虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第134話 想い巡る緋の帝都(中編)

 自室の洗面台で、アランはばしゃばしゃと顔を洗う。冷水が寝不足の目に染みた。

 昨晩から緊張でなかなか寝付けなかった。早朝も近くなった深夜にようやく眠気がやってきたのだが、そこで意識を落とすと朝寝坊からの遅刻コースになることはわかりきっていた。

 俺はそんなミスは犯さない。だから朝まで一睡もせずに起き抜いた。さらにその夜間で、マキアスが作成した辞書ほどの分厚さもある今日のデートプランを何度も読み返し、完璧に暗記した。おかげであらゆるアクシデントに自信をもって対応できる。抜かりはなく隙もない鉄壁の布陣だ。

「よしっ! 行くか!」

 自らの頬を叩き、気合を入れる。

 私服にも着替えた。上下ともにカジュアルにまとめたコーディネートだ。髪も整えた。歯も磨いた。財布も持った。忘れ物はない。

 待ち合わせは11時。しかし俺は30分前には到着し、ブリジットを出迎える必要がある。

 定刻通りに現れた彼女の『待った?』に対する『今来たところさ』の返答をもって、今日のデートが始まるのだから。

 第二学生寮を出て、トリスタ駅へ。

 すると駅の入り口で、すでにブリジットが待っていた。

「あ! おはよう、アラン」

 彼女から先に声をかけてくる。

「え、あ、おはよ。あれ、なんで?」

「待ち合わせ時間のこと? すごく楽しみで、ちょっと早く来ちゃったの。ふふ、子供みたいでしょ」

 にこやかに微笑むブリジットは、白のワンピースに身を包み、おしゃれなポーチを肩にかけていた。髪も結い上げていて、普段と印象が違う。

「……どう? 似合うかしら?」

 上目遣いでブリジットが首を傾ける。可愛らし過ぎるだろ、なんだこれ。俺もう死にそう。

 そもそもが予定と違う。俺よりも早く彼女が来ているなんて、アクシデントリストには載っていなかった。だがマキアス。さすがに俺も全てがマニュアル通りに進むとは考えていない。

 不測のトラブルは臨機応変に乗り切るもの。速やかに軌道修正をすればいい。

「今来たところさ!」

「それは知ってるけど……」

 なんかミスったぞ、マキアス。

 

 

《――☆☆想い巡る緋の帝都(中編)☆☆――》

 

 

「晴れてよかったわね。雨だったら台無しだったもの」

「だよな。俺もそれが心配だったけど」

 昨日の夕方から降っていた豪雨は、幸いにもすぐに止んでくれた。晴天の下、ヴァンクール大通りの歩道を二人で歩く。

 最初に向かったのはブティックショップ《ル・サージュ》帝都本店。トリスタ支店よりもリリースの早い服やアクセサリーがあって、事あるごとにブリジットも行きたがっていた。だからここは一発目に押さえておきたい場所だ。

「わあ! 久しぶりに来たけど、やっぱりいいわね。新作出てるかしら? ね、見て回りましょ?」

 入店するなりブリジットの目が輝く。トリスタ支店とは比べ物にならない規模だ。客足も多いし、店員も相応数をそろえている。

「こっちもいいし、あっちのデザインもいいし。んー、迷うわ……」

 彼女がご執心なのはミディブラウスとスカートのセットだ。姿鏡の前で自分の体に合わせては、次のものを持ってくる。

「買うのか?」

「ううん、今日は見るだけにするつもり。いきなり手荷物が増えてもね」

 そういえば以前教えてもらったロギンスからの恋愛指南に“女は買わない買い物も楽しめる。面倒は顔に出さず、黙って付き合うが男たるべし”というものがあった。意外にも的を射ているのかもしれない。

「ね、アランはどっちがいいと思う?」

 ブリジットが二種類のミディブラウスを見せてくる。フリルがあしらわれた一着と、飾りの少ないスマートな一着。

 来た、来たぞ、マキアス。

 これが“自由意見を求めているかに思えて、すでに彼女が決めているであろう好みの品を選ばなければならないイベント”か。

「俺はそっちのフリルがついている方かな」

 ここで重要なのは俺の好みではなく、ブリジットの好みを言い当てること。大人びたものより、やや子供らしいキュートさを選ぶ傾向にあるブリジットだから、正解はこれのはずだ。

「んー、アランはシンプルなデザインの方が好きだと思ったんだけど……」

 彼女はどこか釈然としない様子で、二着のミディブラウスを元の棚に返しに行った。あまり喜んでいない。予想と違う反応だ。

「ちょっと! なんでそんなの選んでるのよ!?」

「えっ、ダメなのか?」

 ブリジットが戻るのを待つ間に、聞き覚えのある声がした。メンズファッションのブースに、リィンとアリサがもめている。

 試着室から出てきたリィンは、ギラッギラのシルバーチェーンを手首に撒いて、ビリッビリのダメージジーンズを履き、獣の(たてがみ)ほどもあるボリューミーなファーがついたレザージャケットを羽織っていた。

「なによ、なんなのよ、そのチョイスは! それじゃいきり立つライオンじゃない!」

「つ、強そうでいいじゃないか。ドライケルス帝も獅子の心を後世に残そうとトールズを設立したわけで……」

「見た目をライオンにしろってことじゃないわ! ああ、もう。こっちに来て。私が一から選び直すから!」

 ぷりぷりと怒るアリサはリィンを奥まで連行していった。

 その反対側のブースでは、

「似合っていますよ、エリゼさん」

「そ、そうですか? クレアさんにそう言ってもらえて嬉しいです」

 仲のいい姉妹のように服を選ぶ二人。確かリィンの妹のエリゼ・シュバルツァーで、彼女といっしょにいるのは鉄道憲兵隊のクレア・リーヴェルト大尉だ。

 リィンとクレアに親交があるのは知っているから、意外な組み合わせとは思わなかった。おそらくは四人で帝都に買い物をしにきたのだろう。

「この髪飾りなんてどうですか?」

「私の年齢で付けるには、デザインが大人過ぎますよ。クレアさんの方が合うと思います」

「では二つ買って、エリゼさんが似合うようになったら二人で付けましょう」

「宝物にします……!」

 見ているだけで微笑ましい関係だ。

 その折、ブリジットが戻ってくる。

「お待たせ――ってどうしたの?」

「いや、Ⅶ組のリィンとアリサとかも来てて……」

「リィン君とアリサさんが? ……ラウラは知ってるのかしら」

「なんでラウラ?」

「なんでもない。そろそろ出ましょうか」

 急かされるように《ル・サージュ》を後にする。再び大通りに出ると、『エンジョーイみっしぃ☆!』という元気な掛け声が耳に届いた。

「あら、みっしぃのイベントやってるのね。ねえ、少し見ていかない?」

「みっしぃ?」

「知らないの? クロスベルのテーマパークの人気マスコットよ」

 猫とたぬきの中間をデフォルメしたような容貌で、ギャラリーに向けて両手の肉球をふりふりと振っている。そのとなりには白とピンクのはちわれ柄のもう一匹がいて、そちらはみっしぃの妹のみーしぇというらしい。

 子供たちに囲まれて大人気だ。

 やっぱり可愛らしい系が好きなブリジットは、さっそく人だかりの最後尾に走っていく。その後を追おうとしたアランの視界の端に、さっと物陰に飛び込む二つの人影が映り込んだ。

 どことなく覚えのあるシルエット。

「気のせい……だよな?」

 

 

「やっべえ。今の気づかれてなかったよな?」

 アランの視界に入らないよう脇道に滑り込んだロギンスは、ふうと額の汗をぬぐう。

 そこに続いたマキアスは「先輩は攻め過ぎなんです。アランとの距離が近いんですよ!」とロギンスをたしなめた。

「あ? 接近しねえと状況が把握できないだろうが。声も聞こえねえし」

「会話を拾える距離まで近づくつもりだったんですか……!?」

 豪胆というより雑だ。僕の作戦は繊細なのだから、その辺りはもっと理解してもらわないと困る。コンビを組んだはいいが、軽率な行動のせいでお膳立てを台無しにされるのだけは勘弁だ。

「でもなあ。つかず離れずの距離って難しいぜ? 俺らから見えるってことは、アラン側からも見えるってことだからよ」

「それはまあ……確かにそうですが。でもどうしようもないですよ」

「方法はあるだろ。見られてもわからなかったらいいんだ。変装すりゃあいい」

「いやいや、変装道具とか持ってきてないですし」

「お前なあ、目の前にいい店があんだろが」

 目の前は《ル・サージュ》である。

「調達するんですか!? 今から!?」

「心配すんな。金なら俺が持ってやる。ただし服は俺が選ぶけどな」

「嫌な予感しかしない! やめましょうよ!」

「るっせえ! その眼鏡を叩き割られたくなかったら言うこと聞きやがれ!」

「眼鏡ハラスメントだ! メガハラだ!」

「ギガハラじゃねえだけありがたいと思え!」

「最上級とかそういう意味じゃない!」

 十分後。

「あ、ありがとうございましたー。またのご来店はお控えくださいませー」

 若干引き気味の店員の声を背中に受けながら、マキアスとロギンスは往来に姿をさらした。通行人たちが目を逸らしながら、二人を避けて過ぎていく。

 手でちぎった感満載のノースリーブには金属のトゲトゲが突き出し、砂漠を縦断してきたかと思うほどに土で汚れたブーツが路面を踏み、フレームが顔の幅から飛び出すほどに鋭利なサングラスをかけ、頭部には怒髪天を体現したモヒカンのウィッグをかぶっている――そんな二人を誰もが見ようとしない。

「ふー……いい買い物したな」

「なわけないでしょう……。逆に目立ちますって、これじゃあ」

「目立ったところでばれなきゃ問題ねえ。それに不良を装ってんだから、あえてアランに絡みに行ってさ。ブリジットの前で俺らを撃退させて見事好感度を上げるって寸法よ」

「それ以前にもやって失敗してますし、もう不良の域を超えてますし、もはや小さな村とか襲うタイプの略奪者ですし」

「がたがた細けえよな、お前は。メガネをかけてるとそうなんのか?」

「偏見も甚だしい!」

「とにかくアランたちを追うぞ。次はあいつらどこ行く予定なんだ」

「はあ……仕方ない。僕のプランでは――」

 

 

「アランとブリジットを確認しました」

 ラウラが言うと『了解。こちらでも視認できたわ』と、フリーデルからの応答が返ってくる。

「思っていたより《ル・サージュ》での滞在時間が短かったですね。何かあったのでしょうか?」

『単純に気になる服がなかったとか。もしくはブティックに関するアランのトークの引き出しが少なかったとか』

「後者でないことを祈るばかりですが……」

『あら、二人ともこっちに来るわ』

 小走りでやってきたブリジットと、彼女を追ってきたアランが人だかりの最後列につく。

「私たちだとばれるわけにはいきません。フリーデル先輩、手はず通りに」

『オッケーよ』

 せーので声をそろえて、

『エンジョーイみっしぃ☆!』

 ばっちーんとポーズを決める。ギャラリーの子供たちから歓声が上がった。ブリジットにも受けが良かったらしく、手を振って喜んでいる。

 そんな彼女に手を振り返すラウラはみっしぃの着ぐるみ、フリーデルはみーしぇの着ぐるみの中にいた。

『勘付いてもいないようね。完璧なカムフラージュだわ。さすがはラウラさん』

 フリーデルの音声が届く。

 着ぐるみが分厚いせいで、お互いの声は聞こえない。だから二人は着ぐるみの内部に設置してある通信機を使って会話をしていた。

 《ARCUS》の機能を転用したジョルジュ特性の通信機である。ごく短距離での導力通信しかできない代わりに、軽量小型化に成功したものだ。“一切の理由を聞くことなく、着ぐるみの中に仕込みなさい”とフリーデルが命じただけで、ジョルジュは詮索も抗弁もせず素直に従った。二年生のパワーバランスが見えた瞬間だった。

『でもよくこんなの持ってたわね?』

「みっしぃは以前に、みーしぇは最近で、ミヒュト殿から購入したのです」

『ああ、あの怪しげな質屋。よくⅦ組が出入りしているのは知ってたけど。高かったんじゃないの?』

「それが大特価で売ってくれまして。先輩が着ているみーしぇぐるみは定価が500万ミラのところを、なんと10万ミラにしてくれたのです。ミヒュト殿の気前の良さには感服するほかありません」

『うん。ぼったくられてるわ、それ』

 そんなことを話している内にアラン達たちが離れていく。

「あっ、次の場所に移動するのか……ん?」

 二人を追いかけようとしたラウラは、群衆の中にリィンとアリサの姿を見つけた。

「へえ、みっしぃとみーしぇのイベントだ。かわいいな。クロスベルとは微妙な時期だが、こういうイベントじゃ関係ないんだな」

「フィーやミリアムが喜びそう。グッズとかあったらお土産に買ってあげる?」

 そういえば今日はアリサとリィンも帝都に来る日だった。

 昨日は自分に気にせず行ってくるといい、などと言ったわけだが、内心ではやはり気になっていた。

 改めて見てみると、なんかこう……デートという感じではないか。リィンもまんざらではない感じではないか。

「はーい、よい子のみんなとは握手するネ、みししっ! エンジョーイみっしぃ☆ エンジョーイみっしぃ☆」

 みっしぃになりきり、子供たちと握手をしながら、ラウラはリィンの前まで進み出る。

「ははは、俺とも握手してくれるのか? この年齢でというのも少し恥ずかしいが」

 リィンが手を差し出し、ラウラみっしぃも手を差し出し――

「デストローイみっしぃ★!!」

 リィンのボディにコークスクリューパンチが炸裂。みししっ、というか、みしっ、みしっと無防備の腹筋に肉球がめり込んでいく。

「ふぉああぃっ……!?」

「帝都でのお買い物、楽しんでネ」

 うずくまるリィンに低い声で耳打ちして、ラウラみっしぃはさっそうと背中を向ける。

 マスコットの暴挙に戸惑いつつ、アリサがリィンの横に腰をかがめた。

「え、え? なんで? 大丈夫?」

「ぐっ、やっぱり俺はクロスベルから憎まれているのか」

「わからないけど……そういうのとは違うんじゃない?」

 

 ●

 

 ブリジットはちらりとアランを見やった。

 私が楽しめるようにデートプランを一生懸命考えてくれたのだろう。その気遣いは嬉しかったし、大好きな彼と一緒なのだから、どこへ行こうとも不満などない。こうして歩いているだけで満ち足りる。

 けど――

「ハイネちゃんとか元気にしてるのかな?」

 急に話を振られて、あわてて目線を正面に戻す。

「え、ええ。ついこの前手紙をもらったわ」

 バリアハートでハウスキーパーをしていた家の三人の姉弟たち。その長女がハイネだ。

「寂しいからお姉様に会いたいって。バリアハートに遊びに来て欲しいんだって」

「慕われてるな」

「“アランさんといっしょでもいいですわ”とも書いてあったわね。良かったじゃない?」

「“でも”ってところが気になるんだが……」

 他愛もない話をしながら歩を進める。ヴァンクール大通りから少し離れた裏通りだ。思ったよりも店が並んでいる。しかしショーウィンドウもなく、店名だけでは何を取り扱っているのか不明なところも多かった。

「ねえ、次はどこに連れていってくれるの?」

「楽器関係のショップ。東方由来のとか、珍しい品を扱ってるんだと。興味ないか?」

「ううん。行きたい。ありがとう」

 そんなガイドブックにも載っていなさそうな店を、アランが一人で探したのだろうか。

 私の為に。嬉しいな。やっぱりもっと彼に近づきたい。

 そっとアランの手に、自分の手を伸ばす。

「すごい、すごいわー!」

 響き渡る大きな声に、びくっとブリジットの動きが止まった。

 近くにいかにもオトナなお店が見える。明滅する桃色のネオンが《バタフライグラスS&M》と、これまたいかにもな店名を輝かせていた。アダルティーむき出しだ。

 その戸口にポーラとモニカと、第三機甲師団のウィルジニーがいた。

「お姉様! メイデンが! メイデンがあります!」

「序の口よ。店内の奥に行けば行くほど、もっと凄まじいものがあるわ。全部中古品だけどね」

「さっそくこのメイデンの中にケネス君を入れて……ああっ! 想像するだけでたまらないっ」

「やめよ。ねえ、やめよ。もうこれ拷問器具だから。ジョークグッズのレベルじゃないから。中古って意味わからないから――あ、やだ、ちょっと離してよ!」

 モニカがポーラを諫めようとするも、逆に腕をつかまれて店の奥へと引きずられて消えてしまった。

 アランが目をしばたたく。

「あれってブリジットの友達の――」

「人違いよ」

「いや、でも――」

「人違いです」

 帰ったら問い詰めよう。どう考えても学生で入っちゃダメなお店でしょ。しかもアランと二人でいかがわしいお店を見ちゃうとか、なんだか恥ずかしいし、気まずい。

 手を繋ぐタイミングを逃してしまった。でもあきらめない。再チャレンジよ。

 息を呑んで、もう一度手を伸ばす。

「ふふふ、ようやく見つけたわ」

 またしても気勢を削がれる声音。今度は骨董品屋の前に、ベリルとレックスがいた。二人は年代物の煤けたカメラを持っている。

「これが呪いのカメラ。霊なるものを映し、霊なるものを憑りつかせることもできる忌まわれた呪具」

「けっこう見た目は普通なんだな。で、どうやって使うんだ?」

「念を込めてシャッターを切るだけよ。ちょうどいい被写体とかいないかしら。このカメラの元の持主はモテないあまり身投げした中年男性らしいの。だから年若い幸せなカップルとか超呪いまくるんだって」

「カップルねえ……」

 無言のブリジットとアランは、心霊写真部の二人を早足で通り過ぎる。下手に見つかって実験程度に呪われでもしたら、たまったものではない。

 後ろから「それって俺らじゃダメなのか?」「バカ、超呪われちゃうわよ」なんて聞こえてきたが、至極どうでもよかった。

「き、今日は知り合いが多い日なのかしら……」

「帝都だしな。そりゃまあ、みんな来るんだろうけど。目当ての音楽ショップはもう少しだから……」

 気を取り直して前進。

 どうしてだろう。さっきから上手くいかない。色んなものに邪魔されている気がする。こうなったら手を繋いでと直接言ってみようかしら。おかしいことはない。だって私、アランの彼女だもの。がんばれ私。負けないで私。

「あ、あのアラン、私と――」

「猛将――っ!!」

 自分の声を塗り潰す絶叫に、がくんと腰が砕けそうになった。

 少し先に見えるあれが目当ての音楽ショップなのだろう。なるほど、赴きのある外装で、マニア向けの隠れた名店という印象を受けた。

 その入り口に尻もちをついて後じさる店主と、ずいと前に出るミントと、がっくりと肩を落とすエリオットの姿がある。今さら知り合いが出てきたところで驚きはしないが、どういう状況かはまるでわからなかった。

「と、とうとう猛将がうちの店にも現れおったか。置いてあるもんなら何でも持って行って結構や。せやから命、命だけは……!」

「命なんかエリオット君は欲しがってないよ」

「と、ということはうちの嫁さんか? それとも娘か!? 頼んます! 勘弁して下さいや!」

「奥さんと娘さん、何歳?」

「へ……? 嫁は42、娘は18やけど」

「残念だけど猛将のテリトリーかな」

「き、鬼畜ぅ――!!」

 エリオットは死んだ魚のような目をして、「え、帝都にも広まってるの?」と立ち尽くすのみだった。

「そ、そうや! この縦笛なんかどうや? 東方の一品物でな。こいつを鳴らすとヘビが意のままに踊るんやで!?」

「いいの? そんなのエリオット君が吹いたら、ヘビがこう……すごい感じになるけど」

「みだりにみだらで卑猥なコブラダンスを披露するやて……!?」

「それにエリオット君が興味のある縦笛なんて、放課後の教室に置き忘れたものだけだよ」

「ク、クレイジィ――ッ!!」

 足を止めるブリジットとアラン。

「ここ、やめようか」

「そうね」

 また手を繋ぐことができなかった。

 

 ●

 

「い~く~、い~く~のぉ……」

「もうやめとけって。な? 顔色も悪いし、まともに立ってられないし」

 半死半生のサラに肩を貸しながら、トヴァルは彼女をなだめつかせようとする。しかしサラは言うことを聞かない。

「やっとサンクト地区まで来たのよ……ここ越えてヴェスタ通りを抜ければ競馬場はすぐじゃない。買ってみせるわ、当ててみせるわ、万馬券……」

「その執念を別のことに費やせよ……。昨晩だけで五件はしごしてんだぜ。俺はセーブしながら飲んだけど、お前さんはそうじゃないだろ。無理に動くのはやばいって」

 聖アストライア女学院やヘイムダル大聖堂の構えるサンクト地区。その中央広場の噴水前で、厳粛な場にあるまじき二日酔い教官が悪態をついていた。

「もし力づくで止めようってんなら、あたし自害するわ。あんたを殺して、あたしも死ぬ……」

「俺を道連れにすんじゃねえ! ついで程度の感覚で殺しにかかんな!」

「うぷっ、やば、トイレぇ……」

「待て待て待て! すぐにビニール袋持ってくるから! 胃と食道をつなぐ煉獄の門を閉じとけ!」

「身代わりマペットぉ……」

「んなもん効果あるか!」

 わたわたするトヴァルをよそに、サラはふらふらと歩き出した。幻覚が見えているのか、千鳥足であたりをさまよう。

「おわああ!? どいて、どいてー!」

 そこに一人の男性が全速力で走ってきた。よほど慌てていたらしく、ぎりぎりまでサラに気づかず、そしてサラも反応できず、二人は正面衝突する。

「わ、わるい! ケガないか!?」

「も、ムリ……それ貸して……」

 あっさりと軽やかに開く煉獄の門。

 男が持っていた大きな紙袋の中に、顔を突っ込む。事態を察したトヴァルが引きはがしにかかるが、それよりも早く、おろろろろ、とサラは光り輝く何かを盛大にぶちまけた。聖堂の荘厳な鐘の音が一帯に鳴り響く。

『ぎゃああああ!』

 男性とトヴァルの悲鳴が重なった。

「どーすんだ、これ! もうすぐ開始なのに! こんなの着れねえじゃんか!」

「仕事道具が入っていたのか? 衣装的な?」

「そーだよ! これじゃレースに間に合わねえ! ああ、ああ、支配人の大目玉を食らっちまう! 逃げるしかねえよお!」

 とにかく男は絶望し、どこかへと走り去ってしまった。

「トヴァルぅ……水ぅ……」

「とうとう大聖堂のお膝元でやらかしやがったな……」

 

 

「ランチ、おいしかったですね。あんなにお洒落なお店に入ったのは初めてです」

「ふふ、気に入ってもらえてよかった」

 ランチ後の小休止に、エリゼとクレアはサンクト地区を訪れていた。日中でも物静かな雰囲気で、休憩にはちょうどいい場所である。

 昼食はクレアが予約した店で済ませた。格式の高そうなレストランだったが、思いのほか大衆的な内装で、無用にこちらを委縮させないよう配慮して選んでくれたのだろう。大人の女性の気遣いだ。

「穏やかな良い場所ですね。確かエリゼさんは聖アストライア女学院に通っていましたか」

「はい。クレアさんはサンクト地区にはあまり来ないんですか?」

「私が受け持つ巡回コースからは外れていますから。この地区は事件や事故の発生率が少ないんですよ。大聖堂もある影響で、治安が乱れにくいのでしょう」

「そういうものですか」

 エリゼはふと視線を感じた。

 きょろきょろと辺りを見回すも、知り合いは誰もいない。

「どうしました?」

「ああ、いえ。《ル・サージュ》にいた時に兄様の声が聞こえた気がしたもので、もしかしたらと」

「本当にリィンさんのことが好きなんですね。微笑ましいです」

「え!? 妹として! 妹としてですからね!?」

「わかっていますよ」

 クレアは楽しそうに笑っている。不意に彼女が訊いてきた。

「体調はどうですか? 何か変わったことは?」

「大丈夫ですよ。何もありません。ご心配をかけてすみません」

 一時的にでも《エンド・オブ・ヴァーミリオン》に取り込まれたことを、クレアは事あるごとに気にかけてくれていた。

「私よりも心配なのは兄様です。ずっと知りませんでしたから、兄様が撃たれていたなんて」

「それは……私も同じです。その情報が回ってきたのは内戦締結後でしたので」

 ヴァリマールがリィンを核に誘って霊力を送り続けることで、かろうじて一命を取り留めたという。最終決戦後も予断を許さない状況が続いたそうだが、幸いにもどうにか快復してくれた。臨時武官としてクロスベルに出向いたりもしたが、今は普通の生活に戻れている。願わくばこのままずっと――

「あれ? エリゼお嬢さんにクレア大尉じゃないか」

 唐突にトヴァルがやってきた。「よっ!」と彼は爽やかに挨拶をしてみせる。秒でエリゼの表情が陰った。

「どうしてここに出現したんですか」

「そんな魔獣みたいにいうなよ……」

「クレアさん、サンクト地区の治安が乱れました」

「出てきただけで!?」

 やれやれと、トヴァルは身の上を語った。

「実は競馬場に行く途中でサラのやつが――」

「競馬? トヴァルさん、競馬に行くところだったんですか? 遊撃士協会ユミル支部を立ち上げるのに忙しいはずのトヴァルさんが賭け事を?」

「ちょい待てお嬢さん。解釈がアレだ。誤解だ。俺はむしろ競馬場に行くのを止める側で、今はサラのために水を――」

「サラさんなんてどこにもいないじゃないですか。そんな見え透いた言い訳を……」

「ち、違う。サラは噴水の方で噴水のような吐物を巻き散らして――」

「女性になんてことを言うんですか。言い訳にしても、ちょっとどうかと思いますけど」

 みるみるとエリゼの瞳が険しくなっていく。

 クレアが口を挟んだ。

「トヴァルさんは成人しているわけですし、ギャンブルが悪いこととは言いません。ですがエリゼさんの前で賭博の話を嬉々としてするのは頂けません。教育上も好ましくありません」

「嬉々としてない! むしろ危機に陥ってるんだ!」

「仰っている意味がわかりませんが」

 氷の刃で切って捨てたかのような冷たい口調だった。

「はあ……お兄さんは孤独だぜ。頼れるお兄さんなのになあ……」

 すごすごとトヴァルは退散した。まったく油断も隙も無い人だ。

 そういえば、さっき感じた視線は彼だったのだろうか。

 

 

「いねえなあ、巨悪」

 朝からヘイムダルに張り込んで、早数時間。さすがに疲れた様子で、クレインはベンチにどっかりと座った。

「残念そうに言うもんじゃないだろ。悪いやつがいないに越したことはないじゃないか」

 左どなりに続いたハイベルは、歩き通しでむくんだ足をさする。同じく右どなりに腰を下ろしたガイウスは、文句ひとつ言わず、先輩たちに付き従っていた。

「なあ、ガイウス。お前の気配を察知するみたいな能力で、群衆に紛れる巨悪を炙り出せないか?」

「申し訳ありません。それは難しい……」

 律儀に謝るガイウスを見やり、ハイベルは「後輩に無茶言ってやるなよ」とクレインの脇を小突いた。

 クレインの発案で、正義戦隊の活動の締めくくりに相応しい巨悪を探しにヘイムダルまでやって来たものの、そんな輩が簡単に見つかるわけもなかった。

 業を煮やしたクレインは、挙句の果てに善良そうな一般人を見咎めては、「あいつは裏組織と繋がっているに違いない」とか言い出す始末である。

 オスト地区やらライカ地区やら、様々な場所を渡り歩き、三人はここサンクト地区までたどり着いていた。

「一番何もなさそうな場所に来ちまったな……。さっきから歩いているのも礼拝者とか女学生とかだし。平和そのものっつーか」

「だからそれが良いことなんだって――ん!?」

 がたっとハイベルはベンチから身を乗り出した。

 彼の視線の先にいたのはクレア・リーヴェルトだ。しかも麗しの私服姿。タイトスカートからのぞくシャイニングおみ足が、失明せんばかりの輝きを放っている。

 非番なのだろう。休日を過ごしていることは想像できたから、ハイベルは声をかけたい衝動をぐっとこらえた。

「おい、あれ見ろよ」

 とクレインが指さすのは、クレアとは離れた位置。大聖堂の正門に続く大階段の下をうろつく二人組だった。

 ギザギザノースリーブにモヒカンの男たちが、何やらひそひそと話し込んでいる。

「ないわ。ありゃないわ。間違いなく裏世界の所属だ。あれで一般人っつー方がどうかしてる」

「決めつけは良くない。確かにいかつい風貌だけど、見た目だけで人を判断するのは、少なくとも正義を謳う人間のやることじゃないだろ?」

「む、それはそうかもだが……でもなあ。どう見ても荒野を根城にして、貧しい農村とかを下卑た笑顔で破壊しにいくタイプのアウトローだぜ」

「ひどい偏見だな……。仮に悪だとしても小悪党って感じじゃないか。探している巨悪ではないよ」

 下手に首を突っ込んで、面倒事にしたくないハイベルは「ガイウス君からもクレインに言ってくれ。もう帰ろうって――」と言いかけたところで、両の眉根を訝しげに寄せた。

 アウトローの背の低い方。メガネをかけて、その上からサングラスをつけている。視力が悪いのだろうが、そのメガネには見覚えがあった。

「あれは……小僧!」

 マキアス・レーグニッツを認識した瞬間に入る修羅スイッチ。なぜあいつがここに。しかもあんな変装をして。

 ビビビッとハイベルの頭に電流が走る。

 クレア大尉だ。おそらくは休暇を謳歌する私服の彼女を、いやらしい目と目的をもって追跡しているのだ。この広いヘイムダルで、これほど近い位置にいる偶然があってたまるか。それしかありえない。

「……巨悪だ。見つけたぞ」

 忌々しく吐き捨て、ハイベルはゆらりと立ち上がる。

「へっ? 今お前、あいつらは小悪党だから違うって」

「あんなイかれた格好してるんだ。どうせろくな事を考えてやしない。社会悪の精神異常者め。この正義戦隊がきっちりがっつりみっちり成敗してくれる」

「見た目で人を判断するのは正義を謳う人間のやることじゃないって、お前が……」

「腐れた心は外見に現れるものだ。やるのか、やらないのか、どっちなんだ!?」

「わ、わかった。やるよ。まあ悪い奴なのはやっぱ確実だろうしな。まずは尾行してあいつらの目的を探ろうぜ」

「目的なんてわかりきっているけどね。尻尾を出したその時は……」

「その時は?」

 ハイベルは親指を下に向け、首をぴっと横に切った。

「殺せ!!」

「お前マジか」

 

 ●

 

 帝都競馬場の近隣には馬具を扱ったり、馬のメンテをしてくれる施設が豊富にそろっている。

 ユーシスが訪れたのも、そうした店舗の一つだった。

「はい、お待たせ。いい馬だね」

 店主に連れられ、整備用の馬舎から出てきたシュトラールは、ユーシスの前でぶるると鼻息を震わせた。

「蹄鉄の調整も完璧さ。今すぐにでも全速で駆けられるよ」

「いい仕事だ。礼を言う」

 シュトラールの手綱を受け取ると、ユーシスはロジーヌに振り返った。店の棚に飾られている馬具をしげしげと眺めている。あまり馴染みがないものらしく、興味深そうにしていた。

「待たせたな」

「いえ。ユーシスさん、これは何なのでしょう?」

「それは(くら)だな。騎座に敷くものだ。シュトラールにも付けているだろう」

「一口に馬具と言っても、色んな種類があるのですね」

 感心したように店内を見回すロジーヌ。

「俺の用は済んだ。ここからはお前の荷物持ちに付き合おう」

「ありがとうございます。と言ってもお店は大通りですから、少し距離がありますが」

「シュトラールに乗っていけばいい。街中で速度は出せないが」

「え、でもそれは……」

「導力車が普及する以前は、往来を馬や馬車が闊歩するのが当然の光景だったのだ。気にするな」

「め、目立ちません?」

「気にするなと言った」

「します……」

 顔を赤らめるロジーヌと、構わず彼女をシュトラールに乗せようとするユーシスを交互に見ながら、「若いっていいねえ……」と壮年の店主はかぶりを振っていた。

 そこにえらく慌てふためく男性が駆け込んでくる。

「あー! 困った、困った! どうする!? くそ!」

「お、おいおい、どうしたね」

「もう最悪だよ、聞いてくれ!」

 スーツを着込んだ身なりのいい男だ。彼は店主と顔なじみのようで、息も荒いままに事情を語った。

 その話はユーシスたちにも聞こえてきた。

 なんと彼はこの帝都競馬場の支配人で、今日の大一番のレースも自らで取り仕切っていたそうだ。レースの進行自体は順調で、休憩時間を挟んだあと開始される最終レースを待つのみだったという。

 そこで事故が起きた。

「騎手が全員病院送りだよ! 集団食中毒だってさ! まったく笑えない!」

 騎手の控室に置いていた生菓子が痛んでいた。何かを混入されたような形跡はなく、本当に不幸な出来事だったようだ。

「そりゃ中止しかないだろう。どうにもならん」

「そう簡単にできるか。十月戦役以降、ようやく再開できたレースなんだ。動員数も夏至祭並で、ここで止めたらどれほどの利益損失になることか……!」

「ふうむ。馬が無事なんだったら、代わりの騎手はいないのか?」

「それを探しに来たんだが、すぐに見つかるような都合のいい話は……お?」

 支配人と店主の視線が、同時にユーシスに注がれる。

「き、君! 馬に乗れるのか? 乗れるんだね!?」

「乗れるが……まさか」

「経緯は聞いていたんだろ! どうか助けてくれ! レースの体裁さえ整えばいいんだ! 走ってくれればそれでいい!」

「俺は学生の身だ。さすがに競馬場のレースに参加というのはまずい。それに……」

 アルバレアの名もある。ただでさえ慎重に動かねばならぬ時期なのに。

「顔は隠すから絶対にばれない! そっちの可愛い彼女さんからも説得してくれないか!」

「か、可愛い彼女さん……!?」

 どどーんと衝撃を受けたロジーヌは、しばし悶え、そこから考え込み、

「人助けです。お願いします、ユーシスさん」

「よし、決まりだ。君たちは騎手控室に向かってくれ。もちろんその白馬で出場してもいい。私は他に騎手になってくれそうな人を探しに行くから!」

 言うだけ言って、支配人は走り去ってしまった。

 ユーシスはロジーヌをにらむ。

「……お前な」

「ごめんなさい……」

 

 ●

 

 マキアスが作ったデートプランには、競馬観戦が組み込まれていた。馬券を買わなければ、未成年であっても入場は問題ない。

 競馬場はブリジットも初めてで、観覧してみたいとノリ気になってくれていた。

「いいねえ! 君いいねえ! センスを感じるよ! 馬乗れるでしょ?」

 その競馬場前の大広場に到着した矢先で、アランたちは支配人と名乗る男に捕まった。

 観客の大勢はすでに場内に入っているみたいで、周囲には人が少ない。彼に声をかけられるのに時間はかからなかった。

「馬あ? 一応乗ったことはある程度ですけど……」

「乗れる! 乗れるんだね!? お礼はするからレースに出てよ!」

「はあ!?」

 支配人は有無を言わさぬ勢いで、アランの腕をぐいぐいと引っ張る。一応事情は説明されたものの、だからといってという話だ。

「待ってくださいって! 俺たちは見学のつもりで……あと学生だし!」

「ほう、君もか。しかし顔は隠すから問題ない! コースを一周走るだけの簡単なお仕事だから。そっちの可愛い彼女さんからも説得してくれないか!」

「か、可愛い彼女さん……!?」

 どどーんと衝撃を受けたブリジットは、しばし悶え、そこから考え込み、

「仕方ないわ。困っている人は見過ごせないもの。そうでしょ、アラン」

「ええー!?」

 

 ●

 

「アラン、どこに行ったんだ。予定ではそろそろこの辺りに来るはずなんだが……」

 お店を回ったあとは、サンクト地区の大聖堂に行くルートにしておいた。休憩の意味もあるし、落ち着いた場所の方が弾む話もあるだろうと思っての選定だ。

 本当は自分たちも中に入りたかったが、このアウトローな恰好で聖堂に入るのは無理だった。どれだけ粛々としていようが、『くっくっく、邪魔するぜえ?』みたいな感じになってしまう。

 そういうわけで、アランたちが出てくるのを物陰に隠れて待ち構えていた。しかし見つけられなかった。礼拝終わりの人たちが多過ぎて、二人を見失ってしまったのだ。

 このあとのデートコースを知っているマキアスは、やむを得ずルートを先回りすることにした。その場所がここ、帝都競馬場である。

「つーか競馬場がデートコースって、貴族のお嬢様が喜ぶもんなのかよ?」

 首からかけた威圧的な鎖をじゃらじゃら鳴らしながら、ロギンスが言った。

「そこはリサーチ済みです。彼女は世俗的なことでも抵抗なく楽しめる性格みたいで」

「はあん、そいつは好感が持てるじゃねえか。さすがはアランが惚れた(スケ)だぜ」

(スケ)とか言わないで下さいよ……」

「でもあいつら、いなくねえか?」

 競馬場前の大広場に、それらしい二人組はいなかった。もう中に入ったのだろうか。

「おーい、君たちー!」

 こちらに向かってスーツの男性が駆けてくる。「馬乗れるよねー!?」とか叫びながら。

「もう色んな人に説明したから、君たちへの説明は省いていいよね?」

「色んな人に僕たちが含まれていない以上、説明はいるでしょう……」

「私は帝都競馬場の支配人。君たちは今から馬に乗ってレースに出る。理由は私を助けるため。以上!」

「雑っ」

 いいから、いいから、と支配人はマキアスとロギンスを引っ張った。

「ロギンス先輩はどうか知りませんが、僕は馬なんて乗れませんよ!」

「またまたー。その日暮らしの貧しい農村を襲撃しては、慈悲を乞う老夫婦を躊躇なく足蹴にした挙句、翌年分の種もみを容赦なくかっさらう感じのナリして、馬に乗れないとか絶対ウソでしょ」

「偏見に満ちている上に例が具体的過ぎる!」

 抵抗する間もなく連行されてしまう。なんということだ。アランを探さなければいけないというのに、厄介なことに巻き込まれてしまった。

 マキアスは頭を抱える。モヒカンヘッドがちくちくと痛かった。

 

 ●

 

「馬、乗っちゃおうよ?」

「やります」

「おいいい!?」

 何回も繰り返したせいか、雑さ極まる支配人の勧誘に、しかしハイベルは即応した。ノータイムでの相方の返事に、さしものクレインも口をあんぐり開ける。

「なに安請け合いしてんだよ、お前は!」

「まあ聞け、クレイン」

 ハイベルは丸眼鏡を押し上げ、小声で言った。

「さっきこの人が、アウトローたちにも声をかけているのを見たろ? 普通はあんな奴らを誘ったりはしない。きっと裏の事情があるんだよ。たとえば八百長試合とかね」

「だとしたらなんで俺たちのことも勧誘する? 都合が悪くなるだけじゃないか?」

「予期しないアクシデントがあったと考えるのが自然だ。人数合わせの僕たちが入ったところで、その後ろ暗い計画に大きな影響は出ないと思われているのさ」

「理由は集団食中毒でやむを得ずって言ってたし、さすがに邪推し過ぎだろ」

「食中毒なんて理由はカムフラージュに決まっている。なあ、クレイン。“かもしれない”の可能性を拾わずして、正義の執行なんてできないよ。ここで見過ごせば、もっと多くの人が悲しむことになるかもしれない」

「おお、お前が正義を語ってくれるなんて……!」

「ふっ、君の熱がうつっちゃったのかな?」

「よし、やろうぜ! ガイウスもいいな」

「先輩方が出るのなら」

 クレインが乗り気になり、ガイウスも付き従う。計算通りだ。

 ハイベルにとって、支配人の思惑はどうでもよかった。おそらく食中毒が本当なのもわかっていた。

 だがアウトローの片割れであるマキアスが、“何らかの目的”をもってレースに参加する以上、黙ってスルーなどできるはずもない。

 “何らかの目的”というのも察しはついている。やはりクレア大尉だ。おそらく彼女もこの競馬場にいるのだろう。

 レースに勝って、彼女にいいところでも見せるつもりか? そうはさせない。勝つのは僕だ。見事一着でゴールを駆け抜けたその時、僕は鮮やかに自らの覆面を脱ぎ捨てるのだ。

 轟く大歓声の中で、馬上から崩れ落ちる小僧の屈辱の表情と、客席から立ち上がるクレア大尉の驚く表情が目に浮かぶ。

「ふ、ふふふ、悪くないプランだ。いいぞ!」

「ん、ちょっと待てよ」

 悪の笑みを湛えるハイベルを、クレインが止めた。

「俺とガイウスは馬に乗れるが……お前は?」

「ああ、乗れない」

「じゃあ無理じゃんか。どうすんだよ」

「レースまであと40分はあるんだろ?」

 ハイベルはガイウスに視線を移した。

「ガイウス君。レース開始までに僕を馬に乗れるようにしてくれ。先輩命令だ」

「え」

「さっき俺に『後輩に無茶言ってやるなよ』って言ったのお前だったよな。な?」

 

 ●

 

「こっち側に来たと思ったのだが……」

 ペタペタぶにぶにと、肉球で路面を踏みしめて、みっしぃとみーしぇは競馬場前の広場に来ていた。

『競馬場ねえ。アランが組んだデートコースにしては攻め過ぎてる気がしないでもないけど』

 通信機越しにフリーデルが言う。

「場内に入ったと思いますか?」

『んー、どうかしら。入ろうと思えば私たちも入れるけど、さすがに着ぐるみは脱がないとだし』

「これを脱ぐのですか……それは残念というか」

『あら、気に入ってるのね』

 どうすべきかと悩んでいるところに、スーツ姿の男性がやってきた。

「よし、どうにか騎手はそろったな。しかしあいつも遅いな……何してるんだ。もうまもなく開始だというのに――あ」

 ぶつぶつと一人ごちる男は、みっしぃ達に気づく。

「ああ! もう来ていたのか! 早くスタンバイしてくれよ!」

「え?」

「マスコットだよ。せっかく場内での応援と盛り上げ役のために手配したんだから、しっかり働いてくれなきゃ困る。あれ、でも二人? それに頼んでいた着ぐるみと違うような……まあいいか」

 まともな質問もできないまま、二人はスタッフ用の裏口に案内される。「頼んだからね!」と言い残して、男は正面ゲートの方に走っていった。

「……想定外ですが、どうしますか?」

『いいんじゃない? 面白そうだし。アランたちも探せて一石二鳥よ』

「確かに。では参りましょう」

 ぶにっぶにっと間抜けな足音を立てて、薄暗い通路をみっしぃとみーしぇが征く。

 

 

 ――つづく――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――another scene――

 

 エリゼとクレアはヴェスタ通りに来ていた。

 この区画の道は導力車用に整備されておらず、昔ながらの石畳が敷かれている。故にこれも昔ながらの光景と言うべきか、子供たちが普通に道路で遊んでいたりするのだ。マキアスの実家であるオスト地区にも近いものがあるのかもしれない。

「なんというか、のどかですね」

 そんな感想をエリゼが述べると、クレアは意外そうにする。

「あまりこちら方面には来ないんですか?」

「ええ。寮から出ることがあっても、大体が日用品の買い出しに大通りまで足を伸ばす程度でしたので」

 規律の厳しい女学院の上に、外出届なんて煩わしいものもあれば、気軽に散歩というわけにもいかなかった。だから帝都にこんな場所があることも知らなかった。

 立ち並ぶ露店から漂う良い匂い。どこからともなく聞こえてくる奥様同士の昼下がりのおしゃべり。駆け回る子供達のはしゃぎ声。こういう雰囲気は好きだ。

「次は帝国博物館に行きましょう。エリゼさんが気に入ってくれればいいのですが」

「ライカ地区の博物館ですか? 一度いきたいと思っていたんです!」

「よかった。それでは――ああ、すみません。少し失礼」

 クレアの胸元からピピピとアラーム音が鳴っている。軍用通信機らしい。彼女宛ての連絡のようだ。

 手早く用件を聞き取ったクレアは、通信を切ったあとエリゼに言った。

「線路付近でちょっとしたトラブルがあったみたいで、状況確認にだけ行ってきます。ごめんなさいね」

「いえ、クレアさんのお仕事ですから。でも非番なのに連絡が入るんですね」

「そういうものなんですよ。小さなことでも鉄道が絡むとTMPの管轄案件になりますから」

 困ったように笑う。

「ここから近いですので、見てきたらすぐに戻ります。それまで時間を潰しておいてもらえますか」

「はい、お気をつけて」

 クレアは急ぎ足で現場へと向かった。

 エリゼは辺りを見回してみる。どこで待とうか。

「《ハーシェル雑貨店》? 小物とかも売ってるのかしら」

 そんな名前のお店があった。どこかで聞いたような店名だ。ひとまずあそこにしよう。

「エリゼ」

 歩先をそちらに向けかけた時、名前を呼ばれた。遠い過去から届いたような懐かしい声で。

 振り返ると、彼女がそこに立っていた。後ろでくくったホワイトブロンドの髪を風に流しながら。

「リゼットさん……?」

「久しぶり」

 突然の再会で、続く言葉が出て来なかった。

 一瞬の間のあと、先に口を開いたのはリゼットだった。

「いっしょにいたのクレア・リーヴェルトだろ。いつだったか知り合いとか言ってたけど、あれマジだったんだね」

「ど、どうしてここに?」

「あんたを見かけたのは偶然だ。悪いと思ったけど、後を追わせてもらった」

 サンクト地区で感じた視線は、おそらく彼女だったのだろう。

「でもこのままだと話せる機会もなさそうだったから、大尉さんには離れてもらうことにした。線路の脇にいかにもな箱を置いてね。怪しいもんがあるから確認してくれって本部の憲兵隊にタレこんだわけ」

「またそんなことをして……大勢の人に迷惑がかかりますよ」

「運休中の路線を選んだから、大した影響は出ない。空き瓶が詰まったただの木箱だし、状況だけ把握したらすぐに戻ってくるだろうね。それまでに言っておきたいことがある」

「言っておきたいこと……?」

 リゼットはまっすぐにエリゼを見据えた。その瞳がかすかに揺れて――

「あんたの兄貴を撃ったのは、あたしだよ」

 

 ● ● ●

 

 




2020年、明けましておめでとうございます。
《想い巡る緋の帝都》の中編をお付き合い頂きありがとうございます。
各登場人物の現在の状況です。

騎手&馬名
➀ユーシス(オキゾクノタワムレ(シュトラール)
➁アラン(ラブジャッジメント)
➂マキアス(クダケチルメガネ)
➃ロギンス(コウハイデストロイヤー)
➄ガイウス(カラミティホーク)
➅ハイベル(アンコクノシュラ)
➆クレイン(ハキチガエタジャスティス)

場内マスコット
★ラウラ(みっしぃ)
★フリーデル(みーしぇ)

花の応援団
△ブリジット(アランにエール)
△ロジーヌ(ユーシスにエール)
△シェラザード(オリビエのアドバイザー)
△アルフィン(小動物系サポーター)

賭ける人たち
●オリヴァルト(負債総額273,000,000ミラ)
●トヴァル(サラ専属介護士)
●サラ(おろろろろ)

重要な人たち
◆クレア(木箱チェック)
◆エリゼ(兄さま撃ったの?)
◆リゼット(兄さま撃ったよ)

重要じゃない人たち(退場!)
■リィン(みっしぃからもらったボディがまだ痛む)
■アリサ(プリプリ怒ってるけど、リィンとお出かけ嬉しい)
■ポーラ(たくさんのグッズに心が躍る)
■モニカ(ねえ、そろそろ帰らない?)
■ベリル(呪いのカメラを試したいわ)
■レックス(ベリルが楽しそうでよかった)
■ミント(体操服とリコーダー、どっちがそそられるの?)
■エリオット(楽器買いに来たんだよね? ねえ?)

引き続き次回もお楽しみ頂ければ幸いです!
今年もよろしくお願い致します。
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