虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第21話 休息日アナザー ~レグラムズ

 

 湖畔の町、レグラム。

 アルゼイド子爵が治めるこの地域は、内戦の中にあっても中立地帯とされている。

 厳密にそのような規定はないのだが、その主張がまかり通っているのは『光の剣匠』の名があってこそだろう。

「せいやあ!」

「はあっ!」

 威勢のいい掛け声が響くのは、アルゼイド流の練武場からだった。

 門下生たちが各々の武器を手に、修練に汗を流している。向かい合って剣を振る者。巻き(わら)を槍で突く者。鏡前で型の確認をする者。様々だ。

 有事こそ平時のごとくあれ。

 武を学び、心を鍛えるならば、持って然りの気構えである。

 師範たる子爵が不在であろうとも――否、不在だからこそ、より気を入れて町の人々の身を守る責務があるのだ。

 この場にいる門下生たちは、一人一人がそのことを自覚していた。

「午前の稽古はここまで!」

 声を張り上げ、号令をかけたのはガヴェリである。彼は門下生の中では一番古い、いわゆる兄弟子にあたり、皆のまとめ役となることが多かった。

 他の門下生たちが彼の元に集まり、午後からの簡単な打ち合わせを行う。

「――では、私とフリッツは町の見回りを行う。アレスとダットは街道側に出て、導力灯のチェックを頼む」

 端的に指示を出し、役回りを決めていく。この情勢下では自警団としての意味合いも強い。事実、彼らが町に控えていることは、人々にとって何よりの支えだ。

 あらかた決まった頃合いで、

「……まもなくだ」

 ガヴェリがぼそりとつぶやき、追随するように他の三人がうなずく。

 今し方決めた予定を遂行する為に、彼らには越えなくてはならない試練があった。それは連日続く試練で、実に遺憾なことだが――何人かは乗り越えられなかった。

 正午を告げる鐘の音が鳴る。全員の表情に緊張が走った。

 がちゃ、と練武場の入口が開く音。足音が近付いてくる。一様に生唾を飲み下す。

「皆、午前の稽古に精を出したようだな。疲れたであろう」

 現れたのは領主令嬢、ラウラ・S・アルゼイドだった。一礼する門下生たちに彼女は言う。

「最近、稽古に顔も出せず済まない。ガヴェリたちに任せきりになってしまっているな」

「何を仰るのです。子爵閣下の代わりを務められているお嬢様のご多忙は、我々の比ではありますまい。どうか気兼ねなく、ご自身の成すべきを果たされますよう」

「痛み入る言葉だ。そなたたちに感謝を」

 ガヴェリたちはもう気付いていた。ラウラが手に持っているものに。白い布の被せられた丸いトレイ。

 おそらくはこちらから声をかけねばならないのだろう。

「……して、お嬢様。それはなんですかな?」

 ラウラの顔が明るくなる。

「うむ、気付かれてしまったか。実は今日も皆の為に昼食を用意してきたのだ。大したものではないが、よかったら食べて欲しい」

 白布が取り払われる。トレイの上に乗っていたのは、おにぎりだった。

「お、おお……これは光栄ですな。しかし、お嬢様は何かとお忙しい身。我々の為に毎日時間を割いてお作り頂くなど、何とも申し訳ないのですが。そうだろう、皆?」

 ガヴェリが同意を求めると、アレス、ダット、フリッツは機械のように動きをそろえて、首を縦に振り続けた。

「今さら遠慮せずともよい。今回も趣向を凝らしたのだ。さあ、好きなものを取るがいい」

「し、趣向ですと……?」

 これなのだ。彼女は毎回、自作の料理に趣向と称したオリジナルアレンジを加える。

 昨日はパスタに緑色のソースがかかっていて、食した数人が、きっかり十分後に石化した。

 一昨日はリゾットの中に動き回る何か(詳細不明)がいて、意を決して食べた数人が、もれなく意味の分からない言語を発しながら、どこかへと走り去っていった。

 三日前などはグラタンのチーズが――いや、もうよそう。

 そういえばここ数日、クラウス師範代の姿を見ていない。聞いた話では彼も自分たちと同様に、お嬢様の手作り料理を食べていたという。嫌な予感しかしない。

「どうした? 午後からも町の為に動いてくれるのだろう。しっかり鋭気を養ってくれ」

「ガヴェリさん……」

 同士たちが目を向けてくる。分かっている。退路などありはしない。これぞ常在戦場というやつだ。

 ガヴェリは精悍に笑ってみせた。

「頂きましょう。さあ、皆もお嬢様のご厚意に甘えようではないか」

「お、おおッス」

「はは……私は幸せ者だなあ……」

 虚ろな目をしながら、順々におにぎりを手にしていく。

 形状は――まあ、いたって普通だ。しかし、異様なオーラがおにぎりから立ち昇っているように感じるのは、果たして気のせいだろうか。

 ああ、趣向とはなんなのだ。一体どのような趣きを加えられたのだ。

 目配せし合って、全員一緒に一口。

 あわよくば一気に喉の奥へと押し通したかったが、米のかたまりを噛まずにはさすがに無理だった。ガヴェリは覚悟を決めて噛みしめる。

 味は……普通だ。具はおそらく焼き魚の切り身。

 なんと、食べられるではないか。

「こ、これはうまいですぞ!」

「まったく、大げさであろう。しかし量だけは作ってきたつもりだ。しっかりと食べてくれ」

 ちょっと照れたようにラウラは苦笑する。安心する傍ら、ふとガヴェリは気になった。

「はて……そういえば趣向とは?」

「うん。せっかくなので色々と具を工夫したのだ。一つずつ味が違うから、それも楽しんで欲しい」

「ほう。それは面白いですな」

 これが趣向とは、何ともお可愛らしい。これなら何個でも食べてみせよう。

 アレスたちに振り向く。彼らも安堵の表情で、おにぎりを頬張っていた。いや、一人だけ様子がおかしい者がいる。

「ん? ダット、どうした」

 食べるペースがあからさまに落ちていた。まだ一つ目のはずなのだが。

「いや、なんでもないッス。ただ何だか食べづらいというか……」

 ぱくりとかぶりつくが、口をおにぎりからスカっと外して、何もない空間を必死に食べようとしている。

 一体どうしたと言うのだ。ガヴェリが彼の顔を注意深く見ると、

「ダ、ダット……!?」

 左右の眼球が、それぞれ見当違いの方向を向いている。焦点が合っていないなどというレベルではない。なんの状態異常だ。

 ダットの手にある食べかけのおにぎりに視線を移す。黒っぽいうねうねしたものが見えた。うねうねとはこれいかに。

「お、お嬢様。具材にはどのようなものをお入れになったので?」

「ふむ? 色々だが――肉、魚、野菜、あとは厨房にあったよく分からない物を混ぜ合わせてだな――」

 なぜよく分からないものを使ったのです。分からない物と分からない物を足して、より分からない物が誕生しているではないですか。

 これは単純に運だった。自分はアタリを引いて、ダットはハズレを引いたのだ。

 だがこれで終わったわけではない。

 トレイの上にはまだまだ大量のおにぎりが残っている。

「さあ、好きなだけ食べるがいい」

 清々しいくらいに眩しい、お嬢様の笑顔。誇り高きアルゼイド流の門下生が、これをどうして断れよう。

「はは、は……これはいくらでも食べられますなあ……本当に」

 午後からの予定は変更が必要だ。

 白き煉獄ルーレットに震える手を伸ばしながら、ガヴェリはそんなことを思った。

 

 ● ● ●

 

 

《カサギン男道②》

 

 ため息が霧の中に溶けていく。もう何回目だろうか。

 心が晴れない。この霧と同じだ。まとわりつく白濁が、不安だけを(あお)っていく。

「なにやってるのかな、俺」

 槍の聖女の銅像前に立ち尽くし、カスパルはそんなことをぼやいていた。

 西部でも戦闘は激化していると聞く。家族は無事だろうか。今や安否を知るすべもない。

 偶然にもこの町で、同じく学院を離れてきたラウラと再会した。その時まですっかり忘れていたが、彼女はここレグラムを治めるアルゼイド子爵の令嬢だったのだ。ちなみに同じ水泳部の部員同士。

 その縁もあって、ラウラは何かとカスパルに便宜をはかってくれた。おかげで宿にも困らないし、安全に毎日を過ごせている。

 他に学院を出た学生も多くいるとは思うが、その中でも自分は幸運な方なのだろう。

 だが同時にこうも思う。

 これでいいのか、と。

 レグラムにたどり着いて早一か月。カスパルの心に引っ掛かったままなのは、クレインのことだった。

 水泳部の部長。面倒見のいい兄貴肌。目標にしている憧れの人。入部以来、世話をかけっぱなしだ。

 トリスタが襲撃されたあの日。彼は身を挺して自分を逃がしてくれた。あの後、クレインがどうなったのかは分からない。

 悔いていた。街道を走って逃げる途中も、ずっと。その場に残って、彼と戦う選択をできなかった自分を。

 強くなりたい。せめてその背を支えられるぐらいには。

「アルゼイド流は教えてもらえないし……」

 実は一度、戦い方を指導してもらえないか、門下生の人に頼んでみたことがある。

 結果はダメ。流派に入っていない者に、技術は教えられないそうだ。子爵閣下が不在の現状では、新たに門下生を取る勝手などもできない、とも。

「はあ……」

 またため息。

 近くで三人組の子供たちが駆けまわっている。人の気も知らないで、呑気なもんだよな。

 もやもやしたものを胸に抱えながら、カスパルは空を仰いだ。曇天。鉛色の空。余計に気がめいる。

「あとでヴィヴィの様子でも見に行こうかな」

 気の落ち込み具合で言えば、彼女の方が重傷かもしれない。学院裏の雑木林で出会って成り行きで一緒に逃げてきたのだが、ヴィヴィははぐれてしまった姉――リンデのことが頭から離れないようで、連日教会でお祈りをしている。

 普段が快活なやつなだけに、そういう姿を見てしまうと余計に心配になる。もう正午を過ぎた頃だし、昼食に連れ出してみるのもいいかもしれない。

 その場から足を動かそうとした時、

「っておい! ニコ!?」

 焦ったような声が耳に届く。先ほどの子供たちだ。声のした方向――船着き場の先に目をやると、ばしゃんと水しぶきが上がるところだった。

「え? ええ!?」

 バランスを崩した一人が端から落ちたのだ。一番年下に見える男の子だ。一緒に遊んでいた二人が手を差し出すが微妙に届いていない。

 今日は風が強くて、エベル湖に波が出ていた。みるみる内にニコが遠ざかっていく。

 これはまずい。助けないと……!

「ニコ、手を伸ばせ!」

「だ、誰か来て!」

 慌てる二人。

 急いで向かうカスパルだったが、それよりも早く大人たちが駆け付けた。アルゼイド流の門下生が二名。いつもこの時間は町中や外の見回りをしている。たまたま近くにいたのだろう。これなら何とかなる。

「ガヴェリさん、行きましょう!」

「うむ、フリッツも続いてくれ」

 ガヴェリとフリッツ。その二人が船着き場を走るが、どうにも動きが鈍い。すでに息切れしているし、額にはあぶら汗がびっしりだし、何より瞳が淀んでいる。気力だけでなんとか立っている感じだ。

 湖に飛び込んでニコに近付こうとするが、ほとんど距離が縮まっていない。下手をしたら彼らの方が先に沈みそうだ。何があってあんなに半死半生なんだ。

 喘ぎ喘ぎ苦しそうにしながら、ニコは必死で水面に顔を出していた。もう見ていられない。

「くそっ!」

 カスパルは走った。走りながら服を脱ぎ捨て、勢いよく水中に飛び込む。

 水の感覚が全身を包んだ。久しぶりだが、勘は鈍っていない。水の冷たさなんて気にならない。むしろ心地いいぐらいだ。

 足が水を蹴る。肩を支点に回る腕が、しなやかに波をかき分ける。体に染み込んだ動作だった。

「おい、君!?」

「君まで波にさらわれたらどうする! ここは私たちに任せるんだ」

 カスパルに気付いたガヴェリたちが引き返すように言ってくる。

「俺ならやれます!」

 毎日泳ぎ続けてきた。あんまり見くびってもらっては困る。この程度の波なんて大したことない。

 水泳部がここで本領を発揮できなくてどうするんだ。

 あっという間に先行する二人を追い抜かして、カスパルはニコまでたどり着いた。

「もう大丈夫だからな」

 小柄な体を脇に抱えて、すぐさま岸に戻る。幸いにも水はほとんど飲んでいないようだった。

 桟橋に上がったところで、ニコが言う。

「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう」

「おう、次からは遊ぶ場所も考えろよ」

 ちょっとだけクレインの口調を真似て、カスパルは笑ってやった。少しはあの背中に近付けただろうか。

 遊んでいた二人――ユリアンとカルノーが飛んでくる。心底安堵した様子だった。

 彼らにも注意すべきかとも思ったが、それはやめておいた。どうせ後で大人たちからこってり絞られるだろう。水場の近くでは子供だけで遊ばないように言われているらしいし。

 何より自分も疲れてしまった。

 緊張が解けた体を、大の字にして横たえる。

 遅れて船着き場に上がってきたガヴェリたちが、カスパルのそばにやってきた。

「君、前に練武場にも来てくれたな。確かカスパルといったか」

「あ、はい」

 慌てて上半身を起こす。

「助かった。君のおかげだ。たゆまぬ修練で得たのだろう、見事な泳法だった」

「いえ、俺これくらいしかできないし。でも役に立ってよかったです」

 フリッツがガヴェリを一瞥した。ガヴェリはうなずくと、かがみ込んでカスパルと目を合わせる。

「私たちも人手不足だ。今日のような事もある。これから君にも町の見回りを手伝って欲しいのだが、どうだろうか」

「お、俺が?」

「それと、いつでも練武場に来てかまわない。やはりアルゼイド流は教えられないが、武器防具の手入れや目利きなどは教えてもいい。役立つことは多いと思う」

「い、いいんですか」

「勇敢な少年に対する、ささやかな礼のつもりだ。では」

 ガヴェリは立ち上がると、子供たちの元へと歩いていく。その後にフリッツも続いた。お説教タイムの始まりだ。

「……ははっ」

 思い切り泳いだからだろうか。なんだか気分がいい。やれることも見つかったし、足を止めているのもそろそろ終わりにしよう。

 景気よく両頬に喝を入れ、元気いっぱいにカスパルは跳ね起きた。

 

 

 

《ピンキートラップ②》

 

 両手を組み合わせて、一心に祈る。祈り続ける。

 何を? 決まっている。姉――リンデのことだ。

 無事だろうか。絶対に無事だ。でも万が一のことがあったら? いや、考えたくない。今どこにいるの、お姉ちゃん。

 その思考ばかりがループしていた。ヴィヴィは瞳を開き、少し上を見る。視界に映るのは、色鮮やかなステンドグラスに描かれた女神の姿。

 組んだ手を解き、ふと周りを見回してみる。誰もいなかった。教区長もシスターもだ。

 体調不良者が続出したから、練武場を見に行ってくると二人で話していた気がする。お祈りに集中していたので、おぼろげにしか覚えていないが。

 体調不良者? 練武場なら普通はけが人とかじゃないの? どうでもいいけど。

 ちなみにレグラム礼拝堂のハミルカル教区長は、奔放な態度と言動が印象的だ。

 お祈りの後のお話も『女神はそんなことを仰ってるらしいぜ』とか『まあ、そんな感じで解釈しといてくれ』など、かなり適当だったりする。

 そんなハミルカルを横から小突くのが、彼とは正反対の気質のシスター・セラミスだった。正反対というか、教会勤めである以上、それが当たり前なのかもしれないが。

 ただハミルカルも怠惰というわけではなく、来訪者の相談ごとにはしっかり応対している。気だるそうにはしているが、割と面倒見は良いらしい。

 そういえば、自分にも何かと声をかけてくれていた。

「………」

 このままじゃダメだって分かってる。祈ってるだけじゃ、何も変わらない。自分らしくないとも思う。

 でも何もできない。体を動かそうにも、まず心が動かない。つまり意欲が湧かない。

 本当に、私らしくない。というか私らしいって何だっけ。

「ヴィヴィ、いるか!」

 礼拝堂の扉が開いて、カスパルが駆け込んでくる。なぜかずぶ濡れで、ポタポタと水を滴らせながら。

「どうしたの、その恰好? びしょびしょじゃない」

「え、ああ。着替える間も惜しくってさ。聞いてくれよ、アルゼイド流の人たちと一緒に、見回りに参加させてもらえることになったんだ!」

 嬉々とした表情のカスパル。彼も落ち込んでいたはずだけど、それはもう払拭されたみたいだ。

「そうなんだ。良かったじゃない」

「武器の整備なんかも教えてくれるって言うし。明日からがんばらなきゃな」

 カスパルは気遣わしげに続けた。

「その、なんつーか。ヴィヴィも元気出せよ」

「うん……ありがと」

 カスパルはやることを見つけた。そっか。そうなんだ。私は――私も何かやってみようかな。

 ふとそんな事を思い、ヴィヴィは考える。

 まずは手軽に出来て、楽しい事がいい。気分が変わるかもしれないし。思いつくことは一つしかないけど。

「いやー、状態異常のオンパレードだったな」

「でも原因は分かりませんでしたね。門下生の皆さん、何も仰いませんし……」

 ハミルカル教区長とシスター・セラミスが戻ってきた。タイミングばっちり。

「きゃああああああっ!」

 いきなり悲鳴を上げるヴィヴィ。ぎょっとして駆け寄ってくるハミルカルとセラミス。突然のことに戸惑うカスパル。

「ヴ、ヴィヴィさん、どうしたのです?」

「か、彼が、彼が……」

 震える指で、カスパルを指し示す。

「へ、俺?」

「いきなり現れたカスパルが、それはもう筆舌に尽くしがたい卑猥かつ卑劣、加えて愚劣な行為を私に強要してきたんです」

「は、はあっ!?」

「嫌がってるのに『俺の上腕二頭筋やべえだろ?』とか『大胸筋がうずくぜえ』とか、意味不明のマッスルトークを語っては拒絶する私の反応を楽しんで! 最後には『ビバ胸鎖乳突筋!』とかコアな筋肉名称を下卑た表情で舌なめずりしながら高らかに宣言して……もういやあ!」

 涙目プラス涙声。シスター・セラミスの表情が真っ青になっていく。

「神聖な礼拝堂で何という狼藉を……!」

「い、いや、俺はそんなことしてない!」

「それだけじゃないんです!」

 カスパルの抗弁をかき消すようにして、ヴィヴィは声を荒げた。

「見て下さい。このずぶ濡れの姿を! 完全にハッスルしたカサギンじゃないですか。何だかよく分からないけど、卑猥です卑猥! 黒い欲望全っ開! そうでしょう、教区長!?」

「ああ。マッスルの上にハッスルするなんざ正気の沙汰じゃねえ。セラミス、聖水持ってこい、聖水!」

「はい! 邪悪なるカサギンに浄化の光を!」

 セラミスは急ぎ足で教具保管庫に向かった。

「なんなんだ! 俺が何したんだよお!」

「弾け過ぎた若さは時として罪になると教えてやる!」

「意味が分からない!」

 逃げ回るカスパル。追い回すハミルカル。二人は教会の外に出ていった。

「ふう……」

 誰もいなくなった礼拝堂。ヴィヴィの嘆息が空気を揺らす。

 久々にいたずらをやってみたけど――

「うーん、あんまり気分は変わらないかな」

 遠くからカサギンの悲鳴が聞こえた。さして構いもせずヴィヴィはもう一度手を組んで、お祈りを再開する。

 お姉ちゃん、どうか無事でいてね。

 

 ● ● ●

 

 すう、と息を吸って、軽く止める。

 感覚が拡がって、周囲の音がだんだんと明瞭に聞こえてきた。

 木々のざわめき。湖畔のさざ波。さあ、私にあなたたちの声を聞かせて。

 薄い光が体を包む。

 自然からもたらされる情報を受け取り、彼女は閉ざしていた瞳を開いた。

「……やっぱり、何かが歪んでいる」

 淀んでいる、と言えるかもしれない。いずれにせよ、普通ではない。

 アルゼイドの屋敷。そのバルコニーから、エマはローエングリン城を見据えていた。霧が濃いせいで、はっきりと視認できているわけではないが。

 帝国の内戦開始とほぼ同時に発生した、一か月以上も続く霧。これは自然現象ではない。とはいえ原因まで掴むこともできなかった。

 いくつかの気配が混ざりあって、感知の邪魔をしている。だがおおよその方角は大体分かった。それがあのローエングリン城だ。かつて槍の聖女――リアンヌ・サンドロットが《鉄騎隊》と共に、本拠地にしたとされる古城。

 どうやら不穏な力が、あの場所に渦巻いているようだ。

「ラウラさんにも伝えないと。……早い内に調査した方がいい気がする」

 自分一人でローエングリン城に入るのはさすがに危険だ。忙しい身なのは承知だが、彼女の手も借りた方がいいだろう。

「昼過ぎ……この時間なら練武場かしら」

 バルコニーを後にして、エマはラウラを探すことにした。

 

 屋敷を出て、練武場へと続く階段を下る途中、エマは門下生たちから聞いた話を思い出していた。

 最近、稽古中に何者かの視線を感じることがあるという。さらに『大いなるマスターが――』とか『アルゼイド流は傍流で――』などとぼそぼそ呟く声も聞こえてくるらしい。

 何かしらの確執を持つ者かもしれないが、門下生たちに心当たりは全くないとのことだ。

 だがこの数日確かに感じる、いくつかの奇妙な気配。明らかに一般人とは一線を画す“何か”。それこそが自分の感覚を乱す要因の一つに他ならない。

 霧の異変と合わせて、調べるべきかもしれない。全ての事象が単独で成り立っているという保証はないのだから。

 そんなことを考えながら、練武場の入口まで歩を進めた時、例の気配を感じた。

 エマのそれはリィンやガイウスが扱える気配察知とはまた別物なのだが、知覚の鋭さで言えば二人にも決して引けを取らない。

 その感覚が告げている。練武場の裏に何者かが潜んでいると。

「………」

 どうする。人を呼ぶか。しかし、その間に逃げてしまうかもしれない。

 最悪、取り押さえることはできなくてもいい。正体さえ見極められれば警戒と対策は取れる。

 幸い魔導杖は手にしていた。

 意を決して、エマは一人建物の裏側へと回る。

 落ちている木の枝を踏まないように注意を払いながら、一歩一歩、壁伝いに慎重に歩いていく。

 一つ目の角の前で立ち止まり、そっと先の様子をうかがった。誰もいない。もう一つ向こうの角だろうか。気配はまだ消えていない。確実に誰かがいる。

 我知らず魔導杖を握りしめ、エマはさらに進む。二つ目の角の前で止まって、呼吸を整えた。

 気配が濃くなっている。この先で間違いない。

(……そうだわ)

 小さな手鏡を取り出し、すっと角から出す。こうやって反射させて見れば、先に相手に見つかる可能性が低くなる。

 鏡面の角度を調節しながら、まずは壁際の風景を映してみた。――いた。

 黒っぽいスーツ。シルエットは男性のものだ。次に顔を確認しようと、鏡をななめに傾ける。

「っ……!?」

 思わず鏡を取り落としそうになった。

 そこに映り込んだ人物に見覚えがあったからだ。鼻下で整えられた灰色の口髭。緩んだ口元で練武場をのぞき込む初老の男性。

 なぜ彼がここにいる。いや、そういえばいくつかの気配の一つはどこか覚えのあるものだった。

 ああ、どうして気付かなかったんだろう。これ以上ない“歪み”だというのに。というか、わざわざレグラムまでやってきて、あなたは何をしているんですか。

「ガイラーさんっ!」

 取り押さえはまず無理だ。説得の効果など皆無確定。戦闘不能に追い込む? それこそ不可能だ。

 対応を決めきれないままエマは飛び出したが、そこに彼の姿はなかった。

「あ、あれ。今確かに――」

「久しぶりだね」

 背後から声がした。自分の天敵とも言える、あのしわがれた声。いつの間に回り込まれたのか。

 ぞっと走った悪寒をこらえて、エマは振り返らないまま、余裕を装った態度で応じた。

「ええ、ガイラーさんもご無事で何よりです。どうしてここに?」

「トリスタを出た学生たちが気がかりでね。せめて安否だけでも確認しようと各地を回っているのだよ。お節介な老婆心とでも言おうかな」

「そうですか。だとしても練武場は関係ないと思いますが」

「ふふ……」

 きっと目的は門下生たちだ。屈強な彼らが汗を流す稽古風景は、この狂い咲きの用務員にとっては桃源郷に他ならない。

 風光明媚な町の佇まいには目もくれず、この場所まで直行してきたのだろう。

「エマ君――いや、あえてこう呼ぼうか。紅のグラマラスと」

「あ、あえて呼ばなくてもいいですから!」

 グラマーとグラスを合わせた言葉で、ドロテ部長から付けられた赤面必死のエマのペンネームだ。

「君がここに滞在している理由は分かっているよ」

「な、何がでしょう?」

「隠さなくてもいい。彼らの飛び散る汗、威勢のいい掛け声、稽古後の清々しい語らい。君もそれらにインスピレーションを受けながら、次なる作品を熟考しているのだろう」

「してません!」

「実にいいね」

「聞いてますか!?」

 たまらずに振り返る。しかし彼の姿はまた消えている。すぐそこにいたはずなのに。 

 どこからか嗤い声がした。全方位から響いているみたいで、場所が特定できない。

「あなたは何を――」

 違う。この聞き方ではいけない。どうとでもはぐらかされてしまう。ならば。

 ついにエマはそれを問う。

「――あなたの最終目的はなんですか」

 神出鬼没の用務員。一見して読めない行動と言動を繰り返すが、彼は何かを画策している。灰色の瞳が見据える果てには、一体何が映っているのか。

 それは私にアレな小説を描かせるだとか、若い男の子たちをアレでコレするだとか、そういうものとは別次元の大きな目的があるような気がしてならない。

 ガイラーの声だけが響く。

「君は聡明だ。それはいずれ知ることになろう。いや、エマ君には知ってもらわねばならない。なぜならば君こそが計画の中枢を担うのだからね」

「け、計画……?」

「今はまだその時ではない。近い内にまた会おう」

 それだけを言い残すと、ガイラーの気配は遠退いていった。

 緊張の糸が切れ、エマの手から魔導杖が落ちる。

 計画ってなんですか。また怪しいことを企んでいるんですか。というか私が中枢って。知らない内に何かに巻き込まないで下さい。

「うう……」

 脱力してその場にへたり込む。

「エマ、どうしたのだ」

「あ、ラウラさん……どうしてここに?」

 ラウラが駆け寄ってきた。生気の消えかかった瞳で、彼女を見上げる。

「昼食を届けに練武場まで足を運んだのだが、裏から人の話し声が聞こえてな。それで様子を見にきたのだ。何かあったのか?」

「……なんでもありません。あ、いえ。ローエングリン城から妙な力の動きを感じたんです。明日にでも調査に同行して頂きたいのですが」

「それはもちろんだ。なんなら今からでも構わないが」

 エマは首を力なく横に振る。

「今は私が動けそうにありません」

「そうなのか?」

「そうなんです」

 かすむ景色は、霧の中にいるからだろうか。

 結露して曇った丸眼鏡を外してみたが、残念ながらエマの視界は滲んだままだった。

 

 

 

 ――END――

 

 

 

 




お付き合い頂きありがとうございます。
今回は本編進行直前、レグラム方面の一時でした。短編×4構成のショートストーリーみたいな感じですね。なんのひねりもないタイトル!

ラウラ、ヴィヴィ、カサギン、エマにスポットの当たる一話となっております。
ちなみにこの辺は前作の『ちょっとだけ閃Ⅱ』のデュバリィが出てくるあたりとほぼ同時期です。
つまりニコは魔獣に食べられそうになったり、湖に落ちて溺れたりと、何気に何回も危険な目にあっているわけですね。うん、たくましく育ちなされ。

そういえば空の軌跡FCのEVOがまもなく発売ですね。 久しぶりにゲス教授のゲスっぷりを堪能したいと思います。フルボイスだとよりゲスなんでしょうね。期待してるぜ、ゲス野郎。
あ、ジョゼットは可愛いと思います(何の話だ……)

ではではようやく次回からレグラム、バリアハート方面のストーリーの開始です。
引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。
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