虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第120話 地を凍てつかせる者

 跳躍し、回し蹴りを繰り出す。

 勢いと重さを合わせたヴァリマールの一撃を、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》は避けようともしなかった。

 胴体に直撃したはずの蹴足は、紙一枚の空間を開けて、敵の体には触れていない。紅い膜のような光に阻まれている。

『どいてろ!』

 別方向からオルディーネが切りかかった。ダブルセイバーの連撃だ。目にもとまらぬ速さで、鋭い斬光を刻みつける。

 しかし刃は相手に届くことなく、またしても弾かれた。

 相手は常に体全体を覆う障壁を展開しているのだ。これを突破しない限り、ダメージの一切を与えることはできない。

 《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が緩慢に両腕を振るった。龍のごとくうねる業火が、ヴァリマールとオルディーネに襲い掛かる。炎にかすめられた装甲の端が炭化して、ぼろりと崩れ落ちた。

 二機とも、フルブーストで急速回避。霊力の放出で火の粉を散らしながら、一気に後退して間合いを開ける。

『攻撃力と防御力が反則レベルだな。近づくのも命がけかよ』

 双刃に燻る炎を払い、クロウは悪態をついた。

 接近がままならず、接近したところで有効打もない。相手にしてみたら羽虫を払う程度であろう反撃が、こちらにとっては致命傷になる威力を有している。

 リィンは後ろに控える仲間たちに言った。

「全員、絶対にヴァリマールの前に出ないでくれ。あとミリアムはいつでもバリアを張れるようにアガートラムのスタンバイを頼む」

 そう指示したものの、バリア一つでどこまであの熱波を防げるかは怪しいものだった。『り、りょーかい!』といつもの元気良さでアガートラムを呼び出したミリアムは、しかし空元気だとわかる表情の強張りを見せている。

 皆が満身創痍で、武器を失っている者も少なくない。自分だけで守りきれる自信はないのだろう。

「大丈夫だ、ミリアム。いざとなったら俺が盾になって守る。だから心配するな――ん?」

 言葉の途中で、外部への拡声機能が遮断されていた。ヴァリマールが核の中だけに聞こえる音声で告げる。

『ソレハ言ワナイ方ガイイ。マタ怒ラレルゾ』

「……ナイスフォローだ」

『相棒ダカラナ』

 俺よりも俺のことがわかっているこの感じ。出会った頃から比べると、ヴァリマールは本当に変わった。

 戦闘においては効率を重視してばかりで、こんなふうに俺に霊力を供給して命を繋ごうなんて真似は――

『リィン、私ハ、ソナタニ、皆ニ、会エテ……――』

「ヴァリマール?」

 彼の言葉が不自然に途切れる。直後、ドクンと心臓の鼓動がやけに大きく聞こえた。

「かはっ……!?」

 服が鮮血で真っ赤に染まっている。かろうじて抑えられていたはずの胸からの出血が、ひどい状態になっていた。急に寒気を感じる。手足が凍え、指先の感覚が失せていく。

『ここが正念場だぜ』

「ク……ロウ」

『やることは変わらねえ。あいつの核を引っこ抜いて、エリゼを取り返せ。どうやらお目覚め直後で、魔王様の力はまだ完全には戻ってないらしい。仕掛けるなら今だ』

 あれで不完全な力なのか?

 そう声に出したつもりが、出ていなかった。喉から空気がもれて、かすれる音がする。

 ヴァリマールの霊力が底をついていた。当たり前だ。元々十分ではなかった霊力を、俺の生命維持に回しつつ、ここまで戦い続けた。

 残り一回だと釘を刺されていた戦闘限界を、とっくに越えていたのだ。つまりそれは同時に、とうとう俺のタイムリミットが来たことを意味している。

『おいおい、なんだ、ありゃあ……!?』

 クロウの戸惑う声が、光の薄れつつある操縦空間に響いた。

 モニターにはまだ外部の光景が映し出されている。

 《エンド・オブ・ヴァーミリオン》から無数の赤い光が放たれていた。こちらへの攻撃かと思ったが、その赤く滲む光の帯は地上へと向かう。帝都全域へと伸びゆくそれは、クラゲの触手か、いびつな鳥かごにも思えた。

『これも250年前と同じ……!』

 顔面を蒼白にしたエマに続き、『ヘイムダルに生きる人々の霊力を吸収するつもりよ。……およそ八十万人分の霊力をね』と、さしものヴィータも慄いている。

 禍々しく脈動する赤い帯。

 自らの霊力は尽き、敵は莫大な霊力を手に入れようとしている。止めないと。数えきれないほど多くの人の命が――

『連携取っていくぞ。とにかく障壁を突破しないと話にもならねえからな。おい、リィン。聞いてんのか!?』 

 クロウの声が遠ざかっていく。

 くそ、意識を失うな。戦ってみんなを守れ。エリゼを助けるんだろ。俺は、まだ――

 

 

《――地を凍てつかせる者――》

 

 

「なんなんだ、こいつは。滅茶苦茶だ……!」

 こちらの攻撃をまるで受け付けない。レイゼルの速度にも反応してくる。操縦桿とフットペダルを忙しなく連動させながら、パトリックは《イスラ=ザミエル》の攻撃を避け続けていた。

 いや、避けられてはいない。ぎりぎり致命傷を外せているというだけで、機体の損傷は激しい。

 厄介なのは音もなく現れる氷の刃だ。これのせいで右腕を失い、そこからも装甲をズタズタにされている。

 いったい僕は、何百枚の反省文を書かなくてはならないのか。

「……迂闊だったな」

 せめてアサルトラインさえ使えれば、立ち回りの手段が増えるというのに。

 地面に転がる切断された右腕を一瞥し、パトリックは凝った嘆息を吐いた。

 他に武器は《レヴィル》という片刃ナイフに、残弾数ゼロの《オーディンズサン》、あとは左腕のブレイズワイヤーか。

 使えないライフルは最初から戦力外として、それ以外の攻撃手段も有効ではなさそうだ。

 背中の光輪を輝かせた《イスラ=ザミエル》は、四本腕で四つの剣を振るう。冷気の尾を引き、氷の刃が地面を走った。

 じぐざぐの回避機動を取りながら、レイゼルを後退させる。《イスラ=ザミエル》は追ってきた。ゆったりとした足取りで、じわじわと距離を詰めてくる。獲物を嬲るのを楽しんでいるかのようだった。

「性格が悪いって言われるだろう……!」

 自分で口に出してみて、ブーメランを投げた心地になった。それをブーメランだと自覚できるあたりが成長と言えるのかもしれない……などと、どうでもいいことが頭に浮かぶ。

 なおも回避を続けながら、パトリックは敵をカレイジャスから引き離そうとした。とにかく時間を稼がないと。エンジンの復旧はまだか。艦からの報告はない。

 もう少し、あの場所まで行ければ。

 何度目かに放たれた氷の刃をしぶとく避けきった直後、レイゼルの向きを急転回させるや、《イスラ=ザミエル》に目掛けて、パトリックは猛スピードで特攻した。

 そのルート上にある、地面に刺さったままのブレードを勢いに任せて引き抜き、最大速度のまま突きの形に構える。

 やみくもに逃げていたわけではなかった。これを回収するのが目的だったのだ。

「だあああ!!」

 そう何度も切り結べる相手とは思っていない。起死回生の一撃に全てを賭ける。

 刺し違えてでも仕留める覚悟で、ヴァルキリーブーストも起動。攻撃後に派手に横転しようとも構わない。超加速の勢いも加えて貫いてやる。

「……!?」

 ブーストが起動しない。速度自体も落ちる。レイゼルの反応が極端に鈍くなった。

 理由はすぐにわかった。体のいたるところが氷結している。四肢の関節も、装甲の内側までも。

 冷気を受け続けたせいだ。しまった。こいつと接近して戦うこと自体が、すでに危険だったのか。

 硬直するレイゼルの脳天を狙い、《イスラ=ザミエル》が剣を振り上げる。背の魔法陣が青白い逆光となり、そこに映し出されるシルエットは、まさに悪魔そのものだった。

 凍った左腕を突き出して、至近距離でブレイズワイヤーを放つ。避けられた。

 外れたワイヤーをつかまれ、そのまま荒っぽく引き寄せられる。

《イスラ=ザミエル》の鉄面がモニター画面を埋め尽くす。恐怖を感じる間もなかった。

 強い衝撃に視界がぶれる。コックピットを殴られたのだと理解した時には、レイゼルは背中から倒れていた。せり出したウイングバックパックのおかげで、完全な転倒体勢にはならなかったが、大した意味はなかった。

 立ち上がる動作を取ろうとするより早く、今度は敵の足裏が迫っていた。

 操縦士ごとコックピットを踏み潰すつもりだ。モニター画面が黒く塗りつぶされ、直後に激震が走る。

 パトリックにできることは何もなかった。

 

 

「殿下はブリッジにお戻りください! 危ないですから!」

 先行して階段を駆け下りるトワは、振り返らずにそう言った。「どこにいても危ないのは同じでしょう!」と言い返し、アルフィンは彼女の背中を追う。エレベーターはワイヤーが断線して使えなくなっていた。

 外ではパトリックが《イスラ=ザミエル》を押さえてくれている。

 その間にトワは、クルーたちに船倉から上層に退避するよう指示を出していた。魔煌兵の目的がゼムリアブレードであるのなら、その場所がもっとも危険だ。

 仮に魔煌兵が船倉に侵入したとしたら、ブレードを守るすべは何一つとしてない。そしてあれほどの大質量の剣を、敵の手の届かない位置に移動させる方法もなかった。

 レイゼルの勝敗が全てを決める。

 つまるところ船倉にクルーが待機していようがいまいが、できることはないのだ。だからトワは取捨選択をして、剣に守りはつけずに人員を下げさせた。

 しかし今こうして船倉を目指しているのは、その艦長命令に従わない人間がいるのがわかっていたからだった。

「それで、クララさんは本当にまだ船倉にいるんですか?」

「います。確実に」

 トワは断言した。

 ヴァリマールの専属整備士で、ゼムリア製の太刀を、“石の目”を打つという手法で精製してくれている中心人物。

 アルフィンも彼女との面識を持とうと、船倉に足を運んだことはある。

『初めまして、アルフィン・ライゼ・アルノールと申します。あなたが剣を作って下さると聞きまして、ぜひご挨拶をと』

『うるさい』

『えあっ、わ、わたくし――』

『黙れ』

 そういう、それだけの会話で終わった。作業中の彼女は誰に対してでもこのような対応らしい。そんなやり取りを間近で見てしまったジョルジュは、血の気の引いた真っ青な顔をして、言葉にならない声を上げていた。

 もちろんクララの態度で憤慨するような狭量でもなかったが、さすがのアルフィンもそこから踏み込むメンタルは持ち合わせておらず、以降は近づくのを控えている。

 確かにあの性格であれば、トワの艦内放送など聞き流すどころか、聞こえてさえいないかもしれない。

「でもトワさんが直接赴いたところで、言うことを聞いてくれるでしょうか?」

「うぅっ、それはわかりませんが。放っておくこともできませんし」

「ですね」

 ブリッジにいても自分が手伝える艦内復旧作業はたかが知れている。そう考え、アルフィンはトワに付いて行っていた。説得に応じなくても、二人がかりならクララを無理やり引きずることはできるはずだ。その後は怖いが。

 赤いドレススカートの裾を持ち、足を引っかけないようにして階段を飛び降りる。

 ややあって船倉に着いた。

 中腹の一角に、ごそごそと動く小柄な人影を見とめる。案の定、クララだ。

「クララさん! 私の通達、聞いてくれてたかな!? 聞いてないから、ここにいるんだろうけど!」

 年下や同年代には基本“ちゃん”付けのトワだが、クララには“さん”付けだった。

「魔煌兵が来てるんだよ! 早く退避して!」

 クララは無言だ。無視して、剣を打ち続けている。

「狙いはそのブレードなんです。ここにいては危険ですから!」

 トワだけでは無理そうなので、アルフィンも重ねていく。

「いったん剣は置いていくしかないよ。パトリック君が敵を引き付けてくれてる内に!」

「早く、早くです!」

「こうなったら力づくだからね? 本気だからね!? 殿下、力を貸してください!」

「はい! わたくし達の力を合わせましょう。怒ったら怖いってところをお見せしちゃいます!」

 やかましく騒いでいると、クララの三白眼がぎろりとむけられた。

『ぴゃあっ』

 ひとにらみで射すくめられ、二人は小動物のように身を寄せ合った。

「もう少しだ。黙っていろ」

「……もう少しって、どれくらい?」

 トワがおずおずと質問するも、クララはもう答えなかった。

 アルフィンもあきらめた。

 これはテコでも動かないだろう。待つしかないのか。外の様子は? なんだか静かだ。そういえば、いつの間にか戦闘の音が止んでいる――?

「きゃっ!?」

 突然、足元がぐらついた。艦そのものが揺れているのだ。立っていられないほどに視界も跳ね上がる。

 続けざまに強烈な衝撃が襲ってきた。対面する壁の一部がばらばらと剥落する。二十アージュくらい上方に生まれた小さなヒビのような損傷に、外側から指らしきものが差し込まれた。

 メキメキメキと金属が引き裂かれる音。四本腕がヒビを押し開き、いびつな破孔へと形を広げていった。

 その大穴に、あの鉄面がのぞく。

「そ、んな……っ!」

 《イスラ=ザミエル》だ。ゼムリアブレードを睥睨するなり、さらにカレイジャスの外壁を荒々しく破壊する。飴細工さながらに壊れていく外装。

 床に落ちた建材を砕きながら、悪魔じみた異形が船倉へと踏み入ってきた。

 その向こうに、地面に仰向けに倒れているレイゼルの姿が見えた。やられてしまったのだ。パトリックはどうなった。アルフィンの位置からでは見えなかった。

 彼の心配はあとだ。こちらも逃げないと、すぐに。

 踵を返しかけて、アルフィンは立ち止まった。

 クララがまだ剣を打っていた。迫る魔煌兵にわき目も振らず、愚直に、実直に、刃にノミを打ち込んでいる。

 もうどうしようもないのに。剣ができても意味がないのに。このままだと殺されてしまうかもしれないのに。

 しかし気づいた時、アルフィンはクララと剣の前に立ち、彼女を守るように両腕を開いていた。

 自分のとなりで、トワも同じ格好をしている。

「で、殿下は止めてください。どうしてこんなことを……」

「トワさんだって……」

 考えてやったことではなかった。これは大切な剣だ。多くの時間をかけて、希望を込めて作った、とても大切な。

 魔煌兵なんかに奪われるのは嫌だ。トワもきっとそう思ったのだろう。

 けれど全身が恐怖に震えている。足がすくんで、へたり込んでしまいそうだ。

 《イスラ=ザミエル》の手がこちらに伸びてくる。

 剣が先か、自分が先か、いずれにせよこのまま握り潰されて――

 敵の動きが不意に止まった。

「え……?」

 反対側の手に何かが巻きついて、外側に引っ張られている。レイゼルのブレイズワイヤーかと思ったが、そうではなかった。レイゼルは倒れたままでいる。

 あれは、あれは――!

『相変わらずね、お姫様』

 法剣を繰る《ケストレル》から、彼女の声が聞こえた。

 

 

 メインモニターに映るアルフィンが何かを叫んでいる。

 内から外に発信する拡声マイクは機能しているが、外から内に作用する集音マイクは壊れているようだった。彼女の声は聞こえない。

「まったく……どういう事態なのかしら、これは」

 スカーレットは状況の全てを把握していなかった。

 バルフレイム宮が魔城へと姿を変え、正規軍と貴族連合の全面衝突が始まり、ヘイムダルの上空をパンタグリュエルとカレイジャスが行き過ぎた。下降角度からして、墜落か不時着をしただろうことも察しがついている。

 ここまで来たのは、そう……気の迷いだった。そのままクロスベル方面に姿をくらますこともできたのに、安否だけでも確認しようかと逡巡してしまったのだ。

 こっそりと、ちょっとだけ。

 そう思いつつも、市街の大通りをケストレルで突っ切ってきたから、かなり目立ったとは思うが。

 その果てにマーテル公園に着いたみたら、この有様だ。

 明らかに異質な魔煌兵がいて、レイゼルは戦闘不能。カレイジャスの外装がその敵に破られて、そこにアルフィンの姿が見えた。

 あとは反射的に体が動いてしまっていた。

 法剣で片腕を拘束されながらも、魔煌兵はこちらに首を振り向ける。刺すような敵意がケストレルの装甲越しに、コックピットまで伝わってきた。

「……あーあ、やっちゃったわ。来なければよかったかも」

 自嘲気味につぶやく。

 この私とケストレルを追い詰めたレイゼルが、ああも呆気なく打ち倒されている。それだけで、敵の異常性はわかった。

 もっとも、今レイゼルを動かしているのは、ラインフォルトのお嬢さんではなさそうだが。

 装甲に受けた傷や汚れ方で、どんな戦い方をしたのかは大体想像ができる。やられるにしても、彼女ならもっとスマートに機体を操縦しただろう。このパイロットはずいぶんと泥臭い戦闘を繰り広げたようだ。

「残念だけど……無事ではないでしょうね」

 レイゼルの胸が陥没していた。コックピットブロックはひしゃげ、中の操縦士も潰されている損壊の深さだ。

 一応、通信も試してみたが、応答はなかった。おそらくは、もう。

「っとと……?」

 魔煌兵が腕を力任せに引き、法剣で繋がるケストレルは危うく体勢を崩しかけた。

「やるじゃない。けどそこから離れてもらわなきゃ、こっちも十分に戦えないのよ」

 綱引きの要領で、敵をカレイジャスから引きずり出す。敵もこちらを先に仕留める必要があると判断したらしく、自ら艦内から進み出てきた。

 勝とうなどとは思っていない。そもそもケストレルは形だけの補修を済ませただけで、万全の状態ではないのだ。

 だから、できることはやはり時間稼ぎしかなかった。

「私の声、聞こえてるでしょ。すぐに逃げなさい」

 マイクに吹き込んでから、法剣を引きはがす。ばらけていた刃を連結させ、通常の剣の状態に戻した。

 今一度、アルフィンを見やる。まだ何かを叫んでいた。

 ごめんね、お姫様。私はやっぱりあなたの騎士にはなれないわ。

 ここに来るまでもずっと考えていた。考えて、悩んで、見つけたものは、結局、命の使い方。

 前は無下に捨てようとしていた。今は何かの為に使おうと思えている。使った先の結果は、捨てた時と同じかもしれないけれど。

 でもね、意味なく冷めた命を切り離すことと、意味あることに命を燃やし尽くすことは、全然違うことだと思うのよ。

 私の命を使って、あなたの命を助けること。それは意味のあること。

 闇の中でうずくまり続けた私にとって、唯一繋げられるたった一つの光。

 “わたくしの横に立ち、共に世界を変えなさい”

 そう言ってくれて、嬉しかった。

 あなたはきっと、この世界を変えられる人。あなたの横に立つのは、もっとふさわしい人がいる。

「……さあ、何分もたせられるかしらね」

 スカーレットはケストレルの出力を上げた。

 守ろう。

 過去に囚われているのなら、せめて未来への礎を。

 

 

 スカーレットの加勢を得て、しかし戦況はさほど変わらない。

 《イスラ=ザミエル》が現れた時点で、選択肢は倒すか逃げるかの二つ。

 倒せる相手でない以上、今のうちに逃げる判断をすべきだ。難しいのが、その境目だった。

 退艦命令を出せば、ひとまずクルーたちの命は守ることができる。ただし艦と剣は失う。

 ここで耐えてエンジンが直れば、剣とクルーを空に上げ、リィンたちの力になることもできる。ただし待ちの見極めを誤れば、少なからずクルーに犠牲者が出る。

 どっちだ。

 大局で考えるなら後者を取る方がいい。前者を選んでクルーの安全を確保したところで、剣を届けられないのなら、どのみち最悪の結末になってしまう可能性がある。

 だが躊躇なく後者を選ぶには、クルーたちを駒として見る感性が必要だった。私情を挟まず、プラスとマイナスの差し引きだけで指示をする。

 そういう考え方はできる。だが口から発することはできない。大切な学院の仲間。艦長という役職はあくまでも仮で、本来はトールズの学院会長だ。

 だから彼らとは上官と部下という間柄ではない。根底にあるのは、友人としての認識。

 理念と使命を優先し、その命を投げ打てなどと、どの立場で言えるというのだ。

 では命を優先して撤退か? 希望たり得る剣を捨てて? リィンたちは戦っているのに――

「完成した」

 クララの一声が、トワの思考を目の前に引き戻した。

「え? 完成したって……」

「言葉通りだ。最後の重心調整で手間取ったが、これで寸分の狂いなくシュバルツァーの太刀と同じバランスになった」

 作業台の上のゼムリアブレードは静謐な輝きを刃に漂わせ、静かに横たわっている。威圧とも迫力とも違う、形容し難い凄みがあった。

 あとはエンジン。これさえ直ればすぐにでもこの場を脱出できるが……。

「アンタたち、何やってんのよ!?」

 黒猫がいきなり足元に飛び込んできた。

「び、びっくりした。セリーヌさん、いたんだ」

「ブリッジに帰ってくるのが遅いから、様子を見に来てあげたのよ。艦も派手に揺れ動いたし! というか、とんでもないことになってるじゃないの!」

 破られた壁面を見たセリーヌは、猫目を丸くして驚いている。

「でも、どうにか剣はできたから、あとはカレイジャスが飛べるようになれば――そうだ!」

「なに? 急に大きな声なんか出して」

「転移術! あれなら剣だけをリィン君たちのところに送れないかな!?」

 それなら機能復旧を待たなくてもいい。妨害も受けないし、いいアイデアだと思ったが、セリーヌはゼムリアブレードを一瞥すると、かぶりを振った。

「無理ね」

「ど、どうして?」

「転移術で重要なのは、対象物の質量と体積と距離。この剣はそのいずれの条件も満たしてないわ。要するに重いし、大きいし、目的地まで遠過ぎる」

「そう……」

 セリーヌが断言する以上、本当にできないのだろう。やはりジョルジュを信じて、作業が終わるのを待つしかなかった。

「あ、ああっ!」

 アルフィンの悲鳴が響いた。

 《イスラ=ザミエル》の鉈剣が、ケストレルの胸を貫いていた。鈍い輝きを放つ幅広の刃が、背中から抜き出ている。背部ブースターに火花が散り、バックユニットが爆発した。

 セリーヌに目を移していたわずかな時間で起きたことだった。ケストレルが万全の状態でなかったとはいえ、スカーレットの技量を持ってしても、まともに渡り合えなかったのだ。

 吐いた黒煙を揺らして、深紅の機体がくずおれていく。

「スカーレットさん!!」

「殿下!? いけません! お戻りください!」

 トワの制止も聞かず、アルフィンが走っていく。瓦礫を乗り越えて、破孔の隙間から外へと飛び出してしまった。

「セリーヌさん、転移術で殿下をこっちに引き戻して!」

「わ、わかったわ!」

 この状況で外に出るのは自殺行為だ。すぐにセリーヌも了解し、転移陣を開こうとする。

「トワ! 来ているのか!?」

 その時、ジョルジュが船倉の戸口に姿を見せた。

「ジョルジュ君!? どうしたの!?」

「エンジンが復旧した! カレイジャスはいつでも飛べる!」

 ついにきた。やってくれた。剣も完成し、最高のタイミングだ。あとはアルフィンをこちらに転移させ、ブリッジに離陸指示を出すのみ。それでも猶予はない。急がないと。

「……!?」

 ケストレルに駆け寄るアルフィンを目で追い、しかし彼女よりも《イスラ=ザミエル》に視線が止まった。

 剣を振りかぶっている。ケストレルにとどめを刺すつもりか。いや、そうではない。

 狙いは私たちだ。

 敵が剣を投げ放ったのと、その直感が走ったのは、ほとんど同時だった。

「伏せ――」

 クララとセリーヌに言いかけて、トワの身が硬く強張る。

 投げられた剣の向かう先が、こちらではなかった。艦の後方。船倉の戸口より後ろ、工房よりもさらに奥。その場所にあるのは、

『逃げて、ジョルジュ君!!』

 轟音がトワの叫びをかき消す。投擲された大剣が、機能を取り戻したばかりのカレイジャスのエンジンルームを直撃した。

 巨大な爆発が、艦を縦に揺さぶる。一瞬で膨れ上がった火の玉が視界の全部を赤く染め、エンジンルームの近くにいたジョルジュが爆炎に飲まれて消える。

 複数あるエンジンの全てが誘爆を起こし、爆発を連鎖させた。さらに船倉にもその威力は及び、遅れてきた爆風が狂暴な破壊を巻き散らす。

 なす術なくトワは床を転がった。圧砕と蹂躙の音だけが聴覚を支配する。

「あ、う……」

 体が痛い。熱い。どうにか首を持ち上げる。

 壊れたハンガーは倒れ、多くの機材は床に投げ出されている。めちゃくちゃになった船倉に火が回っていた。何かに引火したらしい。

 台座から落ちたゼムリアブレードにも、炎がじりじりと迫る。

 クララは離れたところに倒れていた。セリーヌは見つけられなかった。

 陽炎に揺らめく景色の向こうから、《イスラ=ザミエル》が近づいてくる。

 トワは伏したまま、制服のポケットに手を入れた。携帯用の無線機がある。導力波を合わせれば、遠隔で艦内放送も可能な代物だ。

 それを取り出すときに、指が何かに当たった。マーテル公園に不時着した後に、ジョルジュからもらったマスタークオーツ《リベリオン》だ。

 能力は透明化だと言っていた。これで何かができるだろうか。たとえば剣にステルスをかけて、敵の目から隠すとか。

 ……能力は自身にしか作用しない。私にできることは、何もなくなった。

 いや、艦長として最後にやらねばならないことがある。

「……トワ・ハーシェルより、通達です」

 無線機に声を吹き込んだ。息を吸って、トワは続きの言葉を告げる。

「敵の攻撃を受け、オーバルエンジンは全壊。飛行機能は完全に失われました。復旧もありません。総員、カレイジャスを放棄し……ただちに退艦して下さい」

 希望は潰えた。取り繕う言葉さえ出て来ない。

 私たちは、負けた。

 

 ●

 

 糸が切れたように、ヴァリマールは膝をついた。その双眸から、光が消えていく。

「リィンさん!?」

 エマが足元から呼びかけるも、リィンからの返答はない。霊力もほとんど感じなくなっていた。

 まさか、これは。

『おい、何やってる!』

 《エンド・オブ・ヴァーミリオン》をけん制しつつ、オルディーネがヴァリマールの近くまで後退してきた。

『休憩するには、ちと早いんじゃねえか? さっさと立って俺の直援に――』

「撃たれているんです、胸を! 本当なら戦える体じゃないんです!」

 クロウの言葉を遮り、エマはヴァリマールの前に出た。『撃たれた……!?』と聞き返したクロウは、しかしそれ以上質問を重ねることもできず、襲い来る敵の炎をダブルセイバーで振り払った。

 覚醒直後に比べて、明らかに《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の力が増大している。地上へと伸びる赤い霊脈から、人々の精気を吸収してているのだ。

 エネルギーを溜めている段階だからか、まだ積極的に攻撃はして来ないが、それも時間の問題だ。時が来れば、私たちは腕の一振りで塵と化すだろう。

 煌魔城のさらに上空。逃げる場所さえない。

『事情はわからんが……リィンが動けないことはわかった。だが何にせよ、このままだと全員やられる。オルディーネの霊力だって無限じゃねえんだ。こんな状況じゃ強制回復もできやしねえ』

 クロウの孤軍奮闘のおかげで、自分たちはまだこの場に立っていられるのだ。盾代わりになってくれていなければ、敵の火炎の攻勢はこちらにまで及び、何をすることもなくとうに丸焦げにされて終わっていた。

『俺一人で守りきるのは、いずれ限界が来る。それに守るだけじゃ意味もない。……委員長』

「は、はい」

『状況を打開する方法を考えろ。俺には思いつかねえ。オルディーネが戦えるうちに、頼んだぜ』

「え、ちょっと待っ――」

 エマの返事を待たず、オルディーネはブースターを吹かして、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》に特攻した。荒ぶ炎の中に、巨人の影がぶつかり合う。

 立ち尽くすエマを、仲間たちが見守っている。

 状況を打開する方法。最終的な答えは一つしかない。あの緋の魔王を倒すことだ。

 しかし核を貫けば、エリゼも死ぬ。エリゼを助けた上で、敵を倒す手段を考える必要がある。

 私にだってそんな方法は思いつかない。手札も限られている。

 圧倒的に戦力が足りていないのだ。あの強大な敵を押し返し、防戦一方であるこちらの選択肢を広げるための打撃力が。

『……エマ』

 リィンの声がした。弱々しい声だ。かすかにヴァリマールの首が動き、エマを見下ろす。

「無事ですか!? やっぱり傷が……」

『ああ、厳しい』

 その一言に、Ⅶ組全員の表情が変わった。

 予感はしていた。わかっていた。無理をしてここまで駆け付け、自身の命を削って戦っていたことは。

『剣は、まだ来ないか……? 届けてくれると、言っていた。一太刀なら……振れる』

「そんな、そんなことを、まだ……」

 まだ戦うつもりでいるのか。仮に剣が来たとして、どうなる。たった一太刀で、どうする。

『俺に残された時間の使い方を、そう決めてきた。命は最後まで刃に乗せたい。それで守りたい。クロウも、エリゼも……みんなも。まあ、なんだ……怒らないで欲しいが』

「怒るに決まってますよ……!」

 耐えきれなくなったのだろう。我慢しようとして出来なかった涙が、アリサとラウラの瞳からこぼれていた。

 伝わってくるリィンの想いは、今までのような自己犠牲からくるものではなかった。

 捨て鉢で投げやりな覚悟でもなく、こう在りたいという、自分の望みを決意として告げてきた。

 生死の結末はもう考えてはいけない。どこまでも彼の想いを貫かせたい。そうさせるべきだ。

「剣……」

 そもそも地上はどうなっている。カレイジャスの状況は。

 エマは念話術を使った。

(届いて……!)

 少しの間のあと、反応があった。

(エ……マ)

 セリーヌだ。

 カレイジャス陣営と煌魔城突入班の位置では、《ARCUS》での導力通信は範囲外になる。念話術の使えるエマとセリーヌは双方の連絡手段として、チームを分かれることになっていたのだ。

(繋がって良かった。そっちの様子を教えて)

(壊滅の一語に尽きるけど)

 マーテル公園に不時着したこと。氷霊窟にいた《イスラ=ザミエル》が現れて艦が攻撃を受けたこと、レイゼルとケストレルが倒されたこと。カレイジャスのエンジンは爆発してもう飛べないこと、その敵が剣を奪うべく船倉に近づいていることを、セリーヌは手短に説明した。

 エマも緋の魔王の復活と、そのトリガーにエリゼが関わってしまったこと、ヴァリマールの霊力が尽きかけていることを告げた。

(上も下も最悪ってことね。笑えないわ)

(セリーヌはどこにいるの?)

(間が悪く船倉に来てたのよ。エンジンの爆発に巻き込まれて、今は倒壊した建材の下敷きになってる。猫の体でも抜け出せそうにないわ)

「それを先に言って!!」

 思わず声に出して憤慨する。ぎょっと仲間たちが驚いていた。咳ばらいを一つして、もう一度術に集中。

(一応、大したケガはしてないから。と言ってもこのまま抜け出せないと、蒸し焼きになる可能性が大ね)

(近くに誰かいないの?)

(二人いたけど、いっしょに爆発の煽りを受けたから……せっかく剣が完成したっていうのに、これじゃあ……)

(待って。完成してるの? ゼムリアストーンの太刀が?)

(ついさっきね)

 エマは思案した。

 どうにかして、それをヴァリマールの手に届けられないだろうか。

 最初に考えたのは転移術だった。しかしすぐに思い直す。あれほどの物と、これほどの距離では不可能だ。

 ここまで運んでもらうか、こちらから取りに行くかしかない。

 だがカレイジャスが飛行できない以上、運んでもらうのは無理だ。向こうも危機に直面している。

 取りに行けるとしたらオルディーネだけだが、そうすると一時的に戦線を離脱することになる。残された自分たちだけでは、この場は維持できない。

 もう少しなのに、歯車がかみ合わなかった。重要なパーツが欠けていて、点と点を繋げられない。

 諦めない。

 私がまだ心の底から絶望していないのは、無意識の中で答えを知っているからだ。何かを見落としているのだ。

 考えろ。かみ合わない歯車を回す方法を。探せ。点と点を繋げる為に欠けているパーツを。

 知識を束ねて、知恵を絞れ。

「………」

 ふと目線がヴィータに移った。彼女にも予想外だったこの状況。オルディーネの戦いを注視しながら、サポート、あるいは撤退の算段を考えているようだった。

 どうして私は姉さんを見た?

 

『――煌魔城を再び顕現させ、《緋の騎神》を復活させる――』

 

 フラッシュバックする光景。これはバリアハートで姉さんから二度目の予言を受けた時の会話。帝国の裏の歴史を知り、姉さんの目的を問い質したときの言葉だ。

 なぜ今、これを思い出す。

 

『――元々はその為に内戦を起こしたのよ。宰相暗殺はそのトリガーだったに過ぎない。もっともクロウにとってはそれが第一目的だったでしょうけど――』

 

 だがここは関係ない。この会話じゃない。そうだ、姉さんはあの時、他に重要なことを口にしていた気がする。

 

『――だからまずは皇城を押さえて、そして皇族を手中に入れておく必要があった。いまだ呪いの影響下にある《緋の騎神》は、アルノールの血族でないと起動者になれない。その名を呼ぶことも許されない――』

 

 これを正しく解釈していれば、エリゼを起動者にさせない道もあったかもしれないのに。

 が、必要なのはここでもない。もう少し前の言葉だ。

 “だからまずは皇城を押さえて――”。ここだ。なぜ、だから(・・・)なのだ? 彼らが皇城を狙った理由は――

 

『――《緋》はバルフレイム宮の地下に封印されているから。あそこは七耀脈の集約点でね。各地区やマーテル公園からも霊脈が繋がっているのよ――』

 

「……!」

 あった。見つけた。

 しかし今の自分の状態でそれをやれば、完全に限界を超える。霊力は枯渇し、確実に魔女の力を失うだろう。

 いいのか。母さんから受け継いだ魔女の資質が消え去っても。

 今日までの修行の日々を思い返し、ヴァリマールにも振り返ったエマは、核の中で一人、命の刻限と戦うリィンの姿を幻視した。

 自分でも驚くほど悩まなかった。

「皆さん、こちらに来てください。少しの時間で構いません。私とヴァリマールを守ってください」

「エマ君、何か策があるのか?」

 移動しながらマキアスが訊いた。他の皆も続く。うなずきだけを返し、エマは静かに両手を足元にかざした。透ける足場の下方に、帝都の街並みが広がっている。

 バルフレイム宮はヘイムダルの中心だ。位置だけの話ではない。この場所は各地区と霊的なパイプで繋がっている。

 リィンさん。私はあなたの導き手。この使命を果たしてみせる、あなたの為に、最後まで。

「私の魔女の力と引き換えに、精霊の道を開きます」

 

 ●

 

 カレイジャスが爆発した。

 自分が艦から飛び出して、すぐのことだった。引き返すか逡巡し、アルフィンは結局そのまま走り続けた。トワたちの安否は気がかりだったが、炎が広がる船倉にはどのみち戻りようがなかった。

 《イスラ=ザミエル》が突き刺した剣は、すでにケストレルから引き抜かれていた。痛々しい傷跡からは、まだ火花が散っている。

 うつ伏せに倒れているケストレルの頭側に移動したアルフィンは、首下の小さな四角いカバーに手をかけた。

「冷たっ!?」

 鋭い冷気が残ったままで、素手で触れる温度ではなくなっていた。それでもドレスの生地で手を包み、無理やりにカバーを外すと、中からレバーが出てきた。それを力任せに引き上げる。

 ばしゅっと圧縮空気の抜ける音がして、胸側のコックピットハッチがゆっくりとスライド展開していく。

 緊急用の開閉装置だ。ここにそのスイッチがあることは、カレイジャスでケストレルを整備していた時に、何度も足を運んでいたから知っていた。

 アルフィンはうつ伏せの機体の下に潜り込んで、開いたハッチから操縦席へと体をねじ入れる。

「スカーレットさん!」

「……なんで逃げてないの」

 第一声がそれだった。

 生きている。敵の一撃は際どいところでコックピットを逸れていた。

「なんでって……スカーレットさんが心配だったので」

「私が引き付けておく内に逃げなさいって言ったでしょ。あなたがこっちに来たら、本末転倒じゃない」

「で、ですけど、私たちが逃げられるほど、敵と戦えてなかったですし……」

「言ってくれるわねえ」

 狭いコックピットで言い合う。

「大体、ケストレルに出力制限かけたの、あなたでしょうが。おかげでパワーが出せないのよ。冷気から逃げられずに、関節も凍らされちゃったし。本当だったら、もっとやれてたの!」

「だってまた機体がオーバーロードされたら困ります。仕方ないじゃないですか」

「あなたには関係ないでしょ」

「あります。スカーレットさんはわたくしの騎士になる人ですから」

 小さなため息が空気を揺らした。

「ついでにその答えも返しておくわ。私は騎士にはなれない」

「やです」

「なんで拒否権があなたにあるのよ。選ぶのは私なのに」

「むしろ、なんでスカーレットさんに拒否権があるのでしょう。選ぶのはわたくしなのに」

「さすがはお姫様。わがままだわ」

「わがままじゃないと思います。言われたことはありません」

「わがままを周りが許容してるってことよ。あなたがそれを認識していないだけ。度を過ぎれば傲慢にも変わる。カイエン公みたいになりたいのかしら」

「そう、それです!」

 スカーレットにビシッと指を突き付ける。

「な、何よ? まさかのカイエン公リスペクターだったの?」

「違いますよ。スカーレットさんの物言いです」

「ああ、気に入らない?」

「いいえ、それがいいんです」

 眉根を寄せて、スカーレットは怪訝顏だ。

「同じ目線で、はっきり言ってくれる人だからこそ、そばにいて欲しい。意見して欲しい。支えて欲しい。そんな理由じゃダメですか?」

「それは不敬でしょうよ。たとえあなたが良くても、周りがそう思う。立場が成り立たない」

「その辺りは、スカーレットさんなら要領よくこなす気がします」

「はあ~、ああ言えばこう言う……!」

 スカーレットは髪をわしゃわしゃとかき上げた。

「根本の話ね! 私はテロリスト! 公の世界に出れば、裁かれるべき人間! どれだけ仮の未来を重ねても、先に来るのは現実なのよ!」

「いい方法があります」

 アルフィンはコンソールパネルを操作した。砂嵐のようなノイズが走ったあと、ヒビの入ったモニターに外の様子が映し出される。

「わたくしだけではなく、カレイジャスと、トールズの皆さんも守って下さい」

「どういうつもり?」

「第三の風として戦火の空を駆けた《紅き翼》と、その理念を貫く有角の獅子たち。そして介入行動の正当性を認可してきた皇女。それらの生命を守ったという実績と貢献を元にして、司法取引を持ちかけます」

 上手くいったとしても、無罪は難しいだろう。本人の行動を抑制するような枷代わりの条件は出される可能性が高い。

 だとしても、そこに未来に続く道は生まれる。

 スカーレットはうつむいた。

「……私が散々悩み抜いて出した答えを、簡単にひっくり返していくんだから。末恐ろしいお姫様よ、ほんと」

「さっきスカーレットさんは、騎士にはなれないって言いました。でも自分の意思ならならないって言うはずですよね」

「とっさの言い間違いよ」

「とっさの時ほど本音が出るものです」

 アルフィンはモニターの中の《イスラ=ザミエル》をつっついた。

「見てください。騎士になれない環境を覆せるちょうどいい敵がいますよ。やっつけちゃいましょう」

「何がちょうどいいよ。超弩級の相手じゃない。簡単に言ってくれるわ……」

 スカーレットは機体情報を呼び出した。胸を刺されたが、ケストレルの主要な駆動系は奇跡的に機能しているらしかった。

「いいわ。やるだけやってみる。ただし、あなたにもやってもらうことがある」

「なんなりと」

「ケストレルの出力制限を解除して。このままじゃ、さっきの二の舞になる。で、解除したらあなたはさっさと機体から降りる」

「制限解除はやります。でも降りません」

「なんでよ。邪魔なのよ。お姫様を膝に乗っけたまま戦えっていうの?」

「わたくしがいれば、オーバルエンジンの臨界点を超える出力は出しませんよね。スカーレットさんがまた命を投げ打ったりしないようにする為の、生きたリミッターです」

「だ、だからって……」

「わたくしを守るために、まずは自分の命を守りなさい。これがわたくしの騎士に与える最初の命令です」

「いや、まだ騎士をやるなんて一言も言ってないんだけど」

「お、往生際が悪いですよ!」

 ふくれっ面で、アルフィンはパスコードを入力した。

 

 ●

 

 死んでいるのか、生きているのか、意識が戻った時、すぐにはわからなかった。

 だが、どうやら生きているらしい。

 現状を把握しようと、体を身じろぎさせて、

「うっあっ!?」

 それだけで激痛が襲ってきた。パトリックはうめき、耐えがたい苦痛に顔を歪めた。

 鎖骨が折れている。右肩から下が動かせない。おまけに視界が左側だけ赤い。額から流れる血が目に入ったか、眼球が結膜下出血を起こしているかだ。内臓へのダメージは判別できないが、肺と心臓が動いているので、どうにか生きていられる。

 レイゼルのコックピット。あれほど執拗に攻撃を受けたのに、まだ潰れていない。もっともスクリーンの大半は割れ、その破片を体中に被ってしまったが。

 どれくらいの時間、気を失っていたのだろうか。敵は? カレイジャスは?

 まともに動かせる左手で操縦桿を繰り、レイゼルの首を稼働させる。メインカメラが、その光景を捉えた。

 船倉の後部から炎を噴き上げるカレイジャスと、そこに向かう《イスラ=ザミエル》の後ろ姿だ。

「や、やめろ!」

 大声を出して、胸に痛みが走った。

 なんとかレイゼルを立たせようとして、無理だとわかった。

 自分の両の足首が青く腫れ上がっている。ひどい痛みと熱を感じた。フットペダルを踏むことができず、操縦桿も片方しか操作ができないのだ。

 どうしようもなかった。

 やっぱり他の人が乗るべきだったんじゃないのか。適正とかセンスとかは関係ない。断ればよかったんだ。この機体のパイロットになることに、僕は最初から乗り気じゃなかった。むしろ強い抵抗があった。

 思い出すのもはばかられることではあるが――確か六月の下旬だったと思う。学院の中期試験の結果がでたすぐあと。Ⅶ組がグラウンドで実技試験を始めようとしていた時だ。

 自分に付き従う貴族生徒を何人か引き連れて、僕はそこに押し入った。

 烏合の寄せ集めだと侮っていたクラスに、試験結果で首位を奪われ、鼻持ちならなかった。僕の方が上だと、思い知らせたかったんだよ。

 “交流”という名目で模擬戦を行い、結果は敗北。

 いい勝負だったと差し伸べてきたシュバルツァーの手を払い、僕は言った。

 “ユミルの領主が拾った、出自も知れぬ浮浪児が”などと。

 それだけではない。首位を取ったエマとマキアスには“平民ごとき”と吐き捨て、ノルドから来たガイウスには“蛮族”と嘲り、フィーには“猟兵上がりの小娘”と揶揄した。

 そしてアリサ・ラインフォルトを指して、“所詮は成り上がりの武器商人風情だろうが”と、家の名までも貶めた。

 過去の自分の発言に鳥肌が立つ。怖気がする。よくもあんなことを言えたものだ。

 そんな僕が、ラインフォルトの人間が作り上げたレイゼルに搭乗していいわけがない。その資格がないと思っていた。

 あまつさえ、そのレイゼルに命を守ってもらっている。

 こんなに滑稽なことがあるだろうか。情けない。恥じる気持ちしか湧いてこない。

 だから……嫌だったんだよ。

 もう動けない。休ませてくれ――

『――リック! パトリック!』

 誰かに名前を呼ばれている。落ちかけたまぶたを開き、パトリックは割れたモニターに視線を移した。

 フリーデルだった。レイゼルのそばまで来ている。息を切らせて、額に汗を滲ませて、とても焦った表情をしていた。

 こんな彼女は初めて見る。

『返事をしなさい! 無事なの!?』

「生きて……ます、一応」

 そうは言ったが、声は届かなかった。マイク機能が壊れているらしい。

 不意に学院で駆け回った日々が脳裏によぎる。フリーデルの顔を見たからだ。厄介なトラブルも、面倒な補修作業も、全て彼女が仲介して、僕に振ってきていたのだ。

 そのせいで――そのおかげで、僕は学院が好きになった。学院生との関わりも多く持てた。

 みんなに認めてもらえた。リーダーだなんて言って、慕ってくれた。ハイアームズの名で取り巻きを率いていた頃とは、まったく違う。

 そのみんなが、まだカレイジャスにいる。

「やら……せるか……っ!」

 諦めていいはずがない。すぐに助けに行くぞ。

 震える手で操縦桿を握る。ろくに曲げられない足を、フットペダルに引っかける。

 機体がうごめき、しかしそれで終わった。

「くそ、立てよ! 立って、くれよ……!」

 吐いた血ヘドが、自分の膝にかかる。

 やめろ。そっちに行くな。僕はまだ戦えるんだ。戻って来い。

 遠ざかっていく《イスラ=ザミエル》に精一杯に腕を伸ばす。指先がモニターに当たって、こつんと乾いた音を立てた。

「……なん、だよ……僕は。大した時間稼ぎも、できなかったじゃ、ないか……。なんの意味もないじゃないか……」

 視界が滲んで、惨めさだけが胸を圧迫する。血と涙が混じって、嗚咽がもれる。

 その時、勝手にコックピットハッチが開いた。

 光が差し込んできて、パトリックは目を細める。逆光の中に、黒い人影があった。フリーデル部長?

「そんなことはない」

 違う。部長の声じゃない。誰だ。

 伸ばした手をぐっと握られる。

「よくがんばった。お前が稼いでくれた時間があったから、俺が間に合ったんだ。まだバトンは落ちちゃいない。繋いで行こうぜ」

「誰、でもいい……みんなを、守って……」

「心配すんな。あとは全部任せておけ」

 握る手の力を強くして、人影は言った。

「この頼れるお兄さんにな」

 

 

 ――つづく――

 

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