穿たれた胸の焼きつくような痛みが、意志とは関係なく体をのけぞらせた。
全身が硬直したのも一瞬、脱力した腕がだらりと垂れる。強制的に肺から息が押し出され、しかしそれを吸うことはできなかった。
自分が終わるのだとわかった。
『どうしてだ! なぜ避けなかった!』
暗黒に落ちゆく意識の隅に、アンゼリカの怒声が弾けた。
うるせえな。俺が避けたら、お前らが避けられなかっただろうが。
『すぐに騎神から出てくれ! 手当をする!』
ジョルジュが喉を絞るような声で言う。
手当とかいうレベルじゃねえだろ、これは。俺のことはいいから、すぐに下がれ。オルディーネの後ろに隠れろ。追撃が来るぞ。
『うそだよ。やだよ……私たちまだ、クロウ君に伝えたいことがあったのに……。こんなの……ないよ』
トワの泣き声が震えている。
伝えたいことなら、俺にもあった。
本当はずっと謝りたかったんだ。許しが欲しかったわけじゃない。謝る資格さえないのかもしれない。
それでも、ただ謝りたかった。
お前らと過ごした日々は、とても楽しかった。そんな気持ちになるなんて、二度とないって思っていた。
だましてて悪かった。うそついてごめんな。
このままここで学生生活を送れたら。そんな考えが頭をよぎったこともある。その度に頭を振って、甘い夢想を振り払ったよ。
俺はオズボーンを討つためにここにいる。築いた人間関係は全て仮初め。じいさんの無念を思い出せ。怒りが風化してしまわないように、自分自身にそう何度も言い聞かせて。
でもな。
全ての段取りを整えた決行の日。オズボーンの胸に照準を合わせて引き金を絞ったあの瞬間、最後の最後で憎しみのスコープの中に見えたのは、ベッドで弱っていくじいさんの寝姿じゃなくて、お前らのいつもの笑った顔だった。
撃ったよ。その笑顔を壊すことになるってわかっていて、撃った。
クロウ・アームブラストとしての私情は心に押し込めて、帝国解放戦線の《C》としての業を背に、果たすべき責任と晴らすべき恨みを胸に、冷えたトリガーを引いた。
俺についてきてくれた奴らの想いにも、報いなくてはならなかった。
俺は報いることができたのか?
なあ、教えてくれよ。ギデオン、スカーレット……ヴァルカン――
思考が空白に染まる。己と言う存在が白い闇の中へ溶けていくのを感じた。
永遠の虚無に吸い込まれようとしていた意識が、しかし急に何かに引っぱられる。強い力だ。やがて長いトンネルから抜け出た時のように、真っ白い光だけが網膜に焼き付いた。
腕を誰かにつかまれている。ごつごつした傷だらけの手。覚えのある手のひらだった。
「……ヴァルカン」
戻ってきた視界の中に、彼の強面があった。
損壊した《ゴライアス》の操縦席にヴァルカンが座っている。その場所を覆うべきコックピットハッチは、胸部装甲ごとなくなっていた。
後ろを振り向くと、そのはぎ取ったばかりのハッチを手に、ヴァリマールが動きを止めている。
灰の騎神だけではない。もうもうと燻る黒煙も、機体のあちこちから噴く火花も、全てが制止している。
ここはあの日の黒竜関。お前が消える瞬間か。
俺が立っているのは、ヴァルカンのすぐ目の前。爆発の直前にリィンがいた場所だ。俺とリィンの位置がそのまま入れ替わっている。
「ああ、そうだ。本当はあの時……俺がこうしたかった」
つかまれた腕を握り返す。
オズボーンへの復讐を果たしたあと、お前もスカーレットも、戦いの人生に区切りをつける場所を探していた。
お前らに死んで欲しくなんてなかったさ。けどそれは言えなかった。だってそうじゃねえか。自分自身も心のどこかで区切りの時を求めていたのに、そんな俺がその先の未来を誰かに見せられるわけないだろ。生きてどうするんだと聞かれたら、返せる答えなんてなかったよ。
だから――
「お前をそこから引っ張りだすことができなかった」
たとえ間に合っていたとしても、俺は何もせずに、お前の最後を見届けただけだったんじゃないのか。そう思ってしまう自分がいる。
ヴァルカンは何も言ってくれない。ただ止まった時の中で、俺と目を合わせ続けている。
「ケンカ別れになっちまってすまない。お前が言ったことは何も間違っちゃいない」
“何のために戦っている”と問われ、答えを探すより早く、“見つからないんだろ”と突き刺された。
迷いを見透かされたようで居心地が悪かった。図星を言い当てられて、いら立っただけだ。俺がガキだったんだよ。
「……すぐにそっちに行く。ちゃんと謝るのはそこでもいいよな」
腕をつかまれる力が、ぐっと強くなる。ヴァルカンの口元がかすかに上がっていた。
二人の間をちりちりと火の粉が舞う。戦場の火が微かに踊り、凍てついていた時間がゆっくりと動き出す。
『お前は――』
ヴァルカンが小さく口を開いた。
そう、それがお前の終わりの言葉。その続きを知ることは結局できないまま――
『こっちじゃねえだろ』
強く突き飛ばされる。
「え……?」
互いの手が離れた。とっさにヴァルカンに腕を伸ばす。届かない。
ゴライアスが爆発した。炎が視界を閉ざす直前、軽く手を振ってみせた彼は、確かに笑っていた……。
景色の全てがかき消え、真っ暗な世界に変わる。
「……俺は笑えねえぞ。ふざけんな……」
あの瞬間にお前が見ていたのは、リィンじゃなくて俺か。突き飛ばそうとしたのも、リィンじゃなくて俺か。
「なんでだよ……! なんで最後の言葉がそれなんだよ! 他にあんだろ! 理不尽に苦しめられて、失い続けてきた人生だったんだろうが!? もっと恨み言を吐けよ! なんで、なんで……っ!」
こっちじゃない? 俺はお前らと同じそっち側だ。ずっと一緒にやってきたのに、ひどい話じゃねえか。
いや、それも見透かされていたのか。俺が本当はどっちに立っていたかったのかを――
「なんで俺ばっかり、そんなふうに心配するんだ……」
握りしめた拳から力が抜け、熱く滲んだ視界が開けた。
オルディーネの核の中だ。
装甲を突き破った《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の尾が、目前にあった。
目前だ。自分の胸の寸前で、鋭い尾の先が止まっている。
「……!? 胸が貫かれて……痛みだって、確かにあったのに……?」
違う。そうか。この痛みはオルディーネの受けた損傷が、起動者にフィードバックされたものだ。
胸部を穿たれた激痛は本物に違いないが、俺の胸まで現実には貫かれていない。
しかし、なぜだ。攻撃がぎりぎりで止まったのは。
目の前の尾が不意に
開いた破孔から、直接外が見える。
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が苦しげに身じろぎをしていた。黒い炎にまみれる巨体の核、その一点が小さく輝いている。
「あれは《ARCUS》の光……?」
緋の騎神の中で、エリゼ・シュバルツァーは一つの未来を見た。
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の攻撃によって、蒼の騎神が核を刺し貫かれ、クロウ・アームブラストが死する未来を。今わの際、彼の周りにリィンたちが集まり、必死に声をかけ続ける痛ましい光景を。
ただ、その絶望の場所にエリゼは立ち会っていなかった。
緋の騎神の起動者となったのはセドリック・ライゼ・アルノールで、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の覚醒のトリガーとなったのも彼だった。そもそもエリゼは煌魔城に来てさえいない。
それは分岐された世界で起こり得た出来事。《黒の史書》に記された可能性の世界。
限定的ながらも二つの世界を観測できたのは、おそらくはエリゼ自身が分岐の特異点であるからだった。
救う手段などなく命の灯が尽きていくクロウと、一人一人が別れの言葉を交わしていくⅦ組の心痛は、察するに余りある。
そう、察する、だ。
それがどれほど耐えがたく、悲しく、苦しいことなのかは、クロウと深い関わりのある当事者たちにしか真にはわからない。
兄様はクロウさんを慕っていた。
自分とは性格が反対で、なんだか人を食ったような態度を取ることがあって、けれど頼りがいのある、悪いことも教えてくれる、ちょっと不真面目なお兄さん。出会ってから間もないけど、とても大切な得難い友人。
その人を失って、兄様は失意の底に落ちた。
兄様の悲痛の大きさが、その世界の私にはわからない。かけられる言葉もなく、支えられるものもなく、ただつらかっただろうと心中を想像して慮るだけだ。
だって、そういう関係の人が、その世界の私にはいないから。
だけど、そういう関係の人が、この世界の私にはいる。
自分とは性格が反対で、なんだか人を食ったような態度を取ることがあって、けれど頼りがいのある、悪いことも教えてくれる、ちょっと不真面目なお姉さん。出会ってから間もないけど、とても大切な得難い友人。
ユミルで姫様とさらわれそうになって、私だけが助かった。
そして兄様たちと各地を巡る中で、彼らがどれだけクロウさんを想っていたかを知った。
パンタグリュエルで皆と別れて、カレル離宮でリゼットさんと出会い、彼女と私は兄様とクロウさんのような関係になった。
だから、実感としてわかってしまう。
もしもリゼットさんを目の前で失ったら、彼女が何者かにその命を奪われたとしたら、私は耐えがたく、悲しく、苦しい。
つらいだろう、ではなく、つらい。
吐きそうなくらいに胸が締め付けられる。
きっとその世界の兄様たちも、そんな気持ちになったのだと思う。
だったらこの世界の兄様たちも、そんな気持ちにさせたいと思う?
させたくない。そんなことはさせない。そんな未来は引き寄せない。
その為に、私は今、ここにいる。
それこそが緋の魔王の核に、私が存在する意味だ。
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が鋭い尾を蠢かし、オルディーネの胸を突き刺そうとした。
やめて。止まって。
朦朧とする意識の中で、強く思う。だが邪悪な緋色は耳を貸そうとしない。
《ARCUS》を握りしめる。
答えなさい。あなたの起動者は誰なのか。私こそが緋の騎神を繰る者。《テスタ=ロッサ》の主導権を返しなさい。頼んでなんていない。私は止まれと命じているの。この私に従えと、そう言っているの。
拡大し、増幅されていく強固な意志。臨界を越えて、思惟の力が光り輝いた。
竜の尾が蒼の騎神を穿つ。
絶望の未来が現実のものとなる刹那、わずかにその一瞬だけ、魔王の暴虐な意志を、エリゼの意志が上回った。
「クロウ君! 返事してよ! お願いだから……!」
ずるりと抜かれた尾が、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の元へと戻っていく。前のめりに倒れていくオルディーネは、しかし足を踏み止まってみせた。
『……生きてるよ、一応な。お前らも無事だな?』
騎神から聞こえるクロウの声。心底安堵する傍ら、トワは言葉に怒りを乗せた。
「なんでそんな無茶するの!? 下手したら今ので……っ」
『だから悪かったって! 大丈夫だから問題ねえよ!』
「……もうしない?」
『ああ』
「たとえば同じ場面がもう一度来たとしても、同じことしない?」
『んー……おうよ』
「うそついた。クロウ君のうそつき」
『ああ、知ってるだろ。俺はうそつきなんだ』
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の核の光が薄れゆき、再び黒い炎が滲みだした。荒れ狂う熱波に炙られて、空間が広範囲にねじ曲がっていく。
『また大量の武器が来るぞ! とにかくお前ら、すぐに下がれ!』
「下がらない」
三人でオルディーネの前に出る。
トワは左右の二人に目配せをした。アンゼリカとジョルジュはうなずく。これが最後の確認だった。
『バカ野郎! 何やってんだ!? 守り切れねえぞ……!』
「私たちがここに来たのは、想いを伝えるため。クロウ君を支えるために来たんだ。守ってもらうためじゃない」
リィン君たちはオーバーライズを使って、クロウ君の感情と記憶を理解したんだろうね。
過去に何があったのか、その出来事を私たちはまだ知らない。
でもわかってるよ。苦しかったんでしょ。つらかったんでしょ。誰にもそんな姿を見せることなく、たった一人で。
どれだけの時間を友人として、一緒に行動したと思ってるの。
どんなに体面を取り繕っていても、クロウ君が強がりで、優しくて、仲間想いだってことはわかってる。上辺の演技だけで、友達が続けられたわけがないじゃない。
私たちにはオーバーライズなんて無くたって、わかってるの。
学院で過ごしていた時の、私たちに向けていた笑顔が、本物だったってことくらい。
だからね。これもわかってる。
もう居場所がないって思ってるんだよね。自分で壊したから、戻れないって、そう考えてる。
そんなことないから。居場所ならあるよ――
「私たち三人を、蒼の騎神の準契約者にして!」
全力で叫んだ。
わずかな間のあと、クロウが戸惑いをこぼした。
『は……?』
「は? じゃないの! 早く早く! 起動者と騎神の承認があれば準契約者にはすぐになれるって、ヴァリマールに確認済みだから」
『い、いや、そうじゃなくてな。そんなことして何の意味が……』
「説明はあとで!」
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の能力で、武器が虚空に実体化されていく。
『あとでいいわけねえだろ! 準契約者になるってことがどういう意味かわかってんのか!? 戦いの渦に巻き込まれるんだ。そこにお前らの意志は作用しねえ』
「知ってるよ」
セリーヌからも聞いて、その意味は理解していた。もちろんアンゼリカとジョルジュにも伝えた。
起動者のリィンと準契約者のⅦ組の仲間たちは、そうなった瞬間、見えない因果の糸で繋がれた。セリーヌにも仕組みの全貌は不明らしいが、騎神というシステムを介した関係に組み変わるという。
起動者が騎神と共に戦いに向かう時、まるで何かに導かれるように、そこには準契約者たちも集う。
たとえば平穏に暮らしていたとしても、あるいはその平穏を望んでいたとしても、運命が自分たちを戦いの場へと駆り立てる。
それはつまり、私たちの思い描いていた卒業後の未来を壊すことと同義だ。
自分だけならいい。でもアンゼリカとジョルジュも巻き込む形になる。
その方法を思いついた時、トワはリスクも含めて二人に提案した。難色を示されるのも、その場で断られるのも覚悟していた。
なのに彼らは一秒も迷わず、即答してくれた。
『いいや、わかってねえ! いいか!? もしも俺が戦えない状態に陥ったら、最悪は死んじまったら、お前らの中の誰かが、正式な起動者として選ばれちまうんだ!』
「じゃあクロウ君。もう無茶はできないね」
『あっ!? お前ら、まさか……!』
「私たちを起動者にしたくないんでしょ。なら崩せない大前提として、そこにはクロウ君の存命という条件が発生する」
『なんつーこと考えやがる……』
これは私たちの想いと、騎神のシステムを逆手にとった制約だ。
「君の選択を縛ろうなんて思っていないぞ。拒否するも自由だ。だが私たちがこれから何をしようとしているかは察しがついているだろう?」
アンゼリカが言い、ジョルジュも重ねる。
「僕たちはすでに決断した上でここに来た。あとは君次第だ。さあ選んでくれ」
武器の精製が終わった。膨大な数の刃が、こちらを狙っていた。
最後にトワが口を開く。
「……でも建前かな。そういう無茶のできない制約とかは。本当はもっと単純な話なんだと思う。私たちはね、クロウ君を失いたくないだけなの。前みたいに一緒にいたい。一緒に笑っていたい。昨日までの友達が、今日から他人だなんて寂しすぎるよ」
『………』
「帝国解放戦線のリーダーだった事実は消えない。償いもある。やっぱり普通には生きていくことが難しいかもしれない。きっと恨む人もいるよね。その人たちの気持ちも当然だと思う。でも……!」
敵の武器が一斉に放たれた。逃げ場はない。
「世界中のどこにも居場所がなくたって、私たちとクロウ君は繋がってるよ! 私たちがクロウ君の居場所になるよ! だから!!」
『――……っ! オルディーネ!!』
全弾が直撃した。
辺り一帯を覆い尽くす粉塵が、何かに押しひしげられるようにして、すぐに晴れていく。
突き出したオルディーネの手のひらの先に、光の膜が広がっていた。
「僕のマスタークオーツは《イージス》。ミリアム君と同じ、守護の能力だ」
ジョルジュの《ARCUS》から伸びる光軸が、蒼の騎神の核へと到達している。
起動者と準契約者の繋がりでしか起こり得ないはずの騎神リンクが、確かに力を発現させていた。
《イージス》の生み出す絶対防御の盾が、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の怒涛の攻撃を防ぎ切ってみせた。
凄まじい力だ。これがリィンたちが度重なる激戦を乗り越えてきた要の能力、騎神リンクか。
感覚としては《ARCUS》の戦術リンクの延長――というよりは拡張と表現する方が近いのかもしれない。
「……くそっ」
やってしまった。登録の解除なんてできない。これであいつらはオルディーネの準契約者だ。
「お前、承認しやがったな!」
『八ツ当タリハ止メルガイイ。理解ハシテイルハズダ』
「ちっ……わかってるよ……」
必要なのは騎神と起動者、双方の承認だ。オルディーネが承認しようとも、俺が拒絶すれば契約はなされない。
だから俺が望んでしまったことなのだろう。それが奈落へ通じる道だとしても、お前らと共に歩むことを。
いや、逆か。俺がどこまでも堕ちてしまわないように、お前たちが俺と在ることを選んでくれたんだ。
「トワ、ゼリカ、ジョルジュ! もう後には引けねえぞ! いいんだな!?」
振り向けられた三人の表情に迷いはなく、むしろ自信にさえ満ちていた。
『今さら確認などいるものか。君との腐れ縁が続くだけの話だ』
『何だかんだで僕たちは四人五脚だっただろ。歩みが遅くなったりしたことはあったけど、後ろに下がったことなんてなかった』
『前に進むよ。これまでも、これからも。ただひたすらに、前へ』
四人の《ARCUS》が熱を放ち、強く輝いている。
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が両腕を掲げた。さらに空間が歪曲し、ひずみの中から新たな武具の数々が姿を見せる。
底を尽くことのない猛攻が唸りをあげた。
「ああ、負ける気がしねえな」
片手片足のオルディーネが突進。ブースト全開。絶え間ない全方位攻撃を紙一重で回避しながら、舞うようにして加速する。
「見たか、後輩どもめ! 騎神の扱いに関しちゃ、リィンよりも俺の方がずっと長いんだよ!」
『前見て! 前っ!』
「へ? うおっ!?」
トワの声で正面に目を戻すと、おびただしい数の矢が迫っていた。やばい。あの矢じりは爆発を巻き散らす。
『ジ、ジョルジュ!』
すぐさまリンクして、もう一度《イージス》と繋がる。オルディーネの前方に、黄金色の障壁が発生した。
次々に爆発する矢じり。強烈な衝撃を堅固の守りが阻む。炎の入り混じった黒煙を突き破って、オルディーネは尚も前進した。
「あっ、ぶねー……」
『《イージス》の防護壁は二回までだ! 早くも使い切ったよ! もう少し慎重に動いてくれ!』
「回数制限があんのかよ! 勘弁してくれ」
『こっちの台詞だ!』
憤るジョルジュをよそに、敵の尾が攻撃態勢に入っていた。
さっきとは様子が違う。勢いよく伸びた尾の先が、敵の頭上で八つに分かれた。まるでヒドラだ。鋭利な尾先のそれぞれが、こちらを包囲するように多角度に展開されていく。
どうする。《イージス》の守りは使えない。避けるにしても、いちいち数が多い。
八本の竜の尾が、その中心にいるオルディーネ目掛けて突き出された。
『クロウ君! 私とリンクして!』
トワだ。策があるのか? 任せるしかない。戦術リンク切り替え。ジョルジュからトワへ。
向きを変えたリンクラインがトワに繋がる。途端、銀色の輝きがオルディーネを包み、その姿を景色からかき消した。
獲物を見失った尾が、戸惑ったように動きを鈍くする。その隙に包囲網から抜け出た。
「透明になったのか……?」
『私のマスタークオーツ《リベリオン》の能力。今のうちに一気に間を詰めて!』
「……あとでそれ貸してくれよ」
『悪用するつもりならダメだよ』
「温泉騒動の時にそいつがあったらなあ……」
『だから渡さないってば』
手あたり次第に武器を滅多撃ちしてくる。不可視の標的に、そうそう当たるか。幾多の攻撃を潜り抜けて進む。
「よう。来てやったぜ」
《リベリオン》の効果が切れ、オルディーネが姿を現したのは、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の懐に入ったのと同時だった。
双刃の一閃。しかし素手で止められる。その手から湧き上がる轟火が、ダブルセイバーをぐずぐずに溶かした。
『殴れ!』
間髪入れず、アンゼリカの声が響く。
「言われなくても、もうそれしかねえんだよ!」
拳を叩き込む。だが全身を覆う赤い障壁に阻まれた。
力負けだ。跳ね返される――
急にオルディーネの力が増大した。トワからアンゼリカにリンクが切り替わっている。
『《タウロス》というマスタークオーツで、君の攻撃力を底上げしている。加えてベッキー君たちから調達したレアなクオーツもセットしてきていてね』
「あ?」
『《武神珠》に《逆鱗》などなど攻撃盛りの選定に、極み付けの《覇道》だ』
「聞きなれない名前だな。効果は?」
『理解は不要だ。とにかく初撃。最初の一発に全てを込めろ』
敵の障壁と拳の威力が拮抗した。しかし相手の守りは強大だ。次第にこちらが押し返されていく。
まさか、冗談だろ。俺とゼリカの力はこんなもんじゃねえよ。
「やるぞ、オルディーネ!!」
心中に弾けた気合が、電流のごとく機体の全身に巡った。
肩、胸、足、背部ウィング、各部の装甲がスライド展開する。露出したフレームに浮かび上がる紋様が蒼光を放ち、霊力の輝粒を激しく飛散させた。
これこそがオルディーネの真価。蒼の騎神だけが有するブースト機能だ。
「らああああ!!」
限界を超える力。剛拳の先で何度も稲妻が瞬き、ついには障壁を打ち破った。
が、そこまでだった。勢いは完全に殺され、圧砕寸前のぼろぼろの五指が、コツンと敵の装甲を叩くだけに終わる。
すかさず反撃の竜の尾がとぐろを巻いてきた。
『拳は緩めろ。気持ちは締めろ。まだ一発の最中だ』
アンゼリカの声は落ち着いていた。
「やることはわかってる。けど片足がないままじゃ撃てねえんだろ?」
『支えに来たと言ったはずだ』
アンゼリカとのリンクは繋いだまま、ジョルジュのアーツが発動した。足元から土の塊を突出させ、オルディーネの失った左ひざから下に接着する。
左足が文字通りの支柱となると同時に、マキアスの驚愕が聞こえてきた。
『い、今のは重奏リンクか……? 僕たちだってすぐには使えなかったのに……!』
何も驚くことじゃない。俺がバランスを取りながら、複数の能力を同時発現すりゃいいんだろ。できるさ。お前らとは付き合いの年季からして違うんだよ。
ジョルジュの、トワの、アンゼリカの意志が、《ARCUS》を介して連なっていく。
『僕たちの重心は君だ、クロウ!』
『アンちゃん! クロウ君! やっちゃえ!』
『私の感覚は伝わっているな? 行くぞ!』
「おうよ!」
ずんと腰を落とす。重さが波となり、体の中を走る。地面と同化した足を伝い、生み出された力が背まで昇る。肩を通り、肘を流れ、拳にまで到達する。
発勁。騎神の全重量を乗せたゼロ・インパクトが、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の下腹に炸裂した。鉄塊をも粉砕するであろう衝撃の大波が巨体の中へと浸透し、絶大な威力となって内側から爆ぜる。
びりびりと打ち震える大気。同心円状に突き抜ける波動。敵が大きく背を反った。
「他者と繋がる《ARCUS》の光。そいつはお前にとっちゃ毒なんだろ。さっさと吐き出しちまえ」
露わになった胸の核から、人影が弾き飛ばされた。エリゼだ。即座にオルディーネで受け止め、敵から離れる。
彼女は気を失っていた。だが少しずつ銀色の髪が元の紺色へと戻っていく。
エリゼが俺の命を守ってくれたんだな。あんな怪物に抗ってまで。
礼を言わせてくれ。ありがとよ。
皆が死力を尽くして戦った。ここまで耐えることができた。エリゼを救い出すこともできた。
あとはお前だ。
最後はやっぱりお前が立たなくちゃいけないんだ。
「お前が決めろ、リィン!」
誰かに名前を呼ばれた気がした。
周囲を見回すも、誰もいない。見えるのは数えきれないほど多くの剣が、岩と砂だけの荒廃した台地に突き刺さる様。精神の中で何度も訪れた異界の戦場だ。
「どうした?」
そう問われて、正面に向き直る。
「なんでもない」
「そうか」
そこにいるのはドライケルス・ライゼ・アルノールだ。ヴァリマールの中に残された彼の思念の残滓が、人の形を成した存在。
お前はもう一度この場所に来るだろうという言葉の通り、リィンは彼と二度目の再会を果たしていた。
ここは己の内側の世界。地平の崩壊が進んでいる。終わりゆく命の境界で、最後の問答が始まった。
「外の世界は見えるか?」
「ああ」
時間の流れが違うのだろう。やけにゆっくりと進む外界の光景は、自然と脳裏に浮かび上がってきた。
マーテル公園に現れた《イスラ=ザミエル》から剣を守るため、パトリックが奮闘し、トヴァルさんも加勢に来てくれた。
彼らが命がけで守った剣を、カレイジャスの仲間たちが運んでくれた。
Ⅶ組のみんながエマを守り、エマは自身の魔女の力と引き換えに精霊の道を開いてくれた。
トワ会長やアンゼリカ先輩、ジョルジュ先輩が戦いの場にやってきてくれた。
クロウが倒されかけたその時、エリゼが懸命に彼の命を守ってくれた。
先輩たち三人を準契約者としたオルディーネが騎神リンクを発動し、クロウはエリゼを敵から救出してくれた。
繋げてきてくれたんだ、俺のところまで。
俺が立つことを、みんな信じてくれている。
「《エンド・オブ・ヴァーミリオン》とは何もかもを焼き尽くす終焉の炎。250年前、私は決死の覚悟で奴までたどり着き、犠牲を払いながらも刃を届かせ、しかし仕留めきれずに、封印することしかできなかった」
「………」
「それでも危機は払えた。平和を作ることができた。人々に笑顔が戻った。私は英雄と呼ばれた。立ちはだかる敵は強大だが、ここまでやってきたお前なら、私と同じ結果を出すことができよう」
「……取り戻した人々の笑顔に囲まれて、あなたは笑えたのか?」
「もちろん、笑えなかったさ」
ドライケルスはそばの岩場に腰をおろした。
「勝って一緒に笑いたかった人が、となりにいないんだ。心の底から喜べるはずがないだろう。妻を得て、子に恵まれて、傍目に満ち足りた人生を送れたように見えていても、私の心にはいつもどこかに陰が落ちていた気がする」
「だったら俺は、あなたと同じ結果であってはならないと思う」
「なぜそう思える。お前は他人を犠牲にするなら自分を犠牲にする人間だった。あくまでも自分がその対象だっただろうが、犠牲の上での結果にお前は否定的ではなかったはずだ。どうしてそう思うようになった?」
「あなたの話と同じだ。誰かを犠牲にして勝利を得たなら、俺はずっと笑えない。俺を犠牲にして勝利を得たなら、きっとみんなが笑えない」
「みんなが笑えない? なぜそう言い切れる。頭ではわかっていても、そう言い切れないのがお前だったはずだ」
「言い切れなかったのは、俺が自分に自信を持っていなかったからだ。自分に価値を見いだせない卑屈さがあったからだ」
「今は違うのか? 己に自信があると、価値があるというのか?」
「そうだ」
カレイジャスでアリサから告白を受けた時に、怒られたことがある。
“私たちがリィンに好意を寄せるのは、あなたにしかない魅力があるから。自分で自分を貶めるっていうのは、あなたを好きになった私たちのことまで落としているって理解しなさい”
思い返せば、あの言葉が全てだったのだ。
この最後の戦いでも、みんなが俺を信じて、ここまで繋げてくれた。その命を懸けた信頼に、自信をもって応えられなくてどうする。
俺を信じてくれるのは、俺が信じるに足る人間だと認めてくれているからだ。
信じてくれる人がいることが、嘘偽りのない俺の価値じゃないか。
「お前の内に答えがあるというのなら、選んでみせろ。旅の始まりからの問いに、今こそ答えてみせろ」
ドライケルスが指し示した先、剣が地に刺さっている。
闇の剣と、光の剣。
二つの剣の間に、俺は歩み寄った。
「お前の剣は闇の剣か?」
闇には暗く渦巻く力を感じる。おそらくは鬼の力の根源だ。
「違う」
これだけに頼ってはいけない。破壊の衝動は俺の本質ではない。
「光の剣か」
光には眩く広がる絆を感じる。おそらくは俺の想いや願いだ。
「違う」
美しいものだけを求めていては、いつか矛盾に塗れる時が来る。綺麗ごとだけでは守れないものがある。
「ならば、両方か」
光と闇を併せ持ち、陰陽を以て己と成す。その合一にこそ、神気は宿る――
「違う」
そうじゃない。違うんだ。
「では、お前の剣はどれだ?」
ドライケルスが立ち上がる。
しんと静寂が満ちた。脈打つ心音が胸に鼓動を刻む。
片方ではない。両方でもない。
鬼の力も、俺の想いも、自ら発するもの。これらは俺から生み出された剣だ。
じゃあこの周りにある無数の剣はなんだ。一つとして同じ形はない剣。最初からちゃんと目を向けていれば、わかっていたはずだ。
刀身に見知った人たちの顔が映っている。
あのまっすぐで実直な刀身にはマキアスの顔が、小ぶりで鋭利な剣にはフィーの顔が、どんと構える大剣にはラウラが、落ち着いた拵えの長刀にはガイウスが――Ⅶ組のみんなが映っている。
彼らだけではない。先輩たちも、違うクラスの友人たちも、エリゼも、父さんも、母さんも、ユン老師も、クロウだって――今日まで出会った人が、自らを奮い立たせる剣となって俺の心に存在している。
誰か一人でも欠けていたら、今とまったく同じ俺には、きっとなっていない。
俺という人間は、一人でできていないんだ。
だから俺の剣は――
「全部だ」
全ての剣が淡い光に包まれた。光はつぶてとなって飛び、俺の胸の前に集まる。
結集した光が一つとなって、太刀の形を成した。
「それが旅路の果てにお前が出した答えか」
「ああ」
「いいのか? その剣の中に、闇も取り込まれたぞ」
「いいんだ」
この力に苦しめられ、悩んできた。だがそれは忌避するだけのものじゃなかった。
ギリアス・オズボーン――父さんが死に瀕した俺を救うために宿してくれた力。その根本は願いだった。雪景色の中で『どうか健やかに……』とつぶやかれた悲し気な彼の声が、記憶の彼方から響いてくる。
この力があったからこそ守れたものがある。苦しめられ、悩んだからこそ、得られたものがある。
紛れもなく、この鬼の力も俺を形成してきた一つだ。
「よくぞ、答えを出した」
ドライケルスの手が、ぽんと頭に置かれた。
「ずっとヴァリマールの中から見ていた。お前が傷ついて、失って、無力に打ちひしがれる姿を。その度に歯を食いしばって立ち上がる姿も。……よくがんばったな」
「……うん」
温かい大きな手のひらが、頭を力強くなでる。まるで父親から労われているかのようだった。
「もう何も失うな。犠牲にするな。仲間も、自分も。勝利をつかんで、皆で笑え」
「……俺はできるかな」
「できるさ。今のお前は250年前の私より強い。何者にもお前を止められはしない」
ドライケルスの体が薄れ、光の粒に変わっていく。
「私もお前を形作る剣の一つとなろう」
「ありがとう。俺はあなたを忘れない」
「お前なら、いつか
「誰のことだ?」
「いずれわかる時がくる。さあ、前を向くがいい」
その言葉を最後に、ドライケルスの姿は消えていく。
繋げられた力と意志は、確かに受け取った。
薄暗い曇天が晴れていく。
異界の戦場に陽光が差し込む中で、リィンは静かに剣に手を伸ばした。
持ち上がったヴァリマールの手が、ゼムリアブレードの柄を握っていた。
胸にあふれ出す力が、全身へと押し広がっていく。
黒髪は銀色に、紫がかった瞳は深紅に変貌を遂げた。
だが心までは黒く染まらせない。
この得体のしれない憎しみは、俺ではない何かが生じさせるものだろう。拒絶はしない。けれど呑まれることもしない。
俺は俺のまま、この力を御する。
自らで発動した鬼の力。核の中で炉心となったリィンから、圧倒的な力が膨れ上がる。それはヴァリマールへと伝わり、内奥に押し留めることのできない霊力の光を乱舞させた。
ゆっくりとゼムリアブレードを引き抜く。
「……重い」
単なる重量ではない重さ。皆の想いの込められた剣。
『リィン、大丈夫なの!?』
アリサの声がした。ヴァリマールの回りに、Ⅶ組が勢ぞろいしている。
「みんな、下がっていてくれ――いや……そうじゃないか」
リィンは剣を上段に構えた。
「誰ひとり欠けることなく、トリスタに帰ろう。俺も一緒に帰るよ。その為にみんなの力を貸してくれ」
モニターに映る全員の顔を見渡す。
誰もが驚いたような、ほっとしたような表情をしたあと、その目に揺るがぬ意志が宿った。
全員のリンクラインがヴァリマールに繋がる。鮮やかな光に彩られた核が、虹色に輝いた。
『ヴォオオオオオッ!!』
狂暴な竜の雄叫び。《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が吼えていた。この戦いの中で、初めて上げた咆哮だった。
250年前のことを思い出したのかもしれない。ヴァリマールを明確な仇敵として認識したのだ。
空中を埋め尽くさんばかりに、あらゆる武器が生み出されていく。これまででもっとも多い。おそらくは千をも超えている。壮絶な光景だ。
「ヴァリマール。俺たちが望む未来は、あいつの向こう側にある」
『承知シテイル』
「だから」
『応』
刃が煌めいた。鍔元から切っ先までをプリズム光が包み込む。
『この手で道を切り開く』
リィンとヴァリマールの声がそろい、地を蹴る。仲間たちの力に背を押され、ヴァリマールは疾駆した。
紅の天空が唸る。禍々しい鳴動が腹の底まで響いた。高速で降り落ちる狂気の豪雨が、戦場を蹂躙する。
『全員、アーツでもなんでもいい! リィンの援護だ! 空に向かって撃ちまくれ! 相殺は無理でも、少しでも攻撃の軌道を変えろ! ヴィータもアルティナもだ!』
クロウの叫ぶ声が聞こえた。
彼の指示と同時に、迎撃のアーツが連続して飛ぶ。
高位アーツに、クラウ=ソラスやアガートラムのレーザー、ヴィータの魔術でさえ、焼石に水程度にもなりはしなかった。それでも彼らは撃ち続ける。
空中で連鎖する紅蓮。激しく巨大な爆光が幾重にも咲き乱れた。
ゼムリアブレードを掲げ、尚も突進する。至近距離で爆発。左半身の装甲が砕け散った。足元で爆発。下半身の装甲が熱でめくれ上がる。進路上で爆発。押し寄せる熱波と黒煙を突っ切る。ヴァリマールは止まらない。
戦って、戦って、戦い続けて、傷だらけになった灰の騎神が爆炎の中を駆け抜ける。
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が灼熱の障壁を展開した。攻撃を止めて、全ての力を防御に回した鉄壁のバリアだ。わずかにでも弾かれたが最後、仕留めの一撃がヴァリマールを貫くだろう。
踏み込む間合い。振るう縦一閃。
それは八葉一刀流ではなかった。ましてや技と呼べるものでもなかった。
ただ一刀。
その名も無き一刀が、《
――続く――