父さん。
とっさにそう呼んでしまい、しかしそれ以上の言葉は出てこなかった。
そう、父親だ。ドライケルスに見せられた過去の映像が、その事実を告げた。
激しい戦闘の音が風に乗って届いてくるトリスタ街道の中程で、リィンはギリアス・オズボーンと対峙している。
「訊きたいことはあるか?」
奇妙な静けさの中、先に口を開いたのはオズボーンだった。
「何から訊けばいいのか、わからない」
正直な感想を言う。
断片的に思い出しはしたが、全ての記憶が戻ったわけではない。なぜ生家が燃えていて、母と思しき人物が血に濡れていたのかも不明だ。その一つ一つを問い質したい気持ちはもちろんあるが――それをする時間が残されていないのも事実だった。大局の状況的にも、自分の状態的にも。
騎神から降りた途端に体の苦痛が倍増した。もしかしたら搭乗中はヴァリマールが痛みを緩和してくれていたのかもしれない。
沈黙を続けるヴァリマールを、オズボーンが見上げていた。焦げ茶色の瞳が、まるで懐かしむかのように灰白の装甲を眺めている。
なぜかほんの一瞬、250年前のあの光景――ドライケルスとヴァリマールの別れの姿がリィンの脳裏に浮かんだ。
「……どうして、あなた達が並んで立っている」
聞きたいことは他にあったはずなのに、最初に出てきた質問はそれだった。
予想していた問いだったようで、さしてもったいぶることもなく「私が答えよう」とルーファスがオズボーンの横から歩み出る。
「《
「……よくわかりました」
「結構」
いつからか、どうしてか、などはもう訊かなかった。
仕組まれていたのだ。規模を大きくして見るなら、この内戦自体が。
彼らの目的は想像もつかない。ただ陰謀というにはあまりに巨大過ぎる得体の知れない何かが、深い闇の奥で蠢いている。そんな予感があった。
「ユーシスはこのことを?」
「無論、知らない」
「ショックを受けるでしょうね。怒るかもしれない」
「いかに仲睦まじかろうとも、隠し事のない兄弟などいないさ。君もそうだろう」
「論点が違う。俺はただ、妹に恥じない兄でいたいと思うだけです」
「耳が痛いな」
オズボーンが手で制し、首をすくめるルーファスを下がらせた。
「リィン。お前は煌魔城へ行くつもりらしいが、その体では死にに行くようなものだ。いや、“ようなもの”ではなく、確実にそうなる。私にはわかる」
「だとしても決めた。行かないという選択肢はない」
「お前が選んだ道だ。引き留めようというわけではない。だがたとえば――」
そこで言葉を区切り、わずかにヴァリマールに目をやり、そして続ける。
「死なない方法があると言ったら、どうする?」
「……それは胸を撃たれたあなたが、今生きている理由と関係があるのか」
オズボーンは無言だった。しかしそういうことなのだろう。
死なない方法。
これは残された命を削り、未来を切り開くための最後の出撃だ。その未来に自分はきっといない。死にたいわけじゃない。みんなと共に生きていたいと心底思う。
可能性はないと思っていた。だけど、そうあれる未来をつかむ方法があるのか。
差しかけた一筋の光明に手を伸ばしかけ、けれど思いとどまった。自分の中の何かが、引っかかりを覚えている。
心に生じたぬぐい切れない違和感はなんだ。背徳感と言う方が近い。どこか気持ち悪い。この救いの誘いを受けることは、目を逸らしてはいけない事柄を容認することではないのか。
それは、それは――
リィンは奥歯をかみしめ、強い眼差しでオズボーンを正面に捉えた。
「宰相暗殺に端を発するエレボニアの内戦。これは仕組まれていた、つまり出来レースだとわかった」
「ふむ、それで?」
「そんなことをしでかしてまで、どんな大それた目的があるのかは知らない。なんにせよ、この状況は人為的に、意図をもって引き起こされたんだろう」
ルーファスが小さく肩を揺らした。彼は口元を緩めて、
「その通りだ。綿密で精密で緻密な計算を重ね、何年も前から手を回した。まさしくボードの駒を扱うようにね。これほど盤面を思い描いた通りに動かすなど、この私にもできるかどうか。やはり閣下は他者とは一線を画すお方であると、君も――」
「あんたは黙っていろ」
リィンはそう言い切った。ルーファスがどういう立場の人物であるかなど、この際どうでもよかった。
その自信に満ちた弁舌に、怒りが沸々と湧いてくる。
完全に虚を突かれたらしいルーファスは唖然としていた。何を言われたのか、すぐには理解できなかったのかもしれない。このような言葉を浴びせられたのは、多分初めてだろう。
「何を得意気に言ってる。人の命は盤上のゲームじゃない。失ったら二度と戻らない。ケルディックのことを何とも思わないのか? 多くの人が傷ついて、死んだ人もいる。あんた達が戦いを引き起こしたせいで、死ななくていい人が、真面目に生きてきた人が、今日を生きていないんだ!」
内戦さえなければ、オットー元締めはきっと生きていた。今日もケルディックの為に汗水を流して働いていたに違いない。
「俺はこのままでいい。このまま、みんなのところへ行く」
リィンは踵を返し、ヴァリマールに向き直った。
「冷静になれ。自分の激情一つで、助かる道を捨てるのか。お前は良くても、仲間はどう思うか、考えても見るがいい」
「言われるまでもない」
どんな形でも、みんなは俺が生きることを望んでくれるのだろう。わかりきっていることだ。
だけどすまない。それがどんな手段だったとしても、この誘いにだけは乗れない。
トリガーを引いたのはクロウだが、それさえも見越し、おそらくは利用し、エレボニアの内戦を誘発させた張本人。たとえ間接的にでも、彼の思惑が原因で亡くなった人たちがいる。
その男の手を取り、自らの命だけを長らえさせることが、どうしても俺にはできない。
意地とは違う。屈したくないという言葉が、一番合っている。
「理解できんな」
「反抗期だと思ってくれればいい」
「それはことさらに理解できん」
オズボーンの声音に、ほんの少しだけ喜色が乗った気がした。
リィンは足を止める。たった一つだけ、訊いておきたいことがあった。
「……俺を生んでくれた母さんって、どんな人だった?」
「母親か。カーシャはいつも笑っていた。朗らかな女性だった。何よりもお前を大切にして……愛していた」
「……俺は似てるかな」
「面立ちは似ている。性格は……そうだな。優しくも芯があり、しかし時に強情で頑固と思えることもあった。今のお前と同じだ」
「そうか。会いたかったな」
ヴァリマールに乗る前に、リィンはオズボーンに振り返った。
「俺はリィン・シュバルツァーとして生きてきた。あなたが誰であっても、俺の父さんはテオ・シュバルツァーで、母さんはルシア・シュバルツァーだ」
「それでいい」
お互いに背を向ける。二人の足音が離れていく。
「……俺の命を救ってくれたこと。感謝してる。ありがとう」
つぶやくようにリィンは言った。
その言葉が届いたのかは、最後までわからなかった。
《――家族の在り様――》
「フラガラッハ」
アルティナの号令で、その一撃が繰り出された。鋭利な剣と化した《クラウ=ソラス》の巨腕が縦一閃の軌跡を描く。
《アガートラム》は半身を盾にし、片腕に抱えるミリアムを守ろうとした。しかし黒い斬撃は鋭く、銀色のボディが切り裂かれる。
そこは煌魔城内部の吹き抜け。このまま上昇すれば天守に到達するという単純構造ではないらしい。高度は優に150アージュを超えている。
両断されたアガートラムの片割れが、ミリアムを抱いたまま落ちていった。
「アーちゃん、強いね」
落下しながら、ミリアムは言う。その言葉を聞き留めたアルティナは、細くした目で彼女を見下ろした。
「上からの物言いが気に入りません。もう終わって下さい。――ブリューナク、起動」
クラウ=ソラスの双眼と思しき部位に、エネルギーが集約されていく。狂暴に唸る赤い波動。レーザー光が直下へと照射された。ミリアムごと飲み込んでしまえるほど太い灼熱の柱だ。
その時、ミリアムの背を押し上げるように、下層から“風”が吹いた。
「この空気の動き……フィーがあれを使ったんだ。ボクも負けてられないよね。そうでしょ、ガーちゃん!」
白銀のトランス。八面傾斜の傘となったアガートラムは、降り注ぐレーザーを正面から弾いて拡散させた。八つに裂かれたブリューナクの熱閃が周囲の壁面を融解させていく。
「防がれた……? けどこのまま落ちれば――」
「ガーちゃんウイーング!!」
ミリアムの背に回ったアガートラムは一対の翼となる。大きく羽ばたき、急浮上したミリアムはアルティナの高度まで即座に舞い戻った。
「それは、あの時の……!」
アルティナが忌々しげにつぶやく。声には苛立ちが滲んでいた。
バリアハートで小鳥を二人で追いかけた際、ミリアムが見せたアガートラムとの一体化だ。高度なトランスらしく、その時のアルティナには不可能な代物だった。
「これなら小回りはボクの方が利くからね。一気に巻き返しちゃうよ!」
「同期しなさい。クラウ=ソラス」
走る漆黒の稲妻。クラウ=ソラスもアルティナの背後に移動し、一対の羽根を顕現させた。
「あっ!」
「あなたにできて、私にできないことなどありません」
鳥の翼を模倣したミリアムのウイングに対し、アルティナのそれは蝙蝠の羽だった。
天使と悪魔さながらに、姉妹が俊敏に中空を駆け巡る。
「ブリューナク!」
「ライアットビーム!」
光軸がお互いをかすめて過ぎる。ミリアムとアルティナは高速で8の字を描くように何度も交錯し、その度に火花を散らした。トランスも織り交ぜながら、あらゆる手段で打ち合いと撃ち合いを続ける。
攻撃も防御も速度も互角――に見えたが、少しずつミリアムが上回り始める。正確にはアルティナの力が弱まってきていた。
一気に接近したミリアムの体当たりを受けて、アルティナは攻めに転じようとした体を押し戻される。
「くっ」
「大丈夫? もしかしてアーちゃん、そのトランスにまだ慣れてないんじゃないの?」
「……どうして。あなたと私は同じはずなのに。いいえ、型式が後であれば、私の方が優れているはずなのに……」
「んー? よくわかんないけどさ。ボクとアーちゃんは同じじゃないよ。バリアハートでも言ったじゃん。ボクにできないことがアーちゃんにはできて、アーちゃんにできないことがボクにはできるって」
「……始まり方が同じでも、毎日違うものを見て、違うことを考えていたら、きっと違う人になる……でしたか?」
「そーそー、それ!」
「理解できないと返答したはずです」
アルティナが特攻を仕掛ける。衝突。ミリアムは宙で踏みとどまった。ぎりぎりと組み合う二人。
「ボクがⅦ組に入ったのはただの任務。でもね、今は心から仲間だって思ってる。楽しかったよ。みんなと一緒にいられる明日が欲しいんだ」
「そんな気持ちがあるから、あなたは任務遂行能力に欠落があるんです。感情というものの意義こそ、私は理解できません」
「感情……そうだね。ボクは悲しいって感情がよくわからない。ここはアーちゃんと一緒なのかな。泣いたこともないし、泣き方もわかんない。まー、ちょっと前にエリオットに泣かされそうにはなったんだけど」
「何を言って……」
「でも想像はできる。たとえばこの戦いで誰かを失っちゃったら、ボクはとても悲しくなると思うんだ。すごくつらくて、しんどくなると思うんだよ」
「だから感情など最初からいらないという結論でしょう。あなたの話をまとめると、それがなければ心身にマイナスの影響は発生しないということです」
「初めから感じないのは違う気がする。それじゃダメなんだ。悲しいのが嫌だから、楽しいのがいいから、ボクはがんばれる。――だから、勝つ」
「!?」
翼を軸に勢いよく回転。アルティナを振り払う。距離が開いた。
二人は同時に手をかざす。放たれるブリューナクとライアットビーム。最大出力の二極が激突。ばりばりと青白い雷が幾重にも爆ぜた。相互干渉を繰り返し、瞬く激しいスパークが視界を染め上げる。
双方引かない。やがて膨れ上がる光が臨界点を超えた。高密度のエネルギー波を縦横無尽に撒き散らしながら、熱線が虚空に放散されていく。
閃光が収まった時、ミリアムの姿はなかった。
「どこに……?」
見回し、そして見上げ、アルティナは彼女を見つけた。
頭上。銀色の大槌を背中に着くぐらいに振りかぶっている。
ミリアムはさきほどクラウ=ソラスに両断されたアガートラムの半身を、滞空させたままにしておいた。それをハンマーへと変えたのだ。
「分離させた方をトランスさせるなんて……」
「ねえ、アーちゃん」
ふわりと天使の羽根が広がる。
「いつかきっとアーちゃんにもできるよ。仲間って呼べる大切な人が。変わっていけるんだよ」
「できません、いりません、変わりたくなんかありません!」
「あはは、また遊ぼうね。でも今日はおしまい」
「っ! クラウ=ソラス! ノワールバリアを!」
アルティナを守護するように黒い障壁が生まれる。
ミリアムは翼をたたみ、急降下。加速の勢いも合わせて、身の丈よりも巨大な大槌を振り下ろす。
「ギガントハンマー!!」
戦っている時、いつも感覚にずれがあった。
最初は自分の反応速度に体がついて来られず、動きの軸となる部分を痛めていた。
だからノルドで“風読み”の技能を得て、事前予測の速度を上げた。これにより反応から行動までに猶予ができ、かつ全体的な速さは増すと共に、体への負担を減らすことに成功した。
しかし問題は続いていた。
フィジカルの速度が増せば増すほど、今度は武器のレスポンスが遅く感じるようになった。さっきゼノに照準を合わせた時が、まさにそれだ。イメージの中では命中していたのに、現実は射撃がフィーの反応に追いついていない。だからわずかに狙いが逸れ、そして外れた。
そんなことが、これまでの戦闘の中でも度々あった。
ということは単純に武器の性能が上がれば、この問題は解決するのではないか。そんなことを考えていた矢先に、ジョルジュからゼムリアストーン製の武器を誰か一人に作るという申し出があった。
そしてフィーは迷わず挙手したのだった。
「なんや、この動きは……!?」
ゼノのブレードライフルが空を切った。大振りの刃を下を潜り抜けて、フィーの一閃が残光を引く。ゼムリアストーン特有の緑がかった美しい淡光だ。ゼノは素早く銃身を立てて防御する。
そう来るのは予見していた。途中で斬撃の軌道を変えて、フィーはゼノの脇に回り込む。回転の威力も加えて、相手の腰に双銃剣のグリップを叩き込んだ。
「ぬぐっ!」
よろめくゼノ。視界の範囲外からレオニダスが迫ってきていた。ろくに振り返りもせず、フィーは一足飛びで間合いを開ける。レオニダスの殴打が危うくゼノに当たりそうになった。
「あぶなっ!?」
「……妙だ。武器を変えただけで、ここまで捉えられないものか。それにこの風。さっきからやけに体にまとわりつく」
レオニダスはいぶかしげにフィーを見た。
「もちろん能力は明かさないけど」
「この風は攻撃用ではないな。あとは……」
「わからないんじゃない? 私の能力との複合でもあるから」
双銃剣が風を生み、かつ攻撃用ではないという見解は当たっていた。
最高硬度と優れた導力伝達性を持つゼムリアストーンを刃に用い、そして内部には《レイゼル》の機構にも使われている翠耀石を組み込んである。
その効力は、使用者を中心とした一定範囲の大気を操るというものだ。とはいえこの付随効果は、フルパワーでも強風を吹かす程度だった。足止めにはなるかもしれないが、ダメージを与えるほどの力はない。
しかしフィーが手にした時、この力は意味合いを変える。
「二人で左右から同時に来る感じ? だったら私は足元に乱射して連携を乱すよ」
動かしかけた足をぴたりと止めて、ゼノたちは目配せをし合った。
下がったゼノの前にレオニダスが立ち、ガントレットハンマーを盾のように構える。
「ゼノ、機雷を仕掛けるつもりならやめた方がいい。手がけた瞬間に、私がそれを撃ち抜く。かすり傷じゃすまなくなるよ」
「ど、どないなっとるんや。レオニダスが壁になってるから、こっちは見えとらんはずやろ……!?」
相手が何かしらの動きを取った時、接する空気は例外なく押しひしげられ、密度を変える。その起点となる大気の揺らぎを感じ、対象の挙動を汲み取ることが、風を読むという技能だ。
しかし風は複雑だ。常に流動的で、しかも相手の動きから来る空気の揺らぎだけではなく、そこには自然の風も混じってくる。その中から敵の挙動だけを抽出して予測するというのは、ひどく難しい。当然、読み違えることもある。
だがある程度限定された位置に、大気を留めることができたらどうだろうか。その区画内で発生した、あるいはこれから発生しようとする動作が、ほぼ混じり気なしの情報としてフィーに伝達されることになる。
呼吸、心拍、発汗、まばたき、視線、筋肉の稼働、重心の移動。それらが100パーセントに近い状態でわかるのだから、これまでよりも早く、そして精度の高い行動予測ができる。
武器の性能アップによる攻撃速度の向上。大気を操ることによる風読みの強化。
その二つを統合する《ゼロス・ウィンド》を持つことで、ずれていたフィーの歯車は完全にかみ合った。
「からくりは知らんが、あらかじめ動きがわかるんか。やったら下手な駆け引きは逆効果ってことや」
「ああ、力押しだ」
さすがに察しが早い。小手先の技はやめて、ゼノとレオニダスが肉薄してきた。
ライフル弾、斬撃、打突、拳打、フェイントからのガントレットハンマー。阿吽の連携から繰り出される狂暴なコンビネーション。その全てを読み切る。フィーの支配下にあるフィールド内では、誰も彼女を捉えることはできない。
フィーは後ろに跳躍。着地の硬直を狙って、ゼノがブレードライフルを向けてきた。《ゼロス・ウィンド》を振るう。風の塊で銃身を横殴り、銃口を弾いて照準を狂わせてやった。
「攻撃用じゃないけど、このくらいはできるよ」
「面倒やな!」
「見えないのが、特にね」
続けざまに二人の顔面に風圧を押し付ける。とっさに顔のあたりを払おうとした。触れるものなんて何もないのに。
隙だ。そしてその隙が生まれることは、コンマ一秒前に感じていた。だからフィーは同時に動き出していた。
全開の瞬発力。さらに風で自分の背中を押して、急加速。
ゼノとレオニダスの間を駆け抜け、すれ違いざまに白い球を二つ彼らの足元に投げつける。弾はパシャンと破け、白い液体をばらまいた。
「うおっ、なんやこれは」
「ぬっ、動けん。粘着性の液体……というには即効性が強すぎるが」
「それ、前に私とミリアムで作ったんだ。私たちで学院中を罠だらけにしたことがあって、その時に仕掛けた物の残り」
後にあのできごとは《ちびっこトラップ》騒動と呼ばれたらしい。ちびっことは不本意なネーミングではあるが。あの時は関係各所にこってり絞られた。
「お前な、あんまり周りの皆さんに迷惑かけたらあかんで」
「私に罠の手際を教えてくれたのはゼノのくせに」
「……まったく、これは強力だ。すぐには抜け出せそうにない。油断したか」
レオニダスが言う。
「我々の身は拘束されたも同然。攻撃するなり、尋問するなり、好きにするがいい」
「しないよ」
「なぜだ」
「私はもう猟兵じゃない。それはさっきも言った通り。戦いの結果を生きるか死ぬかの二択では縛らない。二人はしばらくそこにいてくれたらいい。その間に先に行くから」
「ギガントハンマー!!」
ちょうどそのタイミングで、遥か頭上からミリアムの声が響く。轟音の直後に黒いかたまりがものすごい勢いで墜落してきた。空中で分離したクラウ=ソラスがアルティナをかばう。地面に激突し、粉塵と瓦礫を巻き上げたものの、彼女自身に大きなケガはないようだった。代わりにクラウ=ソラスは再起不能の状態だが。
「フィーも終わったの?」
羽を広げながら、ふわふわとミリアムが降りてくる。「うん」とうなずいて、フィーは《ゼロス・ウィンド》を腰裏のホルダーに差し戻した。
「終わり? 本当に終わりでええんか?」
ゼノが言った。
「私は別にゼノたちを倒したいわけじゃないから。それに私の知りたいこと。どっちみち今は教える気ないっぽいし」
「なんでそう思う?」
「猟兵じゃないなら、猟兵の流儀に合わせる必要はない。だったら勝負の結果だけで、欲しいものが手に入るとも限らない。そんな感じで私の言葉を逆手にとって、かわすつもりだったんでしょ」
「う……」
「はは、見抜かれていたか」
珍しくレオニダスが口の端から笑みをこぼす。仮にも戦いの場で、彼の緩んだ口元を見るのは初めてかもしれない。
フィーは彼らに歩み寄る。
「私のことを心配してくれてるのはわかる。猟兵としての生き方しか知らなかったから。実際、それでちょっとラウラともめたりしたこともあった。……けど大丈夫」
『何が?』
食い気味に二人が異口同音に言う。少し面白かった。
「普通に暮らすことが。同じ年代の友達を作って、戦いのない日常の中で、当たり前の生活ができるから……大丈夫」
多分、ゼノたちは――団長も――私をその世界に戻したかったのだろう。
けれど、彼らは一つ大きな勘違いをしている。
私と距離を置き、関係を断つことが、その方法だと思っている。団のみんなと他人になってしまって、それで私が心の底から幸せになれるわけがない。
《西風の旅団》を忘れず、《Ⅶ組》も大切に想って、フィー・クラウゼルだ。
その辺りは、追々わかってもらうとしよう。こちら側の課題だ。
でも今は――
「先に進ませてもらうのでございます」
エマたちに散々練習させられた淑女の一礼をしてみせる。ばっちり決まった。フィーネさんプロジェクトの集大成だ。
「団に入ってなかったら、こんな私になってたかもしれないね。でも私は今の自分が好きだよ」
ぽかんと口を半開きにする二人の前で、フィーは上着の裏に入れていた
作戦開始前にエーデルがお守り代わりにとくれたものだ。
「この栞に挟んであるのは、私が園芸部として育てた花。猟兵じゃない私の証として、持っていて欲しい」
栞をレオニダスのジャケットに差し込む。
「……それ、二つはないんか?」
「え、ないけど」
物欲しそうな目をするゼノには構わず、フィーはミリアムに言う。
「行こっか。いい?」
「フィーがいいならいいよ。じゃあまたね、アーちゃん」
倒れたまま、アルティナは腕で顔を隠していた。返答はなく、表情も見えない。鼻をすする音だけが、かろうじて聞こえた。
ミリアムもそれ以上は言わず、フィーの手を引いて、先へと駆け出した。奥に扉が見える。
ゼノとレオニダスの間を抜けたが、二人とも攻撃を仕掛けてくるような様子はなかった。
彼らの姿が遠ざかっていく。
「さすがフィーだよね。二対一で勝っちゃうなんてさ!」
「まあね」
フィーは浅く吐息をつく。
勝ったなんて思っていない。まったく釈然としない。やっぱり振り返って、文句の一つでも叫んでみようか。いつまでも子ども扱いして。
あんな接着剤くらい、すぐに抜け出せたくせに。
●
顔に乗せていた腕をずらして、寝そべったまま上を見る。
高い高い吹き抜け。この煌魔城という場所は空間にひずみが多いらしく、物理法則に則った構造をしていないそうだ。仮にあのまま上昇し続けていたとしても、天守にたどり着くことはなかっただろう。おそらくは城の違う位置に飛ばされたか、上下をひたすらループしていたか――多分そんなところだ。
「なあ、おいって!」
そんな声が耳に届いて、アルティナは視線を横に向けた。
自分への呼びかけではない。さっきまで地表で戦っていた二人。《西風の旅団》の、ゼノとレオニダスという名前だったはずだ。作戦中に支障が出てもいけないから、一応覚えていた。
ゼノがレオニダスに食いかかっている。
「さっきのやつ。フィーがくれたやつ。ちょっと見せてくれや!」
「ダメだ。一度渡したら、二度と返さないつもりだろう」
「そんなことせえへんわ! な!? な!?」
「必死さが怪しい」
なにやら口論している。内容はよくわからない。興味もなかった。きんきん頭に響くから、静かにして欲しいとは思う。
「じゃあ買う! 一万出す!」
「論外だ」
「十万ならどや!」
「断る」
「百万いくで!」
「断る」
「一千まあああ!!」
「売らん!」
どうやら売買の交渉のようだ。レオニダスが一千万を即答で振り払い、ゼノが絶望した顔で両手を地につける。
金銭の価値というのも、いまいち理解しがたい。基本的に入用なものは全て支給されるからだ。
ただ一千万円は高額だとも理解している。いったい彼らは何を言い合っているのか。
「いいやんか! どうせ栞なんて使わんのやろ!?」
「何を言う。俺は本をよく読む」
「花で作った栞を本に挟む姿とか似合わなさ過ぎるしな! 自分の筋肉を見たことあるんか!? ぺらぺらと薄いページをめくるんは筋肉の無駄遣いやと思わへんのか!? 筋肉は本なんか読まんでええ!」
「……今ひどく不名誉な侮辱を受けた気がするが」
と、言い争いの最中、いきなり二人の目がこちらに向いた。視線を感じたらしい。
「お、黒兎の嬢ちゃん。起きとったんか。えらい派手にやられたなあ」
ゼノはからからと笑う。
なんだか不愉快になって、アルティナはフードを目深にかぶった。これは、いらいらする……?
「ははは、怒らせてもうたか。すまんすまん。もう退散するから、勘弁したってな」
「退散? どこへ」
「とりあえず外へやな。実は契約はもう終わっとるんや」
ゼノはレオニダスを一瞥する。うなずくレオニダスは太い腕を組んだ。
「旅団としての協力は、あくまでも煌魔城出現まで。足止めを買って出たのは、妹分の行く末を見届けたかったからだ」
妹分という言葉が、胸中をざわつかせる。
彼女はいつも私を妹扱いする。私は彼女を姉だなんて認めていないのに。先に出たか、後に出たか、それだけのことなのに。血縁という括りでもないのに。
『外に出たら、また会おうね。それでいっぱい遊ぼうね!』
ずきりと頭蓋に痛みがうずき、どこかの光景がフラッシュバックする。液体の中から見るガラス越しの笑い顔。ミリアム・オライオンが自分に微笑みかけ、そして誰かに連れられ離れていく。
「……?」
今のは記憶。私の記憶。たぶん出荷前の――
「嬢ちゃんはどないするんや?」
ゼノの一声で、かすみがかった思考が現実に引き戻される。
「どう、とは。命令は侵入者の撃退。あるいは足止めでした。それが失敗したときは……えっと」
そういえば、その場合の指示がなかった。どうすればいいのかわからない。ひとまず《パンタグリュエル》に帰還すべきか? それともクラウ=ソラスの回復を待って、自分も天守に向かうべきか? 先にヴィータ・クロチルダに合流したほうがいいのか?
困った。決められない。
「ま、好きにしたらええわ。こっちも城内に分散した時点で、指揮系統なんざあってないようなもんやしな」
「……そう言われても」
「ずっとここから動かんわけにもいかんやろ? 魔物もうろついとるし。負けたんがくやしいんやったら、仕返しでもしてきたったらええねん」
「仕返し……?」
「おお、そりゃ冗談やけどな」
ゼノはまた笑う。
負けてくやしい。そんな感情こそよくわからないが、釈然としない気持ちは確かにある。そもそも私は負けたのか? ちょっと地面に背中をついただけだ。やられてない。クラウ=ソラスだって、動こうと思えばまだ動けた。
ああ、なるほど。あの人が私に勝った気になっているのが、私は納得できないのか。
「仕返し……仕返し……」
うわ言のように口中で繰り返しながら、アルティナはむくっと体を起こした。
「おーい、もしもーし。冗談って言うたで? 個人的にはさっさと撤退する方がええと思うで?」
「わかりました。やり返してきます」
「いや、わかってへんな!」
クラウ=ソラスを従えて、アルティナはミリアムを追った。
――つづく――
《家族の在り様》をお付き合い頂きありがとうございます。
最終戦の最中ですが、今回メインで登場した人物たちのテーマの一つでもあります。
本当はこの話だけで全員分の戦いを描き切るつもりでしたが、余裕で入りませんでした。一話ごとの内容のペース配分は永遠の課題なのかもしれません。
なので次回で一気に行きます!
引き続きお付き合い頂ければ幸いです。