身じろぎした小さな体が横に一回、二回と回転する。
中心から端にずれた位置で、さらに三回目の寝がえりを打とうとして、彼女はベッドから転落した。ゴチンと床に落ちた頭から星が散る。
「あうぅ……」
寝ぼけて回らない思考では、身に起きたこともわからない。とろりとした目を浮かべたまま、考えるともなしにトワ・ハーシェルはベッドによじ登ろうとした。
もたれかかるようにしてつかんだシーツがずれる。ずるりと足をすべらせ、バランスを崩したトワはもう一度床にダイブするはめになった。しかも今度は顔面から。
「痛……鼻……はうぅっ」
痛みが全身に巡り、ようやく脳が動き出した。ずれたシーツのせいだろう、追い打ちのように頭に落ちてきた目覚まし時計をたぐりよせ、トワは時間を確認する。
朝の6時。いけない、寝すぎた。もう起きなくては。
枕元にたたんで置いていた――これも床に落ちてしまっていたが――着替えを手に取る。Sサイズの制服。二年生になっても変わらない、変わってくれない身長その他もろもろ。今年の入学式に一年生と向かい合って、いよいよ焦燥感を覚えたものだ。
反則だよ、エマちゃんそれは反則だよ。そんな声なき声を表に出すことはしなかったが。
更衣を済ませたあとは、くせっ毛の栗色髪をくしで解き、愛用のリボンで軽く括る。
「はあ……一人部屋で良かったかも」
消沈気味につぶやきながら、ズキズキとうずきっぱなしの鼻をさすった。
ベッドと枕が変わるとどうにもダメなのだ。一所に留まって寝付けない。
カレイジャスのクルーで個室を与えられているのはアルフィン皇女と自分だけだ。艦長代理の任命に伴って、自動的に割り当てられたのである。
この部屋も元々アルゼイド子爵が使用していた、いわゆる艦長室だった。何かと考えることが多い役割なだけに、一人になれる空間はあった方がいい。
もっとも空間があるだけで時間があるわけではないのだが。今のところ、この部屋で過ごすのは仮眠を取る時だけに限られてしまっている。
巨大な艦を取りまとめ、方向性と具体的な行動を決めていくブレイン。元よりやることは多く、どれだけ手があっても足らないが、そんな中でも色々なことに目を向け、気を回す性分のトワである。
多忙の日々が途切れることはなかった。
「よーし、今日もがんばろう!」
疲れはおくびにも出さず、はつらつと自分の頬を叩く。
ドア横に掛けてある艦長帽をしっかりと被って、トワは部屋を後にした。
《☆☆☆トワ艦長の忙しない一日☆☆☆》
早朝から動き出しはしたものの、定例のクルーミーティングや細かな雑務をこなしている内に、あっという間にもう昼前。
五階ブリッジの艦長席に収まるトワは、半刻単位で増えていく書類の一枚一枚に目を通していた。
各部署からの報告が主で、艦内の不足備品、今後必要と予測される物資の一覧、食料の備蓄状況、今回は双竜橋戦介入時のデータなんかも挙がってきていた。
「んー、食料の確保は最優先だよね。これは何とかなりそうだけど」
今のところカレイジャスで訪れられるのはレグラム、ユミル、ノルド、そして先日開放したケルディックである。いずれも食料が余るほどあるわけではないが、リレー式で各町を回れば、一か所で買い占めずにそれなりの量を購入できる。
大型艦ではあるが、現時点でのクルーはそこまで多くない。十分まかなえる範囲だ。
「ヴィヴィちゃん、各地方でカレイジャスが着陸できそうな地形のリストアップお願いね」
レグラムで合流したヴィヴィは観測士を務めている。しかし返答がない。
「ヴィヴィちゃんなら、さっき出ていっちゃいました」
代わりに応じたのはミントだった。双竜橋戦後に彼女はカレイジャスに搭乗したのだが、意外に機械に強いらしく、管制システムなどのメンテを任している。
ただ何かとうっかりが多く、機器トラブルを誘発したりもする。つい先日などは第一種戦闘配置の艦内警報が鳴り響き、みんなして夜中に飛び起きることになった。
はだけた寝巻きのままブリッジに転がり込むと、『えへへ、ちょっと配線の接続を間違えました』とはにかむミントが工具を片手に立っていた。
この騒ぎのどさくさで、マキアスの眼鏡はガイウスに踏まれて死んでしまった。補修物品のリストに眼鏡が入っているのは、多分そのせいだろう。
「眼鏡はともかく、急に破損品が増えたような気が……」
「双竜橋の介入の時じゃないですか?」
「機甲兵に発砲されたけど被弾はしてないよ。……あ、そっか」
作戦開始まもなく急降下と急浮上をした挙句、東ゲートから西ゲートへの短距離加速なんかをしたからだ。そういえば固定されていない物資はがたついたり、床に落ちたりしたと報告も受けている。
改めて品目に視線を走らせると、陶器、ガラス類の皿やコップばかりだった。
なんてこと。食堂の戸棚を全て扉付きに変えないと。いや、食器の材質から見直した方が手っ取り早いかもしれない。当然食堂以外にも固定具はあった方がいい。だとして費用はどのくらい?
頭の中で軽く概算してみて、
「うええ~……」
手痛い出費だ。
重くなった肩を引っ提げて、トワは席から腰をあげる。
「ちょっと艦内を回ってくるね。ミントちゃん、ここお願いできるかな?」
「りょーかいでーす!」
「私がいない間に配線いじっちゃダメだよ。内部機器を調べる時はジョルジュ君といっしょにやること」
「え、はい」
後ろ手に隠したレンチやスパナがちらちら見える。やっぱりやる気だったのか。釘を刺しておいてよかった。好奇心旺盛はいいことだけど、その度警報を鳴らされてはたまったものではない。
「あ、待って待ってトワ艦長」
「どうしたの?」
ブリッジを出ようとして、呼び止められる。
「あのね。私、ガレリア駐屯地に行きたいんだ。近くを通ったりしたら寄って欲しいなあ」
「要塞跡ならカレイジャスも着陸できるし、別に大丈夫だけど。ミントちゃん、何か用事があるの?」
「んー、まあ。ちょっとだけ」
「そうなんだ? うん、いいよ」
ガレリア駐屯地にも保護されている士官学院生がいると、リィンたちから聞いていた。どのみち迎えに行くつもりだしと、軽い気持ちで了承する。
ミントの足元に分厚い本があることに、トワは気付かなかった。
「おや、トワ艦長。見回りですか?」
ブリッジを出てすぐ、男性に声をかけられる。
「そんなところです。ミントちゃんがあっちこっち分解しないように見ておいてくださいね。一応念押しはしたんですけど」
「はは……こないだような騒ぎは勘弁願いたいですなあ」
冗談交じりに言いつつ、しかし冗談ではない苦笑いを顔に浮かべて、トワと入れ違うようにブリッジへと入っていった。
彼は士官学院生ではない。カレイジャス運用当初から内勤してくれている艦内クルーの一人だ。
そういった一般の協力スタッフが何人もいるのだが、いずれ彼らは艦を降りることになっていた。各地を回って学院生と合流することは、今後の運用を考えても急務と言える。
報告で知る限りではケルディックに二人、ガレリア演習場に二人。声をかけたからとて必ずしも遊撃活動に協力してくれるとも限らないが――
まずは片付けられる問題から対処しよう。
重い足取りでエレベーターに乗って、気の乗らない指先で四階のボタンを押した。
●
「――というわけなんですけど……」
貴賓室のソファーに向かい合わせに座り、トワは破損品とその修繕、購入についてアルフィンに相談していた。
資金の支出管理もトワが担っているが、当然自分の意志で自由に出し入れができるわけではない。そこはやはり、カレイジャスの現所有者に申請せねばならないのだ。
「どうでしょうか?」
「いいんじゃないですか。買っちゃいましょう」
気の引ける思いでトワが顔を上げると、現所有者たるアルフィンは二つ返事で承諾した。
「そんな簡単に……よろしいのですか?」
「お皿もコップも棚も必要なものですし。ところでどれくらいの費用がかかるんですか?」
普通はそれを聞いてからの承認ではないのだろうか。不安に思いつつも、紙の上でおおよその値段を計算して、それをアルフィンに見せてみると、
「結構な額ですわね。はい」
あっさりした感想を述べながら、稟議書に決裁の署名をさらりと書く。荷物の受け取りかと思うほど、気軽なサインだった。
「あ、ありがとうございます」
「気にしないでください。他にも入用なものがあったら気兼ねなく言ってくださいね」
この即断即決の気質は正直助かる。これからも何かとお願いすることになるだろう。申し訳ないとは思いつつだが。
「私がカレイジャスの所有者となるのは一時的なもので、指定期間後の所有権はお兄様に戻ります。正確にはお父様ですけどね」
「誓約書にも目を通しましたから、それは私も知っていますが」
貸与者名義がユーゲント・ライゼ・アルノールで、受領者名義がオリヴァルト・ライゼ・アルノールとあった。
同時に建造責任者はオリヴァルトであり、運用資金も彼の私財である。オリヴァルトはユーゲントを含む様々なコネクションに借金をすることで、莫大なカレイジャスの建造費をどうにか工面していた。
複雑な金と人の動きがあって、ようやく《赤き翼》は空に舞っているのだ。
あまり知りたくない裏事情である。帝国最速を誇る屈指の飛行性能を、迫りくる返済期限から逃れる為に使う日が来ないことを願うばかりだ。
一つ思い至る。運用資金がオリヴァルト皇子の私財ということは、まさか。
「……あのう、こういった雑費の出所ってもしかして」
「うふふ、もちろんお兄様のポケットマネーです。さすがに公費では落ちませんもの」
アルフィンは無邪気な笑顔を咲かせた。
「借金額を見せてもらいましたが、すぐに桁を数えることができませんでしたわ。ですのでちょっとぐらい負債が増えても気にならないと思いますから、大丈夫です」
「あ、はは……はは」
対するトワの笑みは乾いていた。いったい何が大丈夫なのか。
「まだ先のお話ですけど、カレイジャスの活動が公式に認められれば、大部分の費用を公費でまかなえるはずです。そうなればお兄様も助かるでしょうし、そちらの意味でもわたくし達の行動は重要ですね」
「は……ああ……」
知らずの内に、オリヴァルトの借金人生を左右するポジションにもなっている。両肩の重みがミシミシと音を立てて増していた。
アルフィンは手元の紅茶を口にする。
「ところでトワさん。わたくし、ちょっと個人的な相談があるのですけど」
「なんでしょうか?」
「実は騎士を選ぼうか迷っていまして」
「騎士?」
突飛な言葉だった。
なんでもオリヴァルトに勧められたそうで、護衛だけではなく心身の支えになってくれる存在こそが騎士らしい。
帝国中世の習わしとのことだが、一般家庭に生まれた自分には縁遠い話である。
「やっぱりリィンさんを選びたいのですが、トワさんはどう思いますか?」
「リィン君ですか。んー」
最初にイメージしたのはユーシスやラウラだったが、リィンでも違和感はない。心身のサポートというなら、彼の性格的にむしろ適任とも言える。しかし……
「受けるでしょうか?」
「そこですよねえ。園遊会のダンスをお願いしたときも、やんわりはぐらかされてしまいましたし」
そんなお願いをされていたとは驚きだ。しかもそれをはぐらかすなんて。なんだかお説教をしたくなってきた。
「とりあえずアプローチから始めてみようかしら。さしあたってはリィンさんの好物などを教えて頂けると――」
喜々としたアルフィンの話は中々終わらなかった。
どうにかアルフィンとの会話を切り上げたトワは、艦のコンディションチェックがてら全フロアを見回ることにした。もしかしたら他にも補修案件が出てくるかもしれない。
「このフロアは大丈夫そうだけど……あれ?」
会議室と貴賓室を除けば、四階は訓練区画になっている。そのいずれもが扉上部の使用中を示すランプを点灯させていた。
誰が使っているのだろう。興味本位で足を伸ばして、まずは貴賓室から一番近い射撃訓練室をのぞいてみる。
部屋の中心にマキアスが立っていた。
「e5、a2、f3、h5、a7」
壁に寄りかかっているユーシスが、チェス盤の配置を模した番号を読み上げる。どうやら彼はマキアスの特訓に付き合っているらしい。
「行け、ミラーデバイス!」
マキアスが指示すると同時、宙を滑空する無数の鏡面装置が、円軌道を描きながら展開されていく。仮想敵相手なので実際にレーザー弾を撃つことはしなかったが、ずいぶんと慣れた手並みだ。相当練習したのだろう。
ストップウォッチを片手にユーシスが言った。
「コンマ3、さっきよりも反応が遅いぞ」
「く、くそ」
「疲れているなら休め。それともそのひび割れた眼鏡のせいか? どっちにしろ、そんな状態で訓練したところで身につかん」
「わかっている。問題ない」
ガイウスに踏み砕かれた眼鏡は自ら修復したらしい。テープによって留められたレンズの繋ぎ目が痛々しかった。
ミラーデバイスを使用した攻撃は、その軌道、弾道計算を瞬時に行わなければならない為、かなりの集中力と精神力を必要とする。扱うデバイスが多ければ多いほど、あっという間に疲弊してしまうそうだ。
ふらつくマキアスは自分のかばんの中から、小さなタッパーを取り出した。ふたを開けると、大量のチョコレートが敷き詰められていた。
「クレア大尉が糖分補給用で僕の為に作ってくれたものだ。これさえあれば……」
“僕の為に”がやたらと強調された口調だった。低血糖症状でも出ているのか、ぷるぷると震える指先でチョコをつまみ、そのひとかけらを舌の上に運ぶ。
瞬間、マキアスの眼鏡が輝きを取り戻した。爆発的に拡がった光が射撃訓練室を包み込む。
「はあ、はあ……なんてスウィーティーな甘さだ。力がみなぎるぞ……何度でも、何度でも僕は立ち上がれる……」
「……お前、危ないヤツだな」
ユーシスの感想にはトワも同意だった。そっとその場を離れ、次は奥のアーツ訓練室へと移動する。
そこでは魔導杖を手に、エリオットが走り回っていた。
多分ムービングドライブの練習だ。
アーツ訓練室を囲む壁面と床、天井は導力を減衰する特殊な材質でできている。中位アーツくらいなら思いきり放ってもまったく問題ない。
「エリオット君、がんばってるなあ」
新能力に関してつかむものがあったようで、特訓にも熱が入っている。状況と配置を選ばない移動しながらのアーツ駆動。今後の戦力になるのは間違いない。
しかしなぜだろう。汗を流す清々しいエリオットの姿が、とても切なく見えてしまうのは。まるでそれが大切な何かを失ってしまう前の、最後の快活な光景でもあるかのように。
不意にブリッジにいるはずのお団子頭が重なって映り、トワは得体の知れない不安を感じた。
肌が粟立つ悪寒に身をすくめつつ踵を返すと、いつからそこにいたのか、アリサが剣術訓練室の手前に立っていた。
剣を使うわけでもないのに、彼女は妙にそわそわしながら、室内の様子をドアの隙間から見ている。
「アリサちゃん、どうしたの?」
「えあっ!? ト、トワ会長こそどうされたんですか?」
「一応見回りかな。それでアリサちゃんは何してるの?」
「べ、別に――あっ」
焦りを隠そうとするアリサの横から、トワは室内をのぞいてみた。
ラウラとリィンが剣を交えて稽古している。猛スピードで割って入ったアリサの顔がトワの視界をふさいだ。
「違うんです、違うんです。あれ、あれなんですって!」
「私まだ何も言ってないけど……。あれって何かな?」
「あのー、そう、機甲兵! 私の新型機甲兵が完成したので、名前の案を募集しに回ってるんです!」
「あ、ついにできたんだね。でもだったら、みんながいる場所で聞いた方が色んな意見が聞けるんじゃ」
「そ、そうですよね!? じゃあそうします! そのつもりでした!」
アリサは扉を勢いよく開けるなり「失礼するわよ! リィン、緊急招集かけて!」と訓練室に押し入っていった。
何やらもめているようだが、そこに踏み入る勇気はトワになかった。
「……やっぱりリィン君には、お説教がいるね」
アルフィン殿下の騎士選びは、そう簡単に行かなさそうだ。
●
三階は連絡区画。
仮眠室、貯蔵用倉庫、空き部屋なんかも三階にまとまっていて、クルーたちの生活区になっている。
ひとまずトワは甲板に出てみた。前後部の甲板に出られるのも、このフロアからだけである。
「わっ、びっくりした」
先客がいた。ガイウスとフィーだ。
甲板の真ん中に横並びになって、ぐーぐーすーすーと昼寝をしている。起きる気配はない。
この場所がガイウスのお気に入りなのは知っていたが、最近ではフィーも風の当たるところを好んでいる。リィンの話では、二人して“風を感じている”らしい。
二人の得た、あるいは得ようとしている新たな能力は、感覚を研ぎ澄ますタイプのものだ。神経を使うあまり、疲れているのかもしれない。
気持ちよさそうにもしているし、もう少し寝かせておいてあげよう。それにしても……
「仲のいい兄妹みたい」
思い浮かんだ感想をそのまま口に出して、トワは艦内へと引き返した。
通路に戻ると、使っていないはずの部屋からがさごそと音がしている。
「ねえねえー、ちょっとかまってよ?」
「というかお前、ブリッジに戻らなくていいのか?」
会話も漏れ聞こえてきた。この声はヴィヴィとカスパルか。
「カスパルが何やってるか教えてくれたら、ブリッジに戻ることを検討してあげてもいいわ」
「なんで上から目線なんだ。しかも教えても検討するだけかよ」
「いいからー! あんまりヴィヴィちゃんを放っておくと、すねちゃうんだからー!」
「勝手にすねればいいじゃん」
「んふふ、そんなこと言ってたら催眠かけちゃうんだからー」
「それはやめろ!」
ヴィヴィはカスパルの背にまとわりつき、ゆさゆさと彼の体を揺さぶっている。さすがにうっとうしく思ったのか、カスパルは頭をかいてヴィヴィに向き直った。
「レグラムで得た経験を活かして、ちょっとした武器のメンテナンス場を作ろうかと思ってさ。いちいち町に降りなくていいし、リィンたちも助かるだろ」
通路で聞いていたトワは、ポンと両手を合わせる。それはいい考えだ。
学院生たちのスキルを発揮できるスペースを作ることは、後々大きな意味を持ってくるだろう。使える部屋を荷物置きにしか利用しないのも、もったいない話である。
「じゃ私もカスパルの横で催眠屋さん始めちゃおうかしら」
「催眠屋さんってなんだよ! カレイジャスがレグラムみたいになったらどーすんだ!?」
「けちー。部屋のスペースはまだあるじゃない。私、この横のスペース予約したもん」
収まる様子のない言い合いを耳に入れながら、トワはエレベーターに向かう。
空き室もいつでも使えるように整理し直さなくては。
●
「この階の物が一番壊れてそう……」
それらを新しく発見してしまうのも怖い心地で、トワは到着した二階に足を踏み出した。
多目的区画と位置づけられるフロアで、医療室、資料室、端末室、食堂、遊戯室などがある。
設備の中には当然固定できないものがあり、主にはそれらが破損物としてリストにあがってきていた品々だ。
資料室の本は床に落ちたぐらい。遊戯室ではビリヤード台が傾き、球が散乱した程度。
悲惨だったのは報告にあった食堂の食器類だが、医療品に大きな損害がなかったのは不幸中の幸いか。戦時下では調達しやすいものと、そうでないものがあるのだから。
「医療室には誰か一人くらい待機させなきゃ。でも今はそこまで人員が割けないし……困ったなあ」
薬学の知識がある人間は限られてくる。一応自分もその手の勉強はしたが、仮にも艦長代理が医療室に常駐するわけにもいくまい。
それは医療室に限った話ではない。本当は食堂や端末室にだって専属のクルーを配置したいのだ。
カレイジャスの運用をスムーズに行い、その機能をいかんなく発揮する為には、やはり今の人数では厳しい。
「むー」
頭を悩ませながら遊戯室前まで来る。さすがに、ここに関しては誰の配置も必要ないが――
カコンと玉を打つ音がした。
「転移術の習得具合はどう?」
「まだ慣れが必要だと思うわ。細かな位置調整をしても微妙にずれるし」
エマとセリーヌが遊戯室にいる。ビリヤードでもしているのだろうか。意外に思いながら足を止めるも、エマは手ぶらでビリヤード台と向き合っていた。
台の上では色とりどりの玉が、消えたり現れたりを繰り返している。転移術の練習らしい。
トワが不可思議な光景に目を奪われている最中にも、二人は当たり前のように会話を続けていた。
「慣れっていうのは数をこなすってことだしね。いいわ、アタシに任せてちょうだい」
「なにかいい案があるの?」
「ええ。数もこなせて、この艦も助かるようないい方法を思いついたのよ。ちょっとスパルタだけど」
「……すごく不安。すごく不安だわ」
「二回言わないでよ」
自信たっぷりに胸を逸らすセリーヌと、とても心配そうなエマ。
この先、転移術だけではなく、彼女は念話術というスキルも会得するそうだ。時間はいくらあっても足りないのだろう。
特訓の邪魔にならないよう、トワは遊戯室を静かに通り過ぎた。
そのまま食堂の様子を見に行く。この時間は誰もいないと思っていたが、鼻歌が聞こえてくる。
机に頬杖をつくミリアムが、上機嫌で本を開いていた。
「ミリアムちゃん、何読んでるの?」
「あ、かいちょー」
近くに寄って声をかけるまで気付かなかったようだ。彼女が手にしている本は、以前トワが渡しておいた図鑑だった。卓上には絵本やパズルも置いてある。
自慢げにミリアムは言った。
「約束守ってちゃんと勉強してるよ。えらいでしょボク!」
「うん、えらいえらい」
「えへへー」
よしよしと頭を撫でると、ミリアムは嬉しそうに顔をほころばせた。
アガートラムのトランス能力強化の為、トワはミリアムの専属講師を務めている。図鑑はその一環のいわゆる“教材”の一つだが、最近では興味を持ってミリアム自ら机に向かうようになっている。
その姿を見たエマは、目じりに涙を浮かべながらくずおれていた。よほど嬉しかったのだろう。
ミリアムは特殊だ。横にはついて勉強を見るが、それ以上特別な指導は必要ない。
興味を持つというのが、彼女にとって重要なのだ。先の双竜橋戦では発現しなかったが、おそらくもう“使える”ようになっている。
「面白そうな本があったらまた持ってくるね」
「うん、おねがい」
今度はパズルをいじりだしたミリアムから離れ、トワは食堂内の状態を見回った。
戦闘後の片付けは誰かが済ましてくれたようで、床やキッチン周りは整然としたものだったが、件の戸棚を確認してみると確かに食器が激減している。いくつか調味料の瓶も割れてしまったみたいだ。
やはり、これは早急の補充が必要だ。
「ミリアムちゃん、このあとケルディックまでお買い物に行こっか」
「お買い物? 行く行く!」
「荷物が多くなりそうだし、Ⅶ組のみんなの力も借りたいんだ。声をかけておいてくれるかな?」
「荷物運びなんてガーちゃんだけで十分だよ」
「街中でアガートラムを出したらダメだからね」
「んー……うん。じゃあ皆に話してくる」
了承の返事に間があったのは気になるところだ。
本やパズルを机の端に一固めにすると、ミリアムは食堂を飛び出した。
「……お片付けのことも教えなきゃ」
遠ざかる足音を聞きながらぼやく。
位置が微妙にずれたままの戸棚を見て、ふと思いつくことがあった。
想定外のアクシデントやトラブルは今後も起きる。そうでなくてもカレイジャスの遊撃活動には相応の危険が常に付きまとう。
いつ何時、最悪の状況が降りかかるか分からない。
もう少し人数が増えてきたら、どこかのタイミングで実施する必要があるだろう。
「避難訓練の段取りも考えておかないと……」
総員退艦の命令など、決して自分の口から言いたくなどないが――
●
あちこち立ち寄った末に、ようやく船倉まで来ることができた。
この一階は工房を除き、ほとんどのスペースを整備ドックとして使用している。隅の一角にはユーシスの希望で設置された簡易の馬舎などもあるが、今のところ馬舎にいるのは彼がユミルから連れてきた愛馬、シュトラール一頭だけだ。
ドックには重機類が多い。物が物だけに作戦前にはしっかり固定されているので、このフロアで目立つ被害は出なかった。
グエン・ラインフォルトから受領して以降、例の新型機甲兵もここで改装を続けている。そういえばアリサが完成したと言っていたが。
『クララ主任』
「なんだ」
その機甲兵のとなり、専用スペースに待機しているヴァリマールがクララに話しかけていた。
作成途中の彫像に向き合うクララは、ノミを打つ手を止めようとしない。ぶっきらぼうな口調で、視線を上げることさえしなかった。
『我ノ呼称ノ件ダガ、今後ハ“私”ニシヨウト考エタノダガ』
「勝手に呼べ。そんなことでいちいち話しかけるな」
『ドノヨウナ用件デアレバ、会話ヲ許サレルノダ?』
「黙れ」
静まるヴァリマール。どことなくシュンとしたように見えるのは気のせいか。
クララの偏屈ぶりは同級生の間でも有名だ。少々心配になって、トワは様子を見ることにした。
しばらくの沈黙の後、
『主任』
ヴァリマールが言った。クララは応えない。
『主任、主任』
「……なんだ」
『双竜橋デノ戦闘だめーじダガ、順調ニ回復シツツアル。数日スレバ完全ニ修復デキル見込ミダ』
「だからなんだ」
『コレナラ報告案件トシテ問題ナイダロウ』
クララは舌打ちしながら、ヴァリマールを見上げる。あんな鋭い三白眼で睨まれたら、自分なら思わず竦んでしまうに違いない。
「いいか貴様。報告は私が必要なものだけに限れ。問題ないなら報告自体いらん」
『了解シタ。デハ主任ガ必要ナ情報ノ基準ヲ把握シタイノダガ』
「わずらわしい。自分で判断しろ」
奇妙と言うか何と言うか。なんともミスマッチなコンビだった。
ひとまず問題は起きていなさそうだ。見た感じにもややこしい二人の間に、わざわざ割って入るつもりもない。
トワは見回りの最後に工房を訪れた。
オーブメントやクオーツなどの調整を行う場所で、カレイジャスの機関室にも直結している。
「あれ、いないのかなあ……って、ええ!?」
ぎょっとして血の気が引く。作業用カウンターの向こうに、横たわる足が見えたのだ。
焦ってカウンターの中に回り込むと、この工房の主であるジョルジュ・ノームが工具にまみれて床に寝そべっていた。
あわてて固定内線でブリッジに救急要請をかけようとしたが、受話器に手が触れる寸前で思いとどまる。
オレンジのつなぎに隠れた立派な腹が、呼吸に合わせて上下に浮き沈みをしていた。耳をすませば、低いいびきが喉からもれている。
「ね、寝てるだけ? よかったあ……」
へたり込むトワ。
Ⅶ組が合流してからというもの、ジョルジュはほとんど休みなしで様々な開発業務に携わっている。それに加え、戦闘後の艦内補修や点検も受け持ってくれていた。
とうとう体力が尽きたのだろう。
「んぐ……んん?」
「あ、ごめんね。起こしちゃったかも」
のそりと身を起こしたジョルジュは、緩慢に目をこすりながらトワをぼーっと眺めた。
「からあげ……」
「い、今ジョルジュ君には私がどう見えてるのかな? 私おいしくないと思うけど」
「塩だけでいい……」
「レモンはかけない派なんだ――ってそうじゃないよ! 目を覚まして!」
このままでは頭から塩まみれにされて、下手をすればかぶりつかれてしまう。
必死で両肩を揺さぶると、徐々に彼の焦点が定まってきた。
不明瞭なひとり言も、“からあげ”から“トワに似たからあげ”になり、そこから“からあげに似たトワ”に昇格し、ようやく「トワ?」と認識してもらえるまでになった。
「この手順って毎回繰り返さなきゃダメなのかな。からあげに似たトワっていうのがよく分からないんだけど……」
「いったい何の話だい?」
「気にしないで。それよりもそんなところで眠っちゃって、疲れてるんでしょ?」
「トワほどじゃないさ。君こそちゃんと休んでくれ。艦長代理の代理はいないからね」
「それはジョルジュ君だって同じだよ。体は大事にしてね」
ジョルジュは壁に背を預けながら笑う。
「わかってる。少し時間も取れそうだし、久しぶりにベッドで仮眠を取るよ」
「仮眠と言わず、しっかり寝ること! 艦長命令出しちゃうよ?」
「ははは、それは断れないなあ」
「もー」
立ち上がって、壁掛け時計に目をやる。15時を回ったところだ。
Ⅶ組の準備も出来ている頃だろう。陽が落ちる前に必要物のリストをまとめて、ケルディックの町に行かなければ。途中になったままの書類仕事は帰ってからやろう。
「それじゃ、私買い出しに行ってくるから」
「食料?」
「お皿もね」
「ああ、なるほど。戦闘後の食堂は僕も見たけど、散々な有様だったからなあ。だったら食器棚は僕に任せてくれ。床に固定できるようにして、しっかり棚前面を塞げるものに改修しておくよ」
腰を上げようとするジョルジュを制し、トワはかぶりを振った。
「無理しないで。アルフィン殿下には購入していいって言われてるし」
「幅高さが丁度よくて機能も求める通りの家具類なんて、そうそう手に入るものじゃない。僕が作った方が早い」
「でも、ジョルジュ君にこれ以上頼るわけにはいかないよ」
「大丈夫。時間が取れそうだって言っただろう?」
ジョルジュは反対側の作業台を指さした。
そこに置かれていたのは、一振りの騎士剣。
「まさか、ユーシス君の……?」
「そう。彼の為に作られた
「これが魔導剣……」
流麗な紋様をあしらわれたグリップ。月光の煌めきを宿す白銀のブレイド。その中心点たるガード部には魔導杖にも使われる核玉が埋め込まれている。
美しい剣だった。
「そして、もう一つ」
横に並ぶ別の机に、ジョルジュの指先が移動する。多くのコードとモニターに繋がれた、見慣れない戦術オーブメントがあった。
「魔導剣専用新型《ARCUS》――その名を《ドラウプニル》。この二つがそろうことで、初めて魔導剣は真価を発揮する」
淡い光を滲ませて、一対の武具が目覚めの時を待つ。この力はユーシスの求める道を切り拓く刃と成り得るのか。今はまだ、誰にも分からない。
「それと、君に頼まれていた分の調整も終わってる。持って行くといい」
ジョルジュが差し出したのは、銀色が映える大振りの銃だった。
リベールの《ZCF》から、オリヴァルト経由で預けられた魔導銃と呼ばれる試作武器である。
「トワは指揮官だ。本来それを持つ必要はないんだ」
「ありがとう、ジョルジュ君。あくまで護身用だよ」
受け取りながら、ジョルジュの手前そう言う。
けれど倒すべき相手が前にいて、守るべき相手が後ろにいるのなら、覚悟の元に筒先を持ち上げなくてはならない。
もしも私が、私の意志で魔導銃のトリガーを引かねばならなくなった時、果たして銃口の向こうには誰がいるのだろう。
――続く――
――Side Stories――
《続・A/B恋物語 Bパート④×――》
バリアハートの貴族街。ハンコック男爵邸に元気な子供たちの声が響く。
姉のシュザンヌ、弟のカテル、妹のハイネ。ブリジットがハウスキーパー兼家庭教師として面倒を見ている子供たちだ。
しかし彼らの相手を務め、追いかけっこをしているのはブリジットではなかった。
「待て待て~! つかまえてくすぐっちゃうぞ~」
「きゃー!」
「お腹はやめてえ!」
「コレットお姉様ったらおっかなーい」
先日、迷子になったハイネを探し回る最中に出会ったコレットである。
彼女は職人通りで住み込みの手伝いをしているのだが、空いた時間を見つけてはブリジットのフォローに来てくれていた。
「はあー、コレットさんってすごいなあ」
リビングのソファーに腰かけたブリジットは、その光景を眺めながら感嘆の吐息をもらす。
ただでさえ人見知りしやすい年頃。自分でさえこの屋敷にきて数日間、あの子たちは近付いて来なかった。
それがコレットの場合だと10分だ。『じゃあお姉ちゃんと遊んじゃおう!』の一声に始まり、クイズ、歌、お絵かき、ゲームと次から次へと多彩な方法で子供たちを楽しませた。
一時間が経つ頃には完全に彼女のペース。今日で三回目の来訪だが、みんな完全に懐いていて、コレットが来るのをいつも楽しみにしている。
「いつもお邪魔してごめんねー。んわっ、このソファーふかふか!」
コレットが横に座る。予想以上に沈み込んだらしく、焦った腕をわたわたと振っていた。
「いいえ、こちらこそ助かっているわ。コレットさんがいてくれないと、こんなふうに座るなんてまずできないもの」
「えへへ、お安い御用ってね」
いつの間にかシュザンヌたちは積み木で遊んでいた。コレットは遊ぶのも得意だが、遊ばせるのも得意だ。区切りの付けどころが上手く、自然なのである。このスキルはブリジットにとって心底うらやましいものだった。
「これくらいの子供が一番かわいいよ。ビスケ君なんて生意気盛りだし」
「ああ、《アルエット》の男の子ね。しっかりしてそうだし、手がかからなくていいじゃない」
「しっかりっていうか、ませてるっていうか。店頭に立って接客するから、口ばっかり上手くなっちゃって」
「将来有望ってことにしてあげて?」
「優しいなあ、ブリジットさんは。学院の男の子から人気だよ、絶対」
「ええ? ないわよ」
苦笑するブリジット。この手の話題が好きなのか、コレットは含みのある笑みを向けてきた。
「ブリジットさんってさ、気になる男子とかいるの?」
「な、なにを言うの、急に」
「その反応。いるんだ~」
にやにやしながら顔を近づけてくる。コレットは常套句を耳打ちした。
「教えて。誰にも言わないから。内緒にするから」
「だ、だめ」
「じゃあやっぱりいるってことだよねえ?」
「ああう……」
「誰かなあ、いつも一緒にいるアラン君とか」
放たれた矢が、的の真ん中に命中。ソファーごと後ろに倒れそうになるのをこらえて、ブリジットは前のめりに立ち上がった。
「そうだわ。お夕食の材料を買いに行かないと! 私ちょっと離れるわね」
「はいはい、じゃ付いていくから」
「そ、そうなるの?」
「そうなるでしょ」
「でもほら、シュザンヌたちだけにするのは心許ないし」
「みんな聞いてー。お姉ちゃんたち今日の晩御飯の買い物に行ってくるから。いい子でお留守番しててね。チャイムが鳴ってもドア開けちゃだめだよ」
『はーい』
異口同音にいい返事が返ってくる。どうしてこんな時だけ駄々をこねないの。どうして一緒に遊んでって言わないの。
子供はとかく思い通りになってくれない。
「安いお店知ってるから案内してあげる。色々お話しながら行こ。……ね?」
逃がすつもりのない視線がブリジットをつかまえた。
●
「さすがは貴族様の警備だ。スッカスカのざるもいいとこだぜ」
「こんなに簡単に町に入れるなんて思いませんでしたよ。苦労せずに済んで良かったですけど」
バリアハートの通りを歩くのはロギンスとアランだった。
町への侵入方法を画策するまでもなく、ゲート前の門兵の隙をついただけで、あっさり通り抜けることができてしまった。
普段の仕事ぶりがうかがえるが、それはさておき。
翡翠の公都と呼ばれるだけの趣きと格式はあるのだろう。アランは整備が行き届いた美しい街並みに視線を巡らせた。
「あんまきょろきょろすんな。田舎もんだと思われるぞ」
「あ、すみません」
ロギンスにたしなめられて、アランは顏を正面に戻す。
田舎者だと思われるのはともかく、挙動不審と見咎められて、領邦軍の質疑に捕まるのも面倒である。
「それにしても……町中はあまり戦時下って感じがしませんね。人通りもあるし、店も賑わってるし」
「貴族の多い町だから、内戦の
街道暮らしが長かった分、現時点での情勢などは分からない。道端に捨てられている帝国時報を拾って読んだりもしたが、古い号だったりして最新の情報は得られなかったのだ。
だからバリアハートを訪れたのは情報収集も兼ねている。単に近かったから、という理由もあるが。
「貴族……か」
ロギンスに聞こえないよう、アランは口中につぶやいた。
思えば貴族に対するコンプレックスもずいぶん薄まった気がする。
かつてフェンシング部でパトリックに大敗したことに端を発し、失った自信を埋めるように稽古に没頭し、その結果ブリジットとの不和を招いてしまった。
平民だ貴族だという、そもそも彼女が気にもしていなかったことを自分の中で凝り固めて、勝手に確執として作り上げたことが一番の原因だった。
それに気付いて――気付かされて以降、彼女との関係は修復できている。
屈託なく笑い合えた、幼いあの頃のように。
「とりあえず飯だ。久々だぜ、椅子に座ってまともなもん食うのは」
「はは、それは同感です」
「そこで細かな段取りをつけないとな。お前の告白のよ」
「ええ~……」
まだ言っている。夜ごとに繰り返されるロギンスの“男らしい告白講座”が、今日は昼間から開催されるらしい。
自分の気持ちだって今一つ判然としないのに、今のままじゃダメなのだろうか。
せっかく仲の良かった幼馴染の関係にまで戻れているのに。
「店を探しがてら話そうぜ。やっぱ最高のシチュエーションは外せないと思うんだよな」
「はあ……それってどんな場面ですか?」
「そりゃ女子が悪いヤツに絡まれているところに『ちょーっと待ったあ!』って颯爽と登場して、暴漢を一瞬で蹴散らして――」
毎度のことだが、ロギンス先輩はベタだった。
●
ぱんぱんに膨れた袋をひざに乗せて、ブリジットとコレットは中央広場のベンチで一休みしていた。
「すごいわ。たくさんの食材がこんなに安く買えちゃうなんて。コレットさんって買い物上手なのね」
「トリスタでもショッピング三昧だったから。おかげでいっつも金欠だったけど」
袋の中身は野菜に肉に、保存の効く缶詰も多く入っている。もちろん子供たちのおやつも忘れていない。
その割には予想以上に財布の中身が残っている。入用なお金はどれだけでも使っていいとハンコック男爵から言付かっているが、節約できるに越したことはない。
「シュザンヌたちが待ってるし、そろそろ行きましょうか」
「うん、ハイネちゃんがぐずりだしてる頃かもね」
それぞれの両手に買い物袋を下げて、二人はベンチから腰を上げる。
コレットと分担しての荷物運びだが、それでも重い。邸宅に着くまでにもう一回ぐらい休まないと厳しそうだ。
「ああ……肩が外れる~」
「ごめんなさい。手伝ってもらっちゃって」
「それはいいの。だけど、さすがにちょっと気を紛らわさないと、この重さは堪えるよね」
ちらりとこっちを見てくる。嫌な予感がしてブリジットは歩調を早めたが、それより早くコレットが正面に回り込んできた。
「さっきの話。続きしよ?」
「な、なにがかしら?」
「アラン君でしょ? アラン君じゃないの? アラン君だよね?」
もはや断定する口調で問い詰めてくる。なんとか話題を変えようとするも、コレットの興味をそらすことはできなかった。
はぐらかす
「……そうよ」
小さな声で肯定する。嬉しそうに笑むコレット。ブリジットの顔は真っ赤に染まった。
「あーもう! 言わないで言わないで! 誰にも言わないでえっ!」
「わかってるって。女同士の約束は国同士の条約レベルで固いんだから」
「微妙じゃないかしら!? それって微妙じゃないかしら!」
口止めの念押しと破った場合のペナルティを懇々と説き、コレットがその全てに応じて、ようやくブリジットは落ち着きを取り戻した。
ちなみにペナルティというのは、ブリジットが恨み言をつぶやきながら枕もとで三日三晩泣き続けるという、地味に迷惑な報復行動である。
「それでブリジットさんはどうするの?」
「どうするって、何を?」
「気持ちを伝えたりしないの?」
「そんなの……考えてもないわ」
アランの気持ちだって分からないのに。でも、だったらこれからどうしたらいいの? いわゆる告白ということをするの? いつ、どこで、どうやって?
無理よ、無理。絶対に無理。そんな勇気はとても持てない。
「まあでも、そういうのはやっぱり男の子から言って欲しいよね」
ブリジットの考えを察したのか、コレットはそんなことを言った。
「え、ええ」
「やっぱりシチュエーションが大事かな。悪い人に絡まれているところをバーンと助けてくれてさ――」
「ぬあっ」
買い物袋ごとバーンと振り上げた腕が、バーンと誰かに当たった。
広場を巡回していた貴族兵だ。低くうめきながら、彼は大層な仕草であごをさする。
「痛いではないか、小娘。よくもやってくれたな」
おあつらえ向きの悪い人だった。
「いたた!」
何度も謝ったにも関わらず、憤懣収まらない様子の男はコレットの腕をひねりあげた。手から離れて落ちた買い物袋から、食材が地面に散乱する。
「やめて下さい! お詫びならしますから!」
ブリジットが懇願するも男はそれを一笑に伏す。
「周りを見ないお前たちが悪いのだ。このまま詰所まで来てもらおうか」
「そんな……」
「まあ、お詫びの内容によっては考えてやってもいいのだがなあ。んん?」
舐めるような視線が足元から這い上がってくる。払おうとしても払えない不快を感じながら、ブリジットは周囲の人だかりに助けを求めようとした。
観客はそろって目を合わそうとしない。その割には立ち去ろうともしない。別の助けを呼びに行く様子もない。
見えない線の外から、ただ見ているだけだ。
「さあ、来るがいい」
「いやっ!」
コレットをつかんだまま、男はブリジットにも手を伸ばしてきた。
叫んでも意味のないことは分かっていた。
それでも喉に出かかる。
誰か。誰か助けて。お願い、アラン――
「ちょーっと待ったあ!」
何者かの大声と共に、二つの人影が飛び込んでくる。
人垣を割って現れた二人組は、顔を覆面で隠し、首にはそれぞれで色の違うマフラーを巻いていた。彼らはシュッシュッ、バババっと派手な動きでポーズを決める。
「パワードC!」
赤いマフラーの覆面が名乗りをあげ、
「マジカルH!」
黄色いマフラーの覆面が続く。二人は声をそろえて、
『世直し戦隊、ジャスティスツー!!』
ブリジット、コレット、領邦軍の男、そしてギャラリーさえも時間が凍ったかのごとく制止する。
気まずい沈黙を察したのか、黄マフラーが赤マフラーの小脇を肘でつんつんと突いた。
「皆さんの反応がおかしいんだけど。というか恥ずかしいんだけどこの覆面」
「ほら、やっぱ顔は隠しとかねえとさ。名前は格好いいだろ?」
「そう名前だよ、名前! なんで僕はマジカルエッチなんだ!? なんだかテクニカルな変態みたいじゃないか!」
「だってお前アーツ主体だし。だったらマジカルハイベルにしたら――」
「ああっ! また僕の名前をこんなところで言ったな!? みなさーん、こっちの人の本名はクレインですよー!」
「おい、ばらすなよ!」
「君が先に言ったんじゃないか!」
覆面二人が何やらもめている。
要領の得なさに業を煮やしたのか、一度コレットとブリジットから手を離して、男はジャスティスツーとやらに横柄な大股で近付いた。
「貴様ら、一体何者だ。返答次第では――」
「取り込み中だ!」
赤マフラーの鉄拳が男の顔面に深くめり込んだ。問答無用の一撃に「ふばあ!?」と吹っ飛んだ男は、広場の噴水に頭から突っ込んだ。女神像の下で激しく水しぶきが踊る。
「あ、やべ。つい反射的にやっちまった。ずらかるぞハイベル!」
「また呼んだな! 登場から二分と経ってないのに撤退ってどういうことだよ!」
マフラーをなびかせて走り去っていく覆面男たち。コレットとブリジットは呆然とそれを見送った。
「一応助かったけど、あの人たちなんだったのかな?」
「さあ……とりあえず早く帰りましょう」
●
「なんかあったのか?」
「そうみたいですけど……」
三々五々に散っていく人の群れ。一騒動の直後にアランとロギンスは中央広場を訪れていた。
噴水前ではずぶ濡れの兵士が、あとからやってきたらしい同僚に興奮しながら何かを訴えている。
「関わらないに越したことはねえな。早く飯行こうぜ」
「そうですね。どこにしましょうか。レストランは何軒かあるみたいですが」
「あそこはどうだ。《ソルシエラ》って看板があるところ」
「……店構えが立派ですし、結構いい値段がするんじゃ」
アランとロギンスは財布を開いた。両方合わせて4000ミラ。
「一人2000ミラか。余裕だぜ」
「いや、本当に大丈夫ですかね」
「お前なあ、こんだけありゃあ上等な定食が二回は食えるっつーの」
勇み足で《ソルシエラ》へと続くロギンス。
その後を追うアランは、ふと懐かしい声を聞いた気がした。風に運ばれてきたのだろうその声に、思わず振り返る。
視界の遠く、貴族街へと伸びる階段。そこに覚えのある後ろ姿が見えた。両手に重そうな袋を下げて、ふらつきながら階段を上っている。
「おい、置いてくぞ」
「え、あ。はい」
ロギンスに急かされて、アランはいったん視線を外す。
彼女はトリスタにいるはずだ。こんなところにいるはずがないのだ。だけど――
やっぱり気になって、もう一度首を後ろに振り向ける。
「……?」
その背中を見つけることはできなかった。
やはり勘違いか。
嘆息をつくアランは、ロギンスに続いて《ソルシエラ》へと入店した。
☆ ☆ ☆
《――×看板娘の奮闘日記③――×世直し任侠譚④――×続・A/B恋物語 Aパート④》
お付き合い頂き、ありがとうございます。
夏真っ盛り、命を振り絞って奏でるセミの大合唱が、私の穏やかな睡眠を早朝から破壊していきます。木で鳴くのはいいでしょう。電柱も分かります。けれど窓縁でジージーはあかんよ。
今回はトワを主軸にしつつ、カレイジャスの艦内紹介がメインでした。
ゲーム本編ではマップの都合上かなり狭く表現されていますが、実際の設定ではワンフロアを端から端まで移動するのに、駆け足で数分を要するような広さです。当作ではその大きさに合わせて描いております。
ちなみにトワが話中で言っていた避難訓練は後々実施予定です。
サブストーリーは四種のクロス構成となりました。今後はクロス系が増えていきますが、ジャスティス共に至っては「お前らかーい!」って感じでしょうか。
さて次回も寄航日一日目、別視点での展開となります。剣術訓練室の二人やら、ケルディックでのお買い物やら、サイドストーリーやらその他諸々。
まだまだ寄航日も続きますので、引き続きお付き合い頂ければ幸いです。