虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第40話 雪玉に願いを(中編②)

「ユーゥシィス! リィイイーン!!」

 怒りに狂うマキアスが、雪玉を乱れ撃つ。

 いきなりの攻撃。まともな応戦体勢を整える前に、四人の位置は散らされた。

「このタイミングで仕掛けてくるか……」

 リィンは回避しつつ間合いを取る。続く苛烈な一投が、さらにチーム同士を分断させていった。

「ひとまずエリゼはこのまま逃げてくれ。委員長たちと合流するんだ」

「兄様は!?」

「ユーシスとマキアスをここで引き付ける。俺は大丈夫だ。行け!」

 自分の体を盾にして、エリゼへの射線を阻む。

 エリゼの判断も早かった。

「お気を付けて! エマさんとクレアさんと合流次第、兄様の援護に戻りますから」

 三チーム入り乱れる状況の中、エリゼは郷側へと走る。

 ユーシスもマキアスを牽制しながらアリサに叫んだ。

「救援を呼ばせるな。郷に着く前に仕留めろ!」

「了解よ。悪く思わないでね、エリゼちゃん」

 エリゼを追うアリサ。

 その場に残ったのはリィン、ユーシス、マキアスの三つ巴だ。

 マキアスはごきりと首を回した。

「僕の狙いは最初から君たちだ。彼女たちなどどうでもいい」

「よほど自分で眼鏡を割るのが嫌だと見える。まあ、当然だろうが」

「め、眼鏡?」

 眼鏡を割るとは何だ? まさかそれがユーシスの希望するMVP特典なのだろうか。もうちょっと他にあるだろう。

 リィンは悟られないよう視線を周囲に這わせてみる。

 雪の積もる渓谷道。

 自分の後ろには小川。中道を挟んで正面は雑木林。ユーシスはその手前にいる。全体の地形は緩やかな上り坂。現時点で上方に位置しているのはマキアスだ。

 川を背後にしているリィンが一番不利だった。

 最悪のパターンは一時的にマキアスとユーシスが組んで、自分を狙うことか。注意深く二人を視界に収める。先制したいが下手には動けない。

 嘆息したマキアスが、眼鏡のブリッジをくいと押し上げる。いつもの動作なのだが、なぜか威圧的に感じた。

「白に彩られた景観……綺麗だと思わないか」

 雪玉を手の平で弄びながら、彼は続ける。

「君たちの墓標代わりにもなってくれるだろう。白銀の中で朽ち果てるがいい」

 マキアスの身体から溢れ出る不穏な瘴気が、足元の雪を蒸発させていく。闇に侵食された心が、眼鏡のレンズを黒く塗り潰した。

 全身を引き絞るようにして、マキアスは大きく振りかぶる。

「まずは君からだ」

 邪悪な一投が放たれる。狙いの先はユーシスだった。

「ちっ!」

 ユーシスは雑木林の中へと飛び込んだ。これだけの木があれば盾の役割には十分だ。迂回して有利な位置を取るつもりだろう。

 その様を見て、にたりと嗤う修羅眼鏡。

 直進していたはずの雪玉が、ぎゅんと鋭い弧を描いて曲がった。ほとんど直角に近い角度でカーブし、退避したユーシスの背後へと追い迫る。

「馬鹿な……!」

 気付いた時には遅かった。予測外の動きをした雪玉が、眼鏡を割らんと画策する不届き者に天誅を与えた。

 小さくうめいて、倒れるユーシス。

「レーグニッツ投法セカンドフォーム、《デスサイズ》の味はどうだ」

「ユーシス!」

 今の変化球はなんだ。いやそれよりも、この躊躇のなさはなんだ。

 当惑するリィンに漆黒の眼鏡が向けられた。

「さあ、君の番だ。敗北の二文字を刻み付けてやろう」

 死神の大鎌のような、凄まじいカーブ球が襲いくる。

「ヒィアーッハァッ!」

 勝利を確信している下卑た笑い声が高らかに響く。

 しかしリィンに直撃するはずの雪玉は、まっ二つに割れて地面を転がった。

「……何をした?」

「手に持っていれば道具だったよな」

 リィンが握っていたのは、そばに落ちていた木の枝。雪の重みで根元から折れたのだろう。それでも彼が振るえば十分に太刀代わりだ。

 マキアスはぎりりと歯を軋った。

「……まるでビリヤードのキューじゃないか」

「なに?」

「ふぬおおおーっ!」

 何が引き金になったのか、負の力がさらに増大する。眼鏡のシルバーフレームまで黒く染まり始めていた。

「女神でも悪魔でも構わない。僕にこの男を叩き潰す力を与えろ! その為なら魂だってくれてやる!!」

「これ親睦目的の雪合戦だぞ!?」

 雄叫びを上げるマキアスに、リィンの声は届いていなかった。

 

 

『ユーシス・アルバレア。被弾ノ為、失格』

「あーあ、ユーシスさん負けちゃった」

「この距離だと誰にやられたか分からない、の」

 騎神の両手にそれぞれ乗るアルフとキキが、渓谷道側に目を凝らしている。さすがに遠すぎて見えないらしい。

 その様子をヴァリマールの足元から見上げながら、トヴァルは言った。

「うちのチームも残り三人になったか」

「でも一緒にいたアリサはまだ無事みたいだね」

 しゃがみ込んで雪玉をこしらえるフィー。

 ジェラルドとラックを倒した後、彼らは中央広場まで出てきていた。

「あ、トヴァルさんだ」

「おう、審判ご苦労さん。落っこちんなよ」

 手の平からちょこんと顔を出すアルフ。無邪気に手を振る彼に応じつつ、先が読めなくなってきた戦況にトヴァルは思考を巡らした。

 今はどのチームも分散している。合流を優先するか、先に各分隊を叩くか。

 考えもまとまり切らない内に、フィーが立ち上がった。

「警戒して。敵が来た」

「郷のど真ん中だからな。誰だ?」

 ヴァリマールの脚の裏に隠れ、慎重に顔をのぞかせる。

 空色の髪に鳳翼館の使用人服。パープルだった。

 彼女はトヴァルを見ると表情を陰らせた。

「できるなら、あなたとは会いたくありませんでした」

「だったら見逃してくれるのかい?」

「それはできません。ユミル六柱の一人として、使命を全うしなければなりませんから」

「応戦させてもらう。負けられない理由は誰にだってあるからな」

「避けられない戦いだということは分かっています。……ならばせめて、私の手で――」

 静かに腕を持ち上げる。

「屠るっ!」

 ズドンと重い衝突音。剛速球をヴァリマールの脚装甲が阻んだが、裏側のトヴァルたちにまで衝撃は届いていた。

「なんつー速球だ……!」

「速さもだけど、一番危ないのは重さかな」

「ああ、同感だ」

 あれ程の速度で投げているにも関わらず、雪玉が空中で自壊しないことが驚異的なのだ。

 おそらく相当量の雪を固めて球状にしているのだろう。通常のものとは質量も桁違い。まともに受ければ、ただでは済まない。

「でもその分、雪玉の生成に時間がかかるし、そこまで連投はできないはず。私が一気に距離を詰めて仕留める」

「それしかないか。相性はお前さんの方がいい。だが何発かはかわす必要があるぜ。やれるか?」

「宿題撤廃とペナルティを受けない為なら、どんなことでもやるよ」

「……まあ、モチベーションはなんでもいいけどよ。俺は囮役だ。少しでもそっちに向かう雪玉を減らしてやる」

 トヴァルはコートを脱いだ。

「合図に合わせろ」

 それを広げて、横に放り投げる。超反応で飛来した雪玉が、コートを遥か後方まで吹っ飛ばした。

「今だ!」

 ヴァリマールの脚の左右からトヴァルとフィーが飛び出す。

 パープルまでの距離はおよそ50。どこまで近づけるか。10アージュではまだ遠い。5アージュぐらいまで接近しなければ確実とは言えない。

 唸りを上げて轟く一投。狙いはフィーだった。彼女は上手くステップして回避。見ている方が心臓に悪いくらいギリギリの避け方だ。

 あと30。パープルの攻撃は続く。高密度に圧縮された雪玉がフィーの手前で着弾。地雷が炸裂したみたいに、積雪が盛大に爆ぜた。

 フィーは止まらない。怯むことなく雪煙の中を駆け抜ける。捨て身の特攻だ。そうまでしてでもペナルティを受けたくないらしい。

「見事な気概ですが、そこまでです」

「……!」

 パープルの足元にはいくつかの雪玉が転がっていた。二人がヴァリマールの陰で作戦を話している間に、あらかじめ作っていたものだ。

 このままではあの剛球が連投される。しかも接近しているこの状態で。

「まずい! 一度下がれ!」

「このまま行く。トヴァルも走って」

「馬鹿! 無茶すんな――……ん?」

 自分の腰に何かが付いている。違和感の元に視線を落とした。閃光手榴弾だった。

「んなっ? い、いつの間に」

「ぶい」

「ぶいじゃねえ!」

 ベルトにフックで固定してあって、すぐには外せそうにない。

 閃光弾のピンに糸がくくりつけてあった。糸の先は言わずもがなフィーの手にある。

「よっと」

「おい待っ」

 引っ張られ、伸びきった糸がピンを弾いた。

「あと五秒で爆発するから急いで」

「こ、こいつ……!」

 直接攻撃でなければ郷内にあるものは全て使用可にしている。そこに持ち込み禁止というルールは作らなかった。

 明記していなくても本来は無しだろう。しかし審判のヴァリマールは規約のみに忠実だ。モラルは判定基準に含まれない。

 ことごとくルールの隙間をくぐり抜けてくる反則娘である。

「ああ、くそ!」

 どうしようもない。トヴァルに残された道は、チームの為に犠牲になることだった。

「うおおお!」

「くっ……」

 パープルの動きが鈍った。投げようとしたまま、腕を止めてしまっている。

「ト、トヴァルさん。私は……私はあなたを」

「見やがれ、俺の最後の輝き! 突撃お兄さんフラッシュだ、ちくしょう!」

 やけになって叫ぶお兄さん。パープルに飛びかかると同時、炸裂する閃光弾。

 誰よりも雪合戦に心血を注いだ彼の壮絶な生き様、否、死に様。四肢を広げたトヴァルのシルエットが光の中に呑まれて消えた。

 拡がる閃光を一つの雪玉が突き破る。

 光を直視しないようにしていたせいで、フィーの反応は遅れた。

「うっ」

 左腕に命中。とっさに腕を引いて衝撃は逃がしたが、小さな体では耐え切れなかった。

 吹き飛ばされ、雪の上を何度も転がり、フィーは倒れる。

 収まっていく光の中で、パープルが一人立ち尽くしていた。彼女の震える足元には、動かなくなったトヴァルが横たわっている。

『フィー・クラウゼル。被弾ノ為、失格』

「トヴァルさんもアウトー!」

 ヴァリマールとアルフが敗退者を告げる。

 止んでいた雪がまた降り始めていた。

「私は……この手であなたを……」

 果てたトヴァルの傍ら、パープルは贖罪のように膝を付く。雪玉を手にうなだれ、濡れた瞳が想い人の屍に向けられた。

 

 

 教会前まで戻ってきたところで、ラウラはシャロンと合流した。

「そうでしたか。サラ教官が」

「ええ。ご立派な最後でしたわ」

 パープルを退けはしたが、その最中にサラがやられてしまったと、目じりを拭いながらシャロンは説明した。

「ところでマキアスの居場所を知りませんか?」

「私も存じません。マキアス様のことですから、効果的な策を考えておられると思いますが」

 彼はモリッツたちの襲撃があった時には、すでにチームから離脱していた。それはスタート直後のことだ。チームメンバーに行く先も告げずに、どのような策があるのだろうか。

 思案するラウラにシャロンは柔らかに笑んだ。

「動き詰めですから、紅茶でも淹れて一息つきたいところなのですが」

「それはもう少し後になりそうですね」

 目配せし、二人同時に飛び退く。その直後、空を切った雪玉が地面にぶつかって砕けた。

「この程度の奇襲は通じないと思っていましたが」

「さすがの反応ですね」

 民家の物陰から姿を現したのはAチーム。メイプルから逃げきったクレアとエマだった。

「そなた達か。楽には先に進めそうにないな。シャロン殿」

「承知しておりますわ。このお二方相手には最初から全力です」

 教会の鐘が鳴る。それが開戦の合図になった。

 シャロンのサイドスローが先制する。鋭角に切り込む初撃をかわしたクレアは、身軽なバックステップで距離を開けた。

「エマさん!」

「はい!」

 クレアの陰から飛び出たエマは、ラウラ目がけて雪玉を投げる。球速はそれほどでもないが、狙いは正確だ。

 ラウラの身体能力は高い。ついでに今はモチベーションも高い。必要最低限の体捌きで雪玉を避けるや、すぐさま反撃に転じた。

 投球フォームや目線から軌道を先読みし、エマも負けじと立ち回る。

 紙一重の攻防を繰り返し、競り合うエマとラウラ。

 一方お互いの隙を探りつつ、クレアとシャロンは対峙していた。

「位置取りが上手いですね。クレア大尉」

「あなたこそ。私の視線を巧みに誘導しようとしているでしょう。かかるつもりはありませんが」

 二人が定めるターゲットは向かい合う相手ではない。近くで味方と戦う敵のパートナー。すなわちシャロンにとってはエマ、クレアにとってはラウラが標的だった。

 手一杯になっているその背中こそ、何より当てやすい的である。

「エマさんに手は出させませんよ」

「それはこちらとしても同じです。勝負の最中で恐縮ですが、一つクレア大尉に質問が」

「何を……?」

 シャロンは両腕を下ろして、攻勢の構えを解いた。

「MVPを取ったら、あなたは何を望むのですか?」

「釣竿を頂こうと思っています。少々興味を持ちまして」

「まあ。それはリィン様も釣り仲間ができてお喜びでしょう。釣竿も何本かはお屋敷の倉庫にありましたし」

「そう言うあなたは?」

 クレアの問いにシャロンは微笑を返した。

「面白い事ですわ。そう、とても」

 妖艶に揺らぐ瞳。黒い企みを直感したクレアは油断なく相手を見据えた。

 シャロンの指と地面の間に何かがきらめく。

「出し抜かれましたね。まったくいつの間に……いえ、最初から仕込んでいたのでしょうね」

「気付かれてしまいましたか」

「目立つ場所で立ち話をしていた時点で疑っておくべきでした。奇襲をかけたつもりが、体よく誘われていたようです」

「ふふ……」

 シャロンは垂らしていた腕を交差しながら振り上げる。十本の指から繋がる糸――その先に括られていた雪玉が一斉に宙を舞った。

「釣竿はお屋敷にあったとも申しましたよ」

 これは普段の鋼糸ではなく釣り糸。絶妙な力加減で先端の雪玉を割らないように操っているのだ。

 四方八方に張り巡らされたライントラップが牙をむく。

「にらみ合いで埒があかないなら、先に仕留める方が早いというわけですか。なるほど――」

 それぞれの糸が不規則な動きでクレアに迫る。

「私も同じことを考えていました」

 雪の下からミラーデバイスが飛び出した。円を描きながら虚空を走る鏡面装置の群れが、シャロンの糸を片っ端から弾いていく。

「あら、そちらも仕込み済みでしたか」

「あなた達相手に無策で挑むような真似はしませんよ」

 クレアは奇襲をかける前に念の為、複数の鏡面を一帯に忍ばせておいたのだ。離れた場所から雪下を移動させることは、プログラムどうりに動くミラーデバイスなら難しくはなかった。

 直接攻撃以外であれば何を使ってもよく、そして持ち込みが禁止されていない。

 ルール違反すれすれを攻める人間は、フィーのみならずここにもいた。

「さあ、行きなさい」

 雪玉を鏡面に乗せたミラーデバイスが、複雑な動きで飛んだ。

 急制動をかける度に、反動で雪玉が射出される。それこそ360度、全方位から。さすがのシャロンも全てをかわしきることはできず、釣り糸を操り、デバイスを絡め落とそうとしていた。

 もはや雪合戦の光景でない。

 一つ目のミラーデバイスを撃墜したシャロンが言う。

「その装置はあらかじめ設定されたプログラムに則って動くものですわね。つまり状況に応じた臨機応変な機動はできない」

「そうなります」

「どこまで私の行動を先読みしているのか――面白い勝負ですわ」

 読み切っていればクレアの勝ち。読みの一手先で立ち回ればシャロンの勝ち。

 中空で展開される鏡面装置と釣り糸の乱舞。

 勢いよく伸びた糸が、一つ、また一つとミラーデバイスを地に引き落としていった。その度にクレアの攻撃の手数は減っていく。

 クレア自身も雪玉を投げる。当てるのが目的ではなく、足を止めるのが狙いだ。

 この先、それぞれの個器がどう動くかは彼女しか知らない。デバイスが攻撃するより寸分早いタイミングでシャロンの行動に制限をかけ、命中させやすくしていた。

 接戦を制したのはシャロンだった。最後のミラーデバイスが落とされる。

「全部に対応しきるなんて……ですが!」

「くっ」

 シャロンがよろめく。無理な体勢で糸を操ったせいだ。正確には最終的にその体勢になるよう、仕向けられていたのだが。

 クレアはミラーデバイスだけでシャロンを翻弄しきれるとも、仕留められるとも思っていなかった。本命の目的は隙を生ませることだ。

「これで終わりです!」

 刹那、シャロンの双眸が鋭くなる。殺気にも似た、寒気を感じるほどの圧。おそらくはこれが執行者としての目付き――クレアが直感したと同時、後方の木の根元で何かが動いた気配がした。

「まさか、まだ!?」

「奥の手は隠しておくものですわ」

 シャロンは思いきり腕を引いた。糸に繋がれた雪玉が、クレアの背に向かって勢いよく引き寄せられる。

 かろうじて反応が間に合うも、今度は彼女の体勢が大きく崩れた。振りかぶるシャロンの口元が小さく緩む。

 クレアはもう回避できる状態にない。

 最後の一撃を見舞おうとして――しかしシャロンは腕を下ろした。

「全て落としたと思っていましたが……そういうことでしたか」

『シャロン・クルーガー。被弾ノ為、失格』

 ヴァリマールの判定。釣り糸を指から離すシャロンの背中には、雪玉が命中した跡があった。

 光を反射してきらめく鏡面が宙を舞っている。役目を終えたそれが引き返していく場所はクレアではなく、エマだった。

「エマさんにミラーデバイスの一つを渡していました。単純な往復軌道に設定していたものを」

 言わばクレアの戦闘自体が囮。全力の彼女がシャロンの注意をそらして、ほんのわずかに生まれた隙へ滑り込むように、雪玉を乗せたミラーデバイスをエマが完全な死角から放つ。

 それが、知将二人が最終的に持ってこようとしていた形だった。

「ラウラさんとの戦いの最中でエマさんも余裕はなかったはずですが、それでもやり遂げてくれました。奥の手は隠しておくものなのでしょう?」

「私の負けです。V字水着はまたの機会のようですわね」

「ぶい……? 聞いたことのない言葉ですが」

「なんでしたらクレア大尉の分もお作りましょうか?」

「よく分かりませんが遠慮しておきます」

 残る目標は一人。クレアはラウラに向き直る。これで二対一だ。

 ラウラに焦りが見える。

 ユミルを滅ぼしかねない彼女の希望。災厄の種が今、(つい)えようとしていた。

 

 

 激突するレーグニッツ投法と八葉一刀流。

 憎しみを乗せて放たれる雪玉を、真一文字の剣閃が断つ。

 戦いは渓谷道を外れ、雑木林の中に移っていた。

「シャアッ!」

 レーグニッツ投法セカンドフォーム《デスサイズ》とやらが、木々の間を縫ってリィンに襲い掛かる。

「はあ!」

 見切って切り下ろし。悪意そのものを打ち砕いている感覚だった。

 しっかりした枝で良かった。もう少し細ければ、容易く折られていただろう。

 雪を踏む音が近付く。いくつかの木の向こう、真っ黒に染まった眼鏡をマキアスが押し上げていた。

「しぶといな。こんな林の奥まで逃げてきて。早く楽になるといい」

「そういうわけにはいかない。チームの為にもやすやすと負けられない」

 枝先をマキアスに向ける。雑木林を吹き抜ける風が、不気味なささやき声をかすれさせた。

 マキアスは感情のない声音で言う。

「君の決意など知らない。ただここで倒す。それだけのことだ」

 両手に雪玉を携え、身を低くするマキアス。

「レーグニッツ投法サードフォーム、《ブラッディシザーズ》」

「いちいち名前が物騒だな!」

 二つの雪玉が間隔を狭めながら鋭い軌道で迫る。交錯する一点にあるのはリィンの首だ。名の通り“血のハサミ”。あいつは俺を殺す気か。

 上体をそらした直後、鼻先を切り裂いて過ぎる雪玉二つ。

 すぐに投げ返すが、ろくな狙いも付けられなかった。マキアスはよけようともせず、緩慢に構えを取り直している。

「レーグニッツ投法フォースフォーム、《デビルズギロチン》」

 オーバースローで上空高く投げ打つ。

「フィフスフォーム、《フォーリンエンジェル》」

 今度はアンダースロー。低空を這い飛ぶ鳥のように、地面すれすれを雪玉が走った。

 先に投げられたデビルズギロチンが上空から急角度で落下してくる。強力な純回転がかけられているのだろう。リィンは断頭台に乗せられている自分の姿を幻視した。

 上だけを見てはいられない。バックスピンのかかったフォーリンエンジェルが急浮上。

 上下からの重複攻撃。まるで肉食魔獣の顎だ。

 というかフォーリンエンジ(堕ちた天使)ェルなのにアップする変化球なのか。いや、今はそんなことより――

「くそ!」

 横に避ける以外にない。横っ飛びに地面を転がり、リィンは林の中を逃げた。

「ポーンが前進。ナイトが跳躍。ビショップはそっちにいるぞ」

 止むことのない変化球。ぶつぶつとつぶやきながら容赦なく追い詰めてくる。

 なんとか突破口を見つけなければ。

 ゆらと投げられる雪玉。急に球速が緩くなった。投げ損じたのか? ともあれ好機だ。

 俊敏に避けて攻めに転じようとした時、マキアスが片口の端を吊り上げた。

「クイーンが詰めて――ほら、チェックメイト」

「なに? うわ!?」

 片足が雪の中にずぼっと埋まる。普通の深さじゃない。これはあらかじめ掘られた穴だ。おそらくは自分とユーシスが渓谷道で対峙している間に作ったのだろう。

 知らずの内に誘導されていたのだ、この場所に。

「さあ、覚悟はいいか?」

「マキアス……」

 なんなんだ、この敵意むき出しの目は。俺が何かをしたのか? まったく覚えがない。今日の彼は普通じゃない。

「落ち着けマキアス! 俺に恨みがあるわけじゃないんだろう!?」

「君に恨みは――ある!」

「なんでだよ!」

 マキアスは天高く片足を振り上げ、上半身を限界までねじった。

「レーグニッツ投法ファイナルフォーム……《アンガーオブレーグニッツ》。贖え(あがな)、リィン!」

「だから何をだよ!」

「うおおおお!」

 憎しみと怒りが雪玉に凝集されていく。白い雪さえも黒に塗り潰された。

 聞く耳を持たない全力投球。

 球が分裂したり、物理法則を無視した動きをしたりと、もう何が何だかわからない。暗黒の弾丸と化した雪玉がリィンを貫かんと加速する。

 やられるものか。

 枝を腰に添えて、居合の構えで待ち受ける。見定めろ、敵の玉を。引き付けて断ち切れ。

「はあああ!」

 八葉一刀流、四の型《紅葉切り》。気迫が奔り、大気を裂く。

 黒い尾を引く雪玉と、鋭い剣閃が重なる。瞬間、雪玉が深く沈んだ。

「なに!?」

 枝が雪玉をかすめる。しかし粉砕には至らなかった。軌道を変えた黒い弾丸は、リィンの太ももに命中した。

 頭を垂れるリィンを見て、マキアスは哄笑をあげた。

「勝った……勝ったぞ! リィンもユーシスも僕が倒したんだ! この僕が!」

「……マキアス、お前は……」

「なんだ。まだ口を開く力が残っていたのか」

「それはあるだろ」

「そこで指をくわえて見ているがいい。僕がMVPに輝く瞬間をな」

「どうして、そうまでして……」

 そこまでお前を駆り立てるものはなんだ?

 負の力に呑み込まれていくマキアス。自分の知る彼は、もう戻って来ない気がした。

 全てを捨てて、己が目的の為に。退路のない雪道を一人の修羅が征く。

 

 

 渓谷道を引き返し郷内へ。

 エリゼは遮蔽物で身を守りながら走り続けた。

 民家、植木、花壇、柵、塀。生まれ育った郷だ。どこに何があるかなど、目を閉じていたって分かる。

「はあっ、はあ」

 とはいえ走りっぱなし。息が上がる。追ってくるアリサの速度に衰えは見えない。少しずつ距離も縮まっている。

「確かアリサさんはラクロス部って言ってたような……」

 スタミナは自分より上。飛んでくる雪玉の狙いも正確。部活仕込みなのか、走りながら球を扱う感覚に優れているらしかった。矢を射る時のような瞬間集中力も侮れない。

 こちらのアドバンテージは郷の造りに詳しいことと、雪道の移動に慣れていることくらいか。

 だとしても――

「負けません!」

「私もよ!」

 振り向き様、足は止めずに応戦。飛び交う雪玉の応酬。その最中、ヴァリマールが言った。

『リィン・シュバルツァー。被弾ノ為、失格』

「兄様が!?」

「リィンがやられるなんて……」

 ユーシス敗退のアナウンスは先に聞いている。となればリィンを倒したのはマキアスだ。

 アリサの球筋が乱れた。明らかにコントロールも落ちている。雪玉に映る感情の揺らぎ。

「アリサさん……?」

 敵であるはずの兄様が倒れたのに、どうしてアリサさんが動揺しているの?

 ざわつく胸の奥。意味もなく落ち着かなくなる心。

「アリサさん!」

「な、なに?」

「あなたの望みはなんですか?」

 とっさに吐き出した問いはこれだった。MVP特典の希望。勝者のみが叶えることのできる、ただ一つの願い。

 どうしてそれを訊いたのかはエリゼ自身にも分かっていなかった。女の勘、と呼ぶものなのかもしれない。

「えっ」

 アリサの挙動が極端に鈍る。口を開いたり閉じたりして、やがて小さく言った。

「……言えるわけないわ。なんでそんなことを訊くの?」

「えっ」

 今度はエリゼが戸惑う。答えを持っていないのに、答えられるはずなどなかった。

「エリゼちゃんこそ、望みは何?」

 刃のついたブーメランが返ってきた心地だった。

 自分の望み。

 子供の頃みたいに兄様に甘えてみたい。頭を撫でて欲しい。

 MVP特典のことを聞いて頭に浮かんだのは、そんな些細なことだった。

 我ながら呆れる。自分は何歳になったのだ。未だにそんなことを思うなんて。姫様に知られたら、どれだけからかわれることか。

 でも、仕方ない。思ったんだから。

「……言えるわけありません。そんなこと訊かないで下さい」

「ず、ずるくない、それ?」

 走る。投げる。避ける。また走る。

 エマとクレアが教会前にいるのは視界の端に入っていた。だがここまで離されてしまうと、合流はできそうにない。

 ヴァリマールの足の間をくぐり、中央広場を越え、ケーブルカー駅を横目に、エリゼとアリサはユミルの郷を駆けた。

 間もなく山道側に続くアーチ門が近付いてきた。スノーボードを楽しめるようにと、郷の若衆が整備した見晴らしのいい下り坂だ。

 あちら側も競技エリア内らしい。身を隠すものがほとんどない雪原。純粋な実力が勝敗を決める銀世界。

 いつまでも逃げてはいられない。あの場所で戦おう。

 

 

 シャロンを倒されたラウラは、無理に戦い続けようとはしなかった。

 無策に攻める蛮勇は選ばず、即断即決で一時撤退に踏み切った。

「引き際を弁えていますね。さすがと言うべきでしょうか」

「追いかけますか?」

 感心している様子のクレアにエマは言った。

「ええ、そうしましょう」

 全体の人数が減りつつある状況下で、他チームの横槍は入りにくい。シャロンと違い、ラウラは手の込んだ罠を巡らすタイプではない。今なら二対一のまま、有利に戦況を運ぶことができる。

 総合的に考えて、クレアは追撃を選択した。ラウラを脱落させることができれば、Cチームの残存戦力は大幅に低下する。

 二人が走ろうとしたその時、(もや)が出た。

「……そうでしたね。チーム単位ではなく個人の横槍はあり得ることでした」

「これはメイプルさんの――」

 白く濁る景色。ラウラの姿があっという間にかすれて見えなくなる。そして響く恨みがましい声。

「もう逃がさない。今ここで、全ての元凶を断つ」

「げ、元凶?」

「呪うなら己の発育の良さを呪うがいいわ」

 憎しみ、怒り、妬み。負の感情が彼女を修羅に変えていく。

「覚悟なさい。私がMVPを取ったら、あなたに最高の恥辱を与えてあげる」

「なんで私ばかり……。いったい何をさせられるんでしょうか……」

「そうね。まずはその胸を枕にお昼寝でもさせてもらおうかしら。想像するだけで……くふふ、あーははは!」

 案外ソフトな要望だった。

 声から相手の位置を特定しようとしているクレアは、警戒の色を強める。

「修羅率が50パーセントを越え始めていますね。ハーフ修羅と言ったところでしょうか」

「し、修羅率? そんなものが分かるんですか?」

「いえ、勘ですけど」

「クレア大尉……」

 導力演算機並の頭脳の勘なのだから、無視はできない情報なのだろうか。いや、そもそもハーフ修羅とはなんなのか。疑問の口を開きかけたエマだったが、周囲の異変を察知して言葉を止める。

 空気の流れが不自然に変わった。

 靄の中に、不意に人影が現れる。

「大尉、後ろです!」

 エマが雪玉を投げる。人影に当たったはずのそれは、空を切って靄の外へと飛び出した。一瞬だけ影の形が崩れたが、すぐに元通りになる。

 メイプルはおかしそうに笑う。人影が増えていた。二人の周りをいくつもの影が取り囲んでいる。

 クレアとエマは手あたり次第に雪玉を投げたが、全て外れだ。

「無駄ね。あなた達には見切れない。これが《幻惑》の名の由来。私に与えられた力よ」

「与えられた……?」

 その言葉に引っ掛かるエマ。いったい誰に、どうやって与えられたと言うのか。

 問い質す時間はなかった。投げ入れられた雪玉が、エマの胸に当たってべちゃりと潰れる。

「きゃ!?」

「あえて密度を薄くした軟球よ。これならボインリフレクトは発動できないでしょう」

「変な技名を付けないで下さい! 第一、私の意志でやってるんじゃありませんから!」

「勝手に大きく育ったって言いたいわけ!?」

 話の通じないハーフ修羅。ヴァリマールが『エマ・ミルスティン。被弾ノ為、失格』と告げる最中にも、掟破りの二投目がエマの丸めがねを雪まみれにしていた。

「うう……ひどいです」

「まだ見ぬ世界中の同志たち……あなた達の無念を胸に抱いて、仇は討ったわ」

「そんな、無念って」

「抱くほどの胸もないって言いたいか!」

「違――わぷっ」

 問答無用の三発目を食らって、エマは沈黙した。

 身勝手な復讐を果たしたメイプルだったが、その矛先はすでにクレアに向けられていた。

「次はあなたよ。ふん、中々どうして立派なものをお持ちで」

「メイプルさんの動機は概ね理解しました。まあ、理解し難い部分もありますが……あなたは勘違いをしています」

「へえ。何をよ?」

「女性の魅力はそこではありません。あなたにはあなたの魅力があるはずです」

 言葉を選び、少しでも戦意を下げようとする。爆弾処理にも似た緊迫感が辺りに漂っていた。

「それは兼ね備えし者が持たざる者へ、上から投げつける言葉ね」

「そんなつもりは……ですがあなたの理屈なら、あなた自身は数えきれない人間を恨み続けることになるんですよ」

「言うに事欠いて……!」

 悪意のない説得ではあったが、最後の一言が起爆スイッチを押した。爆弾処理失敗。解除コードはない。

 殺気が増大するのを感じたクレアは、即座に臨戦態勢へと移行する。もう話合う余地は残っていなかった。

「認められないものを否定して、そうやって戦い続けて何が残ると言うんです」

「軍人が戦いの是非を語るな! 人類史から戦争が消えない理由を教えてやる!」

 修羅率80パーセント。ハーフ修羅は五分の四修羅へと進化した。

 この状況でクレアに勝ち目はなかった。人影が一斉に振りかぶったように蠢く。どこから飛んで来るのかわからない。弾道が予測できなければ、ミラーデバイスでの防御も効果は薄い。

 その時、黒い残光が靄を切り裂いた。遅れて到達した突風が、一息に視界を晴らす。

「なんなの!?」

「あ、あなたは……」

「レーグニッツ投法セカンドフォーム、《デスサイズ》」

 修羅率120パーセント。

 身と心の全てを闇に堕としたオール修羅が、粉雪の中に漆黒の眼鏡を浮き立たせていた。

 

 

 どう切り抜ける。

 近付いてくるマキアスと敵意に満ちたメイプル。双方に挟まれる形となったクレアは、最善の選択を思考した。

 メイプルが気を取られている内に逃げるか、不意打ちをするか。あるいは先にマキアスを叩くか。

 あらゆる可能性を模索するクレアとは対照的に、メイプルの行動は首尾一貫していた。

 マキアスを一瞥しながらも、彼女はぶれることなくクレアをターゲットに定めた。靄は晴れているが、そんなことはお構いなしなのだろう

 鋭利なカーブ球が、メイプルとクレアの間に割って入る。

「誰に手を出そうとしているんだ」

「はあ!? あんたにとってもこの女は敵でしょうが! なんで邪魔するのよ」

「僕の敵が誰なのか。それは僕自身が決めることだ」

「意味わかんない!」

 メイプルは雪を力いっぱい蹴り上げる。大量の粉雪が拡がり、先ほどよりも濃い靄を発生させた。マキアスとクレアはそろって雪煙に呑み込まれる。

 見えなくなるメイプルの姿。また揺らめき立つ人影。

「マキアスさん。この影は――」

「ええ、理解しています」

 クレアはこの現象に見当がついていた。が、マキアスも明晰な頭脳を持ち合わせている。言わんとしたことは伝わっているようだった。

「動けますか、大尉。まずはこの状況を打開したいのですが」

「私に助力すると? なぜ?」

「それは敵を片付けてからの話としましょう」

 嘘はついていない。油断を誘って寝返るとも思えなかった。彼は本心から協力しようと言っているのだ。

 ならば、使える策はある。

「今からメイプルさんを惑わして、無駄玉を撃たせます。そこから彼女の位置を割り出して反撃を。ただ問題が一つ。初撃をある程度こちらの思惑通りの場所に投げさせなくてはなりません」

「囮がいるということですか。了解しました」

 逡巡の間もなく、マキアスはうなずいた。

 クレアは靄の中を慎重に、探るように移動する。左ななめ前に五歩ほど歩いたところで立ち止まった。この位置だ。

「な、なんで……?」

 途端、メイプルの戸惑った声が聞こえた。

 理由はわかっている。彼女の見ている光景は想像できた。自分で発生させているつもりのない人影が、靄の中に突然現れたのだろう。

 粉雪の粒子に陽光を乱反射させることで、自分の現身を靄に投影する。それが《幻惑》の力の正体だ。

 無論簡単なことではない。太陽の位置、雪の状態、光の反射角、自分自身の立ち位置。全ての条件を合致させなければいけないからだ。

「くっ……!」

 メイプルは培われた経験と優れた勘でそれをする。しかしクレアにはその経験がない。だから彼女は同等の現象を、計算によって導き出した。

 これは第一段階に過ぎない。本命はこの後。

 煙る靄に紛れて、何かがきらめいた。

「そこよ!」

 メイプルが雪玉を投げてきた。囮にかかったのだ。間髪入れずにマキアスが叫ぶ。

「四時方向、距離八!」

 クレアのカウンターが靄を抜け、指示座標へと飛ぶ。

 粉雪が晴れる前に『メイプル。被弾ノ為、失格』とヴァリマールが勝負の結果を伝えた。

 鮮明になった視界の中で、メイプルは両膝をついてうなだれていた。右肩に被弾の跡がある。

「負けたのね、私。でもどうして、確かに一人は捉えたはずだったのに……」

「君が狙ったのはこれだ」

 掲げたマキアスの手には眼鏡があった。

「だから何? どうしてあなたに当たってないのよ」

「顔から外してこれで操ったからな。そばに落ちていたんだ」

「……やられたわ」

 それはシャロンが使っていた釣り糸だった。フレームに糸を括りつけて、あたかもマキアスがそこにいるかのように演出したのだ。

「私を倒しても、いつか第二第三のぺったんこが現れるわ。それを忘れないことね――って誰がぺったんこだ!」

 自分で自分に突っ込みを入れて、メイプルは自爆した。

 

「状況は打開できましたね」

「ええ」

 向かい合うクレアとマキアス。二人はAチームとCチームだ。

「助太刀を感謝します。ですがここからは敵同士です」

「クレア大尉、僕はあなたに訊きたいことがあります。それは――」

「注意して下さい」

 言葉の続きは言えなかった。クレアは身構え、警戒の視線を新たにやってきた敵へと向ける。

「ようやく遭えましたね」

「……パープルさん」

 彼女は行動不能になっているメイプルをちらりと見た。

「まさかメイプルが破られるとは思いませんでした。なるほど、トヴァルさんが一目置くわけです」

「え?」

 そこでトヴァルの名前が出る理由が、クレアには理解できなかった。

 口調はあくまでも穏やか。佇まいもしとやか。メイプルのように敵意を前面に押し出しておらず、むしろ優しげな表情を浮かべている。それなのに、どこか悲壮感にも似た哀愁が漂っているのはなぜなのか。

 しかしクレアを見据える眼差しは強い。瞳に映るのは決意と――覚悟だ。

「本気を出させてもらいます」

 バチンと何かの留め具が外れる音。スカートの中からそれが落ちた。外側にバネのついた薄手の腿当て。

「装具……?」

 さらに肩、腰に巻かれていた伸縮性の高いバンドが外される。デザインが使用人服と調和している上に布地もフラットなので、特殊なものだと一目では気付けない代物だ。

 それが本来の動きを大きく制限する拘束衣だと知れるには、彼らの聡明さをもってしても幾何かの時間を要した。

 最後にパープルは両手首に巻いていたリストバンドを取る。地面に落とされたバンドは『ズン!』と重い音を立てて雪下深くに沈んだ。

 クレアはおろか、修羅モードであるマキアスでさえ絶句していた。

「久しぶりの感覚ですね。うまく力を制御できるかどうか――破ァ!!」

 放出される闘気。気合い一つで周囲がビリビリと震撼する。近くの民家の窓ガラスがまとめて砕け散った。

 シュバルツァー邸の二階窓が開き、あごをしゃくるテオが顔を出した。

「ふふ、これがパープルの真の力だ。体に負荷をかけ続ける拘束着をまとい、鳳翼館の日常業務をこなせば、日々鍛錬しているのと変わらない」

「この鳩時計式の解説はなんとかならないの? 寒いんだから早く閉めなさいよ」

 セリーヌはその横でうっとうしそうに体を丸めていた。解説を終え、速やかに閉められる窓。

 パープルはゆらりと振りかぶった。

 かつてない悪寒に全身が総毛立つ。

 マキアスは地面に跳び伏せ、クレアはありったけのミラーデバイスを展開した。

 投げ放たれる全開の《紫閃》の一投。

 大気を同心円状に爆ぜさせ、一条の光がユミルの郷を縦貫した。

 突き進む雪玉の後をソニックウェーブが追う。凄まじい風圧がミラーデバイスをことごとく吹き飛ばした。

 数本の街路樹をへし折ってなお、威力を減衰させる気配すら見せないそれは、遥か遠くに佇む一軒の邸宅を直撃した。

 雑貨屋《千鳥》だ。本日二回目の被弾である。レンガ造りの壁をぶち抜いて、一発の雪玉が店内に破壊を撒き散らした。

 窓の内側に『ビチャア!』と大量の赤い液体が付着する。カミラかライオのどちらかが被害者になったのだ。役どころ的には、多分ライオが死んだ。

 懲りもせず、シュバルツァー邸の窓がまた開く。

「安心するがいい。あれは段ボール詰めのトマトが破裂しただけだ」

「なんでこの位置からそんなことが分かるのよ」

「領主だからな」

「答えになってないわ。はい閉めて」

 テオへの扱いが雑になってきているセリーヌである。

 彼らの解説はよそに、パープルは自分の手を眺めていた。

「やはり力の調節が難しいようです。今ので七割といったところでしょうか」

 もはや狙撃ではなく砲撃。まともに食らえば木っ端微塵は免れない。

 マキアスが言った。

「一人であの人を倒すのは不可能だ。力をお貸しします」

「しかし二人がかりでも厳しいでしょう。下手を打てば共倒れになるかもしれません。勝算は?」

「ファイナルフォームを越えた力……レーグニッツ投法アルティメットフォームなら、あるいは」

 父カール・レーグニッツから伝授された最終奥義。並みいる政敵を一投の下に屠り尽くしたと、まことしやかに噂される伝説の究極魔球だ。

 肩を慣らすパープルはまだ攻めてこない。挙動は見逃さないようにして、マキアスは続ける。

「ただその前に……あなたに訊きたいことがあります」

「先ほど言いかけていましたね。なんでしょうか?」

 短い沈黙。

「クレア大尉はリィンを……その、どう思っているのですか」

「リィンさんを?」

 クレアに質問の意図は伝わっていないが、少し考えて彼女は返答した。

「学院の後輩。信頼できる仲間……いえ」

 束の間、目を伏せる。何かを思い返しているようにも見えた。

「頼りになるけど、どこか目を離せない――弟のようだと思っています」

「お、弟……?」

「そして、もちろんあなたのことも」

 その言葉は意外だったようだ。マキアスは目を丸くする。

「私にとって、やはりあなた達Ⅶ組は特別なのでしょうね。立場上、あまり大きな声では言えないので内緒にして欲しいのですが」

 リィンだけが彼女の特別ではない。自分も平等に見てくれている。

 マキアスは言葉の裏に垣間見えるクレアの本心を汲み取った。ビリヤードの一件は何かの勘違いと早合点か。唐突に理解した頭が、心に沈殿していた重く黒いものを溶かしていく。

「そうか。僕は……」

 浄化されていく暗黒の眼鏡。フレームが銀色に輝き始める。戻ってきた白きマキアス。彼の手に聖なる力がみなぎっていた。

「お見せしましょう、僕のアルティメットフォームを。決まればパープルさんと言えども必ず隙が生まれます。クレア大尉はそこを突いて下さい」

「あなたを信じます」

 マキアスは見たことのない構えを取る。「コホオオオ」と呼吸と精神を整える。異様な雰囲気を察したのか、パープルは姿勢を低くした。

 究極の一投が放たれる――直前。どこからか飛来した一発の雪玉が、マキアスの脇腹にめり込んだ。

「かふっ!?」

 空前絶後の威力。さながら鉄球が激突したかのようだった。

 前のめりに倒れるマキアス。その彼の足元に滑り込み、高速で浮上した別の雪玉があごを捉える。

「ごはあ!」

 強烈なアッパーに足が地面から離れ、体が浮き上がる。まだ終わらない。意志を持ったみたいに縦横無尽に飛ぶ弾丸が、全方位から絶え間なく襲い掛かった。

「ぎゃあああ!」

 蜂の巣になりながら、マキアスは上空へと打ち上げられていく。

 相次ぐ衝撃に顔から眼鏡が離れた。意識も絶え絶えに、それだけは守らねばと腕を伸ばす。

 慈悲はなかった。宙を舞うそれを標的とした雪玉が殺到し、眼鏡はマキアスの眼前で粉々に撃ち砕かれた。

「マキアスさん!」

 彼を案じつつ、クレアはパープルを見る。彼女は動いていなかった。小さく震える唇が何かをつぶやいた。

「あの方が……ついに動かれた」

「あの方?」

 パープルの視線を追う。救護テントだ。ユミルチームの登録は六人。クレアはヴェルナーが復活した可能性を考えたが、かの料理長は変わらずベッドの上で横たわっている。

 テントの前に一人の男が座っていた。鳳翼館総支配人、バギンス。

 どこか諦念を感じさせる口調で、彼は言った。

「あなた方は健闘した。だが健闘し過ぎてしまったようだ」

 肩をすくめ、空を見上げる。

「親睦目的の雪合戦。場を荒らさせぬ為にここで封じていたつもりだったが――もう私では、あの方を抑えきれない」

 雲の切れ間からのぞく太陽。降り注ぐ光を背に跳ぶ人影が見えた。

「あれは……?」

「あの方こそがユミル六柱を統べる、私たちの王」

 パープルの表情は強張っている。

 ふわりと優雅に、その人物はフィールドに降り立った。

 紺色の髪を風に遊ばせ、舞い上がる粉雪の中に微笑みを浮かべている。

「六柱を追い詰めたその実力に敬意を表して、お相手を務めさせて頂きましょう」

 しとやかな声で、彼女は告げた。

「この《雪帝》のルシアが」

 最強の称号を冠し、頂点に君臨する絶対女王。

 終わりが始まる。

 

 

 ――後編に続く――

 

 

 




中編②をお付き合い頂きありがとうございます。
では以下に生存者たちの状況を。


『Aチーム』
エリゼ……山道側に移動、アリサと勝負。
クレア……やばい人たちと遭遇。とてもやばい。
 
『Bチーム』
アリサ……エリゼを追って山道側へ。

『Cチーム』
ラウラ……希望を叶えるために逃走中。

『ユミルチーム』
ルシア……ヴェルナー枠を使って参戦。せっかく浄化されたマキアスを瞬獄殺。
パープル……拘束衣を捨てて、リミッター解除。因縁のクレアを狙う

このような感じです。
というわけで最強はルシアさん。バギンス支配人は『そんなユミルの一日』で、自分が引退した旨を口に出していたりします。あの場にいたのは彼女を抑える為だったのでした。

そういえば閃Ⅲが来たのですね。非常に楽しみです。主人公は誰なんでしょう。

ではいよいよ次回が終幕。『雪玉に願いを(後編)』をお楽しみ頂ければ幸いです。
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