「掃除は……もう少し落ち着いてからだな」
軽くベッドを叩いただけで、それなりの量のほこりが舞う。リィンはむずついた鼻先をこすった。
久しぶりに帰ってきた第三学生寮の自室。シーツと毛布を干し、床や棚の上の清掃をしたかったが、そこまでをしている時間的な余裕があるわけでもない。
せめて窓を開けて換気をし、飾ってある家族の写真の表面を拭きとるに留めた。
その写真立てを手に取り、今よりも少しだけ幼い妹の顔を見る。
やっとトリスタだ。ここまで来たぞ、エリゼ。
《パンタグリュエル》での別れで交わした約束。必ず果たしてみせる。
「気負わない方がいいわよ、アンタは。自然体でいなさい」
硬い表情になっていたのか、足元のセリーヌにそう言われた。すました顔でリィンを見上げている。
第三学生寮には一人で来たのだが、そこに先客として彼女がいたのだ。一人になれる場所を探して、ここを訪れたのだという。
どうせ事のついでだからと、自分の部屋まで同行してきた。〝事のついで”というのは、よく分からない理由ではあったが。
「セリーヌには色々と気を遣わせるな」
「何度も言うけど、人間の機微ってやつはアタシにはわからないわ。気なんか遣ってるつもりはないし、思ったことを口に出してるだけよ」
「察するってことが機微を読むってことだ。騎神戦ではずっと相棒役としていてくれたんだし、俺の気分がなんとなくわかるんじゃないか」
「相棒役っていってもねえ。双竜橋戦からアタシはヴァリマールに乗ってないから。今朝の戦闘が久しぶりの同乗だったりするんだけど」
「アドバイスは都度くれていただろ。ありがとう」
「な、なによ、改まって。調子狂うわね」
照れたらしく、セリーヌは部屋を出て行こうとする。ぴんと立った尻尾は、リズミカルに左右に揺れていた。
結局、出て行かず、また戻ってくる。
「ま、気を張るのは勝手だけど、休める時は休んだ方がいいんじゃない? 他の面々も自由にしてるっぽいし」
「みんなは町や学院を回るって言ってたな」
カレイジャスは学院のグラウンドに着陸し直している。
驚いたのは、補給用の物資を事前に用意してくれていたことだ。町の人の手伝いもあって、搬入は順調に進んでいる。作業はまもなく終わるだろう。
そこからトリスタに残っていた学院生たちとの情報交換をし、現状を改めて説明。トワはエマから聞かされた帝国の裏の歴史も話すつもりだそうだ。
その上でカレル離宮へ乗り込み、セドリック皇太子の救出、そして煌魔城出現を阻止という今後の行動方針を伝える。
そして《紅き翼》のクルーとなるか、個々の判断を求める。あくまでもカレイジャスへの乗艦は任意であり、かつ退艦も自由だ。
それらの取りまとめと、艦の最終メンテナンスを済まし、予定では明後日に離宮を目指す。
体と心を休ませられる最後のタイミングになるかもしれない。
「よし、俺もちょっと楽にさせてもらおうかな」
「そうなさい。アタシはもう少しここにいる。外は寒いしね。アンタのベッド、借りていいでしょ?」
「構わないが、ちょっとほこりがあるぞ」
「ん……別に気にしない」
セリーヌはベッドに飛び乗ると、そのまま毛布の中にもぐりこんだ。もぞもぞと動き、中で丸まったのがわかった。
相も変わらず気ままな態度だ。彼女らしいとは思うが。
「俺は……そうだな。散歩でもするか」
《――誰が為に鐘は鳴る――》
町の中は賑わっていた。しばらくぶりに学院生が戻ってきたのだ。大人数が出歩いているだけで、騒々しくもなるだろう。
春、夏、秋と過ごして、冬のトリスタを迎えるのは初めてだ。
木々の葉は落ち、寒風が枝を揺らしている。外に出ている人たちの服装も厚着だ。《ル・サージュ》のショーウィンドウもいつの間にか冬仕様となり、コートやマフラーがメインの展示に変わっていた。
その季節の移り変わりを学生生活の中で実感したかったというのは、もはや叶わない望みか。いや、来年がある。みんなと一緒に、また過ごせるのなら――
「なんだ、一人か?」
中央広場に差しかかった時、パトリックと出くわした。
「ちょっと散歩を。パトリックは?」
「フリーデル部長のおつかいだ。色々と必要なものが出てきてな」
「おつかい……搬入用の物資か?」
うんざりしたように、彼はかぶりを振った。
「まだ連絡が回っていないのか? 今日の夕方から、壮行会だか歓迎会だか決起集会だか……そのような主旨でパーティをすることになっている。学院の敷地を使った立食形式でな。町の人たちの全面協力つきだ」
俺たちが戻ったタイミングで実行できるように、屋台やら出し物やらの出店を、前々から企画してくれていたのだそうだ。
「へえ……楽しみだな。俺も何か手伝うよ」
「不要だ。部長から帰還組には働かせるなとお達しが出ている。労いの意味合いもあるからと」
「そうは言っても……それ買い物のリストだろ。かなりの量に見えるが……」
パトリックの手にあるメモには、購入品目がぎっちりと記載されていた。リヤカ―を使っても運べるか運べないかの総量だった。
「不要だと言った」
「委員長の転移術なら一発だし……」
「くどいぞ! 部長の命令は絶対だ。どんな形でも破ろうものなら……うっ」
何を想像したのか、パトリックは口を押さえて吐き気を飲み込んだ。あまり触れてはいけなさそうだ。
「そこまで言うなら……悪いが俺は行くけど」
「ふん、気にするな。……それはそうと、先ほどトワ会長から学院に残っていた生徒たちに招集がかかってな。聞いたよ、エレボニアの歴史のことを」
「そうか……けっこう早くに呼ばれたんだな」
「考える時間は少しでも多い方がいいだろうってね。正直、どう受け止めたものか。大き過ぎる話だし、一介の学院生が背負えるような物事でもないと思う」
まったくの正論だった。パトリックだけではなく、その話を聞かされたほとんどがそう考えているだろう。与太話の類として、信じていない人もいるかもしれない。
俺も普通に聞いていたら、そうなっていたに違いない。騎神を始めとした帝国の伝承にあらかじめ触れていたから、納得できる要素があったというだけで。
「トワ会長――艦長からの説明はあったと思うが、カレイジャスへの搭乗は強制じゃない。万全は期すもりだが、だとしても危険は伴う。明日まで慎重に考えてくれ」
「その必要はない。僕は乗ると決めている」
「いいのか?」
「無論だ。リスクなど承知の上だし……それにだ」
こほんと咳払いをし、続ける。
「聞いたぞ。エリゼ君がカレル離宮に囚われているかもしれないと。見事に僕が救出してみせよう」
「………」
リィンは柔らかい表情のまま無言だ。口元はわずかに笑んで、しかし瞳のハイライトは失せている。
「まあ、任せてくれ。前衛に入って一番に彼女の元にたどり着く。君も僕がいれば心強いだろう?」
「そうだな。ありがとう。しっかり後方支援を頼む」
「いや、前衛で――」
「最近、カレイジャスのシャワーの調子が悪いんだ。俺たちが奪還作戦を開始したら、パトリックも修理を開始してくれ。それが終わったら厨房の点検をよろしく。作業レポートの提出も忘れるな」
「ま、待て。それでは後方支援にもなっていない気が……。しかも戦闘中にシャワーの修理って、そのタイミングでやらなくてもいいんじゃないか」
「ん?」
兄の圧は凄まじかった。殺気を受けた《ル・サージュ》のショーウィンドウにぴしりと亀裂が入り、その奥でコートを羽織っていたマネキンが勝手にくずおれ、土下座体勢に移行した。
それ以上の会話を打ち切られたパトリックはただ固まる。
下心をもって妹に近付いたら、あらゆる手段を使って排除する。そう背中で告げて、リィンは歩みを再開した。
硬直しているパトリックには一度も振り返ることなく、リィンは中央広場へと足を踏み入れる。
この公園は名の通り、トリスタの中心に位置していて、生活に主要な店舗も近隣に集まっている。《ブランドン商店》《ケインズ書房》《キルシェ》《ル・サージュ》。裏通りになるので質屋《ミヒュト》は見えないが。
そういえば先のトリスタレースの折、《ミヒュト》にマルガリータが突っ込んでいったが、店とミヒュトさんは大丈夫だろうか。確かめる勇気はなく、リィンは瞑目し、わずかばかりの黙祷を捧げた。ぶっきらぼうではあったものの、悪い人ではなかった。どうか安らかに女神の元へ――
「公園の真ん中につっ立って、そなたは何をしているのだ?」
「えっ!?」
「……私の声を聞くたびに動揺するのは、いい加減にやめて欲しいものだが」
そばのベンチにラウラが一人で座っていた。不機嫌な顔で手招きされる。横に座れということだろう。促されるまま、リィンは彼女のとなりに移動した。
「すまない。気を悪くさせていたら謝るよ」
「む、その言い方では私が引かざるを得なくなる」
「他意はないが……」
「わかっている。再三言うが、そなたを困らせているのは私だしな。――あ、いや私たちか」
クスッと笑みを漏らす。屈託のない笑顔だった。久しぶりのトリスタで、ラウラもリラックスしているらしい。
「俺が勝手に困っているだけだ」
「うん」
今日は日が照っているが、それでも気温は低い方だ。手袋ぐらいは付けてくれば良かった。無意識に手の平を擦り合わせていたら、
「寒いのか?」
「ん、それはまあ……」
「飲むがいい。さっきキルシェで買ってきたのだ。まだ温かいぞ」
ラウラは持っていたカップを差し出してきた。湯気の立つ紅茶が波打っている。
え、飲んでいいのか。でも断ったら断ったで、また不機嫌にさせそうな気がする……。
逡巡するも、リィンはそれを受け取り、一口含んだ。体が熱くなるが、紅茶のおかげかは不明だ。
「ありがとう」
「うむ。断っていたらカップごと両断するところだった」
「………」
不機嫌になるどころの話ではなかった。とはいえ、どうやら正解を選び取れたようだ。一応、間接キスにならないよう飲み口はずらしたが、それが正解か不正解かはきっと永遠にわからない。
カップを返すと、ラウラは言った。
「リィン、私の気持ちはな。前に伝えた通りだ」
不意打ち――という感覚にはもうならなかったが、やはり息を呑む自分がいた。
「その……ラウラ」
「あっ、こっちを見るな」
ぐいっと正面に顔を向け直される。
「これで結構恥ずかしい。私は恥ずかしがり屋さんなのだ。見られていては話せない」
ラウラも真っ直ぐ見据えたままだ。視線の向こうでは、子供たちが遊び回っている。無邪気なものだった。
「そなたのことだ。多分真剣に悩んでくれているのだろう?」
「……ああ」
「どのような返事であっても私は受け入れるよ。アリサもだ。誰のせいにもしない。もちろん返答如何によっては、どちらかが傷つくかもしれないし、あるいはどちらも傷つくのかもしれないが、それは仕方ない。自分の感情だけはごまかせないからな」
「もしも俺がラウラを選ばなかったらどうなる?」
「泣く」
「ず、ずるい!」
「先にずるい質問をするからだ。そもそも泣いて心が動かせるものなら、いくらでも泣いてみせよう」
ラウラは紅茶を飲み干した。
「涙分の水分も補給した。いつでもいける」
「いくな、頼むから」
「それは冗談として」
空になったカップを揺らしてみせる。
「返事、今日もらってもよいか?」
「そ、それは……!」
「明日は奪還作戦のミーティングと事前準備で終日忙しいと思うし、明後日はカレル離宮だ。その後の動きは読みかねるところがあるが、今日みたいな落ちついた時間は中々取れまい」
確かにその通りだが、今日?
「夕方から歓迎会があると聞いた」
「あ、ああ。俺もさっきパトリックから教えてもらったばかりだが」
「そんな騒ぎの中なら、少し抜け出す程度は問題なかろう。そなたの都合を考えず、勝手を言っているのは承知だが……」
ラウラはベンチから立ち上がった。
「20時。トリスタの西ゲート前で待っている」
『浮カナイ顔ダ』
ヴァリマールにまで言われては、さすがに隠しようもなかった。カレイジャスの船倉ドック。彼の足元に座り込んだリィンは、「なんでそう思う?」と訊き返した。
『見タ通リヲ発言シタ。推測スルニ、解決困難ナ出来事ガアルノダロウ』
「俺のバイタルデータでもスキャンしたのか?」
『シテイナイ。スルマデモナイ』
事情を打ち明けてしてみるか? いや、やめておこう。別にアドバイスが欲しいわけじゃないし、彼を困らせることになってしまう。ここには、様子を見に来ただけだ。
ゴライアスとケストレルの同時戦闘で、ヴァリマールはまたダメージを負ってしまった。
『ドライケルス。カツテ彼モ、ソンナ顔ヲシテイタ。〝憂イ顔”トデモ言ウノダロウカ』
「思い出したのか……?」
『断片的ニデハアルガ』
ドライケルス・ライゼ・アルノール。俺の前の起動者。灰の騎神を駆り、
同じ表情をしていた、か。彼の悩みと俺の悩みは、おそらく比べることさえおこがましいものだとは思うが。
「どんな人だったんだ。獅子心皇帝は?」
『豪放磊落。泰然自若。りぃんノ性格トハ異ナルガ、人ヲ惹キツケルちからガアルノハ、似テイルト感ジル』
「俺が? 恐れ多いな」
『ドらイ……ケる、ス』
「どうした?」
会話が不自然に中断された。沈黙が妙に長い。姿勢を変えて、見上げてみる。ヴァリマールの双眼から光が消えていた。その機能を停止してしまったかのように。
が、不意に反応を見せる。
『ドライケルスからそなたに伝言がある。私が眠りにつく直前に、言付かったものだ』
「え……?」
急に言葉が流暢になった。何が起こった。ドライケルス大帝が、俺に伝言……?
しかしそこで止まる。
『ソウイエバ、ぱーてぃガ催サレルト聞イタ。私モ参加シタイモノダ』
「何を言ってる? ドライケルス大帝の話は?」
『彼ノ性格ノコトナラ、今伝エタ通リダガ?』
さっきの会話をヴァリマールは覚えていないようだった。記憶が繋がりきっていないのか。それにしても今のは……。
問い質しても、おそらくわからないだろう。
「ヴァリマールとの話、終わった?」
タイミングを図っていたのか、アリサが声をかけてきた。
「あ、ああ。アリサもドックに来てたのか」
「……あのね、その硬い感じ、なんとかならないの?」
「悪い。同じようなことをさっきラウラからも言われたんだが」
「会ってたんだ、ラウラに。ふーん」
座ったままのリィンの顔を、アリサは身をかがめてのぞき込んだ。半眼になった紅い瞳に、自分の顔が映っている。
まさかこれも失言の部類に入るのか。判定基準が難し過ぎる。目隠しで地雷原を歩いているような心地だ。
「なーんてね。別に探ったりはしないから。気にならないといったら嘘になるけど」
「何か用か?」
「用がないとリィンのところに来ちゃダメなの?」
これは地雷だった。あからさまに声音が低くなる。
「い、いやっ、そんなことはない」
「そ。じゃ、ちょっと詰めて。横に座りたいから」
言われるままに奥にずれると、アリサがとなりに腰を下ろした。二人してヴァリマールの足を背もたれにする。
「なるほど。あれを見てたのね?」
「一応、進捗確認のつもりで」
視線の先にはゼムリア製の大太刀の作業台があった。ゼムリアストーンの〝石の目”を打ち続けるクララの後ろ姿も見える。一回打ち込みを入れて少量削っては、場所を変えてまた打ち込む。
途方もない精神力と集中力の成せる業だ。進捗を確認と言っても、とても声など掛けられない。彼女だけはトリスタレースにも参加せず――というか町にさえ、まだ一歩も出ていなかった。
最初は巨大な鉱石の塊だったが、徐々に剣の形に近付きつつある。重量や重心のバランス調整もあるだろうから、あとどれくらいで完成かはリィンにも検討がつかない。
また立ち位置を移動したクララは、途中で何かを蹴った。
作業台の横の床にジョルジュが倒れている。つま先で蹴り上げたのは、彼の頭だった。ジョルジュはよろよろと起き上がると、半分白目をむいたまま刃の研磨作業に戻った。
「え、えげつないわね」
「ジョルジュ先輩の徹夜、四日目に突入したそうだ」
「そういえば昨日、何もない空間にしゃべりかけてたわよ」
「そろそろ厳しいな……」
心なしかやせた気がする。スレンダーなジョルジュ先輩は、見たいような見たくないような。
「パーティ出られるかな。無理そうだったら差し入れを持ってくるか」
「パーティ……。あ、あの、リィン。約束、覚えてくれてるわよね」
忘れられるはずがない。
避難訓練でアリサから告白を受けた時、トリスタで返答すると約束したのだ。
でも待てよ。さっきのラウラの話で認識したが、それができるのは今日だけじゃないのか。
「……! 覚えてる。覚えてはいるが……っ!」
「パーティの時……でもいいかしら?」
アリサの頬が赤い。膝に顔をうずめてしまっている。
「こ、こういうのってね。リィンが言ってくるまで、ちゃんと待つものだってわかってる。でもこんな状況だから、聞ける時に聞いておかないと、いつまでも後伸ばしになると思うのよ」
「………」
「ん……そうね」
アリサは腰を上げると、スカートの裾を軽く払った。
「20時。トリスタの東ゲート前で待ってるから」
●
日は暮れても、明るい喧騒が町中に響き渡っている。
パトリックはパーティと称していたが、屋台や出し物の店があちこちに立ち並んで、まさしく地方の祭りといった雰囲気だ。祭りというには季節外れであるものの、これはこれで風情があった。
学院も全面解放してのイベント事。トリスタがこれほど活気付くのは久しぶりだという。
リィンは一通りの出し物を見回ることにした。これほどの大規模である。トラブルが起きていないかの確認も兼ねてだ。
まずはグラウンド。
カレイジャスが中央に位置し、それをぐるりと囲むようにして出店が配置されている。
「うおりゃあ!」
威勢のいい掛け声はマキアスだった。出店の一つに彼の姿がある。
「さあ、どうだ!」
「おっ! おめでとう。ほい、景品」
「ま、またこれか!? 三回連続だぞ!」
あの屋台は《ブランドン商店》のようだ。
雑貨が当たるクジをやっていて、マキアスは見事にメガネを引き当てていた。
そこに吹奏楽部部長のハイベルがやってくる。
「ふう、見ていられないな。僕にも一つ引かせてくれ」
「むっ!?」
マキアスの表情が曇る。あの二人には確執があるのか? 接点などなさそうなものだが。
「やれやれ、君の魂胆はわかっているぞ。あれが欲しいんだろう。あのネックレスが」
「そ、それがなんだと言うんです」
「大尉にプレゼントする腹づもりと見たが、それはさせない。僕がもらう。そして僕が贈る」
「そう簡単に取れるわけがないでしょう。ざっと見ても確率は百分の一ってところですよ」
店前の台には大量のひもが並べられ、その先に括られた品物を手に入れるという方式らしい。マキアスの言う通り、ひもは百本近くある。
「愛が足りないと言わざるを得ない。だからネックレス一つを当てることもできないんだ。後学のために見せてあげよう。この僕の全力をなァ……!」
コオオオとハイベルの全身からオーラが立ち昇る。なんという気合いなのか。ここで命を使い果たすことも辞さない覚悟だ。
「シェアアア!!」
勢いよくひもを引っ張る。メガネが釣れた。マキアスはニタリといやらしく口の両端を引き上げる。
「いい全力でした。お似合いですよ」
「く、くそう! これちゃんと当たりはあるのか!?」
二人が店主に食いかかっていたが、リィンはその場を離れることにした。あの程度の諍いであれば、仲裁まではいらなさそうだ。
少し歩くと、食べ物系の屋台がずらりと軒を連ねる区画に入った。その中にはベッキーとヒューゴが立ち上げた店もある。また商人同士の意地をぶつけ合って、売上勝負でもしているのだろうか。
「ユーシス、あれ買って~」
「ユーシス、これ買って」
ミリアムとフィーが歩く財布――もといユーシスの両側からしがみついて、目につく食べ物を片っ端から収集している。良いも悪いも言う前に彼女たちは口に入れてしまうので、ユーシスに選択の余地はない。いや、そもそもそれに付き合う理由もないはずだが、彼は律儀に代金を支払っていた。
なんだかんだで面倒見がいい――と思いかけたが、額にはしっかり青筋がビキビキと浮き立っている。リィンは近付くのをやめた。
グラウンドの一画に設置された特別コーナーでは、ミス・トリスタ決定戦が開催されていた。
主に男子の人だかりの向こうで、お立ち台に乗ったトワが顔を赤らめている。
「エ、エントリーナンバー6番。トワ・ハーシェルです。アンちゃんに無理やり登録させられたんだよー!」
もじもじと身をよじる姿に、「我らが艦長ー!」「命令して下さーい!」「女神よ。俺の命と引き換えでいい。彼女の成長を止めてくれ」と男子諸氏は歓声を上げた。最前列で絶叫しているのは、他でもないアンゼリカだったが。
「エントリーナンバー7番。あの……ロジーヌです。宜しくお願いします。え、特技? えっと……お祈りでしょうか?」
おそらく彼女も他薦で立たされているのだろう。「俺の為に祈ってくれー!」「夜通し懺悔を聞いてよ!」「俺、生まれ変わったら修道服になるんだ……」などと男子たちはさらなる盛り上がりを見せた。
「エントリーナンバー8番。マルガリータよお。特技は美しいことねえ」
丸いのが出てきた。ノシっと足をかけられたお立ち台が、ミシミシと痛ましい悲鳴をあげる。
「んふう。本当はヴィンセント様だけにしか見せない肌だけどお、今日はトクベツだからあ。グフッ、目の保養をさせてあげちゃう」
スカートからのぞく生足をちらりと主張する。少なく見積もって大根四つ分のそれに、その場の紳士全員が絶望した。口に含んだ飲み物を滝のようにこぼしている。
年齢層で分けられているようで、10代部門の横のブースが20代部門だ。
出場者はサラ・バレスタイン一人のみ。自らでエントリーしたらしい。
「ふふふ! さあ、男子たち! 存分に見とれなさい。いい? こんな綺麗なお姉さんに訓練してもらえるって、それだけで幸せなんだからね?」
教官にあるまじきセクシーポーズをこれでもかと乱発する。
ややあって20代部門の投票結果が発表された。
優勝はメアリー教官だった。彼女の顔写真のパネルがステージに運び込まれ、花冠がかぶせられる。
「はああ!? エントリーどころか、今はトリスタにもいないでしょーが! 投票したの誰よ!? 出てきなさい……っだらあ!!」
《雷神功》が身を走り、文字通り雷が落ちてきた。客席に飛び込むや、サラは手あたり次第に男子を引っつかまえて暴れまくる。ミス・トリスタ決定戦の二回目が開かれたとしても、これで欄外は確定だ。
巻き込まれる前にと、リィンはそそくさと離脱した。
グラウンドを離れ、学生会館側へ回る。入り口前に立て看板が設置されている。《猛将列伝、朗読会》記載されていた。主催は《ケインズ書房withミント》とも。
扉に顔を近づけ、耳を澄ませてみる。
『――その時、猛将は言った。「靴下と首元のリボン以外を脱げ」と。少女は頬を朱に染め、ぷるぷると震える手で上着のボタンを外していく。「クレイジー様、どうかお許しを」と涙ながらに懇願するが、その行為は彼の嗜虐心を煽るだけだった。手にしていたバイオリンを床に投げつけ、恐がる少女の足先から頭までをなめ回すような視線でクレイジーはクレイジーで、おおクレイジー……』
妙な熱気が館内に充満している。とても扉を開ける気にはなれなかった。
催し物は自由と聞いているが、自由の方向性はあっているのだろうか。
そのまま通り過ぎ、正門の前まで移動したところで、またしても歓声。今度は講堂だ。あそこでは何を? リィンはのぞきに行ってみる。
「ふん! はあっ!」
「そいっ、そおい!」
「ずおおお!」
半裸の男たちが、引きしまった筋肉をギャラリーに披露している。入口には《飛び入りオーケー! ボディービル選手権》と、烈火のごとき筆書きの垂れ幕が飾ってあった。
よくよく見れば、舞台にはガイウスがいた。なにやら迷いが見えるが、それでもポーズを決めている。誰かに騙されてステージに上げられたに違いない。
誰かというのは、おそらく客席でキャーキャー叫んでいるヴィヴィだ。同じく騙されたらしいカスパルも、壇上で水着姿の肉体をさらしていた。
「ふうむ、ずいぶんと騒がしいの」
ステージの袖から、おもむろにヴァンダイク学院長が現れる。顔が怖い。羽目を外し過ぎだと、さすがに怒られるのか。
「では儂も参加させてもらおうか……のおっ!!」
膨れ上がった胸筋と上腕が、スーツを打ち破ってあらわになる。「ヌウウウウン!!」とさらに衣類は弾け飛び、御年70とは思えない屈強なボディーが黒光りした。堂に入ったサイドチェストポーズ。にっと笑った白い歯が燦然と輝く。
あんなもの、誰が勝てるんだ。
そっと半開きの扉を閉めて、リィンは正門前まで戻った。時刻は19時45分。
……そろそろ行かなくては。
●
リィンはトリスタ駅前に立っていた。
左に進めば、ラウラが待つ西ゲート。
右に進めば、アリサが待つ東ゲート。
二人とも、もう先に待ってくれているのだろう。
約束の時間まで、あと五分。
「………」
足をどちらかに動かしかけて、しかし進む方向を決めきれずに、また立ち止まる。
吹奏楽部の演奏が、風に乗ってかすかに聞こえてきた。
彼女たちは真剣に想いを告げてくれた。まったく想像していなかったし、もちろん驚きはしたが、素直に嬉しいとも思う。自分を見てくれて、そばにいたいと思ってくれていることが、本当に嬉しい。
だからこそ、こちらも真摯に答えを返さなければならない。
答え。あるのか、俺の中に。
あと三分。
「………」
曖昧な返答は絶対にしたくない。どんな答えを返すにせよ、そこにはちゃんと理由がいる。
理由。自分の想い。
〝リィンさんはもっとわがままになっていい”
ここに来て、アルフィン皇女の言葉が刺さる。
思い返せば、他人のことばかりを考えていた。どうすれば支えになれるとか、どうすれば助けられるとか。それはきっと、出自や育ちの経緯で、自分に対して引け目があったことに起因した思考だったのだろう。
自分に自信がなくて、自分の価値が見いだせないから、ならばせめて誰かの役に立とうと考えていたのだ。己を後回しにし過ぎて、エリゼにも仲間にもよく諌められたものだが。
だから。
リィン・シュバルツァーという人間を認められて、そして自分を後回しにできない事情が出てきて、俺はとまどっているんだ。
「……俺ってやつは」
自分で思う以上にややこしい男なのかもしれない。アリサ、ラウラ、こんな面倒なやつですまない。
時は止まらず、刻々と過ぎ行く。
約束の20時。
ゴーン、ゴーンと鐘の音が響き、辺りの空気を微震させた。
結局、二人に告げる言葉が見つからないまま立ち尽くすリィンは、数秒遅れてその違和感に気がついた。
「鐘? なんで……?」
トリスタには時報の鐘などない。音は学院の方向からだった。そちらに目を向けると、遠くに青白い光がぼんやりと立ち昇っているのが見える。
あの光は、まさか。
同時、《ARCUS》に通信が入る。全員への一斉通信だ。
『エマです! 皆さん、急ぎ旧校舎まで集合して下さい!』
それだけの言葉で、通信は途切れた。
ほどなく両側から駆けてくる足音。
「あ、リィン……と、ラウラ!?」
「アリサ!? なぜここに……?」
アリサとラウラがリィン越しに顔を合わせ、二人ともが困惑している様子だ。この反応を見るに、示し合わせて場所や時間を指定したわけではないらしい。どんな気の合い方だ。
その視線が中央のリィンに集中する。
「と、とりあえず通信は聞いたな? まずは学院に戻ろう」
「……うむ」
「……わかってるけど」
やむを得ず、されど納得しきれず。
そんな表情の二人を連れて、リィンは町の中を走った。
そこにはリィンたち以外――サラとⅦ組メンバーが集まっていた。
「遅かったわね。どこにいたの?」
そう言って目を向けてきたサラには、「学院の外にいました」とだけ説明して、リィンは眼前の旧校舎を見上げた。
建物全体が淡い光に包まれている。この現象は学院祭の時と同じだ。俺が起動者に選ばれた〝試し”の時と。
「トワ会長は?」
「先輩たちは、町の人がこちらに来ないようルートを封鎖している。この現象の対処については判断を僕たちに任せたいそうだ」
マキアスが答える。
判断しようにも状況が不明だ。情報がなく、推測も立てられない。なぜこんな異変が急に起きたのか。前と違って結界は張られていないようだが。
その時、頭の中に荘厳な声が響いた。
我は〝巨いなる一”の影
《ロア=ルシファリア》
「……!?」
周囲を見回す。今の声は全員が聞こえているようだった。
巨いなる一。ヴィータ・クロチルダを通じてもたらされた話では、《焔》と《大地》、その二つの至宝が衝突し、その果てに生まれた《鋼》。騎神として、七つに分かたれる前の存在を指す言葉のはずだ。
その影とは一体。
縁の糸に繋がれし者たちよ。これより〝裏の試し”を開始する。
混じり合う鏡面の想いと対峙し、各々で夢幻の回廊を進め。
――続く――