虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第75話 ルーレ寄航日(三日目) ~鋼都の情景

《7:25 ――ルーレ市街・商業区》

 長年体に染み込んだ生活リズムというのは、そう変わるものではない。もちろんそれは、故郷から離れたとしてもだ。

 誰よりも早く起床したガイウスは、早朝のルーレの街を散策していた。今日もよく冷える。

「おはようございます」

「ああ、おはようさん。にいちゃん背高いなあ」

 すれ違う人に挨拶をすると、気さくに返してくれた。ここは新旧様々なショップが軒を連ねる市街一層の商業区。

 だからか商人らしき人をよく見かけるのだが、なるほど、彼らの朝も早いようだ。今の人もその一人だろう。

 商品の搬入、卸業者との交渉、店前の掃除と、誰しもが今日の開店準備で忙しそうにしていた。

 落ち着いた朝も好きだが、こういうのも悪くない。にわかに活気付き始めた周囲を視界の端に入れながら、ガイウスは中央広場を通り抜ける

 ふと立ち止まる。

 彼の前には自動昇降階段があった。いわゆるエスカレーターと呼ばれる装置で、リベールのとある都市にも同じものがあるという。

 乗れば階段が動いて、勝手に上まで連れていってくれるのだ。世の中には面白いものがある。

「不思議だ。上まで行った階段はどこに消えるのだろうか」

 自分の知識など到底及ばぬ高度な技術が用いられているに違いない。

 そこについて考えるのはやめた。考えたところで、どうせ答えは出ない。

 ガイウスの興味は、別の場所に移っていた。そのとなり、下りのエスカレーターである。

 それをじっと眺める。どことなく、そわそわと。

 上から下へ降りるものだが、ガイウスはこれを逆に昇ってみたいという衝動に駆られていた。深い理由があるわけではなく、単なる好奇心だ。

「だが……」

 フィーとミリアムがそれをやって、アリサに怒られているところをガイウスは見ていた。どうやら無作法なことらしい。

 それでもやってみたい欲求は湧いてくる。

 たとえば――そう、たとえばだ。

 降りてくる階段と同じ速度で、自分が逆に昇ったらどうなるだろう。予想するに、足は動かしつつも位置的には変わらず、その場に留まり続けることになるはずだ。

 足を動かしているのに、前に進まない。

 未体験の感覚だ。インスピレーションを得られそうな気がする。

 ガイウスは周りを見渡してみた。この時間だから一般の人はほとんどいない。近くにエスカレーターを利用しようとする人も見受けられない。

 迷惑がかからないなら……やってもいいか?

「……よし」

 一人決意し、足を踏み出そうとする。その時だった。

(――ガイウスよ、人に恥じぬ生き方をするのだ)

 唐突に心中に聞こえた父ラカンの声。幼き頃に受けた教えの言葉が、不意に脳裏によみがえる。

(誰かが見ていないからやってもいい。それは自分を自分で許す為の、実に勝手な考え方だ。弟妹たちに対して、常に胸を張れる兄であれ――)

 重い背徳感が去来する。動き続ける階段に、足を踏み出すことができない。

「お、俺は……しかし」

 試してみたいんだ、父さん。

 父さんは可能性に挑戦することは良いことだとも言ったじゃないか。

(――それは都合のいい解釈だ)

 幻聴であるはずの父の声が、普通に会話してくる。

「くっ、ぐぅ……!」

 尽きない興味と厳格な父の教育との狭間で、ガイウスはその場に縛られる。

 どうにかエスカレーターから視線を外さねばと、苦しげに首をそむけたところで、それが目に入った。

 一つ上の二層区を、マキアスとエリオットが歩いている。

 

 

《8:11 ――ルーレ工科大学》

「くそっ。わかってはいたが、やっぱり奥には入れないか」

「ここは仕方ないよ。別の方法を考えよう」

 悪態を突くマキアスを、エリオットが落ち着かせる。

「別の方法って……あるのか?」

「さあ、まだ何も思いつかないけど……」

 マキアスはルーレ工科大学の正門前から、広大なキャンパスを視界に入れた。黒銀の鋼都の膝元にあって、帝国の技術の最先端。環境、設備もさることながら、それらを内包する敷地の広さはさすがと言える。

 二人がここに来た理由は一つ。ステファンの安否を確かめる為だった。

 ステファンは最新の導力学を学ぶために、G・シュミット博士への面会を願い出た。そのゼミ生徒たちによるAIチェス勝負にも勝ち、彼はシュミットに会うこともできた。

 そしていきなり連れ去られた。強制的に拉致された。理由はよくわからない。

 ボロニア商店でリンデとヒューゴからその情報を聞いて、もう数日が経つ。それなのに未だ音沙汰無しというのが気にかかる。連行する直前、博士は脳がどうのこうの言っていたらしいので、余計に不安だ。

 ひどい目には遭っていないと信じたいが……。

「講義室ぐらいなら紛れ込めるかもしれないけど、研究棟はセキュリティが厳しいみたい。一般人が勝手に入ることはできないって」

「最先端の機器やレポートが保管してあるんだ。当たり前だろうな」

 こんな朝方にやってきたのは、通学する他の学生たちに紛れて学内に入ることができないかと考えたからだ。エリオットに同行してもらったのも、友人連れの方がよりそれらしく見えそうだという打算あってのことである。

 しかし当然ながら、二人とも工科大の学生証などは持っていない。万が一不自然を見咎められ、身分証明を求められでもしたら、それで手詰まりだ。そのリスクもあって、学内の奥には踏み込めないでいた。

 ステファンがシュミットと一緒にいるのは間違いない。

 一応、正規の手続きで会えないかは試してみた。受付でシュミット博士に面会希望の旨を申し出たのだ。

 いかんせん相手は学長。そうそう簡単に通るはずもなく、ていよく断られてしまった。なにせエレボニアを代表する著名人の一人である。同様のことは多くあるのだろう。受付のお姉さんの応対は慣れたものだった。

 ひとまず場所を移し、近くのベンチへ。

「心配だな。先輩はこうと決めたら突き進む人だから。変な方向に行ってなければいいんだが……」

「きっと大丈夫だよ。魔獣の巣で寝泊まりしてるわけじゃないんだし。街道で野宿するよりは安全だってば」

「まあ、それはそうか」

 屋根と食事があるのなら、恵まれた環境とも言えるだろう。心配しすぎなのかもしれない。だが妙な胸さわぎがするのはなぜだ。

 固い表情のままだったからか、エリオットが気遣ってくれた。

「気分を変えようよ。魔獣で思い出したけど、マキアスが面倒を見てたあの二匹。元気にしてるかな?」

「ああ、クロとルーダか。もう二ヶ月近く会ってないが、変わりはないと思う。そろそろ僕の淹れるコーヒーが恋しくなっているだろうな……」

 ひょんなことから面倒を見ることになり、自らが名前までつけた飛び猫とドローメ。今は旧校舎の地下を根城にしている。

 そのことを知っているのは、当時の出来事に関わったエリオットとガイウスだけだった。

 名前。名前で連想する。また、あれだ。ユーシスが自分を呼ぶ時についてである。

 リィンに打ち明けたことはあるが、大したアドバイスはなかった。この機会だし、エリオットにも相談してみようか。

 マキアスは自身の気がかりについて話し始める。エリオットは興味深げに聞いてくれた。

「――という感じなんだが、率直にどう思う?」

「んー……気にし過ぎだと思う。言いにくいけど、最初ってあんまり仲良くなかったじゃない?」

「だろうな。わかってる。というか今だって仲が良いわけじゃないぞ」

 良好な関係でなかった頃の呼び名が定着しただけのこと。それはリィンにも言われた。ユーシスに他意がないのもわかっている。

「でも気になるんでしょ。今さら名前で呼ばれたいわけじゃなくても、そういうのって一度気にしたら続くからね。ユーシスに直接聞くのもどうかと思うし」

「そう! そうなんだ! やっぱりエリオットは話がわかるな」

 コミニュケーション能力の高さは弁舌の巧みさではなく、真摯な傾聴ができるかどうかで決まる。さすがはエリオットだ。

「とはいえ相手の心を知る方法なんて、さすがにないか」

「……あれは使えないかな」

「どれだ?」

 何を指しているのか分からなかった。小首をかしげていると、エリオットはこう続ける。

「委員長の念話術」

 

 

《11:25 ――カレイジャス・後部デッキ》

「これは一方的に相手の心を読むような術じゃないからね。こちらから繋げようとする意識を持つこと」

 念話術の訓練を行う前に、セリーヌはそう説明する。「わかってるわ」と一言返して、エマは静かに精神を集中した。

 《ARCUS》でのリンクと違って、念話術は意識上でも明確な会話ができる。もちろん転移術と同じく、いくつかの制約はあるが。

 カレイジャスの後部デッキには、エマとセリーヌ以外に誰もいない。転移術の特訓は遊戯室を使っていたが、念話術の習得に場所はさほど関係なかった。

 強いて言うなら、静かなところが好ましいぐらいか。

 瞳を閉じたエマは、数アージュ離れた位置にいるセリーヌに意識を向けた。そこに思惟を飛ばすような感覚だ。脳裏に浮かぶ線が像を結び、セリーヌの姿が強くイメージできてくる。

 ――接続。

(私の声、聞こえる?)

 心の中でセリーヌに呼びかける。

(――っと意……な――さ――)

 声が返ってきた。しかしノイズが走っているみたいに飛び飛びで聞こえにくい。

 もっと集中。相手にも波長があるのだ。うまく合わせていくようにしないと。

(――い感じよ。集中を途切れさ――いで)

 もう少し。焦らない。じっくりと。細糸を切らさず、手繰り寄せるように。

(セリーヌ、どう?)

(いいわ。完全に繋がってる。このまま少し会話してみるわよ。私の質問に答えて)

(ええ)

(今日の朝食は何を食べたの?)

(シャロンさんが作ってくれたハムエッグとトースト。飲み物はミルクティーを)

(味は?)

(もちろんおいしかったわ)

(夕食は魚料理か肉料理か野菜料理か、どれがいい?)

(それは――……魚で)

 念話の接続が一瞬揺らぐ。迷いを生じさせる選択が、意識をわずかに乱したのだ。

(午後からの予定を教えて。その明確な時間も)

(……13時30分からシャロンさんとお洗濯物の取り込みを。14時からミリアムちゃんのお勉強を見て、15時からフィーちゃんとお買い物に。16時からは……えっと)

 思考を重ねる度に念話の精度が落ちてくる。

(四日前の昼食は誰と何を食べた?)

(よっ……!?)

 そこで術の効果が切れた。

「そういうことよ。だいたいわかった?」

「……なるほど」

 念話術で重要になってくるのは、繋いでからの安定性だ。思考のぶれが、そのまま術のぶれに直結する。その辺りの脆さはエリオットのムービングドライブとも似ているかもしれない。

「使える距離、範囲、接続条件なんかは、実際に色々試してみる方がいいわね。それでわかることもあると思うし」

「そうするわ。でもなんというか、想像していたより簡単に習得できたような……」

 荷物を運び回ったり、カレイジャスから落とされたり、体力精神共に転移術の方が苦労した。それに比べると、念話術はまだ覚えやすかった。

「ま、そう思うんならやってみなさい。リィンたちに協力してもらって、ね」

 面白いことになるからと、黒猫は意味ありげに笑った。

 

 

《13:00 ――カレイジャス・食堂》

「たとえば相手の気持ちが全部わかるとしたら、恋だの愛だの駆け引きだのと、そういったわずらわしいことの一切が不要になるのかしら」

 水の入ったグラスを揺らしながら、サラはそんなことをぼやいた。そうすればナイスミドルを射止めることも容易いだろうに、と。

 食堂のキッチンで洗いものをしていたシャロンは、カウンター越しに「それはどうでしょうね」と、手を止めることなく応じる。

「なによ、あんたに訊いてないわよ」

「つれないこと。他には誰もおりませんし、ひとり言として流すには声が大き過ぎましたので」

「はいはい地声がでかくて悪かったわね。せっかく艦を降りたと思ったのに、いつの間にか戻って来てるし。はーあ」

「本当につれないこと。泣いてしまいそうです」

「あー泣きなさい泣きなさい。そうすればちょっとは可愛気もあるってものよ」

「ふえ~ん」

「イラっとするわ。泣き真似にしてもイラっとするわ!」

 目じりをぬぐう仕草をして、シャロンはてきぱきと夕食の準備を進めている。

 相変わらずの飄々とした態度を疎ましく思いつつも、彼女がカレイジャスに再搭乗してから艦内の食事事情が大きく改善したことについては、サラも認めるところだった。

 味のクオリティが上がったこともそうだが、栄養管理が助かっている。実のところ、厨房専門のクルーは今までいなかったのだ。

 食事係は当番制になっているが、どういう理由かⅦ組男子だけが持ち回りで受け持っていて、彼らは女子を厨房に入れようとしなかった。まるで最後の砦を守らんとする、背水の陣を敷いた兵士のように。

 サラはぞんざいにグラスを突き出した。

「ちょうだい。お酒」

「ダメですわ」

「なんでよ」

「まだお昼ですので」

「けち。け~ち」

 恨みがましく吐き捨てて、おとなしくグラスを引っ込める。くれないと言ったら、本当にくれないと分かっている。交渉も通じない。

「サラ様ったら。そんなことばかり仰っていては、素敵な殿方も見つかりませんわよ」

「大きなお世話よ。だいたいあんたはどうなのよ。浮いた話とかないの?」

「あら、恋のお話ですか。うわさに名高い恋バナという女子トークの王道ですわね。わたくし、年齢の近い誰かとそのようなお話をすることに憧れておりました」

「なによそれ……で、どうなわけ?」

 大鍋に火がかかる。夕食は野菜をふんだんに使ったポトフらしい。

「良い方がいればとも思いますが、今はラインフォルト家に仕える身ですので」

「仕えていようがいまいが関係ないでしょ。それは自由なものじゃない?」

「そうですわね」

「……ったく」

 どこまで本音なのか判別しにくい。いつものことと言えば、いつものことだが。

 グツグツと鍋が煮だってくる。いい匂いだ。

 ふとシャロンの手が止まる。

「……それで全てが上手く回りはしないでしょうね」

「え、なによ?」

 不意に言われ、戸惑う。

「最初のお話。相手の気持ちが全部わかったら、という(くだり)です」

「あんなの冗談の一つよ。でもそうね。あんたの意見を聞きたいわ」

「プロセスが重要ということです」

 シャロンは火加減を少し弱めた。グツグツと煮立つ音がコトコトと静かになる。

「その時その場で相手の気持ちを百パーセント理解できるのなら、確かに間違えることなく最良の選択をできます。けれどわたくしは、間違えないことが正解だとは思いません」

 逆に間違えたことが誤りだとも限らない、と彼女は付け加える。何と重ねているのか、ほんのわずかにシャロンの目が細まった。

 間違い、悩み、非効率、失敗、挫折。欲しくはないけど、成長に繋げるにはどれも必要なもの。特に自分の生徒たちの年代にとっては。

「いきなりなに? 恋愛事の話よ?」

「もちろん。そのお話です」

 控え目に微笑んで、シャロンはスープの味見をした。

「過程があってこその結果ですから。相手の気持ちを知れなくてやきもきしたり、落ち着かなくなったり、不安に駆られたり、遠回りしたり……でも、きっとそれらの全てが意味あることなのでしょう」

 

 

《13:27 ――ルーレ市街・喫茶店》

 食後に出された紅茶を飲み終え、空になったティーカップをテーブルに置く。

 対面して座るリィンも、同じくカップを卓上に置いた。彼はコーヒーだ。

 それを見るともなしに眺めながら、ラウラは言った。

「そなた、コーヒーはブラック派か?」

「元々シュガーもミルクも入れていたんだが、最近は使ってない。マキアスの影響だと思う」

「得心いった」

 豆から挽くほどコーヒーにこだわりのある彼は、余計な味付けを付加することに難色を示す。せっかくの風味が損なわれるとかどうとか。わからないでもないが、人の好みというものもあるだろうに。

 いや、それよりもリィンがブラック派ということは覚えておかねば。

「良い味の店だった。ラウラは来たことがあったのか?」

「私も初めてだ。昨日、食材の買い出しを兼ねて市内を散策していたのだが、偶然目についてな」

「それで俺を誘ってくれたのか。ありがとう」

「ん、うん……」

 雰囲気のいいカフェである。木目調の内装が落ち付いた空気感を醸し出していた。席もボックスごとに仕切りがあって、周りに気兼ねする必要がない。

 ただそういう造りだからか、元々そのような客層を想定してのことなのか、店内には若い男女のペアが多い。

 焦って視線をリィンから外す。考えてみれば自分たちもその中の一組だ。私たちは周りから、どのような関係に思われているのだろう。

「そなたに少々訊きたいことがあるのだが」

「改まってなんだ?」

「一昨日の晩にアリサと外出していたな。どこに行っていたのだ?」

「ああ。アリサが食事に連れていってくれてさ。ディナーもやってるカフェに案内してくれたんだ。俺を元気づけるためだったんだろうけど」

「……そうだったか。うむ」

「それがどうかしたのか?」

「どうもしない」

 どうしてもそのことが気になっていたのだ。気にしまいと自制してみたが、無意味なことだった。気になるものは気になる。

 こほんと咳払い。

「参考までに訊きたいのだが、アリサが紹介したそのカフェと、私が紹介したこのカフェ。どちらがそなたの好みだった? 参考までに」

「そう言われても……どっちもいい雰囲気の店だし、美味しかったし、優劣はつけられないが」

「煮えきらんな!」

「な、なんで怒られたんだ。なんならデザートを追加で頼むか?」

「別に糖分が足りていないわけではない! フルーツタルト!」

「頼むのか……」

 肩をすくめながらも、リィンは店員を呼んでくれた。

 注文を終えてから、ラウラはもう一度メニューに目を通してみる。可愛らしいポップな字体で、スイーツの品名が並んでいた。

 ショートケーキ、チョコレートケーキ、ロールケーキ、タルト、手作りクッキーetc……字面を見ているだけで楽しい。

「このシュークリームというのは、まだ作ったことがなかったか。リィンは甘いものは大丈夫だな?」

「ああ」

「わかった」

「はっ!?」

 リィンの額からどっと汗が吹き出した。自らの軽率な発言を悔いるかのように、ぐっと固く瞳を閉ざす。

「夕食後にでも厨房をお借りするとしよう。材料がそろっているかの確認もせねば」

「待ってくれ。落ち着くんだ。シュークリームとか難しいだろ。作り方は知らないが、絶対難しいだろ……!」

「ふふ、これでも腕は上達している。期待して欲しい」

 磨き抜いた女子スキルをいかんなく発揮する時がきた。リィンはずいぶん驚いているようだ。なんだかんだで彼にスイーツを振る舞うのは初めてである。

 本当なら夕食後と言わず、今すぐにでも調理に取り掛かりたいのだが――。

「っくしゅん!」

 リィンがくしゃみをした。どことなく顔の血色も悪い気がする。

「店内は温かいが……それでも寒いのか?」

「大したことはないさ。ちょっと冷えただけだろう」

「……先日の疲れが抜けていないのかもしれん」

「かな。でもこの後にマキアスとの約束も控えているし」

「約束? 奇遇だな。私もこの後、アリサとの約束があるのだ」

 実はひそかに楽しみにしていた約束だ。シュークリームの作成は、それが済んでからということになる。今日は楽しいイベントが目白押しだ。

 またリィンがくしゃみをした。ぶるっと身を震わせる。

「本当に大事ないか? 体調が悪いなら無理はしない方が良いと思うが」

「まあ、なんとかなるだろう。約束は大切だ」

「律儀というかなんというか。私から言わせてもらえば、そなたに大切にしてもらいたいのは自分自身の体だ。また倒れたらどうする?」

「そうなったら、みんなにまた迷惑をかけてしまうよな。すまない、気をつけるよ」

「……そうではない」

 迷惑だなんて思っていないのに。時には自分の事情を優先してくれればいいのに。

 中々伝わらないものだ。もっとも今に始まった事ではないが。

 ラウラは小さく吐息をついた。

「で、マキアスとの約束というのは?」

「実は前から頼まれていたんだが――」

 

 

《15:30 ――カレイジャス・船倉》

「導力バイクの運転指導、よろしく頼むぞ!」

 意気込みも強く、マキアスのメガネがきらりと光る。

「任せてくれ」と応じたリィンの横で、「君もロマンを感じてくれるなんて、私は嬉しいよ」とアンゼリカも上機嫌にしていた。

 リィンが頼まれていたのはこれだ。アンゼリカにはアドバイザーとして付き合ってもらっている。

 船倉ドックの中ほどの空きスペース。そこまで移動させてきたバイクをしげしげと眺めながら、「かっこいいな!」と、マキアスは満足気に何度もうなずいている。

「だけど、なんで急に乗り方を教えて欲しいだなんて思い立ったんだ?」

「別に急にじゃないぞ。前から興味はあったし、自分で運転してみたいとも思っていた」

 リィンは意外に思った。彼はどちらかといえばインドア派で、あまりこういった機械には興味がなさそうだったからだ。むしろアリサの方が興味深々で、ちょくちょくメンテナンスもしてくれるぐらいである。

 アンゼリカは嬉しそうにしている。

「すばらしいね。教えがいがあるよ」

「アンゼリカ先輩も宜しくお願いします。そうだ。ご指導いただく前に一つ質問があるのですが」

「おや、何かな」

「バイクは二人乗りができるんですか?」

「タンデムは可能だよ。ただ後部シートにそこまで余裕がないので、運転者とかなり密着することになるがね」

「み、密着……!」

 ふんすふんすとマキアスの鼻息が荒くなる。

 そんな様子を見て、リィンが言った。

「誰か乗せたい相手でもいるのか?」

「そういうことじゃない。じゃないが……もしそういう局面が訪れた時に、運転できなかったら困るだろう?」

「それってどういう局面だ。別になんでもいいんだが……っ」

 くしゃみが出そうになるのをこらえる。やっぱり少し寒気がする。なんとなく熱っぽいような気も。だるさも出てきた。マキアスの指導が終わったら部屋で休んだほうがいいかもしれない。

 体調不良は悟らせないようにして、さっそくマキアスにバイクの運転技術について教えていく。

 かなり熱心に学ぶ彼は、基本の運転はすぐに理解してくれた。

「ブレーキ、アクセル、クラッチの仕組みはわかったと思う。あと動き出す時はオーバルエンジンの回転数にも気を付けた方がいい。最初はなるべく低めにね。ギアチェンジの説明はもう一度しておくかい?」

「いえ、もう大丈夫です。あとは体で覚えます」

 アンゼリカの最終確認はさらりと流して、マキアスはバイクにまたがった。試運転である。整備クルーたちはミーティングで離れているから、さして支障はない

「あんまり飛ばしたらダメだからな。船倉の端から端を往復するだけにしてくれ」

 迷わずグリップに手をかけるマキアスに、リィンは注意を促した。その迷いのなさが、逆に不安だったからだ。

「ふっ」と口の片端を引き上げ、彼は不敵な笑みを浮かべた。謎の自信に満ちている。

「ロマンがないな、君は。風を感じてこそのバイクだろう」

「だから今日は初運転だし、スピードを出せる場所でもない。まずは安全な操作に慣れるほうが先だ」

 やれやれと眉根を寄せて、マキアスは深いため息をついた。

「そういうところだ。そういうところだぞリィン。まったくもって嘆かわしいな!」

「わからないぞ。どういうところだ」

「そういうところだ!」

 なんだかマキアスのテンションが高い。初めてバイクに乗ったからか、その先にある自分の願望を思い描いてか、やたらとハイになっている。こういう時には悪いことしか起こらない。

「ほら、あれを見るんだ」

「アリサの機甲兵か? ……ん? 何人か集まっているな」

 マキアスの視線の遠く、専用スペースでメンテ中のレイゼルの足元に、アリサたち女子がいた。ラウラが話していた例の〝約束”だろう。

「あそこに僕がバイクで颯爽と登場したらどうなると思う?」

「どうなるって、どうもならないと思うが。強いて言うなら、こんなところで危ないって怒られるぐらいかな」

「そういうところだ!!」

 いわれのない非難である。しかし何を言っても怒られそうな気がする。

「百聞は一見にしかず。彼女たちの反応を見ているといい」

「待て、マキ――」

 リィンの静止の途中で、マキアスはバイクを発進させてしまう。アンゼリカに言われていたにも関わらず、最初からフルスロットルだ。

 ドルルンとエンジンを唸らせて、止まらない背中が遠ざかっていく。

 

 

《15:30 ――カレイジャス・船倉》

「勝手に操作したらダメだからね!」

「わかってるよ」

 レイゼルのコックピットに収まるフィーは、その足元から飛んできたアリサの声に手を止める。ちょうど気になるいくつかのボタンを押そうと思っていたのだ。片っ端に。

「まずは私の指示の通りに動かしてちょうだい。右側に赤く点灯してるスイッチがあるでしょ。それを押して」

「これ?」

 ボタンを押し込むと、ランプが赤から青に切り替わり、胸の装甲板が三重にスライド閉鎖。コックピットハッチが閉じられていく。

『オーケーよ。私の声、拾えてる?』

「よく聞こえる。集音性能すごいね」

 レイゼルの中からの直接会話は、導力無線か外部マイクを使う。

 無線は敵機と繋ぐことも可能だが、信号解析やいくつかのセキュリティを解除する手間があるので、時間がかかってしまうそうだ。もっとも敵と話す機会など、そうありはしないだろうが。

 ハッチが閉まると同時に、三面モニターが起動していた。正面のモニターには、こちらに指示を出すアリサが映っている。彼女の両どなりには、順番待ちのラウラとミリアムの姿もある。

 映像越しにもうずうずしているのがわかった。早く乗りたいのだろう。くじ引きで決まった順番なのだから、仕方ない。

『じゃあ簡単に説明するわね。基本の操作は左右のスティックレバーと中央のコンソールパネル、あとは足元にあるペダルだけでいいの」

「ちょっと待って。いきなりついていけない」

 だけって言われても、スティックレバーには片方ずつに七種類のスイッチと二種類のトリガーがあるし、おまけに左右の操縦桿で連動しているアクションが違うらしい。そしてフットペダルは大小合わせて六つ。コンソールパネルなんかは、何をどう使っていいかも不明だ。

 今のところわかるのは、シートの座り心地がとてもいいことぐらいか。高級ソファーのようなクッション性である。そういえば開発段階で、「ここだけは譲れない」と、アリサがごねまくったとトヴァルがこぼしていた。

『セミオート設定の時は動作補助を自動でやってくれるし、全部の操作が細かく必要なわけでもないわ。ただ私はマニュアルとセミオートを切り替えながら使うから、けっこう忙しく操縦するんだけどね』

「切り替える必要性は?」

『セミオートに設定されてない動作をする時に必要。主には緊急回避と近接戦かしら。あとヴァルキリーを使う時も。爆発的な瞬間推力のせいで、オートバランスシステムの反応限界を超えちゃうのよ。だから私がマニュアルで姿勢制御するの』

「わかった。わからないけど」

『どっちよ。ちなみに今はチュートリアル設定。だいたいの機能は解放されてるけど、本体自体は四肢が動く程度だから』

「武装は使っていいの?」

『いいわけないでしょ』

 やっぱり使っちゃダメか。胸中で残念がりながら、コンソールパネルを適当にいじってみる。これもばれたらアリサは怒るだろうけど。

 モニター下部に別ウインドウが開いた。各種兵装の情報をまとめている画面のようだった。

『レヴィル』、『レイジング・アサルト』、『レイジング・ブレイズ』、『オーディンズサン』、『ヴァルキリーユニット・ラーズグリーズ』

 それぞれの正式名称とコンディションが表示されている。対機甲兵戦で無敗を誇るレイゼルの五つの特殊武器だ。

「え?」

 カーソルがまだ下に動く。

 〝六つ目”の武装の名前がそこに記載されていた。いや、武装というよりもこれは――

「えっと、《フルストームモード》……?」

『あっ!』

 アリサが焦った声をあげた。

『コンソールパネルいじってるわね!? それ起動させたら絶対ダメよ! いい? ゆっくりとキーボードから両手を離して、静かに膝の上に置きなさい。そう、ゆっくりと。落ち着いて。いい子だから』

「なにその……爆発物のスイッチを持った子供にする説得みたいな感じは」

『まさにそういうことなのよ! それはレイゼルの奥の手で――……なにこの音?』

 それは集音マイクを通じて、レイゼルのコックピットにも届いていた。

 ドルルルという、その音。

 レイゼルの首を音の方向に向ける。カメラアイと対物センサーが音の発生源を特定した。導力バイクがこちらに向かって走ってくる。乗っているのはマキアスだった。

『はっはー! そこを開けてもらおうか!?』

『こ、こんなところで危ないわね! みんな離れて』

 アリサたちがばらけていく。迫るバイク。じぐざぐ走行をとってみたりと、けっこう運転がうまい。

 どうしよう。どうせもう次の人に交代しないといけないし、とりあえず外に出ようか。

 コックピット開閉スイッチを押そうとして身をよじり、下手な態勢になったせいでフィーの体はシートからずれた。「わっ」と伸ばした足が、どれかのペダルを踏み込む。

 レイゼルの左足が、ぐんと前に出た。がつんと伝わる衝撃。

 その時、集音マイクが拾っていた声は『ヒアーッハァッぐぼああっ!』だった。

 ちょうど足元に急停止しようと入り込んできたらしいバイクともどもに蹴り上げられたマキアスが、正面モニターの下枠から打ち上がってきて、上枠の外へと消えていく。ぎゅるぎゅるときりもみ回転し、粉々になったレンズの欠片を飛散させながら。

 照明に照らされる彼は輝いていた。まるで女神の元に昇ろうとしているかのようだ。

 で、上枠に消えたマキアスは、また上枠から現れた。女神に受け取り拒否された――じゃなくて、今度は落ちてきたのだ。

 このままでは床に叩きつけられてしまう。なんとかしなきゃ。フィーはとっさにスティックレバーを操作する。

 受け止めるつもりで差し出したはずのレイゼルの右手は、しかし容赦ない鉄拳を繰り出していた。

 タイミングばっちりクルティカルヒット。

 無慈悲な二連撃を身に浴びたマキアスは、『ほげえっ!』と、彼らしからぬ悲鳴をあげて、反対側の壁まで吹き飛んでいった。

 ずるずると床に落ちて、動かなくなる。

 凄惨な事故現場を目の当たりにした仲間たちが――近くにいたリィンとアンゼリカも――駆け寄ってきて、マキアスの状態を確認し始めた。

 血相を変えたアリサはシャロンを呼びに走り、リィンはマキアスの屍の傍らに膝をついてうなだれ、その彼の肩にポンと手を置いたアンゼリカが、おごそかに首を横に振る。こうなる運命だったのさ、と言わんばかりに。

 ミリアムとラウラは砕け散ったレンズのかけらを、遺品よろしく拾い集めていた。

 画面内のマキアスをスキャンしてみる。なんの情報も表示されなかった。

「もしかしたら……やっちゃったかも」

 ようやくフィーは操縦桿から手を放した。

 

 

《20:38 ――カレイジャス・食堂》

「――とまあ、日中にそんな騒ぎがありまして」

 キッチンの奥からラウラが言う。彼女はオーブンをのぞきこんでいた。

 食堂テーブルの一つに上品に腰かけ、話を聞いていたアルフィンは「まあ……」と心配そうな声をもらす。

「それは災難でしたね。ところでマキアスさんは無事だったのですか?」

「派手なクラッシュの割には軽傷のようで。本人は『僕の身代わりにまた眼鏡が逝ってしまった……』と、よくわからないことを言っていましたが」

「まだ気が動転しているのでしょう。機甲兵のパンチを受けて、さぞショックだったに違いありません」

「とはいえリィンから事情を訊くに、半分以上は彼の自業自得だったようです。出すなと言われたスピードを出したのですから」

「なにがそこまでマキアスさんを駆り立てたのでしょうね……?」 

 夕食も終わってしばらく経ったこの時間、食堂を利用する人間はいない。

 貴賓室を出たアルフィンは、足の向くままここに来て、偶然ラウラと出会っていた。聞けば、彼女は新作のお菓子作りに挑戦していたのだという。

 邪魔になるかもと思って退室しようとしたのだが、そんなことはないとラウラが引き止めて、雑談を交わしつつ今に至っている。

「でも残念でしたね。結局ラウラさんはレイゼルに乗れずじまいで」

「さすがにあの状態で続行と言うわけにもいかず。フィーはアリサにずいぶん怒られていました」

「それにしても、どうしてアリサさんは機甲兵の操縦を皆さんに教えようとしたのですか?」

「なにか考えていることがあるそうですが、詳しくは後日話すとのことでしたので……」

 レイゼルはアリサ・ラインフォルト専用機。そのマシンポテンシャルの高さから、彼女以外には扱えない。いったいどういう考えなのだろう。

「……そういえば」

 と、ラウラはアルフィンを窺うように話題を変えた。

「ユーシスから聞いたのですが、殿下がご自身の騎士を探されていると」

「あら、ご存知でしたか。そうなんです。けどわたくしも選びかねていまして。もしかして良い方をご推薦して頂けるのですか?」

「い、いえ。そういうわけではありません。ただ進捗の程はいかがかと思った次第です」

「わたくしとしては、もちろんリィンさんにお願いしたいのですけれど」

 カウンターの向こうで、調理器具が音を立てて床に落ちる。「す、すみません」と慌てて拾い上げるラウラに、「でも難しいのは難しいんですよね」と、アルフィンは言葉を続けた。

「ケルディックの買い出しで同行した折、それとなく訊いてはみたんですけど、あまり芳しくない反応でしたし」

「そうでしたか。まあ、リィンのあの性格ですし――」

「ですが、あきらめません!」

 ほっと吐息をつくラウラに決意表明を重ねて、アルフィンはぐっと拳を固めた。

「アタックあるのみです! がんばるのみです!」

「ど、どうぞ程々に……」

「あら、ラウラさんは応援して下さらないのですか?」

 びくっと肩を強張らせたラウラは、また調理器具を落とした。

「も、もも、もちろん応援は比較的前向きに致します。ですが、ですが、なにもリィンにこだわらなくても候補はいるのではありませんか。ユーシスもエリオットもガイウスもマキアスもいます! 探せば他にいくらでも!」

 アルフィンはくすっと小さく笑う。

 リィンさんったら人気者。多くの人の中から、彼の手を握り、そして握り返してもらうのは、とても大変なことみたい。

 実を言えば、本命はもちろん、他の候補も視野に入れている。Ⅶ組の男子たちだって、当然その範囲内だ。

 騎士の選定は慎重に慎重を重ねて行わなければならない。伝え聞いた話では、かつて最長で二年間も己の騎士を選び続けた皇族女性もいたという。

 それだけ重要なことなのだ、これは。

「知っていますか。わたくしが騎士を選べるのは生涯に一度、ただ一人のみ。そして明確な意思をもって『あなたを私の騎士に』と口に出したら、もう撤回も変更もできません。相手が応じれば良し。けどもしも応じてもらえなければ、以降は騎士を選ぶ権利さえ失うのです」

「応じてもらえなかったら……それだけで!?」

「そうです」

 騎士の契約は時に伴侶のそれよりも、堅く固いと言われる。

 選ばれた騎士は身命を賭して主に仕え、選んだ主は生涯を通じて騎士を傍に置く。ただのボディーガードなどではなく、自らの背を預け、心を支える者として。

 なお主である女性と、騎士である男性は、婚姻関係になることができない。ちなみに女性は騎士を抱えながらも、他の男性と夫婦になることは認められているが、史上そのほとんどが未婚のまま生涯を終えているのは興味深い話である。

「ふふ、重い話ではありますが、暗い話ではありません。時間に制限はないことですし、ゆっくりと考えることにします」

「は……」

 ふと甘い香りが漂ってきた。お菓子が完成したらしい。

 オーブンを開けたラウラは、「よし、成功だ」と安堵したように言う。

「ところで何を作ってらしたのですか?」

「シュークリームというものです」

「まあ! ラウラさんすごい!」

 その目が輝く。

 近年登場し、ヘイムダルでも人気を博していた菓子だが、アルフィンは食べたことがなかった。

 侍女からは、カリカリサクサクに膨らんだ生地の中に、滑らかなカスタードクリームが詰まったものだと聞いている。まだ帝都にいた頃、エリゼと日を合わせて一緒に食べに行こうと思っていたのだ。

 余熱を取り、冷めた頃合いで、クリームを注入。ぷっくりした見た目も可愛い。

「……よろしければ殿下。これを召し上がっては頂けませんか?」

「いいのですか! あ、でも一つしかないようですし、それに――」

 本当はリィンさんの為に作ったのでは。それを食べてしまうわけには……。

「多く成功していれば良かったのですが、ほとんどがこのような形に仕上がらず失敗してしまいました。不躾ながら、殿下にお味の好評をして頂きたく思うのです」

 本心を言えば、その一つもリィンに持って行きたいに違いない。だけどこちらがあまりに美味しそうに見るものだから、それらしい理由を付けた上でそう言ってくれたのだろう。

 凛々しいのに、気遣いのできる女性。自分もこうなりたいものだ。

「では、謹んで頂きます」

 勧めてもらった以上、ここで断るのは失礼だ。責任を持って味見をし、身のある感想を伝えることとしよう。

 ラウラは温かい紅茶と一緒に、おしゃれな皿に乗せたシュークリームをアルフィンの前に差し出した。

「ナイフとフォークは使わないのですか?」

「包み紙で直接持ち、そのままどうぞ。不作法なことではございません」

「なるほど。なんだか新鮮な食べ方ですね。では……」

 言われた通りに持つ。まだほのかな温かさが残っていた。

 果たして、一口。

「ああ……聞いた通りですわ。サクサクとして甘くて……甘、くて……?」

 うっとりと未知のデザートをほお張るアルフィンの動きが、ぴたりと止まる。

「良かった。殿下に喜んで頂けて何よりです」

「あ、ははは、はいぃ……!」

 外側の生地は一応サクサクだけど、薄皮一枚隔てた内側はゲル状の謎の物質に覆われている。

 クリームは甘くない。けど苦くもない。むしろ酸っぱいかも。あ、ちょっと甘くなってきた気が。あれ、やっぱり苦味もある? それらが渦を巻いて、絶望的な融合を始めようとしている。

 待って下さい。これカスタードクリームではないのですか?

 何クリーム? 何クリーム?

「な、なにクリーム?」

「シュークリームですが」

 そうじゃなくて。

 どうして、ラウラさん。たまたまの失敗? それとも常時こんな感じ?

 わからない。わからないけど。

「もしや、お口に合いませんでしたか?」

「まさか! そんなことありません! おっ、おいしいです!」

 言ってしまった。それはそうだ。だって一生懸命に作った、しかもたった一つの成功作を――明らかに成功していないにしても――わたくしに下さったのに。

 その厚意を頭から否定することが、どうしてできるというの。

 味の講評もするとは言いました。ええ確かに言いました。でもでもでも、こんなにすごいのが出てくるなんて思いもしなかったんです。

 とりあえず紅茶を飲んで、口の中を一度リセットしないと。

 あら、うふふ。指先が震えていて、ティーカップを持てないわ。

 いつまでも止まっていては不自然に思われる。やむなく二口目。

「はうぅっ」

 意識が飛びそうになる。融合されたクリームがうねり、泥沼と化していた。その底なし沼に引きずり込まれていく感覚だ。

 耐えて、耐えるのよアルフィン。ここで倒れたら、ラウラさんが傷ついてしまう。

「ふっ、ふむっ! ふぁむっ! はむぅっ!」

 使命感を胸に、ひたすら無心でシュークリームを口に運ぶ。一回飲み込むごとに、魂が削られていくようだった。

 そしてアルフィンはやり遂げた。

「ご、ごちそう、さま、でした……。ちょっと所用を思い出しました、ので、私室に戻ります……」

「ご納得頂ける出来栄えで良かった。エリゼにも食べさせてあげたいものです」

「……? エリゼもラウラさんの手料理を食べたことがあるのですか?」

「いえ、近い内に振る舞うと約束していたのですが、その前に貴族連合の艦に……!」

 くっ、と悔しそうにラウラは目を伏せる。

「殿下の為、リィンの為、絶対にエリゼを取り戻してみせます。そしていつの日か、お二人に私のフルコースを必ず」

「ええ、必ず。って……え? フルコース? え?」

 ラウラの意気込みに流されて、ついアルフィンは同意してしまっていた。煉獄の片道切符を握らされたと気付いたものの、全ては手遅れだった。

 騎士の宣言ではないが、もう撤回は不可能だ。

「はい、えっとそれじゃあ……エリゼといっしょに頂きます」

 ごめんなさい、エリゼ。あなたを巻き込んじゃったみたい。

 

 

 ――続く――

 

 

 

 




お付き合い頂き、ありがとうございます。

一人称視点になるキャラクターを変えながら、次の場面へと繋いでいく構成にしてみました。
それぞれが今後のストーリーに関わるところを進めていく中で、導入部のガイウスだけがどうでもいいことをしています。


私は『鋼の錬金術士』という作品が好きなのですが、その最終巻に特に気に入っているセリフがあります。
今回マキアスがレイゼルに吹っ飛ばされた時、ふとそのセリフが浮かびました。
『思い上がった者に絶望を』


さて、いよいよ閃Ⅲが動き出しましたね。アルティナの雰囲気が変わって可愛い感じです。
成長したエリゼとフィー、あとはガイウスなんかもイラストで見たいですね。やたらとノルディーでワイルドな風のアニキになっていそう。
あとはガイラーさんが用務員を続けているかが気になります。なんなら件の分校とやらに人事異動でどうぞ。ミュラーの弟とか、どうぞ。

では次回でルーレ寄航日は一区切りとなりますが、舞台はまだルーレを拠点に動きます。
次回もお楽しみ頂ければ幸いです。

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