ぼくは──ヴィクくんに、恋をしているのかもしれない。
……うわぁ。
言葉にしてみるとこんなに恥ずかしいんだ。誰にも聞かれてないのに耳まで熱くなってる。
でも、それ以外になんて言えばいいんだろう。
最近気づいたことじゃないんだよ。気づくのが遅すぎただけで、感情そのものはずっとぼくの中にあったはずなんだから。
例えば、ドゥジェームでヴィクくんが暗いのが苦手だって知った時。
あの瞬間、ぼくは──ぼくが指先に灯した火が、彼を救えるんだって、そう思っただけで胸の中がぱっと明るくなったんだ。「ありがとう」って言ってもらえた時、世界が変わって見えた。落ちこぼれだったぼくの炎が、あの強くて優しい人の役に立った。それだけで生きてていいんだって思えた。
ぼくは「役に立てて嬉しい」って解釈してたけど。
本当は、彼に喜んでもらえたことが嬉しかったんじゃないかな。
お弁当を作ったあの日もそう。
ヴィクくんが「美味い」って言ってもらえたあの瞬間、ぼくはもう、舞い上がっちゃってた。
あれは「料理を褒められて嬉しい」「料理の腕を認められて嬉しい」じゃなかったんだ。彼が、ぼくの作ったものを口にしてくれているっていう、それだけのことが、たまらなく嬉しかったんだ。
ヴィクくんが「マージュみたいに」って言ってくれた時もそう。
頼れる存在として、ぼくの名前を出してくれた時。あの言葉をぼくは何百回も繰り返し思い出して、その度にじんわり胸が熱くなって。
あれを「認めてもらえた喜び」だと思ってたけれど──多分、違う。
ヴィクくんに、ぼくが特別だって言ってもらえた気がした。それが嬉しかったんだ。
……ヴィクくんが死んじゃったって思った時だって。
あの絶望は、もう、説明できないくらい深くて。世界がぜんぶ、色を失ったみたいになって。
ぼく自身も終わってもいいって思ったし、それでも怖くて死ねなくて、自分が嫌いになって。
あれが「大事な人を失った悲しみ」だなんて、生易しい言葉じゃ全然足りないんだ。
あの時のぼくは、ヴィクくんがいない世界で生きていく意味が、本当に、一個も見つけられなかったんだから。
そして……ヴィクくんが戻ってきてくれた、あの瞬間。
ぼくはもう、自分でも引くくらいヴィクくんに飛びついてた。
今もヴィクくんが療養中ってことを言い訳にして、毎日ベッドの横で手を握ってる。ルメドに「離れてください」って怒られても離れない。だってヴィクくんが、そこにいてくれるんだもん。
いつから、なんだろう。
はっきりとは、分からない。
ドゥジェームで火を灯した時にはもう、心の中で何かが動いてた気はするし。お弁当を作った時にはもう、ぼく自身、何か見えないものに突き動かされてた気もするし。
ううん、もしかしたら、もっと、ずっと前。彼を初めて見たあの瞬間から、もう──。
……分からない。
いつからかなんて、もう分からない。
ぼくが、それを「恋」かどうか考えられる余裕が、勇気が無かっただけで。
きっと、ずっと前から、ぼくの中にはあったんだ。
……。
……でも。
ぼくが、ヴィクくんに、こんな感情を抱いていいのかな。
ぼくは落ちこぼれで、火魔法しか使えなくて、現代魔法の理論にもついていけなくて、勇者の使命なんて立派なものも碌に果たせなくて。彼の隣に立つには、何もかもが足りなくて。
ぼくはヴィクくんが喜んでくれるなら、ヴィクくんの役に立てるならなんだっていいんだけど──こんなぼくが、ヴィクくんに恋してもいいの?
ヴィクくんはこんな感情を向けられるの……迷惑じゃないかな。
「……それで、オレに相談したいって?」
うん。
「口で言えよテメェ」
*
「えっと……相談っていうのは、ヴィクくんへの気持ちについて」
「……はァ。そうだろうとは思ったが、どう考えても人選ミスだろ」
……そうかな。
冷静に考えてみても、リュトに相談するっていう選択は、たぶん間違ってないと思う。
なんだかんだ長い期間、一緒に旅をしてきた。自由を主張こそするけれど、今もこうしてソワンに残っていて、呼べば来てくれている。それだけでも、相談しやすい相手っていえばそう。
あと、口は悪いけど、面倒見は悪くない。多分。少なくとも、相談を持ちかけてここまで嫌そうな顔はしていても、追い払われてはいない。話を聞こうとする姿勢はあるってこと。
でも、本当は、それよりも。
リュトが、ヴィクくんに恋愛感情を抱いていなさそうだから。
いや、当社比でしかないけれど。エスクリやルメドやシュヴァに比べたら、ずっと、ずっとマシ。あの三人は完全にもう、ヴィクくんへの感情を隠そうともしていない。あの三人に「ぼく、ヴィクくんに恋しているのかも」なんて相談したら、まず確実にぐちゃぐちゃの修羅場になる。サシナは……その、前に話しかけられて思ったけどそもそも話が通じるか分からない。
他で唯一まともそうなエペも……ディアマに先んじてネタバレされて、その上で今もなお自分の正体を言い出せずにまごまごしてるし。エペにもああいう人間らしいところがあったんだ……剣なのに。
その点、リュトは、ヴィクくんを大事には思っているっぽいけれど、恋とは違う方向で……だと思う、たぶん。リュトの感情も、あんまりよく分からないけれど。
でも少なくとも、ぼくの相談を聞いて「オレも同じだ」とか「オレの方が好きだ」とか言い出さない、っていう確信はある。
まぁ、だから、リュト。
彼女なら……まだ客観的な意見をくれるんじゃないかって。
「……ぼく、自分の気持ちが、本物なのかどうか、分からなくて」
「……んあ?」
「ぼく──ぼくたちって、元は男だったわけじゃない? 勇者シエルだった頃は」
「ああ……まァ、そうだな」
「今は女に生まれ変わってるから。ぼくがヴィクくんを好きだって思うのって、女に生まれ変わったから、自然にそう感じてるだけ……だから、この気持ちは、一体何なのかなって」
「(……あんなに大好きとか言って抱き着いといて、まだその認識なのか?)」
……ふぅ。
いざ口にしてみたら、思ったより自分の言葉を言語化できた気がする。
ぼくの中身は男のシエルなのに、外側だけ女になってて。だから外側の都合でこんな気持ちが生まれてるだけだったら、それってぼくの本当の気持ちじゃないんじゃないかな。
もし男のままだったら、ぼくはヴィクくんを好きになってないかもしれない。そしたらこの感情は、ぼくの中の、ぼく自身の、ヴィクくんに対する純粋な気持ちじゃなくて。女の体が勝手に作り出してる反射みたいなものなんじゃないかな。
災厄討伐で学園の人からとにかく沢山褒められたし、「新たな魔法の発展がどうの」って話で学園への再編入や奨学金についても提案されたけれど……正直今のぼくはそんなことどうでもいい。
ただただヴィクくんと一緒にいたい。ヴィクくんの近くで、ヴィクくんの役に立ちたい。だから、ぼくはこれからもヴィクくんについていくつもり。
それだけで、本当はもう、それだけでいいはずなのに。
でも、ぼくのこの感情が、もし、ヴィクくんにとって不快なものだったら。
重たいものだったら。気持ち悪いものだったら。
……それは、嫌だ。それだけは、嫌だ。ヴィクくんに嫌われるのだけは、絶対に、嫌だ。
ヴィクくんに、そんなものを向けたくない。
ヴィクくんは、特別なのに。ぼくにとって、ヴィクくんは、世界で一番、絶対的に特別なのに。
そうじゃないと、ぼくがヴィクくんの隣にいる意味がない。
そうじゃないと、ぼくがヴィクくんに何かを差し出す資格がない。
「ヴィクは……まァ、そういうの気にしねェタイプだろ。たぶんな」
「それは……うん」
「テメェの感情が本物だろうが偽物だろうが、アイツはどうでも……いや、どっちでも嬉しいって言うんじゃねェの」
……。
……確かに。
ヴィクくんは、たぶん、そういうことをいちいち分類して考えたりはしない。誰かが何かを差し出してくれたら、それを「ありがとう」って、ただ受け取ってくれると思う。
たぶん、否定はしないんだ。偽物だって判定して、ぼくを切り捨てるなんてことはしない。
ああ……ヴィクくん。
ヴィクくんは、本当に、優しい人だから。優しすぎる人だから。
ヴィクくんなら、ぼくが偽物の感情を向けても、それを丁寧に受け取ってくれる。受け取った上で、ヴィクくんはちゃんとぼくを大事にしてくれる。
……それは、それは、ぼくにとって、すごく、すごくありがたいことで。
でも、それって、ヴィクくんが優しいから、っていうだけで。ぼくの感情が本物かどうかとは……。
「あとな。本物だったとしても、迷惑かどうかは、別に分かんねェだろ」
「……っ」
「アイツの気持ちなんざアイツにしか分かんねェ。オレに聞かれても困る」
……そうだ。そうだった。
ヴィクくんが、ぼくの感情を「迷惑」と感じるかどうかは、ぼくの感情が本物か偽物かとは、別の問題なんだ。
本物の感情だったとしても、ヴィクくんからしたら「重たくて困る」かもしれない。「そんな気持ちを向けられても応えられない」かもしれない。「ぼくと、そういう関係になるのは無理」かもしれない。
……ヴィクくんの心の中は、ぼくなんかには分からない。
分からないままで、ぼくは、この気持ちに頭を悩ませ続けるしかないのかな。
それが、ヴィクくんにとって迷惑だったとしても。重たかったとしても。それでも、ぼくは、ヴィクくんから離れられない。離れられない以上、この感情も、消えてくれない。
「……うん」
「悪いな、役に立たねェ答えで」
「ううん……」
ううん、リュト。
そんなことない。本当に、そんなことない。
こんなこと、誰かに聞いて納得できるような答えが手に入るものじゃないし。
それでもぼくが聞きたかったことにちゃんと答えてくれて、ぼくが避けていたことをちゃんと言ってくれて、誤魔化したり慰めたりせずぼくの問いをぼくに返してくれて……それがリュトの優しさだって、ぼくは分かってる。
「ありがとう、リュト」
「……おう」
ぼくの話を聞いてくれて、ありがとう。
もうちょっと、よく考えてみるよ。
*
今日は、たまたま、誰もいなかった。
ルメドはエスクリの定期検診の日。サシナはちょっと前に「師匠のところ行ってくる」って軽く手を振って出ていったし、シュヴァは引継ぎの仕事で対魔王軍の方。リュトは元々ヴィクくんの療養所に頻繁に来ない。
タイミングって、不思議。今までずっと誰かいたのに。今日だけ、こんな風に。
「ん? マージュ、今日も来てくれたのか」
「うん」
ぼくも、いつも通りお見舞いに来ただけ。ベッドの横の椅子に、いつものようにそっと座って。
なのに、ヴィクくんの顔が、いつもと違うような。
「……疲れてる?」
「まぁ……な。体に問題はないが、考えなきゃいけないことが多すぎて……」
ヴィクくんの声が、いつもより、少し疲れている。
ああ。ヴィクくんが、困ってる。やっぱり顔が良い。
眉が少し下がって、ちょっとだけ伏目がちな目で、口角が上がりそうで上がってなくて、手元がおぼつかなさそうにふわふわしてて、男の人らしい指先が少し遊んでる。
でも疲れているっていうより……それ以上に困惑がまだ残っているような表情。ユイヌでぼくたちと対峙したときとはまた違う、純粋に驚きの方の要素が強く出てる感じの顔。
たぶん、あの手紙のせいかな。
十中八九そうだろうな。だって、ずっと自分が憧れてた相手が現世に──しかもお嬢様として転生してるって聞かされた訳だし。まだ頭の中で整理が追いついてないのかも。
「とりあえず、シズィに着いたら色々聞くとして……」
「ふふ、大変だよね」
……知りたい。
もっと、知りたい。
ヴィクくんが、誰にも見せない顔をしている時。
皆の前では出さない表情をしている時。
ヴィクくんの中で、何が動いて、何が揺れているのか。
ぼくはそれを、全部、知りたい。全部、ぼくが知りたい。
……ぼく、なんでこんなこと考えてるんだろう。
今、ヴィクくんは困ってるのに。助けてあげなきゃいけないのに。
なのに、ぼくは、ヴィクくんの今の顔をもっと見ていたいって思ってる。
ぼくしか知らない顔がいっぱいあったらいいのに、って。
「マージュも気になるよな。何か困ったこととかないか?」
……えっ?
「マージュはシエルの大ファンだから……あの手紙の件、色々思うところあるだろうし」
あっ……。
……あわわわわ! そ、そういえばそうだった!
ヴィクくんは、ぼくたちのこと「シエル過激派の同担拒否のガチ恋勢」だって、信じたままなんだ。あの時ぼくが咄嗟にでっち上げた嘘を、ずっと、ずっと、本気にしてくれたままなんだ……!
えっと……? じゃあ、今ヴィクくんは、ぼくのことを「シエルが好きで、シエルがもう一人いたって知って混乱しているマージュ」だと思ってる……ってこと、だよね!?
ちが、ヴィクくん、違うんだよ。
ぼくは別にシエルなんて好きじゃないんだよ。
いや、あの日々はぼくの誇りでもあるけれど、そうじゃなくて。
ぼくが好きなのは……。
「……何かあるのか? 何でも言ってくれ」
「そんな……」
……それに。
ぼくの悩みを、ヴィクくんにぶつけるなんて。
ただでさえ、ぼくはこんな邪な思いを抱えてるのに。
ヴィクくんに迷惑をかけるなんて、そんなこと。
これ以上、ヴィクくんに依存しちゃったら。
ぼくは、この気持ちを、抑えられなく──
「──マージュが何か困ってるなら、俺が力になりたいんだ」
……え。
「俺は……こんな存在だが。今まで皆に何度も助けられてここまで来た。だから、俺も、もっと皆の助けになりたい」
「……」
「マージュも、俺の仲間なんだから。力にならせてほしい」
……あ。
……ああ、待って、待ってヴィクくん。
なんで、そんな顔して、そんな声で、そんなふうに、ぼくに、そんなことを。
じゃあ、ぼくが困ってたら、その悩みを解決すれば──ヴィクくんの役に立てるの?
ぼくがしたいことをして、それで嬉しいって思えば──ヴィクくんの役に立てるの?
ぼくが、ヴィクくんに遠慮し続けることは、ヴィクくんのためにならない……そういうことなの?
ずるいよ、そんな。ああ、もう。もう、抑えられない。
ヴィクくんが、こんな顔で、こんな声で、こんなふうに、ぼくに優しくしてくれたら。
「……マージュ? なんで、手を……」
「ヴィクくん……」
「ど、どうした? 疲れてるのか? ベッドは他にも……」
「……んんっ」
「お、おお? マージュ、その、当たってるぞ? あまり女の子がそういうことをすべきじゃ──」
ぼく、ヴィクくんに、もっと、いろんな顔をしてほしい。
困った顔も、慌てた顔も、驚いた顔も、笑った顔も。
ぼくは、ヴィクくんの役に立ちたくて、ヴィクくんと一緒にいたい。
そのカッコイイ顔で、カッコイイ中身で、ぼくと一生一緒にいてほしい。
「ヴィクくん」
「ど、どうした、マージュ……?」
「本当はね、エペが、一番に、言うはずだったんだけど」
「?」
「ぼく、抑えられなくて」
ごめん、エペ。
ぼく、もう、止まれない。
「ぼくは──勇者シエルの、生まれ変わりなんだ」
……あ。
……あ、あ、あ。
ヴィクくんは、目を、これでもかっていうくらい、見開いて。
口は、半分開いて、何か言いかけて、でも言葉が出なくて。
視線が、ぼくの顔と、宙の何もないところを、行ったり来たりして。
頬が、ちょっと、赤い。耳まで赤い。ぼくの色みたい。
「マージュ……ええっと……お、おい、ちょっと待ってくれ、その、頭が……整理が……」
今、ぼく、すごく、嬉しい。
ヴィクくんに迷惑をかけたかもしれないのに。なのに、ぼく、嬉しくてたまらない。
でも、だって、ヴィクくんが言ったんだから。
依存してもいいよ、って。それと同じこと、ぼくに言ったのはヴィクくんなんだから。
ああもう、これならぼくは女の子でもいい。
今までは少し違和感があったけど……これからは、女の子でいい。
今なら、きっとこの気持ちが本物だって、宣言できる。
だって、ぼくは。
ぼくは──ヴィクくんに、恋をしているから。
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