虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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※第93話以降が反映されております。


夢にて夢みて ふぉーす

 

 そこは雪原と呼ぶに相応しい場所だった。さえぎるもののない一面の銀世界を、二つの影が目にも留まらぬ速さで交錯している。

 幾度もぶつかり合っては離れ、また衝突を繰り返す。拮抗した力と力が爆ぜ、激しく粉雪が散る中、影は互いに距離を取った。

「今日こそお前を倒そう。そして一族の宿願を果たす」

 一つの影――カール・レーグニッツはそう言う。その宣言をもう一つの影――ルシア・シュバルツァーは微笑をもって流した。

「魔に魅入られし、黒の王の血縁。ユミルは渡しませんよ」

「戯けるな。元々その地はレーグニッツ家が管理するはずだった。人と魔獣を隔てる約束の大地としてな」

「千年も前の話を昨日のことのように言う。今のユミルは人の里。過去の妄執に取り憑かれるのは勝手ですが、魔獣の巣窟にさせるわけにはいきません」

「元の話だと言った。過去であろうが、奪われたものを取り戻すのは当然だ」

「固い人」

 ルシアの姿が消える。一瞬でカールの背後に回り込んでいた。

「《瞬皇脚》か。だが見えているぞ!」

 一足飛びで間合いを離す。

 ルシアがしなやかに両手を振った。開いた五指の間に空気の渦が生まれ、粉雪が吸い寄せられていく。一秒経たずに生成された無数の雪玉が、機関銃のようにカールを襲った。

「レーグニッツ投法、シックスフォーム《スネークチェイン》」

 足元の積雪が噴き上がるや、蛇のようにうねってカールの前面を防御した。雪の弾丸をことごとく弾き落とす。

「《天動集雪》からの《乱星撃滅》。セオリー通りの戦術で私を倒せると思っているのか? なあ、雪帝」

「技名を知っていますか。よく勉強していること。もちろんこの程度で沈められるとは思っていませんよ」

 ルシアは舞うようにステップを踏んだ。

 視界が急激に白く濁る。一帯に濃い(もや)が発生していた。

「続くは《白幻舞踏》……。しかし甘い」

 低く構えたカールの背筋がぎちぎちと軋む。サイドスローで放たれた雪玉が、死神の大鎌となって靄を横一閃に切り裂いた。セカンドフォーム《デスサイズ》だ。

 晴らした視界にルシアの姿はなかった。

「甘いのはどちらでしょうね」

 澄んだ声音。氷の気配。懐に踏み込まれていた。霧散しかけた靄が、一斉にルシアの手の平に凝集される。同時に突き出される右手。

 カールはとっさに身を返した。雪帝の十八番《雪帝掌》が脇腹をかすめる。

「ぐおおっ……!」

 至近距離で吹き荒れる嵐。弾き飛ばしてくれるような生温さはない。むしろ回転の内側に引きずり込んで、触れるものをねじ切ろうとしてくる獰猛さだ。

「かあっ!」

 サーティーンスフォーム《ゴーストドライブ》。大気の流れを読みきり、幽鬼のごとき揺らぎをもって場を脱する。

 後手に回るつもりはない。手にした雪玉を高くに掲げ、直下へと振り下ろす。

 その威力は隕石の衝突。

 逆巻き、天に向かう積雪の大瀑布が、雲の高度にまで昇る。これがトゥエルフスフォーム《グラウンドゼロ》だ。カールは雪に紛れて距離を取った。

 爆散した雪しぶきが不自然に渦を描き、大地に巻き戻っていく。

 カールの一撃によって生まれたクレーターの中心で、ルシアが振りかぶっていた。その手には高密度に圧縮された鉄球にも等しい雪玉――

「受けなさい。《紫閃光弾》」

 大気をぶち抜く強烈なストレート。音速に達した雪玉をソニックブームが追う。

「《デスペラード・メガソニック》!」

 対するカールもストレート。レーグニッツ投法ファーストフォーム。レーザー砲のごとき一投が、獣の咆哮にも似た風切り音を轟かせた。

 衝突する二つの雪玉――いや、ぶつかってはいない。互いの強い力場が拮抗し、空中で激しくせめぎ合っている。円状に駆け抜けた波動が大地を揺さぶり、大規模な地震を発生させた。どこかから雪崩の轟音が響いてくる。

 やがて二つの雪玉は、地に落ちることなく蒸発した。

「《紫閃光弾》と互角とは驚きました。さすがはメガネソニック」

「メガソニックな!」

「歴代最強というのもうなずけますね。研ぎ澄まされた力です」

「言葉をそのまま返そう。先代の――バギンスだったか。彼ならここまで時間をかけずに倒せていただろうが」

「あなたと同じ時代の〝帝”が私で良かった。……ですがもう終わりにしましょう」

 ふわりとルシアが宙に浮かび上がった。足の下に上昇気流を生み出しているのだ。ダイヤモンドダストを身にまとう雪の女王は、ただ美しかった。

 静かに稼働したその腕が、《天動集雪》を発動させる。雪玉の精製だ。しかし止まらない。空へと掲げる手の先に、ユミル全域の雪を吸収したかのような、巨大な球が膨れ上がっていく。

「そうか、それが……」

「全てを無に帰す最後の力。宣言します。あなたは塵も残ることなく消滅する」

「終わらせるつもりできたのはこちらも同じだ。こおおぉ……――ぬぅあああーッ!!」

 ドス黒い闘気が立ち昇り、カールの眼鏡が闇に染まりゆく。

「……修羅メガネですか」

「貴様らが勝手にそう呼ぶだけだ。正しくは《ダーティグラス・ブーストフォーム》という。そしてこの形態の時にのみ放つことができるのが、レーグニッツ投法の最終奥義だ」

 カールはゆらりと構えを変える。ルシアの口元から笑みが消えた。

「本気なのですね」

「遊びだとでも思っていたのか」

「まさか。ですが、あなたには少々余裕が足りない。多くの選択肢の中から、一番(かたく)なな道を選んでしまった。もしかしたら別の未来があったかもしれないのに」

「どの口が言う。私に血塗られた道を選ばせたのはお前だ。ルシア!」

「恨んでいますか。あなたを傷つけたこの私を」

「傷つけた? 知らんよ。傲慢だな」

 お前はいつも自分勝手だった。私を振り回してばかりで、省みることさえしようとせず。

 そうさ、憎んでやる。どこまでも憎んでやる。黒い力を我が身に宿すために。

「よくわかりました。では求めた地で眠るがいいでしょう。永遠の白に(いだ)かれて」

 ルシアが地上に手をかざす。空が雄叫びを上げた。白き災厄が天から振り落ちてくる。

 なんという圧だ。これが雪帝の究極の力《エバーホワイト》か。

 ふざけている。なんなんだ、これは。人の域に留まったまま勝てる相手ではない。

 

〝さようなら、カール”

 

 視界の全てが白にすり潰される刹那、確かに聞こえた。それは遠い呼び声にも似て――

 

 

 

 ――カール

 

 

 カール――

 

 

「またね、カール」

 彼女は手を振って、屈託のない笑顔を向けてくれた。

 夕暮れ時のヘイムダル。緋色の街並みがより赤みがかって見える。夕日を背にするルシアに、私は目をすぼめながら手を振り返した。

「うん。またね、ルシア」

 どこか物悲しい鈴虫の鳴き声が、遊び時間の終わりを告げている。

 そうやって別れ、明日がきて、いっしょに遊んで、また自分たちの家に帰る。そんな日々がずっと繰り返されるものだと信じて疑わなかったのは、いつのことだっただろうか。

 多分、まだ十歳には届いていなかったと思う。

 ルシアは別の地区に暮らす貴族の娘で、習い事がない日なんかはオスト地区にまでやってきて、よく辺りの子供たちと一緒になって遊んでいた。

 平民に混じることになんら抵抗がないらしく、彼女の両親もそれを咎めたりはしなかったようだから、当時としては珍しい考え――というか感覚の持ち主だったと言えるだろう。

 ルシアはよく言えば活発で、物言いを変えればおてんばだ。女の子同士でのおままごとや人形遊びにはほとんど参加せず、男子グループの中で駆け回る方が多かった。

 慎ましさがないだとか粗暴だとか、やっかみ半分の女子からは敬遠されがちだったが、総じて男子の人気は高かった。

 ある日のこと。

「またカールの一人勝ちかよー!」

 友達の一人が地団太を踏んだ。

 路地でドッジボールをして遊んでいたのだ。今と違って導力車などそうそう走っていないから、道端は子供たちの遊び場である。それなりの人数で道を占有していても、よほどやんちゃをしない限り怒ってくる大人はいない。

「僕の何連勝かな。もう数えてないぞ」

「くっそー!」

 私は何かを投げるのが得意だった。水切りなら一番遠くまで小石を跳ねさせられるし、遠投も負け知らず。この通りドッジボールも強い。ちょっとした自慢だった。

「チーム組み直してまたやろうか? 結果は変わらないと思うけどさ」

「腹立つなー! そこそこ勉強もできるのが腹立つなー!」

「ねえ、だったら私も入れてよ」

 習い事を終えたルシアが今日もやってきた。私は手の平でボールをくるくると回しながら、

「いいけど、手加減しないから。顔に当たって泣いても知らないぞ」

「うん、わかった」

「そんなスカートで動きにくくないのか? 次からズボンで来なよ」

「持ってないもの。でも大丈夫よ」

 ルシアはひらひらのスカートをひざ上までたくし上げると、ずれ落ちないように横でくくる。すらりと伸びる白くて細い足があらわになって、私は落ち着かない気分になった。

 私とルシアは敵同士のチームだ。宣言通り手加減をするつもりはなく、実際本気でやった。

 その日、私は初めてドッジボールで負けた。

 

 

 不思議なことに、私とルシアはいつも敵同士だった。くじを引いても、コインを投げても、必ずチームが分かれるのだ。まるでそうなることを何者かに定められているかのように。

 14歳の冬。珍しくヘイムダルに雪が積もった。

 まだ遊びたい盛りの私たちは、いつもみたいに頭数をそろえて、雪合戦をしようという話になった。

 滅多にできない雪遊び。誘いに誘って、10人対10人の勝負を始める。例によって私はルシアと敵同士。この頃の私は司令塔的な役割を担うことが多かった。

 自軍に指示を出し、敵軍を追い詰めていく。

 烏合の衆みたいに、物量で押し込む戦術はナンセンスだ。地形を利用した作戦が見事にはまり、私のチームはあっという間に敵メンバーを駆逐した。

 最近かけ始めた眼鏡を人差し指で押し上げる。

 残る敵はルシア一人。こちらは被弾無し。すなわち10対1である。

「どうだ、ルシア。僕の勝ちだな」

 優位な立ち位置が心地いい。彼女の悔しがる顔を見たい。

 返答はなかった。

 なんだ、つまらないな。そう思いながら、私は右手を上げて攻撃のサインを出す。味方が一斉に雪玉を構えた。

 その瞬間、ルシアを取り巻く空気の色が変わった。それは凍てつくような白。風は止んでいるのに、雪の粉が宙で不自然に渦を巻く。

 腰まで伸びた紺色の髪が、ふわりと浮いた。

 気がついた時、私以外の仲間はみんな倒れていた。雪に上半身を埋もれさせた者、民家の窓を突き破っている者、煙突に突き刺さっている者、戦意を喪失し、ぶつぶつと女神に祈る者もいた。年端いかぬ子供たちが、絶望一色に染まっている。

「あ、うっ!?」

 私は壁に追い詰められていた。目の前にはルシア。その手には雪玉。粉雪が彼女の後ろに舞っている。まるで氷の結晶一粒一粒が、彼女の意思に隷属しているかのようだ。

 全ての抵抗が無意味だとわかる。圧倒的な存在感。触れることさえ許されない女王の風格。

 私の中の、遥かな彼方。遺伝子に刻まれた遠い記憶が、正体不明の感情を揺さぶり起こした。胸が心ごと締め付けられる。これは怒りと……悲しみか。どうして――

「君は――わぷっ」

 ぺしゃりと雪玉が鼻柱に当たる。

「私の勝ちっ」

 ルシアは無邪気に笑った。先ほどまでの威容はない。いつもの明るい彼女だ。

 心臓が早鐘を打っている。確かにさっきまでそこにいた何かが、私に流れる血を萎縮させる。このレーグニッツの血を。

 ルシア。君は何者だ。

 

「はい、飲みなよ」

「ありがとう。いい香り……」

 注ぎたてのコーヒーを差し出すと、ルシアは冷えた指先を温めるように、両手をカップに添えた。

 雪合戦は続行不可能になった。私とルシア以外の子供たちは、それぞれの家へと帰ってしまったからだ。重たく足を引きずるその様は、戦場の負傷兵みたいだった。

 ルシアが寒くなってきたというので、私は彼女を自宅に招き入れることにした。両親は仕事で不在にしている。 女子を家に呼んだのは初めてだ。なんだか悪いことをしている気になるのはなぜだろう。

「シュガーとミルク頂ける? あら、カールは使わないのね」

「ああ」

「大人なのね」

「そうさ」

 父の愛用しているミルで挽いた豆は、とにかく苦い。本当ならカフェオレにしたいし、いつもはそうしている。

 平気な顔をして、ブラックのそれをごくりと飲んだ。

 テーブルの下に隠れた手足の先が小刻みに震える。嘘だろ、父さん。今日は格別に苦いじゃないか。額に滲む脂汗よ、どうか止まってくれ。

「かふっ……ルシア、さっきの雪合戦のことなんだけど」

「うん?」

「……いや、なんでもないよ」

 空色の瞳がきょとんと開く。まさか自覚がないのか。

 私は追求するのをやめた。深くも考えないようにした。忘れようとしたのかもしれない。

 すでにルシアは普段通りだった。温まった頬に血色が戻っている。彼女はきょろきょろとリビングに視線を巡らせて、

「カールのお家って素敵ね。面白そうなものがいっぱいだわ」

「雑多なだけだと思うけど」

「ねえ、あれはなに?」

 戸棚の上のチェス盤を指さす。

「ボードゲームの一種だよ。やってみる?」

「今日はいいわ。ルールを覚えるのに時間がかかりそうだもの」

 今日はいいということは、また来るつもりなのだろうか。

 私は頭の中でルシアの興味を引きそうなものを考えた。すぐに思い当たる。そうだ、あれを見せよう。

「ちょっと来て。もっと面白いものがあるんだ」

「なーに? 楽しみ」

 ルシアを案内して、着いた先は父さんの書斎。普段は入ると怒られるけど、ちょっとだけならまあいいだろう。

 扉を開けて足を踏み入れると、「わあ……!」とルシアの喜んだ声が跳ねた。

 広めの間取りの壁一面を埋め尽くす本棚。そこにはジャンルを問わず、古今東西のありとあらゆる蔵書が敷き詰められている。

 ルシアはその光景が大層気に入ったらしい。目をキラキラと輝かせて、部屋の真ん中から見回していた。

「すごい。まるで図書館だわ」

「驚くのはまだ早いよ」

 私は書斎の秘密を知っていた。一つの本棚に手をかけて、力を込めて横に引く。足元から重い滑車の音。ガラガラと本棚がスライドするや、その奥から新たな本棚が姿を見せた。

 二重構造だ。乱読家の父のこと、こうでもしなければ週単位で増えていく書籍を保管しきれないのだろう。

 このギミックにもルシアは喜んでいた。

「うらやましい。私の部屋にも欲しいわ。秘密基地みたいね」

「そういう発想が女っぽくないんだよなあ」

「ダメかしら?」

「そうは言わないけど……」

 上目遣いの困った顔が直視できなくて、つい目をそらしてしまう。

 逃した視線が奥側の本棚に向いた時、私とルシアはほとんど同時にそれを見つけていた。

「カール、あれって?」

「わからない。なんだろう」

 その本は棚の下段の隅っこに立てかけられていた。目立たないし、他にも本はいっぱいあったはずのに、なぜか私たちの興味はそれに集中した。妙に意識が引っ張られるのだ。表、裏、背表紙に何も書かれていない、真っ黒い装丁のその本に。

 黒い本を抜き出して、注意深く床に置く。

「ずいぶん年季の入った本だな。父さん、いつ買ったんだろ」

「ねえ、中が気になるわ」

 同意だ。この本からは不思議な引力を感じる。

 二人でゆっくりと表紙を開いてみた。

 そこに書かれていた内容を流し読む。難しい文体が並んでいる。小説ではない。学術誌でもない。その時起こった出来事の記録か。一番近い表現は史書だ。

「黒の王?」

「白の帝?」

 最初に目に留まった文字は、二人で違っていた。

 細かく読み解こうと思ったその時、

「ただいま。誰もいないのか?」

 父さんの声。今日に限って帰りが早い。

「まずい。早く片付けて!」

「でも先のお話が気になるのに……」

「また読めそうな時に呼ぶって!」

「先に一人で読んじゃったらダメだからね」

 ルシアが小指を立てる。私も彼女に(なら)う。重ね合わせる誓いの印。

 取るに足らない子供の約束だが、触れ合った小指の感触を、私はいまだに覚えている。

 

 

 それからというもの、両親の不在を見計らっては、ルシアを家に呼ぶ日々が続いた。

 父の書斎にこもり、難解な言い回しの文章を少しずつ読み進めていく。

「〝大地が打ち震え、焔が天を駆けた”……ここが物語の始まりだと思うんだ」

「そうねえ。地震と雷がいっぺんにやってきましたって感じかしら?」

「雷?」

「だって空に火事はおかしいでしょ」

「そうかもしれないけど……なんにしてもその後の〝人々は己が願いを悔いた”に繋がらないんだよな……」

「お願いしたところで、地震も雷も起こらないものね。じゃあ他の何かを願った結果、地震と雷が起きたっていうのは? だからまずいことをしちゃったって思って、昔の人は反省したのかもしれないわ」

 ルシアの洞察は直感的だが、面白い見解が多い。そこに私が理論的な解釈を加えるので、バランスは良いのかもしれなかった。

「地震か雷かはわからないけど、天変地異の発生は間違いないかな。だとすると、続く〝闇が覆う世界”は、それが原因で起こったと考えるのが自然だ」

 その物語が虚構か真実か。そんなのはどうだってよかった。

 ただこうして、ルシアと過ごす時間は充実していた。新たな文章を読解して、あるいはつまづいては、一喜一憂する。その繰り返しがどうしようもなく楽しかった。

「えーっと、この〝人に害なす獣”は……やっぱり魔獣?」

「そうよね。昔からいるもの。でもどうして〝魔獣”っていう表記で出てこないのかしら」

 

 

 数か月が経った頃、私たちの解読は区切りを迎えた。

 メモや解釈がぎっちりと書き込まれたノートを、二人して満足気に眺める。

「じゃあ、それぞれの章を繋げるぞ」

「うん」

 私たちの言葉で物語風にまとめたそれを、私とルシアは一緒に読み始めた。

 

 〝だいたい1200年くらい前のことです。

 大地と焔がぶつかったその日、世界から光が失われてしまいました。それまで築いてきた全部が壊れてしまった、暗くて怖い世界です。

 大地と焔に連なる人たちは、自分たちのお願い事が間違っていたのだと深く反省しました。その事態をどうにか収めようと手を取り合うことになります。

 だけどその一方で、彼らに関わらない多くの人たちは、そのような世界になってしまった理由さえ知りませんでした。

 なにもわからないまま、文明の崩壊した外界で生活することになったのです”

 

「何かが原因で発生した天変地異が、それまでの文明を滅ぼしたんだな」

「ここまでを一章にしましょう」

 

 〝運よく災禍から逃れることのできた人々は身を寄せ合いました。

 ですが、もう石の壁に守られた町はありません。せいぜい木の柵で囲われた集落です。そんな集落があちこちに点在していました。

 当然、野生の獣による被害は多く、また深刻なものでした。四足型の獣、水棲型の獣、不定形型の獣、羽翼型の獣、大竜型の獣など、脅威と呼べる獣はたくさんいます。

 人々は身を守るために武器を取りました。剣や盾を作るぐらいの技術は残っていたから、腕っぷしのいい男たちが集まって自警団を結成したのです。近くの集落とも合併し、戦力を整えます。いずれは以前みたいな町を作れるのではないかと、淡い希望を抱いて。

 そんな余裕はありませんでした。獣にしてみれば、人の集落は餌のたまり場。

 不定期に襲撃があり、その都度追い払いはするものの、少しずつ、しかし確実に戦士たちの数は減っていきます。

 次は自分が食べられる番なのか、怯え続ける毎日の中で、二つの集落の長が名乗りを上げました。集落は赤、青、黄のように、便宜的に色の名前で分けられています。

 皆の前に歩み出た長は、黒の集落と白の集落の者でした。

 彼らは言いました。

「大丈夫。力を合わせて獣と戦おう」

「足並みをそろえれば、かならず勝てる」

 事実、皆の先陣を切った二人の長は、類まれなる指揮能力をもって、獣の群れを撃退してみせました。集落に被害はほとんどありません。

 彼らが得意としたのは投擲技術でした。剣や槍では敵に接近しなければならず、刃こぼれの修復も容易にできない状況では、石でも枝でも近くにある物を投げることが合理的だったのです。

 人々は再び希望を抱きました。

 温和な人柄で秩序を保つことに長けた一人は、黒の王。

 厳格な態度で統率を取ることに長けた一人は、白の帝。

 人々は畏敬の念を込めて、いつしか彼らをそう呼ぶようになったのです”

 

「二人が先頭に立って集落を守ることになったのか。オーブメントもない時代で大変だったろうな」

「第二章はこれで終わり。望みが出てきたけど……」

 

 〝それでも、いつまで経っても戦いは終わりませんでした。倒しても倒しても獣はやってきます。

 勝利の日は近い、もう少しだと白の帝は鼓舞して皆を奮い立たせます。しかし黒の王はその不毛な争いに疑問を感じ始めていました。このまま戦っていては、いずれこちらが全滅してしまう。状況を打開する方法はないものか。

 そんなある日、黒の王は集落の裏手で二匹の獣を見つけました。

 羽の生えた猫型の獣と、触手を揺らめかせる軟体型の獣です。二匹は怪我をしているようでした。

 剣を構えたのも一瞬、黒の王はかたわらに腰をかがめて二匹を観察します。

 彼には昔から特殊な力がありました。人間以外の生物の気持ちを漠然と察することができるのです。獣は怯えているとわかりました。

 少し悩んだものの、黒の王は獣を手当てすることにしました。

 動けるようになった二匹は集落から離れていきます。襲いかかってくる気配はありません。その後ろ姿を見て、黒の王はあることを思いつきました。

 獣を排除するのではない。共生はできないまでも、互いの生きる場所の住み分けをするのはどうか。

 さっそくそれを皆に提案してみました。すると反対意見しか出て来ません。

 できるわけがない、無謀だ、気は確かか。責められ続ける中、白の帝が静かに口を開きました。

「友よ。お前のことは誰よりも信頼している。だがそれは認められない」

「わかった。では認めてもらえるよう、それだけの準備をしてくる」

 黒の王は妻と生まれたばかりの子を残して、集落を一人旅立ちました。

 危険な外界を身一つで歩き、様々な獣の元を訪れます。もちろん何度も襲われました。しかしあきらめません。何度でも呼びかけます。それを無駄なことだとは思いませんでした。

 強い決意がそうさせたのか、彼の〝気持ちを察する能力”は次第に高まっていき、やがて〝意思を伝達する能力”へと昇華されました。

 言葉は伝わりませんが、〝協力してくれ”〝戦いたくないんだ”と、そのような意志を届け続けます。

 獣には縄張りや種族ごとに、群れを統括するリーダーがいます。

 黒の王の想いが通じ、それら各地のリーダーたちが理解を示してくれたのは、集落を出てから実に五年後のことでした”

 

「……すごいな」

「黒の王様は優しい人だったのね。次が終章……」

 

 〝五年が経った冬。黒の王は集落に戻りました。堀や囲いは以前より補強されていましたが、依然として獣との戦いは続いているようです。

 彼は白の帝に話をしに行きました。

 黒の王の提案はこうです。

「獣たちには私たちの暮らす地域から移動してもらう。そこは不可侵地帯。こちらから介入してはならないし、魔獣たちも人の郷には近づかない。双方の被害はこれでなくなる」

 最初、白の帝はまったく聞き入れませんでした。当然です。相手は獣。意思疎通などできるわけがないのですから。

 黒の王は辛抱強く説得します。獣を実際に連れてきて、危険性がない証明までしてみせました。

 そして三日三晩が過ぎ、黒の王が深く頭を下げたのを見て、白の帝は言いました。

「友よ。お前を信じよう。争いのない世界の礎を築いてくれて、ありがとう」

 二人は手を取り合いました。

 それから数か月。ついにその日がやってきました。

 黒の王を先頭に、続々と獣たちがその地に集まってきます。

 そこは、まだ人の手のつかぬ雪深い土地です。水源もあり、鉄の砦を意味する連峰も広く連なっています。

 冬の寒さは厳しいものがあるでしょうが、ここならば新たな生態系も作っていけそうです。無論、食物連鎖の中では、獣同士の諍いがあります。しかしそれは自然のあるべき形。人に害を与えない場所で生きてもらうという黒の王の願いは、もうまもなく実現します。

 獣の移動を見届けるため、白の帝と集落の若衆たちが先に到着していました。しんしんと雪が降り積もる景色の向こうに、彼らの姿があります。

 距離を空けて立ち、大量の獣を引き連れる黒の王に、白の帝は言いました。

「この山に踏み入れば、獣たちはこちら側に降りてこない。それでよいのだな」

「約束しよう」

「わかった。さらばだ」

 黒の王はその土地の管理者として、獣たちと共に生きることにしました。彼の家族も一緒でした。

 黒の王の能力は個人発現ではなく、血縁によるもの。だから獣たちの世代が変わっても不可侵の盟約を存続させるために、一族で永劫この地の守り人となると決めたのです。

 山の入口が近付きます。

 獣の甲高い悲鳴が響き渡ったのは、その時でした。

 何事かと黒の王が振り返った先、群れの外側にいた一匹の小型獣の腹部に、鋭い槍が突き刺さっているのが見えました。

 集落の若者の一人が、攻撃を仕掛けたのです。獣たちは激しく憤り、滅茶苦茶な雄叫びを上げます。

「落ち着かないか、お前たち。私の意思が届かないのか」

 黒の王は必死に獣を落ち着かせようとします。効果はありませんでした。完全に統率を失い、逃走するもの。パニックに陥り、他種族に襲いかかってしまうもの。

 混沌のただ中で、黒の王は白の帝を問い詰めます。

「これはどういうことだ。なぜこんな真似をした。どうして約束を反故にするようなことをするのだ」

 この事態は、白の帝にとっても想定外でした。本当に、黒の王の提案通りに進めるつもりだったのです。

 攻撃をした若者は、多くの獣を前に恐怖に駆られたのでしょう。刹那的な行動であったのは明白です。しかしそれを黒の王に弁明したところで、全ては詮無きこと。

 白の帝は言いました。

「しょせんは獣だ。盟約といっても一時的なものであろう。どこであっても人の地を明け渡すなど、認められるものではない」

「私を信じていると言ってくれたではないか」

「信じていた。お前がここに獣共を連れて来ることを。一網打尽にできる千載一遇の好機だと、私は考えた」

「裏切ったな。裏切ったな。私の願いを、想いを、よくも裏切ったな」

 心をえぐる言葉に、白の帝は唇を噛みます。そんなことを言いたかったわけではありません。

 獣に意思を届けられる黒の王。このあとに起こり得る事態を予測し、白の帝はそれを止めようとしていました。彼の憎しみを自分だけに集中させようとしたのです。

 ですが悲劇は続きました。

 別の若者が、背後から黒の王を棍棒で殴りつけたのです。お前が獣を主導する元凶だと、そんなことを叫んで。白の帝が止めようとした時には遅く、彼が伏した積雪の周囲には飛び散った鮮血が滲んでいました。

 震える指先が、赤く染まる雪を握りしめました。

「我と心を通わせし獣たちよ。聞くがいい」

 力を振り絞って、黒の王は能力の全てを使い、獣たちに呼びかけます。

 〝逃げろ。戦うな。元いた土地に戻り、これまでのように暮らせ。しかし、いずれ、必ず――”

 今際の際に彼は言いました。

「十年でも百年でも千年かかってもいい。必ず私の一族の誰かが、お前たちを再びこの場所へと導こう。その時こそ、盟約は果たされる。ここは約束の大地だ」

 その瞳は闇が凝集されたかのように、黒く塗り込められていました。

 黒の王から発された負の感情が伝播していきます。波のように押し広がった思念は、種族を問わず獣の深い部分に共通の認識を植え付けてしまいました。

 白の帝が自分にだけ向けさせようとしていた、人に対する怒りを。

 餌としてではなく、ただ排除すべき敵として人に牙をむく攻撃的な衝動を。

 この日を境に獣の本質はゆがみ、人類とは相いれない存在――魔獣となったのです。

「そうはさせない。この地は我々が管理する。人里を築き、獣共の侵入を阻もう。この先、十年でも百年でも千年でも」

 白の帝はそう言うしかありませんでした。雪のつぶてが強く吹き荒びます。お互いの顔はもう見えません。

「友よ、すまなかった」

「私の真の友は、きっと獣だった。お前ではないよ」

 交わす言葉にもはや意味はなく、そして黒の王は事切れました。立ち尽くす白の帝がその時なにを思っていたのか、誰にもわかりません。

 それから長い年月をかけて、人は文明を取り戻します。魔獣を生活圏の外にまで追いやることにも成功しました。

 ですが魔獣は人を忌み嫌っています。得体の知れない怒りを胸の内に燻らせたままです。

 それは1200年前に端を発する原初の呪い。すれ違う黒と白の、決して交わらぬ物語――”

 

「……黒の王の呪いで〝獣”は〝魔獣”になった……? だから魔獣は人を襲う……?」

「悲しいお話……」

 黒い本はここで終わっていた。

 まだ続きがあるようだったが、先のページはなかった。故意に破られたような跡がある。

 その内容が真実か虚構か、そもそも私たちの解釈が正しいのか、それさえ不明だ。いずれにしても黒い本の解読は終了した。

 おとぎ話。そう片付けられない何かが、私たちの心に小さな影を落としていく。

 その後も私とルシアの関係は変わらなかったが、しばらく経ったある日。こんなことがあった。

 私の家の裏手に、ケガをした魔獣が現れたのだ。飛び猫とドローメだ。

 ヘイムダルには複雑に入り組んだ地下水道が走っていて、中には市街に通じるダクトもある。もちろんそういった場所には金網やバリケードを作り、魔獣の行き来ができないようになっているのだが、すき間や綻びでもあったのだろうか。

 レーグニッツ家は昔からオスト地区の一角に邸宅を構えている。この区画は地下水道の収束点の一つで、必然的に魔獣が集まりやすいらしい。先祖がここにあえて家を構えた理由は、もはや察するのみだ。

 私はその二匹を手当てしようと言った。傷を治してから、地下水道に戻してやろうと。その場に居合わせたルシアも同調してくれるものとばかり思っていた。

 しかし彼女はそんな考えなど浮かびもしなかったようで、とっくに地区の自警団を呼んでいた。

 まもなく駆けつけた自警団の大人たちに飛び猫とドローメは捉えられ、頑強な檻に入れられたままどこかに連れられていってしまう。

 私はルシアに問うた。

「助けられたかもしれないのに。助けを求めていたのに。なんで助けようとしなかったんだ」

「だって魔獣でしょ?」

 悪びれもなくルシアは言う。彼女の行動は当たり前のことだったのだ。

 けれども、あの本を一緒に読んだあとなのだから、多少なりとも躊躇はして欲しかった。

「あら? 助けを求めていた?」

 ルシアが首をかしげる。私をまじまじと見て、

「カールは魔獣の気持ちがわかったの?」

「え?」

 何の話なのか、よくわからなかった。

 

 

 さらに時は流れる。

 お互いに成人し、さすがに今までのように遊ぶことはなくなった。大人になるにつれてルシアの習い事もなくなり、オスト地区に寄るということ自体が少なくなったのだろう。

 何年かぶりに雪が積もった冬の日。ルシアが私を訪ねてきた。

「久しぶりね、カール。背、少し伸びたかしら」

「子供じゃないんだし、そうそう伸びるわけないだろう。今日はどうしたんだ? とりあえず上がりなよ」

 玄関口でそう応対する私に、ルシアは首を振った。

「散歩に行きましょう。支度してくれる?」

「外、雪積もってるんだが」

「知ってるわよ。その中を歩いてきたんだから」

 おかしそうに笑う。艶やかな紺色の髪と絹のような白い肌は子供の頃と変わらず――いや、ますます綺麗になったと思える。そんな思考に気づいて、私は着恥ずかしさに自分の腕をつねった。

 コートを羽織って、ルシアのいう散歩に付き合う。

 昔より交通量の増えた導力車も、こんな日は走っていない。地区の人たちも家にこもっているらしい。

 吐息が冷えた空気に溶けていき、雪を踏む二人分の足音が小気味よく耳に届く。この銀色の世界には、私たち以外存在しないかのようだった。

「カールは将来の針路とか決めた?」

 歩きながらルシアが言う。

「はっきりとはまだ……でも博物館勤務とかいいなとは思ってる」

「ああ、ライカ地区の。うん。あなたのイメージにぴったりよ」

「どんなイメージだ。父さんからは政治家の道も勧められたけどね。成績は問題ないから目指してみたらどうかって」

「カールには向いてないわ」

 ルシアは顔をしかめた。

「僕だって興味なんかないさ。でもなんで向いてないって思うんだ?」

「だって政治家って、嘘つきの人がなるんでしょう。カールは正直者だから。絶対無理よ」

「すごい偏見だな……」

 ただ正直者と評価してくれたことは、ちょっと嬉しかった。

「そういうルシアはどうなんだ。進路は決めてるのか?」

「私」

「まあ君が普通のお店で働いているところは想像しにくいな。どうせお嫁さんとか言い出すんだろう」

「結婚が決まったの」

「ははは、やっぱり――え?」

 言葉の意味を頭の中で反芻して、私はようやく足を止めた。ルシアは私の後ろで立ち止まっていた。静寂が耳の奥を刺す。

「ユミル領主のね。テオ・シュバルツァー男爵様。ついこの前に縁談がまとまって。それで――」

 家族でユミル旅行に行って、そこで男爵と出会って、話している内に仲良くなって、何度か会う内にその人となりに惹かれて、とんとん拍子に婚姻の話が進んで――確かそんな内容だったと思う。

 耳に声は届いていたはずだが、なぜかよく覚えていないのだ。

「あなたには一番最初に伝えようと思って」

「そっ……」

 そんなこと言われて、どう反応したらいいんだ。こちらも何か言わないと。変な間を作ってはいけない。

「そうか! おめでとう! ルシアが認めた人か。きっといい人なんだろうな」

 振り返って、努めて明るい声を出す。表情はどうだ。笑顔でいられるか?

「ええ。領民を大切に思っていらっしゃる方よ。良い意味で領主らしくない感じ」

「それは好感が持てるね。君の性格とも合うと思う。嬉しいよ。ああ、とても嬉しいじゃないか」

「……ありがとう。カールならそう言ってくれると思っていたわ」

 そこはオスト地区の広場だった。ルシアは雪を片手ですくい上げた。

「ね、ちょっとだけ遊びましょ。子供の頃みたいに、雪合戦がしたいわ」

「嫁入り前なのに、やめときなよ」

「いいから」

 こうなると言うことを聞いてくれないのは、子供の時からだ。「わかったよ」と、物を考えられない頭で答え、私も雪をすくう。

「ん?」

 雪の日。雪合戦。

 不意に二つの言葉が脳裏で結実する。

 数年前のあの光景を思い出した時には、私の体は宙に舞っていた。何発も何発も重たい雪玉を身に受け、上下逆さまになってきりもみする。

 抵抗する間もなく、私は無様に地面に叩きつけられた。雪がクッションとなってケガはなかったが、ダメージは抜けず、すぐには動けそうもない。

「ル、ルシア……?」

 首だけを持ち上げて、彼女を視界に入れた。

 あの日と同じだ。ルシアの背に粉雪が渦巻いている。その手に持っているものに気付き、私は目を見開いた。

「それはっ……あの黒い本!?」

 レーグニッツ家にあったものと同じだ。

「破れたページの続きは私の家にあったわ。ユミルに運ぶ荷物の準備をしている時に、偶然見つけたのよ」

「ど、どうして君の家に」

「私が《白の帝》の血統で、あなたが《黒の王》の末裔だからでしょうね」

「なにを……?」

 その黒い本の続きに何が記されていたのかはわからない。

 ただルシアは何かを知り、私は知らず、そしてこうして這いつくばっている現実だけがあった。

「さようなら、カール」

 またね、とは言ってくれなかった。

 なんでだよ。あれは大昔のことだろ。おとぎ話の一種だろ。仮に本当の話だったとしても、今さら私をこんな目に遭わさなくたっていいじゃないか。

 君の幸福を、私は本心から祝うよ。その努力をするよ。

 私は必死に口を開けようとした。自分でも馬鹿だと思う。この期に及んでも、幸せになってくれって、そう言おうとしていたなんて。

 だけど言葉は発せられず、ひゅうと肺からかすかな空気がだけがもれた。

 流し目を残し、背を向けたルシアが遠ざかっていく。冷たいな。ちくしょう。一度くらい振り返れよ。そんな簡単に切り捨てることができる程度の関係でしかなかったのかよ。

 手の平に触れる雪を固く握りしめる。

 裏切ったな。裏切ったな。身勝手な感情だとわかっていたが、止められるものではなかった。

 眼鏡を通して見える視界が、黒く塗り潰されていく――

 

 

 ――ルシア

 

 

 ルシア――

 

 

「ルシアアアーっ!!」

 乖離していた意識を手の内に引き戻した時、白き究極の力は目前に迫っていた。

 《エバーホワイト》が視界の全てを白に変えていく。

 カールの眼鏡から濃い闇が立ち昇った。ここで喰われてなるものか。お前は、お前だけは。

 憎しみが形を成し、対となる究極の力が発動した。

「レーグニッツ投法アルティメットフォーム《黒の終焉》」

 唐突に光が消えた。夜の暗さが降りてくる。

 その異変を察知したルシアは、空を見上げた。

「日食……!?」

 太陽が闇に侵食されていく。光が失われていく。黒に染まりゆく大地が、強大な重力を発生させた。

 雪を媒介とした超高密度のエネルギー体である《エバーホワイト》が、グラビティフィールドに呑み込まれていく。

 ルシアとカールは同時に手の平を突き出した。

 拮抗する力。黒き重力を突破しようとする白き光球。その上空では太陽が黒と白に分かれ、互いを打ち消そうとせめぎ合っている。

 強いな、本当に。魂まで血の呪縛に捧げてなお、それでようやく互角なのか。

 なぜ私は君と戦っているのだろうな。血族の宿命? 千年越しの因果?

 違うね。偶然だ。

 《白の帝》の血縁が君であることも、《黒の王》の血縁が私であることも。そんな私たちが出会って、幼なじみになったことも。二人で黒い本を見つけたことも。君が嫁いだ先がユミルであったことも。

 《白の帝》は約束の大地――ユミルには住まなかったらしい。

 郷を魔獣から――否、いずれ魔獣を引き連れて戻ってくるであろう《黒の王》の子孫から守るため、雪を使った戦闘技術と、それを継承していく為の〝振るいの儀式”を作り、自らはその土地を離れたという。

 能力ゆえ一子相伝でなければならない《黒の王》。

 技術ゆえ実力主義の引継ぎであればいい《白の帝》。

 だから必ずしも《白の帝》がそこに留まり続ける必要性は確かに無かったわけだが、それでもあえてその地を後にしたのは、彼の心に《黒の王》に対する負い目があったから――そんな気がしてならない。

 結局、最強の資質を有する白の末裔は、1200年の時を経てユミルへと戻ることになったが。

それも含めて、全ては偶然なんだ。私は私の意志で、ルシアと敵対している。何者かに定められていたからなどという理由では、決してない。

「マキアスさんに――あなたの息子に会いましたよ」

 臨界寸前の力場の中で、彼女は言った。

 景色が制止している。いや、正確にはゆっくりと動いている。それは一万分の一の速度。一帯を破壊する轟音も、今だけは聞こえない。まるで君が私に背を向けた、あの雪の日の静寂のようだ。

「六柱に勧誘したそうだな」

「黒の後継者たる彼がユミル陣営に入れば、これ以上無益な戦いをしなくてよくなるでしょう。もっとも平和的な道です」

「マキアスを散々痛めつけたあとでか。そのやり口が卑劣なのだ。お前はいつも自分本位の考え方をする」

「彼は修羅メガネと化していました。器たる肉体を損耗させることでしか人の領域に戻せないと判断しました」

「……!?」

 究極の力を放つ為に必要な条件は、《ダーティグラス・ブーストフォーム》になること。

 そしてその形態になる条件は、大切な人に裏切られたと思うこと。

 実際には裏切られてなくともよい。そう強く思うことで、我らの視界は黒に染まる。つまるところ、実に身勝手で、八つ当たりで、自己中心的な負の力なのだ。

 マキアス、お前もそうなのか。誰かに裏切られた――あるいは裏切られたと思ったのか。

「ですが最後の一瞬。彼は自力で修羅化を解いたように見えました。使おうとしていた終なる投擲も黒い力ではなかったと思います」

「なんと……」

 アルティメットフォームの投法は、使い手によってその形質を変える。

 願いを踏みにじられた初代が、最後に己の意思を投げ放ったように。過去に囚われた私のそれが、他者をも縛りつける重力であるように。

 息子よ。私は知っている。お前もまた、魔獣に魅入られていることを。

 一時期、お前は魔獣を我が家にかくまっていただろう。割れた皿、壁のひっかき傷、荒れたリビング。私が気づかないわけがない。

 マキアスにも流れるレーグニッツの血が、魔獣を引き寄せたのだ。

 だが私とは違う何かを感じる。お前ならこの黒と白の争いに、相手を滅ぼす以外の方法で終止符を打てるかもしれない。

「さすがは私の息子だ」

「よく似ていますよ。いえ……なぜあなたがユミルでの出来事を知っているのですか?」

「聞いたからだ、エリゼ君に」

 ルシアの瞳にかすかな動揺が映った。

「彼女は今、私と一緒にカレル離宮にいるぞ。芯の強さも、紺色の髪も、子供の頃の君にそっくりだ」

「そう、でしたか」

「多くは語ってくれないが、色々あったのだろう。それでも状況に負けていない。立ち向かおうとしている。気丈な子だ」

 そう、状況に負けない。それが私にできなかったこと。

 君が私の前から去ったあと、私はがむしゃらに勉強した。目的はなかった。そうすることで、色んなことを忘れようとしたんだろう。

 実際に君との思い出を、記憶の片隅に追いやることくらいはできた。

 ユミルに発ってから数年後、君は突然手紙を送ってきたな。それまで一切音沙汰がなかったのに、あれはどういうつもりだったのか。

 一度も開封しないまま、戸棚の奥に片付けてしまったよ。せっかく忘れかけているのに、思い出したくなかったんだ。思い出してしまうことが怖かった。何が書いてあるのか、いまだに知らないままだ。

 それからも私は変わり映えのない生活を続けた。

 やがて縁談の話が出た。部屋にこもって読書ばかりの私を見かねて、両親がセッティングしたのだ。

 ちょうど姪が生まれた頃だった。いい加減、私も前を向かないといけないとわかっていた。

 そして私は結婚を決めた。よく笑う明るい女性だった。まもなくマキアスが生まれた。

 私は幸せを感じていた。自分より大切なものの存在を初めて知ったんだ。

 マキアスが六歳を迎える頃、妻は亡くなった。流行病だ。悲しみに暮れたが、息子と姪の成長が私を救ってくれた。

 それから十年と経たず、姪が自ら命を絶った。

 失ってばかりだ、私の人生は。

 私は原因となった貴族を――この国の貴族体制を憎んだ。だから変えようと思った。根本を是正する為に、政治家になると決めたのだ。

 貴族派に邪魔物扱いされてでも、ギリアス・オズボーンと共に革新派として。

 その挙句がカレル離宮に軟禁とは情けない話だが――待て、カレル離宮にいたはずの私が、なぜ今こんな場所に?

「娘をどうかよろしくお願いします」

 ルシアの声で、肌に浮かびかけた違和感が霧散した。

「私が言えた義理ではないのは承知していますが」

「何があろうとも守り切る。絶対無事にユミルまで帰すよ」

「ありがとう」

 ビリビリと波動が拡がる。白と黒の拮抗が崩れようとしていた。空間に亀裂が走り始める。

「ねえ、カール。一つだけ教えて」

「なんだい」

「あの雪の日。私がユミルに嫁ぐと告げたあの日。あなたは最後に何を言おうとしていたの?」

「決まっているだろう」

 一族の宿命も千年のしがらみも関係ない。身を縛る血の呪いでさえ振り切って、幼なじみとして言いたかったことなんて、たった一つだけ。

「君への恨みごとさ」

「そう。あなたやっぱり政治家に向いてるわ」

 爆ぜるフィールド。《エバーホワイト》が《黒の終焉》を突破した。

 その瞬間、二人は幼い頃の姿で向き合っていた。

「今日も僕の負けか」

「またね、カール」

 闇が散らされていく。世界を染め上げる白い光に、カールの体は呑み込まれた。

 

 ●

 

「がはあっ!?」

 激しくのけぞって、カールは目を覚ました。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。

 カレル離宮の私室。自分のベッドの上だ。スーツ姿ではない。帝国のシンボルがこれでもかとプリントされた、愛用の知事パジャマを着ていた。

 汗ばんだ手のひらを太ももで拭う。

「ルシア……?」

 彼女の夢だった。戦って、いつものように敗れる夢。

 不思議だ。悔しさはあるのに、やけに寝覚めがいい。

 もしも家に帰ることができたなら、戸棚にしまったままにしてある君の手紙を読んでみようか。

 どうしてだろうね。今そんなことを思うのは。

 

 

 ――――☾ ☾ ☾――――

 




《夢にて夢みて ふぉーす》をお付き合い頂きありがとうございます。
まずは以下、未登場のものも含めてお二人の技のご紹介です。

『レーグニッツ投法』
1 デスペラード・メガソニック
2 デスサイズ
3 ブラッディシザーズ
4 デビルズギロチン
5 フォーリンエンジェル
6 スネークチェイン
7 リフレクトノヴァ
8 ニーヴェルングブレイカー
9 リミットオブライフ
10 エンシェントライブラ
11 エンドレスペイン
12 グラウンドゼロ
13 ゴーストドライブ
14 ネガティブハウリング
15 ジャッジメント
16 ダーティグラス・ブーストフォーム
17 アンガーオブレーグニッツ
18 黒き終焉

『雪帝の御技』
1 天動集雪
2 暗転巧殺
3 白幻舞踏
4 千変煉獄
5 紫閃光弾
6 瞬皇脚
7 乱星撃滅
8 月刃
9 雪帝掌
10 エバーホワイト

 もう二人で煌魔城に突っ込んだらいいんだよ。
 連載当初から《大崩壊》と《黒の史書》を利用して二人の因縁を描くつもりでしたが、閃Ⅲでそのどちらにも触れてくれたおかげでやりやすくなりました。ただ未プレイの方のために、ぼやかした表現にしている部分もあります。
 ちなみにレーグニッツ家の黒の史書は、その後にオズボーンに譲渡されています。《第87話ラインズブラック》で、クレアが「黒い本を知っているのか」とマキアスに訊いたのは、その辺の事情もあったりしました。

 エリゼが各地に飛ぶたびに魔獣に追いかけられていたのは、実はヴァリマールのせいではなく、彼女自身が『白』の直系だったからという裏設定でした。『黒』の呪いで人を忌むようになった魔獣たちですが、白の血族のことはさらに嫌いなのです。

 国全土やそこに生きる人々にかけられた呪いというのは、案外珍しくありません。歴史の古い現在の各国にも似たような伝承はあったりします。

 たとえば日本においては
『天照大神の命で高天原から地上に降りたニニギノミコトという神様がいました。
ある時、そのニニギノミコトの元に、イワナガとコノハナノサクヤという姉妹の姫が嫁ぐことになりました。
 ですがニニギノミコトは美人の妹ちゃんのコノハナサクヤ姫だけを娶り、残念なお姉ちゃんのイワナガ姫は相手方のお父さんに特急便の着払いで送り返してしまいます。
 コノハナサクヤは花のごとき繁栄を、イワナガは石のごとき永遠を司る神です。故に二人同時に妻にしなければいけませんでした。
 やがてイワナガ姫は妊娠したコノハナサクヤ姫を呪いました。人間の命が短くなってしまったのは、その出来事が始まりだそうです。私たちの寿命にかけられた呪いですね。
 けれどこの国の深淵に沈む原初の呪いは、

『あなたの世界の人間を、毎日千人殺しましょう』
『ならば私は、毎日千五百人の人間を生ませよう』

 これでしょうね。

『千年経とうとも、必ず約束の大地に獣たちを連れて行こう』
『ならば千年後もこの地に立ち入れないようにしよう』

 どんな時代、場所でも、呪いというものは、つまるところ人の感情から生まれるものなのでしょう。
 知事閣下と領主夫人を描く為のテーマが大き過ぎて困るという話です。

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