「――リゼ、エリゼ?」
「え?」
不意に名前を呼ばれて、エリゼは首をそちらに振り向ける。横に座っていたアルフィンが、怪訝そうに顔をのぞきこんできた。
「あ、姫様。ごめんなさい。なんの話でしたか?」
「もうエリゼったら。最近寒くなってきたわねって話よ」
「ええ、まあ……もう十二月ですから」
「なんて素っ気ない返事かしら。そのちょっとツンとした態度はもしかして反抗期? 思春期? 倦怠期?」
「倦怠期はおかしいでしょう」
「むー」
ぷくーとアルフィンは頬をふくらます。
なんだろう。頭がぼーとする。今まで何をしていたんだっけ。
ここはいつもの第三学生寮の一階ラウンジ。アルフィンと二人、ソファーで肩を並べて昼食前の他愛ない雑談をしていた――はずだ。
トールズ士官学院に入学して、はや八ヶ月。それはもう色々なことがあったものだが、どうにかこうやって日常を謳歌して――
「それくらいにしときなよ、アルフィン」
二階からセドリックが降りてきた。彼はこちらに歩み寄りつつ、やれやれと嘆息を吐く。
「エリゼさんも疲れてるんだ。ただでさえこの前のオルディス実習は大変だったんだから。やっと年末年始の自由行動日がもらえたんだし、少しは休ませてあげなよ」
「あーはいはい、また始まったわ。セドリックのエリゼ贔屓が。優しいのはいつもエリゼにばっかり」
「ひ、贔屓なんてしてない。僕はただ休息をお勧めしただけで……!」
「だいたい疲れじゃなくて恋わずらいかもしれないでしょう。エリゼも年頃の乙女だもの」
「恋……!?」
見開かれたセドリックの瞳が、真意を探る視線となってエリゼに向けられる。
「ない、ないです! 姫様はまた何を言い出すんですか!」
「んーでもでも、学院でも人気高いし。お近づきになりたい男子は多いと聞くわ」
「そんなことありません。兄様が有名人だから、その影響で悪目立ちしてしまっているだけです。はい、この話は終わり。セドリック殿下もおかけになって下さい。読書にいらっしゃったのでしょう?」
「そっか、エリゼさんは人気があるのか……え? あ、はい」
ぶつぶつ一人ごちながら、セドリックはエリゼたちの向かいのソファーに腰を下ろした。どこか落ち着かない様子で、本の表紙をめくりかけた時、
「二人とも、クリスマスって知ってる?」
アルフィンがそう言った。
「くりすます……? いえ、聞いたこともありませんが」
「僕もだけど……」
エリゼとセドリックは眉をひそめる。
その反応を待っていたとばかりに、アルフィンはにやにやと頬を緩ませた。
いけない。これは私たちを何かに巻き込もうとしている時の顔だ。話を聞かされて逃げられなくなる前に、速やかにここから離れた方がいい。
殿下もお早く撤退を。それを伝えるつもりでセドリックに視線を送ると、すでに彼は瞳を曇らせて、黙祷のようにうつむいていた。
ちょっと諦めるのが早過ぎませんか。そうは思ったがやむを得ない反応なのかもしれない。入学してからのこの八か月、自分たちはいったいどれほど彼女の発案に付き合わされ、そしてひどい目に遭ってきたか。
パトリックとアルフィンが作成した“水車を利用した半永久機関(仮)”にセドリックが巻き込まれた時のことなど、思い返すだけでも涙が出てくる。
「クリスマスっていうのはね、一年をつつがなく良識を持って過ごした人へ、その善性を労うために寄贈品の授与を行うイベントなのよ」
「うーん……?」
嬉々としたアルフィンの説明を受けても、やはりわからなかった。
東方の風習なのだろうか。しかしそちら方面に詳しいユン老師やリィンからも“くりすます”なる行事のことを聞いた覚えはない。
「寄贈品はどのように贈呈されるのですか?」
「12月24日から25日にかけての深夜に、あらゆる手段を用いて家屋に侵入し、就寝中の枕元に有無を言わさず贈呈品を設置していくの。しかも退出時は一切の痕跡を残さず、『メリークリスマス』という殺し文句と共に颯爽と去るんですって」
「犯罪臭が凄まじいのですけど……。品物を贈られる対象者の選定はどのように?」
「無作為で無差別だそうよ」
「もはやテロじゃないですか」
寄贈品の中身が爆発物以外に考えられない。早く憲兵隊に通報した方がいいのでは。怪盗Bよりもタチが悪い気がする。
「それで誰がそんなことをやるんです。犯罪組織からの派遣員とか?」
「エリゼはいつからそんな物騒な考え方をするようになったの? サンタクロースという慈愛に満ち溢れた存在よ。サンタクロースはトナカイに乗って各地を回ると聞いたわ」
「サンタクロース? トナカイ? 知らない言葉ばかりですが……」
「通常は親しみを込めてサンタさんと呼ぶんですって。白髭を生やした大柄な老齢の男性で、血で染めたように真っ赤なバトルコスチュームを着用していて、Sクラフトは鍛え上げられた鋼の肉体から放たれるフライングクロスチョップで、その十字の刻印の威力たるやバルフレイム宮を一撃で消し去るほどの――」
「親しめる要素が欠片もないんですけど。じゃあトナカイは?」
「サンタさんの愛くるしいマスコット的なポジションよ。禍々しい大角を生やした四足型魔獣で、謎の浮力により空を自在に駆け抜けて、Sクラフトはその大角を最大限に活かしたライトニングホーン・エクスプロージョンで、その爆雷の突撃の威力たるやバルフレイム宮を一撃で消し去るほどの――」
「“禍々しい大角”の時点で愛くるしい要素はありません」
あとさっきからバルフレイム宮が弱すぎる。一応、姫様の実家ですよね。
「ご歓談中に失礼します。昼食の準備が整いました」
キッチンの中からクレア・リーヴェルトが姿を見せた。
シャロンから引き継いで第三学生寮の使用人を務める彼女は、普段通りのメイド服だ。最初は抵抗があったようだが、なんだかんだと気に入り始めたらしく、先日は鏡の前でくるりとターンを決める瞬間も目撃してしまった。メイド服に合うアクセサリーを密かに探していることも知っているが、もちろんそれらの事実は自分の胸の奥にしまい込み、このまま墓場まで持っていくつもりだ。
最近、墓場まで持っていく秘密が増え過ぎて困る。
「ありがとうございます。わあ、良い香りですね」
読みかけの本をたたんで、セドリックが顔を上げる。
「今日はオムライスですか。ん、ケチャップで何か書いたんですか?」
「ええ、オムライスには絵を書くものとマキアスさんから教えて頂きまして。それがハートマークならなお良いとのことでしたが、さすがに少々気恥ずかしく……」
「その知識、間違ってると思いますが……。それでなんて書いてあるんですか? これ、東方の文字ですよね」
「セドリック殿下には“外柔内剛”と」
「へえ、どういう意味なんです?」
「わかりません」
「……え?」
「東方文化の一つである書道の教本から良さそうなのを抜き出しただけでして、意味まではわからなかったのです。ちなみに教本はヴァンダイク学院長からお借りしました」
「そう……でしたか」
それ以上は何も言わず、セドリックはオムライスを食べ始めた。味は普通においしいらしい。
「アルフィン殿下にはこちらを」
「まあ、わたくしにはなんと書いて下さったのかしら。ええと“愛別離苦”? あ、意味はわからないんでしたか」
「ええ、ですが“愛”は“ラブ”に相当する文字のようです」
「素敵! きっと純情を表す素晴らしい言葉に違いありませんわ」
「恐縮です。ではエリゼさん、お待たせしました」
最後にエリゼの前にもオムライスが差し出された。先の二人と同様に、ケチャップで文字が描かれている。
「“魑魅魍魎”って、これなんて読むんです? いえ、読み方以前によく書けましたね……」
「私が見た中でもっとも難しい文字に挑戦してみました」
「挑戦しちゃいましたか……」
赤いケチャップが徐々に垂れて、“魑魅魍魎”がおどろおどろしく変貌してきたが、せめて意味だけは良いものだと信じたい。
東方文化に興味を持ったとかで、近頃は食事に東方由来のものが多く出るようになった。クロスベルの有名な東方料理店にも行ってみたいらしい。
ああ、そうだ。彼女なら知っているかも。
「クレアさんはクリスマスって知っていますか? 姫様との話題だったんですけど、東方の文化かもしれなくて」
「クリスマス……? いえ、聞きなじみはないですね」
「サンタクロースは?」
「
「トナカイは?」
「そんな貝があるんですね」
「もしかしてトナ貝だと思ってます?」
的はずれ感が半端じゃない。賢い人なのだけど、ちょっと天然なところがあると最近になってわかってきた。
オムライス完食。自分の分だけ文字量が桁違いなので、エリゼは半分以上ケチャップを食べた気分だった。
食後の紅茶を口にしつつ、アルフィンが言う。
「まあ、そんなわけで今日はくしくも12月24日。日ごろからお世話になっている二年Ⅶ組の先輩方にプレゼントを渡しに行きましょう。もちろんわたくしたちがサンタクロースとなって」
『ええー!?』
セドリックとエリゼがそろってソファーからずり落ちそうになる。
「姫様、落ち着きましょう! 私たちまで犯罪行為に手を染めるようなことがあってはいけません! 百歩ゆずって私はいいとしても、姫様とセドリック殿下は絶対にダメです!」
「エリゼさんも落ち着いて!? 何歩ゆずってもエリゼさんだってダメだよ!? だいたいアルフィン。先輩たちはほとんど帰省してるじゃないか」
休学していた二年Ⅶ組は先月に復帰したユーシスとミリアムで、全員が顔をそろえたことになる。しかし何かと所用が多いようで、今年の年末は全員が一時帰省していた。
「だから今晩中にプレゼントを配るとか絶対無理だよ。あきらめよう。感謝の気持ちは別の形で伝えよう。そうしよう」
「それに関しては考えがあるから大丈夫。任せておいて」
「アルフィンの『大丈夫』で大丈夫だった試しがないじゃないか!」
「やると決めたらやるんだから! ほら、エリゼもセドリックも早く立って! 昼の間に全員分のプレゼントを調達しないといけないもの!」
ここまで来たらもう逃げられない。
袖を引っつかまれ、二人して無理やりに連行される。ずるずると玄関まで近づいた時、ドアが開いた。
「――それで十月にローエングリン城が消失した件ですが、瘴気も完全に収まったので年明けから本格的な調査に入ると。ただ異界化の可能性が……」
「報告は受けてるわ。しかも最悪なことに、軍からⅦ組に協力要請が来てるのよ。いずれにせよ一月の特別実習にまで影響が出なければいいけど――あら、あなた達。どこかに行くの?」
リィンとスカーレットが外出から帰ってきた。《キルシェ》で来月の打ち合わせでもしていたのだろう。
「聞いてください、スカーレット教官。また姫様が変な思い付きを――むぐっ!?」
「なーんでもないです。新Ⅶ組同士の親睦を深めてきますね」
エリゼの口元をがっちり押さえながら、アルフィンは天使の微笑みを浮かべた。
「もう“新”って感じでもないでしょうに。夕飯までには帰ってきなさいよ」
「はーい!」
「了解です……」
「むぐぅ……!」
三者三様の返答を返し、エリゼたちはトリスタの町に繰り出した。
――夢にて夢みて ふぃふす――
《――★★聖なる夜にメリークリスマス!★★――》
「さ、寒い……」
ガタガタとセドリックが震えている。時刻は22時。真冬の夜に、寒風を防ぐものが何もない士官学院のグラウンド――そのど真ん中でエリゼとセドリックは待たされていた。
「大丈夫ですか、殿下。血色が悪いようですが」
「なんとか……エリゼさんこそ大丈夫?」
「私はユミル出身ですので、このくらいの気温なら耐えられます。なんでしたら私のマフラーお貸ししますけど」
「それを受け取ったら、僕は男としてこの場に立っていられなくなる気がする……」
「どういう意味でしょう?」
「まあ、言葉通りだよ」
着衣がいつもの学院制服というのが余計に冷えるのだろう。防寒着を着込みたかったが、サンタは赤服という設定に沿った格好をさせられていた。
指定された時間と場所に集合したものの、まだ言い出しっぺの姿は見えない。
「アルフィンの急な思い付きはいつものことだけど、今回のは特に突拍子もないというか。クリスマスなんてどこで聞いたのかな?」
「わかりません。どうやら東方の文化でもなかったようですし、読んだ小説にそんな創作イベントでもあったのではないしょうか」
「ああ、ありそう。文芸部の部室って妙な本ばっかりあるって噂だしね」
とある一悶着の果てに用務員が臨時顧問になってから、その妙な方向により拍車がかかったとも聞いている。
生徒会による実態調査として、会長であるリィンが直々に文芸部に踏み入りもしたのだが、帰ってきた時なぜか彼は一切の記憶を失っていた。
ならばとエリゼは風紀委員を送り込む算段を立てた。今年度から設置されたかの委員会は、状況に応じてあらゆる執行権限を行使できるからだ。しかし肝心の風紀委員長は、文芸部であるアルフィンだった。
これにより、文芸部はトールズにおける完全な治外法権エリアと化してしまったのだ。
「お待たせー」
ようやくアルフィンがやってきた。大きな白い布袋を引きずりながら、息を切らしての登場だ。
「はあ、はあ、重かったわ」
「またずいぶんと買い込みましたね。それが姫様の担当分のプレゼントですか?」
「ええ。エリゼたちも準備はできてる?」
「一応見繕いましたけど、これで喜んで頂けるのかどうかは……」
「いいのよ。こういうのは気持ちが大事だから」
エリゼもセドリックも、白袋にそれぞれの選んだプレゼントを詰めてきている。ちなみにプレゼント購入の割り振りはクジで決めた。
「ではでは、さっそく届けに行きましょうか」
「どうやってです。まさか本当にトナカイを連れてきたと?」
「まさかまさか。あれはサンタさんの忠実なる下僕にして、凶悪な人食い魔獣よ。降魔の笛でもない限り操ることはできないわ」
「昼は愛くるしいマスコットとか言っていたような」
「さっそく呼ぶから。少し離れていて」
「呼ぶ?」
とりあえずエリゼとセドリックは後ろに下がる。アルフィンは拳を高々と掲げて、
「来て下さい! 灰のトナカイ、ヴァリマール!」
『……オゥ』
ガラガラガラと重い音。グラウンドに増設された整備ドックの扉を自力で開けて、その中からヴァリマールが姿を見せた。なるべく足音を立てないようにして、さながら旅館の中居のごとくそろそろとこちらに歩いてくる。
「ええー、空から飛んできて下さいってお願いしたじゃないですか!」
『霊力ヲ無用ニ消費シテシマウノデナ。あるふぃんガ指示シタ派手ナ登場ノ希望ニハ沿イカネタ』
「それと『応!』の掛け声も控え目でした!」
『コノ時刻デハ、近隣ノゴ迷惑ニナルダロウ。地域密着型ノ騎神トシテハ、ヤハリ住民カラノくれーむハ避ケタイ。ドウカ皆様ノゴ理解トゴ協力ヲ――』
「もう、リィンさんの影響でしょうか。なんだか妙な気遣いを覚えましたね……」
もくろんでいた演出を逃したらしく、アルフィンが肩を落とす。
「姫様、姫様? 灰のトナカイって?」
「ほら、ヴァリマールも空を飛べるじゃない。角も生えてるし、これはもうどこからどう見てもトナカイだと思うのよ」
「ええ、騎神ですね」
「聞いてた? 話」
「聞いた上での返答です。というかヴァリマールに乗っていくんですか!? 怒られますよ、兄様に! セドリック殿下も姫様の説得を――」
「や、やった。灰の騎神に乗れるんだ。ん? エリゼさん、何か言った?」
「……いえ、なんでもありません」
セドリックまでが乗り気になる。
皇族二人を抑えるすべなどなく、しぶる背中をアルフィンに押されるままに、エリゼはヴァリマールの足元まで移動させられてしまった。
●
「見えてきました、ヘイムダルです!」
闇の向こうに、巨大な石造りの外壁がその輪郭を浮き立たせる。エリゼが言うと、セドリックは震える声を絞り出した。
「よかった、凍え死ぬかと思った。早く町に降りようよ……」
空を飛んできたので、トリスタからヘイムダルまで15分といったところか。
エリゼたちはヴァリマールの手のひらで身を寄せ合うようにして縮こまり、身をなぶる強風を凌いでいた。
外壁を越えると、明かりの灯る緋色の街並みが見渡す限りに広がっている。
アルフィンは手元のメモ帳を開いた。
「えーっと、ヘイムダルはマキアスさんとエリオットさん、と。エリゼはお二人の家の場所を知ってる?」
「大まかな位置なら。マキアスさんはオスト地区で、エリオットさんはアルト通りだったかと」
「レーグニッツ知事とクレイグ中将のお宅であれば、きっと目立つ外観よね。ここからならオスト地区が近いかしら」
「そうですね」
言いながら、エリゼは眼下に目を凝らす。
おかしい。ヴァリマールはかなり低空を飛んでいるのに、騒ぎらしい騒ぎがまるで起きない。というよりも街中に人影がまったく見えない。まだ22時半。夜分だとはいえ、帝都が寝静まるには早すぎる。
そしてセドリックもアルフィンも、そこに疑問を感じていないようだった。なんのためらいもなくオスト地区に進入し、ヴァリマールをレーグニッツ邸の正面に着地させる。
「マキアスさんのプレゼントを用意したのはわたくしだから、自分で行ってくるわ。でも一人はちょっと不安だし、エリゼもついてきて。セドリックは入り口付近を見張っておいてね」
アルフィンの後ろを歩き、エリゼは玄関先までついていく。
当然ながら、扉には鍵がかかっていた。
「それはそうですよね。この時間にチャイムを鳴らすのは少々不躾ですが……」
「呼び鈴はダメよ。誰にも悟られずに、秘密裏にミッションを成功させるのがプロサンタなの」
「サンタさんにプロとかアマチュアとかのライセンスがあるんですか」
「かなり厳しい縦社会だそうよ。部下サンタは上司サンタが出社する前にオフィスの掃除を済まして、上司サンタがやってきたら一列に並んで『オザーッス! プレゼント袋お持ちしやす!』って出迎えるんですって。退社の時も同じように『今日も一日、夢配りお疲れ様でございやした!』って頭を下げるのだとか」
「えぇ……それなんだか嫌なんですけど。それでプロサンタは玄関が施錠されていた場合、どうするんですか?」
「煙突からのダイブが主流よ」
「なぜそんなトリッキーな侵入経路を……あれ? でもマキアスさんのお宅、煙突ないですよ。そもそも煙突付きの家って、ユミルでしか見たことありませんが」
「ふっふーん、そんな時はこれ! サンタ七つ道具ー!」
アルフィンが取り出したのは、先端がいびつな形をした数種類の針金だった。それを鍵穴に差し込んで、カチャカチャといじり始める。
「ひ、姫様! なにをっ!?」
「サンタスキルが一つ、《閉ざ
「仮にもエレボニア皇女ですよ! ダメですよ! 不法侵入ですよ!」
「仮じゃなくて、一応は正真正銘の皇女なのだけど……。最近、エリゼのわたくしに対する評価がいちじるしく低下している気がするわ。大丈夫。不法侵入なら内戦中にルーレ工科大学でやったことあるから」
「まさかの前科あり!」
ほどなく扉が開く。
内心の抵抗は山ほどあるが、ここまで来ては下がれないのもある。エリゼとアルフィンは忍び足でフローリングの床を歩き、階段を登って二階へ。問題なくマキアスの部屋の前に到着。幸いにも鍵はかかっておらず、慎重に部屋の中へと踏み入る。
整然とした室内の窓際に簡素なベッドがあって、そこでマキアスが寝息を立てていた。
頭側のベッドの横に、小さな台がある。そこにプレゼントを置くことにした。
近づこうとして――ここでアクシデントが起きた。
「きゃっ!」
「姫様!?」
アルフィンが足を滑らせたのだ。エリゼはとっさに支えようとしたが堪えきれず、二人そろって尻もちをつく。
マキアスがうめいた。
「ん……んん? いえいえ、なんでもありません。次は観覧車に乗りましょう……そのあとは夜景の見えるレストランで食事を……でへへ」
大きな音を立てたものの、彼は起きなかった。幸せな夢を見ているようだ。
「ごめんさない。薄暗いし、足元には気をつけないと――」
「ひぃっ、姫様っ。こ、これぇ……っ!」
「え? ……あっ」
並んで尻もちをつく二人の手の下に、彼のメガネがあった。倒れた拍子に台から落ちてきたらしい。エリゼとアルフィンで左右のレンズを見事に半分ずつ仲良く押し潰していた。
「ど、どど、どうしましょう。マキアスさんってメガネが壊れたら修羅のごとく荒れ狂うって兄様が言ってました。そ、そうです! 姫様が用意したプレゼント、もしかしてメガネだなんてことは……?」
「………」
アルフィンが無言で包み紙から取り出したのは、数枚の写真――いずれもメイドクレアのピンナップ写真だった。
「マキアスさんはこれが一番喜びそうだったから……」
「クレアさんの許可取ってますよね?」
「メリークリスマース」
ピンナップ写真をそっと枕元に挟み込むと、アルフィンは砕けたメガネに一瞥を送った。憂い顔を浮かべて、しめやかに目を伏せる。
「人は何かを得るためには何かを失わなければならないのね」
「今の事案は、勝手に奪って勝手に押し付けただけですけどね」
「もうちょっと右で……いや、行き過ぎ。少し戻って……そう、この位置でストップ」
クレイグ邸の裏手。その屋根より高い位置でヴァリマールは滞空している。ヴァリマールの指にはロープがくくられていて、そこから吊り下がるのはセドリックだった。
「殿下、大丈夫ですか?」
騎神の手のひらに乗ったまま、見下ろす形でエリゼが心配すると「問題ないよ。やってることは問題だと思うけど……」と沈んだセドリックの声が返ってきた。
二階の窓際に取り付いたセドリックは、アルフィンから持たされたサンタの七つ道具の一つ――ガラスカッターを取り出した。ダイヤモンドコーティングがなされた刃を窓ガラスに押しつけ、ギコギコと20リジュ四方に切断していく。
「セドリックー、切り終わる前にガラスの外側からガムテープを貼るのよ。そうしたら破片が落下せずに音も立たないわ」
「姫様の手慣れた感じが怖いんですが」
技術部としてパトリックに仕込まれたスキルだろうか。他に余罪がないことを祈るばかりだ。
「ところでセドリック。エリオットさんのプレゼントは何を選んだの?」
「………」
「セドリック?」
「本。音楽関係の」
「へー」
アルフィンはにまにまと口角を上げた。
「いやらしい本でしょう」
「なっ!?」
「聞いて、エリゼ。セドリックったら大人の書籍を買い占めてきたらしいわ」
「し、占めてない! エリオットさんのために音楽の本を探してるって言ったら、勝手に袋に詰め込まれて……猛将クレイジーはこれしか喜ばないって、ケインズさんが!」
「ふぅん、そういうことにしてあげる。セドリックも男の子だし。わたくしはいいと思うわ」
「そんな言い方だとエリゼさんが勘違いするだろ! 違う、違うんだ、僕はそういうのじゃないから!」
「あの、殿下。男子には誰しもそういう時期があると、保健医のメアリー教官から教わりました。だから大丈夫ですよ……?」
「違うー!」
退任したベアトリクス教官に代わる形で、音楽教官から保健医に転向したメアリー教官は、思春期の悩みに特化したカウンセリングを精力的に行っている。
聴診器を首にかけ、白衣に胸元の開いたブラウス、そして黒のタイトスカートにガーターベルトという、おそらくは保健医という在り方をまるまる誤解してしまったのだろう出で立ちは、しかし男子学生の絶大な支持を得るに至った。自ら体を痛めつけて保健室に通う輩も多いと聞く。……今度、生徒会として直々に取り締まるとしよう。
その折、ガラスの切断が終わる。これ以上会話の中心になるのはごめんとばかりに、セドリックはさっさとガラスの破孔から手を入れて内鍵を開けた。そのままエリオットの部屋に侵入した――と思ったら、すぐに戻ってきた。
エリゼとアルフィンでロープを手繰り寄せ、セドリックはヴァリマールの手のひらに帰還する。
「あら、ずいぶん早いのね」
「長居する必要はないしね。プレゼントは枕元に置いてきたから」
「やらしい本を?」
「違うって……いや、違わないけど! 僕の意志で選んだんじゃなくて!」
「でもエリオットさんがそういうので喜ぶってイメージにないけど、本当にケインズさんが言ったの?」
「そうだよ。なんかエリオットさんを主人公にしたノンフィクション伝記があるらしくて、今度それを読ましてくれるんだって」
事の真意は不明だが、自分たちの入学前に“猛将事変”なる騒動があったことはエリゼも聞いていた。先のメアリー教官が保健医に転向した背景には、エリオットが関係しているとも。
「エリオットさんの部屋はすごく整然としてて、どちらかと言えば少女趣味な内装だったよ。とても猛将って感じじゃなかったけど」
「……セ、セドリック殿下。それまさかフィオナさんの部屋では……。エリオットさんのお姉様の……」
「え? お姉さんがいるの……?」
淑女であるフィオナの枕元にいかがわしい本を設置し、さらにプレゼント袋にはしっかり『エリオットさんへ』と書き込んでいる。
「セドリック……あなたも大概猛将の素質があると思うわ」
「言ってる場合じゃないよ! 早く回収してこないと、そのフィオナさんが起きたら大変なことに――」
「きゃああー!?」
フィオナと思わしき部屋の中からフィオナと思わしき絶叫がこだました。
「な、なにこれ、なんなのこれ! エリオットのえっちな本じゃないの! それをお姉ちゃんの枕元に置くってどういうことなの! 新しいタイプの楽しみ方を覚えたということなの!? お父様起きて、緊急家族会議よ! ついにエリオットがさなぎから蝶へと羽化してしまったわ! それもとびきりゆがんだ羽の! 来なさいエリオットーッ!!」
大変なことになった。
浮上するヴァリマールがクレイグ邸を離脱する。セドリックはうなだれていた顔を上げて、一言だけつぶやいた。
「……メリークリスマス」
「それでいいんですか、殿下」
●
「あああ! 寒いー!」
セドリックの悲痛な叫びが冬空に響き渡る。今回はアルフィンも口を挟まず、身を小さくして少しでも風の当たる面積を少なくしようとしていた。
「あ、ルーレ市街に近づいてきましたよ!」
二人を元気づけようと、エリゼは声を明るくして言う。
ヘイムダルの次はルーレ。以降はノルド、バリアハート、レグラムと楕円形のルートで各地を飛び回る段取りだ。
吐息で手を温めながら、セドリックが顔を持ち上げた。
「夜明けまでに東部全域を訪れるのは、やっぱり時間的にギリギリだよ。ヴァリマールに空間転移を頼んでみたらどうかな?」
「それはいけませんよ。空間転移は
「……実際に困ったことがあるような口ぶりに聞こえるけど……」
「えっ!? あ! あの、兄様が困るって意味です。ただでさえ内緒でヴァリマールを動かしているんですし」
「うん、まあ、そうだよね」
危ない。口を滑らせてしまうところだった。
セドリックはまだ何かを訊きたそうにしていたが、その質問が来る前にヴァリマールはラインフォルト本社ビルの真上に到達した。
「アリサさんのプレゼントを買ったのはエリゼよね。なら、ここはわたくしとエリゼが行くわ。セドリックはお留守番してて。もう女子の部屋に忍び込んじゃダメよ?」
「さっきのは不可抗力だってば!」
「甘いわね、セドリック。不可抗力という言葉を使って許されるのはリィンさんだけなの」
「別に兄様も許されてはいませんよ?」
エリゼとアルフィンは屋上に降り立つ。
エントランスの大扉を始めとした一階フロアには厳重なセキュリティがかけられているのだろうが、さすがに屋上は施錠一つのみだった。導力式ではなかったため、アルフィンのドリームピッキングで解錠し、そこからオフィス内へと進入する。
ラインフォルト家の居住フロアは最上層なので、たどり着くのに苦労はしない。しかし現在このフロアにはアリサのほかに、イリーナとシャロンがいるはずだった。後者二人に出くわそうものなら、まず逃げられない。
必然、小声になってエリゼは問う。
「ところで姫様、気になっていることがあるのですけど」
「何かしら?」
「私たち、黙って寮を抜け出して来てるじゃないですか。スカーレット教官にばれたらものすごーく怒られるのでは……」
「ああ、それなら大丈夫よ。わたくしの部屋にはレジェネンコフを待機させているから。外から声をかけられても、わたくしの声音で当たり障りのないことを答えるようにお願いしてるの」
かつてラウラが寮に持ち帰ってきたレジェネンコフ
「いえ、それ姫様の部屋だけですよね。私だって同じリスクがあるのですが」
「心配しないで。そっちも仕込んできたわ。自動再生型のボイスチェンジャーをエリゼの部屋の扉の内側に仕込んできたから」
「つまりどうなるんです?」
「外側からのノックに反応して、エリゼのやらしい声が流れるわ」
「姫様ぁ――――っ!!」
顔を真っ赤にして怒る。
「ちょっ、声が大きいわ」
「な、ななな、なにを仕掛けてるんですか!? そんなの!? いつのまに!?」
「合成音声よ。実際のエリゼの声ってわけじゃないから気にしないで」
「兄様の認識では私本人ってことになるでしょう! 痴女じゃないですか! 痴妹じゃないですか!」
「痴妹って初めて聞いたんだけど。あとなんでリィンさん限定の想定なの?」
恨みがましい目でじーっと見つめると、アルフィンは視線をかわしつつ話題を変えた。
「そういえばルーレは初めての特別実習以来よね。なんだか懐かしいわ」
「そうですね。姫様は謝らないといけない人、多いですよね。ステファンさんを始め、ラインフォルト社の作業員の皆さんに、工科大に至っては未だに研究棟の瓦礫撤去が進まないそうですよ。加えてまた病院送りにしたシュミット博士も退院の目途が立たないとか」
「な、なに急に。怒ってるの?」
「怒ってないと思います?」
「アリサさんの部屋発見。仕事の時間よ。気持ちを切り替えていきましょう、プロであるならば」
「プロじゃないです」
扉にアリサの名前が印字してある。
音を立てないように入室。広い部屋の中にはいかにも高級そうな衣装棚や化粧台が並び、ちょっとした装飾なんかもことごとくオシャレだ。そしていい匂い。これが女子力の高い人のルームセンスというものか。
果たしてアリサは――眠っていた。ダブルサイズの天蓋付きベッドを覆う純白のレースカーテンの向こうから、上品な寝息が聞こえてくる。
「ね、アリサさんのプレゼントは何にしたの?」
「これです。この前、レンチが壊れたと言っていたので」
「女子のプレゼントに工具って……」
「贈り物は気持ちが大事なのでしょう?」
「そうなんだけど、むき出しってどうかと思うの」
「だ、だってミヒュトさんラッピングしてくれなくて、自分でやる時間も無くて……」
「それはまあ、工具を綺麗に包装してくれるお店なんてあんまりないとは思うけれど。……とりあえず枕元にでも置いたら?」
「はあ……そうします」
息を殺してレンチを握りしめ、じりじりとアリサに近づく。窓から差し込む青白い月明かりが、エリゼの影を暗い床に伸ばした。
「恋敵を始末しようとする猟奇的な女の図にしか見えないわ……」
「誰が猟奇的な女ですか」
「朝起きたら顔の横にレンチがあるのよ。普通に考えたらホラーじゃない? 恐怖を与える目的を兼ねた宣戦布告みたいな」
「もう……姫様の想像力の豊かさには感服しますが、行き過ぎたら妄想ですからね」
すっとレンチを枕元に置き、エリゼはしっとりと微笑を浮かべた。
「ふふ……メリークリスマス」
「やっぱりホラー感が強いじゃない」
●
「エリゼ、下を見て」
アルフィンに言われるまま、ヴァリマールの指の隙間から地上を見下ろす。町明かりが見えた。いや、町というほどの規模ではない。あれは――
「ユミルの郷……?」
『肯定ダ。現在、ユミル付近ノ上空500アージュヲ飛行中』
ヴァリマールが気を回したのだろう。ノルドへの移動途中でユミルを通過してくれたようだ。
『降下スルカ?』
「いえ、ユミルにまで寄っていたら、さすがに夜明けには間に合わないでしょう。でもありがとうございます」
それに郷に戻ったら、どうしても母様と父様に会いたくなる。甘えたくなる。自分の弱いところが表に出てしまいそうになる。心の揺らぎは身の内の“呪い”に影響し、《緋の魔王》による精神侵食が加速する。今までの特別実習で嫌と言うほど思い知らされたことだ。
この呪いを解くまで、私は故郷に帰れない。
「エリゼさん、いいの?」
セドリックが気遣わしげに聞いてくる。
「いいんです。……来年の夏にはみんなで温泉旅行に来れたらいいですね。兄様はもちろん、二年Ⅶ組の先輩方も一緒に」
「……うん。久しぶりに鳳翼館に泊まりたいなあ。そういえばトヴァルさんも今ユミルだったっけ」
ぴくりとエリゼのこめかみが脈打った。
「遊撃士支部の立ち上げで忙しかったはずなのに、オルディスではたくさん協力してくれたし、何かプレゼントを贈れたら良かったんだけど」
「オルディスに到着するや否や、私の顔に正面からソフトクリームをぶつけて下さったトヴァルさんですか?」
「おぁっ……」
「まったく意味のないドリフト運転でボートを船着き場に接岸させて、私を頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れにして下さったトヴァルさんですか?」
「待っ………」
「レイピアと《ARCUS》が使えない状態だから猟兵をやり過ごそうと身を隠していたのに、お約束のようなくしゃみで私の位置を一発で露見させたトヴァルさんですか? しかも猟兵団はよりにもよって、《赤い星座》だったという」
「ごめん……」
「でもまあ、お世話になったのは本当ですし、何か仕返しをしなくてはいけないのも確かです」
「お返しだよね? 言い間違いだよね?」
エリゼはプレゼントを入れている白袋をごそごそと探った。いくつか予備で適当なものを買ってあるのだ。
取り出したのは万年筆だった。
「なにかと書き物が多いでしょうから、長持ちするペンはあった方が良いと思いまして」
「い、いい考えだよ! さ、ヴァリマール。やっぱり郷に降りて――」
「その必要はありません。姫様と殿下、私の側に来てください」
エリゼたちは片手のみに乗り、ヴァリマールの空いたもう片方の指先に万年筆をつまませる。
「では投げちゃって下さい。トヴァルさんの位置はスキャンで把握できますよね?」
『投ゲル?』
「時間もロスしません。それに確実です」
『承知シタ。……承知シテ……イイノカ?』
「いいんです」
エリゼは抗弁を許さぬ口調で断じる。
槍投げのような投擲体勢になったヴァりマールは、ぶんと力強く腕を振り下ろした。
闇を切り裂く一条の光。輝ける流星となった万年筆が天空より飛来し、遊撃士協会ユミル支部の屋根を貫いた。
「届きましたか?」
『ウム』
「当たりましたか?」
『イヤ……枕元ニ刺サッタダケダガ……』
「そうですか、メリークリスマス」
セドリックは震えている。寒さが原因なのかはわからなかった。
●
視界の全てを埋め尽くす星々の瞬きは、帝都の街から見上げる狭い空では決してお目にかかれないものだ。
二人して首を上げたまま固まっているアルフィンとセドリックは、このノルド高原に足を運ぶのは生まれて初めてらしかった。
「……いつまでも見上げていたいけど、今は時間も限られているし、先にお仕事を済ませましょうか」
「……うん、そうだね」
アルフィンが言い、セドリックは視界を正面に戻す。
「エリゼさんはノルドに来たの初めてじゃないんだっけ?」
「ええ、内戦中に兄様たちと訪れています。猟兵に捕まって尋問されたりして大変でした」
「え、そんなことある……?」
「あったんです」
「セドリック? エリゼがされた尋問っていうのはいやらしいタイプのじゃないから。そういう期待をしても」
「わかってるよ! してないよ!」
エリゼたちはすでにノルドの集落の中にいた。いくつか生活用のテントがあって、ガイウスのいる場所の見当もついている。
だが問題が一つ。
「テントの中に僕たちが入ったら、絶対気づかれるよね」
「それはそうよ。なにかこう……風的な概念が私たちの侵入を教えるというか、よくわからないけど、ガイウスさん一家は風の人たちというか」
「そういう雑なくくりはやめましょうよ、姫様……」
あれこれ協議していると、セドリックが提案した。
「馬にプレゼントをつけておいたらどうかな? ガイウスさんだったら朝一番で馬の世話に行くだろうし、そこで本人の手には渡ると思う」
「寝床じゃないのがサンタさんの仕事の流儀に反するけど……でも今回は仕方ないわね。寝ている人を起こしてしまったら本末転倒。その時点でサンタ協会からプロライセンスを剥奪されちゃうもの」
「何回も言いますけど、姫様はプロじゃないです。無資格未経験サンタです」
三人は馬の繋がれている柵まで移動する。
とりあえずセドリックは手近な一頭の馬の首にプレゼントをくくり付けた。
「ガイウスさんへの贈り物はセドリックの用意だったかしら。何を選んだの?」
「絵具だよ。よく使い切らしちゃうって聞いてたからね」
「えー、面白みがないわ。もっと尖ったチョイスはできなかった?」
「気持ちが大切って言ってたくせに……。それにこの絵の具はちょっと高いやつで、筆乗りがいいって評判で!」
「ち、ちょっとお二人とも。あんまり大きな声を出しては馬が興奮して――」
遅かった。
見慣れない人間が複数で目の前で騒げば、当然馬は不穏になる。前足を持ち上げ、暴れ、その拍子に柵に繋いであった留め紐が外れた。
エリゼが必死になだめようとするも効果はなく、プレゼントを首につけたまま馬は脱走。ガイウスのいるテントの中へと突入してしまった。
「な、なぜ馬が!? いかん、逃げろ!」
「あんちゃん! あんちゃーん!」
「トーマ! リリを連れてカラミティホークで空へ飛べ! シーダは俺のところに!」
「僕カラミティホーク使えないよ! というかあれ飛べるんだ!?」
「くそ、先に行く。カラミティィ……ホアアアーッ――ぐああっ……」
絵具をぶちまけながら、なおも猛り狂う暴れ馬。ガイウスの断末魔で、どうやら彼は馬に足蹴にされたとわかった。
ウォーゼル家の騒乱から視線を外し、セドリックとアルフィンは同時に言う。
『……メリークリスマス』
「お二人がそれでいいのなら」
●
翡翠の公都。目立たない街角のベンチに寄り添う影が二つ。
「やはり夜は冷えますね。お体には障りませんか?」
「いや、ずいぶん良くなった。日常生活にはまったく支障もない。……お前のおかげだ」
「よかった」
ユーシスが言うと、ロジーヌは嬉しそうに表情をほころばせた。
「お前こそ寒くはないか?」
「私は大丈夫――いえ、少しだけ寒いかもしれません。あの……もう少し近づいてもいいですか?」
ユーシスは何も言わず、ただ正面を向いたままかすかにうなずく。年相応の少年の顔になって、もしかしたら少し照れているのかもしれなかった。
ロジーヌはたおやかな仕草で、そっと肩を彼に寄せた。
「ミリアムちゃんは?」
「屋敷にいる。この時間なら寝ているだろう。あまりにも頻繁に来るから、最近自室を与えてやってな。毎日、食べて遊んで眠るだけだ」
「ふふ、いいではありませんか。子供は遊ぶのが仕事ですよ」
「あれであいつも学生だ。何度も赤点を取られては困る」
「そう怒らないで下さい。私がミリアムちゃんの勉強を見ますから」
もはや会話が夫婦だった。
しんしんと小雪が舞い、足元を薄い白に染めていく。
「まだ帰らなくていいのか? なんならトリスタまでの馬車を用意するが」
「私……帰った方がいいでしょうか?」
「そうは言ってない。だが夜分だ。俺はお前の心配を――」
「帰りたくありません」
ロジーヌはユーシスの手を包み込むように握った。
「今まで中々会えなかったんですもの。せっかく今日はこうして一緒にいられるのですから……」
「……ロジーヌ」
それ以上の言葉はいらなかった。彼女の白い肌がほのかに紅潮して、二人の距離が近づいて――
「メ、メリークリスマース」
絶望的に間の悪いエリゼの掛け声と共に、シュゴゴゴと轟音を響かせながらヴァリマールがベンチの前に降り立った。
「エ、エリゼか? なぜヴァリマールで……アルフィン殿下にセドリック殿下まで……?」
さすがに混乱するユーシスと、見られていたのかと真っ赤にした顔をうつむけるロジーヌ。
「す、すす、すみません。お二人の姿が見えたので、お邪魔してはいないとスルーしようとしたのですけどっ、ヴァリマールが勝手に降下してしまって……! えっと、今Ⅶ組の先輩方に贈り物を配っていまして、それでそれで……っ!」
しどろもどろの説明をしながら、エリゼはあくせくとプレゼントを取り出した。
「ユーシスさんにはこれです! はい、どうぞ!」
勢いよく押し付けたのは、滋養強壮の栄養ドリンクの詰め合わせだった。
アルフィンとセドリックがエリゼの両肩をつつく。
「このタイミングでそれを渡すと意味が出ちゃうと思うの」
「なんでそれにしたの? こっちのマフラーとかで良かったんじゃないかな?」
「ち、違うんです! 体調が優れないこともあったみたいなので、元気を出してもらおうと! それにマフラーをお渡ししてしまうと、ロジーヌさんがあとで自前のマフラーでユーシスさんと一緒巻きとか考えてたら、計画倒れにしちゃうじゃないですか!」
ロジーヌの頭からぼしゅうと蒸気が昇る。下を向いたまま、自分の後ろにマフラーを隠していた。
「じゃあ私たちはこれで失礼します。がんばって下さい」
「このタイミングでの『がんばって下さい』は、やっぱり意味が出ちゃうと思うのよ」
「あ、ユーシスさん。これ僕が選んだミリアムさんのプレゼントのお菓子詰め合わせです。渡しておいてもらえますか?」
雰囲気を破壊するだけ破壊し尽くして、エリゼたちはバリアハートを急速離脱した。
●
出てこないで。あなたは私が消す。私のタイムリミットが尽きるまでに、必ず――
「ねえ、エリゼ」
最後の目的地への飛行中、アルフィンが小声で聞いてきた。
「エリゼってセドリックにまだちょっと遠慮してるところあるわよね。もっとフランクに接してみたら? 例えばセドリックって呼び捨てにしてみるとか」
「急に何を言い出すかと思えば……できるわけないでしょう。不敬です」
「そんなことないわ。同じⅦ組のクラスメートだし、セドリックもそれを望んでると思うけど」
ちらりとセドリックに目をやる。風の音もあってか、こちらの会話は聞こえていないようだった。
入学当初に比べると、確かに彼との距離はだいぶ縮まった。セドリックはエリゼに対しても、最初はずっと敬語だったのだ。元の性格もあるのだろう。今も丁寧であるものの、幾分砕けた口調にはなっている。
とはいえ自分とアルフィンのような関係というのは、さすがに無理な話だ。
「わたくしのこともあだ名でいいのよ? アルフィンだから……そうね。アルとかアーちゃんとかいいんじゃないかしら」
「それは遠くない未来に誰かと被っちゃう気がするんです」
「エリゼは最近、未来がどうとかいう冗談をよく言うようになったわ」
「そう、でしょうか。……自分では意識していないので」
ぴりっと肌の表面に刺すような痛みが走った。
この感じ。領域に入ったらしい。空気の粘度が濃い。この地方特有の霧が発生しているが、これは霧ではない。アルフィンたちはもちろん、ほとんど人々が気付いていないだろうが。ヴァリマールだけは感知しているはずだが、何も指摘してこないのはあえてか。
霧らしきものを抜けた先にレグラムの町があった。
「ラストはラウラさんね。ここはまたわたくしとエリゼだけで行くから。セドリックは留守番よ」
「言われなくてもそうする」
アルゼイドの屋敷の裏手にヴァリマールは降りた。
エリゼとアルフィンはその裏口から屋内へと進入する。
《光の剣匠》のお膝元。気配を気取られたら一瞬で捕縛だろうが、幸いにもヴィクターも執事のクラウスも起きては来なかった。
ラウラの部屋まで難なく進む。
余計なものの一切ない実用性一点張りの部屋――というイメージを持っていたが、意外にも飾り物が多かった。
「姫様、見て下さい。可愛いみっしぃがいっぱいですよ。ご当地みっしぃ集めてるって、前にラウラさん言っていましたよね」
「え、ええ」
歯切れ悪いアルフィンは、本棚にある料理本の束を見て震えていた。
「寒いんですか?」
「まあ、寒気はするけど……エリゼはラウラさんの手料理を頂いたことは?」
「いいえ、中々タイミングが合わずで」
「………」
しばし黙ったアルフィンは、話題を変えるように、
「ラウラさんへの贈り物は何にしたの? みっしぃのマスコットとか喜んでもらえると思うけれど」
「これです」
プレゼント袋からエリゼが取り出したのは包丁だった。月明かりを反射した刃が鈍い光を放つ。
「アリサさんに続いてラウラさんまで亡き者にしようと……さすがにどうかと思うわ」
「違います! トリスタで売ってるみっしぃグッズなんてもう持ってるでしょうし、料理に使う包丁がよく痛むって聞いていたので!」
「大きい声出しちゃダメだってば」
「姫様のせいです! 変なことばかり言うから」
エリゼは包丁を枕元に近づけていく。
感覚の鋭い人だから、なるべく起こさないようにゆっくりと。
彼女にもいつもお世話になっている。稽古に学業に疲れているのだろう。せめて寝ている時だけはゆっくりと休んで欲しい。
「メリークリスマス。ふふ……よい夢を」
「やっぱり猟奇的……」
屋敷から出たエリゼは、先にアルフィンをヴァリマールの元まで戻らせて、自分は寄るところがあるからと別行動を取っていた。
桟橋の付近まで歩を進めると、霧らしきモノのせいで霞む視界の中に、ランスを掲げる聖女像が現れる。
槍の聖女、リアンヌ・サンドロット。250年前の獅子戦役――《エンド・オブ・ヴァーミリオン》との戦いで命を失ったはずの人。
……面影はある。今さら疑うべくもないが、“本物”なのだと実感した。
「あれ、エリゼじゃん」
振り返ると、霧を晴らすような冴えた赤髪が視界に入る。
シャーリィ・オルランドだ。猟兵団《赤い星座》の大隊長を務め、結社の執行者でもある《紅の戦鬼》
「こんなところで会うなんて奇遇だねえ。オルディスではどーも」
「……なぜあなたがここに」
「なぜって……なんでだっけ。あれ、なんであたし一人でレグラムに来たんだろ。ていうかどこから来たんだろ。エリゼは知ってる?」
「知るわけないでしょう。あとエリゼ、エリゼと少し親しすぎではありませんか」
「あはは、じゃあエリゼさん? エリゼちゃん? エリゼさま? 好きなので呼ぶよ」
「……エリゼでいいです」
「ん、それはさておき、何か見ておきたいものがあった気がするんだよね――って、ああ……あれか」
シャーリィが見る先は桟橋の向こう遠く、ローエングリン城――その跡地だ。風格漂う古城の姿はすでになく、霧とも陽炎ともつかない茫洋とした光が彼方にうっすらと立ち昇っている。
「あの場所で使徒第七柱のお姉さんとやり合ったんだってね。結果だけは聞いてるけど、鋼の聖女の力は実際どうだった? 《テスタ=ロッサ》を使ったんでしょ」
「……まったく歯が立ちませんでしたよ」
「あの戦いの後にあたしはアリアンロードに会ってる。見たことないくらい消耗してたし、何より仮面が割れてた。《銀の騎神》まで召喚されて尚、エリゼがこうして生きているのに“歯が立たなかった”っていうのは理屈が通らない」
「それがあなたに何の関係がありますか?」
「ないね。興味だよ」
「詮索されるのは迷惑です。あなたのせいで、私が《緋の騎神》を有していることをセドリック殿下と姫様にばれてしまうところだったんですよ」
シャーリィは悪びれもなく笑った。
「はいはい、ごめんねっと。で、そのセドリックは元気にしてる? 腕はもう治ったのかな」
「また呼び捨てを……もういいです。日常生活に支障がない程度には回復されています。……これもあなたのせいでしょうに、何を抜け抜けと聞くんですか」
「怒らないでよ。戦いの中と外のことは割り切る性分だからさ」
そうなのだろう。それだけにこの人懐っこさが厄介なのだ。憎み切れないところがある。
シャーリィは踵を返し、聖女像に背を向けた。
「これ以上エリゼを怒らせない内に退散するよ。じゃーね」
「待ってください」
「え、なに? わっ」
エリゼはシャーリィにマフラーを押し付けた。
「プレゼントです」
「びっくりした。どういう風の吹き回し? あ、爆弾でも仕込んだ?」
「失礼な。仕込む時間なんてありませんでしたよ」
「時間があったらやってたとも聞こえるんだけどさ」
シャーリィはマフラーを首に巻いた。
「あは、暖かい」
「今日は人に贈り物をする日だそうです。あなたがプレゼントを受け取るに値する人なのかは判断に迷うところですが」
「でもくれるんでしょ? 大事にするよ、ありがと」
「礼には及びません。どうせ余ったプレゼントですし、いつもあなたは薄着ですし、選んだのは私じゃなくてセドリック殿下ですし、赤い色のマフラーだから、まあ……あなたのカラーにも合うでしょう」
「じゃあこれセドリックからってことなんだ? へっへえ、なんだかんだ言って、やっぱりあたしのこと好きなんじゃん、皇子サマはー」
「どういう思考回路です」
見るべきものは見た。失われた古城の現在を。もうここでやることは残っていない。
エリゼもその場を離れようとして、
「待って」
不意に引き留めたシャーリィが、おもむろに言う。
「来月。帝都がひどいことになるよ。ローエングリン城に起きたことが、ヘイムダルでも起きる。80万人の人間を道連れにして。エリゼにはもうわかってるんでしょ?」
「……なぜあなたもそれを知っているんです」
「そりゃあ《赤い星座》もトリガーの一つを担うからね。この先どうなるかはもちろん把握してる。ローエングリン城と煌魔城の座標置換だ」
「止めようとは思わないのですか? 関係ない人たちの命が一つ残らず消えてしまうかもしれないのに」
「これは報酬の発生する団としての仕事。言ったよね。戦いの中と外のことは割り切る性分だって」
「普通の感性であれば、到底割り切れるものではないでしょう。あなたは私の知る元猟兵の人たちとは違うようです」
「元猟兵と現猟兵を比べるんじゃないよ。そもそもの生き方が違う」
シャーリィは光の柱の方角を見据えた。
「止める方法ならあるにはある。《紅き終焉の魔王》を再顕現させるんだよ。そのこともわかってるはず」
「それは何があってもやりませんよ」
「それはそっちの自由だから」
滅びの力で滅びを回避したとして、それでどうなる。結局、終焉の結末は変わらない。
「あとさ。セドリックは《緋の騎神》の所有者がエリゼだって、もう勘付いてる。《テスタ=ロッサ》の所有権を移すのもありだと思う」
「しません。その方法もありません」
「一つだけある。セドリックを《緋の騎神》の準契約者にすればいい。そしてエリゼが精神、肉体共に“戦えない状態”に陥る。そうすればシステムが働き、セドリックが正式な契約者として繰り上がる。……これもわかってたよね?」
「………」
《緋の騎神》は特殊だ。アルノールを血を引く者しか、契約者にも準契約者にもなれない。自分の近くで言えば、セドリックとアルフィンのみとなる。
だが仮に自分が権限を譲渡したとすれば、暗黒竜の呪いまでも引き継がせてしまうことになる。
たとえ誰が望んだとしても、この力は絶対に自分の外には出さない。
「何をどうするか……選択肢が多過ぎるってのも困りものだよね。ただアリアンロードは今度こそ本気でエリゼを討ちに来る。ローエングリン城の戦いで痛感したと思うけど、全力の《アルグレオン》に対抗するには、《テスタ=ロッサ》の力だけじゃ及ばない。……250年前の再現になるか、楽しみにさせてもらうから。ま、せいぜい考えたらいいよ」
「どうして私にアドバイス染みたことを?」
「マフラーのお礼かな。セドリックにもありがとうって言っといて。それと早く魔導剣を使いこなしなよって」
シャーリィは止めていた足を動かした。白い霧の中へ、赤い後ろ姿が溶けていく。
●
「終わった~」
セドリックが心底の嘆息を吐いた。
地平にのぞき始めた太陽が、長かった夜の終わりを告げている。
「夜明けまでに間に合ってよかったわ。あとはトリスタに帰るだけね」
「やっぱりこのまま飛んで帰るの? もう空間転移使ってもいいんじゃないかな?」
「いけません、殿下。ヴァリマールの大切な霊力ですから。がんばりましょう」
ヴァリマールの手のひらに乗って、三人はぐったりと疲れた体を互いに預け合う。
ああ、眠い。でもこれで終わり、これで――。
エリゼはふと首をかしげた。
「あの……いまさらなんですけど、フィーさんとエマさんのプレゼントは?」
「あっ」
セドリックは言われて気づいたらしく、しかしアルフィンは落ち着いた様子でかぶりを振った。
「エマさんの実家って一般人は普通には入れないそうよ。フィーさんもどこにいるかわからないし。でもお二人のプレゼントはちゃんと用意してあるから、あとでお部屋の中にでも入れておきましょう」
「そうでしたか。ちなみに何を選んだんです?」
「フィーさんには子猫柄のマグカップ。エマさんには文芸部の新顧問が書き下ろして下さった自筆小説よ。どちらも絶対喜ぶわ。特に小説なんて非売品の一点ものだから、わたくしが欲しいくらいなのよ」
確かに二人の趣味には合っていそうだ。外すことはないだろう。
いや、待て。重大な事実に気づいてしまった。
「わ、私……兄様のプレゼントを用意してません!」
「うふふ、だいじょうぶ。わたくしが購入しておいたものを、出発前にリィンさんのお部屋に置いてきたから」
「ずるいですよ、姫様! 抜け駆けです! いったい何をプレゼントしたんですか!?」
「メガネよ、メガネ。ほら、リィンさんって何かとマスコミに追われるじゃない。だから変装用として」
「い、意外にまともなものをチョイスしたんですね」
「メガネか媚薬かで迷ったけれど」
「姫様?」
「何も言ってないわ。……さて、そろそろいいかしら」
アルフィンは小さな袋を二つ取り出した。どちらも綺麗にラッピングされている。
一つはセドリックへ、もう一つはエリゼへ手渡す。
「これはわたくしから大切なⅦ組の仲間へのプレゼント。今日は夜通し付き合ってくれてありがとう。いつも感謝しているわ」
セドリックの袋にはレザーグローブが入っていた。
「《フレスヴェルグ》を解放する度に凍傷になってたら腕がもたないでしょ。そのグローブは薄手だけど断熱性が高いから、魔導剣を使う時に役立つと思うの」
「アルフィン……ありがとう」
さっそくセドリックはグローブをはめている。デザインも恰好が良く、早くも気に入ったようだ。
エリゼも袋を開けようとして、しかしアルフィンが止めてきた。
「あー、エリゼ。ここでは開けない方がいいと思う」
「どうしてですか?」
「それランジェリーなの。大人の攻めた形の」
「セドリック殿下の前で何を渡してるんですかっ! ……あら? なんだか硬い感触が……」
「あ、ダメだってば。布面積が、布面積がないのよ」
訝しげに、それでもエリゼは袋を開く。
中から出てきたのはシックなデザインのメガネだった。
「姫様。もしかしてこれ、兄様に贈るはずだったメガネでは……」
「……本当ね。入れ間違っちゃったみたい。そうなると本来のエリゼへのプレゼントはどこに行ったかって話になるのだけど」
五秒の沈黙。
「十中八九、リィンさんのところだと思うわ」
「で、でも誰のかわからなければ、私へのダメージはありませんから」
「“エリゼ・シュバルツァー”って名前を刺繍してもらったの」
「冗談で?」
「本当の」
五秒の沈黙。
「空間転移を使います」
「え? でも霊力を大量に消費するから使わない方がいいって、何度もエリゼが言って――」
「使います。兄様の朝は早いから、もう起きる頃です。ヴァリマールも聞こえていましたよね。お願いします」
しかしヴァリマールは承諾しなかった。
『残念ダガ、ソレハ受ケカネル。戦闘用ノ霊力程度ハ残シテオカネバナラナイノダ。何ヨリ私ニ霊力使用ノ命令ヲ出セルノハ、起動者デアルりぃんダケダ。古ヨリ伝ワリシ盟約ヲ破ル事ナド何ガアッテモデキナイ。騎神トイウ存在ヲ見クビラナイデ欲シイモノダ』
「早く転移しないと体内から燃やしますよ」
『空間転移スタンバイ。カウントダウン、ファイブセカンズ』
5、4、3、2、1と速やかに読み上げ、ヴァリマールが霊力の輝きに包まれる。
光を抜けると、そこはすでにトリスタ――第三学生寮の目の前だった。
ヴァリマールが膝をつくよりも早く、エリゼは手のひらから飛び降り、寮の中へと駆け込んでいく。ラウンジを抜けて、二階へ全力ダッシュ。
リィンの部屋に突撃する。
「兄様っ! 何も聞かずに袋を渡して下さい!」
「エ、エリゼ!? お前、これは……!」
リィンはすでにそれを手にしていた。エリゼ・シュバルツァーと刺繍された黒のレースのすけすけの面積のやたらと少ないシルク製のそれを。
「メリークリスマスーッ!!」
「な、なんだってぐああああ!?」
列車砲で撃ち出されたがごとき勢いのフライングクロスチョップが、リィンの首に十字の刻印を刻んだ。
瞬間、空間が歪曲した。ひずみ、ゆがみ、視界に映る全てが渦を巻いて収縮していく。
黒か白かも判然としない時空の裂け目へと、エリゼの意識は吸い込まれていった。
………
――二度会うのは何かの縁でしょう。よければ私と友人になって頂けませんか? 優しいあなたが好きになりました。私の名は――リアンヌと申します。
――ドライケルスの守った帝都を守るために、《紅き終焉の魔王》を宿すあなたを生かしてはおけない。私の名はアリアンロード。《身喰らう蛇》の使徒です。
――セドリック皇子かアルフィン皇女、どちらかを犠牲にしなさい。あなたが選びなさい。選べないのなら、選ばないのなら、このまま帝都は消えます。
わかっているつもりでした。私の望む未来に、私がいないことは。
兄様、クロウさん、灰と蒼の力をもらい受けます。
たとえ世界の敵になってもいい。大切な人たちを守るために、黒き竜の呪いを今一度――
『よみがえりなさい、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》』
………
「――リゼ、エリゼ!」
名前を呼ばれて、のろのろと体を起こす。
第三学生寮の自室。ベッドの上だった。開けた視界にアルフィンの顔が映っている。
「姫様……?」
「いつまで寝ているの! 早く起きて! このままだと列車の出発時間に遅れちゃうわ!」
「あれ、サンタさんは? クリスマスは……」
「クリスマス……? なにそれは? 寝ぼけているの?」
「え、だって姫様が」
「いいから早く着替えて。スカーレットさんとリィンさんはもう駅に行ってるのよ」
「今……何月何日ですか?」
「本当に大丈夫? 今日は4月27日。私たちの初めての特別実習で、ルーレに行く日でしょう」
そうだ。そうだった。私は今まで何をしていたのだろう。夢……夢を見ていた。
荷物の用意は昨日の内に済ませている。万全のコンディションで実習に赴くために早く眠ったはずなのに、まさか寝過ごしてしまうだなんて。
徐々に戻りつつある思考が、現状を認識させた。
アルフィンの手も借りながら、素早く身支度を整え、早足で一階のラウンジへ。
そこでセドリックが待っていた。
「申し訳ありません、セドリック殿下。殿下をお待たせしてしまうなんて……」
「大丈夫ですよ、エリゼさん。体調が優れないのですか?」
「いえ、そういうわけでは」
違和感があった。セドリック殿下は私にここまで丁寧な言葉遣いだっただろうか。いや、丁寧は丁寧だけど、さっきはもっと砕けた雰囲気だったような。さっき? さっきとはいつだ?
「ところでアルフィン。僕のカバンが妙に重たい気がするんだけど、レジェネンコフが見当たらない事と関係あったりする?」
「早く行きましょう。スカーレットさん――もといスカーレット教官が怒るとすごく怖いんだから」
「なんで答えないの、ちょっと」
先を行く二人を何気なく視界に入れる。不意に振り返ったアルフィンが、不思議そうに聞いてきた。
「どうしてわたくし達を見て泣いているの?」
「え?」
自分の指で触れて、初めて気づいた。ひとしずくの涙が頬を伝っている。
「なんででしょう。わかりません。変ですよね」
「あくびでもしたのね。淑女のエリゼにしては珍しいわ」
「もう、エリゼさんに失礼だよ」
理由のわからない涙をぬぐい、動きやすい運動靴に履き替え、外出準備は完了。
玄関までクレアが見送りに来てくれた。
『行ってきます』
元気よく声を重ね、三人は扉を開いた。
――夢にて夢みて ふぃふす FIN――
お久しぶりです。
夏真っ盛り。季節外れのメリークリスマスですね。元々は今年の12/24にアップしようと思っていたのですが、考えるとさすがに遠すぎることに気づきました。
久々の《夢にて夢みて》で楽しんで書いていました。
後続のしっくす、せぶんすもほぼ書き終えているので、《創の軌跡》発売記念にその内に更新するかと思います。
それにしてもベリルが軌跡でポンを担当するなんて……出世できて良かったねえ。紹介されてた問題がコア過ぎて、全問正解する自信はないけれど。
またお楽しみ頂ければ幸いです!