4、
ラマーナでの生活は穏やかながら確実に時がすぎた。
朝に陽が昇り、夜には沈みゆく。その繰り返しの何と尊いことか。
プリンプリンたちはただの子どもに戻り、野をかけ川にさしかかる石橋を渡り、春の芽吹きを体いっぱいに受けとめた。
プリンプリンはどこへ行ってもその美しさで良からぬ輩を惹きつけてしまう。ボンボンが相変わらず立ち向かい、生傷こさえてでも相手を懲らしめてやった。
オサゲは俊足で大人や警官を呼びつけ、カセイジンはヨカンで危機を察知する。
ただ、旅の合間にあったような国家を揺るがすほどの大事件に巻き込まれることはなかった。
ラマーナは王政ではなく、人と人とが寄り添いあう街。
穏やかな気質が時に取り残されていた子どもらの心を癒した。
平穏な日々を送っていた最中、ボンボンとオサゲ、カセイジンは港で遊んでいた。
来る船を見渡してどの時代から流れ着いたか当てあう。
明るい声を聞きつけて懐かしい人に声をかけられた。
「やあ。元気してるか? 暴走ワン公」
コートの襟をたてて顔を隠している男。立派な体躯の船長さんだ。
「ああ、おかげさまで! アンタは?」
ボンボンが噴水のへりからトンと降り、八重歯を見せて笑う。
「船長さん、久しぶり。おやつ持ってる?」
「やかましい」
オサゲのちゃっかりした手を船長さんがパシンと叩いた。
「『きぼう号』はどうしたんです?」
カセイジンが尋ねると、船長さんは『ああ』と生返事で応じる。
「停泊中だよ。ラマーナから乗り込む客がいるからな」
「へえ、どこ行くんだろ」
「乗船券さえあればどこへでも。定期便なら割安だぞ」
オサゲに対し、『帰りも使うか?』と問う船長。
ボンボンたちは顔を見合わせる。
「おれたち、いったんはアルトコに帰らなきゃいけないから、その時は頼もうかな。でも、着くころには何年後なんだろう?」
船の中での奇妙な時の流れを思い出し、ボンボンは天を仰ぐ。
船長さんはあっさりと答えてくれた。
「大して変わんねーよ。ラマーナの一ヶ月はな、おまえらがいた港の一週間。つまりココでは時の流れが四倍速なワケだ」
「なッ……ではワタシたちが来て、ちょうど二週間。
元の世界では三日か四日しか経っていないのですか?」
カセイジンが目を点にする。
「そうだ。時空渡航中、オマエら歳とってなかったしな。
帰ってもほとんど変わりゃしねえよ」
「へー。よかったァ、おじいさんにならなくって」
オサゲがフーンと感心した素ぶりを見せた。
時の流れについて話しているとボンボンは猛烈な違和感を覚える。
「……待てよ。アイリーンさんって五年放浪して、その後はラマーナにいたんだよな?
ということは、ラマーナに来て何年経っているんだ?」
奇妙な胸騒ぎ。
時折ボンボンは物事の核心をスッと突いてくる。
カセイジンが彼の直感を元に計算してくれた。
「……四〇年。プリンプリンが十五歳ですから、五年は元の時間軸。後の十年は……四倍速。
合計四十五年間、プリンプリンと別離したことになりますね」
オサゲがヒャッと声をあげる。
「で、でもでも、アイリーンさん、ぼくのおふくろさんよりずっと若そうだよ!」
「肉体は元の時間軸で歳を取るのさ」
船長さんに淡々と告げられ、ボンボンは絶句した。
あんなに穏やかそうなアイリーンが、まさか、そんな過酷な時の中で生きてきたなんて。
「プリンプリンは、知っているのか……?
だって。それなら、おれたちが旅立って一年ほど。
アイリーンさんは四年も港で乗船券を買いつづけたんだぞ」
ボンボンはアイリーンを見る目がまるで変わってしまった。
定期便なら割安。だが、彼女が買いつづけたのはプリンプリンがどこへいようと『近くを通りがかったら乗れる特別乗船券』。
そんな高価な券を毎日毎日。日々、糸を通し針を刺し、得た日銭を空席を開けるための券に変え……。
「――家をだな」
船長さんが重苦しい口調で語りはじめる。
「彼女、家を売ったんだよ。四年前に。
三六年間暮らした家を迷うことなく手放した。オマエらの乗船券にぜんぶ変えたんだよ……いつ乗るか知れねえのに」
「なっ……」
カセイジンですら言葉を失うほどの事実。
アイリーンは、一言も自身の犠牲について口にしたことがない。
子どもたちに心労を与えたくないからだ。
三人組が押し黙っていると船長さんが言いきった。
「オマエらがここにいるのは奇跡でも希望でもねえ。
あの人の執念のたまものさ」
その重みが彼らの肩にのしかかる。
ボンボンは背筋にうすら寒いものが駆けのぼるのを感じた。
「……プリンプリンに言わなきゃ」
彼が決心するもカセイジンに首を横へ振られる。
「いけません。アイリーンさんは、プリンプリンに気負わせたくなくて黙っているんですよ」
「プリンプリンには知る権利がある」
ボンボンはくぐもった声で返した。
白く綿毛のような髪をふわりとなびかせ、船長を見上げる。
「アンタも、そのつもりでおれたちに話してくれたんだろ。
あの人の苦労を放っておけなくて、言ったんだ。そうだろ?」
透きとおる碧の瞳に涙の膜が張られていた。
船長は、コートの奥でぎらつく瞳をわずかに伏せる。
「変なところで鋭いな。そうだよ。
オレはあの人が放っておけねェんだ。
――娘のためなら、自分はどうなっても構わない。そんな、あの人が……」
帽子で表情をさらに隠す様に、ボンボンはどこか親しみを覚えた。
「……好きなの?」
問えば苦々しい声で、
「よせ。詮索するな、マセガキ」
と小突かれた。
その顔を何としても覗こうと、下からオサゲが大柄の船長の周囲をウロチョロと歩き回っていた。
♢
プリンプリンは、母の孤独な戦いをボンボンたちから知らされた。
母の借りる部屋は質素で、家具も最小限で、でも清潔に磨かれていて。早春のひんやりした空気に満たされている。
リビングのテーブルで顔を合わせて、
『アイリーンさんは四十五年もプリンプリンを待っていたんだよ』
と言われた。
プリンプリンは言葉もなかった。
事実だけを述べ、ボンボンたちは彼女に強いることはなかった。
こうしろああしろなど一言も言わず、母娘の対話のため、
『今日は、おれら船長さんに奢ってもらうからね』
と外へ出ていった。
だから、じっくり話ができるはずだ。
でも何から話せばいいのかプリンプリンは思いつかない。椅子に腰かけ、モンキーを膝に乗せながら考える。
『四十五年もわたしを待っていてくれてありがとう』?
それとも……『四年もわたしのために港に通い詰めさせてごめんなさい』?
どれも違う気がする。
そんな、事実だけではない。もっとプリンプリンの胸を締めつける切実な何か。言語化するのが難しい。
静謐な部屋にカタン、と物音がして、アイリーンが帰ってきた。
今日も縫い物を雇い主へ納めてきたのだ。
「あら……あの子たちがいないわね」
部屋を見渡してアイリーンがひとりごつ。
夕陽に照らされた横顔を見て、プリンプリンは脈打つ胸を抑えた。
「ねえ、お母さん……」
口を開けば母が振り向いてくれる。
「なあに、プリンプリン。今日のご飯はシチューですよ」
いつも夢見ていた。
お母さんが買い物から帰ってきて、晩ご飯はこれですよ、なんて言ってくれる夕方。
まさに今、それが叶って、とても嬉しい。
でも……それは母の献身の上にある。
意を決してプリンプリンは話しはじめた。
「ありがとう。あのね、わたし、今日ボンボンたちから聞いてしまったの」
「あら、何を?」
「このラマーナが、わたしたちの世界の四倍速で時が進むこと……」
アイリーンの表情がス、と変わる。優しい母の顔から、かつての厳かな王妃の面影。
空気を読んだのかモンキーがプリンプリンの膝から下り、チョロチョロと窓辺へ向かっていった。
母と娘、二人の影が床で平行に伸びている。
アイリーンが微笑を浮かべた。
「……おおかた、あのお節介な船長さんがあの子たちに言ったのね。見た目は大仰なのに優しいの。
フフッ、口どめしとくべきだったかしら」
普段どおりの母の態度にプリンプリンは慎重に言葉を選ぶ。
母とよく似た長いまつ毛で濡れた瞳を隠しながら。
「何から返したらいいかわからないの……。
お母さんは、これまでの時間をすべて賭けてまで、わたしをここへ連れてきてくれた。
でもわたしは……何もできていない。再会しても甘えているだけ」
プリンプリンの前で膝をつき、アイリーンが見上げてくる。
同じとび色の瞳なのに何と穏やかで凪いでいることか。
覗き込むと、その深淵な揺らぎに身を委ねたくなる。
「それでいいのよ。貴女はまだ子どもなのだから」
言われてプリンプリンは首を左右に振った。
「いいえ。お母さんの子どもだからこそ何か返したいの」
両手で顔を覆うと母へ思いの丈をぶつける。
声は震えていたが、強い意思を感じさせた。
「あなたはわたしが何者なのか教えてくれた。
もしかしたらどこぞの姫かもしれない、と言われつづけていた。
でも祖国は海の中だって……だとしても、わたしは誇りに思います。こんなに目いっぱいの愛情をくれたお母さん。生かしてくれたお父さんの娘だと知れたもの。
わたしは失われたマリーンの姫。
それ以前に、お母さん――あなたの娘。
恩返しがしたいんです……」
そこまで言ってプリンプリンは顔を上げた。
母を恋しがるばかりの少女とは違う、覚悟を決めたまなざし。
「わたし、働きます。お母さんの助けになりたい」
子の成長はどの親にとっても喜ばしいはずだ。
しかし――アイリーンは浮かない顔をしている。
長年の針仕事ですっかり硬くなった指先がプリンプリンの柔らかな頬を撫でた。
「プリンプリン……それは、大人になってからにしてちょうだい。
お母さんはまだまだ元気。貴女を支えるぐらいできます」
「でも! わたし、お母さんにこれ以上苦労させたくない!」
プリンプリンの幼い顔立ちが強張るのを、アイリーンは見ていられないようだった。
どうしても、と譲らない娘のたおやかな手を握りしめる。
母と娘、同じ色の瞳が互いを見つめた。
「ねえ、プリンプリン。わたしはね、貴女をずーっと『何者でもない』、『姫かもしれない』なんて、宙ぶらりんにしていたことを後悔しているの。
考えてもみて。ここで追っ手を恐れて隠れていただけなのよ?」
「でもそれは身の危険が……」
「貴女には関係ありません」
アイリーンが厳しい口調で言い咎める。
いつになく強くたしなめられ、プリンプリンは思わず口を閉じた。
娘を黙らせた母が今度は冗談めかした風に続ける。
「大人の心配をするんじゃありません。まだ守られるべき子どもなのに……わたしは、貴女に甘えてほしいのに。
どうかすぐに大人にならないで。これまで寂しい想いをさせたぶん、わたしに貴女をうんと甘やかせて」
プリンプリンの手を握る指先が冷たい。強く握りすぎているからだ。
アイリーンがプリンプリンへ言い放つ。
「プリンプリン。大人になる前に、まずは、『ひとりの女の子』に戻りなさい。
旅人ではない、お姫さまでもない、ただの女の子に……。
それだけがお母さんの願いです。叶えさせてくれますね?」
これだけは譲れない、とばかりに。
細肩に背負った苦労を見せもしないで。
有無を言わさずプリンプリンはうなずかされてしまう。
何故なら、この人はお見通しなのだ。
プリンプリンが本当はどう生きたかったか。地に足のついた存在として、この世界をどのように歩き回ってみたかったかを。
だからプリンプリンは静かに涙を流し、うつむいた。
まだまだ甘えてしまうことを申し訳なく思いながら。
「ごめんなさい。ごめんなさい、お母さん」
「何を謝るの……わたしがそうしなさい、と言っているのです。
さあ、プリンプリン。夕飯の準備のお手伝いくらいはしてもらいましょうか」
アイリーンはプリンプリンを立たせ、まずはその胸に抱いた。
好きなだけ彼女を泣かせた――まだ非力な子どもとして。
♢
時は巡る。
桜の花が散るころ、石橋にライラックの花が咲きはじめた。
プリンプリンはモンキーとただ歩いている。
いい天気だから。ここはこんなに温かいから。
花を見に行きたかったから――。
橋の中央で立ち止まり、さらさらと流れゆく川面を見下ろす。
花がすみがかかり、春の夢に惑わされているよう。
母と話した翌日にプリンプリンは自分の意思でここに来た。
祖国を探すためでなく。父と母に呼びかけるためでもなく。
ここが好きだからだ。
でも、これからはもっと考えなければならない。
結局プリンプリンはどうしたいのだろう。
祖国を見つける。両親と会う。
世界じゅうを旅したあと、どこへ行けばいいか教えてくれる人などいない。
ライラックの甘い香りに胸がいっぱいになる。
銀の髪が舞い上がり、ほんの少しだけ顔にかかったのをよける。ふとモンキーへ目をやると石橋の向こう側をじっと見ていた。
ボンボンが白い綿毛の髪を風になびかせ、立っている。
「プリンプリン」
彼はトコトコと歩いてきて、プリンプリンの隣に立った。
と同時にモンキーがそそくさと元来た道を戻っていく。……最近、モンキーが気を利かせてくれることが多い気がする。
「ねえ、アイリーンさんとどんな話をしたんだい」
澄んだ碧の瞳が興味津々といったように輝いた。
あまりの純粋さに圧倒され、プリンプリンは力なくうなだれる。
「『ひとりの女の子に戻れ』って……」
「フーン。テツガクテキだね」
ボンボンが慣れない言葉で感想を述べた。
『ウーン』と唸りながら頭の後ろで腕を組んでいる。考え事をしているようだった。
旅立ちからすこし背が伸びた彼を見上げ、プリンプリンは次の言葉を待つ。
やがてボンボンはふわりと腕を離し、プリンプリンへ顔だけ向けた。
「プリンプリン。きみがどうしたって、おれはそばにいるよ」
目を糸のように細め、八重歯が覗く、あの笑顔で言う。
ボンボンと初めて会った日のことをプリンプリンはなんとなく思い出していた。
「このままラマーナに残るなら、おれだってここに骨を埋める気でいるし。……一回ぐらいはアルトコの両親と話さなきゃいけないかもしんないけどさ。
そのアルトコに戻るなら、一緒に帰るし。
さらに、もしもだよ。海に消えたマリーンを探したい、ってんなら今後も旅を続けるよ。
どんな道を選んでも、おれはきみについていく」
一点の曇りもないまなざしを受け、プリンプリンは自身の心のもやを自覚せざるを得なくなる。
彼はどんな時もまっすぐに見てくれていた。
それに応えるべく、プリンプリンも素直な気持ちを吐露する。
「ねえ、ボンボン。どうかもう少し待っていてほしいの」
「うん?」
聞き返してくるボンボンへ一語一句ゆっくりと伝えた。
プリンプリンの表情はいつになく大人びて、昨日と今日とで別人になってしまった錯覚さえ起こさせる。
「わたし、これまで祖国を見つけてからのこと、まったく考えていなかったの。
絶対に見つけなくちゃ、とそればかりで……でも、今、祖国がどこだったか。お父さんとお母さんが誰なのかハッキリしたわ。
それなのに、次に何をすればいいかわからないの」
以前は目的がハッキリしていた。だから道に迷った時でも希望を胸に進むことができた。
しかし今は春霞の中で戸惑うばかり。
プリンプリンは自分のルーツを知ったのち、次の段階に進んだのだ。
「わたしはもっと考えなくっちゃ。自分のこと、今できること。
何がしたいのかを――だから、お願い。
時間をちょうだい、ボンボン」
すなわち自身で歩み出すこと。
何を成し、そのために次はどうするか。
今度は一から考えなければならないのだ。
プリンプリンはやっと自分の人生の第一歩を踏み出そうとしている。
だからこそ一歩めが怖い。
そんなにすぐには決められない……。
プリンプリンの凜とした顔をボンボンはポカンと口を開けて見ていたが、やがて微笑んだ。
それが、すこしだけ普段よりも頼もしく見える。
「プリンプリン。――待たないよ」
「えっ?」
驚いて聞き返すとボンボンが澄ました顔で言う。
その目は桜の舞い散る港を見つめていた。
「さっき、おれが言ったこと忘れて」
照れたようにはにかみ、ぽつりぽつりと話しはじめる。
「実を言うと、おれも何も考えてなかった。きみに置いていかれないよう、着いていくのがやっとだった。
今もそうさ。きみはとっくにおれより先に行ってしまっている」
「そんなこと……」
「でも、もうそんなことはさせない」
ボンボンは力強く告げてパッとプリンプリンのほうへ向き直った。
碧の瞳はきらきらと輝き、今まさに彼が生命の息吹のただ中にあるのだと思わせる。
そうだ。この瞳。
この人の、澄んだ瞳の中にいる自分が……プリンプリンは好きだ。
出逢ったころからまったく変わらないこの目が。
「きみを一人で行かせない。追いかけるだけなんて、もう辞めだ。
……一緒に考えよう。これからのこと」
プリンプリンを青い風で包み込んで背を押してくれる。
彼がそばにいると、そんな気持ちになれる。
「どこへ行くか一緒に考えていきたい」
でも背を押してもらうだけでなく。
プリンプリンもその風を受けて、一歩進まなければならない。
彼の手を取って。
プリンプリンはそっと手を伸ばし、ボンボンの手に触れる。
爽やかな言葉とは対照にしっとりと湿っていた。
フフ、と笑みを浮かべて彼をまっすぐに見つめる。
「ええ、一緒に決めましょう。わたしたちの行先を……」
ボンボンもプリンプリンを見て、照れくさそうに笑った。
ライラックの香りと温かい風が二人を包む。
そうしてお互いの距離が縮んで……ボンボンの唇が、プリンプリンのなだらかなおでこに触れた。
プリンプリンは下を向いてくすぐったがる。
港の桜が舞い散る。ライラックの甘い香りを、春風が舞い上がらせる。
彼女らの本当の歩みがここより始まる。
その第一歩を石橋の影でモンキーがこっそりと盗み見ていた。
原作最終回後のねつ造としてはアリですか?
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アリ
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大アリ
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アリ寄りのアリ
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おれ、もっとすごいの考えたー!