虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第23話 導きの証明

「――というわけで委員長と合流した。――ああ、無事だ。ただ現在地が把握できないから、このまま俺たちは行けるところまで進んでみる」

 隠し扉の奥。細い通路を歩きながら、リィンは各班に通信で状況の報告を入れていた。

 “というわけで”の詳細はもちろん省略しているが。ちなみにエマは気付いたらこの場所にいて、どこから入ったのか彼女自身にも分からないそうだ。

 話を聞くに、仲間たちもおかしな現象に見舞われているらしく、特にミリアムのギャーギャーと騒ぐ声はひどかった。同行しているガイウスが落ち着いていたので大丈夫そうではあるが。

「よし、これで全員に伝えたな。ひとまずは道なりに行くしかないか」

 リィンは後ろに振り返る。

 乱れた服を正したエマが、薄闇の中でこちらを見ていた。蝋燭の火に照らされる彼女の顔は、まだ頬の赤みが抜けていない。

 歯切れ悪く、リィンは言う。

「委員長。先に進もうと思うんだが……」

「はい」

「その……すまなかった」

「なにがですか」

「そ、それは」

「それは?」

 リィンの右手が強張る。

 胸を揉んで――揉みしだいてすみませんでした。そんな感じで謝っていいのだろうか。良くない気がする。

 エマの物言いたげな瞳がリィンを離さない。怒っているよな。それはそうだ。

 こうなったら、あえて褒めてみるか? 結構なものをお持ちで、などと。

(な、何を考えているんだ、俺は)

 そんなもの口にしたが最後。光の剣で滅多刺しにされて、一瞬で煉獄送りだ。

 黙ったまま、だらだらと玉の汗を流していると、エマはくすりと口元を緩めた。

「冗談です。怒ってませんから気にしないで下さい。わざとじゃないのは分かってます」

「そうか、助かる」

「でも忘れませんからね?」

「うっ」

 いたずらっぽく言って、エマは先に歩き出す。最後にぽつりと「……アリサさんの気持ちが分かった気がします」とつぶやいたが、幸か不幸かリィンにその言葉は聞こえなかった。

 

 ● ● ●

 

「えーと、私たちも行きましょうか」

 遠慮がちにエリゼはラウラに目を向ける。「う、うむ。そうだな」と応じたラウラは、どこか落ち着かない様子だ。

 リィンが巻き込まれた回転扉を二人掛かりで押してみたものの、壁面はぴくりとも動かなかった。それどころか壁には継ぎ目さえなく、隠し扉があった痕跡は完全に消えている。

 とりあえず他のメンバーと再び合流すべく、一階に戻ることにしたのだが。

「………」

「………」

 エリゼとラウラは無言だった。二人分の靴音だけが、長い回廊に響いている。

 今まで何度か顔を合わし、もちろん会話もしたことのある二人だが、いかんせん二人きりになるのはこれが初めてだった。

 エリゼにとっては兄の同級生。ラウラにとっては同級生の妹。

 ありていに言えば、お互いに気を遣っているのである。さっきまではリィンが仲立ちの役割を果たしていたから、そこまで意識しなかったのだが。

 普段は泰然としているラウラも、エリゼ相手の沈黙だけは苦しいのか、閉じ続けられなくなった口をここで開いた。

「……歩幅はこんなものでいいか?」

「え、あ、はい。ありがとうございます」

「うむ」

 言葉は続かず、会話が終わる。

 ぎこちない歩みを進める中、ラウラは胸中で後悔していた。

(少し素っ気なかっただろうか。もう少し別の声掛けの方がよかったかもしれん。しかし、他には何も思いつかんし……)

 今のは精一杯の気遣いのつもりだった。できるものならもっと女子らしい会話をして、雰囲気を和ましたりもしたいが。どうにもいい話題が出て来ない。

 アリサやエマならもっと流暢に話して、相手の緊張を取ってやるのだろう。しかし困ったことに。

(ど、どう接すればいいのか分からん)

 自然体が常のラウラである。慣れないことを意識するあまり、余計にぎこちなくなっていた。

 エリゼもエリゼで口数の少ないラウラの心情が読めず、言葉を発するのに二の足を踏んでいる。

 結果。双方ともぎくしゃくとして、沈黙だけが延々とループしていた。

 何とも言えない重い空気の中、ラウラはふと思った。

(しかし、三階はこんなに広かっただろうか?)

 ローエングリン城を訪れたのは一度や二度ではない。

 今歩いている回廊もここまで長くなかったように思うし、何より先ほどの隠し扉の存在だ。あんなものがあるなどと聞いたこともない。

 そもそも、あの場所に部屋などあったか?

(……どうだったか)

 なかった気もするし、あった気もする。構造は熟知しているはずなのに、なぜか認識が曖昧で断言できない。

「あ、階段が見えてきました」

 エリゼが発した声で、ラウラは何かに囚われかけていた意識を正面に据え直す。

「そうだな、まずは一階まで戻るとしよう」

 このフロアに上がってきた時に使った階段だ。そこへ近づいて、二人はそろって足を止める。

「な、なんで」

「どういうことだ、これは」

 下階への階段は消え失せていて、代わりに上階へと続くそれが闇の中に伸びていた。

 

 ● ● ●

 

 上がったり、下がったり、曲がったりを繰り返した先。ようやく行き当たった隠し通路の終点の壁を、ぐっと力いっぱいに押してみる。

 ほとんど抵抗もなく、入口同様に壁が回転する。一応の警戒は怠らないまま、リィンとエマはその先の空間へと足を踏み入れた。

「何かの部屋みたいだが」

「ええ、ですけど……」

 ここに来るまでに見てきたような、簡素な内装ではなかった。

 所々綻びてはいるものの、床には刺繍の施された絨毯が敷かれている。部屋の一角にある木製の大きな机は、豪奢とは言えないまでも品格を感じさせる作りだ。天井から吊り下がる照明も、透かし細工が施されていて芸術的な趣きがある。

 室内をぐるりと見回したあと、リィンは壁にかけられた大額の前まで歩み寄った。

「肖像画だよな、これ。破けたり剥がれたりしてるから顔は分からないが。名前があるが……ian……Sa…ダメだな。読み取れない」

 だが佇まいからして女性だと分かる。

 風化して色あせていても、腰まで流したブロンド髮の鮮やかさは失われていない。額縁には貴族家のものらしき家紋の刻印があったが、それはリィンも知らないものだった。

 もしかしてここは、この肖像画に描かれた人物の私室なのだろうか。

 そんなことを思いながら、リィンは額の横に視線を移した。地図が壁に直貼りしてある。飾り気のない、至って普通の地図。この部屋には何だか不似合いな気がした。

「これは帝国の地図か?」

 アイゼンガルド連峰にノルド高原。ヴェスティア大森林もある。地形は間違いなくエレボニア帝国だ。

 しかし所々に知らない町の名前があったり、領土の区切りが違っていたりする。古いものだからか、現代のものとは異なる地図だ。

 劣化した紙面は触れるだけで剥落しそうな脆さがある。よく見れば、地図にはいくつか丸印でマーキングをされた箇所があった。

 数えてみると、印は全部で四つ。これは一体何を示しているのか。

 自分でも無意識の内に、リィンは古びた帝国図に指を這わせていた。

 

 

 地図に興味を示すリィンから少し離れて、エマは机側に立っていた。

 ほこりの積もる机上には、黒い装丁の古めかしい本が数冊置かれている。そばには銀をあしらった羽ペンが、筒状の容れ物に収まっていた。

 思いのほか整然としているその中で一つ、目に留まるものがあった。

 机の中央にぽつんと置かれた、一枚の封書。

 おかしい。妙だ。鈍っていた思考が、ようやくそう告げた。

 この城は二百年以上も前からアルゼイド家が管理している。幾度も立ち入られ、おそらく人の手の届いていない場所はない。

(なのに、どうしてこんなものが?)

 なるべく当時の状態のままで保存しようと、そんな想いもあったのかもしれないが、だとしてもこのような封書をそのままにしておくだろうか。年代や出来事を鑑みれば、貴重な文化財と呼べるものなのに。

 偶然か。故意か。

 そしてこの手紙は、誰が誰に宛てて書いたものなのか。

 ちらりとリィンに目をやると、まだ地図を眺めていた。エマはそっと封書を裏返して、そこに記された宛名を見てみる。

「!?」

 思わず息を呑む。出しかけた声を、何とか喉の奥に押し留めた。最初に湧いたのは疑問だったが、すぐにそれは焦燥へと変わる。

 手に取った封書を上着の内ポケットに入れ、エマはリィンに歩み寄った。

「もうこの部屋には何もないと思います。今は調べる必要もありません」

「確かにそうみたいだが……委員長?」

「皆さんに心配をかけてもいけませんし、先に進みましょう」

 急かされて戸惑うリィンの手を引き、エマは早足でその部屋を後にする。

 異変の理由。その原因。もし自分の推測通りなら、この城には長居しないほうがいい。

 

 

 どれだけ探しても、下のフロアに繋がる階段は見つからなかった。

 やむなくリィンとエマは、道なりに進んだ先にあった上階へと続く螺旋階段を登る。

「委員長。何か気になることがあるのか?」

 足は止めないまま、リィンはエマに訊いた。先ほどと変わって、彼女は口数も少なくなり、歩調も早くなっている。

「えっと、それは」

 はっきりとは答えられないようだった。

「言えないことならいいんだ。すまなかった」

「そんな、リィンさんが謝らないで下さい。まだ確証がなくて、うまく説明できなさそうなので……」

「そうか。けど前にきた時も思ったが、このローエングリン城っていうのは不思議な場所だよな。初めてなのに、どうしてか知っている気がする。懐かしさみたいなものを感じる」

「懐かしさ?」

 その感覚はエマには分からないらしく、訝しげにリィンの顔を見つめていた。

 ややあって、彼女は言った。

「かつてこの城には騎神が眠っていたそうです。《灰》とも《蒼》とも異なる騎神が」

「え?」

 唐突に教えられて、リィンは戸惑った。「言い伝えで知っているだけですけど」と困ったような顔をして、エマは続ける。

「ですが現在はいません。起動者と共に姿を消したと言われています。今となっては、誰が導き手を務めたのかさえも定かではありません。――リィンさん。私が魔女の眷属(ヘクセンブリード)であることはもう知っていますか?」

「ああ。セリーヌから聞いた」

「私が士官学院に入学したのは、魔女としての使命――地下深くに眠る“巨いなる力”を見守り、起動者たり得る者を導き、その行く末を見届ける為です」

「巨いなる力……ヴァリマールのことか。じゃあ委員長やセリーヌは、最初から旧校舎のことも知っていたんだな」

「ええ。そして騎神は起動者を選ぶということも、選定された人間が戦いへ巻き込まれていく事も……知っていました」

 階段を登る足を止めて、エマはうつむいた。

「準契約者となったⅦ組の皆さんも同様です。個々の意志とは関係なく、大きな戦いの中へと押し流されていくでしょう。それは避けられないこと」

 その言葉は予測や予想ではないように思えた。まるでそれが定められた事象のようにエマは語る。

 一体何から質問すればいいのか。固まらない言葉を口中に留めるリィンを見て、「知っていながら、私は皆さんに警告もできなかった」とエマは悔やんだような声を重ねた。

 そうすることが正しいことなのか、私には分からなかった。そう付け加えて、彼女は歩みを再開する。

 所在なさげに揺れる長い三つ編みを追って、リィンはエマのあとに続いた。

 しばらく会話はなかった。二人の吐息だけが、暗がりの中へと溶けていく。

 黙々と螺旋階段を上がった先には、また通路。奥に進むにつれて空気が濃くなっていくような気がした。やがて一つの扉に突き当たる。

「ここが終点か。降りたかったのに、最上層まで来てしまったみたいだな」

 取っ手をつかみ、扉を開く。

 そこは石のタイルが敷き詰められた、天上の高い大きな空間だった。壁際で崩れて朽ちた鎧甲冑の数々に、かつての威光は欠片も残っていない。

 最奥に見えるいかにも格式の高そうな座椅子は、おそらく玉座だ。

「ここは謁見の間なのか? 委員長はどう思う?」

「リィンさん」

 エマがようやく口を開く。思い詰めた顔をしていた。

「無事に再会できたことは嬉しいです。けど私はあなたを――あなた達を巻き込みました。あれを導くとはとても言えません。私のやり方は間違っていたのかもしれない。だから、もう……私は……」

 彼女は苦しげに言葉を絞り出す。

「これ以上、Ⅶ組の一員として一緒に行動することができません」

「委員長、それは――」

 リィンが言いかけた時、辺りの空気が変わった。景色の一部が屈曲し、立ち昇る青白い輝きが何かを象っていく。

 瞬く間に凝集された光の中から、唐突に現れたのは二体の巨獣。

 一体はノルドでも遭遇した、冷気をまとう翼龍《アンスルト》。

 もう一体は胞子に寄生された頭部を持つ、見上げるほどの大蜥蜴。飽食の地龍《ゼルベノム》。

 凶暴な咆哮が重なり、ビリビリと大気を震わせた。

「まさか幻獣……!?」

 存在を知っているらしいエマは、驚愕しながらも魔導杖を構える。しかし、すぐに構えを解いてリィンに言った。

「逃げましょう! 幻獣が二体、戦って勝てる相手じゃありません!」

 リィンは動こうしなかった。それどころか、幻獣に背を向ける形でエマに向き直っている。落ち着いた声音で彼は言った。

「それは違う、委員長。背景は人それぞれだ。俺だって人に言えない力を抱えて悩んでいた」

「い、今はその話より、先にこの場を離れないと!」

「言えないことがあったっていいだろ。肝心なのは委員長が――エマが俺たちをどう思っているかだ」

「そんな……そんなことより!」

 牙をむくゼルベノムがリィンの背後に近付いてくる。

「リィンさん!」

「答えろ、エマ!」

「大切に決まってるじゃないですか!」

 半ばやけになって、エマは叫んだ。

「みんなと一緒にいたい! 力になりたい! 魔女としてじゃなくて、Ⅶ組の委員長として! もっと、ずっと!」

「だったらそうすればいい。俺たちもそれを望んでる。誰か一人でも欠けたら、それはきっとⅦ組じゃない」

 重い足音が迫る。もうエマはゼルベノムを見ていなかった。

「巻き込まれたなんて思っていない。ただ状況に流されたつもりもない。一人一人があきらめずにあがいて、それぞれの意志を持ってここに来たんだ」

「リィンさん、それでも私は……」

「導けなかった? 間違えた? 違う、そんなことはない」

 リィンを捉えたゼルベノムが大口を開けた瞬間、テラスに繋がる大窓が砕け散った。

 銀色に輝くガラス片を吹き散らしながら、飛び込んできた巨影が特攻をかける。横っ腹に膝蹴りを見舞われたゼルベノムは吹き飛び、その体を激しく横転させた。

 リィンたちを守るように、灰の騎神が二人の前に降り立つ。

「委員長が導いてくれた俺の――俺たちの力だ」

 力強くエマの手を取る。

「見届けるまでが使命なんだろう。だったら最後まで見ていてくれ」

「あ……」

 瞳を滲ませるエマに、はっきりとリィンは宣言した。

「委員長は間違っていなかったと、俺が証明してみせる」

 

 

 二体の幻獣を同時に相手取るヴァリマールを、エマはただ見つめた。

 灰白の鎧が大剣を繰って戦う様は、さながら中世の甲冑騎士。勇壮で雄々しい姿だった。

 これが私の導いた力だと、彼はそう言った。揺らぎのない瞳で、嘘偽りのない言葉で。

 一番つらい目あったのは彼のはずなのに、どうしてそんなに真っ直ぐでいられるのか。

 何かを恨まずに、境遇も呪わずに、どうしてそんなに優しくいられるのか。

「エマ!」

「きゃっ?」

 扉が開いて、誰かが抱き付いてくる。アリサだった。その後ろにはシャロンも控えていた。

「よかった! 無事なの? ケガしてない? というかあれって幻獣!? ヴァリマールも!?」

 安堵の表情が、たちまちに困惑のそれへと変わるアリサ。狼狽する彼女をなだめながら、エマは状況を説明した。

「あの二体の幻獣はここで突然現れました。それでリィンさんが騎神を召喚して食い止めてくれているんです」

 暴れ回るゼルベノムとアンスルトの間を立ち回り、ヴァリマールは近接戦を仕掛けていた。

 アンスルトが生み出した氷刃を大剣で防ぐと、間髪入れずに身を返して、背後のゼルベノムに回し蹴りを叩き込む。リィンの体捌きだった。

「エマ、遅くなってすまない」

「ヴァリマール? 兄様が乗っているんですか!?」

 アリサたちに遅れてラウラとエリゼがやってきた。

「あ、委員長だ!」

「大事ないようだな」

 さらにガイウスと、なぜか彼に抱っこされたミリアムも姿を見せる。

「皆さん、どうしてそろって最上階に? 一階で合流するはずじゃ――」

 いや、そういうことか。中身こそ開けていないものの、先の封書を思い出してエマは納得した。

 彼らもこの場所に(いざな)われたのだ。

 アンスルトが吠える。ぞっとして振り返ると、広げた両翼から氷の槍が無数に顕現されていた。

 狙いの先はヴァリマールではなく、こちらだ。

「いけない!」

 防護結界を張らなければ。しかしあれだけの数を防げるか?

 刹那の逡巡の内に、全ての氷槍が撃ち出された。弾丸のような速度。ダメだ。障壁を作ることさえ間に合わない。

「皆さん、逃げ――」

『アリサ、やるぞ!』

 エマが言い終えるより早く、ヴァリマールからリィンの声が響く。同時、アリサの《ARCUS》から伸びたリンクの光線が、瞬時に騎神の核へと繋がる。

「威力は抑えなさいよね!」

『分かってる!』

 ヴァリマールがかざした手の平に、金色の光が弾けた。

 アンスルトとエマたちとの間の空間が、渦を巻くようにねじ曲がって、強大な引力が生成される。霊力(マナ)によって強化された空属性アーツ――ダークマターが、力場に飛び込んだ氷槍をことごとく圧縮し、消滅させた。

 まだ終わらない。その腕をアンスルトに向けるヴァリマール。発動したままのダークマターが、空間を歪ませながら移動した。

 べきべきと剥離する床岩盤ごと、アンスルトは昏い歪みの中に吸い寄せられる。断末魔さえも押し潰されて、蒼き氷獣は力の渦の中へと呑み込まれて消えた。

 エマは呆然と立ち尽くしていた。

「い、今の力は……?」

「リンク機能を要にして、霊力で威力を増大させた導力魔法。リィンとヴァリマールにしか使えない特別仕様よ」

「え? あ!」

「思ったより元気そうじゃない」

 いつの間にか足元にいた黒猫が、ふんと鼻を鳴らす。

「セリーヌ!」

「話はあと。もう一匹片付けないとね。ちょっと行ってくるわ」

 光陣を展開させて、彼女はヴァリマールの(ケルン)へと転移する。

 しばらくぶりに会うセリーヌは相変わらずふてぶてしかったが、なんだか頼れる感じが増している気がした。

 

 

「回復しきってないヴァリマールをいきなり呼ぶんじゃないわよ! その上、いきなりアーツまで使って!」

 核内部に現れたセリーヌは、開口一番で叱責を飛ばす。虚を突かれながらも、リィンは「それは一応大丈夫だ」と怒り心頭の彼女に告げた。

「ヴァリマールの霊力の回復がいつもより早いみたいだ。なぜかは分からないが」

「そんなこと――いえ、本当ね。全快じゃないけど、これならそこそこ動けるわ。……この地の精霊の影響かしら」

「精霊?」

「そう。レグラムは他の地方に比べて精霊が多い。つまり土地自体に宿る霊力が豊富なの。それがヴァリマールの回復を早めたんだと思う」

 リィンに精霊の定義までは理解できなかったが、ひっくるめて言うなら『場所が良かった』ということらしい。

「でも長時間戦えるほどは回復してない。急いで勝負を決めてよ!」

「了解だ」

 その折、体を起こしたゼルベノムが口の端からうなり声を漏らしていた。頭部の胞子嚢がぶくぶくと膨らんでいる。嫌な予感がした。

 モニターの端に別ウインドウが開く。ヴァリマールが何かのデータを送ってきていた。

『データベース照合……合致。イクツカノ元素ヲ混合シ、気体状ニシテ放出シヨウトシテイル』

「いくつかの元素? どういうことだ」

『フム、配合率ヲ説明スレバイイカ?』

「いや、最終的に何になるのかを教えてくれたらいい」

『キワメテ人体ニ有害ナ毒ガスダ』

「それを先に言ってくれ! そうだとは思ったけど!」

 機体を走らせ、リィンはゼルベノムの首に組み付いた。

 こんなところで毒を撒き散らされたら、騎神に乗っている自分はともかく、生身の仲間たちが危険だ。

「外に出る!」

「そ、外!?」

 ブースター起動。ゼルベノムを捕まえたまま、ヴァリマールはテラスの外へと飛び出した。

 霧のせいで視界が悪い。まずは着地しなければ。白く濁る眼下を見下ろした時、とつぜん衝撃が襲って、操縦の自由が利かなくなった。

「なんだ!?」

「幻獣よ! 暴れてる!」

 ゼルベノムが長い首をヴァリマールの胴に巻き付かせていた。背部のスラスター噴出口を無理やりに閉じられ、浮力を失った機体がきりもみしながら落下する。

 姿勢を持ち直そうと試たが、無理だった。

 再度、大きな衝撃。

「ぐっ、無事か」

「無事とは言えないけどね」

 セリーヌはリィンの足元でひっくり返っていた。

 なんとか着地できているのか? 今の体勢はどうなっている? 敵はどこへ? 痛む首を振って、正面モニターを視界に収めるも、状況が今一つ分からない。

 身を起こしたセリーヌが、サイドディスプレイに羅列された周辺情報に目を走らせる。

「って、ここ水中じゃない! エベル湖に落ちたんだわ!」

 現在の水深は五〇アージュ。まだ下がっている。

「このままじゃまずい。浮上するぞ」

「待って、何か来る!」

 セリーヌが告げた直後、ゼルベノムが水中から姿を見せる。平たい尾を使って、泳ぐことができるようだ。

 強靭な顎が開き、鋭利な牙がヴァリマールの左腕に食い込んだ。引きはがそうと反対の腕を振り上げる。ようやくそこで気付いた。

「剣がない!?」

「着水の衝撃で手から離れたんでしょ! 今頃、湖の底よ」

「くそっ!」

 膝蹴りを繰り出す。水の抵抗のせいで、思うように力が通らない。水深九〇アージュ。深度はさらに下がり続ける。まだ水圧の影響は出ていないが、ヴァリマールがどこまで耐えられるか分からない。

 水面を見上げる。概算だが、ここから仲間たちのいる場所まで、直線距離にしておよそ四五〇アージュといったところか。

 ユミルでセリーヌから聞いた限りでは、騎神リンクの有効範囲は五〇〇アージュ。今ならまだ使用できる。もう一度、アリサとリンクして強化アーツを撃てば相手を仕留めることは可能だ。

 《ARCUS》に意志を注ぎ込もうとした矢先、考えを見透かしたらしいセリーヌが「ダメよ」と制止をかけてきた。

「この回復度合いで二発連続は霊力が持たないわ」

「だけどこのままじゃジリ貧だ。水の中じゃ反撃の手立てもない」

「レグラムに来たばかりなのに、ノルドの時みたいに倒れるつもり? この先騎神の力を借りる局面がまだあるかもしれないのよ」

「………」

「リィン!」

 一瞬だけ目を伏せ、そしてすぐに前を見据える。

「分かった」

「アンタいい加減に……え?」

「リンクは使わない。言うことを聞くって約束したからな」

 水中で一気に体をひねり、わずかに緩んだ牙から素早く逃れる。同時に相手の体を蹴って、一度距離を開けた。

 すぐにゼルベノムの姿が見えなくなる。太陽の光が届いていないせいで、視界がひどく暗い。

「リンクを使わずに何とかしてみる。セリーヌ、サポートを頼めるか?」

「素直に言うこと聞かれても、それはそれで調子が狂うわね。まあ任せなさい。それでアタシはどうしたらいいの?」

 心なし嬉しそうなセリーヌだった。

「敵との距離を教えて欲しい。分かるか?」

「それは大丈夫だけど――っていうか、もうこっちに向かってきてる!」

 リィンは呼吸を整えて神経を集中させる。タイミングが全てだ。

 セリーヌがカウントを始めた。

「五時方向から接近中よ。距離四〇……三〇……二〇……」

 距離が狭まるにつれ、セリーヌの声に焦りが滲む。だが余計な口は開かず、役割に徹してくれていた。

 まだ早い。もっと引きつけなくては。

「残り十アージュ……来たわ!」

「ああ!」

 襲い来る巨影。リィンは腕を上に振って機体を沈ませた。頭上すれすれをゼルベノムの牙が過ぎていく。今だ。

 真上にきた相手の腹を、両手でホールドする。同時にブーストバインダー展開。ゼルベノムを抱えたまま、スラスター出力最大で急浮上。

 水の抵抗が重く圧し掛かる。各部関節がギシギシと軋んだ。

 湖面がせり上がり、盛大な水しぶきが立ち昇る。ヴァリマールは水上へと飛び出した。

「まだ動けるな、ヴァリマール!」

『応!』

 勢いそのままに直進。ゼルベノムをローエングリン城の下部外壁に叩きつけた。

「まだだ!」

 さらにスラスターを爆ぜさせ、相手を壁面に押し付けたままヴァリマールは上昇する。城壁を削り、瓦礫を砕きながら、あっという間に上空へと到達。仲間たちのいる最上層とほぼ同じ高さだ。

 そして一八〇度上下転回。頭を下にして、今度は急降下。

「おおおおお!!」

 霧を突き破って、急速に近付く地面。十分に勢いが付いたところでヴァリマールは敵から離脱。

 凄まじい轟音を響かせて、ゼルベノムだけが地面に激突した。

 クレーター状に陥没した墜落跡から銀光が散り、力を失った幻獣が薄れて消えていく。

「倒した……のか」

 ゆっくりと地に降りるヴァリマールの中で、リィンは荒くなった息を鎮める。

 かたや、座席とコンソールパネルとの間に挟まったままのセリーヌは、恨みがましそうな目で彼をにらんでいた。

「ねえ。これだけは言わして欲しいんだけど」

「なんだ?」

「お願いだからアタシ専用のシートベルト作ってくれない?」

 

 

 ● ● ●

 

 

 想定外のアクシデントはあったものの、エマとラウラと合流し、一同はレグラムへと戻る。

 その道中のボートにて、

「ヴァリマールはあそこでよかったのか?」

「問題ないわ。むしろ街道よりもいいくらい」

 そんな会話をしていたのはリィンとセリーヌだった。

 ヴァリマールはそのままローエングリン城の最上層で待機させることになった。あの場所は、街道よりもさらに霊力の回復が早いらしい。

 城を出る時、異変はすでに収まっていた。構造も以前の通りで、何事もなかったかのように静寂だけが満ちていた。

 つまりは分からずじまい。おそらくはあの二体の幻獣が歪みを生み出していたのだろう。最終的にはそういう話になった。

 エマは何かを悩んでいたようだったが、結局それを言葉にすることはなかった。

「残るはユーシスだけか。今は実家に戻っているんだな?」

「うむ」

 リィンの確認にラウラはうなずいた。

「少し前のことだ。やはりアルバレア家の動向が気にかかると、鉄道でバリアハートに向かってな。ずいぶん焦っていた様子だったが」

「この情勢下だ。急を要することがあったのかもしれない」

 その時のユーシスの心情など、二人には知る由もなかった。

「ところでリィン」

 おもむろにラウラが話題を変える。

「そなたが隠し扉の中に入ってしまった時のことなのだが、なぜ私たちに来るなと言ったのだ?」

「え? そ、それはだな……」

 委員長の胸を掴んでいたからなどとは言えるはずもなく、リィンはたらりと汗をかいて目をそらす。逃がした視線の先にいたのはエマだった。

 それがよくなかった。あからさまな動揺を、敏い少女たちが見逃すはずもない。

「……そなた」とラウラが鋭い半眼を。

「……リィン?」とアリサがじとりとした半眼を。

「……兄様?」とエリゼが疑惑の半眼を。

 それぞれがリィンに目で物を言う。

「違うぞ、不可抗力なんだ!」

「リ、リィンさん!」

 慌てて止めようとするエマだったが、時すでに遅し。

「あったのね! 不可抗力が!」

「というかいい加減、不可抗力では済まされんぞ!」

「なんですか! 何があったんですか!? きっちり答えてもらいます!」

 三人の少女たちに詰め寄られたリィンに、もはや釈明の言葉はなかった。

 それをいつもの光景と流しつつ、ガイウスは行きと同様にミリアムのちょっかいに付き合っている。シャロンは依然ボートの操舵を担いながら、クスクスと楽しげに笑っていた。

 まもなく船着場の桟橋が見えてくる。

 不意にガイウスが上空を見上げた。ごうごうと風を切る轟音が近付いてくる。彼は硬い声で全員に告げた。

「みんな、警戒してくれ。何かが来る」

 白濁の空に染み出る大きな影。

 貴族連合の軍用飛行艦が霧の中から姿を現したのは、ボートがレグラムの町に着いたのとほぼ同時だった。

 

 ● ● ●

 

「身長が高くて褐色肌なのが、ウォレス・バルディアス准将。隣の軍服の女性はオーレリア・ルグィン将軍。武の道に携わる者なら必ず知っている名前だ。帝国時報では西部の戦線に出ているとのことだったが……」

 アルゼイド子爵邸、一階エントランスに隣接する一室。彼らと応対するラウラの様子を扉の隙間から窺いながら、リィンは小声でそう説明した。

 飛行艦から降りてきたのはこの二人である。護衛も付けずに、彼らは屋敷を訪ねてきた。

 仲間たちもリィンの後ろで固唾を呑んで見守っている。

「お久しぶりです。オーレリア伯爵閣下。ウォレス男爵閣下にはお初にお目にかかります」

 傍らにクラウスを従え、ラウラは突然の来訪者に慇懃な挨拶をする。凛とした態度はいつもの通りだ。

「近くに立ち寄ったものでな。そなたの顔を見ておこうと思ったのだ。壮健そうで何よりだ」

「伯爵閣下もお変わりないようで。お構いの準備も出来ておらず失礼しました」

「突然来たのは我々だ。不躾は承知している。気にせずともよい」

 澄んでいるのに奥の見えない紫瞳が、ラウラを正面から見据える。気を抜けば足を引いてしまいそうになるのを堪えながら、彼女はオーレリアの視線を受け止めた。

「我が師にもお会いしたかったが、どうもご不在のようだ」

 後ろ手に組んだラウラの手がぴくりと動く。その気配を察してか、ウォレスが口を開いた。

「名高き《光の剣匠》のご息女に会えただけでもよしとしようか。ただ、まあ――」

 ウォレスの目がすっと細まる。

「誰とやりあうことになるのかは、自分自身で見極めておきたかったからな。もしかしたら紅き翼もお目にかかれるかと期待していたが」

 瞬間、射抜くような圧が、ラウラの全身の毛を逆立てる。

 その闘気は扉越しのリィンたちにも届いていた。

「な、なんですか。あの方たち……!」

 エリゼがリィンの袖をつかむ。

「オーレリア将軍はヴァンダール流とアルゼイド流、二つの流派を修めていると聞く。ウォレス准将は比類なき槍術を振るう英傑と知られている。どちらも本物の実力を持つ武人だ。そういえばウォレス准将はノルドの血を引いているんだったか」

「ノルドの?」

 反応したのはやはりガイウスだった。帝国で同族に遇うなど想像もしていなかったのだろう。彼の顔を見ようとして、最後列にいた彼は前に身を乗り出した。

 その大きな体が、一つ前にいたエマをどんっと押した。

「きゃっ!?」

 バランスを崩したエマは、さらに前のミリアムを押し出す。

「わわっ!?」

 つんのめったミリアムは、さらに前のシャロンにぶつかる。

「まあ、困りましたわ」

 ミリアムの当身など大した衝撃ではなかったはずだが、なぜかシャロンはわざとらしく蹴つまづき、前にいるアリサとエリゼの背をとんっと押す。

「えっ?」

「やっ!」

 二人はそろって、リィンの背中に倒れかかる。

「ち、ちょっと押さないでくれ。いや、本当にまず――」

 ドミノ倒しのように、一同どたどたと崩れ落ちる。勢いで扉が完全に開いてしまった。

 ラウラがぎょっとして、目を丸くする。

「おやおや」

「そっちから出てきてくれたのか?」

 オーレリアが肩をすくめる横で、ウォレスが愉快そうに笑う。

 と、彼は不意に笑みを止め、団子になってこけている一群――その最奥に一人立つ少年を見やった。

「……ノルドの民か。こんな所で会うなんて思ってもなかったな。こっちに来いよ」

 伏したままのリィンたちの横を抜け、ガイウスはウォレスの前まで歩み出る。 

「名は?」

「ガイウス・ウォーゼル」

「ウォーゼル? へえ……」

 意外そうな声を出して、ウォレスは品定めをするかのようにガイウスを眺めた。

「いい面構えだ。槍は扱えるのか?」

「一応は」

「ははは、ノルドの男はそうでなくちゃな」

 静かな応酬が、否応なく緊張を煽る。オーレリアは成り行きを傍観し、リィンたちも口を差し挟めないでいた。

 ひとしきり言葉を交わした後、一つうなずいてウォレスは数歩その場から下がった。

「お前の属する立ち位置は知らない。だが進む道が違えば、敵にも成り得るだろうな。なんとなくそう思うよ」

「今は分からない。俺はただ、守るべきものを守るだけだ。己の槍をもって」

「守る為の槍? それは槍の本質から外れている。槍はそういうものじゃない。――だが興味はある」

 そう言うと、ウォレスは自らの背に差していた得物を抜き放った。

 柄の全てが漆黒に塗られた、物々しい雰囲気の長槍。

「ここで出会えたのも風の導きだろう。お前という人間を見極めさせてもらう」

 

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

《金欠クリエイターズ③》

 

「ふふ、ふふふ」

 メガネを光らせて怪しく笑うのはドロテだった。

 バリアハート中央広場の一角。そこに陣取った小さなシートの上に彼女は立っている。

 その手にあるのは札束だった。

「一、十、百、千、万……うふ、ふふふ」

 もう何回目になるか分からない金勘定を繰り返す。彼女はにやにやと緩んだ笑みを抑えることができなかった。

「そっちはどうですか?」

「うん、上々。しばらくはホテル住まいもできるね」

 同じく紙幣を数えながら、フィデリオはそう言った。

 路銀の尽きた彼らは、街道からこのバリアハートへと移動し、各々のスキルを活かして一攫千金を試みることにしたのだったが――なんとその試みは成功した。

 フィデリオは帝都でも珍しい、その場で現像ができる最新式導力カメラを使い、簡易写真屋を開くことにしたのだ。

 ドロテは自作の詩集を売ったり、フィデリオの撮った写真に一筆添えたりするなどしていたが、意外なことにこれも好評だった。

 ちなみにバリアハート入口には門兵がいたが、フィデリオが貴族の照明章を提示すると、あっけない程すんなり中に入ることができた。ドロテは彼の付き人という役柄である。

「でもドロテさん。これってどういう意味なんだい?」

 フィデリオは一枚の写真を取り出す。裏面には彼女の文字で『~舞い散る花びらはあなたの微笑み。野菜スープは夕食のお供に』と筆書きされていた。

「さあ?」

「さあって、君が書いたんだろう」

「何も考えずに書いたんですけど、皆さん絶賛して下さるんですよね」

「多分それ、買ってる人も解ってないよ」

 貴族の見栄か、文化人を気取りたいのか。いずれにしても、商売は上手くいっていた。これなら路頭に迷うこともない。

 そんな会話をしている間にも、

「あら、すぐに写真が撮れますの? 一つお願いしようかしら」

 身なりのいい貴婦人が注文してくる。

「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」

 ここからはフィデリオの出番だ。得意の柔和な笑みで、彼女を誘導する。

「綺麗に撮って下さるのかしら?」

「被写体がお美しいので、何のご心配もいりません」

「まあ、お上手」

「僕はお世辞が言えるほど器用ではありませんよ」

 歯の浮くような台詞を平然と口にするフィデリオ。女性はあからさまに嬉しそうにしている。

 ややあって現像できた写真の端に、ドロテが一筆添える。『~人生を中断するあなたはまるで本のしおり。サンドイッチの具みたいに挟まれていい感じ』と。

 手渡されたそれを、ひどく難解な顔で眺める女性にドロテが問う。

「どうですか?」

「え? ええ! とても気に入りましたわ。なんというか、こう……感性に訴えるスピリチュアルな詩? これによって写真が栄えるというものです。間違いありませんわ。ええ、間違いないのです」

 自分に言い聞かせるようにして、女性はその場を去っていった。

 もらったばかりの代金を勘定に追加してから、ドロテはフィデリオに視線を移す。

「ちょっと意外でした。フィデリオさんってあんなこと言えるんですね」

「ああ、さっきの? 営業トークってやつさ。ドロテさんだって普段は詩なんか書かないんだろう?」

「ええ、適当です」

 フィデリオは元来、人ではなく風景の写真を撮ることが得意だ。ドロテは言わずもがな、小説である。

 しかしこれは売れなかったのだ。最初は店頭に並べてみたのだが、誰一人として見向きもしなかった。

 だから路線変更をして、それが功を奏したという経緯で今に至っている。

「……これでいいんでしょうか」

「芸術や文芸で食べていくことは簡単じゃない。営業戦略だって必要になる。これでいいんだよ」

 これが持ち味を活かした商売。果たしてそうなのか? 

 不意に湧いた疑問を振り払い、二人は順調に貯まってきた紙幣や硬貨に目を落とす。

 そうだ。金はいくらあっても困らない。

「もっと稼ごう。野宿はもう勘弁願いたいしね」

「毎日おいしいものが食べられますね……あとであの《ソルシエラ》ってお店に行きましょう。……じゅるり」

 ドロテが垂れかけた涎を拭った時、「おい、お前たち」と尖った声が割り込んできた。

 領邦軍の兵士が一人、近付いてくる。

「ここは公の広場だぞ。商売が禁止ではないが、申請は出しているのか? 認可状を提示しろ」

「あ、はい。ここにありますよ」

 フィデリオは兵士に歩み寄る。

「む? どこにあるというのだ」

「まあまあ、大きな声を出さないで下さい」

 言いながら、彼の手に数枚の紙幣を握らせてやった。フィデリオは兵士に耳打ちする。

「今後ともどうかご贔屓に」

「貴様、こんなことで私は――」

 横合いからドロテがやってきて、さらに紙幣をポケットにねじこむ。黒いダブルコンボだ。

「こんなことで私は? なんでしょう?」

「お……」

 彼は一歩下がると、咳払いをして襟元を正した。

「う、うむ。今回は大目に見てやろう。ありがたく思うがいい」

 踵を返して引き返していく兵士。

 その背を見送るドロテとフィデリオは、周囲が引くほど悪い顔をしていた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 




お付き合い頂きありがとうございます。

レグラム編も前途多難な開幕となっています。将軍様たちとがっつり顔を合わせてしまった一同。
その時のラウラの心情たるや『な、なにやっとんねん!』とベッキー口調だったに違いありません。
悪いのはシャロン姐さんですけども。

サブストーリーは金の亡者になりつつある先輩方でお送りしました。心が荒みつつあるお二人……いい感じでダークサイドに堕ちていってます。

次回もお楽しみ頂ければ幸いです。
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