人間には役割がある。
人様の言葉を借りるのであれば「歯車のひとつ」でしかない。
最終的に突き詰めると世界の中心は〝己〟という自我の塊である。まずは自分自身が存在し、他者を認識し、そうして自らを軸として成り立っていくものだ。主観に満ちた世界での他者は有象無象に等しい。
けれど
千年に一人の逸材である虎杖悠仁のような、最強を覆す可能性を秘めた伏黒恵のような、腐ることなき高潔さを誇る釘崎野薔薇のような、どこまでも輝かしい天つ才である五条悟のような、――幸か不幸か、真の持ち得る者たちのことだ。
物語の主役。
世界の中心。
彼らは一様にして、生まれながらに凡人が持ち得ない〝何か〟を持っている。
渦潮の中央に坐して一望する景色を想像してみる。やはり美しいだろうか、あるいは眩しいのだろうか。それとも醜いだろうか、はたまた薄暗いのだろうか。
それがなんにせよ、共有のできない眺めに違いない。だって、彼らは世界に対して特別な役割を持つのだ。
――だとすれば、本来の禪院直哉の役割はなんだったのだろう。
呪術界の因習を凝縮した模範例だった、と現在の直哉は思う。
非術師の絶対的な守護者――崇高な理念を掲げた呪術界の在り方は、けれど裏側の世界を長らく支配下においてきたが故に腐敗することとなった。大輪さえ萎れ、花弁は散り、茎は枯れ、根は腐る。壌土が瘦せこけた地には、残った養分を吸い尽くそうと、どこまでも生と特権に貪欲な生き物が巣食っている。
そんな魔窟に住まう人間の在り方を、読者に分かりやすく提示するためのモデルケースが、禪院直哉であったのではないだろうか。今となっては意味のない自問自答であるが、考えずにはいられないのが現在位置だった。
「皮肉やなあ」
直哉は口元を歪めた。
自らの肉体に刻まれた名前を、ゆっくりと舌の上で転がしてみる。
――なおや
――直哉
〝直〟は「正しい」「真っ直ぐ」の意味がある。
そして〝哉〟は詠嘆、つまり強調だ。
――嗚呼、正しさよ
――嗚呼、真っ直ぐさよ
「……アホらし」
この在り方の、どこが正しいものか。
この生き方の、どこが真っ直ぐであるものか。
あるはずのなかった存在である直哉には、いつだって歪な影が纏わりついている。どこに行くにもぴったり張り付いてくる気配は、責めるようにも嘲るようにも感じられて、どうにも息が詰まるけれど。
すべてを放り出して、逃げてしまいたくなることもあるけれど。
「直哉様、お時間です」
「おおきに」
障子の向こうからの呼び声に、沈み込んでいきそうな思考が引き戻される。
――ああ、そうや。
(俺は、俺が為すべきことを為すだけや)
それがたとえ、すぐに実を結ばぬものであるのだとしても。
歩みを止める理由にはならず、逃げる言い訳にもなりえない。
「ほな、いこか」
行き先は大広間、悪鬼羅刹が集う場所。
禪院家次期当主候補最有力者である直哉は、また一歩踏み出した。
相伝術式を受け継いだことは、直哉が当主の座を勝ち獲るために有利に働く一因であるが、次期当主候補最有力者に躍り出た直接の要因でないのは、禪院に生きる者にとっては周知の事実だった。
【投射呪法】
ひとつ、一秒を二十四分割、己の視覚を画角とみなし、あらかじめ動きをアニメのコマ内の要領で作成。その後、作った動きを高速で
ふたつ、作った動きは途中で修正できず、過度に物理法則や軌道を無視した動きは自分もフリーズする。
みっつ、適応範囲は術者、および術者に触れられた物。
つまり「一秒間を二十四分割にした際の動き」を「物理法則」に逆らわない程度に「一/二十四秒の内に設定」し、あらかじめ設定した動きを「
術式がなければ意味はなく、しかれども術式だけでも成り立たない。
求められるのは
「集まったか」
この術式を以ってして最速の術師と呼ばれる直毘人こそ、禪院家現当主である。
厳かな声に反応して、広間に集まった者たちは一斉に畳へと額づいた。豪快な音を立てて上座へと向かう直毘人の足取りに老いの二字はいまだ見えず、盤石として揺るがぬ威光が差して見えるようだった。
「皆、壮健そうで何より」
才能が物を言う世界で、御三家が一角の頂点に坐す男が口上を述べる。
次いで「面を上げよ」と続けられた言葉に、一糸乱れぬ動きで全員が顔を上げる様子はいつ見ても壮観だ。老いも若きも関係なく、才能でのし上がってきた当主の前では、その者が培ってきた功績こそが最も考慮される。どんな手段で得たものだとしても。
この会合は、そういった者たちの集まりである。
「さて、さっそく話し合いをはじめようではないか!」
盃ではなく、一升瓶。
御年の健康にはちっとばかし過ぎたる量の酒を片手に掲げ、直毘人は開会を告げた。
「直哉様がいらっしゃれば、いずれ五条も下せる日が来ようて」
夢見心地で紡がれるそれは。
酒が回ってくると必ず誰かが口にする話題だった。
「違いない」
「五条の奴ら、いつか目に物見せてくれるわ」
「たかだか目が良いだけの連中が」
一人の言葉を皮切りに次々と溢れてくるそれらを。
直哉は普段より念入りに表情筋を総動員して作った笑みで受け流した。
五条家――禪院家に並ぶ、呪術界御三家が一角。
対象の術式を看破し呪力を探知できることによって微細な呪力操作を可能にする〝六眼〟と、永久に近づく〝収束〟の応用によって不可侵を成り立たせる五条家相伝【無下限呪術】を継ぐ家系である。ただし両方を兼ね合わせた者が生まれることは稀であり、一時はあわや衰退の一途とまことしやかに囁かれていたほどだ。
しかしながら呪術界の均衡は五条家に寵児が誕生したことによって大きく崩れることになる。
六眼と無下限呪術を持ち得て生まれ落ちた赤子の名を、五条悟という。生まれながらの天つ才であるがゆえに家の者からは傅かれ、外部からは年端もいかぬうちに懸賞金を掛けられる事態となった。
これに拍車をかけることになったのが五条悟の潜在能力の高さである。稀有な体質に鬼才の術式、さらに強大な力を十全に使いこなすだけのセンスを持ち得ていたのである。家の者による守護と、それ以上に自己防衛、ともすれば過剰防衛にもなる能力に長けていた。
何人たりとも触れられぬ存在は、まさに掌中の玉であった。
だが絶対不可侵の領域に踏み込んだ人間がいる。
五条家の寵児と同世代に産まれたが故に埋没し、術式は持てど五条の奇才とは相打ちすら叶わぬ相伝であり、優秀でありながら天才にもなり切れず、長らく呪術界の日の目を見ることのなかった。
世が世なら持て囃されただろう人間の名を、禪院直哉という。
(俺が悟君を倒す? どう考えても無理やろ)
当の本人はと言えば、まことしやかに囁かれるそれらを常に一刀両断している。しっかりと、心の内で。
謙遜ではない。なにせ直哉と五条の間には、空よりも高く海よりも深く指し示された、生き物としての格の差がある。勿論直哉が下位である。
(わからんでもないけど……言うて、もうあんな幸運は作り出せへんろうしなあ)
それでも魔窟の老人たちに甘い夢を見させてしまった言い訳をさせてもらうのだとすれば、この世界の誰よりも対五条悟の戦いを知っていたからに尽きた。
勝っても負けても角が立つ。
五条悟との勝負は、そういうものだった。
当時、京都府立呪術高等専門学校に所属していた直哉にとって、姉妹校である東京校との交流会は他人事ではなかった。あの五条悟が参加するというのに、まさか御三家の人間である直哉が交流会に不参加というわけにはいくまい。
内心では嫌々と首を横に振りながらも、身体はしっかりと開催地東京の地を踏んだのである。
恒例――一日目は「対抗呪霊討伐戦」
東京校が勝利を収めた。
「禪院の相伝っつったって雑魚に変わりないだろ」
「……」
遠い未来、具体的には十年ほど先。
この日を振り返って「いやあ、あれほど自分の表情筋に感謝したことはありませんわあ」と語ることとなるのだが、若き日の直哉は、悟の舐め腐った発言に腹立たしさ半分慢心への感謝半分を胸に、沈黙に微笑みを添えて佇んでいた。
せめてもの友好の印に右手を差し出せば、
「はあ? 禪院の野郎が何か言ってら」
サングラスの向こうから輝く碧玉を覗かせ
五条の主張には同意する。禪院の生まれでありながら、不覚にも直哉は激しく同意した。確かに命を狙い狙われてきた家同士である背景を考慮すれば、直哉の行動は少しばかり浅慮だった。
「堪忍な、ちょっとでも仲良くなれたら思うて気が急いたみたいや」
「キッショ!」
「……尖っとんなあ」
触るもんみんな傷つけるお年頃かい。
まあそれなりに表現するのであれば、悟の場合は弾くのであるが。
何はともあれ、――二日目は「個人戦」である。
定位置につき、鐘の音が高らかに鳴った瞬間が試合の幕開けであった。
直哉が投射呪法自らの術式を使うときに想像するものは〝懐刀〟である。
かつて目前で女の身体が斬りつけられた際、鮮血を滑らせて煌めいた凶器がそれだったからかもしれなかった。
直哉が現在の直哉に成ったときに見た、生き物の命を奪うもの。以前であればとんと縁のなかった、直接的に生死の懸かった体験。禪院で生きることを決めさせた鮮烈な赤を、きっと死ぬまで忘れることはない。
――生き物の命を奪うものは、強いものであるのだ。
意識を深く切り裂いた小さな刃は、つまるところ強いものの象徴に他ならなかった。呪術師にとっての強さが呪力や術式という生まれついての才能に準拠すると理解した後も、一度焼き付いた認識は早々に覆ることはなく、年月の経った今でさえ脳裏に絡みついている。
胸を締め付けるような、心が塗りつぶされるような、あの瞬間を、煌々とした刃渡りとともに直哉は想像する。
自らの視界を。
不可視の懐刀で。
二十四分割に切り裂いて。
等割したひとつひとつの場面に「こう動きたい」という動作を、宙に描く要領で不可視の画面に刻み付ける。
時間は待ってくれない。
前線では一秒が、――否、一秒にも満たぬ判断が生死を決する場合も少なくはないのだから。
敵からの攻撃を受けるのか避けるの判断、同時並行で、こちら側の防御と攻撃を思考する。加えて術式を使用するのであれば、直哉の場合は物理法則に反しない動きを素早く設定し、処理していくことが求められる。
多大な情報量を処理し続けていく思考と、制限時間内に設定した動きに耐えうるだけの肉体が、投射呪法を扱うのには必要不可欠だった。
五条と相対し、手始めに距離をおく。
直哉は試合開始直後に物量のない〝懐刀〟を構えた。
一秒間を、二十四分割。己の視界を画角とみなした、二十四コマ。物理法則に沿った動きを二十四コマ内に設定、そして予め設定した動きを
作業工程終了。一秒後の直哉の立ち位置は、開始場所のはるか後方だ。
(ん、悪うない)
術式の不具合もなく、出だしは上々。
完璧な立ち上がりだった、が。
「ふーん、それで?」
どうすんの、五条家の至宝が笑った。
指が印を組む。不敵に歪んだ唇が呪いを紡ぐ。
「術式順転【蒼】」
発動とともに
強い引力に抵抗することもできずに、五条のほうへ、吸い込まれるように引きずられていく。
「……そうなるやろなあ」
「事前学習は終わってんだろ? こんな場所でどんだけ離れたって意味ねーよ」
「おお、コワいコワい。聞きしに勝る才能やね」
近付いて。
ゼロ距離。
「言ってろ、よっ!」
跳ねた言葉に合わせて腹に一撃を食らった。
投射呪法を用いて直哉が離れる。
術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。
繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。……――繰り返す。延々と、淡々と、ひたすら直哉が攻撃を受け続ける。
「――お前さ、やる気あんの?」
一方的な五条の攻勢に、まるで逆らう気のない直哉。
先にしびれを切らしたのは五条のほうだった。眉根を顰め、五条は潤った声で訝し気に投げ掛ける。
「当然やろ、試合やで試合。諦めたらそこで終了やんか」
「はあ?」
問われたから「せやから」直哉は渇いた声で直哉は答える。「放り投げたつもりはあらへん言うたんや」
まるで説得力の欠片もない。
五条に攻撃されるタイミングに合わせて当たる部位を呪力で強化してはいるが、逆に言えばただそれだけ。限定的な呪力消費を守備徹底と言えば聞こえは良いが、要は馬鹿のひとつ覚えのように
「……そうかよ。ならお望み通り力で捻じ伏せてやる」
苛立ちを含んだ言葉だった。
びっくり箱を開けたら中身は大したことのないものだった、もしくは楽しみにしていたデザートがそう美味しいものではなかった。そんなふうな、幼子染みた態度。
(
拍子抜けだろう。つまらないだろう。
御三家『禪院家』の次期当主候補がこんなザマで面白くないだろう。
(しかも同じおんなじことの繰り返しやもん、お強い君は退屈でしゃーないやろ)
並ぶ者なき玉座。
齢十五にして頂上に坐した寵児。
その飛び抜けた才能が故に幼少期を賞金首として過ごし、刺客を送られ続けてきた生活。五条家での戦闘訓練もあっただろうし、実際の数は把握できていないが高専に入学してからの任務もある。五条の実践経験は年齢に似合わず豊富で、比べるべくもないが似たような境遇の直哉も同じかと期待すればこの体たらく、――と思ったに違いない。
心情を言い当てることはできずとも、事実は遠からずだろう。
(少なくとも
禪院で生きるのに枷だった〝呪力皆無〟と引き換えに、あまりに〝優れた身体〟を天から与えられたのが甚爾であるのなら。決して〝他者と共有することのできない世界〟と引き換えに、全能とも呼べるほどの〝呪術師としての才能〟を与えられたのが五条である。
自覚があるのかは別として。
(孤独やろな)
共感を求めているのかは別として。
(探してんやろな)
きっと五条は、無意識に己と同族を探している。そして無意識に己の同格が存在しないことを理解していて、周囲の価値観を学ぼうとしているのだ。
擦り合わせようとして学び、学ぼうとして理解できず、理解できずに知っていく。
だが、無意識下でストッパーを掛けている状態でさえ五条は強いのである。そう、ただただ純粋に強い。
けれど、それは。
「――俺が戦わん理由にはならへん」
決して、直哉が戦わない理由には成り得ない。
そして、勝利を諦める理由もまた成り得ないのである。
【無下限呪術】
永久に近づく“収束”の応用によって不可侵を成り立たせる五条家相伝である。
術者本人の周りには術式によって現実化させた「無限」がある。打撃や呪力による攻撃はもちろん、質量をもった物体等も近づくほど無限に遅くなっていき、術者との距離は決してゼロにならず、透明の壁に遮られているかのように届かなくなる。
無下限呪術の
引き寄せられる。
強制的な重力だ。強引な引力に主導権を握られて、直哉の身体は五条へと近づいていく。
距離が縮んだとて直哉には有効手段がない。
なにせ五条に
「……ほんま嫌になる」
五条悟の強さに。
何よりも術式だけでは土俵にも立てない、自分の弱さに。
「余計なこと考えてる暇がお前にあんの?」
「あるわけないやん」
「だったら……」
「せやから、必要なことしか考えとらん、よ!」
再びゼロ距離。
五条が殴る。
「は……?」
――その直後。
無下限完全防御が解けて。
「まずは一発、お返しやなあっ!」
直哉の拳が、試合開始はじめて五条の身体に打ち込まれた。
「五条悟の攻略法だあ?」
馬鹿々々しい。
直哉を投げ飛ばした甚爾は、いかにも面倒です、といったふうに表情を崩した。
「いつから自殺願望者になったんだ? 世を儚むにはちと早いんじゃねーの」
「そない言うほど無謀?」
「無謀も何も、通り越して命知らずとしか思わねえ。言ったろ、
「はー、知れば知るほど
「同意だ。しかも五条のガキが生まれてから、ずっと禪院の空気もヒリついてやがる。心地悪いったらねーよ。ま、お前は五条のガキの前に俺を倒す、……まではいかなくても俺に一本入れられるようになるほうが先だ」
「無理ゲーやん」
「……術式も使っていいんだぞ?」
「ふざけんなや、触れられへんのに使用も不使用もあるかボケ!」
呪術師にとっての体術は呪力を載せ放つものである。
呪力で強化した肉体による攻撃は祓呪の武器となり、それは対術師戦においても変わらない。当然、禪院家でも体術の鍛錬は課せられる。
『禪院家に非ずんば呪術師に非ず』『呪術師に非ずんば人に非ず』
禪院家でなければ呪術師ではない。呪術師でなければ人間ではない。
呪霊を確実に祓うために、呪詛師を確実に葬るために――禪院で
指南役に求められるのは、呪力の扱いという基礎から術式の使用といった応用まで、さらには身体の作り方から体術まで、と幅広い。個人に向き不向きがあるのと、全般を一個人が負うのは負担になる、という理由で直哉には何人かの指南役がいた。家の者たちが決めたからには無能ではなかったのだろう、人選の裏に思惑は星の数ほどあったのだとしても、現に彼らの指導は実力を伸ばしてくれた。
しかしながら直哉にとっての体術最強は甚爾である。
幼い直哉は指南役の目を盗んでは、
「はっ、じゃあ手加減してほしいのかよ」
「……せんでええ、ちゃんとやって」
こうして甚爾に稽古をつけてもらっていた。
ただし実力差が天と地ほど離れている。投げ飛ばされては吹っ飛ばされ、吹っ飛ばされては言葉で刺され、心身ともにズタボロにされながらも成長を続ける日々だった。
「だろうな。――ああ、あと……」
――さっきの話だったか。
直哉の師は、端正な顔立ちを不敵に歪めた。
「削る方法はあると思うぞ」
五条悟の攻略は、無下限呪術の攻略である。
それを、かつての甚爾は「削る」と言った。
原作での五条悟を知る直哉も同じことを考えた。しかも直哉は
——学生時代の五条悟は無下限呪術を
無下限の展開は膨大な脳内処理を伴う。
反転術式を会得していない五条が常時標準展開するとなれば、脳への負荷は計り知れない。だからこそ現在の五条は呪力と物理の攻撃の、そのタイミングの前後に焦点を合わせて絶対防御を張っている状況だ。
だとすれば、無下限で
五条が術式を使用するのは、処理する必要のある攻撃――物理及び呪力の載った――である。つまりは体術、呪力の載った技、そして――
【呪具】
術師が使い込んだり、呪力や術式を込めた武具。
五条家特異体質〝六眼〟は、すべての呪力を見通す。
術者の術式さえも強制的に情報開示させるそれは、
五条の六眼は呪力を感知する。
呪力への高い感応性が攻撃だと認知する。
攻撃だと認知されれば五条は
「我慢比べ、しよか」
引き寄せられるのではなく、今度は直哉自身が距離を縮める。
いまだ何が起こったかを把握できず、次の行動が定めきれていない五条に、呪力を載せて蹴り込む。無下限で
呪具と体術の応酬。息を吐く間もない攻防。
攻守の入れ替わり立ち代わりは怒涛で、
「ふざけんなよ! お前、それでも術師かよっ」
「ふざけとらんよ、使えるもん使わん奴はただの馬鹿や。……俺は五条君みたいに強うないからな。術式で勝てんのやったら、他に頼るしかないやろ」
「はあ?
「やって俺、
直哉が五条に勝る点といえば、そのふたつ。
「ああ、そうそう、弱うて……」
それから
「ごめんちゃい♡」
近付いて。
ゼロ距離。
直哉の拳が、再び五条の身体を捉えた。
「あはは、マジかあ……!」
二度目の殴打に、五条は破顔した。
獰猛な笑みだった。気狂いのような、あるいは獲物を見つけた獣のような、そんな表情だった。
滴る鼻血を、綺麗なままの袖口で乱暴に拭った。広がった瞳孔を確認でもさせるように、直哉を
「
最強の真価、その目覚め。
「……これはあんま成功率高くなかったんだけどさ、今ならできそうな気がすんだよね」
空色の瞳がいっそうに輝いて、歪む。
弧を描いた唇が殊更に攣って、歪む。
空間の一部分が弾けるように、歪む。
無限を発散させることで――「術式反転【赫】」――対象物を弾き飛ばす衝撃波を発生させる。
歪み、赤く蠢いた。
けれど【
術式の開示は正確に把握されてこそより効果を強化をするものだ。だとすれば、ある意味で誤認された術式はどうなるか。術式の開示が能力を底上げするのなら逆が、亜種があってもいいだろう。
これ以上の強化はない、ということ。
【
(とんだ
これがどれだけ無茶振りであるか、御三家に生まれた直哉こそ知っていたけれど。
負けないためならどんなことだってできることを、もう知っているから。
ふざけんなや。
何度も、何度も何度も、繰り返し直哉の胸を焼いた言葉だ。
消費されていく呪力。限界が近い体力。なのに、唯一ひたすら澄み渡っていく思考。薄氷の均衡で成り立った攻防戦を五条と繰り広げながら、
負けとうない、と直哉は思う。
術式の有無で待遇が変わることも、女が冷遇されることも、意味もなく暴力が振るわれることも、血の繋がった兄弟が血で血を洗う争いを起こすのも、感情に振り回された采配も、甘い蜜を吸う大人がいることも、何をしても許されると考えている人間がいることも、ぜんぶ、全部間違っている。
だって、女は優秀だった。
だって、甚爾は強かった。
直哉の周囲にいた
女であろうと、呪力がなかろうと、確かに優れていたのだ。そんな彼らに仕えられ、育てられたと言っても過言ではないほどに、直哉は情と時間を注いでもらった。
(やったら……)
戦って、勝ちたい。
勝って、証明したい。
(甚爾君らが、俺の誇りやって……!)
呪術界の頂点を崩せたなら。
崩せずとも不可侵の領域に踏み込めたのなら。
右手に懐刀。身に纏う呪力。
そして、左手に天逆鉾を携えて――