虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第52話 アルゼイドの試練(後編)

 地平の向こうに太陽がのぞき始めた。夜が明けていく。

 奥義を撃てるのはあと一回が限界。

 たったの一回。《光の剣匠》に一太刀を入れるチャンスが、たったの一回だけ。いや、それは大した問題ではない。仮に百回の機会があったとて、容易く成せるものでもないのだ。

 床に突き立てた大剣の柄に手を乗せ、ラウラは静かに自身の心と向き合った。

 ヴィクターも黙したまま彼女の動きを待っている。こと剣に関して恩情はない。彼の言う通り、一太刀も入れられなかったら、本当に二度と獅子洸翔斬を使うことは許されないだろう。

 剣に乗せる想いの是非に対して、半端な答えを返したとしてもだ。

 想い。

 何を以て剣を学ぶのか。そして剣を振るうのか。

 似たような質問を、そういえばリィンにしたことがあった。ケルディックでの初めての特別実習。本当の実力を出そうとしない彼に、強く詰め寄ったのだ。

 最終的に彼はこう答えた。剣は自分の一部のようなもの。あるのが当たり前になっている、と。

 多分、私もそうだ。

 亡くなった母が聴かせてくれた子守歌より、練武場で聞く勇ましい掛け声の方が多かった。おかげで幾分女子らしくない性格に育ったとも自覚しているが――まあ、それはいい。

 剣を学ぶ理由はこれだ。生まれた時からそこにあって、もう自分を形作る一つになっているから。

 ならば、剣を振るう理由は?

 敵を倒す為? 仲間を守る為? 理不尽に屈しない為? 脅威に抗う為?

 全部正しいと思えるが、そういうことではないのだろう。根幹がある。そんな大層な理由ではなくて、もっと小さな個人的な理由が。

 あるはずなのに。それがどうしても見つからない。

「刻限だ」

 ヴィクターが言った。

 とうとう答えを出せなかった。定型のない霧を胸に抱えるような心地で、ラウラは剣を引き抜いた。

「答えは剣に訊く。構えるがいい」

「……はい」

 それでも、この力を諦めるわけにはいかない。あの時、自分自身に誓ったから。

 どくんと急に心臓の鼓動が大きくなる。

「今、何を――」

 何を思った。誓いとはなんだ。いつ、どこで、誰に、私は何を誓ったのだ?

 

 

 ●

 

 

「あはは! ぶちまけなさいなーっ!」

 一切迷いのないシャベルの刃が、頭に向かって突き下ろされる。

 シンディの目は本気だった。四肢を押さえつけてくるクロエとセリアも、また本気だ。

 本気で俺を消そうとしている。

 リィンは死に物狂いで身をよじり、上半身の拘束にわずかな隙間を生み出そうとした。抵抗など許すはずもなく、狂気の刃が迫る。

 肘を曲げ、上腕の力を全開に。間に合え、間に合え――

「うっ、おおおおお!!」

 ガチンと硬質な衝突音。細かな火花が眼前に散る。両手首に繋がれたままの手錠の鎖が、シャベルの一撃を受け止めた。一瞬でも遅れていたら、今頃は頭蓋が二つに分かれていただろう。

 金属臭い鉄粉が顔に降りかかる。チェーンにひびが入っていた。押し返す力で接触部に圧を加え、リィンは一気に鎖を引きちぎった。

「往生際の悪い男は死ねえっ!」

「潔くても結果は同じだろ!」

 二撃目がくる。自由になった腕を振って、反動をつけて体を半回転。拘束を切るにはひねりがもっとも効果的だ。

 すんでのところで回避。ズンッと重い音と共に、頭を逸れたシャベルの先端が半分近く路面に埋まる。

 安堵している暇はない。割れたコンクリートタイル共々、下層の土をかきながら引き上げられる狂気のシャベルが、三度目の突き下ろし準備に入ろうとしている。

 体を素早く横ロールさせて、今度こそセリアとクロエの手を振り切る。腰を上げるが早いか、リィンは全速で駆け出した。

 忘れていない。目標はそこだ。

 聖女像の台座に足をかけ、直上ジャンプ。伸ばした指先が、ランスの先にかかっていた銀の輪を弾き上げる。

「よし!」

 それを空中でキャッチ。着地と同時にリィンはさらに走る。これを練武場に持って行けさえすれば――!

 背後からシンディの怒声が響く。

「そうやって私たちから掠め取っていくつもりなのね。他の何を取られたっていい。けれど、それだけは渡せない!」

「この銀の輪がそんなに大事なのか!」

「そうよ、大事よ。世界にたった一つしかない、とても大切なもの!」

 シンディを先頭に三人はリィンを追う。

「いつか離れてしまうことは分かってる。それを祝福すべきなのも分かってる。だけど、だけどね! その銀の輪の価値を知っている人間しか、私たちは認めたくない!」

「なにを言ってる……!?」

 話に筋が立っていない。理解できない。やはりこれも催眠の影響なのか?

 湖岸を抜けて広場に出る。

 傍らを凄まじい風圧が抜け、前方にあった街灯の一つを根元から粉砕した。クロエのハタキ砲撃だ。

「イタアアア! 見ツケタアア!」

「へし折りターイ! 首ベキベキにシターイ!」

「ヒハ! ヒハハ! ヒャーハハハ!!」

 轟音が町の人々を呼び寄せた。左右で焦点の定まらない瞳のまま、暴徒の群れが押し寄せてくる。もう隙間ほどの退路もなく、進むしか道は残されていない。

 練武場にたどり着くのが先か、捉えられて冗談では済まない事態になるのが先か。

 体力も尽きかけていたが、リィンは最後の力を振り絞って練武場へと続く石階段を駆け上った。

 鋭利な矢に、農具の束、ありとあらゆる家具がこれでもかと降ってくる。

 低空を這う鎖鎌が、足元を絡め取ろうとしてきた。襲い来るハタキ砲が側面の石垣をえぐる。ブーメランよろしく飛来してきた牛乳ぞうきんは、嫌がらせのように臭い。

「あとっ! 少しっ!」

 練武場の入口が見えてきた。

 扉は開かれている。そのまま飛び込もうとして――わずか一秒遅かった。

 どんな人外のショートカットなのか、外壁を身一つで乗り越えてきたシンディが跳躍し、リィンの進路を阻むように着地する。

 急制動をかけるが間に合わない。すでに彼女は思いきりシャベルを振りかぶっていた。

「煉獄に落ちろーっ!!」

「うわあああ!」

 顔面を狙う渾身のフルスイング。黒く塗り潰される視界。すまないみんな。俺はここまでだ。

 しかし予想していた衝撃は訪れなかった。

 シンディの手を離れたシャベルがガランガランと地面を転がり、彼女自身もいきなり倒れ込んでしまった。

 シンディだけではない。追ってきていたクロエ、セリア、そしてレグラムの町人。皆が道に突っ伏していて、動く気配もない。

「な、何が起こってるんだ」

「はい、おつかれさま~」

 パチパチと拍手しながら、練武場の中からヴィヴィが姿を見せる。

「んー、時間はぎりぎりだけど。ま、日の出とほぼ同時だったし、おまけで通過ってことにしてあげる。んふ、ヴィヴィちゃんってば優しすぎるんだから」

「通過? それじゃこれで、やっと――」

「うん。次が最終試練ね。私に着いてきて」

 事もなく告げて、ヴィヴィは場内へと踵を返した。

 

 

 正面から激突する、二つの獅子洸翔斬。

 同じ技のはずだが、ヴィクターのそれは次元が違った。威力が比べ物にならない。

 干渉し合う光が多方に爆ぜ、衝撃波が縦横無尽に破壊を撒き散らす。朝日に映える霧の古城が打ち震えた。

「ぐ……ぅっ!」

 ()り合える相手でも、ましてや勝てる相手でもないことは初めから知っている。

 それでも全霊で打ち込む。それしかないのだ。

 丹田に力を込めろ。後ろ足を踏ん張れ。顎を引いて姿勢を維持しろ。手の内を緩めるな。相手の全身を見据えろ。学んだ全てをこの一刀に注げ。

 他には、他にはないのか。剣に乗せられるものは。

「それでは駄目だな。そなたに奥義は早かったのかもしれぬ」

 刃を重ねたまま、ヴィクターはそう言った。

「中途半端な技は、むしろ自身を危険にさらす。もう終わりだ」

 闘気の圧が強くなる。耐えきれなくなった刀身に、ビキリと亀裂が走った。

 当たり前の結果か。学んだことと言うが、それを教えてくれたのは他ならぬ父だ。私が持つ全ては、当然彼も持っている。

 届くはずもないのだ。とうに理解しているくせに――

「退け。武器より先にそなたの腕が砕けるぞ」

「いっ、いやです!」

 理解しているくせに、どうして私は剣を引かないのだろう。これは決意か、それとも意地か。

「なぜだ!」

「誓ったから!」

 考えるより先に叫んでいた。そう、誓いだ。

 

 “私はそなたの剣になる”

 

 あの日のトリスタ。オルディーネに敗れたヴァリマールに駆け寄り、聞こえているかも分からないリィンに告げたことだ。

 あれは彼に対してだけでなく、自分自身の心に刻んだ言葉でもあった。

「もう負けない、負けたくない……!」

 強大な力の奔流に押し潰されそうになりながら、ラウラは歯を食いしばる。

 誰が相手であろうと関係ない。剣を振るう理由はここにある。

 敵を倒す為、仲間を守る為、理不尽に屈しない為、脅威に抗う為。そこに偽りはなく、全てが本当だ。

 だけど、それ以上に、リィンを――

「負けさせたくない!」

 仲間を置いて離脱しなければならなかった彼の心中は、察するに余りある。

 リィンは優しい。故に傷つき、悩み、あれからずっと自分の無力を苛んだろう。そんな思いはもう、させたくない。

 その為に誓った。

 この身をもって数多(あまた)の障害を払う剣となり、彼の往くべき道を切り拓くと。

「何を吠えようとも……」

 ヴィクターの目が鋭くなる。

「力が及ばなければ!」

「力が及ばなくとも!」

 もう自分の体なんてどうでもよかった。

 姿勢は崩れ、足は震え、まともな構えにさえなっていない。ひどく不格好だ。それでもかまわず剣を突き出す。ガランシャールの圧に呑み下され、大剣が切先から砕けていく光景が見えた。

 だからなんだ。それがどうした。もっと前へ。

「まだ……折れない……っ!」

「む!?」

 想いがあればこそ剣は乱れる。故に無心で振るう剣こそが揺らがぬ剣。その通りだ。それも一つの解。事実、無を極致と捉える流派も存在する。

 ならば、心は必要ないのか。

 思い通りにならず、いつも不安定で、自分を迷わし、剣筋を狂わせる、これ以上なく厄介なものなどは。

 決まっている。心は、想いは――必要に決まっている。

「あああああっ!!」

 力を100パーセント出したいのなら、想いは邪魔だ。けれど。100パーセント以上に出したいのなら、想いはいる。絶対にいる。

 それは変動する力の源。それは時として、己の限界さえ超えていくもの。

 そうだ。刃に乗せるものなら、まだある。

 気付いた時、大剣の崩壊は止まっていた。白銀の刀身を光が覆っている。《光の剣匠》と謳われる父が、ガランシャールを掲げた時のように。

 拮抗する力場。放射状に押し拡がる閃光が、物理的な衝撃となって弾けた。

 こんな体勢で威力を流すなどの芸当ができるはずもなかった。

 逆巻く凄まじい剣圧によって、後方の壁までラウラは吹き飛ばされる。受け身も取れずに背中を強打。肺の空気を全て吐き出し、膝から床にくずおれた。

 静寂の戻ったホールに、ヴィクターの足音が響く。伏したラウラに近付き、彼は言った。

「誰に似たのか、まったく無茶をする」

 ダメージのせいで声がまだ出せない。かろうじて首をめぐらし、視線だけでヴィクターを見上げる。

「勢いに任せるばかりで、最後の一撃も型崩れが甚だしい。獅子洸翔斬だったのかも怪しいものだ」

 打ち負けた剣は完全に折れて、鋼の残骸が辺りに散らばっていた。あの光が砕けた刃片を剣の形に留めていたのだろうか。どうやってやったのかも分からない、不思議な感覚だった。

 父との打ち合いによく耐えてくれた。だが済まない。やはりダメだった。

「まだまだ未熟。ただ、一太刀には違いあるまい」

「……?」

 ヴィクターの差し出した右腕に、うっすらと擦り傷が見えた。

 薄皮一枚にも満たない擦過痕。されど確かに届いている。

「そなたの答えも剣を通して伝わった。今ある答えを全てと思わず、今後も悩み、考え、研鑽に励むがいい」

 差し込む鮮やかな朝日が視界を染める。

 ガランシャールを収め、ヴィクターは告げた。

「合格だ。これにて奥義の伝授は了とする」

 

 

「暗示の刻限は朝日が昇るまで。陽の光を網膜に入れると、その効果は消えちゃうのよ」

 練武場の奥へと歩を進めるヴィヴィは、振り返りもせずリィンにそう言った。

「町の人たちは道端に倒れたままなんだが、大丈夫なのか?」

「じきに目覚めるわ。意識が戻った時には、誰もが試練のことを忘れちゃってる。そこまでを催眠指示にしておいたから」

 あれほどのことを忘れられるのか? 疑問に思いはしたが、それも暗示の内なのだとすれば、まあ可能なのだろう。望むべくは一度忘れた以上、もう思い出さないでいてもらうことか。

「試練の意図を教えてもらえるか? ここまで大規模にやった理由を」

「本当はイタズラ満載のアスレチックラリーを考えてたの。リィン君の走るルートに、落とし穴とか地雷とかトリモチとか電気ショックとか地雷とか針山とか仕掛けたりして」

「それも嫌だな……なんで地雷を二回言ったんだ」

 どう転んでも俺はひどい目にあっていたのか。

「でもね。町の人たちの話を聞き回っている内に気付いた。みんながラウラをとても大切に思っていること。だけど同時に口に出せていないこともあるって」

 まただ。この辺りから話が分からなくなる。

「武と礼節を重んじるレグラム全体の気質って感じなのかな。私には理解しにくいけど、リィン君なら共感できるんじゃない? 心を律することが美徳ってやつ」

「無制御に感情を外に出すことを良しとしないだけだ。心を抑えつけるという意味じゃない」

「でも混同してるよね。その結果、本当に言いたいことを声にできてないし」

「ヴィヴィこそ何が言いたいんだ。はっきり言ってくれないと分からないぞ」

「いい子になったふりをしてないで、全部吐き出しちゃえばいいって話。従来の形だけの試練で納得した気にならないで、一度爆発してスッキリしちゃえばいいって思ったの」

「……?」

「あれだけ感情を出し尽くして暴れたんだし、相当なストレス発散にはなったんじゃないかしら。まあ記憶には残らないでしょうけどね。んふふ」

 だから何を言いたいんだ。

 ヴィヴィの性格のこと、自分が楽しみたかっただけかもしれないが、言い様からまだ含みがあるようにも思える。

 十分な説明をされないまま、通されたのは場内の中心。そこには一つのテーブルが用意されていた。

 椅子に座らせられるリィン。卓上には銀蓋が被せられた皿があった。

「オープン・ザ・クローシュ~!」

「うっ、これは」

 蓋が外されると同時に溢れ出す瘴気。この禍々しさは何度も経験している。直感で理解した。

「このドス黒い物体は……ラウラのおにぎりか!」

「さすがリィン君、正解よ。じゃ早いとこ食べちゃって。それが最終試練だから」

「いやいや、なんで!?」

「リィン君が疲れると思うから元気の出るもの作ってあげてって、出発前のラウラに頼んでおいたの」

「そういうことじゃなくて、なんでこれが試練になってるんだ!?」

「胃袋の丈夫さを示すって、かなり重要だと思うけどね。あとラウラの料理がアレなことを知ってるのは、アルゼイド流の人たちと私くらいだから」

 シンディたちラウラ親衛隊は知らない。もっとも彼女たちならば、その程度の事でラウラへの敬愛が薄れることなど、まずあり得ないだろうが。

「ラウラ作のおにぎりを食べることで、門下生の人たちを納得させるってことだな」

「んー……間違ってはないけど。うん、それでいいわ」

 何を納得させるのかは、この際どうでもいい。これを食べれば全てが終わる。その全ての中には自分の命も含まれている気がしないでもないが、ここまで来て退くことはしたくない。

 意を決し、大口を開け、リィンは瘴気にまみれたおにぎりにかぶりついた。

「んぐっ?」

 外側の米は一応普通。しかし中の具が異様に固い。何を入れた。

 あごに力を入れて無理やりかみ砕く。やった、あとは飲み込むだけ――

「ふむぐぅっ!?」

 割った具から得体の知れない液が滲みだしてきた。それはジュルジュルと不快感を伴って広がり、米の一粒一粒に染み渡っていく。

 これがラウラの料理の真骨頂。謎の混合がもたらす、味の全力迷走だ。というか本当に何を入れた。

「かはっ!」

 口腔内で破壊と融合が繰り返され、絶望だけが味覚の全てを支配する。

 舌が痺れてきた。喉の筋肉まで麻痺し、いつもの呼吸困難がやってくる。指先に震えが回ってくるのもお決まりだ。ほら意識が薄れて、薄れーー

「フヒューウ、フヒューウ、ハオッ! ハオッ!」

「……リィン君、大丈夫? なんか顔色が青……から黄色に変わって……あ、白くなった」

 明らかに異常な呼吸をしながら、リィンは椅子から転げ落ちた。自分の意志とは無関係に何度ものけぞる。

 ビックーンと大きく一跳ねしたあと、彼は横たわったまま動かなくなった。

「あ、あらー、まさかここまで凄いとは思わなかったわ……ねえ、生きてる……よね?」

 さすがに心配そうに、ヴィヴィはリィンの顔をのぞき込む。

 閉ざされていた目が、不意に開いた。

 やけに角張った機械人形みたいな動きで、リィンは上体を起こす。手の平を握り、また開き、体のコンディションを確かめて、

「ふう、今日も戻ってこれたみたいだな」

「……リィン君って、私が思ってた以上の苦労人なのかもね」

 その時、足元のおぼつかない門下生たちが練武場に入ってくる。意識を取り戻したようだ。

「う……今まで何をしていたのだ」

「試練は、試練はどうなった?」

「なぜ私は武器を持って……?」

 不可解そうにしている彼らにヴィヴィは笑みを向ける。

「私が見届け人になりました。リィン君は確かに資格があります。ラウラと肩を並べる資格が、ね」

「お、おお。では――」

 練武場の外にいる町の人たちにも聞こえるよう、彼女は声を張り上げた。

「合格! これにてアルゼイドの試練は了とします!」

 

 ●

 

 ローエングリン城から町に戻れたのは昼過ぎだった。

 リィンは船着き場で待ってくれていた。ヴィクターの繰るボートが桟橋に到着するや、ラウラは飛び降りて彼のそばへと駆け寄る。

「なんとか伝授は終わった。そなたにも特別な訓練が課せられていると聞いたが、そちらは問題なかったか?」

「ああ……訓練と言うか試練と言うか。問題だらけではあったが、一応な」

 リィンは疲れ果てた様子だった。よほど過酷なことをさせられたのだろう。胃のあたりをさすり、顔色も優れない。

 周囲には町の人々が集まっていた。その人垣をかきわけて、ヴィヴィが前に出てくる。

 彼女はラウラの後ろ、小舟から降りたばかりのヴィクターに言った。

「リィン君の試練も終了しました。結果はみんなの表情を見てもらえれば」

「うむ。皆、晴れやかな顔をしている。民が認めたのであれば私とて異論はない。父としてはまあ、一度腰を据えて彼と話さねばなるまいが」

 威嚇とも牽制とも思える、圧のある視線をリィンに注ぐ。当人はわけもわからずたじろいでいるだけだ。

 ラウラはヴィクターに振り返った。

「父上はこの後どうされるのですか?」

「艦で話した通り、エベル街道を経由して西部へと向かう。すでにオリヴァルト殿下は合流地点でお待ちになっているだろう」

「では、すぐに出立を?」

「私はな。そなた達は少し休んでからカレイジャスに戻るがいい」

 このタイミングで艦を降りるのは、西部組のオリヴァルトとヴィクター、そして鉄道憲兵隊に復帰するクレアだ。

 トヴァルとシャロンも降りる予定なのだが、担当分の開発や特訓を一段落させてからにするらしい。

「そうさせてもらいます。私もリィンもまだ十分には動けそうにありませんし。……それに代わりの剣も見繕わなくては」

 ラウラの大剣は獅子洸翔斬同士の衝突で砕けていた。あそこまで芯が破壊されてしまっては、もう修復は望めない。

「新たな剣か。それについては心配ない。そうであろう?」

 ヴィクターが視線を転じた先、ガヴェリに背中を押されるカスパルの姿があった。

 その両手に抱えられているのは白布を巻きつけられた、何か。

「カスパル? それは――」

「見てもらう方が早いと思う」

 ラウラの前まで出てきたカスパルは、手際よく布をはがしていく。次第に顕わになっていったのは、一振りの剣。

「この剣の名は“蒼耀剣”。ラウラの為に俺が選んだんだ」

「これをカスパルが……?」

 受け取った蒼耀剣を空にかざす。

 澄み渡るような蒼色の刀身に、静謐な輝きが宿っていた。両手剣ではあるが、今まで使っていた大剣よりも多少細身になったような印象を受ける。重厚さの代わりに鋭敏さが増したと言うべきか。

 カスパルの横に並ぶガヴェリが言う。

「ご心配なさらず、ラウラお嬢様。彼の目利きの才は本物です。それは門下生一同が認めております」

「いや、わかる」

 軽く柄に添えただけの手の内にずれはなく、剣が腕の延長になったかのような一体感。

 自分の動きの癖、筋力、身長まで考慮されていると確信できる。運や偶然だけで自分にこの剣をあてがうなど、まずできまい。並の目利きのなせる業でないことは明白だ。限界まで神経を使ったことだろう。

「それが一番強い剣ってわけじゃない。ただ今のラウラに一番適した剣だ」

「最強ではなく、最適か」

「……受け取ってくれるか?」

 単なる攻撃力ではなく、自分自身の力を余すことなく引き出すことができる唯一の剣。

 輝く刃を鞘に納め、ラウラはうなずいた。

「この先を戦い抜く為に、これ以上のものはない。礼を言う、カスパル」

「そうか、良かった」

「……本当なら、この場で試しに何度か振ってみたいのだが……すまない。今は少しばかり……疲れて――」

 夜通し一睡もせず、ヴィクターと剣を交えていたのだ。

 意識を繋ぎ止めておくことはもうできず、限界を迎えた体がぐらりと傾く。薄れていく視界にリィンの胸が近付いてきて――

 

「ラウラ!?」

 急に倒れ込んだラウラを、リィンは自分の体で支えた。

 一瞬焦ったが、聞こえたのは小さな寝息。ヴィクターが言う。

「体力が尽きたのだろう。心配はいらぬ」

「そうでしたか、とりあえず休める場所へ連れて行きましょう。よっと」

 大衆のど真ん中で、ラウラの身を胸に抱きかかえる。意せず、お姫様だっこの形だ。

 不穏にどよめく町の人々。ヴィクターを始め、門下生の瞳に殺気が宿る。彼らの視線の険が意味するところを、リィンは理解していなかった。

 苦笑しながらヴィヴィが言う。

「試練を越えて認めはしたけど、それとこれとは別らしいわ」

「え?」

「これからもがんばってねってこと。先導してあげる。ここからなら屋敷より宿屋が近いかしら。んふふ」

 すたすたと先に歩き出すヴィヴィを、ラウラを抱えたリィンが続く。

「リィン様」

 中央広場に繋がる石段を登る途中、クラウスに呼び止められた。その両隣にはダフネとワトーも立っていた。レグラム三将のお歴々だ。

「早朝からの試練、お疲れでございましたな。走り回って大変だったでしょう。お怪我などされていませんか?」

「ええ、すり傷くらいですよ……え?」

「私共三人はヴィヴィ様の暗示にはかかっておりません。試練に水を差さない為、おそれながら演技をしておりました」

 ガヴェリと同じように意識を混同しているのか? そう思いはしたが、試練の内容を覚えているということは、確かに彼らは催眠下になかったのだろう。

 ダフネとワトーも申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「ごめんねえ、鎖鎌なんて振り回しちゃって。怖かったろうに」

「仕込み杖なんざ、普段は使っとらんからの。これに懲りず、今後もワトー武器店をご贔屓にしておくれ」

「はは、参りました」

 その老獪さに舌を巻きつつ、リィンは石段の続きを登る。

 そこで不意に思い至った。

 三人の殺気や急所狙いは、どう見ても演技ではなかった。

 ということは、正気の彼らは自分の意志で、本気で俺を仕留めにかかっていたということか……?

「………!?」

 ぞくりと冷たいものを背後に感じ、全身の肌が否応なく粟立つ。

 穏やかに微笑んだまま自分の背を見送っているであろう彼らを、リィンは振り返ることができなかった。

 

 ●

 

「ん……」

 窓から差し込む光は赤みがかってる。落ちかかった夕日。もうそんな時間になっているのか。

 目を覚ましたラウラは、ベッドから身を起こした。体中が、特に背中が痛む。最後の打ち合いの際、壁に衝突したのが原因だ。

 首を巡らし、ぼんやりと室内を眺める。ここは自分の部屋ではない。

 ベッドに腰掛けたまま、窓の外に視線を向けてみた。遠く、ローエングリン城の東外壁が見えるということは、位置的におそらく宿場《アプリコーゼ》。その二階の一室だろう。独特の木目調の内装を見るに、まず間違いない。

「そうか、私は気を失って……」

 ふと自分以外の吐息が聞こえた。対面する壁際にリィンが寄りかかっている。座り込んだ姿勢のまま、彼は眠っているようだった。

 どんな訓練だったのかは知らないが、リィンも相当疲れているみたいだ。それなのに私を抱きかかえて、ここまで運んでくれて。

 失せていく意識の中で、その胸に揺られていた感覚を覚えている。

 なんとも恥ずかしい恰好で抱えてくれたものだ。よりにもよって皆の前で。

「……重くはなかっただろうか」

 自然とそんなことを一番に考えて、ラウラは改めてリィンに視線を据え直した。

 そんな場所にそんな体勢で寝て、余計に節々が痛くなるだろうに。いや、分かっている。私の為にベッドを空けてくれたのだ。

 私はもういい。あとはリィンにベッドを使ってもらおう。今から彼を休ませるとなると、今日中にカレイジャスに戻るのは無理だが、それはそれでいいような気がしていた。

 しかし私一人でリィンをベッドまで移動できるだろうか。そこは不安に感じつつも、とりあえず彼に近付こうとして、

「ラウラ?」

「はい!」

 いつの間にか目を覚ましていたリィンに名を呼ばれ、ラウラはびくっと体を硬直させた。

「無駄にいい返事だな……驚かせたのか?」

「い、いや。私こそ、そなたを起こしてしまったようだ」

 ばくばくと高鳴る心臓を押さえ、リィンのとなりに腰を下ろす。二人して部屋の隅っこである。

 湖のさざ波が聞こえるだけの静かな部屋で、二人はいくつかの話をした。

「カスパルもヴィヴィもカレイジャスに乗ってくれることになった。俺たちがレグラムを出るタイミングで一緒に同行するそうだ」

「そうか。ヴィヴィも直接リンデを探す方がいいだろうしな」

「そのヴィヴィがメトロノームとペンライトを持って行くって聞かなくてさ。まだ話がまとまってないなら、多分今もカスパルがやめるように説得してると思う」

「邪魔になるわけでもないし、好きにさせたらいいではないか。何に必要なのかはわからんが」

「うーん。だけど俺も嫌な予感がするんだよな……」

 彼らの話題もそこそこに、ラウラは気になっていたことを訊ねてみた。

「ところで、そなたも特訓をしたらしいな。町の人々が協力したとも聞いている。何をしたのか、ぜひ教えて欲しいのだが」

「そ、それは……またの機会にしよう。それに信じてもらえないかもしれない」

「もったいぶるではないか。別に疑うつもりはないぞ?」

 何度か頼んでみたが、なぜかリィンは訓練内容を詳しく教えてくれなかった。そのうえ露骨に話題を変える。

「ラウラはどうだったんだ。奥義の伝授大変だったんだろう?」

「そなたは教えてくれないのに、私には訊くのか?」

 わざと不機嫌顔を作って、じとりとリィンを見た。焦った瞳が居心地悪そうに逸れていく。

「すまない。そんなつもりじゃないんだが」

「冗談だ。門外不出というわけでもないし、構わないよ。内容はシンプルだった。教えてもらった奥義を用いて、父上に一太刀入れる。それだけだ」

「それだけって……子爵閣下に!? できたのか?」

「かすり傷一つだがな。合格と胸を張れる成績ではない」

「さすがラウラだ。俺には真似できそうにない」

「なにを言う。そなたのおかげなのに」

 不思議そうにリィンが見返してくる。しまった。つい口走ってしまった。

「なんで?」

「な、なんでもない。忘れるがいい」

 不要な質問はされまいと、そこで言葉を打ち切る。会話をはぐらかすのは得意ではない。

 ヴィクターに曲がりなりにでも剣先を届かせることができたのは、確かな想いを刃に乗せることができたからだ。

 あの瞬間に初めて、父から教わった剣ではなく、自分の剣を振るうことができたように思う。

「俺の顔に何かついているか?」

「……いや」

 我知らず彼を見ていた。リィンの剣になると言ったこと、覚えているだろうか。

 覚えていなくてもいい。誓いは自分の心にある。

 だけど覚えているなら、どうして私がそんなことを言ったのか、考えてくれたりしただろうか。

 いつも傷ついてばかりで、苦しんで、一人で全部を背負い込んで。リィンが辛そうにしているのを見ると、私も辛くなる。

 だからそなたの背負っているものを、少しでも支えたいと、そう思ったんだよ。

「……いつからだったかな」

 最初の頃はそうじゃなかった。

 重たいなら背負えるくらいに強くなればいい。背負えないなら始めから背負わなければいい。分不相応は結局誰の為にもならない。

 来る依頼を拒まず全部引き受けて、汗だくで学院とトリスタの町を奔走する姿を見て、それを断われないのは彼のはっきりしない態度が招いたことだろうと、そんな目で捉えていたこともあった。

 いつからだったか。そうじゃなくなったのは。

 背負っているものを分けて欲しいと思うようになったのは。

 ケルディックで問答をした時からか。彼が自分の身の上を打ち明けた時からか。あるいは帝都の下水道で猫探しをした時からか。

 どれか決定的なものがあるわけではない。小さなことの積み重ねが、きっと今に繋がっている。

 少しずつ、彼の人となりに惹かれたのだろう。

「ん?」

 予期せず、唐突に心中に浮き出た言葉だった。

「……惹か? 惹かれ……?」

 誰が、誰に? 私が、リィンに?

 困惑したのも一瞬、続いて奇妙な納得が腹に落ちる。心のどこかでは気付いていたからだ。ただそれを拾い上げることができなかっただけで。

 散らばっていた想いの欠片を集めて、形にすることができなかった。判然としない気持ちに、名前をつけることができなかった。

 今日、剣を通して己の深い部分と向き合って。

 今、それが結実した。

「うあ、あ、あ、あ」

「さっきから一人でぶつぶつ言ってどうした……って、なんでそんなに目を見開いてるんだ?」

 そういうことだったのか?

 彼に料理を食べて欲しいと思うのも、彼のそばが心地よく感じるのも、そもそもリィンの剣になりたいと想うのも。

 では、あれもか?

 モニカ、ポーラ、ブリジットが事あるごとにリィンの名前を出し、やたらと自分の背中を押してきたのも。彼女たちの方が私より先に気付いていたからか。

 

 ――でも遠慮はしないわ。あなたも私には遠慮しないで

 

 不意によみがえるアリサの言葉。バリアハートから帰還したあと彼女の様子は変だった。結局理由も分からないままに、わだかまりが解けた形だったが、つまり原因はあれか。

 ルナリア自然公園でリィンを膝枕していたのを見られたからだ。

 ということはアリサは。というよりアリサも?

 

 ――兄様のこと、よろしくお願いします。もちろんそういう意味ではありませんけど

 

 さらに浮かぶエリゼの言葉。パンタグリュエルでの別れの際、私とアリサはそう言われた。

 そういう意味とはどういう意味か分からなかったが、そういう意味か!

「うあああ……」

 容赦なく繋がっていく、ありとあらゆる事象の数々。気付いていなかったのは私だけか。なんと滑稽な。

 叫びたい衝動が喉元にまで込み上げてくる。

「ラウラ、大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ」

「は!?」

 すぐ近くにリィンの顔があった。心配そうにこちらを見ている。どう反応したらいいのだ。

 体温を確かめようとしたのか、額に彼の手が伸びてきた。

「わーっ!」

「え?」

 反射的にその手首をつかみ、ひねり、体ごと半回転し、全力の一本背負いが発動してしまう。受け身を取る暇もなく床に叩きつけられたリィンは、なにやらうめいたあと、完全に沈黙してしゃべらなくなった。

 過酷な試練を耐え抜いた彼に、あろうことかラウラがとどめを刺した形だ。 

 ぜいぜいと激しく肩呼吸。制御不能の感情が胸の内でぐるぐると回っていた。

「カ、カレイジャスに戻ったら、どんな顔をしてアリサと話せばいいのだ……」

 屍のように横たわる朴念仁を見下ろしながら、ラウラは一人つぶやいた。

 

 

 ――続く――

 

 




後編をお付き合い頂きありがとうございます。

際どいところでリィンは生存ルートに入りました。でも一応制裁は与えておきました。

奥義と新たな剣を会得し、そして気持ちを自覚し、いざトライアングラー!

しかしヴィヴィとカスパルの二人が合流するだけで、町一つ巻き込む大騒動ですね。他のサブキャラたちも原作とは異なる状況でカレイジャスに搭乗していきますので、本編に合わせてお楽しみ頂ければ幸いです。
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