午後まもなく、アルフィンとセドリックが第三学生寮に到着した。四月からトールズ士官学院に入学する二人も、エリゼと同じく赤の学院服での登場だった。
『セドリック殿下はより凛々しく、アルフィン殿下はよりお可愛らしい。やはり赤色が似合っていらっしゃる。国民に先駆けてお二人の晴れ姿を拝見できるなんて、これ以上の誉れはないでしょう』
「リィンさんにそんなふうにお褒め頂けるとは、僕の方こそ光栄です!」
「可愛らしいだなんてそんな……もう、リィンさんったら」
「それ俺じゃないですから! レジェネンコフですから!」
お決まりとなってしまったやり取りを済ませて、リィンは縛り上げたレジェネンコフを床下に放り込んだ。すぐさまフィーとミリアムが玩具の救出に向かうのも、これまたお決まりのことだった。
「ですが、まあ……お似合いというのは同意見です。両殿下とも、ようこそ第三学生寮へ」
Ⅶ組総出で出迎え、代表してリィンが言う。
するとアルフィンは困り顔を浮かべた。
「んー……わたくしたちはリィンさんの後輩になるのですから、殿下と呼ばれるのも気が引けます。どうかアルフィンと呼び捨てにして頂ければ」
「ぼ、僕も! 僕もセドリックと呼んで下さい! 後輩! 後輩ですから!」
食い気味にセドリックまで追従してくる。
「い、いえ。さすがに無理ですよ」
「無理では困ります。こういうのは慣れですので、さっそく練習しましょう。さあ、どうぞアルフィンと」
「えぇ……」
これは引き下がってくれなさそうな雰囲気だ。周りの仲間たちも“アルフィン皇女がこうなったら付き合うしかないぞ”的な視線を送ってくる。なんでだ、フォローしてくれ。
だがこの場を収めてもらうためには、お試しでもいいからやってみるしかなさそうだった。
「ア、アル……アルフィ……ン?」
「もっと流暢に、ハキハキと」
「……アルフィン」
「大きな声で!」
「アルフィン!」
「曲がり角でぶつかりそうになった時みたいに!」
「アルフィン!?」
「中々起きて来ないわたくしを部屋の外から呼ぶ時のような!」
「アルフィ~ン?」
「脱衣所であられもない姿のわたくしと出くわした時!」
「アルフィンッ!?」
「二人で夜空を見上げながら歩き、ふとした瞬間に手と手が触れ合い、お互いの視線が気恥ずかしくも絡み合う刹那、若い男女に湧き上がる不思議な感情の正体とは!?」
「ア、アルフィン……ッ!」
よくわからない世界に足を踏み入れそうになる。アリサとラウラが責めるような目で俺をにらんでくる。待ってくれ。四月から毎日こんなのをやらされるのか。それはきついぞ。すでに呼吸がしんどい。
「……兄様?」
部屋の片づけをしていたエリゼが、二階から降りてきた。そのハイライトを失った瞳は、アリサとラウラ以上に冷たい蔑みを湛えている。
「姫様の声がしたから見に来たのですが……ハアハアと息を荒くした兄様が、前のめりにアルフィンアルフィンと連呼して……。これはどういう状況でしょうか」
「ちがっ、違うぞ! 殿下からも説明を!」
「聞いて、エリゼ。わたくしはただ、リィンさんから情熱的に求められていただけなのよ」
「殿下あああ!?」
がちゃがちゃと場が荒れる。
エマやガイウスの大人系の人たちの説明のおかげで、エリゼはどうにか矛を収めてくれた。
「あのー……もう入っていい?」
ようやく状態が落ち着いてきた頃合いで、再び寮の扉が開く。
姿を見せたのはスカーレットだった。居心地も悪そうに、「……どーも」と一言だけ告げると、彼女はアルフィンの横に立った。
すでに全員に話は通っている。
スカーレットがアルフィンの騎士の話を受けた場合、そのままⅦ組の新任教官も務めると。
こうしてこの場に彼女が現れたというのは、まさしくそういうことなのだろう。
大した挨拶もなく、スカーレットはアルフィンたちの荷物運びを始めた。
「俺たちは俺たちで急ごう」
スカーレットのことは気になりつつも、リィンは切り替えた。
今日がサプライズパーティの実行日。
サラは自分の業務整理と明日の卒業式の打ち合わせがあるから、19時までは帰ってこないと踏んでいる。だからそれまでにこちらもイベントの準備を超特急で済まさなければならない。
皆の力を合わせて、絶対に成功させる。これがⅦ組としての総仕上げなのだから。
《――☆☆あなたへの花束を☆☆――》
ようやく卒業式の打ち合わせが終わった。
明日は軍関係者の来賓も多いから、その対応やら誘導やらの段取り確認が長引いたのだ。休憩する暇もなかった。
サラがミーティングルームから教官室に戻ってきたのは15時を過ぎた頃である。
「んああ~……」
自分の席に座り、大きく伸びをした。
これでやっと最後の仕事に手を付けられる。やろうと思いつつ先送りになっていた自分のデスクの整理だ。卒業式に合わせて、私もこの学院を去る。私物は片付けておかねばならない。
「――こっちは廃棄でいいわね。えっと何この書類の束は……げっ、生徒に返却する採点済みの小テストじゃない。……誰も覚えてないでしょうし、これも捨てていいかしら? いい、いい、大丈夫。小テストなんてなかった、オーケー?」
自分への言い訳を挟みつつ、ジョリジョリジョリーとシュレッダーで証拠隠滅。
そして持ち帰る物はカバンに詰め込む。あとは一番下の引き出しに内緒で忍ばせておいたウイスキーボトルを回収。デスクの上にも中も空の状態にして、締めに軽くふき掃除。
終了。完璧。
こんなに綺麗な自身の机を見るのは、いったいいつぶりだろうか。多分、着任以来だ。私の机がこれほどまでに広かったとは。
椅子に腰かける。この座り心地も最後になる。どうでもいいところで感慨深くなるのは、名残惜しさがあるからかもしれない。
遊撃士に戻ると決めた選択に後悔はない。コンビを組むはずだったトヴァルからドタキャンを食らったのはアレだけど、まあ問題ないっちゃ問題ない。
そう、後悔はないけれど――心残りがあるとすれば、やはりⅦ組の教え子たちのことか。
このまま成長を見守りたかった。面倒を見ていたかった。これからも、もっと、ずっと。
でもあの子たちなら大丈夫。私がいなくても、まっすぐに各々の道を進んでいくだろう――
「私がいなくても……」
なにこれ、超さみしい。
最近、やっぱりあの子たちから避けられてる気がする。よそよそしいというか。
普通はさあ。お互い学院を離れるってわかってるんだから、残された時間を少しでもいっしょに過ごそうとかしない? 『教官、夕日にむかって一緒に走りましょう!』とか、そんな感じの青春イベントがあってもよくない? 一切、欠片もなかったんだけど。
あたし、嫌われてる? 嫌われるようなことをした覚えはないのに。
直近であったあたし絡みのトラブルといえば、もしかしてあれ?
“サラ教官のセクシー下着がリィンの洗濯物に紛れ込んだ事件”のせい? それとも“酔ったサラ教官によるアリサの
心当たりすごくあるわー。
「で、でも可愛いものじゃないの。コミュニケーションの一環というかね。それしきのことでそんなに壁を作る? 作らないでしょ。思春期の学生じゃあるまいし!」
思春期の学生だわー。
うそ、あたしったら本当にやらかしてんじゃないの? 一応謝って遺恨を清算してから旅立った方がいいんじゃないの?
「……思ったより全然早く片付いちゃったし、みんなのこと気になるし、さっさと帰ろうかしら……」
「どこに行くつもりかね?」
サラが立ち上がったと同時、狙っていたタイミングでもあるかのようにハインリッヒ教頭が教官室に入ってきた。
「あ、教頭。そろそろ寮に戻ろうかと」
「ぬっ、今からだと。早すぎないかね」
「早い? 学院ですることは終わりましたし、自室の片付けもまだ残ってますので。色々とお世話になりました」
サラは深々とお辞儀をする。彼のお小言には辟易した毎日だったけど、礼儀は大切だ。
「ま、まあそう急かずともよかろう。具体的には19時くらいまではゆっくりしていくといい。感傷に浸るところもあるだろう?」
「別にそういうのは大丈夫なので。というかなんで19時?」
「ええい! 口答えするな!」
「な、なんですか!?」
つかつかと歩み寄ってきたハインリッヒは、だんとデスクを叩いた。
「まだ埃が付着しているではないか。ダメだダメだ、掃除をやり直したまえ!」
「いきなりやってきて横暴なことを! 嫌です。やりません。ベアトリクス教官が言ったならやったかもしれませんけどー?」
「ぐぬぬ、最後まで生意気な……!」
ハインリッヒのちょび髭がピーンと逆立った。怒髪天的なシステムらしい。
「いいか。君のその雑さはどの職場でもマイナスに働くぞ。人生の先輩としてアドバイスさせてもらうが、自由と奔放をはき違えた愚者ほど緩い仕事をするものだ。君のようにな!」
「ご忠告どうも! ですがその指摘は、私には当てはまらない見当違いなものに聞こえますが」
「素直さの欠如も相変わらずか。雑だ、雑ぅ! どうせ君のデスクの奥にはぐちゃぐちゃになったプリントとか、カチカチになったコッペパンなんかが埋蔵されていたのだろう!」
「ひっどい偏見! コッペパンなんてありませんから!」
「プリントは否定せんのか!?」
なんなの、このおっさん。いきなりやってきて、難癖をつけるように説教を始めて。
学院の締めくくりがこれってあんまりだわ。もういい。一足早い《紫電のバレスタイン》の復活祭よ。我慢の限界が来たら、フル出力の電撃をお見舞いしてやる。
●
「一時間経過……ハインリッヒ教頭、がんばって下さってますね」
校舎外、教官室の裏手で、クレア・リーヴェルトは腕時計に目を落とした。彼女はリィンの依頼を受け、サラの動向を把握するための監視役として派遣されていた。
想定していた時間よりサラの出立が遥かに早い。現在は16時。あと三時間ほどは、寮に帰ってもらっては困るのだ。
だがこうなることも予測していた。監視役だけではなく足止め役も兼ねているクレアは、元トールズOGの顔を使って、現職の教官たちに協力の根回しをしていたのだ。
勘付きもしなかっただろう。
卒業式の打ち合わせで、ヴァンダイク学院長がやたらと議事の内容を忘れたり、同じ話を繰り返したり、トイレが近かったり、食べたお昼ご飯を何回も欲しがったりと、おじいちゃんムーブを頻発したのは、全て会議を長引かせるための演技。おそらくサラは認知症状の始まりくらいにしか思っていないはずだ。
ベアトリクス教官にも“戦時中の卒業式といえば人間からの卒業でした”というテーマで場を重たくしてもらったし、マカロフ教官には無駄に反対意見を出してミーティングを引き延ばす役を担ってもらった。仕込んだ盗聴器から『もう卒業式やるの面倒なんで、今から全員留年でいいんじゃないですかね』と反対意見の斜め上を飛んだ鬼畜発言が聞こえた時には、演技とわかっていても正直引いたが。
「人に引かれると言うのなら、私のこの格好かもしれませんが……」
ぼそりと口から本音がこぼれる。
クレアはシャロンの用意したメイド服を着用していた。メイドキャップにフリルエプロンに、これまた『絶対必要なのです』という鉄の掟に従い、レースのガーターベルトまで装備している。
この出で立ちで学院に出入りし、顔なじみの教官勢にサラの足止めをお願いしにいくのは、死にたくなるほど恥ずかしかった。ベアトリクス教官の『まあ……立派になって』の一言には含みを感じずにはいられない。
これは仕事着。いわば軍服と変わらない。コスチュームではなくユニフォーム。そう自身に言い聞かせて、クレアは精神の均衡を保っていた。
ふうー、と大きく深呼吸。落ち着きを取り戻す。
とにかくハインリッヒ教頭は学院における最後の砦。その気になれば明日の朝まで説教を続けられる。
「ミラーデバイス起動」
数個の鏡面装置を放ち、教官室の窓際まで互い違いに並ぶように配置する。反射の反射で、室内の様子を確認するのだ。
教頭は弁舌に熱が入ると、説教の切り時がなくなることも承知している。適度なところで助け船を出して、ちょうどいい時間で寮に帰ってもらうのがベストだ。
鏡に映るのは向かい合うハインリッヒとサラだが、一瞬何かが光って――
「はい、我慢の限界ーッ!!」
「え」
ドゴーンと落雷のごとき轟音が爆ぜ、窓から紫電を帯びた稲光が走る。衝撃に巻き込まれたミラーデバイスが根こそぎ破壊されてしまった。
窓ガラスを突き破って外に投げ出された焦げリッヒ教頭が、ぶすぶすと黒煙に撒かれながらクレアの足元に転がる。
「やばっ、やり過ぎたかも――あ?」
半壊した窓枠からサラが身を乗り出してくる。そしてクレアとがっつり目が合った。
「クレアじゃない。何やってんの、そんな恰好で」
「そ、それはですね……」
ごまかせ。考えろ。
鉄道憲兵隊のクレア・リーヴェルトが、メイド服を着用して教官室の裏手に潜んでいたそれっぽい理由を。ノルドの監視塔に囚われた時のように、合理的かつ信憑性のあるカバーストーリーを瞬時にして組み立ててみせろ。
「……わたくし、メイドのクレアですわ」
「どっかで頭打ったの?」
思いつかなかった。
●
運んできた荷物の開封を手伝おうとしたが、アルフィンは自分でするといって聞かなかった。見られたくない乙女の秘密がてんこ盛りだそうだ。
いったい何を持ち込んできたんだか。
お姫様の騎士として無用な詮索はしないつもりだが、担当教官の記念すべき初仕事としては、抜き打ちでカバンの中身チェックをしてみたい気もする。
そんなことを考えながら、スカーレットは皿の詰まった木箱を抱えた。
「重っ……ねえ、これどこに運んだらいいの?」
予想以上の重さによろけつつ、誰ともなしに問う。
「ああ、それは向こうのテーブルに置いてちょうだい」
そう応じたのは、近くで飾り付けをしていたアリサだった。言われたまま、そのテーブルに平皿を並べていく。
「このグラスは?」
「あっちの長テーブルに」
「椅子の配置はどうしたらいいのかしら」
「立食形式だし、適当に壁付けしてくれたらいいわ」
「ねえ」
「なに?」
「やりにくくない?」
「言いたいこと、わからなくはないけど」
飾りつけの手を止めて、アリサはスカーレットに向き直った。
「あなたがここにいるって、確かに不思議な感じはするけどね。別に気にしないわよ」
「場違いだって自覚はある。でもしょうがないじゃない。お姫様に連れて来られたんだから」
「アルフィン殿下の騎士になった話は聞いてる。オーロックス砦で戦った時は、本当にそうなるなんて思いもしなかった。人生何が起こるかわからないものね」
どうも安穏とした返答ばかりしてくる。それこそオーロックス砦で死闘を繰り広げた《レイゼル》の操縦士とは思えないほどに。
「あのね。かつての敵が横にいるのに、その無警戒はどうなの?」
「だから気にしないって。それに今は違うんでしょ?」
「だとしても……」
「私――っていうか私たち、そういうの慣れてるから」
そう言うとアリサは、料理をつまもうとしているフィーを見た。
「知ってる? あの子は元猟兵よ」
「え」
「エマは魔女だし、ユーシスは四大名門だし、ミリアムは情報局所属だし。それ以外、家の事情だって色々抱えてる。マキアスのお父様は革新派筆頭のレーグニッツ知事だし、エリオットのお父様は正規軍中将だったりね。あと私はラインフォルト家の娘よ。知ってたかもしれないけど」
「……!?」
Ⅶ組の戦闘スキルや特徴なんかは把握しているつもりだが、個人の深い背景まで知っているわけではない。まるで統一感がないのに、よく同じグループでいられるものだ。
アリサは厨房を指さした。
「で、あそこにいるのがうちのメイドのシャロンで、所属は《身喰らう蛇》なのよ。執行者って言ってたわ。細かいことは聞いてないから、私にも経緯がよくわからない」
「はあ!?」
さすがに驚いた。
結社のエージェントであることもそうだが、そんな一歩間違えればどう転ぶかわからない人間を、詳細不明のまま傍に置いておくというのが驚愕だ。
どうなっているのよ、この集団。
「もちろん最初は色んな事があったわよ。喧嘩、諍い、疑心暗鬼。でも結局は収まるところに収まった。きっとあなたもそうなるし、私たちもそれを受け入れる」
「………」
「そもそも休学から復帰した時点で、あなたは私たちのまとめ役になるわけでしょ。変な壁があったままの方が面倒よ」
そうか。彼らは所属や人生歴というものに対してさしたる偏見がない。それが大した意味を持たないことを、経験として知っているからだ。仲間同士で擦れ合い、ぶつかり合った果てに培われた伸びやかな感性が繋がり合って、無類の力を生みだしているのだろう。
どうしてこの子たちが最後まで戦い抜くことができたのか、私たちが勝つことができなかったのか、やっとわかった気がする。
「……私、けっこう厳しいと思うわよ」
「お手柔らかにお願いするわ、スカーレット教官」
互いに小さく笑う。
そうね、せっかくもらった新しい道だもの。やるだけはやってみましょう。騎士に教官に、忙しくなりそうだわ。
その時、アラーム音が鳴った。
「はい、リィンです――ああ、クレア大尉」
リィンの《ARCUS》に通信があったようだ。どうやら相手はクレア・リーヴェルト。二言三言のやり取りをする内に、リィンの表情がみるみると強張っていく。
通信を終えると、彼は全員に言った。
「サラ教官が学院を出てしまったらしい。もう寮に帰ってくるぞ……!」
まだ時刻は16時半。一同は騒然となった。
●
アノール川にかかる橋の上。
学院とトリスタの町をつなぐこの場所に立っているのは、ユーシスとマキアスだった。
「まあ、予想していたことではあるな」とマキアスが言うと、「サラ教官がこちらの想定通りに動くはずもなかろう」とユーシスは鼻息をつく。
今回のサプライズ企画におけるⅦ組それぞれの役割は、
リィンはパーティにおける司会進行。
エマは会場セッティングの総責任者。
シャロンは料理全般を担当。
ラウラとアリサは調理補助及び一部の品を担当(男子たちはあの手この手で止めようとしたが、徒労に終わった)
エリオットは会場BGM担当、サラの為のオリジナル曲の演奏。
ガイウスは絵画の贈り物。
フィーとミリアムは秘密のプレゼントを用意。
ユーシスとマキアスはサプライズと悟られずに会場までサラを誘導。
このようになっている。つまり開始までの時点で、もっとも重要なのがユーシスとマキアスの立ち回りだった。
学院から出てきたサラに感づかれることなく同行し、かつ彼女の気分を盛り上げながら、寮まで誘導するのである。
マキアスは時計を一瞥して嘆息した。
「19時まで、あと二時間半もある。どんなに遠回りしたところで、二十分あれば寮に着いてしまう」
「だから俺たちはその二十分を二時間半に引き延ばさなければならない。まったく最高難度のミッションだ」
ユーシスは川に小石を放り込んだ。不定形な波紋が拡がり、魚が遠くで水しぶきを上げる。
「しかもサラ教官のテンションを上げるというオマケ付き。要するにご機嫌取りをするってことだ。君にできるか?」
「正直、不得意だ。だが……俺は何かとサラ教官に世話になっている。返せる恩は返したい。太鼓持ちくらい、いくらでもやってやる」
アルバレア家を出奔する時、ユーシスの背中を押したのはサラだ。煌魔城に突入する時、ルーファスとの戦いを肩代わりしてユーシスを送り出したのもサラだ。
「無意味な演技をしなくても、感謝の心を持てば自然と言葉にも出るものだろう。違うか?」
「君の言う通りだと思う。……おっとお出ましだ」
正門から続く坂道を下ってくるシルエットは、間違いなくサラだ。
マキアスはろくに吹けない口笛を鳴らしたり、ユーシスは橋の欄干に寄り掛かり読書を始めたりと、二人してすぐさま偶然を装う小芝居に取り掛かった。
「え、あんた達なにやってんの?」
そのあふれ出す違和感を見過ごすわけもなく、さっそくサラが話しかけてきた。
「これはサラ教官。奇遇ですね。僕の口笛の旋律でも聞きにきたのですか?」
「口笛吹けてなかったし、別に帰る道の途中だし。しかもユーシスはなんでそんなところで読書?」
「ふっ」
「いや、“ふっ”じゃないし。質問に答えなさいよ。――あっ」
ぽんとサラは両手を鳴らす。
「もしかして私を待ってたとか」
『そんなわけないでしょう』
オーバーライズでも使ったかのように、シンクロした否定を繰り出す。「そ、そう、なんかごめん」とサラは心なしかシュンと落ち込んだようだった。
「あ、違っ、そうではなくですね。サラ教官ももうすぐトリスタを離れるじゃないですか。その前に教官と夕日に向かって走りたいと思いまして。青春の思い出っていうか? なあ、ユーシス?」
「ああ、サラ教官にはよく一緒に走ってもらったな。まるで昨日のことのように思い出せる。見るがいい、あの日を彷彿とさせる茜色の太陽だ」
「待って待って。あの日ってどの日よ。あたしにその思い出がないんだけど。二人とも記憶がおかしくない?」
「でも走るとすぐに時間が立つからな。どうする、ユーシス?」
「ふむ。では夕日を眺めながら、ゆったりとしたペースで歩くのがいいだろう。アリの歩みほどの遅々たる速度でいざ出発だ」
「二人だけで完結してない? 今の会話の中にあたしの意見は入ってるの?」
不自然さを爆発させながらも、二人はサラを連れて歩き出す。橋を渡った先には教会がある。その玄関口で、ロジーヌが立っていた。
彼女はパタパタと三人の前に走ってきて、
「おめでとうございます。サラ教官で、ちょうど来店一万人目です。どうぞ聖堂内にお入りください。記念にお祈りしますから」
「教会の参拝って来店っていう? しかも一万人もカウントしてたの?」
「女神様のカウントなので、サラ教官の邪推を差し挟む余地はありません。その疑り深い荒んだ心を一刻も早く浄化しましょう。するべきです」
「記念すべき来店一万人目に対する扱いひどくない?」
マキアスとユーシスにも背中を押され、サラは教会の奥へと連行される。
ステンドグラスが輝く祭壇の前で、ロジーヌは質問した。
「では一万人目特典のスペシャルコース選択です。“あっさり系お手軽ご祈念”か“しっかり系重厚ご祈念ロジーヌエディション”のどちらがよろしいでしょうか?」
「別にあっさり系でいい――」
『ロジーヌエディションで』
男二人が口をそろえる。
「わかりました。では“ロジーヌエディションデラックス、祈って祈ってイノセンス、信心深さ増し増しコース”でいきます」
「名前さっきと違ってない!?」
「さっそく始めます。蒼穹に座する空の女神よ。我が祈りを聞き届け、どうかサラ・バレスタインの足止めに――じゃなくて、ユーシスさんに喜んでもらえるお力添え――でもなくて! なんといいますか、こう――わかりますか?」
「わかんないけど……」
やたらと長い祈念の前口上が尽きたあとは、とうとうクッキーのレシピとか夕飯の準備の段取りなんかを宣言しつつ、ぴょんぴょん舞ったり、くるくる回ったり、妙な照れや恥ずかしさを垣間見せながらも、ロジーヌは実に一時間もかけてサラを祈り倒したのだった。
「お、終わりました。幸あれ……」
「おい、大丈夫か」
ぐったりと床に手をつくロジーヌに、ユーシスが駆け寄る。彼女は安らかに微笑んだ。
「私……ユーシスさんのお役に立てましたか?」
「ああ、見事な祈って祈ってイノセンスだった」
「そのワードは忘れて下さい……」
一時間ぶっ通しで祈られ続けたサラもまた、首をうなだれて憔悴している。
「ねえ、これなんの時間だったの……」
彼女の疑問に答える者は一人もいなかった。
「はあ……すごく疲れた。早く帰ろ……」
教会を出るなり、サラはふらふらと寮の方向に歩先を向ける。
するとその先で、ドドドドッという騒音と振動が行く手を阻んだ。
「あー申し訳ない! ここは舗装工事中だから通れないぞ!」
騒音に負けないボリュームで声を張るパトリックは、見たこともない機械で地面を慣らしている。だぼだぼズボンに色褪せたタンクトップ、安全第一の黄色ヘルメットを着用した彼は、完全にベテラン業者の風格だ。
「とうとう土木作業にまで手を出したのね……」と呆気にとられるサラの後ろで、マキアスとユーシスは目配せをした。
そう、ロジーヌもパトリックも、二人の仕込みである。それだけではない。現在、多くの学院生は町中に待機し、第三学生寮に繋がるほとんどのルートを、いかな手段かで封鎖してくれている。
サラが早期帰宅する可能性も視野に入れて、数日前から協力を依頼していたのだ。サラが予定通りの行動をするなら、ただの待ちぼうけになってしまうが、それでも彼らは快く応じてくれた。もちろん全員が今宵のパーティの参加者だ。
「仕方ないわね。じゃあ遠回りだけど、向こうの道で」
と、サラがいう向こうの道では、
「ごーめんなさーい。あたし、この辺に間違って地雷埋めまくっちゃってー」
ミントがテヘっと笑って、ペロッと舌を出す。
「地雷って間違って埋めるものだっけ……」
「あ、近づかないで。さっきミヒュトさんが踏んで爆発したから」
「そりゃ店の前に埋めたらそうなるでしょうよ。悪魔じみた作意を感じるわ。もう、だったら次はあっちの道に」
あっちの道では、
「俺のこと、どれくらい好きなんだよ?」
「エレボニアで一番……いいえ、ゼムリア大陸で一番よ……」
アランがブリジットを壁にドンと押し付けていた。さらに顔をグイッと寄せる。
「大きさじゃピンとこないな。もっと他にないのか?」
「ほ、他? そうね、長さで言うならトリスタとノルドを繋ぐ線路の距離にも匹敵するわ……」
「なんか余計わかりにくいんだけど……」
「えっと、じゃあ、重さでいうならカレイジャスくらい? あっ、うそ! パンタグリュエルくらい!」
「……恥ずっ」
「うん……無理……」
恋人同士、イチャイチャしている。さすがのサラもこの路地は通りにくそうに足を止めていた。
これはマキアスの手配したトラップだった。真っ赤な顔をしたアラン達が、恨めしそうに横目を流してくる。
「サラ教官、ここは邪魔したら悪いですよ」
「うっ、まあそうかも。ならこっちの道を」
こっちの道では、
「最っ低!」
カスパルがコレットに殴り倒されたところだった。そのままマウントをとって、とどめの一撃を振り下ろそうとしているコレットに、「ああん、ダーリン死なないで~!」とヴィヴィが腰をくねらせながら、むしろ火に油を注ぐような真似をしていた。
「あー、教官ここも痴話げんかですよ。通るのやめましょう」
「痴話げんかって言うか蹂躙の現場のように見えたけど。仲裁しなくて大丈夫?」
「いつものことですし。ユーシスもそう思うだろう?」
ユーシスは首をひねり、マキアスにだけ聞こえるよう小声で言った。
「これは俺の仕込みではないが、お前が依頼した三人なのか?」
「え、僕は声をかけてないぞ。てっきり君が頼んだとばかり……」
凄惨な蹂躙は続き、カスパルの足がビクンビクンと跳ねる。どうやらリアルファイトらしかった。
裏路地を通るのをあきらめたサラは、中央広場を抜けようとする。
そこには人だかりができていた。
「ん? イベントでもやってるのかしら」
「さあ、なんでしょうね」
「せっかくだし見ていくとしよう」
「あ、ちょっ! 疲れたから先に帰りたいんだってば!」
白々しく言って、サラを集団の中に押し込んでいく。最前列まで出ると、簡易式のステージの上に五人の女子がいた。
人数に合わせた五つのお立ち台があって、そこに乗っているのは、フリーデル、トワ、リンデ、フェリス、クレアだった。
木と木の間に張られた横断幕には、でかでかと『ミス・トリスタコンテスト』と描かれている。
「ミスコン? 相変わらずそういうの好きね……。ていうかまたクレアがいるんだけど、あんた本当に何やってんの」
「……メイドのクレアですわ」
それしか返答がないらしく、クレアは「うぅ……」とうめきながらうつむく。その様を見て、ふんすふんすっと鼻息が荒くなったマキアスの後頭部を、ユーシスがスパーンとはたいた。
「しっかりしろ。ここが大一番だぞ」
「……わかってる。間近で天使を見たんだから、この反応は仕方がないだろう……」
二人の本来の目的は、“サラの機嫌を良くした状態で寮まで誘導すること”である。時間稼ぎは追加で降ってきたミッションなのだ。
だからその機嫌を良くするための元々の仕掛けがここだった。
「みなさんお待ちかね! これからミス・トリスタ決定戦を始めるぜ! さあ全員配置について――んん……おやおやあ?」
MCを務めるクレインが、今気づきました的な感じでサラを見やる。
「そこにいるのはサラ教官じゃないですか! ほら早くステージに上がってきて下さいよ! 飛び入り参加は全然オーケーなんで!」
「ええ!? いやよ、あたしは! 学生だけの催しじゃないの?」
「クレア大尉もいるんで」
「そもそもなんでいるのかって話よ。やっぱ絶対頭打ってるわ」
クレアはもう顔を上げられない。
内戦中、トリスタに帰還した折の歓迎祭で、学院でミスコンが開かれたことがあった。
その時にサラは参加していて、エントリーさえされていないメアリー教官に勝利を奪われたという不名誉な実績を持っている。
そんな経験もあって嫌がっていたのだが、ここでフリーデルが言った。
「ちょっとクレイン君。サラ教官をエントリーさせるのはダメよ。私たちに勝ち目がなくなるじゃない」
「え、そうなの?」
サラが目を丸くする。
「他の皆もそう思わない? サラ教官の参加は卑怯だって」
「うんうん、思うよ! 不利になっちゃうよ!」
トワが熱弁し、リンデも「私も思います! というか本当はヴィヴィが出るはずだったんですけどね……」と続き、「ですわ! ですわ!」とフェリスも同意する。クレアは死んだ目をして沈黙したままだが。
「ええー? どーしようかしらー? でもお、あたしまだ現職の教官だしー?」
「まあまあ硬いこと言わずに。現職の軍人さんもいるわけですしね!」
クレインの発言に悪気はないが、現職の軍人メイドの目がさらに死ぬ。
あっさりサラがその気になった。その機を逃さず、クレインは彼女の手を引いてステージの上に登らせた。
「みんなの人気者、サラ教官が参加してくれることになったぞー!」
『イエエエエイ!』
「やーだ、もう、困っちゃうじゃない」
サーラ、サーラと、根回し済みのギャラリーから歓声が上がる。
「なんで微妙に腹が立つんだろうな……」
「おい、心の声をもらすな」
本音ポロリのマキアスをユーシスがたしなめた。
果たしてミスコン開始。
「エントリーナンバー➀番フリーデルでーす。将来の夢は可愛いお嫁さんでーす。これから花嫁修業なんかしようかなって思ってたり?」
「うそつけ! お前がすんのは武者修行だろうが!」
「はい、今ヤジ飛ばしたロギンス君。あとでお仕置きのサーベルで串刺しにして――じゃなかった。愛情表現の一環としてサーベルで串刺しにしまーす」
「どのみち刺すんじゃねえか!」
戦慄するロギンス。
「エントリーナンバー➁番のトワです。えっと将来の夢は――」
「アンゼリカ・ログナーのお嫁さんになることだー!!」
“トワLOVE”のハチマキを額に撒いたアンゼリカが、人垣をかき分けて大絶叫をかます。
トワ自身によるPRがいっさいないまま、彼女の魅力をアンゼリカがしゃべり散らしてターンエンド。
リンデ、フェリス、クレアと順に回り、サラの番になった。
「サラ・バレスタインでぇす。えっとお、士官学院で武術教官やってますぅ。明日までだけどねっ」
妙に甘ったるい声で言う。ギャラリーから飛び交う「かわいいー!」「行かないでー!」の声援に、サラの表情が目に見えて緩んだ。
「……ぶりっ子スタイルが可愛い女子の絶対条件みたいな一昔前の感性を惜しみなく放出してるよな」
「だから心の声をもらすなと言っている。俺の忍耐を無駄にする気か」
マキアスとユーシスの精神状態が悪化する中、サラはさらにパフォーマンスに熱を入れ出した。
「特別だぞ、男子ぃ?」
胸を強調したり、足を露出させたりと、次から次へとセクシーポーズを炸裂させていく。前列にいたフィデリオやらレックスやらが血を吐いて膝をついた。司会のクレインは立ったまま白目をむいて失神している。
「くそっ、耐えきれない男子が出てきたか。これ以上は危険だ。死人が出る前に中止するしか」
「ダメだ。俺たちはサラ教官の機嫌を良くするためにここにいる。気が済むまでやらせるんだ」
「だがこのままでは大量虐殺に発展しかねないぞ……!」
「
「それ精神安定剤みたいに唱える言葉じゃないだろ!」
サラは両手をおもむろに口元まで運ぶと、プクーと頬をふくらまし、
「ぷぅ」
「
「ユーシースッ!」
ついにユーシスも限界を超えた。
「しっかりしろ! 気を強く持て!」
「問題ない……マクバーンの黒炎の呪いがぶり返しただけだ……」
「それはそれで大問題だけどな!?」
煉獄ショータイムが続行される最中、エーデルが観客たちに花を配っていく。
「はーい、一番良かった人のところにそのお花を投げちゃって下さいね~。たくさんもらった人の優勝でーす」
女子たちは迷いなくサラにぽんぽん花を投げていく。男子たちは自身の心を偽ることに罪悪感を覚えるようで、演技を捨ててまでトワだったりクレアだったりに投げようとしていたが――
「こほん」
フリーデルが咳払い一つ。
“私たちは矢面に立ってピエロやってるのよ。わかってるわよね、男子?”などの意味を含ませた視線を左右に振る。
プライドを投げ打って、数多の帝国男子はサラに花を捧げた。
●
サラはいたくご機嫌だった。足取り軽く寮までの帰路につく。
対するユーシスとマキアスは憔悴の極みだった。ユーシスはマキアスの肩を借りて、どうにか歩けている状態だ。
サラを上機嫌にするというミッションはクリアできた。しかし全ての仕掛けを費やして尚、二時間しか凌げなかった。
現在、18時30分。リィンたちの準備は19時ぎりぎりまでかかる見通しである。
もう寮の玄関が見えていた。
「なんか今日は楽しい。いいことが多いわ」
スキップをせんばかりのテンションで、サラはそんなことを言う。「はは、それは何よりで……」とマキアスは引きつった笑顔を返すのが精いっぱいだった。
「なーに、二人とも。そんなに疲れた顔しちゃって。あ、もしかしてあたしのポーズが刺激的過ぎたのかしら」
「ええ、まあ、そうかもしれません……」
「あんた達は生真面目過ぎるからね。たまには羽目外して発散しなさいよ」
サラが前を歩く。
二人はひそひそと耳打ちし合った。
「どうする?」
「どうするもこうするも、もう何の策も残っていない。準備が終わってることを信じて、予定通りやるしかない」
サラがそばにいては、通信を使って会場セッティングの進捗を確認することもできなかった。
「一息で行こう。下手を打てば返り討ちを食らうのは目に見えてる」
「戦術リンクを使うぞ。相手は人ではなく獰猛な魔獣だと思え」
ふんふーんと鼻歌混じりに寮のドアに手をかけようとするサラの背後で、密かに《ARCUS》の光軸が繋がる。
二人は同時に飛びかかり、抵抗する間を与えずに恩師を拘束した。後ろ手を速やかに縛り、目を手ぬぐいで覆って視界を奪う。
「な、なに!? 発散しなさいってのはそういう意味じゃないわよ!? 気持ちはわかるけども!」
「この人、この期に及んで勘違いが天井知らずだ!」
「今さらだろうが! さっさと中に放り込め!」
照明は全て落としてあった。
まったくの闇の中で、どったんばったんと暴れるサラを引きずるようにして誘導し、どうにか所定の椅子に座らせる。
「真っ暗? ど、どういうこと……?」
目隠しを外すが、彼女には何も見えていない。
そこで一斉にライトアップ。合わせて大量のクラッカーを発射。
「えっ!?」
戸惑うサラの視界を埋めたのは、煌びやかな飾りつけを施されたリビングに、ところ狭しと並ぶ豪華な料理の数々。
そして自分を取り囲むのはⅦ組の教え子たちに、ヴァンダイクやさっき焦がしたハインリッヒを始めとした学院の教官勢。エリゼにアルフィンにセドリックの新Ⅶ組たち。クレアにシャロンにトヴァルに、教官の後釜となるスカーレット。入り口から続々と入ってくる今日出会った他の学院生たち。
リィンがマイクを手に歩み出る。
「お待ちしていました、サラ教官。今日までの感謝をここに、サプライズパーティーを開催させて頂きます!」
――つづく――
《☆☆――another scene――☆☆》
「荷解きは終わってるのね。でもちょっと飾り気が少ないんじゃないかしら?」
15時を過ぎた頃、一階ではサプライズ準備の真っ最中である。
自室の片付けも程々にエリゼの部屋を訪れたアルフィンは、きょろきょろと室内を見回した。
備え付けのクローゼットにデスクにベッド。あとはユミルの実家から持参したカーペットが申し訳程度に床に敷いてあるくらいだ。壁には彼女の愛用のレイピアが立てかけてある。まだ細剣置きもないらしい。
「別に華やかな生活がしたいわけではありませんし、そもそも士官学院生の部屋に過度の装飾など不要ですよ」
「甘い、甘いわ、エリゼ」
淡白な返答をよこしたエリゼに、アルフィンは仰々しくかぶりを振った。
「勉学と修練だけが学生の全てではないでしょう。年頃の娘らしく、ショッピングに出歩いたり、恋愛話に花を咲かせることも大切だと思うの」
「一学期のスケジュールをご覧になりましたか? ただでさえⅦ組のカリキュラムはハードなんですから、そんな浮ついたことではいけません」
「エリゼったらお堅いんだから」
「なんとでも仰って下さい。姫様が緩すぎるんです」
「あら。誰よりも早く寮にやってきて、最速でリィンさんの向かいの部屋をキープした人の頬は緩んでいないのかしら? 浮ついているとは言えないかしら?」
「……なんのことかわかりません」
エリゼはそっぽを向いた。
「ずるいわ! わたくしだってリィンさんの近くの部屋を狙っていたのに! 抜け駆けだなんて!」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。別に自分から兄様のそばに行きたいなんて言ってませんから。エマさんが二階を勧めて下さったんですー!」
「むー! きっとあからさまな態度に出して、そう言わせたに違いないわ!」
「知りません!」
今度は反対側にそっぽを向かれる。
ああ、口惜しい。わたくしがもっと早くに到着していればと思うと、悔やんでも悔やみきれない。
「なんとかして、わたくしもリィンさんのおとなりに行くわ」
「兄様の横って、階段を挟んでエリオットさんのお部屋だったはずですが」
「じゃあエリオットさんに空けてもらいます。エリオットさんが三階で、わたくしが二階」
「ダメです、そんな無理やり。ロイヤルハラスメントって言われちゃいますよ」
「そ、そんな言葉があるの?」
とりあえず部屋の交代は今後の課題にしておこう。諦めるつもりはない。なんならリィンさんといっしょのお部屋でもいい。
「そういえばエリゼ。入学初日の予定表は見た?」
「もちろん見ましたよ。式のあとで、新Ⅶ組の三人は旧校舎でオリエンテーションをするとか」
「“あらかじめ受け身の練習をしておくように”ってリィンさんの注意書きがあったけど、どういう意味なのかしら」
「それ私も気になりました。まさか高所から落とされるわけでもないでしょうし、体術訓練かもしれません」
「リィンさんに訊いても教えてもらえなさそうよね」
けど、そうだとしたら初日からハード過ぎる。同日に第二世代型の《ARCUS》も支給されるらしいし、もしかして本当に戦闘訓練があるのかもしれない。一応、魔導杖の点検は念入りにしておこう。
基本の戦闘スタイルは前衛アタッカーがセドリック、中衛ディフェンサーがエリゼ、後衛サポーターがアルフィンになる予定だ。
「実地訓練だけじゃなくて座学もあるから、とっても忙しそう。勉強についていければいいけど」
「座学はけっこう専門的らしいですよ。予習用に参考書も買っておきました」
「エリゼってそういうの早いわ。どんなの購入したの?」
「デスクの二段目に入れてますので、どうぞご自由に」
雑巾がけを始めたエリゼを横目に、アルフィンは机の引き出しを開けた。
導力学、歴史学、戦術史などの教本だ。戦術関係が入るあたり、さすがは士官学院というべきか。
「あら、これは……?」
重なった参考書の下。引き出しの底が少し浮いている。二重底のようだ。なんとはなしに持ち上げてみて、そこから出てきたものにアルフィンは絶句した。
「!?……!?」
言葉にして表現するのも憚られる、あまりにも直接的な18禁本。
なにこれすごい。表紙だけでもうすごい。待って、ダメ、すごい。一ページでもめくったら、大人の階段を三段飛ばしで駆けあがるくらいの衝撃が待ち構えているであろう桃色の書籍なのだけれど。
なぜ、どうしてこんなものが。淑女検定一級のエリゼが、実は痴女検定免許皆伝だったとでもいうの?
落ち着いて、落ち着くのよ、アルフィン。
これがエリゼのものと決まったわけじゃない。ここは元々クロウさんの部屋。彼の置き土産という可能性だってある。さりげなく確認をしましょう、そうしましょう。
「あー……エリゼ? この教本は自分で選んで買ったの?」
「そうですよ。あ、でも兄様にアドバイスはしてもらいましたけど」
「リ、リィンさんが……!?」
「ええ、特に実技系は」
「実技!」
なんということ。自らの趣向をオープンにするだけでなく、義妹に平然とお勧めするだなんて。
「今度天気のいい日に直接指導すると約束してくれたんです。ふふ、楽しみ」
「直接、指導……ですって。え、うそ、天気のいい日ってことはまさか外で? 外なの!?」
「それはそうですよ。激しく体を動かすわけですから。広いスペースが必要です」
「そ、そんなにアクロバティックな」
「姫様?」
エリゼが不思議そうに首をかしげている。どうしてそんなに純粋な瞳をしていられるの? シュバルツァー家の教育方針がそんな感じなの?
「はあ……言いたいことはわかりました。私だけ兄様に指導を受けるのは確かにずるかったかもしれません。それこそ抜け駆けですよね。でしたら姫様もいっしょにしませんか?」
「いっしょ!? 三人で!?」
「兄様も嫌とは仰らないと思いますが」
「殿方ならそうかもだけど! でもわたくしにはハードルが高いっていうか! エリゼだって三人は抵抗あるでしょう!?」
「え、別にないですけど」
「シュバルツァー家!」
自由奔放な感性というレベルではない。これがユミルが育んだ風土なのか。これが雪に閉ざされた温泉郷で醸成された神秘なのか。
「あ、でもそうなるとセドリック殿下が仲間外れになってしまいますか。これから同じⅦ組なのに、それはよくないですよね」
「ま、まさか……」
「決めました。セドリック殿下にも参加してもらいましょう」
「いったいどれだけの禁忌を重ねれば気が済むの!?」
●
「姫様ったらどうしたのかしら」
部屋に押し入ってきたと思ったら、一人で興奮して勝手に飛び出していってしまった。
もっとも彼女の突飛な行動は今に始まったことではないし、私はむしろお付きとして慣れている方だ。とはいえこれからは学院での集団生活。周囲をその気まぐれに巻き込むようなことが度々あってはいけない。そういう時はしっかり自分が止めないと。
そんな決意を胸に抱きつつ、エリゼは一階に降りてきた。すると異様な騒ぎになっていた。
「マイクのスイッチが入らないぞ!」
「倉庫に予備があったはずです!」
リィンとエマが焦り、
「高い位置の飾りつけが届かないよ!」
「俺に乗るがいい! カラミティ……」
「ホークまではいらないから!」
ガイウスがエリオットを肩車し、
「フィー、そっちのお皿ちょうだい」
「了解」
「って、投げないで!」
皿がフリスビーよろしく皆の頭上を飛び、アリサの手にキャッチされる。
「割れたらどうするのよ! 私は厨房の手伝いに入るから、残りの卓上セッティング任せるわ! あとミリアムどこに行ったの!?」
アリサが慌ただしくエプロンを付ける。
リビングは予想以上の修羅場になっていた。
厨房も厨房で烈火のごとき忙しさらしく、ラウラが豪快に大鍋を振るい、火力を間違えているとしか思えないフランベの火柱が天井を焦がし、炒められた野菜たちが『ギャアアアアッ』と悲鳴を上げている――ように聞こえる。
シャロンなんかは材料の切り分けを鋼糸で行っていた。腕の一閃で次から次へと仕込みが完了していく。しかも冷蔵庫の開け閉めや、その中の食材の取り出しも鋼糸一本だ。彼女自身一歩も動くことなく、無数の食材が宙を舞う様は、ちょっとした超常現象だった。
「わ、私も何かお手伝いを!」
あまりの騒乱ぶりに足を引きかけたのも一瞬、エリゼは気を持ち直してリィンの元に駆け寄る。
「ああ、エリゼか。大変だ。クレア大尉から報告があって、サラ教官が学院をもう出てしまったらしい。大急ぎで準備をしないといけないんだが、人手が足りない。部屋の片づけが済んだなら手を貸してくれるか?」
「それはもちろんです! 何をしましょうか?」
「そうだな、エリゼも厨房に入って――」
リィンが言いかけた時、玄関のベルが鳴った。
「クレア大尉が帰って来たのかもしれない。すぐに開けて来てくれ!」
「はい!」
出入りを制限するため、今だけはドアを施錠しているのだ。
クレアさんなら効率よく指示出しをしてくれる。私たちが一時間かかる作業を三十分で済ませる方法を提案してくれる。彼女は本当に頼りになる人だ。
「お帰りなさい、クレアさん! まずはこちらの状況を――」
「頼りになるお兄さんことトヴァル・ランドナーの登場だぜ! おっ、エリゼお嬢さんも来てたのか。赤い学院服がよく似合っ」
エリゼは扉を閉めた。
●
「困ったよ~……」
トリスタとヘイムダルを繋ぐ街道の中腹で、本当に困った声を出してミリアム・オライオンはうなだれていた。
「困ったよ~……」
「……それはいったい何のアピールなのですか」
繰り返される困った発言に耐えかねて、そう訊き返したのはアルティナ・オライオンだった。
「あ、助けてくれるの?」
「言ってません。事情を確認するだけです」
二人は木陰に移動し、地面に腰を下ろす。持参していた水筒の飲み物をアルティナに渡してやりつつ、ミリアムは経緯を語った。
「あと数時間でサラのサプライズパーティーが始まるんだけど、ボクだけプレゼントが決まってないんだよね」
「パーティーですか。贈り物など、なんでもいいのではないですか?」
「ダメだよ。ちゃんとサラが欲しいものとか、これから役に立つものを贈らないと」
「そういうものですか」
以前よりも少し長くなった銀髪を肩に流して、アルティナは空を見上げた。
「それで贈り物を探して街道に? せめて町のショップなどで見繕うべきでは」
「んー、まあそうかもなんだけど。中々思いつかなくてさー。ガイウスは絵、フィーは花束を贈るっていうし、なんかないかなーと思って」
「街道で見つかるものなんて石ころくらいのものでしょう」
「アーちゃんはいい案ない?」
「急にいわれても……」
二人が出会ったのは偶然だった。アルティナが何らかの任務を受けて上空を哨戒していた際に、とぼとぼと歩くミリアムを発見したという運びである。
「お願い! いっしょにプレゼント選んで、アーちゃんもパーティーに出ようよ!」
「私も? いえ私は結構です。そういった催しに参加する関係性ではないと思いますので」
「クロスベルでリィンにずっと同行してくれてたんでしょ。アーちゃんが来てくれたら、リィンも喜ぶと思うけどなー」
「リィン・シュバルツァーが喜ぶ? 私がいることで……?」
アルティナは考え込んでいる。
「おいしい料理もあるよ? 食べ放題だよ? おいしいんだよ?」
「……デザートは?」
「パフェ! ケーキ! お菓子! アイスクリーム!」
「仕方ないですね。わかりました。とても忙しいのですが、今回だけあなたに助力することにします。やれやれです。別にパフェとかに興味はないですけど」
姉妹協定が結ばれた。
「なんにせよ時間制限が厳しいですね。情報を整理しますが、サラ・バレスタインが欲しいものか、今後役に立つもの、あるいはその両方の条件を満たすもの。これでいいんですね?」
「うん」
「彼女自身がそのような要望を口に出したことは?」
「いつも酒、酒って言ってる。寝言でも言ってたかな」
「アルコールの購入は私たちでは不可能です。どこかの酒蔵から強奪という手段もありますが」
「でもお酒っていっぱい種類があるし、どれがいいかわからないよね」
「まあ、確かに」
二人そろって首をひねる。
「仲間内で事前の話し合いもしたでしょう。その時に話題に出て、まだ贈り物として選ばれていないようなものは?」
「そんなの……あ、恋人を調達とかの意見も出てた気がする」
それはフィーが出した案だった。
「つまり異性であれば良いのですか?」
「多分。男の人だったらなんでもいいと思う」
「それを調達、でいいんですね?」
「うん、そう言ってた」
「であれば、話は早いです」
ちょうど街道の向こうから誰かが歩いて来る。
「対象を鹵獲します」
アルティナが立ち上がると同時に現れた《クラウ=ソラス》が、罪なき一般人に黒い双腕を振り上げた。
● ● ●
《あなたへの花束を》をお付き合い下さりありがとうございます。
先生へのサプライズと言うのは卒業シーズンの定番ですよね。生徒から感謝をもらうと、どれほど鬼神のような先生でもやはり嬉しいものなんでしょう。
作中でカスパルがボコられていましたが、あれは“ウイスキーを飲まされたド淫乱エマ事件”の哀れな被害者になってしまったからというバックストーリーがありました。要するにまたコレットの逆鱗に触れたのですね。サラ事件の数々はサイドストーリーで入れたかったのですけど、差し挟む隙間がありませんでした!
ではいよいよ次回が最終話となりました。
ここまでの長旅にお付き合い頂きました読者の皆様には本当に感謝しかありません。
最終話のタイトルは、第一話を書いたその時から決めていたものです。
虹の軌跡と彼らのエンディングを最後までお楽しみ頂ければ幸いです。