虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第30話 ユミル休息日(一日目)~揺れる剣先

 朝一番の素振りは日課だ。トリスタでもレグラムでも、ここユミルでもそれは変わらない。

 起床したラウラは早朝にも関わらず、鳳翼館の裏手で一人剣を振っていた。身を刺すような寒風が吹き抜けるが、稽古中の体には心地いいくらいだ。

 吐いた息は白く、霞のように景色へと溶けていく。

 剣は心を映す鏡とはよく言われるが、これは指導上の例えではない。

 気持ちが沈んでいれば手元から落ちる小さな振りになるし、軽やかであれば切っ先は飛ぶ。そして迷いがなければ刃筋は立つ。精神論を度外視して語るなら、集中の欠落が手の内の微細な乱れとして現れている――そのような理屈にはなるのだろうが。

 もちろんこれは、剣における最低限の技術があっての話。技術の伴わない初心者は、心中よりも性格の方が剣筋に反映されやすいものだが――それはさておき。

 今日のラウラは剣先がぶれていた。

「……よくないな、どうにも」

 正面素振り。水平切り。前進、後退打ち込み。それぞれ各二百本程度。それからアルゼイド流の型を一通りこなす。型は姿鏡で確認したいところだが、それは贅沢というものか。

 リィンに頼めばもしかしたら用意してくれるかもしれない。彼とて八葉一刀流の型稽古はしていただろうし。

「それはまた今度でもよかろう。……そろそろ切り上げるか」

 リィンの名を胸中に浮かべたせいか、あの時のことを思い出した。バリアハートからユミルに戻る途中、ルナリア自然公園での出来事。

 意識のないリィンを膝まくらしている最中に、アリサが見回りから帰ってきたのだ。

 ほんの一瞬の間だったが、彼女の表情は強張って、動揺が表に出ていた。

 その場でアリサには事情を説明した。すぐに理解してくれたらしく、特に問題は起きなかった。

 が、ユミルに戻ってから、若干彼女の態度に違和感を覚える。普段通りには違いないのだが、微妙に遠慮されているというか、それとなく目を逸らされているというか。

 何か誤解されているのだろうか。

「誤解……?」

 思ったまま口から出た言葉だが、何に対しての誤解だ?

 そしてそれは、アリサにされると困るものなのか?

 形容し難い当惑がさざ波を生み、据え場所のない感情を揺らす。原因の判然としない焦燥が、自分を落ち着かせなくする。

 だからだろう、剣筋が定まらないのは。

 心がぶれているから、剣もぶれるのだ。

 

 

 ☆☆☆《ユミル休息日 ~揺れる剣先》☆☆☆

 

 

 部屋に戻ったラウラは剣を壁に立てかける。さすがの鳳翼館といえど、一般客室に剣置き用の武道具はなかった。

「さて、今から何をするかな」

 休息日。心身をリラックスさせる日。

 いざ休めと言われると、逆に何をしていいのか分からない。ラウラにとって、体を休めることと稽古をしないことは同義ではないのだ。

 久しぶりに本でも読もうか。ラウンジの棚にはそれなりに書籍がそろえてあった。

 いや待て。読書もいいが、せっかくユミルに来ているわけだし。

「郷土料理を学んでみようか?」

 前回の小旅行ではそんな時間もなかったし、これはいい機会だ。厨房の料理長にでも頼みにいってみよう。やはり趣味に費やしてこその休日だ。

 そうと決まればラウラの行動は早かった。

 さっそく部屋を出て、食堂に向かう。

「あ、ラウラさん。おはようございます」

 二階から階段で一階に降りたところで、先にラウンジにいたエリゼと出くわした。折り目正しく挨拶をしてから彼女は言う。

「朝食ですか?」

「え?」

 壁掛け時計に目をやると、まだ九時前だった。朝稽古をしていたから、時間の感覚がずれていたらしい。

 確かに朝食時だ。となれば厨房は忙しさの真っ只中だろう。この時間に料理長と話すのは控えた方がよさそうだ。

「そうだな。朝食にしようと思う」

 予定変更だ。厨房を使わせてもらうなら、もっと余裕のある時間に訪れなければ。

「お一人ですか?」

「朝稽古していたからな。皆とは会っていない」

「朝稽古ですか。兄様みたいですね」

「リィンも朝に剣を振るのか。一日の始まりに気を引き締めるのはいいことだ」

 今度、朝稽古に誘ってみるか。リィンのことだし、きっと快諾してくれる。朝一番、二人で剣の鍛錬をすれば充実した時間になるに違いない。これは楽しみだ。

「どうかされましたか?」

「あ、失礼した。少々別のことを考えていて」

「……いえ、お気になさらず」

 エリゼはラウラの顔をじっと見つめて、おずおずと口を開く。

「私も朝食まだなんです。よろしければ同席させて頂いても構わないでしょうか」

 

 

 ほどなく食堂のテーブルに二人して座り、ヴェルナー料理長が用意した朝食を食べる。シュガートーストにハムエッグ、サラダにコーンスープにちょっとしたフルーツの盛り合わせ。

 シンプルなメニューなのだが、一つ一つしっかりと味付けをしてあって、とても美味しい。さすがは老舗旅館の台所である。

「なるほど。そなたはフィーとミリアムを起こしに来ていたのか」

「ええ、そうなんです」

 声をかけねばいつまでも眠っている二人の生活習慣を正す為、エリゼは休息日になる度に起床の促しをしているとのことだった。

 ユミル帰還の折、彼女たちともすでに顔を合わせているが、そういうところは変わっていないらしい。

 呆れたような、安心したような。

「それでフィーとミリアムは?」

「起こせませんでした……」

 がっくりと肩を落とし、エリゼはトーストを頬張った。不思議そうにラウラは問う。

「なぜだ?」

「内側から鍵を掛けられていて中に入れなかったんです。私対策でしょう。やられました」

「なんとまあ。エ……そ、そなたには苦労をかけているようだ……うむ」

 なぜかラウラは言いよどむ。特に気にした様子もなくエリゼは続けた。

「いえ。お二人の生活習慣の改善は私の使命ですから。この後ももう一度チャレンジするつもりです。安心して下さい。事の次第によってはバギンス支配人に頼んで、扉の解体作業に着手しますので」

「……それは心強い限りだ」

 断固たる決意と、その気迫。謎の責任感がエリゼに芽生えつつあるようだった。

 エマが聞いたら喜びそうな話だ。というかフィーもミリアムも今の内に起きねば大変なことになるぞ。

「ラウラさんはこの後、どうされる予定ですか?」

「ああ、実はだな――」

 ヴェルナー料理長に頼んで、ユミルの郷土料理を学ぼうとしていたことを打ち明けた。意外そうにエリゼは言う。

「ラウラさんってお料理もされるんですね」

「柄にもなかったか?」

「あ! いえ、そういうわけじゃなく! 剣も学んで料理も嗜まれるなんて凄いと思って」

 失言だと思ったのか、焦っているエリゼにラウラは微笑を向けた。

「どちらも修行中の身だ。トリスタにいた頃は、よくリィンに試作品を味見してもらっていたものだが」

「え、兄様に?」

「多い時には毎日――いや一日に数回という時もあった。ふふ、ずいぶんと懐かしく感じるな」

 感慨深げに語るラウラとは反対に、エリゼは何やら衝撃を受けていた。

 探るように彼女は訊く。

「そ、それで兄様の反応は?」

「それは料理にもよるが。あちこち跳ね回ったり、床を転げ回ったりして喜んでくれていた」

「そんなに……!?」

「大したことではない。エリ……んん、そなたも料理はできるのだろう?」

 ラウラは驚愕するエリゼに問いかけるが、咳払いを挟んだりとまたしても不自然な口調だった。

 それどころではないのだろう、エリゼは違和感を持ちもせず、気落ちした様子で答えた。

「母様に教わってはいますが、私もお料理はそこまで得意では……。少なくとも兄様を跳ねさせたり、転げさせたりしたことはありません」

「なに。料理など練習すれば、いずれ上達する」

「そうでしょうか。だったらいいんですけど……」

 深く息を吐き出し、エリゼは自分のトレイを手に立ち上がった。

「お先に失礼します。そろそろフィーさんたちを起こさないといけませんので」

「あ、ええと。うん、よろしく頼む」

 なぜか落ち込んでいようだが、やはり料理のことだろうか。

 しかし気の利いた台詞はとっさには出て来ず、ラウラは意気消沈したエリゼの背中を見送る。

 彼女の姿が見えなくなってから、残っていた紅茶を口にした。

「……難しいものだな」

 独りごちながら、意味もなくカップの中身を揺らしてみる。

 アリサのことも気にかかってはいるのだが、実はエリゼのことでも思うところがあった。

 相談しようにも誰を頼ればいいものか。そもそも相談するような内容なのだろうか。

 一人で考え込んでいると、

「ラウラじゃないか。君も朝食か?」

「ん? ああ、おはよう」

 やってきたのはマキアスだった。渋面を急いで平静に戻す。

「おっ、今日もおいしそうだ。ケルディックに潜伏していた頃と比べると雲泥の差だよな……」

「マキアス」

 料理の置いてある卓台まで向かおうとするマキアスを、ラウラは呼び止めた。

 思い付きというか、直感だ。

「そなたをⅦ組の副委員長と見込んで、折り入って頼みがある」

「な、なんだ急に」

 不意のことに構えるマキアスに、ラウラは告げた。

「相談に乗って欲しいことがあるのだが」

 

 ● ● ●

 

「エリゼちゃんの呼び方が分からない?」

「お、大きな声で口にするでない」

 鳳翼館の一階、談話スペース。ソファーに対面して座るマキアスは、ラウラの話を聞いてかぶりを振った。

「普通に呼べばいいじゃないか」

「それができたら苦労はしない」

 ラウラの悩みはこれだった。エリゼと接することは普通に出来るのだが、その名前を呼ぶことにためらいを感じてしまうのだ。

「よく分からないな。彼女は第三学生寮に来たこともあるだろう。今まで何回も会話しているはずだ。その時は何て呼んでいたんだ?」

「それは……そなたとかに置き換えてだな」

 マキアスやエリオット、アリサにエマなどは『エリゼちゃん』と呼ぶ。フィーやミリアム、ガイウスなんかは『エリゼ』だ。ラウラだけは、一度も彼女を名前で呼んでいない。

「うーむ。話を最初に戻すが、それは何でだ?」

「そう言われても……」

「君が分からないのに、僕が分かるわけないだろう」

 考えてみるが、答えは出ない。

「なら、ラウラがしっくりくるものを一つずつ試していけばいいじゃないか。まずは“エリゼちゃん”。どうだ」

「ちゃん付けなど、私に合わない」

「“エリゼさん”は?」

「他人行儀ではないか」

「だったら“エリゼ”。呼び捨てだ」

「それは……ちょっと抵抗がある」

「いや、おかしいって。基本的にラウラは名前だけで呼ぶだろ。これが一番馴染むんじゃないのか」

 もちろん最初はそうやって呼ぼうとした。が、あと一歩のところで喉が詰まってしまう。

 理由は形になってくれないが、一つ引っ掛かるのは。

「リィンの妹御だぞ。なんというかほら……リィンの妹御だぞ?」

「余計に分からないんだが……」

 うまく言葉にできないのが歯がゆい。

 親しくしたいのだが、馴れ馴れしいのは良くない気がする。私はこういったことをあまり気にしない性質のはずだが――彼女には嫌われたくないと、そう思ってしまう自分がいるのだ。

 それはリィンの妹だから、なのだろうか。繋がるようで繋がらない。

 しばし考え込んでいたマキアスが、おもむろに口を開いた。

「もしかして……『仲良くしたいけど距離感が掴めない』とか……そういう感じか?」

「それだ!!」

「おお!?」

 勢いよく身を乗り出したラウラに圧されて、マキアスはソファーごと後ろに倒れそうになっていた。

 正確に言えば半分くらい合っている。しかし今までの中では、もっとも答えに近いような感覚だ。

「やるではないか。さすがは副委員長だ」

「それ関係あるのか。まあいいが……それでどうするんだ? 原因が分かって何よりだが、こうなると僕に手助けできることはなさそうだぞ」

「ここからは私で何とかする。心持ちの問題だからな。世話になったな、マキアス。あ、他言無用で願うぞ」

「了解している。しかし難しく考えることでもないと思うんだが、とりあえずがんばってくれ」

 二人が立ち上がろうとした時、クレア・リーヴェルトが二階から降りてきた。

「あら、おはようございます。二人でお話しですか?」

 澄んだ声で挨拶をしながら、彼女はラウラたちのそばまでやってくる。途端にマキアスの背すじがビシッと伸びた。

「お、おはようございます! 本日も外は曇って雪で良い天気です! あとコーンスープが美味でした!」

「何を言っているのだ、そなたは」

「ふふ、マキアスさんはいつも元気ですね。もしかして談笑の邪魔をしてしまいましたか?」

「とんでもない。クレア大尉が邪魔になるなど未来永劫ありえません」

 高速で首を横に振るマキアスを訝しみながら、ラウラが説明の口を開く。

「実は私的な相談を彼に乗ってもらっていました。ちょうど一区切りついたところです」

「マキアスさんはⅦ組の副委員長でしたね。やはり責任感が強いのでしょう。素晴らしいことです」

「クラスの仲間が困っていれば助けるのが自分の役目です。溢れ出す責任感は留まることを知りません!」

 マキアスの鼻息が荒くなっていく。明らかに態度がおかしいが、どうしたのだ。

 にっこりと笑みを浮かべながら、クレアは言った。

「それで、その相談は解決したのですか?」

「いえ、それはまだですが。これから一人で何とかしてみようと」

「一人で? マキアスさんが協力しているのでは?」

「そうだぞ、ラウラ!」

 だんと机を叩き、凄い剣幕でマキアスが立ち上がる。あまりの迫力に、さしものラウラもたじろぐ程だった。

「一人で抱え込んで悩むんじゃない! 僕はいつだって君の力になるというのに」

「ん? ん?」

 さっき『僕に手助けできることはなさそうだ』とか『とりあえずがんばってくれ』とか、ある程度相談を終えた雰囲気だったではないか。

「さあ、君の悩みを解決に行こうじゃないか」

「いやいや、そなた……少し落ち着くが――」

 マキアスは半ば無理やりにラウラを引き連れて玄関口へと向かった。

 扉を開く前に立ち止まり、彼はクレアに振り返る。眼鏡をくいっと押し上げると、自信満々に言った。

「まったく、責任感が止まらなくて困ってしまいますよ」

 一つ言わせてもらいたい。困っているのは私だ。

 

 

「……そなたの意図が読めないのだが」

「だからラウラの力になると言ったろう。僕は副委員長で、責任感の強い男だからな。ふ、ふふ」

 まだ言うか。にやつきの収まらない頬を向けてくるマキアスに「ならば、そういうことでいい」と、ラウラは積もり始めてきた雪を踏んだ。

「で、具体的にどう助力してくれるのだ。先に言った通り、これは私の心持ちの問題だぞ?」

「それは承知している。その上で役立つアドバイスもできるだろう」

 マキアスの動機は分からないままだが、善意――少々邪な影はちらついているが――には違いないようだし、ここは素直に甘えるべきだ。

「ところで鳳翼館を出る必要はあったのか?」

「エリゼちゃんの話をするのに、エリゼちゃんのいるところではやりにくいじゃないか」

「もっともな理由だ」

 そういえばフィーとミリアムは起こせたのだろうか。扉外しに踏み切っていなければいいのだが。

 何気なく視線を巡らせる。遠く、雪景色の中に揺れるブロンド髪を見つけた。アリサだ。シュバルツァー邸の中から出てきたようだが。

 早まる鼓動が脈打ち、戸惑いが胸の内を乱す。

 何か用事があったのか? 誰に? もしやリィンか? だとしても別にいいではないか。

 ……なのに、なぜか気になる。

「ラウラ、どうした」

「あ、ああ。何でもない」

 その折、アリサは急ぎ足で雑貨店の中に入っていった。

 ユミルに戻ってから、らしくもなく悩んでばかりだ。

 どこで話そうかと思案していると、マキアスが足湯場を指定した。頭を冷やして足を温めると、いい案が出るのだそうだ。

 そういうわけで足湯場まで赴いたのだが、そこには先客がいた。

「あれはトヴァル殿か」

 遊撃士、トヴァル・ランドナー。私は顔を合わすのは久しぶりだったが、リィンがこの地方で目を覚ましてから、ずっとフォローをしてくれていたらしい。

 彼を見るなり、マキアスの表情が渋くなる。

「まずいな。トヴァルさんがいる」

「話を聞かれるからか? 吹聴しまわる人ではないだろうし、トヴァル殿なら私は別に気にしないぞ」

「待つんだ!」

 構わず進もうとしたラウラの肩を、マキアスは強く掴んで止めた。

「ど、どうしたのだ」

「まだラウラは知らないんだ。トヴァルさんは危険だ」

 マキアスの表情は真剣そのものだった。スイッチの入った時限爆弾を見るような目でトヴァルを一瞥してから、緊張の滲む声音で続ける。

「リィンに宛てた僕の暗号文をゴミ屑のように破り捨てるし、カエルに食べられた僕を助けるためとはいえ、川に最大出力の電気を流すし……下手をすれば死んでいたぞ」

「ちょっと待て。どういう状況になればカエルに食べられるのだ」

「他の人から聞いただけでも、まだまだある。それにこの前はクレア大尉と……」

 最後の方は小さく呟き、ぎりりと拳を握る。

「悪気はないのであろう。そこまで警戒することではあるまい」

 変わらない歩調でスタスタとトヴァルに近付くラウラ。彼は独り言混じりに、何枚かの用紙とにらめっこしていた。

「――チーム分けは自由にさせるか、それとも戦力を均等にする為にこっちで組むか。あとは公平な審判も必要だが、使用フィールドも広いし、これは選定が難しいな――」

「トヴァル殿」

「――あとは全員のやる気を出す為の工夫を一つ。優勝賞品とかはどうだ? いや、ありきたりで面白くないな。もう少し別の何かを――」

「トヴァル殿?」

 よほど集中していたらしく、二度目の声かけでようやく「おお? お前さんたちか」とトヴァルは反応した。

 自分たちも足湯に浸かりに来たと説明した後で、ここで何をしていたのかと問うと、彼はちょっともったい付けてから例の用紙を掲げてみせた。

 ラウラは表題をそのまま読み上げる。

「雪合戦?」

「ああ、マキアスには前に説明したが、懇親の意味も兼ねてな。参加してくれよ?」

「そういうことでしたら、もちろん。しかし何やら浮かない顔をしていたようですが」

「ルール決めなんかが難航していてな。仕方ない、またクレア大尉と打ち合わせするか」

 彼女も一枚かんでいるのか。大尉ならまだ鳳翼館にいるはずだと教えようとした矢先、ラウラは背後に殺気を感じてとっさに閉口した。

 振り返ることすら躊躇する、このとてつもない負のオーラ。

「それじゃあ俺はもう行くから、二人ともゆっくり浸かっていくといい」

 殺気を受け流し――というか気付いてもいない様子で、トヴァルはその場を立ち去った。

 ごくりと息を呑み、意を決して振り向く。

 案の定、そこには真っ黒なオーラを噴出するマキアスがたたずんでいた。周りの雪が蒸発する勢いだ。

「マ、マキアス?」

 彼は黙したまま、遠ざかる白いコートを見据えている。

 静かに眼鏡を押し上げているが、そのレンズは闇を塗られたかのように漆黒だった――……ような。

 

 

 程なく平静を取り戻したマキアスと二人、ラウラは湯に足を浸ける。

 じんわりと芯まで熱が広がり、そろって緩んだ息を吐き出した。

「ラウラは一人っ子だったな。それを考えると、エリゼちゃんとの距離感が掴めないというのは分からなくもないか」

「何を言う。そなただって一人っ子であろう。私と同じだ」

「僕には姉さんがいたからな」

「ああ……」

 亡くなってしまったマキアスの従姉だ。軽率な発言をしてしまったかもしれないと、己の迂闊さを悔やみかけたのも一瞬、

「気にしなくていい」

 先回りの言葉をかけられて、ラウラは動揺を隠しきれなかった目をマキアスに向けた。

「今さらだ。それに折り合いは自分の中で付けている。まだ全てを納得していないが、それでも前を向けるようにはなったと思う」

「そうか」

 そう言えるまでには、相当の葛藤と苦悩があったのだろう。折り合い、という言葉が彼にとっては深い意味を持つように感じた。

「すまない」

「だから気にしなくていいって」

 眼前に揺らぐ湯気を眺めながら、ふと今し方の会話を思い返して、ラウラは首をひねった。

 自分には兄弟姉妹がいないから、彼女との距離感を掴めない? これも繋がるようで繋がらない。

 例えば他の誰かであれば、こんなふうには悩まない気がする。なぜ彼女だけが特別なのだ。

 難解なパズルを解いている気分だった。難しく見えるものほど、得てして答えは単純だったりするものだが――

「……困った」

 ついつい本音がこぼれた時、マキアスが「ラウラ、あれ」と目線で告げる。とっさには分からず「何がだ?」と彼の視線を追ったところで気付いた。

 鳳翼館からエリゼが出てきていた。足元にはセリーヌもいる。

 フィーたちを起こすのに成功して、今から屋敷に戻るのだろうか。しかし挙動がやたらと不審なのはなぜだ?

 セリーヌと一緒に身をかがめていたり、物陰に隠れていたり、こそこそと何かを窺う素振りを見せたりなど、行動の意図が不明だ。

「もしや市街戦を想定した模擬訓練か?」

「そんなわけないだろ。何にせよ丁度いいじゃないか」

「何がだ?」

「もういっそのことエリゼちゃんに直接訊くといい。何て呼んだらいいか」

 これぞ名案みたいな感じで眼鏡を光らすな。それこそできるわけがない。

「このまま話していてもいい案は出なさそうだしな。まあ、僕に任せてくれ」

「あ、ちょっ」

「おーい、エリゼちゃん。ちょっとこっちに来てくれ。ラウラが君に用事があるらしい――ぐえっ」

 配慮のない声を発する喉首を、反射的に締め付ける。

「や、やめろ! そなた正気を失ったか!?」

「何を……というか君こそ冷静に……うぐ、助け、エ、エリゼちゃ……」

「まだ言うか! 眼鏡を割ったらその口も止まるのか!?」

「そ、そんな連動スイッチなわけがあるか……」

「ならばどこだ! 言うがいい、スイッチの場所を!」

「そもそもスイッチなんて――ぐぎゅう……」

 ラウラの狼狽は収まらず、ぐいぐいとマキアスの首が締まる。顔は青白く血の気が引き、指先はぷるぷると震えている。すでに彼は煉獄ツアーへと出発していた。

 幸いなことに、マキアスの声はエリゼには聞こえておらず、それを確認したラウラが彼を解放したのは、実に三分後のことであった。

 

 

 足湯場での時間は流れる。

 関係ない話も差し挟みつつではあるが、出口のない会議にマキアスはずっと付き合ってくれていた。実際、責任感は強いのだろう。さすがの副委員長である。

「……眠たくなってきたな」

「……うむ」

 語ることは語り尽くし、出て来るアドバイスや意見も堂々巡り。さっきから二人の会話はこんな程度だ。

 心地のいい温かさにまどろみ、うつらうつらと思考が鈍る。

 完全に足はふやけているが、ここから動くのも億劫になっていた。ラウラにしては珍しいことだった。

「ふう……」

 エリゼの呼び名に戸惑う自分。

 アリサに対して妙な遠慮をしてしまう自分。

 後者は相談していないものの、抱える悩みはこの二つで、そしてどちらも理由がはっきりしない。

 まったく違う問題に思えるが、しかし悩みの“質”は同じようにも感じる。まさか根っこは同じだったりするのだろうか? 心当たりさえないが……。

 根っこ。共通すること。行動と心情の根底。それらを繋ぐ一つのピース。

「リィン……?」

 散らばるパズルの一部だけが不意に結実し、理由より先にその名前が弾き出る。

 なぜ彼の顔が浮かぶ。想いに任せるまま思考に没入し、ラウラは最後の一欠片に手を伸ばす。

 深い深い心の底に、きらきら光る何かがあった。誰にも見せたことがない、宝石の輝き。

 ああ、見つかりそうだ。とても大事なものが。

 その光に指先が触れて――

「おい、ラウラ!」

「え?」

 肩を揺さぶられ、急に現実の視界が戻ってくる。

 せっかく分かりそうだったのに。少々不機嫌な顔をして見ると「エリゼちゃんが屋敷から出てきたぞ」とマキアスが急かすような声で言った。

 彼女はまた鳳翼館に戻るようだ。なぜだか先ほどより表情が明るい。

「どうする?」

「どうするもこうするもない」

 ラウラは足湯から出るなり手早く足を拭いて、自らエリゼの元に向かった。

「あ、ラウラさん」

 先に声をかけたのはエリゼだった。ラウラも軽く会釈を返して、

「ああ。フィーたちは結局起こせたのか?」

「いえ、ダメでした。ちょっとアクシデントがありまして、起床作戦は中断したんです」

 もう作戦扱いなのか。断念ではなく中断というあたり、ミッションは継続中のようだが。

「ラウラさんは今まで何を?」

「足湯に浸かっていた。話がてらマキアスと一緒にな」

 言いながら振り向くと、足湯場に残ったままのマキアスは呆気に取られたように成り行きを見守っている。

「そうでしたか」

「そうだったのだ」

 沈黙。風の音が妙に大きい。

「あの……?」

「……うむ」

 難しい顔を浮かべるラウラを見て、怪訝そうにするエリゼ。

「やはり、私らしくないな」

「え?」

 ラウラは小さく息を吸って、気持ちを固めた。

「訊きたいことがある。私はそなたを何と呼べばいい?」

 悩んだ末の直球である。マキアスの言う通り、やはりこれしかなかった。

「私の名前……ですか?」

 きょとんと首をかしげるエリゼは、問われた意味が分かっていないようだった。彼女はとりあえず質問のままに答える。

「エリゼ、とお呼び頂ければ」

「いいのか?」

「ええ、もちろん。お断りする理由なんてありません」

 あっけない程、簡単だった。

「どうしてそんなことを訊かれるのですか?」

「恥ずかしながら実はどう呼べばいいか迷っていた。私には姉妹がいないからだと、マキアスには言われたが」

「姉妹?」

 目をしばたたかせて、エリゼは言った。

「私を妹のように思って下さるのですか?」

「えっ?」

 今度はラウラが虚を突かれた。

 私は無意識にそう接しようとしていたのか? だから感覚が分からず、彼女に対してのみ悩んでいた?

 エリゼは微笑んだ。

「もしそうなら嬉しいです。兄様に続いて姉様もできたら素敵でしょうね――あ」

 何かに思い至ったらしく、エリゼはぶんぶんと首を振った。

「姉様って言っても、そういうことじゃありませんからね!?」

「何の話だ?」

「い、いえ。何でも」

 こほんと咳払いしてから、エリゼはラウラに居直った。

「ともかく、これからよろしくお願いします。ラウラさん」

「こちらこそだ。エリゼ」

 うん、これがやっぱりしっくり来る。

「足を止めさせて悪かった。鳳翼館に向かうのだろう?」 

「はい。フィーさんたちの様子を見に。もう一四時過ぎですし、さすがに起きていると思いますが」

「私も同行しよう。扉を破壊するなら、及ばずながら助力する」

「ふふ、心強いです。ところでお昼ってもう食べました?」

「そういえばまだだな」

「私もなんです。後でお昼も一緒に食べませんか」

「もちろんだ。エリゼは好きな料理があるのか? よかったら今度、私が作ろう」

「本当ですか! でしたら――」

 会話を弾ませながら、ラウラとエリゼは肩を並べて歩く。

 そのずっと後ろでは、すでに存在を忘れられたマキアスが何かを叫んでいたが、二人が振り返ることはなかった。

 

 ● ● ●

 

 鳳翼館に戻ってはみたが、フィーとミリアムはすでに起床していて、室内に二人の姿はなかった。

 しかし館内にもいないから、外へ行っているのだろう。多分すれ違いだ。

 エリゼと昼食を食べた後は、ラウンジでおしゃべりをした。案外、話好きのようで話題は尽きず、女学院のことやユミルの話をしてくれた。

 ひとしきり話を終えた頃にはもう夕方である。家の手伝いをしなければとエリゼが屋敷に帰った後のこと。

 ラウラは朝と同様に剣を持ち、鳳翼館の裏手に出ていた。夕の稽古だ。

「まずは素振りからだな」

 正面に構え、剣を振り上げた時である。

「ラウラ」

 聞き知った声に名を呼ばれ、ラウラはピタリと動きを止めた。

「ア、アリサか。どうしたのだ?」

「稽古中とは思わなくて。ちょっと姿が見えたものだから。……今、大丈夫かしら?」

 改まってどうしたのだろう。いかん、なぜか緊張してきた。エリゼに呼び方を訊く時よりも、遥かにだ。

「えーと、ね。その、ね。なんて言えばいいか」

「……?」

 うつむき加減のアリサだったが、やがて手をぐっと握りしめて顔をあげる。交錯する二人の視線。

「ごめんなさい!」

「え?」

 いきなり謝られた。謝られるような覚えはないのだが。

「急にどうしたのだ。一体何を……」

「私ったらユミルに戻ってきてから、ちょっと変な態度をあなたに取ってたかもしれないと思って」

 やはりルナリア自然公園での一件が尾を引いていたのか。

「構えていた節があるのは私も同じだ。互いに必要のない気を遣っていたようだな。こちらこそすまなかった」

「ううん、いいの。というかラウラも気にしてたのね」

 アリサの雰囲気が変わったように思えた。迷いがないというか、吹っ切れたというか。

「……もしラウラもリィンのことを……ううん、たとえそうだったとしても。私たちはこれまで通り、Ⅶ組の仲間で――友だちでいられるわよね……?」

 自分自身に言い聞かすような、不安げに伺うような、そんな問い掛けだった。

 決定的な言葉を欠いてはいるが、大切な話だとわかる。しかし今のラウラに、アリサの言う全てを察することはできなかった。

 だから理解できた部分だけ、誠実に答えた。

「もちろん友人だ。この先に何があっても、それだけは変わらない」

「うん、ありがとう」

 ほっとした様子でアリサは笑顔を見せた。

「でも遠慮はしないわ。あなたも私には遠慮しないで」

「遠慮? よく分からないのだが、勝負事の話か?」

「こういうのって勝ち負けじゃないと思うけど……どうなのかしら」

「勝負なら友人が相手でも全力を尽くす。それが礼儀というものだからな」

「何か違う気がする……でも、いっか。きっとそれでいいのよ、私たちは」

 山間の風が二人の髪を揺らして過ぎ、いつの間にか頭に積もっていた粉雪が舞う。夕日に反射する煌びやかな白が散りゆく中、彼女たちは互いの姿を見つめ合った。

「稽古の邪魔をしてごめんなさい。でも寒いから早く切り上げてきてね」

「そうだな、程々にしようと思う」

「それじゃ先に戻ってるから」

「ああ、また後で」

 踵を返したアリサは、小走りで鳳翼館へと入っていく。

「さて、と」

 体は冷えている。風邪を引くわけにもいかないし、確かにこの時間に長く外にいるのはよくないか。

 剣捌きの確認がてら、一本だけ振ることにしよう。

 そう思い、剣を頭上に掲げる。

 集中。周囲の雑音が消える。今――

 縦一閃。空気を切り裂く刃鳴り。淀みのない半円を描いた大剣が、最初の構えに戻って制止する。

「ん?」

 あれほどぶれていた剣筋が嘘のように定まっていた。どういうことだろう。

「……不思議なものだ」

 物言わぬ剣に自分の顔を映して、ラウラは首を傾げた。

 

 

 ――END――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

《女王への階段③》

 

 あまり一所に滞在するのは本意ではなかった。

 厚意で泊めてくれているとはいえ、昨今の食糧事情を考えると甘えてばかりもいられない。もっとも厚意というよりは、自分の頼むことに従順な感じだが。

 宿家を出る時、滞在先の住民たちは例外なく物欲しそうな、そして物足りなさそうな、主に捨てられた迷い犬のような目をして見送ってくれたものだ。

「一度町に戻ってみようかしら」

 寒空のケルディック街道を、ポーラは一人歩いていた。

 農家を転々として過ごす生活は、そろそろ切り上げ時かもしれない。

 別の地方に移るか、思い切ってトリスタに戻ってみるか。何にせよ、今後の方針は定めておく必要がある。

 道中、何度か小型魔獣が襲ってきたが、ポーラはムチの一振りでことごとくそれらを撃退していた。

 順調に歩を進め、ケルディックの町にたどり着く。相変わらず領邦軍の兵士たちが、我が物顔で闊歩していた。

「ちょっと止まれ。おい、お前」

 大市のゲートが見えてきた辺りで、一人の兵士がポーラを呼び止めた。かなり横柄な態度だ。しかし彼女は応じず、平然と通り過ぎようとする。

「お前だ、お前。止まらんか!」

 兵士はポーラの前に立ち、行く手を遮る。腰に手を当て、彼女はうっとうしそうに言った。

「なに?」

「その制服はトールズの生徒だな。答えろ、なぜケルディックにいるのだ」

「道すがら通りがかっただけよ」

「ふん、怪しいものだな。来い、詰所で素性を吐いてもらうぞ」

 無遠慮に伸びてきた手を、ぱしんと払いのける。

「触らないでもらえる?」

「このような態度が許されるとおもっているのか。我々はクロイツェン領邦軍。この町が誰のおかげで戦火を免れているか、お前に教えて――」

 兵士の長広舌は鼻を鳴らして一蹴し、ポーラは一歩前に踏み出た。

「ねえ、さっきから誰のことをお前呼ばわりにしているの?」

「な、何だと?」

「答えなさい。誰をお前呼ばわりにしているのかしら」

「だからお前――ひっ!?」

 何気なく兵士はポーラの瞳を一瞥し、そして雷に打たれたかように全身を硬直させた。

 そこに映るは抗弁の一切を許さぬ女王の威圧。世話になった農民にお礼とばかりに調教を施し、ほとんど無自覚に下僕へと変えてきたポーラ、否、ポーラ様。嗜虐心の宿った眼力は、紛うことなく本物だった。

「答えなさい」

「あ、あ……あ」

 もはや蛇に睨まれた蛙。彼は体だけではなく、意志の自由さえも縛られていた。

 かろうじて喉を絞り、かすれた声で言う。

「だ、誰のことでもありません」

「そう。で、いつまで私の前に立っているつもり?」

「はっ!? はあっ!」

 弾かれたように道を開ける。当然のように歩みを再開するポーラを、兵士は直立不動で見送った。

 

 

 宿酒場の扉を開く。昼時ということもあってか、店内はそれなりの客でごった返していた。

 まずは腹ごしらえだ。

 席につき、メニューを眺めながら、ポーラはこれからのことを考える。

 検門は敷かれたままのようだし、やはりトリスタに戻るのは無理そうだ。ならば他の地方に行くか。

「……みんな元気かしらね」

 みんな――自分の大切な友人達。モニカ、ブリジット、そしてラウラ。どうせ地方を移動するなら、彼女たちとの合流を目指すべきだろう。何よりも自分の手で探し出して、その安否を確かめたい。

 この一か月で得られる情報は得た。動こうと思えばいつでも動ける。

「ケルディックからならバリアハートが近いけど、向こうも警備が固そうだし……ん?」

 ふと奥のテーブルに目が行く。そこに一人の男性がうなだれていた。運ばれてきた料理に手を付けようともしない。

 見たところ行商人ではない。どちらかといえば旅客のような出で立ちだ。

 何となく気になって、ポーラは彼に歩み寄った。

「ああ、リックス……君はどこに行ってしまったんだ……こんなに探し回っているのに消息も掴めないなんて」

「どうしたんですか?」

 ぶつぶつと独りごちる男性に声をかける。彼は力なく顔を上げた。

「ああ、耳障りだったかな。ごめんよ。ちょっと人探しをしていて」

「人探し?」

 その言葉が自分の目的とも重なり、ポーラは詳しく事情を訊いてみることにした。

 彼の名はアントン。元々はリベールからクロスベルに友人と二人で旅行していて、紆余曲折を経てエレボニアに渡ってきたそうだ。

 しかし間が悪く、帝都での内戦勃発に巻き込まれ、逃げ惑う最中に友人とはぐれてしまったという。

「なるほど。それで友人を探して、各地を歩き回っているんですね」

「そうなんだよ。でも帝国の地理には疎い上に交通規制もかかっているから、思うように探せなくてさ。ああ~どうしよう……」

 事情は分かった。しかしポーラの関心は別のところにあった。

 彼の弱々しい態度。困り果てた顔。

 胸の奥がうずく。女王の嗅覚が、かつてない獲物だと告げた。

 そして入るスイッチ。

「もしかしてその友人、もうリベールに帰ってるんじゃないかしら」

「え! そ、そんなわけないだろ。友達を置いて一人で帰るなんてありえないよ!」

「あなたが一方的に友達だと思ってるだけだったりしてね」

「ひどいよ! なんでそんなこと言うんだ」

 この反応。いい。ウズウズが止まらない。

「何なんだよ、君は。はあ、優しいフランさんとは大違いだ……」

「フランさん?」

「そうさ」

 アントンは勝手に『フランさん』について語り出した。話振りからして、クロスベル警察の受付事務を担当している女性のようだ。

 一人悦に入っているアントン。

「ああ、フランさん。思い浮かべるだけでも幸せだ。想いが届かずとも、君は僕の天使だよ」

「フランさんが好きなのね。フランさんはあなたのこと好きじゃないけど」

「ぐはあっ!」

 ボディブローを食らったみたいに、彼はのけぞった。

「フ、フランさんのこと知らないくせに!」

「警察受付なんてロクなもんじゃないわ。きっと捕まえた犯罪者の脱走の手引きをしたり、マフィアと黒い取引とかしてるのよ。毎度ながら幻滅するわね、フランさんには」

「毎度ながら!?」

 なぜかフランさんは裏社会の人間に仕立て上げられていた。

「アントンさん。いいえ、アントン」

「言い直してわざわざ呼び捨てに!?」

 ポーラはアントンにずいと詰め寄った。

「私に付いてきなさい」

「は、はあ!?」

「奇遇な事に私もこれから人探しをしようと思っているのよ。同じ目的だし、丁度いいと思わない?」

「でも僕は――」

 ムチの一振りが床を打ち、アントンは絶句した。ついでに他の客共々である。

「丁度いいと思わない?」

「思います! 付いていきます! 今すぐに!」

 こくこくと首を縦に振る。

「じゃあ行くわよ。会計を五秒で済ませてきなさい」

「あひいい!」

 じゃらじゃらと小銭を撒き散らしてカウンターに走るアントン。そんな彼を視界に入れながら、ポーラはムチをしならせた。

 愉快な旅になりそうだわ。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

《エール オブ モニカ③》

 

 

 今日も昼は忙しかった。

 交代で昼食を取るとはいえ、それでも一度に相当の人数が食堂に押し寄せるのだ。

 最近ではそれも慣れて、一端に動けるようにもなってきた。しかしピーク時を乗り切る頃には、心身共にクタクタになっているのは相変わらず。

 余った食材チェック。皿洗い。テーブル拭き。一通りの片付けを終えてから、外のベンチでモニカは一息ついた。

「はー、相変わらずハードだったなあ……」

 第五機甲師団に保護され、ガレリア演習場でお世話になって随分経つ。精力的に手伝いをこなしているから、それなりに顔も覚えられたし、気やすい声もかけてもらえるようになった。

 軍人だらけの中で寝泊まりするだなんて最初は緊張したものだが、今となってはむしろ過ごしやすくも感じていた。

 ――が、問題は残っている。

「あら、モニカちゃん。休憩?」

 声の方に振り向くと、女性士官兵が立っていた。特徴的な薄ピンクの髪を揺らし、「失礼するわね」と彼女はモニカの横に腰掛ける。

「おつかれ様です。ウィルジニーさんも休憩ですか。あ、でもいつもより遅いですよね?」

「そうなのよ。ほら、あれを見てくれる?」

 ウィルジニーは演習場の一角を指さした。待機状態の戦車がずらりと等間隔で並んでいる。中々壮観な風景だった。

「戦車がどうかしたんですか?」

「うちの隊の男共って戦車の扱いが雑なのよ。きっちり停留線上に停めるよう指示しても全然でね。車体の磨きは甘いし、停車角度もずれてるし。それでお説教してたわけ」

「ははあ……」

 ウィルジニーは戦車部隊を束ねる隊長である。秀麗な容貌からは想像し難いが、かなり厳しい指導をすることで知られていた。とりわけ戦車に注ぐ愛情は強く、実際の運用から細かなメンテナンスに至るまで、一切の妥協を許さない。

 小耳に挟んだ話では、戦車隊の男達は誰一人として彼女に頭が上がらないのだという。たとえ戦死しても戦車だけは無事に帰還させるという、無茶なモットーを掲げている者さえいるらしい。

「それでお説教は終わったんですか? 戦車隊の皆さんは?」

「身をもって戦車への愛を学んでいるところよ」

 ウィルジニーの視線を追うと、そこには各種戦車のパーツを背負いながら、演習場を走り続ける兵士たちの姿があった。

 砲弾、装甲版、ハッチなど様々だが、一番不憫なのは砲塔の担当になっている人だろうか。今にも倒れそうだ。

「大事な戦車の部品に触れていられるんだから、ある意味ご褒美と言えなくもないけれど」

「ご、ご褒美?」

 どう考えても厳罰とか拷問の類だ。

 そんなウィルジニーだがモニカにとっては優しいお姉さんだったりする。数少ない女性隊士として、男所帯に萎縮するモニカを何かと気遣ってくれていたりしたのだ。

 視線をモニカに戻し、ウイルジニーは言った。

「それでモニカちゃんはどうしたの。休憩にしては浮かない顔してたけど」

「あ、それは……」

「もしかして下品なことでも言われたの? ごめんね、礼節がなっていないのもいるから。名前、所属、階級とか分かる? すぐにひっ捕まえて、宿舎の窓から逆さまに吊るし上げて、今までの人生を後悔するほどの苦痛を与えてあげるからね」

「え、え!? 違いますよっ! 彼です、彼」

「んー?」

 敷地の反対側。遠くに見えるベンチに一人の男子学生が座っていた。

「ああ、ムンク君ね。まだ落ち込んでるの?」

「そうなんです、何を言っても全然ダメで……」

 元々は導力ラジオの不調が原因で元気がなかった。しかし先日リィンたちと同行して現れたトヴァルが、修理の最中にラジオ本体を双銃剣で撃ち抜いて、とどめを刺してしまったのだ。

 それをきっかけにして、ムンクは余計におかしくなった。

 反応を返さない導力ラジオを撫でては怪しげな笑みを浮かべたり、空を振り仰いだかと思うと突然独り言をしゃべり始めたりと、症状は日を追うごと悪化している。

 もうモニカの手には負えなくなっていた。それをウィルジニーに相談してみたところ、

「だったら私に任せてちょうだい。モニカちゃんの為だもの。一肌脱ぐわよ」

 彼女はあっさりとそう言った。

「でもどうやってですか?」

「私、新兵の教育係もやっててね。まあ、軍隊式の気合の入れ方というのがあるの。きっと一発で目を覚ますわよ。ついでに根性も叩き直してあげる」

「ムンク君は兵隊さんじゃないんですけど……」

「堅い事は言わないで。さあ、まずは彼の歓迎委員会を組織しないと。可愛い戦車たちも動かしちゃおうかしら。うふふ」

「ほ、本当に大丈夫なんですか」

 ウィルジニーは愉しげに笑うと、虚ろにうつむくムンクを見据えた。

「さあ、パーティーの準備よ」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

 

 

 ――Another Scene――

 

 

「おーい君たち、僕のこと忘れてるだろ」

 遠ざかるラウラとエリゼにマキアスは叫ぶ。しかしその声は届かなかったようで、二人は振り返らない。

 そのまま鳳翼館に向かって歩いていってしまった。

「……まあ、いいさ」

 置いていかれて一抹の物寂しさはあるが、ラウラの悩みが解決したみたいでよかった。

 言った通りだったろう。こういうのは直接訊くのが一番手っ取り早いんだ。

 そろそろ僕も行くとしよう。昼も過ぎて、腹が空いた。

「レーグニッツか。何をしている」

 足を湯から上げようとした時、涼しげで、しかし鼻につくあの声が耳朶を打つ。

 ユーシス・アルバレアが近くに立っていた。

「見ての通りだ。足湯に浸かっていた」

「一人でか。暇な男だな」

 いつもいつも一言多い。久々に会っても相変わらず。だからと言って感慨深いだとか懐かしいだとか、そのような気にはまったくならないが。

「僕の勝手だ。君には関係ない。そっちこそ何をしているんだ」

 鼻を鳴らしてユーシスは答える。

「俺の勝手だ。お前には関係ない」

 この不遜な物言い。傲岸な態度。くそ、腹が立つ。

「君はそうやっていつも――あ、待ちたまえ!」

「お前に構っている時間はない」

「な、なんだと! 君の方から話しかけきてんじゃないか!」

 憤慨するマキアスには一瞥もくれず、ユーシスはさっさと立ち去っていった。しきりに首を巡らして、何かを探しているようだった。

 ケンカをした後に互いが好敵手として認め合う。そんな展開はよく耳にするが、こと自分とユーシスに限っては当てはまらない。

 好敵手どころか天敵だ、あの男は。

 上げかけていた足をもう一度湯につける。荒れていた心が落ち着きを取り戻してきた。やはり足湯はいい。

「はあ……」

 そういえば、と思うことがあった。呼び名のことで悩んでいたラウラと、半日いっしょにいたせいかもしれないが。

 ユーシスは、自分のことを『レーグニッツ』と呼ぶ。他の皆は名前で呼ぶのにだ。

 多分深い区別はしていない。最初の頃の呼び名を慣習的に続けているだけだろう。出会った時の互いの関係など、今とは比べるべくもなく悪かったのだから。

「………」

 何気なしの疑問が湧く。

 彼が僕のことを“レーグニッツ”じゃなくて“マキアス”という名で呼ぶ日は来るのだろうか。

 ……別に呼ばれたいわけじゃないが。

 

 ☆ ☆ ☆

 




お付き合い頂きありがとうございます。

というわけでアリサと異なり、ラウラはまだ気持ちの自覚には至っていません。もう少しだったのですが、今回役に立っているのかいないのか微妙な責任感の強い眼鏡のせいです。

登場人物同士の呼び名について、注釈を一つ。
虹の軌跡ではゲーム本編とは異なった呼び名でお互いを呼ぶことがあります。
例えば、
ゲーム内ではアリサはエリゼのことを「エリゼさん」と呼びますが、当作では「エリゼちゃん」です。
他にも閃Ⅱでフィーはエマのことを「エマ」と呼ぶのに対して、当作では「委員長」で統一しています。
これはあくまでも前作からの人間関係を引き継いでいたり、ストーリー上の出来事の影響を受けているからですね。他にも何人か該当する人がいたりします。

さて今回のお話ですが、エリゼの呼び名、アリサとの関係、ついでに剣の諸々を絡めた上で、ラウラの心情を描いてみました。
ちなみにラウラのこの葛藤は前作時点から想定していて、実際、前作中でも彼女はエリゼのことを名前で呼んでいません。
その辺りを掘り下げる前に虹Ⅰは完結を迎えたので、Ⅱで描くことができて妙な感慨がありました。

サイドストーリーはラウラのお友達で固めてみました。アントンはケルディックにいたのが運の尽き!ムンクはウィルジニー隊長に目を付けられたのが運の尽き!

さてまだまだ続く休息日。次回はエマがメインを張ります。ちなみにガイラーさんは出ないぜっ!

引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。
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