アルフィン皇女を“保護”した。
クロウがその報告を聞いたのは、クロイツェン州の上空でだった。
貴族連合軍・旗艦、《パンタグリュエル》。高潔な純白で統一された、全長二五〇アージュもの船体。大空に鎮座するその姿は、威圧を越えて畏怖さえ感じさせる。
「失礼するぜ」
「おお、これは《蒼の騎士》殿」
艦内ブリッジにクロウが足を踏み入れると、いかにも上機嫌なカイエン公爵が大手を広げて出迎えた。
「報せは届いているよ。魔女殿が皇女殿下を保護してくれたのだろう。いや、さすがの手並みだね」
「みたいだな。今こっちに向かってるらしいが」
「貴賓室の準備はできている。お気に召して頂けるとよいのだが」
まあ、無理な話だろうな。そう思いはしたが、口には出さない。アルフィン皇女とは何度か面識があるから分かるが、優しげに見えても芯が強い少女だ。簡単に逆境に屈してしまうような、あるいはこちらの
カイエンはそばに控える一人の青年に視線を移す。
「各地の状況と今後の戦略を確認させてもらえるかな?」
「すでに帝国全土の六割は掌握できております」
涼やかな声音で応じたのは、ルーファス・アルバレアだ。ユーシスの腹違いの兄である。
物腰は穏やかだが、油断のならない相手というのがクロウの第一印象で、それは今も変わっていない。
「とはいえ、正規軍はまだ五割の戦力を有していますので、残存する機甲師団をいかに東西で分断させるかが重要となってくるでしょう」
「結構」と納得したらしいカイエンは、「今後も頼りにしているよ。総参謀殿」と付け加える。ルーファスは洗練された動作で頭を下げた。
「未熟な身ですが、主催たる閣下のご期待に添えられるよう邁進する所存です」
「その若さでなんとも謙虚なことだ。しかしその働きぶり。君のお父上もさぞ鼻の高い思いをしていよう」
貴族連合軍の主導権を握れない、アルバレア公の焦燥を知った上での発言だ。嫌味ですらない。優位に立つが故の余裕なのだろう。
「もったいなきお言葉」
表情一変えず、ルーファスは微笑してみせた。
どちらも面の皮が厚い。いや、それは自分も同じことか。今まで友人の顔をして、平然とあの輪の中にいたのだから。
Ⅶ組の連中もそうだが、あいつらは俺をどう思っているだろう。トワにジョルジュにゼリカは、俺を怒っているだろうか。それとも呆れているだろうか。
考えるのはよそう。どのみち、俺があの場所に戻ることは二度とない。
「混乱と戦禍に喘ぐ民の為にも、我々は迅速に戦を終結に導かねばな」
もっともらしいことを、カイエンは言った。
「その為の力はすでにある。オーレリア将軍にウォレス准将、魔女殿に蒼の騎士。そして各協力者。勝利は目前と言えよう」
優勢は間違いない。だがクロウには目前とまでは思えなかった。
警告のつもりで、一言差し挟む
「言っておくが、騎神の力は万能じゃない。ガレリア要塞を消滅させた神機ほどの力はさすがに持ち合わせていないぜ」
「当面はクロスベルと事を構える必要はあるまい。ギリアス・オズボーンは死んだのだ。当面は帝国という器を濁らせてきた泥水を徹底的に洗い流せればいい」
カイエンはブリッジの端に立ち、夕日に照らされた大地を見下ろした。
「貴族による支配。帝国があるべき姿に戻る日も、そう遠くはない」
カイエンはごく当たり前に“支配”という言葉を口に出した。戦禍に喘ぐ民の為と謳いながらも、それがこの男の価値感か。
エレボニアにおける風習と制度なので、良い悪いを論じるつもりはないが、せめて“統治”とかに言い換えておけ。
内心でそう思うものの、しかしクロウもまた表情には出さない。
状況に満足したらしく、すでにブリッジのドアに歩を進めるカイエンの背中を見やり、クロウは小さな嘆息をつく。
ふと気になっていたことを思い出し、「一つ訊きたいことがあるんだが」と口を開いた。
「おや、何かね」
「“保護”の第一目標がアルフィン皇女。第二目標が学友の侍女だったそうだが、どういう理由でだ?」
「ああ、大したことではない。皇女殿下には慣れない環境でお過ごし頂くわけだからね。気の置けないご友人がいた方が幾分でも安らぐだろう。その配慮だよ」
「なるほど。納得したぜ」
詭弁だと分かる。
皇女を扱いやすくしたいだけだ。そしてもう一つ加えるなら、リィンを引き込む為の手札のつもりだろう。カイエンがもう一人の《騎士》を手中に入れたいことは知っている。
そんなやり方をしたところで、あいつを余計に怒らせるだけなのは目に見えているが。
カイエンがブリッジを出ると、「そんなに甘くない。そう言いたげな顔だね」とルーファスが見透かしたように言ってきた。
「ああ、正規軍以外にも気を付けておきたい連中はいるからな」
「鉄道憲兵隊に情報局。あとは取り逃がした“紅き翼”と言ったところかな。それと――」
前者は相手の主力。後者はまだ動きが読めない。
そして、最大の不確定要素があった。
ルーファスの言葉をクロウが継ぐ。
「特科Ⅶ組。あいつらは厄介だぜ」
厄介、と言いつつも忌むような口調ではなかった。むしろ、自分の前に立ち塞がることを望んでいるようでもある。
「君が言うならそうなのだろう。だが、彼らに何ができる? 確かに《灰の騎神》は警戒に値するが、しかし《蒼の騎神》がこちらにある以上、容易く状勢を変えられるものでもない」
それはクロウも同意だった。
騎神の力は強大だ。しかし、それだけ。
戦いに介在し、状況の一つとなる為には、単騎で存在していても意味がない。いずれかの勢力に所属し、力を効果的に行使する運用法が不可欠だ。自分が貴族連合に組するように。
ただ。ルーファスの今の言葉に一つ誤りがあるとすれば。
彼らの力は灰の騎神だけではないということだ。
「どうしたんだい?」
知らずの内に、クロウは苦笑をもらしていた。
「ああ、いや。あいつらはさ……――」
● ● ●
時は遡り、今からおよそ一か月前。
トールズ士官学院が貴族連合に占拠されたあの日のこと――
拘束は上等。戦力差も承知。だがそれがどうした。不躾に踏み込んでくるのなら、その顔面に一発かましてやる。
学院内に貴族連合軍の兵士たちが侵入してきた時、クレインはそう思っていた。
しかし、すぐに思いとどまる。自分の後ろに守るべき後輩がいたからだ。
ここで力の限り暴れることは容易いが、何人かは吹っ飛ばせても、すぐに取り押さえられる。それでは意味がない。さすがに短絡的だと分かっていた。
「ク、クレイン先輩」
「そんな顔すんな。大丈夫だ」
ギムナジウム前。カスパルが不安そうに声をかけてくる。いつものように堂々とした態度で、クレインは笑ってやった。
同じ水泳部の後輩のモニカは、先ほど何人かの友人と走っていくのが見えた。ラウラはⅦ組として街道で戦っていたらしい。ガイウスも同様だ。彼とはとある一件がきっかけで、この数か月親しくしている。
自分だけが衝動に任せた行動を取ってはダメだ。
「カスパル、ここから離れるぞ」
「でも……」
「悔しいけどな。今は機を待つしかない」
逃げた所で何が出来るかは分からない。それでも何かはあるはずだ。少なくとも、ここで無意味な抵抗をするよりはいい。
クレインとカスパルはグラウンド側、裏門へと向かった。
「ん? 裏門開いてるな」
普段は施錠されているが、今は全開の状態だった。もしかしたら、自分と同じような考えの生徒が逃げたのかもしれない。
舗装された道は避け、脇の林の中を走る。
「大丈夫か、カスパル」
「は、はい」
後ろを付いてくるカスパルに振り向いた時だった。
「学院生だ! あそこにもいるぞ!」
見つかってしまった。貴族連合の兵士が二人。武器を持って近付いてくる。
「お前は先に行け!」
「そんな……クレイン部長は!?」
「後で行く。振り向かずに走れよ」
それでもと渋る彼の尻を叩き、クレインは向かってくる兵士を見据えた。
「ここは通さねえ」
遠ざかるカスパルを背に、その拳を握りしめる。後輩を守れるのなら、ここで戦うことは無意味じゃない。一秒でも長く立ち塞がって、少しでも遠くにカスパルを逃がしてやる。自分が倒れたとしても、託した意志が繋がればそれでいい。
小銃を構えて、男たちは言う。
「手を上げて、地面に膝をつけ!」
「断る!」
迷わず前進。相手が発砲。銃身をかいくぐって、あごに強烈な一撃を見舞う。水泳部の強肩である。男は白目を剥いて仰向けに倒れた。
「お前!」
もう一人には間に合わなかった。すでに銃口に捉えられている。歯噛みして、動きを止めるクレイン。
撃たれる。そう思った刹那、横合いから割って入った業火が視界を埋めた。
何が起きた? しかし状況を確認する前に、体は先に動いていた。
炎に怯む男の隙を見逃さず、すかさず間合いを詰めて下腹にアッパーを入れる。くぐもった嗚咽を吐き出して、男は地面に突っ伏した。
「大丈夫かい?」
やってきたのは吹奏楽部部長のハイベルだった。その手に魔導杖を持っている。クレインの視線に気付いたらしく、彼は先に説明の口を開いた。
「訓練用の魔導杖を持ち出してきたんだ。クレインも学院を出るのか?」
「ああ。てことはそっちもか」
「まあね」
新たな足音が近付いてきた。敵の仲間だ。
「ここじゃ、あまりゆっくり話も出来ないね」
「ああ、俺たちも行こうぜ」
先行きは見えないが、同じ志を持つ仲間が大勢いる。それだけでも諦めない理由になる。
クレインとハイベルは、肩を揃えて走り出した。
――《世直し任侠譚》に続く――
クレインに急かされるまま、カスパルは林道を走った。枝葉をくぐり、茂みを飛び越え、街道を目指す。
後ろを振り返ることはしなかった。振り返らずに走れと言われたから。
息が荒い。足が痛い。残って一緒に戦うべきだっただろうか。
逡巡して、思い直す。それは違うと。
太刀打ちできるわけがないじゃないか。相手は銃を持っていた。きっとすぐに組み伏せられて、先輩の足手まといになってしまう。
「俺は……」
先輩みたいに強くない。握る拳の力を強くした時、一発の銃声が響き渡った。
クレインのいる方向だった。
もっと息が荒くなった。嫌な汗が染み出てくる。戻らなきゃ。せめて確認はしないと。しかし、想いとは正反対に動けなかった。震える足がすくんでいる。
「なんでだよ、なんで……!」
守られっぱなしでいいのか。憧れている先輩じゃないのか。視界が滲む。泣いたらダメだ。男だぞ、俺。
「っく。うえっ」
近くから押し殺したような嗚咽が聞こえた。近くの木の裏からだった。慎重に近付いてみると、見えたのは桃色の髪。
「ヴィヴィ……か?」
同じクラス、双子姉妹の妹のほうだ。座り込んで、目じりいっぱいに涙を浮かべている。
ヴィヴィは顔を上げた。頬を伝って、溜まったしずくが滴り落ちる。
「あ、カスパル……。ねえ、リンデに会わなかった?」
彼女の姉の名だ。
「ここに来るまでには見てないぞ。一緒に逃げてたのか」
ヴィヴィは力なくうなずいた。
「でも離れちゃって……う、うう。リンデ……おねえちゃーん!」
「でっかい声出すなって!」
「だって、だって!」
自分だって平静ではいられない。だけどこっちまで取り乱してしまったら、状況がもっと悪くなる。理解した頭が少しだけ冷えたようだった。
「絶対また会えるから。とりあえずここを離れてからの話だろ」
なだめつかせるように言って、カスパルはヴィヴィを立たせた。
「こっちからも声がしたぞ。隠れてる生徒がいるかもしれん」
追っ手がやってきた。
「ヴィヴィ、逃げるぞ」
「で、でもリンデがまだ……」
「捕まったら探しにも行けなくなるんだぞ。まずはここを切り抜けないと」
そうしなければ、クレインがあの場に残った意味もなくなってしまう。
もう自分でも分かっていた。本当はあの場に残って、クレインの加勢をしたかったのだと。それなのに無理やりに自分の心を偽って、先輩が言ったからと仕方ないんだと納得するふりをして……逃げ出してしまった。
先輩がそれを望んだとしたも、俺はそれを望んでいなかったのに。
それでもと押し通せなかったのは、自分が弱かったからだ。力も心も。
「……俺、かっこ悪いよな……」
「カスパル?」
誰に言うでもなくつぶやき、カスパルは木の幹を叩いた。落ちてきた葉が一枚、ひらひらと踊って眼前を過ぎていく。
「なんでもない。行こう」
もっと強くなりたい。せめて自分の想いを曲げずにいられるくらいには。
先輩は絶対に無事だ。次に会う時は、笑って胸を張って、成長した自分を見てもらおう。
ヴィヴィにばれないように、目じりを拭う。
追いつきたい大きな背中はまだ遠かった。
――《カサギン男道》に続く――
――《ピンキートラップ》に続く――
学院でおとなしくしておけば良かったかもしれない。
つい弾みというか勢いというか、学院を抜け出してしまったけど。しかしここから先、自分に何かが出来るとは思えなかった。
「どうしよう……」
コレットは汗ばむ額を拭った。
彼女は至って普通の女子だった。
座学は普通。実技も普通。部活には入っていない。特技も取り立てて思い浮かばない。好きなことはおしゃべりとお買い物。士官学院に入学したものの、進路を軍にするつもりもない。帝都の服屋さんとかに就職して、いつか素敵な恋人を見つけて、人並みに青春を謳歌して、やがては結婚して、子供ができて、つつがなく幸せに暮らす――
漠然と、そんな未来を想像していた。
ちょっと欲を出していいのなら、好きなものを好きなだけ買える生活を送ってみたいというのはあるけれど。まあ、基本は普通でいい。平凡でいい。高望みはしない。
わがままは言いません。なので女神様。この状況をなんとかして下さい。
「うう……どうしてこうなっちゃったのかなあ」
まともに魔獣と戦ったことなんてないのに、数アージュ先には牙を剥く狼型の魔獣がいた。しっかりと目があってしまっている。
列車が運行停止しているトリスタから抜け出すとなると、必然的に街道を使わなくてはならない。本来、人の行き来する街道に魔獣は寄り付かない。等間隔に設置されている導力灯の効果があるからだ。
なのになぜ。
視界の端に、光を失った導力灯がいくつか見えた。中には根本から折れてしまっているものもある。
交換のタイミングを逸してしまったのか。あるいはあの大きな機械人形が通ってきた時に、接触して壊してしまったのか。
いずれにせよ、今それは問題ではないのだが。
「ご、ごご、ごめんなさい……?」
とりあえす魔獣に謝ってみる。魔獣は喉を唸らせながら、身を低くした。
ああ、ダメだ。うん、やっぱり学院に残っていればよかった。せめてあと一度でいいから、マリンダさんとショッピングに行きたかった。
仲のよかった買い物友達の顔が浮かぶ。
雄叫びを上げて、魔獣が飛びかかってくる。
「いやあああ!!」
刹那、その末期の光景に既視感を覚えた。
自分自身の悲鳴が頭蓋に反響し、沈んでいた記憶を激しく揺さぶり起こす。
これはそう、あいつだ。
あのハッスルしたカサギン――カスパルがいつも私に襲い掛かってくる時と同じ――
それは体に染み込んだ動作だった。防衛本能とも言える。
素早い身のこなしでコレットは身を屈め、右手を地面に這わせた。何かが手の平に触れる。いい大きさだ。手頃だ。馴染む感触だ。
体をひねりながら魔獣の牙をかろうじてかわす。回転の力も加えて、掴み上げた手の平大の石を、あらわになった脇腹めがけて殴りつけてやった。
吹っ飛んで転がる魔獣。
「カスパル~ッ!」
湧いてくる乙女の怒り。恐怖よりもフラッシュバックしてくる憤りの方が上回っていた。
凄まじいまでの気迫が、魔獣を
きゃん、と一鳴きして魔獣は逃げていく。我に返って、その様を呆然と眺めるコレット。
「は、初めて魔獣をやっつけた……はああ~」
脱力して膝をつく。
息も荒く、握りしめたままの石に目を落とした。かつて幾度となくカスパルを屠った、あの“異様に硬い石”はリィンに譲ってしまっている。
しかしあそこまで硬くなくても、代わりの武器はいくらでも転がっているではないか。
「うん、何とかなる……かな?」
とりあえず先へは進めるかもしれない。こうなったら行ける所まで行ってみよう。
いつかまた、笑ってショッピングが楽しめる、平凡で普通の日常を過ごす為にも。
――《看板娘の奮闘日記》に続く――
「うふふ」
妖しげな笑みを顔に張り付け、スタスタと町中を歩く少女が一人。
オカルト研究会、部長にして唯一の部員。ベリルである。
東西の街道で戦端が開かれて、緊張状態のトリスタの町を平然とベリルは闊歩していた。
「運命が……いえ、定められた宿命が動き出すわ」
思わせぶりなことをボソボソとつぶやきながら、彼女は薄く笑う。
「超常の力がエレボニアを覆わんとしているのね。抗えない大きな流れ。いいわ。あえて渦中に身を投じるというのも、また一興」
今度はクスクスと楽しげに笑う。
彼女の言葉。それが真実なのか虚実なのかは、誰にも分からない。また、知るすべもない。ただ一つ言えるのは、深く考えたら負けということだ。
喧騒と雑踏を抜け、ベリルは駅構内に足を踏み入れた。
当然ではあるが、列車は運転を見合わせている。彼女は構わずホームに向かった。
列車のドアは開いていた。車内に入ると、乗客がまばらに座っている。一様にざわめき、不安が隠せない顔を落ち着かない様子で窓の外に向けていた。
手近な席が空いていたので、ベリルはそこに座った。
「列車もいずれ動くでしょう。回る車輪。廻る歯車。蠢くような胎動が聞こえるわ」
深く考えたら負けである。
窓に視線を移して、ベリルは小さく嘆息をつき、ほんの少し目をつむってみた。
そしてもっと小さな声で「……ばか」と言って、白い細指を膝の上で組み合わせる。
その瞬間だけは妖しげな雰囲気がなく、生の感情が混ざった声音だった。
閉じた瞳に映るのは、一人の男子生徒。写真部のレックスである。
元々部室が向かい同士で、色々とベリルの事を気にかけていたらしい。レックスは一ヶ月ほど前、彼女にこう言った。
オカルト研究会と写真部を合わせて、一緒に心霊写真部を作ろう、と。
「……心霊写真部」
嬉しかった。部活自体は生徒会に申請したものの、結局トワ会長に却下されてしまったが。
それでもレックスはことあるごとに、近くの散歩や写真を撮るのに付き合って欲しいと声をかけてきた。外に出ることは億劫だったが、彼が自分のニット帽を頭に被せてくれると、不思議と外出も悪くないと思えた。
だったのに。
ちょっと目を離すと、すぐにレックスはカメラで他の女子を追いかけ始める。一緒に霊を撮ろうと約束したのに、撮ってくるのは女の子の写真ばかり。際どいショットもいくつかあった。
そうしてベリルの心は少しずつレックスから離れていく。
心の距離が開くごとに、開けっ放しにしていたオカルト研究会の扉は徐々に閉まっていき――
学院祭の夜。
相も変わらず、カメラを手に女の子をファインダーに収めようとする彼を見て、ベリルはその扉を完全に閉ざしてしまった。
「レックスなんて……知らない」
別にダンスに誘って欲しかったわけではない。誘われたって行かなかっただろう。
それでも、見たくないものは見たくないのだ。
目を閉ざし、扉を閉ざし、心を閉ざす。
顔から感情を吹き消して、ベリルはいつもの薄笑いを口元に浮かべた。
「行きましょう、ベラ・ベリフェス。力に導かれるままに」
使役しているらしい守護精霊の名を呼び、何気なく自分の頭に手を添えてみる。
いつか被せてくれた暖かなニット帽はそこになく、愛用の黒いカチューシャが冷えた感触を返してくるだけだった。
――《黒色ミステリーツアー》――に続く
憮然とした足取り。威嚇するような鋭い目つき。
一定の歩幅でてくてくと歩き続ける。徐々に遠ざかる学院。
今、クララはすこぶる機嫌が悪かった。その理由は一つ。彫刻作成の邪魔をされたからだ。
石を掘ることは、石と対話すること。神経を研ぎ澄まして、沈黙の声をすくい上げ、一打、一刀に魂を込め、無二の作品を作り上げていくのだ。
ゆえに耳障りな騒音などもってのほかだ。
廊下から聞こえる錯綜する声の数々。外からはズンズンと重い足音。それが本当に足音なのかは知らないが。
うるさい。うるさい。それらの全てが煩わしい。
気付いた時、クララは彫刻用の道具をまとめて美術室を出ていた。
本校舎の外に出た彼女は、グラウンドに目をやる。そこで騒音の最たる原因を見つけた。
巨大な人型の機械人形。下手に人に近い形をしているから、この距離でも遠近感が狂う。中世の騎士をイメージしているのか、鎧甲冑をまとったような立ち姿で、大剣と盾を携えている。
それを見てクララは思う。
美しくない、と。
兵器としても、単純に機械仕掛けのモノだとしても、何かが足りていない気がする。もっとありていに言ってしまえば、不完全だと感じた。
意匠も無骨。実際に動いている所はまだ見ていないが、なぜか、あるべき機能美でさえ今一つと思えたのだ。
足を止め、たたずむ巨人を凝視する
「……ふん」
なぜあれを不完全だと感じたのか、先ほどの直感を理論的に精査してみたが、答えは出なかった。
「おい、お前!」
背後から強い口調で呼ばれる。振り返った先にいたのは、貴族連合の兵士だった。
学院の占拠は始まっていて、すでに相当数の兵士が校舎内に押し入っている。喧騒の理由はこれもかと、クララはさらに目を険しくした。
「学生は教室から出ないよう通達があったはずだぞ。早く戻れ」
クララは答えない。
「聞いているのか!? 指示に従わない場合――」
男が何かを言っているが、すでに彼女の耳には届いていなかった。
クララは無言のまま、男を見ている。
「な、何か言え」
異様な雰囲気を感じたらしく、彼の腰は引けていた。
今、クララの興味は完全に機甲兵から、目の前の兵士に移っていた。もっと具体的に言えば、鎖骨から胸筋に至る部位にである。製作途中の胸像のイメージに近い気がしたのだ。
彼女の行動基準と優先順位は、いついかなる時も揺らぐことがない。
当たり前のように、クララはこう言った。
「貴様、脱げ」
言葉の意味がわからなかった男は、「ぬ、脱げ?」とオウム返しにして、目つきの悪い少女を見返した。
相手の戸惑いなど構いもせず、大股で歩み寄ったクララは、遠慮のない手つきで男の襟首に両手をかける。
そこからは一息だった。
弾け飛ぶボタン。肩口からはだける服。あらわになる肉体。
「な、なにをっ!?」
クララの脱衣テクニックは熟練の技だった。匠といってもいい。男の抵抗する力を利用して、体動の度に衣をずらしていく。
「やめろ、やめろ!」
連合軍仕様とはいえ軍服である。普通の衣類とはまた勝手が違うはずなのだが、まったく意に介することもなく、とうとうクララは上衣の全てをはぎ取った。
「やめろ……やめ、て……」
何か大切なものをへし折られたようで、男はへたり込んでしまった。
クララはその肉体をしげしげと見つめて、
「ふん。期待外れだったな」
辛辣に吐き捨てた。
「ひ、ひどい……」
もてあそばれた乙女のように、打ちひしがれる兵士。
全ての興味を失った目を正面に戻して、クララは止めていた足を動かした。
「……さて」
どこへ行くか。
決まっている。静かなところだ。創作意欲も湧いて、彫刻製作に没頭できる場所。
考えてみる。一つだけ、思い当たるところがあった。美術部の後輩が話しているのを聞いて、唯一興味をもった場所があったのだ。
広大な面積を誇り、雄大な自然を有しているというその場所。どんなところかは知識でしか知らないが、少なくとも今の学院よりは集中できるところだろう。
目指すは遥か遠く、クララはノルド高原を目的地にするのだった。
――《芸術乱舞》に続く――
「うわあああっ!」
四つん這いになり、彼は何度も拳を地面に打ち付けていた。
第二チェス部部長、ステファンである。彼もまたトリスタの外に出た一人だった。
「このステファン、一生の不覚……!」
そしてまた慟哭をあげる。騒ぎ立てると見つかる恐れもあるのだが、今彼の頭にそんな懸念はなかった。
あるのは一つ。後悔だ。
「チェスを持ってくるのを忘れるなんて。僕としたことが!」
盤も駒も寮の自室に置いたままだ。戦略を練る為に一人で試行錯誤していて、今日の授業が終わったら続きをやろうと思っていた。配置はそのままにしてある。部屋に帰るのを楽しみにしていた。
それがまさか、こんなことになるなんて。
「い、いや! 気持ちを切り替えなくては!」
自分と同様に学院を抜け出す他の生徒の姿も目撃している。彼らもこれからできることを、各々で模索するはずだ。
ならば考えよう。僕には何ができるのかと。
「………」
実技訓練の評価は低い。
たとえば同じクラスのクララにも瞬殺されるほどだ。屋外訓練には微塵にも興味を示さない、あのクララにだ。しかも、負けた後に服をはぎ取られて、衆目の面前で辱められるという追加オプション付きで。その上お眼鏡に適わなかったらしく、すぐに興味を失うという鬼畜の所業。あの冷徹な目は、どうやっても忘れられない。
いつか必ずリターンマッチを挑むつもりだ。
まあ、とにかくあの時はやられた。打ちのめされた。こっちも文化系だが、熱意とやる気は誰にも負けていないはずなのに。
とはいえ現実は厳しい。実力行使で貴族連合に一泡吹かせるというのは難しそうだ。
「ううむ……」
反面、好成績の科目もある。中でも群を抜いて評価がよかったのが導力学だ。特に導力端末を使ったカリキュラム。これは自分と相性が良かった。
導力通信を使った技術はこれからどんどん普及し、発達していくだろう。これを扱えるものが時代を制すると言っても過言ではない。
「これだ!」
戦う方法は撃ち合いだけとは限らない。ステファンは勢いよく立ち上がった。
その手のノウハウを学ぶとなれば、やはりあそこしかない。ルーレだ。
「うおお! 僕は! 僕はやるぞ!」
身一つで赴いて教えてもらえるのか。そもそもルーレのどこで教えてもらうのか。あてもない上に、最低限の路銀しか持ち合わせがない。
しかし、彼はそれを不安に思わない。というかそこまで考えていない。
チェスを嗜む理知的な冷静さと、真っ直ぐにマイウェイを突き進む情熱。
それらを兼ね備えつつも、何かと空回りしてしまう残念な男。それが第二チェス部部長、ステファンなのだ。
「待っていたまえ、《黒銀の鋼都》!」
必ずや新たな力を習得し、僕はこの場所に帰ってくる。
決意を胸に、ステファンはルーレを目指す。
――《ロードオブハッカー》に続く――
「おらおらおらあ……!」
後ろから羽交い絞めにされ、ぎりぎりと首を絞め上げられる兵士。もう声も発することもできず、やがて彼はそのまま意識を失った。
敵が沈黙したのを確認して、ロギンスは男の首に巻いていた腕を緩めてやる。どさっと膝をついて、頭から地面に突っ伏した男は、傍目に見ても不憫な格好である。
「ったく腰抜けがよ。こりゃ学院に残って戦ってても頭数は減らせたんじゃねえか」
舌打ちしてから「お前もそう思うだろ」と、ロギンスは一緒に学院を出たもう一人に顔を向けた。
「え、ええ」
アランである。二人ともフェンシング部。ロギンスが先輩で、アランが後輩だ。
「とっとと行くぜ。街道も脇道に入ればそうそう見つからんだろ」
「……はい」
振り返って学院を見やり、アランは小さく息を吐く。
心残りがあった。
足取りが重いアランの背を「しゃきっとしやがれ」とロギンスがはたく。「いっ!?」と目を開いて、アランは前につんのめった。
「そんなことじゃあよ。次にフリーデルに会った時、どやされちまうぞ」
学院を出るようにロギンスとアランに指示をしたのはフリーデルだ。『学院は私とパトリックで守る。あなた達は外で出来ることを考えて』といつもの微笑を湛えて、二人を送り出したのだった。
フリーデルはあえて学院に残った。その意味はアランにも分かっている。
「……すみません」
いつもの真っ直ぐな瞳に陰りが差していた。
アランの気がかりは一つ。幼馴染のブリジットのことだ。
大急ぎで手荷物をまとめた。混乱の中で時間もなかった。彼女の姿を見つけることは、とうとう出来なかった。
「腑抜けんな!」
飛んできた握り拳が、アランの頭に鈍い音を響かせた。視界に星が散り、あまりの痛みに思わず座り込む。
「せ、先輩……?」
「おう」
胸ぐらをひっ捕まえて、ロギンスはアランを無理やりに立たせた。
「当ててやろうか。あのブリジットとかいう女子のこと考えてんだろ。よく稽古後にギムナジウムまで迎えに来てたよな」
言葉に詰まる。その通りだった。
「惚れた女だろ。お前が無事を信じてやんなくてどうすんだ。案じてばかりで足が止まってんじゃ世話ねえぜ」
「ほ、惚れっ!? いや、俺は」
「違うってのか。ああん!?」
オウ、コラ、テメエの三連コンボ。凶暴過ぎるロギンスの責め口調に、アランは弁解をする暇さえない。
なぜか認めざるを得ない状況に陥っていた。逆に言葉を濁したり、否定したりしようものなら、今度は首を締められるかもしれない。あいつみたいに。
アランは地面に転がる一人の男を見やり、そしてすぐに目を背ける。あの横に並びたくはなかった。
彼女のことを好きかと言われれば好きだが、面と向かって肯定するのは、やはり気恥ずかしいものだった。それがいわゆる恋愛感情なのかは、実は自分でもよく分からないのに。
それでも、ここは肯定する以外に道がない。
生唾を飲み下し、アランは小さな声で言う。
「その……はい」
「聞こえねえ!」
理不尽極まる二発目が飛んでくる。尻もちをついて、アランはロギンスを見上げた。じんじんと頬に痺れが走る。
「いいか、これから何が出来るのかを見極めないといけねえ。フリーデルもパトリックの野郎も、もちろん俺もお前も。フェンシングで学んだのは技だけじゃないだろうが」
剣を学ぶことは、心構えを学ぶこと。有事こそ平静に振る舞い、剣を向ける先を見誤らないこと。
まさに今、それが必要な時だった。
ロギンスは指を二本立ててみせた。
「二つだ。お前がやらなきゃいけないことが二つある。今言ったように、この状況下で何が出来るかを探すこと。それが一つ目だ。二つ目は――」
顔をぐいっと近付けてロギンスは言った。
「次にブリジットに会ったら、お前から好きだと告白しやがれ」
フリーズするアラン。何を言われたのか、一瞬理解出来ていなかった。
しばらくほうけて、ようやく言葉が意味といっしょに脳に伝わる。
「な、なな、何を!? こ、こくっ、はくっ!?」
もはや言葉になっていない。ロギンスはからからと笑った。
「非常時こそ日常的な目標が大切なんだよ。心配すんな。投げっぱなしにはしねえ。ちゃんと手ほどきはしてやる」
赤面してうつむくアランの頭にポンと手を乗せて、ロギンスは自信たっぷりに言い放った。
「俺がお前を一人前の男にしてやるぜ」
――《続・A/B恋物語 Aパート》に続く――
「ヴィンゼンドざまあああ!!」
肉の戦車が貴族連合の包囲を突破する。
道を阻んだ兵士たちは次々に宙を舞っていた。大量の土煙を巻き上げて、街道を駆け抜けるマルガリータ・ドレスデン。
見目麗しきグランローゼの目的はただ一つ。
先ほどから上がってる、この雄叫びである。これが人の名前だと認識できた者が、一体どれほどいただろうか。否、たとえ認識できたとしても、次の瞬間には
「おい、止まれ! 警告に従わないなら発砲するぞ!」
道を塞ぐのは複数の貴族連合軍兵士。現場指揮の隊長もいた。彼らは学院制圧班ではなく、検門を敷いて逃亡者を出さないようにする役割だ。
マルガリータは止まらない。
「仕方ない。撃ち方構え」
隊長の号令に、兵士たちが銃を構える。威嚇のつもりの指示ではあったが、それでも彼女は怯む素振りさえ見せなかった。撃たざるを得ない。
「せめて足を狙ってやれ」
合図の手を振り上げた時だった。
マルガリータが加速した。隊長の「撃て」の一声よりも早く、突貫するデンジャラス肉玉が猛威を振るう。
その場には隊長を含め五人がいたが、彼らは残らず中空に打ち上がる羽目になった。
彼女の前に新たな障害が現れる。物資運搬用の装甲車だった。横向きに停車し、道を塞いでいる。
それは確かに障害ではあったが、問題ではなかった。
「ムッフォ!」
三本束ねた大根と大差ない太腕が唸りをあげる。装甲車の横腹に一発。ドラを打ったような残響が轟き、装甲がべこりと拳型にへこんだ。車体が傾き、片側が浮く。身を屈め、車底に腕を差し込んだ。
「グムッフォオオオ!!」
ミシミシビキビキといびつな音を撒き散らしながら、装甲車が持ち上がる。中で誰かが叫んでいたが、小鳥のさえずりに等しい悲鳴など、荒ぶるマルガリータには届かない。
横転する装甲車。道が開く。彼女を止めるものは、もう何一つ残っていなかった。
彼女の目的。
それは愛しのヴィンセント・フロラルドのそばに寄り添い、彼の身を守ること。それ以外にはありえない。
マルガリータは思う。あの勇敢なヴィンセント様のこと。校内を探してもどこにもいなかったから、きっと学院を飛び出して、最前線で槍を振るっておられるに違いない。この身を挺してでも、お力にならねば。
もちろん当のヴィンセントは学院に残ったままだが、そこには思い至らない。タイミングがいいのか悪いのか、彼はトイレにいたので、彼女の捜索の手から逃れていたのだった。
ドスドスとたくましい足を踏み慣らし、マルガリータは歩を進めた。
想い人の幻影を追い求め、愛が導くままに彼女は征く。
――《グランローゼのバラ物語 chu!》に続く――
学院を抜け出して、トリスタの町まで走る。なんとか礼拝堂の前までたどり着いたところで、ミントは追手に見つかってしまった。
他に逃げ出した生徒は街道や裏道を使ったが、深くも考えずミントは堂々と正門から外に出た。当然、目に付きやすく、捕捉されるのは時間の問題だった。
ミントは足が遅い。ついでに鈍くさい。おまけにドジを呼び寄せる。
逃げ切れる要素は皆無である。
「ど、どうしよう。いっぱい来たよ」
貴族連合の兵士は三人。
簡単に追いつかれ、囲まれてしまった。
「まさか正門から逃げ出すとはな」
「小さな体のくせに豪胆なことだ」
苦笑いを浮かべ、ちょっとずつ後じさる。だが、三方を塞がれているので、どうやっても逃げられない。いや逃げた所で、ミントの足ならまたすぐに捕まってしまうのだが。
「あはは、どうもー」
一応、フレンドリーに挨拶してみる。しかし男たちは答えもせず、間を狭めてきた。
「あ! あれはなんだー!?」
そんなことを叫んで、明後日の方向にビシッと指を差す。誰一人見向きもしない。この段に入って、ようやくミントは理解した。
私、ピンチかも。
一人の男が手を伸ばしてくる。身が強張る。だがその手が彼女に触れることはなかった。
横合いから白い棒が伸びてきて、男の手を打ち据えたのだ。
「ぐっ!?」
思わず退がった兵士。「え?」と目を丸くして、ミントはその細い棒を注視する。ただ棒ではない。先端に布きれが付いていた。これはハタキだ。たとえば、そう。本棚を掃除する時に使うような――
「ケガはないかな。ミント嬢」
「あ……!」
颯爽と現れたのは、ケインズだった。トリスタ唯一の書店《ケインズ書房》の店主である。
「邪魔をして……! なんだ、お前は。放送で状況くらい知っているだろう。いいか、我々は貴族連合軍の――」
「君達がなんであろうとも」
相手の言葉をさえぎり、ケインズはミントを自分の背に隠した。
「彼女に危害を加えていい道理はない」
サーベルさながらにハタキを構え、ケインズは腰を落とした。
「こいつ……やろうってのか」
「お見せしよう。ケインズ家直伝の棒術を」
それ以上の口上は必要なかった。舞うようにハタキを繰り出し、華麗な連撃を次々に見舞っていく。一人目は首裏に打撃を入れられ、二人目はみぞおちに打突を受け、それぞれ倒れた。
「いい加減にしろ!」
最後の一人が銃を構えた。ケインズの動きが止まる。
「……ここは町中だ。上官からの発砲許可はでているのか?」
「無論だ」
「そうか」
ケインズの目が鋭い光を放つ。
「ならば、なおさら引くわけにはいかない」
前に踏み出たケインズに「馬鹿が……!」と言い放ち、男は引き金を引いた。弾ける銃声。威嚇ではなかった。銃口が真っ直ぐに彼の胸に向けられていた。
「ケインズさん!」
ミントの叫びを受けながら、よろめくケインズ。しかし、銃弾を撃ち込まれたはずの彼は、その場で踏みとどまってみせた。
驚愕する兵士。
「ふふ。猛将が私を守ってくれたよ」
そう言って胸元から取り出したのは一冊の本だった。辞書ほどもある分厚さに、銃弾は途中で止まっていた。
表紙には殴り書きのような激し過ぎる字体で『猛将列伝・上巻』とタイトルが銘打たれている。
「あ、その本!」
「先日書き終えたばかりでね。しかし穴を開けられてしまうとは不覚」
ケインズは《猛将列伝》をミントに手渡した。
「行くんだ、ミント嬢。ここは私が引き受けよう」
男がサーベルを引き抜き、襲ってくる。迫る刃を巧みにハタキの柄で受け流しながら、ケインズは果敢に前へと出る。
「さあ、走るんだ。行く先々で伝えて欲しい、猛将エリオットの偉業を。そして広めて欲しい、私が精魂込めて書き上げた《猛将列伝》を!」
「うん、わかったよ!」
勘違いに勘違いを重ね、誤解を誤解で塗り潰した結果、この二人は“猛将同盟”などという徒党を組むに至っている。端的に説明するなら、間違ったエリオット像を全力で支援、応援、拡散する組合だ。
踵を返して、ミントは駆け出す。その腕にしっかりと一冊の本を抱えながら。
遠くから背に「ああ、そうだ!」とケインズの声が届いた。
「猛将列伝・上巻は定価780ミラ、税込み! 下巻は鋭意制作中! お買い求めはトリスタの《ケインズ書房》まで足をお運びください! それも忘れずに言うんだ!」
「任せて!」
ミントとケインズは声をそろえて、二人の合言葉を町中に響かせた。
『猛将同盟、フォーエバー!!』
――《猛将列伝のすすめ》に続く――
トリスタに貴族連合軍が迫っている。その報せを聞いた彼女は誰よりも早く動いていた。
これは予期していたこと。こうなった時、自分がどう動くべきかの指示も受けている。
「ロジーヌ君」
早足で本校舎を出たロジーヌを呼び止めたのは、丸縁メガネをかけた男性――教官のトマス・ライサンダーだった。
「トマス……教官」
「ええ、まだ教官で構いません」
他人が聞けば、意味の繋がらない会話だ。
トマスはロジーヌにうなずいてから、正門を指し示した。
「まだ貴族連合軍がここに来るまで多少の猶予があります。今なら正門からでも学外に出られるでしょう」
「教官は?」
「一教官としてはやるべきこともありますから」
慣れた手つきで、トマスは魔導杖を構えてみせた。
「……一教官ですか」と魔導杖を一瞥したロジーヌに「一教官です」と返して、トマスは先に歩き出す。
「どちらへ?」
「他の教官方とのブリーフィングに。足並は乱せませんしね。今の内に、君は東トリスタ街道からケルディックに向かいなさい。事情を説明すれば教会に匿ってくれるでしょう」
「事情……」
「もちろん貴族連合の兵士たちから逃れてきたという、表側のね」
表があるなら、裏もある。
口調こそ穏やかだが、丸メガネの奥に薄く見える瞳は、わずかに鋭さを帯びていた。
トマスと別れ、正門を抜ける。坂を下ったら東トリスタ街道へ続く門はすぐだ。
東西の街道と町へと続く分かれ道の中心に立ち、ロジーヌは足を止めた。
「………」
トマスが言ったように、まだ時間に猶予はある。顔を見に行くぐらいはできるんじゃないだろうか。そう思いかけて、なんとか自制する。後ろ髪を引かれる思いで、そのまま歩先を街道に向けた。
「カイ、ルーディ、ティゼル、みんな……」
日曜学校の子供たち。不安に違いない。そばに寄り添って、大丈夫、心配いらないと声をかけてあげたかった。
「……絶対に戻ってくるからね」
行ってはいけない。顔を見たらきっと、動けなくなってしまう。名前を呼ばれたらきっと、その場に留まってしまう。
一人一人の顔を思い返し、胸中でごめんねとロジーヌは謝った。
そして、最後に一人思い出す。
「……ユーシスさん」
日曜学校の一日先生を頼んで以来、彼とはよく話すようになった。
ぶっきら棒に見えるけど、本当は優しい人だと知っている。子供たちの面倒もよく見てくれるし、最近は笑ってくれることも多くなった。
子供が懐く人に悪い人はいないものです。そんなことを言ったら、彼は鼻を鳴らしてそっぽを向いたけど。
貴族連合軍。当然、彼の実家のアルバレアも組しているだろう。それこそ四大名門なら中核を担っていても不思議はない。
彼はこれから色々な決断を迫られるはずだ。悩んで、苦しむはずだ。自分の気持ちと、その名を持つが故の責任との狭間で。
できることなら、近くで支えたい。力になれなくとも、話を聞くぐらいは出来る。辛い気持ちがあるのなら、せめて半分を背負いたい。
……できない。少なくとも今は。
彼にやらないといけないことがあるように、自分にもまたやるべきことがある。
束の間目を伏せ、自分の胸前で両手を組み合した。
「どうか、無事で」
わずかな祈りを終えてから、ロジーヌは歩き出す。
小さく芽生えた夢があった。夢、というには大きい。望み、でもいいかもしれない。
いつか“全部”が終わったその時には、大好きな子供たちの笑顔に囲まれて、自分が作ったクッキーを彼に食べてもらいたい。いつもみんなで過ごした、あの教会で。
それが今持てる、精一杯の望み。
いつか。そう、いつの日か。
密やかな淡い想いを胸に、一人の修道女がトリスタを離れゆく。
――《修道女の願い》に続く――
~動き出す者たち(後編)に続く~
お付き合い頂きありがとうございます。
前話あとがきにも書きましたが、ここから虹の軌跡Ⅱが本格始動です。
前作ではⅦ組のそれぞれにサブキャラクターが絡んでいく構成でしたが、Ⅱでは彼らも主体となってストーリーが展開していきます。
形式としてはメインストーリーの各話の最後に、サブストーリーが付属するスタイルが基本です。(メインの進行状況によっては付かない場合もありますが……)
一話のみでは終わりませんので、例えば《修道女の願い②》《猛将列伝のすすめ③》などの番号振りでお話が続く形ですね。
単なるおまけではなく、メインストーリーに絡んだり、他のキャラクターのサブストーリーに関わったりもしながら、トラブルとアクシデントの中を駆け抜けます。ちなみにメインストーリーとサブストーリーの時系列は同じです。
もちろんサブキャラクターはこれだけではないので、残りの10組は後編で一気にいきましょう。
あ、捕捉が一つ。今回は同じ日の出来事の話なのですが、それぞれでちょっとずつ時間のずれがあります。なので貴族連合軍との戦闘前、戦闘中、戦闘後のストーリーが混ざっていたりします。
気になる人物のお話があれば幸いですね!
次回もお楽しみ頂ければ何よりです。