虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第56話 重ね、奏でて

 音楽のアンサンブルにおいて、個々が違うパートを担当するという演奏方法がある。それぞれの生み出す異なった音が連なり、一つの曲を成していくのだ。

 その奏法と重ね合わせて、二種の特性を合成するリンク能力を彼らはこう呼んだ。

「重奏リンクだ! やるぞ!」

 ヘクトルと対峙するヴァリマールの中、リィンは後方に控える仲間たちに言った。

 ブレードはリアクティブアーマーで弾き飛ばされてしまった。取りにいくような時間をヴァルカンが許すとは思えない。

 正規軍の戦車部隊も攻撃を中止して退がっている。中途半端な砲撃はむしろ邪魔になると思っているのだろう。

 実際その通りではあるが、なによりカレイジャスの遊撃活動の特性上、軍に援護を望むわけにはいかない。

 多彩な武器に守られた堅牢な機甲兵を、今から素手で倒さなくてはならないのだ。

 ラウラが通信を返してくる。

『やれるのか、リィン?』

「未知の部分が多い力なのは承知しているが、他に有効な手がない。みんなの力を貸してくれ」

『それはもちろんだ。しかし判明している制約は忘れないでくれ。あと、そなたへの負担もな』

「……了解だ」

 重奏リンクを使用するにあたって、留意すべきことがいくつかある。

 まずリンク範囲の増大。通常500アージュで騎神リンクは途切れるが、重奏リンクの場合はその二倍、およそ1セルジュの距離をもたせることができる。

 また個々の能力を“同時”、あるいは“融合”して発現させることが最大の特徴だが、マスタークオーツ同士には相性があるらしいことも分かっていた。

 たとえば《アイアン》と《レイヴン》を掛け合わせても、防御力と速度が同時に上昇することはなかった。逆に長所を消し合ってしまう。《ブレイブ》と《レイヴン》でもダメだった。速度と攻撃力は一度に上がらない。

 半面、アーツに秀でたマスタークオーツ同士は繋ぎやすかったりと、他にも様々な法則がある。 

「集中しなさいよ。扱いの難しさはノーマルリンクの比じゃない」

「わかってる。それと今回は始めに言っておく。この後、かなり荒く動くぞ」

「先に言われたら言われたでテンション下がるわね。まあ……心構えだけしとくわ」

 うんざりした様子のセリーヌから正面のヘクトルに視線を移す。

 再充填が終わったのか、再び全ての砲口が持ち上がった。

『次も逃げられると思うな。速度を上げても関係ねえ。辺り一帯を燃やし尽くしてやる』

 ヴァルカンの威圧的な声が届くが、応じずにリィンは意識を自分の内側へと向けた。

 今ここにあるのは《ブレイブ》、《イージス》、《ファルコ》、《レイヴン》の四種。

 二つを繋ぐという通常の感覚では重奏リンクは成功しない。単に中心点に立つだけでは、異なる能力を複合し、維持することができないのだ。

 ならばどうすればいい。難しく考えるな。

 俺は多分、その為に一番大切な言葉を知っている。

「リィン! 撃ってくる!」

「そうか——」

 重心。

 いつかサラから言われた一語が脳裏によぎったのと、砲撃音が轟いたのは同時だった。

 ヘクトルが全弾発射した。逃げる隙間などない銃弾と砲弾の嵐。

 瞬く光、重なる色。

 直撃、爆発。吹き荒れる炎と拡がる熱波。散り散りになって噴き上がる大量の瓦礫とコンクリート片。

 やがて辺りに立ち込めていた黒々とした粉塵が、風と共に次第に晴れていく。

 そこにヴァリマールは立っていた。灰白の装甲に被弾の痕はない。

『なにをしやがった……!?』

 二つのリンクラインを繋げた騎神の核が共鳴している。

 黒に染まるフレーム、緑を宿す双眸。

 (くすぶ)る炎の残滓をまとい、ヴァリマールが一歩を踏み出した。 

 

 

《――重ね、奏でて――》

 

 

「どうして私とエリオットさんのペアじゃなかったんですか?」

 ガイザードーベンとの距離は注意しつつ、エマがたずねてくる。「おいおい」とトヴァルは肩をすくめた。

「まだ俺とのコンビが不満だってか? お兄さんは悲しいぜ」

「あ、そういう意味ではなくて。敵をかわしながらの追走なら、転移術を使える私が行った方が良かったんじゃないかと」

「効率重視ならな。でもマキアスはエリオットのサポートをしたいって陽動班から突入班への移動を申し出てきたんだ。なにか思うところがあるんだろう。そういうのは意を()んでやるべきだ」

 あの目は真剣そのものだった。任せるに足る決意だと思えたのだ。

 トヴァルはスタンロッドを引き抜き、《ARCUS》に手掛ける。

「それに戦力を考えてもだ。アーツ主体の人間が二人固まることになるし、そうなると結局は総合的な突破力が落ちることになる」

「……よく考えておられますね」

「おう、頼れるだろ?」

「もしかして言わせようとしてます?」

 低いうなり声。全身の筋肉をバネにして、ガイザードーベンが後ろ足をかがめている。

「来るぞ。四足型魔獣の攻撃ってのは、そう何度もかわせるもんじゃない。隙さえあれば俺はアーツの高速駆動を仕掛けられるが……」

「私には無理そうですね。ですが、やりようはあります」

 エマは主に攻撃系のクオーツを装着している。しかし自分と違って駆動時間は通常通り。動き回るこの敵相手にアーツ中心で攻めるのは難しい。

 咆哮。強靭な脚が床を蹴り、ガイザードーベンが襲い掛かってきた。エマとトヴァルは左右に飛び退いて、むき出しの牙を回避する。

 白いコートをひるがえしながら、すれ違いざまにトヴァルはスタンロッドを振り抜く。渾身の一打は、鎧状のプロテクターをかすめるにとどまった。

「早いな。それに固い……!」

 翠耀石が仕込まれているスタンロッドは、持ち手のスイッチ一つで電撃を発する。生物はもちろん機械にも有効な武器だが、致命打を与えるにはロッドの先端を対象に当て続ける必要があった。

「トヴァルさん、さがって下さい!」

 エマの魔導杖に光が集まる。輝粒がいくつもの剣を形成し、それを一度に撃ち放つ。

 大型の体躯からは想像できないほど、しなやかに跳躍するガイザードーベン。光剣の何発かはヒットしたが、分厚い外皮と軽鎧に阻まれて、大したダメージにはならなかった。

 今の攻撃でエマが標的にされた。獰猛に吼えたガイザードーベンは、彼女へ向かって突進する。まずい。援護が間に合わない。

「避けろっ!」

「大丈夫です」

 ガイザードーベンが飛びかかる。鋭利な爪が彼女に到達する寸前、その巨体が消えた。

 目をこする間もないトヴァルの耳に、今度はドゴンと大きな衝突音が届く。

「うおっ!?」

「あっちですよ」

 エマが指さす先、反対側の壁にガイザードーベンが景気よく頭突きをかましていた。

「攻撃にタイミングを合わせて転移させました」

「いい応用だ。ありゃ相当痛いぜ」

 金属板の張られた壁がへこんでいる。自分の身に起こったことが理解できないらしいガイザードーベンは、よろけながらもこちらに向き直った。

 また突っ込んでくる。しかしさっきより動きが鈍い。

「お任せします! 行って下さい!」

「何を!? どこに!?」

 いつの間にかトヴァルの足元に転移陣が浮き立っている。エマの回答より早く、彼は光に包まれた。

 唐突に景色が変わる。真下にガイザードーベンの背中が見えた。

 空中に転移させたのか。大人しそうに見えて、やることの思いきりがいい。

「うらああ!」

 ゴツゴツしたその背に飛び降りる。プロテクターの隙間をひっつかみ、振り落とされないよう踏ん張りながら、スタンロッドを外皮に押し付けた。

 最大出力。青く弾ける稲光。暴れまくる巨獣。まだ離れるわけにはいかない。もっと電撃を。

 トヴァルを乗せたまま、ガイザードーベンは背を壁に叩きつけようとした。苦し紛れの最後の抵抗だ。

「げっ――」

 やばい。しかし位置的に逃れられるはずもなく、あっという間に壁面が迫る。

 衝突を覚悟して体を固くした時、またしても視界に映る光景が変わった。たった今までしがみついていた背中はそこになく、勢いよくガイザードーベンが壁にぶちあたる姿を、トヴァルはエマのとなりから見ていた。

「無事ですか!?」

「危なかったけどな。おかげさんで助かった」

 新術なのによく使いこなしている。実戦の集中力が影響しているのかもしれない。

 今度こそ敵の動きが止まる。その隙を逃さずトヴァルは《スパークアロー》を、エマは《ルミナスレイ》を駆動させた。

 ほとばしる雷の矢とまばゆい幻光が一直線に走り、二軸の交錯点にいたガイザードーベンを貫く。断末魔を一声あげて、巨獣は倒れた。

「時間を食った。エリオットたちを追うぞ」

「動くな、貴様ら!」

 トヴァルが言った時、開きっぱなしの扉から貴族兵がやってくる。五人、いずれも銃を構えていた。

「侵入者どもめ。お前たちを拘束する」

「さっきの司令官の差し金か。いちいち面倒なことをしてくれるな」

 基地内にいた数少ない歩兵を差し向けたのだろう。

 それと分からぬ程度に、エマがトヴァルの袖を引いた。彼女の目線は最初にガイザードーベンが飛び出してきた隠し通路に向けられている。

 あそこから逃げる気なのか。どこに繋がっているかも分からないのに。しかも一本道であれば後ろからの銃撃を避けられない。

 本気か? と視線で問い返すと、エマはかすかにうなずいた。正面入り口は貴族兵の向こう。人数差と装備を鑑みて強行突破をしないなら、確かに活路の可能性はそこしかない。

「仕方ない。行くか!」

 完全に囲まれる前に二人は走り出し、通路に駆け込む。一拍遅れて貴族兵たちも追ってくる。

 後ろから引き金に指をかける気配が伝わってきた。やはりか、どうする。とにかく先にエマを逃がさなければ。

「トヴァルさん、止まって下さい」

「この状況でか!?」

「はい、この辺りがいいです」

 考えがあるらしいと察し、急制動。すぐさま転移術が発動。

 トヴァルとエマは指令室の隠し扉前まで戻っていた。

 そしてさっきまで二人がいた位置に貴族兵たちがいる。遠目にも混乱しているのがわかった。

「転移の応用の一つ。物体同士の位置入れ替えです」

「ははー、なるほどな」

 戸口横にあった手動用レバーをトヴァルが引く。ガラガラと閉じられていく鉄扉。事態に気付いた何人かが慌てて引き返してくるが、時すでに遅し。

 がしゃーんと音を立てて、完全に扉は閉ざされた。

「どこかには繋がってると思いますし、まあ大丈夫でしょう」

「お前さん、なかなかどうして悪い魔女だな」

「そんなことありません。でも魔女は古来よりしたたかであるもの……らしいですよ?」

「覚えとく。ま、これでワイパーの件はチャラだ」

「はい」

 閉じた扉の向こうから漏れ聞こえる悪罵はさらりと受け流し、エマはにこりと微笑んだ。

 

 

 どうせ逃げるなら基地の外だろう。

 フィオナを連れていった司令官を追うマキアスはそう考えた。

 今や基地内部の兵の方が少ない。あの局面で逃げを選択した性格なら、きっと部下との合流を図ろうとする。どこぞの室内で身を隠すという手段もないではないが、フィオナという荷物を抱えるリスクを天秤にかければ、おそらくそれは選ばない。

 外での戦闘はどうなっている。ヴァリマールは機甲兵を押さえているか? サラ教官はどのくらい歩兵を減らしてくれた? 残存勢力とその配置は?

 そして自分たちはどう動く? 常に三手先を予測しろ――

「エリオット、走りながら聞いてくれ」

「なに!?」

 四階から階段を駆け下り、まもなく一階に到達する。エリオットの息はそれほど上がっていない。連日の走り込みのおかげだ。

「僕たちはこのまま中央区画に戻る。そこにフィオナさんがいるはずだ」

「なんでそう思うの?」

「根拠の全てを説明する時間はないが、半分は勘だと思ってくれていい」

「マキアスが言うなら信じるよ」

「助かる」

 最後の一段を飛び降りる。一階に兵士の姿はない。止まらず通路を走り抜ける。前方に扉が見えた。基地内に入ったものとは違う扉だが、位置的にあの扉も中央区画に通じている。

 施錠はされていたが、内側から開けることは容易だった。勢いよく中央区画に飛び出る。

 素早く視線を振って、マキアスは周囲の様子を確認した。

 少し離れた後方では、サラが複数の猟兵と渡り合っている。援護は必要に思えたが、そちらに向かえば彼女が一人残った意味がなくなってしまう。任せる他ない。

 ここは東ゲートに近い一角だ。ゲート口付近ではヴァリマールとヘクトルが交戦していた。

 その手前に、走る司令官とフィオナの後ろ姿が見えた。

 機甲兵と騎神が立ちまわっている分、東側での戦闘の方が激しい。しかし一時後退している歩兵隊は健在である。あの司令官は彼らと合流するつもりだ。

「もう少しだ、追うぞ!」

「で、でも……」

 エリオットがわずかな躊躇を見せる。その理由はマキアスも想像できた。

 戦力差の問題だ。進路上に見えるだけでも敵兵の数は十人近くはいる。対してこちらは二人だ。それらを突破し、最後に司令官までたどり着かねばならない。

 陽動班のメンバーはヴァリマールとの騎神リンクに注力しているはずだ。軍用魔獣の相手をしてくれているトヴァルとエマも、すぐに降りては来られないだろう。サラは今確認した通り。

 仲間からのサポートは見込めず、そして敵を避けて迂回できるようなルートもない。

 一対多数は必定だ。かと言って力押しできる二人ではない。

 ……ならば、ここで使う。

「エリオット、君が前を走るんだ。僕は後方から援護する」

「え? え!?」

「敵の配置は後ろからじゃないと見渡せない。それにアーツじゃ連発の援護はできないだろう」

「それはそうだけど、どのみち二人じゃ難しいよ。せめて近接戦のできる人がいれば……」

「適材適所、か。……場違いな話であるのは承知だが、聞いてくれ」

 動揺を隠せないエリオットの両肩を、マキアスは正面からつかんだ。

 自分の想いなんて、本当は伝えるつもりもなかった。だけど言おう。

「僕の従姉のことは話したな。エルサ・レーグニッツ――子供の頃、よく面倒を見てくれて、姉さんって慕っていた女性だ」

「うん……知ってる」

 貴族の男性と恋仲になるも周囲から認められず、多くに傷つけられて、最後は想い人の心無い一言が引き金になって自らの命を絶ってしまった。

 かつてのマキアスが、貴族を嫌悪していた原因たる出来事だ。

「今さらのことだ。Ⅶ組として過ごす中で、感情に折り合いをつけることもできた。相手の男性をどうこう言うつもりもない。だけど自分を悔いる気持ちはいまだにある」

「どうして? マキアスは悪くないのに」

「姉さんが辛い思いをしていることに気付けなかった。僕の前ではずっと笑っていたからな。でも思い返せば時折悲しそうな顔もしていた。子供だった僕はその意味を深く考えることをしなかった」

「………」

「気付いたところで何も変わらなかったかもしれない。でも声はかけてあげられたはずだ。たとえそれが子供の見当違いであったとしても。わかるか? 僕は最後まで姉さんに何もすることができなかったんだ。……何もしないまま、失ってしまった」

 幼い自分に彼女が救いを求めるわけもない。姉さんは父さんにも相談しなかった。迷惑をかけたくなかったから? すでに自分の末路を決めていたから? 全ては過去。もう彼女の心はわからない。

「どれだけ時間が経とうとも、心の整理ができたとしても、この後悔が消えることは多分一生ないと思う」

 びくりと震えるエリオットの肩をつかむ力が、我知らず強くなる。

「君は今、フィオナさんの窮地を知っている。手を伸ばせば届き、走れば追いつける場所にいる。適材適所? そんなもの関係あるもんか。この場にいる全員の中で、一番彼女を助けたいと思っているのは誰だ!?」

「それはきっと……僕だと思う。ううん、僕だよ」

 マキアスの手を解き、エリオットは東ゲート側に向き直った。

 大声が届いてしまったのか、司令官はマキアスたちに気付いている。命令を受けた歩兵たちがこちらに向かってきていた。

「ありがとう、マキアス。先に行くから」

「前だけを見ていればいい。後ろには必ず僕がいる」

 先頭を切って走り出すエリオット。マキアスはその10アージュほど後ろに続いた。

 敵との距離が縮まる。エリオットは速度を緩めない。相手が散開した。囲むつもりだ。

「落ち着け。落ち着け――」

 マキアスは自分に言い聞かすように何度も繰り返した。

 思い出せ、クレア大尉との特訓を。

 エリオットを止めようとする敵は6名。これからどう動く? 

 今の戦況、配置、所持武器、彼らの心理まで、ありとあらゆる可能性を考え抜いて、考え尽くして、数秒先の行動を予測しろ。

 この局面。自分のフォローが一手でもしくじれば、それで全てが終わる。作戦の成否と、仲間の命を預かるプレッシャーが背にのしかかっていた。

 自分とエリオットを重ねたから。それが陽動班から突入班への変更を希望した本当の理由だった。

 僕は姉さんを救えなかった。君は姉さんを救え。

 その為に僕は、僕の得た全力を尽くす。

「行け! ミラーデバイス!」

 ジャケット裏のホルダーに仕込んであった鏡面装置を一斉に放つ。

 変則ルールを用いたチェスでの特訓は、この装備を扱う為のものだった。最終的に四つの駒を同時に動かせるようになったマキアスは、クレアがカレイジャスを降りるその日、ミラーデバイスを託された。

 あなた自身の手で仲間を守れるように。そう言付かって。

 滑空するいくつもの鏡面が弧を描きながら、宙に展開されていく。それらはエリオットを包囲しようとしていた敵兵士たちを、さらに外側から包囲した。

 チェス盤をそうするように、敵味方問わず上からの視点で配置を見据え、起こり得る未来()を予測する。

 最初の一発が最重要。――そこだ。

 ショットガンのモードチェンジ。銃身の一部が回転し、散弾からレーザー弾へと切り替わる。

 銃口から発射された光軸が、一つ目のミラーデバイスめがけてまっすぐに突き進んだ。

 

 

 連続する爆発が咲き乱れる中、ヴァリマールが東ゲート全域を疾風さながらに駆ける。

『ちょこまかと! とっととくたばりやがれ!』

 ヴァルカンの怒声。高速で舞う騎神の軌道を追うようにして、ヘクトルの砲撃が続けられる。横殴りの銃弾の豪雨。

 見える。時間が引き伸ばされたみたいに、物体の動きが緩慢に映る。

 《ファルコ》の能力がもたらすそれは、体感時間の話であって、実際に物がスローで動いているわけではない。だから弾が発射された後であれば、回避は間に合わない。

 が、ヴァリマールは瞬間的に弾道から外れて敵の射撃を避けてみせた。反応に応じられるレベルまで、機体のレスポンスを《レイヴン》が向上させているからだ。

 反応速度、機体速度、それらを支える動体視力。三つの柱が地上戦最速を実現する。

「ぐっ……! セリーヌ、大丈夫か?」

「な、なんとか。アタシのことはいいから集中なさい。これを使った以上、勝負は速攻で付ける必要があるわ」

 急激な加減速が与えてくる圧に耐えながら、リィンはヘクトルを視界から外れないように努めた。

 《レイヴン》に《ファルコ》という、負担の大きい能力同士の掛け合わせ。力を繋ぎ、持続させるだけで生気が奪われていく。

 意識をしっかり保て。重奏リンクを途切れさせてはいけない。

『こいつならどうだ!』

 ヘクトルは広範囲に榴弾をばら撒いた。正確な狙いを付けてこない分、この速度で下手に動けば逆に被弾してしまう。わずかに動きが鈍るヴァリマールに、再び正面から全弾発射。

 今度こそ逃げ場がない。

 ヴァリマールが両腕を交差させる。殺到していた砲弾が突然に裂け、直撃の寸前に虚空で爆散した。

 元々《ファルコ》が有している風属性のアーツである。突風の刃を生み出して迎撃したのだ。最初の直撃から機体を守ったのもこの力だった。

 発射後の反動で、一瞬ヘクトルが硬直する。攻めるならここしかない。

 滞留する粉塵を突き破って、リィンは機体を走らせる。

 煙る視界を抜けると、その攻撃を予想していたかのようにヘクトルはどっしりと構えていた。両肩の砲門がヴァリマールを捉えている。

 全弾発射に見せかけて、主装はスタンバイのまま撃たなかったのか。

『かかったな』

「ミリアム!」

『りょーかい!』

 重奏リンク、《レイヴン》と《イージス》を発動。

 最大速度を維持しつつ、機体前面に顕現する黄金の障壁。輝く盾が砲撃を防ぎ、ヴァリマールはその勢いのままヘクトルに突っ込んだ。

 ヘクトルがリアクティブアーマーを展開。こちらも障壁は出したまま特攻。

 二極の防護壁が衝突する。

「おおおおお!」

『こっ、この野郎!!』

 フルブースト。背部バインダーから推力に変換された霊力が爆ぜる。

 ヴァリマールが押し切り、ヘクトルともども東ゲートに突入。干渉するシールド同士が稲妻に似たスパーク光を散らしながら、組み合う二体の巨人が中央区画を猛スピードで縦貫する。

 その最中、モニターの端に多くの貴族兵に向かって走るエリオットが映った。

 負けるな。俺も負けない。

 それだけの思考が脳裏によぎる間に、彼の姿は遥か後方へと過ぎ去っていた。

 中央区画を抜け、西ゲートから基地外へと飛び出す。リアクティブアーマーと《イージス》の効果が切れたのは同時だった。

 いくつかの装甲車を巻き込みながら双方転回し、ヴァリマールとヘクトルは橋の上で対峙する。

 にらみ合いなどなかった。互いに拳を固め、止まらず肉薄する。

 ヘクトルの右拳がうなる。エネルギーの一極集中だ。

 中央区画から伸びてきたリンクの光がリィンの《ARCUS》に到達する。私の力を使え、という意志も届き、ラウラの《ブレイブ》の能力が宿った。

 もう重奏リンクを使う霊力はない。この一撃に残った力の全てを注ぐ。

「これで終わらせる!」

『上等だ!』

 激突する二つの拳打。純粋な力と力のぶつかり合い。踏みしめた足元がびきりとひび割れる。衝撃が橋脚を伝い、直下の川を激しく波立たせた。

 勝敗が決まりかけた刹那、ヴァルカンの声が聞こえた。

『あのお姫さんはちゃんと飯食ってんのか?』

 アルフィン殿下のことか。こんな状況で、なんの話だ。

 しかし思うより早く、とっさの質問にリィンは答えてしまっていた。

「ああ、よく召し上がっておられる」

『そうかい』

 真っ赤な光を帯びたヴァリマールの拳が、ヘクトルの拳、腕、肩までも粉砕した。半身を穿たれ、機能不全を起こした濃緑色の機体がひざまづく。

 ヘクトルの胸部にあるコクピットハッチが開いた。中から出てきたヴァルカンは巨体に似合わぬ身の軽さで、橋際に立つ。一度ヴァリマールに向き直り、『まあまあだったぜ』とその口が動いたかと思うと、彼はそこから飛び降りた。

 ここで正規軍に捕縛されるのは御免こうむると言ったところか。橋下に流れる川は深いし、まあ上手く逃げ遂せるのだろう。ヴァルカンを追うつもりはなかった。

 もう自分も限界だ。押し寄せてくる疲労感と虚脱感。指一本動かせそうにない。

 あとは任せるぞ、エリオット。

 それだけを心中につぶやいて、リィンはシートに沈み込んだ。

 

 

 敵が銃を持ち上げた。撃たれる。

 身を固くしたエリオットの視界に飛び込んできたのは、無数のミラーデバイスだった。

 クレア大尉がここに駆けつけた、などと言うことはないだろう。彼女がマキアスに託したのだと理解し、同時に閃光が奔った。

 レーザー光が滞空する鏡面の一つに命中し、反射する。反射した光弾はさらに別の鏡面へと直進し、また反射する。

 デバイスに接触するとエネルギーを供給される仕組みらしく、反射する度に減衰するどころか威力も増していた。

 まるでその位置に来ることが分かっていたように、筒先を上げた敵の銃のど真ん中を光軸が貫通した。貫いた先、その進行方向に回り込んだ別の鏡面が、さらなる反射を促し、速度を上げたレーザーが別角度に直進する。

「……すごい」

 その一語に尽きた。

 ミラーデバイスは自律支援機ではない。あらかじめプログラムされたルートに従って円、あるいは線、その往復と組み合わせによる動きしかできない。

 当然相手も動く。その上でマキアスはあらゆる可能性を勘案し、複雑な射線を設定し、そして命中させているのだ。

 最後の一人が撃ち抜かれた。武器を狙うか、そうでないなら急所を外して当てているようだ。

 役目を終えたミラーデバイスが主の元に戻っていく。

 驚いている場合ではない。今のは第一陣。まだ遠くにいる司令官が手を振り上げると、再び複数の歩兵が向かってきた。

「マキアス、もう一度――……!?」

 もう一度援護を。そう頼むつもりで振り返ると、マキアスはこめかみを押さえて辛そうにしていた。

「ど、どうしたの?」

「……ミラーデバイスを使う時、瞬間的な弾道計算と行動予測の為に、膨大な集中力を必要とするんだ。慣れていないせいもあるが……さすがにクレア大尉と同じようにはいかないさ」

 ひどい頭痛が彼を襲っているようだった。

「僕がこうなることも、司令官がまた兵士を差し向けて来ることも分かった上で、僕はリフレクトショットを使った。まだ打てる手が残っているから……」

「打てる手?」

「君だ」

 マキアスはエリオットの持つ魔導杖を指さした。

 すぐに何のことかわかった。ムービングドライブだ。

 これはまだ使えない。否定の口を開こうとしたが、エリオットは寸前でとどめる。マキアスは被せるように言った。

「フィオナさんのところまで走れ。きっとできる」

 ついにこの場面が来てしまった。

 自分一人の行動が作戦の成否に関わってしまう、この場面が。

 しかし足は震えていなかった。昨日までならそうはいかなかったかもしれない。でも、もう腹はくくった後だ。

 トヴァルにも言われた。

 男にはできるできないの前にやらなくてはいけない時がある、と。その時に万全の準備が出来ていなくても、足を前に出せ、とも

 だからエリオットは言った。

「できるかはわからない。でもやるよ」

 うなずくマキアスに背を向けて、魔導杖の柄を握りしめた。

 そして、走る。

 同時に駆動。ダメだった。すぐに途切れた。あきらめずにもう一度。失敗。それでも駆動を続ける。

 兵士たちとの距離が近付く。敵が撃ってきた。エリオットのすぐ手前に、弾着の土埃が噴く。

 もう少し進んでいたら当たっていた。血の気が引き、手の平が尋常じゃなく汗ばんでいるのがわかった。緊張と怖さで筋肉が強張り、膝が思うように動かなくなる。

 失速――。

 その時、東ゲート口で爆音がして、ヘクトルと組み合うヴァリマールが凄まじい勢いで近くを突き抜けていく。

 すれ違う瞬間、ヴァリマールがこっちを見た気がした。

 核の中のリィンが“負けるな”と言った気がした。

 今、確かに黒い光と金の光が混ざり合っていた。重奏リンクを使っているのか。

 重奏リンク。名付けたのはエリオットだった。それぞれ違う音色とパートが重なり、一つの曲になる。あくまでも合奏ではないところに彼のこだわりがあった。

 そうだ。一人一人が違う役割を持ち、けれど同じ目的の為にここにいる。

 僕だって、役のある音色の一つ。欠けてしまえばアンサンブルは成立しない。

「わああああ!」

 叫んで恐怖を振り払う。騎神の特攻につかのま呆然としていた兵士たちが、エリオットに意識を戻した。

 そばで銃弾が踊る。一発が肩をかすめた。

 エリオットは止まらなかった。駆動、失敗を何度も繰り返しながら、なお走る。うまくいかなかったら、なんてもう頭になかった。

 演奏しながら歌う感覚を思い出せ。どちらにも均等に意識を置きつつ、思考はどちらにも割かない、あの感覚を。

 ずっとずっと走ってきた。走ることは体に染みついている。同じくらいアーツの駆動もやった。

 二つを同時に行う、という考えをエリオットはここで捨てた。ただ一つの想いだけを、強く胸に留めるようにした。

 姉さんを助ける。それ以外の雑念が入らないように。

 唐突に歯車がかみ合った。

 一念が突き通り、並列していた“走”と“駆動”が交差する。

 導力を伝播させる魔導杖の核玉。そこから溢れるアーツの輝きが、いつしか途切れなくなっていた。光の尾を引いて、エリオットは走り続ける。

「ガキ一人だ! 捕らえろ!」

 何人もの兵士が包囲を狭めて襲い掛かってきた。

 魔導杖の柄先を地面に突き立てる。

 エリオットを中心に、渦を巻く巨大な水流が生まれた。兵士たちにしてみれば、高位アーツがゼロ時間で駆動したようにしか思えなかっただろう。

「な、なんだ!?」

「どうなってる!?」

 銘々の悪態もろとも、《グランシュトローム》の中に兵士たちは呑み込まれていく。

 残されたのは司令官だけだった。

 エリオットは彼に近付くと、魔導杖の先端を向けた。なるべく強い口調で言う。

「姉さんを離せ」

「ひっ!」

 わなわなと震える男は、それでも悪あがきをやめなかった。フィオナの頭に銃口を押し当て、半ば正気ではない目を左右に移ろわせる。指示を出せるような部下はいない。

「武器を捨てろ、早く! この女がどうなってもいいのか!?」

「エリオット、私のことはいいから!」

「黙れ!」

「あっ!」

 筒先の圧を強くされたフィオナに苦悶の表情が浮かぶ。使い古された脅し文句だったが、この状況はエリオットにもどうしようもなかった。

 言われた通り魔導杖を放り捨てる。

「そっちのお前もだ!」

 ヒステリックな怒声をあげると、離れた柱の陰からナイトハルトが出てきた。

 ヴァリマールの戦闘を隠れ蓑にここまで移動し、隙をうかがっていたのだろう。しかし司令官の目ざとさに気付かれてしまっていた。

 小さく舌打ちした後、彼も自分の剣を手放した。

「機甲兵部隊は全滅、歩兵隊も制圧した。各所の戦闘も収束しつつある。無意味なことはやめるがいい」

「うるさいうるさい! 黙れえっ!!」

 話が通じない。このままでは本当に引き金を引いてしまいそうだ。

「追い詰められて怒鳴り散らすとか、小物感満載だな」

 司令官の後ろから不意にそんな声がする。

「誰だ!? いつの間に――ぎっ!?」

 振り返ろうとするより早く、その身がびくんと跳ね上がる。男が膝からくずおれると、そこにはスタンロッドを手にしたトヴァルの姿があった。

「ト、トヴァルさん? どうやってそこに?」

「中央区画に戻ってみたらこんな状況だったんでな。慎重に回り込もうと思ってたんだが、いきなり転移させられたんだよ。魔獣と戦ってる時から、俺は鉄砲玉扱いだぜ」

 基地内に繋がる戸口の前でエマが魔導杖を掲げていた。

「あはは、なんか力が抜けちゃった。でも――わぷっ?」

 駆け出したフィオナがエリオットに抱き付いた。

「エリオット! ああ、エリオット! どこにもケガはない!?」

「それって僕のセリフだけど……姉さん……よかった、本当に……」

 あとは言葉にならず、姉弟の嗚咽が小さく重なる。

 《紅き翼》の遊撃活動。その最初の作戦は成功に終わった。

 

 ●

 

 その後、フィオナは第四機甲師団で保護され、ガレリア駐屯地に滞在することになった。

 特別に図られた便宜として、ナイトハルト少佐が彼女の専属護衛となるそうだ。

 専属とは言うものの、軍務は軍務としてこなし、フィオナが単身外出をする時などに同行する、という程度だが。あくまでも一般人にできる対応の範囲としての配慮である。

 それをクレイグ中将に打診したのが、ウィルジニー戦車隊長を含む何名かの女性隊員らしいが、その思惑の真意がどこにあったのかは定かではない。

 中将も悩んだそうだが、最終的には押し切られる形でその提案を承諾した。

 一方の貴族連合はと言えば、双竜橋戦のあとにケルディックまで後退するも、地形が防衛に不向きであることから、さらに南下。バリアハート側の防衛戦に加わることで、どうにか陣を敷き直す。

 結果として、正規軍はケルディックの町を解放するに至るのだった。

「それじゃ、俺は行くぞ」

 その日の夕方。忙しなく荷物をまとめたトヴァルがカレイジャスを降りた。ヴィクターたちを追い、帝国西部へ向かう為だ。行ける所までは鉄道で、関門などは馬で迂回しながら進むという。

 ケルディックの外れ、停泊中の艦外で見送る一同。

 トヴァルは出立前、エリオットに声をかけた。

「よくがんばったな。ムービングドライブの感覚を掴んだんなら、あとは確実に物にできるように修練あるのみだぜ」

「ありがとうございます。みんなや……トヴァルさんがいてくれたから、姉さんを助けられました」

「そのみんなの中には、お前さんがいるってことも忘れんなよ」

 エリオットの頭にぽんと手を置く。

「いつかエリオットと同じような苦境に立つ人がいるかもしれん。その時はお前さんがその人の支えになってやれ。お兄さんとの約束だぜ」

「わかりました。約束します」

「よし」

 荷物袋を肩に下げ、歩き出そうとするトヴァル。しかし彼は思い立ったように足を止めた。

「おっと……忘れるところだった。リィン、ちょっといいか」

「なんですか?」

「初めて精霊の道を通って、ユミルからルナリア自然公園に転移したときのことだ。あのでっかい猿型魔獣に追いかけられただろ」

「ええ、覚えてます」

 到着早々グルノージャに遭遇し、リィン、トヴァル、エリゼらの三人は森の中を逃げ回る羽目になったのだ。

「逃げる途中にエリゼお嬢さんがこけて、俺とリィンはそれをかばおうとした。その時《ARCUS》が今までにない光り方をしたことを覚えているか?」

「俺は気付かなかったんですけど、エリゼもそんな話をしていましたね。結局なんなのか、わからないままでしたが……」

「その現象をジョルジュにも相談してみてな。その結果、一つの仮説が立った」

 トヴァルは視線をⅦ組全員に巡らすと、さらなる可能性の名を告げた。

「オーバーライズ。お前たちの新たな力になるかもしれん」

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

《芸術乱舞④》

 

 ヴァリマールの待機場所はカレイジャスの船倉だ。

 各種修理器具がそろっているし、スペース的な都合を鑑みてもここが妥当である。とは言うものの騎神のメンテナンスなど機甲兵のそれとは勝手がまるで違うので、整備チームの手にあまるというのが現状だった。

「今日から私がお前の専属整備士になる」

 双竜橋戦後。その騎神の足元でそう言ったのは、先日にノルドで合流したばかりのクララだった。ガイウスに“貫く技術”を教える交換条件として提示したのが、これである。

 彼女は目つきの悪い三白眼でヴァリマールを見上げた。

『了解シタ。シカシ整備ナド我ニハ不要ダ』

「お前にとって必要かどうかは知らん」

『理解不能。我ノ修復ハ霊力(マナ)ヲ取リ込ムコトニヨッテ行ワレ――』

「黙れ」

 ぴしゃりと言い放つ。人だろうが騎神だろうが、その態度に違いはない。おそらくこのような人間と接したのは初めてなのだろう。対応が分からないらしいヴァリマールは、言われた通り言葉を止めた。

「損傷個所の修復はお前が勝手にやれ。私の仕事はその回復度合の管理だ。遅れていれば急げと言うし、問題なければ何も言わない」

『ソノ役割ハ必要ナノカ?』

「黙れと言った」

『……承知シタ』

 沈黙の騎神。どことなく哀しげではある。

「私はお前の造形と構造に興味がある。空いた時間は存分に調べ尽くしてやろう。その装甲を脱がしてな。もしかすると思わぬ発見もあるかもしれん」

 ヴァリマールは黙っている。

「無視か、貴様」

『話スナト、ソナタガ言ッタ』

「所詮は人がましく話すだけの人形か」

『我ハ騎神ダ。人形デハナイ』

「戦闘中にせいぜい『敵の襲来』と『霊力の残量』しか告げないのだろうが。人形と変わらん」

『………』

 鼻を鳴らし、クララはそばのパイプ椅子に腰かけた。周囲には石切り場でガイウスに調達させた、彫刻用の石が多く積まれている。

 彼女はカレイジャスの遊撃行動にさして興味がない。あくまでも協力は付随的なものであって、基本的に彫刻の製作活動ができればそれでいいという考えである。

 リィンたちⅦ組始め、その他のクルーもそれを承知の上で、クララの専属整備士というポジションはあるのだ。

 先刻のヴァリマールと同じく、それは必要なのかと唯一難色を示したのはジョルジュだったが、そこはガイウスが必死に頼み込んでどうにか折れさせた。

 その姿は忠義の後輩だったが、もちろんクララからねぎらいの言葉などない。

「お前に言っておくことが二つある」

『……ナンダ?』

 どこかためらいがちにヴァリマールが応じた。

「私のことは主任と呼べ。役職などどうでもいいが、一応の決まりだ」

『クララ主任カ。二ツ目ハ?』

「自分のことを“我”と呼ぶな。いちいち鼻につく」

『デハ、ドノヨウニ自ラヲ呼称スレバイイノダ?』

「そんなもの自分で考えろ。お前がただの人形でないならな」

 突き離す声音に、ヴァリマールは再三の沈黙を余儀なくされた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

 

《猛将列伝のすすめ⑤》

 

 

 その男は“巡回の時間だ”とも“見張りの交代だ”とも言わなかった。兵士たちが休息する仮眠室の戸口に立つと、ただ一言「礼拝だ」とだけ告げた。

 軍事上の重要拠点であるゼンダー門にしては、不似合な言葉に違いない。

 早朝にもかかわらず、一秒前まで眠っていたはずの男たちにスイッチが入る。ベッドから体を起こすとテキパキと身支度を整え、彼らは仮眠室をあとにした。

 

 食堂には兵士たちが集まっていた。その最奥にある四脚の長テーブルには純白のクロスが敷かれ、飾り気のないねずみ色の部屋の中で奇妙な異彩を放っている。

 テーブルの上には台に飾られた一冊の本があった。荘厳に鎮座するそれは、言わずもかな《猛将列伝・上巻》である。

 司祭風の衣装をまとった上官が現れた。

「それでは朝の祈りを行う。今日も猛々しき一日であることを」

 漢たちは平穏など求めない。皆一斉にかしづき、両の手を組み合わせた。

 初期は“憧れ”、中期は“陶酔”、そして末期は“神格化”。後期ではなく末期。兵士たちの中で猛将は神に等しい存在になっていた。空の女神(エイドス)と並ぶ地の男神(エリオット)である。

 上り詰めるところまで上り詰めた猛将の姿がここにあった。成り果てる、と形容するべきかもしれないが。もちろん自分が崇め奉られる象徴になっているなど、当の本人は知る由もない。

 しばしの祈念が終わると、上官は解散を告げた。

 各々の配置や夜間担当との交代に向かう前に、彼らはここで食事を摂る。交わされる会話は、やはり猛将一色だった。

 そこに一人の兵士が駆け込んでくる。

「み、みんな聞いてくれ。ついさっき早馬が着いてな。先にゼクス中将には報告してきたんだが、大ニュースだ!」

 息を切らしながら彼は言った。

「双竜橋を奪還したそうだ! 第四機甲師団と貴族連合の戦闘に《紅き翼》が介入して! しかもその先頭に立ったのは猛将なんだとよ!」

 一瞬の静寂。そして、

『うおおおおお!!』

 拳を高々と突き上げての大歓声。ゼンダー門が揺れるほどの騒ぎっぷりだった。

「詳しく教えてくれよ! 猛将の活躍をさあ!」

「もちろんだとも。従者たちを率いて双竜門西ゲートに突然現れた猛将は、多くの銃口を向けられながらも動じることなく、こう言ったんだ。『俺はエリオット・クレイジー。女をもらい受けに来た』ってな」

『うおおおおお!!』

 またしても大歓声。たぎる男たちは壁を殴ったり、テーブルに頭を打ち付けたりして溢れ出す歓喜を表現している。額が割れてなお、「猛将に捧ぐ流血フェスティバルッ!」などと意味の分からないテンションを撒き散らす輩も散見された。

「そこからも獅子奮迅の暴れぶり。身一つで敵の装甲車を奪うや、ゲート内に特攻。燃え盛る炎の中で猛り狂う猛将は、鋼の筋肉で銃弾を防いだり、軍用魔獣を一にらみで爆散させたり。群れで迫る領邦軍をちぎっては投げ、ひたすら蹂躙する。怯えて許しを乞う敵兵に対しては――」

『頭めがけてハイキック!』

 乱れずそろう声。満足気にうなずいて、男は続けた。

「築き上げた屍の山の頂に座する猛将は、敵司令官を見下ろした。それだけで全ては終わった。電気を流されたみたいに震え、膝を折った司令官は成すすべなく沈黙したんだ」

 現実と虚構が入り混じった内容。ちなみにエリオット・クレイジーは《猛将列伝》の主人公の名だ。ほぼオリジナルのままである。

「すげえ、すげえよ猛将……」

「聞けば猛将はトリスタを奪還したいらしい。その時がきたら、我々の全てをもってお力添えしよう」

「無論だ。まあ、猛将には不要かもしれんがな」

「はは、違いない」

 豪快極まりない朗報に満ちたりた様子で、彼らはそれぞれの持ち場に移動を始めた。

 

 

 誰もいなくなった食堂に小さな影が一つ。お団子頭の少女はミントだった。

 彼女は祀られている《猛将列伝》にトコトコと歩み寄った。

「ここはもういいかなー」

 上機嫌に独りごちながら、分厚い本を手に取る。

 ゼンダー門を猛らせた張本人であるミントだが、実はこの状況を正しく認識していなかった。

 兵隊さんたちみんなが、ケインズさんの本を楽しんでくれている。ただ単純にそう思っているのである。

 元々の彼女の目的は《猛将列伝》を広め、ケインズ書房の売り上げに貢献すること。いわゆる広報役だ。

 宣伝の為に勧めこそすれ、男たちの血を熱くし猛らせるなど、そもそも考えてもいないのだ。

「よいしょっと」

 ご神体である《猛将列伝》を、自前のリュックサックに詰め込む。本一冊でズシリと重くなった。

 ゼンダー門はもう大丈夫。トリスタに行けるようになったら、きっとみんな下巻も買ってくれる。

 だからそろそろ次の場所を探さないと。次に宣伝すべき新たな地を。

 新型機甲兵の開発の手伝いをした折、Ⅶ組とは再会している。双竜橋での作戦が終わったら、ミントは《カレイジャス》に合流することになっていた。

 学院生として力になると同時に、各地を回る足を手に入れたことにもなる。これからはより効率よく、広範囲に《猛将列伝》を拡めていけるわけだ。

 もう一つ、ミントには誤認していることがあった。他ならぬエリオットのことだ。

 今さらではあるが、彼女はエリオットを猛将系男子だと思っている。猛将系男子の定義はさておき、とにかく猛将系男子なのだ。

 そしてエリオット自身が、そのことを隠していると思っている。そこに加え、自分とケインズは彼の秘密を知り、受け入れている理解者だと思っている。

 恥ずかしいことじゃないよ。エリオット君だって男の子だもん。フツーだよフツー。そういう時期があるって教科書に書いてた気がするし。私はエリオット君が猛将でも友達でいるからね。……などと思っている。

 物事を隠すと言うのは、それはしんどいこと。できるなら彼にはオープンになってもらいたい。胸の内に隠している情動を全てさらけ出して欲しい。別にそれで誰かが彼を悪く言ったりもしないだろう。

 エリオット君が楽になるだけなのに、と本気でミントはそう思っていた。

 だから、彼女は標的を定めた。

「決めた。エリオット君のお父さんとお姉さんにこの本を読んでもらおう」

 エリオットの最大の理解者。家族が真実の彼を認めたならば、怖れるものは何もない。そして彼の父親は軍の偉い人。すばらしい拡散効果も期待できる。

 そんな勘違い思考の果てに、ミントはエリオットにとって最悪の決断をした。

 フィオナを助け、関係者たちが安堵する裏で、クレイグ家崩壊のカウントダウンが静かに始まる――

 

 ☆ ☆ ☆

 

 




セミが鳴き始めました。もう夏ですね。

進化の起源を知らなかった子供の頃、七年も地中にいるのに、どうしてセミは七年に一回の出現じゃなく、毎年現れるのだろうと不思議に思ったことがあります。

あれですね。当時のイメージとしては、
①太古の昔に始祖たるセミの王がいて、定められた一週間の命の中で彼は子孫を残す。→②七年後に成虫となって地上に現れたセミ皇子たちは同様に子孫を残す。→③そのルーティンなら七年おきにしかセミは現れないはずでは。ファーブル昆虫記にはそこを言及した記述はなかったぞ。

そんな感じでした。今考えれば①の時点でもうおかしいのですが。なんだ、始祖って。

今話もお付きあい頂きありがとうございます。連日の暑さでもう自分でも何を言っているのか……

久々のサイドストーリーの気がします。描きためている分は多くあるのですが、タイミングの都合で出せないものもあるので……

エリオットががんばって、お姉ちゃんを助けて、しかし危機は継続中!
ヴァリマールもなんだかクララに追い込まれてピンチ!
マキアスは眼鏡と同じくらい丹念にミラーデバイスを磨く!

どうにも文章がまとまらないので、これにて失礼します。皆様も熱中症には十分気を付けられますよう。
引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。
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