「女の分際でええ御身分やんな」
面倒なのに絡まれた。
舌打ちをひとつ、禪院真希は胸の内で落とした。
目の前には男が三人。見覚えがあるような気もしなくはないあたり分家の人間だろうか。高専に所属し早一年と幾月が過ぎ、つまり禪院家から出た月日と同義であるものの、嫌と言う程叩き込まれた生家の人間の顔位を忘れるはずもない。記憶にないということは、つまるところそういうことに違いなかった。
加えて顔はおろか、名前も、呪術師としての等級もお生憎様と浮かばないのだから、男たちの価値など推して知るべし。
「いやいや、
真希を見やる目玉が雄弁に「面白くない」と語っている。
彼らの一息一言一挙手一投足が嫌味のようにわりついている。
「遊び方をよう知っとるんやな。よりによって五条の膝元とは品がない」
「猿は性根まで卑しいか」
本当に面倒なのに絡まれたものだ。
東京校に通う真希が私用で、と言っても家関連のことではあるが、本家の地を踏んだというだけであるのに。目障りなら放っておけばいいものを
(無視してもいいが、そっちのが後々面倒だろうし)
どうしたものか。非生産的な鳴き声を右に左にと聞き流しながら考える。
手を出すのは論外、とは言え手を出されるのも論外だった。なぜなら無抵抗であるにしても自衛であるにしても、真希が真希であるというだけで相手は面白くないのだから。
禪院の血を引いていながらも呪力に恵まれず、しかも女である真希の扱いはけして良いものではない。さらに中途半端に生物としての強度が高かったことも
昔から、そうだった。
「猿の分際で人間と似たような扱いなんてええ御身分やんな」
真希は生まれついての
術式がないのは当然として、呪霊さえ見えないほどの微かな呪力。いくら宗家の血が濃くとも、たとえ天与呪縛のせいであろうとも、術式を持たなければ意味がない。
生身では呪霊を視認することすらできない真希の扱いは、術式至上主義な禪院では底辺で、恵まれ尽くした身体能力を有したとて覆ることのない優劣は、いつだって心をじわじわと炙った。
蔑まれて。
哂われて。
剥き出しの悪意を幼い真希は避けようもなかった。
幾度となく歯噛みした。だって真希は自らを抜きん出て優秀だとは思わなかったが、決して劣っているとも思わなかったから、余計に心を軋ませた。
もしも自分が完全な弱者で、打てど跳ね返す反骨精神がなければ、ひょっとしたら理不尽な待遇を受容していたかもしれない。そしてなにより、もしも悪意が真希だけに向けられたものなら、たぶんまだ耐えられたのかもしれない。
許せなかったのはただ唯一、濁った感情の矛先が
自身のいざこざが真依に飛び火したとき。生きてきたなかこれほどまでにない激情で、真希は火種を憎悪した。
受け入れられるはずがなかった。
やっかみを受ける自分の後ろをついて回り、泣いて手を伸ばしてきた、たったひとりの可愛い妹を。誰よりも真希は守ってやらねばならなかったのに。
(傷付けられた!)
燃え上がる思いのままに、手近にあった小石を握った。殺傷力の微々たるものであっても、真希の身体能力にかかれば切っ先の鋭い得物へと姿を変える。
小汚い声で鳴く喉を。
裂いて、
「何しとるん?」
しまうことはできなかった。
飛び出す前の真希の肩に、年若い声の主の手が置かれたのだ。
「直哉?!」
なぜこんなところに。
真希と真依を足蹴にした男の声が跳ねた。時を同じくして真希の心臓も早鐘を打つ。
(なおや、さま)
耳に入ってきた音を、胸のうちでたどたどしく繰り返す。教育を受ける機会すらなく、情報の乏しい真希でさえ、その御名を知っていた。
——禪院家次期当主候補
——禪院直哉
宗家が渇望した、相伝術式を受け継ぐ存在。
禪院家当主以外で最も価値のある人間。
血の気が引いた。喉がひくついた。
震えが全身を襲って、冷や汗が止まらなかった。
禪院家の謳い文句の通りに育てられた禪院家の男だ。あろうことかそんな人間の前で、真希は禪院の男を害そうとしたのだ。不興を買って殺されたのだとしても、誰も彼も沈黙を保つしかないだろうと恐怖したのに。
「で、こないなところで何しとるん?」
はよ答えや。
と、真希が動けないように重しをかけた直哉は男に告げた。
「猿が、猿がおったから……」
「やから?」
「……躾たらんといかん、そう思いまして」
「そら殊勝な心掛けやなあ」
「いえ、それほどでもありませ……」
緊張した面持ちから一変、表情を緩ませた男の言葉を。
「で、お前は一回りも二回りも小さい子に手を挙げんとものを教えられへんくらい無能なん?」
内容とは真反対の柔らかな声音で、直哉が切り捨てた。
「え……」
「えでもおでも何でもないわ。ようやっと術師の席についとる程度で、非術師相手にデカい面しとるお前は無能や言うたんや」
「ですが……!」
「ここまで言うてまだ分からんのか、俺の前じゃ有象無象じゃボケ」
どうしようもないと感じた男だったのに。直哉の畳み掛けに顔色が悪くなっていく姿が、ひどく矮小に見えた。
「去ねや、見苦しゅうてかなわん」
いっさいの表情を知ることもできないままだった。吐き捨てられた言葉は、聞く者にしたら凍えてしまう心地になるほど冷たくて。
その硬質さは、——まるで夜影に煌めく刃のようだと、真希はそう思った。
「直哉様、こちらにいらしたのですか」
「堪忍なあ、比瑪」
「謝るくらいなら一緒に連れて行くか、もしくは事前報告のひとつでもしてくださいまし」
女中が次期当主候補に対して接するには、気安い口調だった。
直哉と同い年か、それとも少し上くらいだろうか。比瑪と呼ばれた女は、慣れた様子で直哉の無事を確認したあと「大丈夫ですか」と、駆け寄って真希と真依を気遣った。
真希はぶっきらぼうに「大丈夫だ」と告げたし、真依は俯いて「……」視線を合わせなかった。
「気ぃつけや、この時期は会合が多なっていかん。どうやっても皆苛立っとるのを抑えられへんのや。しかも
罵倒を浴びせられなかった。殴られなかった、蹴られなかった。
拍子抜けした。力が抜けた。
(ああ、そうか)
まもってくれたのか。
緊張の糸が切れて座り込んだ真希に、直哉は笑って手を差し出してくれた。
「なあ、何しとんの?」
昔と変わらず不遜な物言いは決して鼻につかず、どころか今では安心さえした。
あの日、呪力を持った男がたった数分で無能にまで落とされた日。真希の後ろに立ちながら、言葉の切っ先を構えた直哉と、音域が変われども声が同じ温度だったから。
すでに直哉の登場によって場の空気は明らかに変わっていた。
名も知らぬ男たちは、媚びに浸った挨拶も「お久しぶりでございます」「直哉様の御名を聞かぬ日はございません」「一同、ますますのご活躍をお祈りしております」そこそこに、バツが悪そうな顔で直哉と真希の前から去った。
そうして。
「何もされとらんか?」
「私用で来たらいちゃもんつけられて絡まれた、それだけだ。ただの憂さ晴らしだろ。猿相手にご苦労なこった」
当然のように真希の心配をするのだから落ち着かないのも仕方ないだろう。
「真希ちゃん」
咎めるような呼び掛けだった。
名前を紡がれた後、
「お前ほどの呪術師が卑屈になるこたあない。遠慮することもないで。分かっとるやつは、ちゃんと分かっとる。堂々としとり、やって……」
続く明言が。
「禪院真希は優秀な術師なんやから」
どれほどの歓喜をもたらすのか。
「理不尽な一には十でやり返し、そんでもって不条理な十には百でやり返し。悪意には拳で、拳には刃で、——並大抵の実力じゃお前には敵わんと、禪院の馬鹿にはそうやって語ったり」
どれほど鮮やかに心臓を高鳴らせるのか。
「俺が、誰っちゃあに文句なんか言わせへん」
きっと無自覚に与えてゆく直哉本人だけが、未来永劫に知ることはない。
——このひとは、真希という呪術師を認めてくれている。
真希自身に価値があるのだと言葉にしてくれる。たとえ直哉の後押しがなくたって、自分が自分らしく生きるためなら、きっと真希は術師としての道のりを歩いて行けただろう。
けれど。
「私は、優秀か」
「おん」
「私は強いか」
「おん」
この家で誰よりも禪院の
「階級に関して俺は手出しできへん。こればっかりはどうしたって
同時に、熱くて仕方がない。
「俺と当主争いしよや」
嗚呼、そうだ。
私はきっと、他の誰でもなく。
この禪院で
戦って、勝ちたい。
勝って、笑いたい。
幼く何も持たなかった真希に、不可視ながらに煌めく刃を見せた直哉へと、今度こそは真希が己の戦い方でも勝てると証明したいのだ。
直哉と並び立って、強さを認められれば。
(そうすれば、きっと……)
この不必要に悪者ぶる、優しいひとの。
その両肩に圧し掛かる重い禪院の業を、ひとりでなんて背負わせなくてすむだろうから。