。

 

(悪くねえ)

 

 波乱の幼少期とは反対に、ここには穏やかな時間が流れている。

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