カウントは腹立たしいくらい規則的に減っていく。
時限爆弾を解体するクレアの手元を注視しながら、サラは緊張の息を呑んだ。
「どう?」
「オーソドックスな型式ですね。今のところは仕掛けも引っ掛けもないようです」
迅速な手際を乱すことなく、クレアは言う。
爆弾を発見して、サラが第一にしたのはクレアを呼ぶことだった。爆発物の解体手順については、自分も多少の心得がある。しかし専門知識はクレアの方が豊富に持っているだろう。
リミットストップを成功させる可能性を少しでも引き上げるため、サラはガイウスを連絡役に回し、彼女をここに呼び寄せたのだ。
実際なんら躊躇することなく、クレアは爆弾と相対した。船倉に転がっていた有り合わせの工具だけで、解体を進めていく。
その最中、サラはシャロンにいくつかの確認をした。
「Ⅶ組への状況連絡は?」
「ガイウス様にお任せしました」
「人質の人たちは?」
「25名保護。現在は第二救出班がカレイジャスまで誘導、護送を行なっています」
「倒した猟兵たちは?」
「あちらに」
シャロンが指し示す先、爆弾からもっとも離れた船倉の最後部。積み重なった荷物の陰に、数名の猟兵たちの足が見えた。
彼らを機外に連れて行く人手も、そして時間もない。
万が一爆発した時は最小限の被害で済むよう、そこに寝転がしておいたのだ。それでもダメだったら、気の毒だが自業自得と諦めてもらうしかない。
不意にクレアの手が止まった。
「終わったの?」
「いえ……」
外装が取り外され、内部があらわになった爆弾にはコードが接続されていた。
「六本のコードのうち、半分はダミーとわかりました。ですが残り三本はどれが偽物か判別できません。正解の一本を切断すれば、カウントは止まるはずなんですが」
「最終的に運次第ってこと?」
「そうなりますね」
残っているのは赤、青、紫のコードだった。
三人のお姉さんたちは、爆弾の前でかがみ込む。しばし黙考して、
「赤でしょ」
「青では」
「紫だと思いますわ」
それぞれのイメージカラーを推し、見事に意見が割れる。
爆発まで残り二分を切っていた。
《★★世界の四分の一を君に★★》
魔導杖を携え、エマはガイラーと対峙している。ブリッジには張り詰めるような緊張感があった。
「教えてください、ガイラーさん。なぜハイジャック犯のリーダーをしているんですか」
「成り行きとしか言いようがない。ハイジャック自体は私が計画したものではないのだよ」
渋みのある声でガイラーは言う。
攻撃に転ずるような挙動は一切ないが、一秒たりとも気は抜けない。私は知っている。この用務員の真の姿、そして力を。
間合いを慎重に図りつつ、エマは質問を重ねた。
「だとするなら偶然起こったハイジャックを、何かに利用しようとしているのでしょう。その目的は?」
「一を聞いて十を察するか。会話にも無駄がない。ふふ……実にいいね」
鼓膜にこびりつく一言。彼の言う〝実にいい”は、不吉の前兆なのだ。
その言葉一つでどれだけ――どれだけのことに巻き込まれたか。学院の日常の中で、追われ、逃げ回り、穏やかであるはずの時間を根こそぎ奪い去っていった呪いの言葉。
「しかし無駄を省くことが常に良いとも限らない。何事にも遊びは必要だ。鉄道の線路に継ぎ目があるようにね。その理由を知っているかな?」
「……夏場に熱膨張で鉄が伸びてしまうから。そうすると余裕のなくなったレールが歪んでしまうから」
「その通り。柔軟性あってこその対応力、引いては想像力と知るがいいだろう。君の執筆の助けにもなるはずだ」
出た。お決まりの思わせぶりな話。意味があるようでないようで、結局よくわからない話。そして最後はそこに帰結する話。
「はぐらかさないで下さい。私はあなたの目的を聞いています」
「目的か。語るにやぶさかではないが、ここは少々手狭だ。景色も良くない。そうだね……」
ガイラーはブリッジの大窓から外を見た。
「二階には展望デッキがある。広さも十分だし、見晴らしもいい。場所をそこに移そう」
「私はどこでも構いませんが」
隙は見せないよう窓際に寄ったエマは、ガイラーの言う展望デッキをちらりとのぞく。
二階の一般客席フロアから出られる甲板だ。なるほど、確かに広い。ここより動きやすいのは間違いなさそうだ。
「私は歩いて向かうとしよう。君は先に行けるのだろう? 案じずとも雲隠れはしないよ」
「……わかりました」
足元に転移陣を展開する。立ち昇る光が視界を染め、エマはイメージした目的地へと転移した。
木製の床板の感触が足裏に伝わる。安全柵に囲まれた展望デッキだ。目線を上げると、先ほどまでいたブリッジが見える。壁にはミリアムがレーザーを撃って出来た破孔もあった。
まさかあの穴から飛び降りるわけもない。ここまで来るのにまだ時間はかかるだろう。
相手のペースに呑まれてはダメだ。ここからの会話は自分が主導権を持たないと。
「ほう、便利な術だね」
「!?」
肩越しにぬっと顔が出てくる。真後ろにガイラーがいた。
弾かれたようにエマは飛び退く。バクバクと心臓が飛び出すほどに脈打っていた。
恐怖に縛られてはダメだ。萎えてしまいそうな気力をどうにか奮い立たせて、ガイラーを正面から見据える。
「転移術というものか。活用の場面は多そうだが、欠点もあるね」
「欠点?」
「術の発動までに少々時間がかかる。光に紛れて術者の視界も一瞬悪くなる。陣に入ったものは否応なく一緒に転移する。それらに加え、移動先の選定にも条件があるとみた」
光が景色を見えなくした一秒足らずの時間に、ガイラーはエマの後ろに回り込み、共に転移してきたのだ。
なぜ一般人が転移などという超常現象を受け入れられる。しかも初見でそこまで見破るとは。
だが彼の見解を全て肯定する必要もない。
対策を取られる前にと、エマは曖昧に答えておいた。
「さあ。当たらずとも遠からずといったところでしょうか。少なくとも移動場所に制限はありませんよ」
「それは虚言だ。私がこの展望デッキを指定した時、君は慎重でありつつも自分の目で場所を確認した。私と対峙するあの場面でわざわざ、ね。推測するに転移範囲は見えているところ、そして見たところだろう」
「今の話では、“見たところ”を転移範囲と予想する根拠がないように思いますが」
「君が新たな力を体得しようと思う時は、いつだって仲間のサポートに主眼を置いている。彼らの選択肢を増やそうと考える。しかし見えている場所だけでは汎用性に欠け、実用的ではない。かといって好き放題に移動できる都合の良さはあるまい。ならばその制約がもっとも現実的なのはそれだ」
転移術の習得が最近であることを、ガイラーが知るはずもない。
彼の言うことは全て当て推量。しかしなぜか的を射てしまう。そのことによってこちらの動揺が表に出る。それを見て、彼はさらに確信を持つ。
思えば場所を変えようと提案してきた時から、すでにガイラーの手の上だったのだ。
まんまと乗せられて、転移術の特性を看破されてしまった。
「そんなことよりも――」
「ああ、そうそう。私の目的だったね。レグラムで君と話した時のことを覚えているかな」
「はい」
彼は何かの計画を持っていた。そしてその中枢を担うのが私だとも言っていた。
ガイラーは静かに空を仰ぐと、ついに自身の最終目的を明かした。
「私は、この帝国を手に入れる」
「……はい?」
荒唐無稽な宣言に、エマは呆気に取られた。が、すぐに思い直す。これは冗談ではない。
そう、彼は土地など欲していない。まさかこの紫の用務員が手中に収めようとしているのは、エレボニア帝国に暮らす善良で、未来ある、青き若葉の芽――
恐るべき真実に思い至ったその時、暗雲の切れ間から一筋の陽光が差し込み、まるで天からの啓示でもあるかのようにガイラーを照らした。
「ち、ちょっとなんの演出ですか!? 女神様に選ばれた感を出すのやめて下さい!」
「ふふ……異なことを言う」
具体的な方法は知りようがないが、とんでもない絵空事を現実のものにしようとしている。おそらくあるのだ、実現可能なプランが。貴族連合のクーデターなど比較にならないほどの災禍を巻き起こす、大規模な何かが。
止める。絶対に止める。止めなくてはならない。
「見過ごせません。どんな手を使ってでも阻止してみせます」
「力づくかね。嫌いではない。ではこうしよう」
ガイラーは提案した。
「君が勝てば、私は私の目的をあきらめよう。ただし私が勝てば、君には私の協力者となってもらう。無論、それなりのポストは用意するつもりだが」
「それは本当ですか?」
「二言はない。具体的な君の待遇だが、まず若い執事を二十人はつけよう。エマ君の望むパフォーマンスに全て応えてくれるだろう。ゆくゆくは全土の半分を君に――」
「いえそっちではなく! パフォーマンスってなんですか、パフォーマンスって! 私が勝てばガイラーさんが目的をあきらめるっていう方です!」
「もちろんそちらも約束は守ろう。私に勝てればの話だがね」
空気が一変する。アイゼンガルド連峰そのものが震えていると思えるほどの強大な圧が、ガイラーを中心に押し拡がっていった。
あふれ出す負の悶気が濁流と化し、邪龍の如くとぐろを巻いている。彼もまた学院の外で、着々と力を身に付けていたのだ。力の源になったのはいったい何か、考えたくもなかったが。
しかしこちらとて力は付けてきた。出し惜しみはなし。最初から全力だ。
「あなたを倒します。今、ここで」
エマの周囲に光の剣が浮き立った。幾重にも展開し、虚空に並ぶ計十二本の刃がガイラーに切先を向ける。
「行きます」
「来たまえ」
両者同時に動く。宿命の対決が始まった。
クーデターが勃発したその日は、聖アストライア女学院の宿舎にいたそうだ。
混乱はすぐに拡大し、鉄道の運行が規制されることは目に見えていたから、街道まで封鎖される前にとヘイムダルを抜け出し、ひとまずルーレに赴いた。そこから実家のあるオルディスに飛行艇で向かうつもりだったらしい。
ルーレにたどりついたまでは良かったが、定期便に運行取り止めが出ていた。内戦の煽りを受けて、西部へのルートが断たれていたのだ。
そこからは帝都に戻ろうにも戻れずじまい。幸い路銀には余裕があり、銀行系の金融機関でミラを下ろすこともできたので、そのまま市内に滞在することにした。
そして先日のルーレ解放によって、飛行艇運行の制限が一部解除。オルディスへはまだ行けなかったが、父方の縁故を頼ってバリアハートに出立した。
その最中にハイジャックが起きた。しかし偶然にも席を離れていたから犯人たちに見つからず、とりあえず客室のクローゼットに隠れていた。
それがミュゼ・イーグレットが語る経緯だった。
「オルディスのイーグレット伯爵家か。当主にお会いしたことはないが、名前は聞き及んでいる」
リィンが言うと、ミュゼは微笑を浮かべた。
「私もシュバルツァー男爵家は存じております。ユミル地方を治めておいででしたね」
「良く知ってるな。俺が言うのもなんだが、辺境の領地なのに」
「新旧遠近問わず、各地方の貴族家を把握することは必須の嗜みですから。リィンさんもでしょう?」
「ああ、まあ。確かにそうだな」
ユミルからあまり出なくなってしまった父だが、それでも公の行事がないわけではない。そこに同行する機会もあろう息子の身としては、当然覚えておかねばならない情報の一つだ。
それはエリゼも同じで、子供の頃は妹と二人、領主領地を一生懸命に暗記したものだった。
「でもご実家のことを別にしても、リィンさんのお顔は覚えていました」
「え?」
「七月頃でしたか。女学院にお越しになりましたよね?」
ヘイムダルでの特別実習の時だ。
ミュゼはさりげなくリィンに近寄った。そっと袖を握る。
「他の子たちはアルバレア公爵家のご子息に夢中でしたけど、私はリィンさんを見ていましたよ。一番素敵でしたから」
「……それは、どうも」
「エリゼ先輩が羨ましいです。こんなに格好いいお兄様がいらしたなんて」
「エリゼを知っているのか?」
「それはもちろん。私は一学年下ですが、
「そうだったのか……」
どうにも掴めない少女だ。クローゼットに隠れてはいたものの、怯えている様子がない。今も自分のことを淡々と語りながら、平然としている。
それに彼女の語りに気になる部分がないでもなかった。
話をそのまま鵜呑みにするなら、ミュゼは二か月近くルーレに滞在していたことになる。それだけの期間の宿を取り、路銀が尽きなかったというのか。
いくら伯爵家であっても、金融機関で補填ができたとしても、少女が扱うのに現実的な金額を超えているように思える。
まったくの嘘とも思えないが、果たして彼女の口から出た言葉は全てが真実なのか。
いや、そもそもほとんど初対面の自分相手に虚言を語る理由などないはずだが。
ちなみに彼女の名前が乗客員名簿に載っていなかったのは、席のキャンセル待ちでフライトぎりぎりに乗り込んだという事情からだった。
リィンは思考を現実の状況に戻した。
「もう敵をほとんど制圧してるな。君を安全な場所まで誘導するから、俺についてきてくれ」
改めて機内の気配を読み、危険が去った通路にミュゼを連れて出る。
エマが心配だ。ミュゼを機外に脱出させたら、すぐに戻らなくては。本当は今すぐにでも加勢に行きたいが……。
「何か気がかりなことでもあるんですか」
「どうしてそう思うんだ?」
「急いでいるというか、焦っているように見えたので」
柔らかな目元に反して鋭い観察眼だ。
俺も俺だ。焦燥を顔に出してしまうなんて。助けに来た側が不安を見せてどうする。
「大丈夫だ。行こう」
「否定しないのですね」
「………」
はぐらかすのは無理らしい。
「……ブリッジで仲間が敵のリーダーと戦っている。だから――すまない。気が急いていたみたいだ」
「そうでしたか……」
ミュゼを送り届けて、またブリッジまで上がって、そこまででどの程度の時間がかかるだろう。
しかし任せると言って最後の一人を救出しに来たのだから、まずは自分の役目を果たさなければ。
ミュゼの手を引いて一階に続く階段に向かおうとしたが、彼女は動こうとしなかった。
「だったら先にブリッジに行きましょう。その方に助力して問題を収めてから、私を機外に連れて行ってください。あ、なんでしたら私一人で外に逃げてもいいですけど」
「できるわけないだろう。君の安全確保が最優先だ。俺のそばから離すわけにはいかない」
「ふふ、素敵な台詞ですね。ご心配なく。お邪魔にならないよう後方に控えておくつもりですから。いざとなったら自分の身は守れます。ちょうどそこにライフル落ちてますし」
通路の端にライフルが無造作に横たわっていた。倒された猟兵が落としたものだろう。
「それでも危険だ――って、ちょっと待ってくれ。なんでライフルなんか使えるんだ?」
「子女の嗜みとしか」
「そんな攻めた嗜みは聞いたことないんだが……」
まさか女学院で教わるはずもない。たとえば実家で狩りに同行していたとかか。格式高い貴族家なら、狩りは嗜みの一つというのも頷ける話ではある。もっとも女性が好んで狩りに赴くのは、それでも稀有な例だが。
そもそも、なぜこの状況で自分から提案ができる。普通助けられる側っていうのは、助ける側の指示に従うものじゃないのか。
その時、《ARCUS》に通信が入った。
「こちらリィンだ」
『今どこにいる!?』
ガイウスからだ。息を切らしている。
「二階の中間区にいる。人質になっていた最後の一人と一緒だ」
『よく聞いてくれ。船倉に時限爆弾があった。サラ教官たちが解体作業をしているが、成功するかはわからない』
「時限式……! あと何分だ!?」
『およそ二分だ。その場所から脱出は間に合うか?』
「できる――いや、際どいかもしれない」
『それと委員長に通信が繋がらない。リィンの近くにはいないのか?』
「ブリッジで敵と交戦中だ。わかった。こっちのことは俺が何とかする。時間もない。通信を切るぞ」
機内に残っているのはサラ、シャロン、クレア。捕縛した猟兵たち。リィン、エマ、ミュゼとなる。
残り二分。大きな飛行艇だが、自分一人なら走ればなんとかなる。しかしミュゼを連れてとなると微妙だ。
爆発の規模はわからないが、もっとも被害を受けるのは低層だ。一階を避難中に爆発した場合、確実に巻き込まれてしまう。
ならばブリッジに上がるか。いや、もう機内はまずい。もっとも爆発の影響を受けにくいのは――
「ミュゼ、聞こえていたな!」
腕をつかみ、彼女を引っ張る。目指すはこのフロアの船首側。一般客席から繋がっている展望デッキだ。
「あっ、ライフルがまだ……」
「言ってる場合か!」
絨毯敷の通路を全速力。
走りながらエマに通信を試みてみた。戦闘中だからだろう、ガイウスの言う通り繋がらない。エマには転移術がある。こうなると自身の判断で退避するのを信じるしかない。
正面のゲートをくぐる。座席が縦横に並ぶ一般客フロアだ。その席と席の間を抜けて、リィンとミュゼは奥に進む。
デッキに出るための、スチール製の扉があった。
リィンはドアノブを回す。しかし開かない。鍵がかかっていた。
「内側からは開けられないのか!?」
「あ、そういえば乗務員さんが専用の鍵で開けていました」
「安全管理の面で言えば、それが当たり前なんだろうが……」
また切るか? しかし全面スチール製となると厳しい。あと一分足らず。
だったらこうだ。
鞘から太刀を抜くと、切先をドアノブの横の隙間に突き立てた。
「ミュゼは下がっていてくれ。こじ開ける」
紅耀石が組み込まれたこの太刀は、炎を生むことができる。リィンは火炎に注ぐ全ての熱エネルギーを、切先の一点のみに集中させた。
次第に金属の焦げる臭いが漂い始めた。真っ赤に染まる切先の温度は900度を超える。スチールの融点に達した高熱が扉の施錠部を歪め、刃を押し入れていく。薄い煙がゆらと立ち昇った。
果たして間に合うのか。爆発まであと――
「あと三十秒しかないんだけど!」
サラは憤って足踏みする。三色のどれを切るか、そして誰が切るかの結論がでないまま、タイムリミットが迫っていた。
色はまあいい。問題なのは誰がコードを切るかだった。正解のコードを外せば、まず吹っ飛ぶのはその人物だ。
各自が怪しむ色を勧めるものの、当然誰も切り手には名乗りを挙げない。
クレアが言った。
「潔くじゃんけんにします?」
「いやよ! あいこの後の心理戦であんたに勝てる気がしないわ!」
サラが却下すると、シャロンが挙手した。
「推薦はいかがでしょうか?」
「どう考えてもあたしが当確でしょうが!?」
腹黒メイドめ。涼しい顔してどんな提案だ。
もういい。わかった。埒があかない。女は度胸よ。
サラは意を決した。
「はあ……あたしが切るわよ。ニッパーよこしなさい」
「どうぞ」
クレアはさっとニッパーを手渡した。
「いやいや、ちょっとは迷いなさいよ。『いいですか?』くらい言いなさいよ」
「もう離れてもいいですか?」
「こ、このっ!」
死んだら化けて出てやる。夜通し枕元に立って、延々と地酒の銘柄を恨みがましくつぶやき続けてやる。
シャロンが感慨深げにうなずいた。
「さすがはサラ様。危険な役割を自ら買って出るなんて、そのお覚悟にシャロンは胸を打たれました。そんなサラ様に提案があります」
「白々しい。なに?」
「わたくしの鋼糸なら、爆弾から離れてコードを切断できますわ。至近距離で切るよりリスクは少ないかと――」
「もっと早くに言いなさいよお!!」
あと十秒。三人はなるべく離れた荷物の裏に隠れた。頭を抱えて対ショック姿勢を取る。
「糸はもう巻き付かせてあるのよね? 何色にしたの?」
「サラ様の意思を尊重して、赤色に」
「あと五秒。シャロンさん、お願いします」
シャロンは糸を操作する指をくいと引き、赤色のコードを切断する。
爆発した。
飛行艇後部で発生した強い衝撃が突き上がり、前部に位置する展望デッキまでも激しく揺さぶった。
「い、今のは」
身を屈めるエマの視界の端、客席フロアに繋がる扉が勢いよく開く。同時、リィンと聖アストライアの学生服の少女が転げるように飛び出してきた。保護は無事にできたようだ。
リィンがこちらに気付いた。
「委員長、デッキにいたのか!?」
「色々あって移動しまして……この揺れは?」
「船倉に爆弾が仕掛けられていた。クレア大尉たちが解体作業をしていて――で、今爆発したみたいなんだが!」
「爆発って……大尉たちは!?」
「わからない。多分退避してるとは思う。ところで敵のリーダーは――」
会話を遮って、新たな爆発。さっきより近い。フロアから押し出されてきた大量の噴煙に、リィンと少女が隠れてしまう。
「リィンさん!」
「自分の心配をしなくていいのかな?」
不意の爆発にも動じる素振りをまったく見せず、ガイラーは灰色の煙の中に悠然と立っている。
「彼らが船倉に爆弾を持ち込んでいたのは知っていた。決して使わないよう言い含めておいたのだが」
「一体いくつ爆弾を所持していたんですか」
「一つだ。二回目の爆発の震源は一階厨房からだった。小麦粉の束が多くあったから、おそらく粉塵爆発だろう。爆弾の真上に厨房は位置していた。それが災いしたようだ」
「なにを悠長な解説を……」
「悠長なのは君ではないかな。この飛行艇には各フロアを行き来する昇降機などがない。故に小規模ながら厨房は各階ごとに備わっている。そしてその構造的な位置は同じだ」
「ま、まさか」
船倉の爆発は一階厨房へ。一階厨房の爆発は二階厨房へ。轟音と衝撃が連鎖する。
真上に縦貫する爆発が破壊を撒き散らし、飛行艇の支柱に深刻なダメージを与えた。ベキベキと何かが軋んで、ヒビ割れ、めくり上がるような破砕音が大きくなっていく。
ぐらりと傾く足元。中腹から折れかかり、飛行艇の前半分が斜めにずれた。
景色が動いている。まだ止まっていない。
「ガイラーさん、一時休戦して下さい。このままではみんな落ちてしまいます。私もあなたも!」
「なるほど、断る」
悪くなった足場を物ともせず、ガイラーは特攻してきた。「っ!」と、声にならない声で迎え撃つエマは、魔導杖を振り下ろし、アステルフレアを放った。
床に叩きつけられた火球が爆ぜ、熱波と炎を舞い上がらせる。
「君はまだ、私が引いてくれる相手だと思っている。この状況だから説得すればなんとかなると、そう思っている」
燻る火の粉を身に浴びながら、平然と歩み寄ってくる。
「ならば今の相手が私でなかったら、説得が通じる相手でなかったらどうする。それで手詰まりかね。頭を垂れて、引いて下さいと嘆願するのかね」
「そんなことはしません。私はただ――」
「では切り抜けてみたまえ」
「ガイラーさん!」
エマは転移術でブリッジの上に退避した。デッキからの高さは8アージュ近くある。
わずかな窪みや出っ張りを足場に、ガイラーは俊敏に追ってきた。鮮やかに外套をひるがえすその姿は、いつぞや文芸部の品評会で見た《G》そのものだ。
やはり次元の違う強さ。しかし足を止めている時間も、じっくり策を巡らす時間もない。
無数の黒い噴煙の尾を引いて、飛行艇の前部が谷に落下しようとしている。いつ落ちてもおかしくない状態だ。
まずい、もう――
ガンと後部に硬質な衝撃音。爆発とは違う。その直後、滑落する速さがわずかに遅くなった気がした。
「な、なに?」
限界まで伸びきったワイヤーが、ギチギチと苦しげにうめく。
鋼線を何重にも束ね、寄り合わせた特殊仕様だからそうそう切れることはないが、だとしてもこれは完全に想定外の負荷だった。
時限爆弾を発見したとの報告は聞いていた。クレア大尉が主となって、ただちに解体作業に入るとも。
そして爆発した。サラ、シャロンを含め、船倉に残っていた三人の安否は不明だ。
彼女らを案じる暇もなく、飛行艇は谷側に向かってずれ動き始めた。
「んっ! くうぅーっ!!」
言うことを聞かない操縦桿を必死に繰り、アリサはレイゼルの踵部のフックを岩地に食い込ませた。
左腕から射出したブレイズワイヤーは、飛行艇の後部――ちょうど一階と二階を繋ぐ鉄骨に絡むように撃ち込んでいる。
落下させてはならないと、とっさの判断だった。
コックピット内に警報が鳴り響く。耐圧超過を告げるモニターの警告表示もひっきりなしだ。
「わかってるわよ! もうちょっとがんばって!」
自重の十倍を軽く超える質量を、ワイヤー一本で引き止めているのだ。仮にワイヤーが耐えられたとしても、機体の関節部はそうもいかない。
特に左肩と腕のフレームから異音が連続し、痛々しい悲鳴を絶え間なく上げている。ワイヤーを右手でも引っ張り、左半身への負荷を軽減しようとしてみたが、焼け石に水ほどの効果もなかった。
地面を削りながら、レイゼルはずりずりと引っ張られる。
「方法は何かないの……!?」
他に装備している武器では現状に対応できそうもない。
結局、力しかなかった。
アリサは後退用のフットペダルを目一杯に踏み込んだ。
連立式オーバルエンジン、出力最大。いくつものメーターを振り切って、レイゼルの双眸が真紅に光る。
ギ……ギ、ギ、ギギギギ! と内部ギアの回転が高速化し、有機的に生み出された凄まじい膂力が、巨大な飛行艇の重量に対抗した。
フル出力など長くはもたない。つかの間の時間稼ぎだ。つまるところ飛行艇を引き上げることは不可能。
どこかで見切りをつけなければ、飛行艇の落下にレイゼルも付き合う羽目になってしまう。
しかし機内には、まだ何人か残っている。
焦りと歯がゆさに押し衝かれ、アリサは外部マイクに叫んだ。
「早くなんとかしなさいよ、リィン!」
アリサの声が聞こえた気がしたが、それを聞きとめるほどの余裕はリィンになかった。
「すぐそっちに行く! 絶対に手を離すな!」
刻々と傾いていく甲板の上を、元から置いてあったのだろう積荷がゴロゴロと転がっていく。
積荷は際どくミュゼをかすめ、眼下の谷底へと消えていった。
「無事か!?」
「な、なんとか」
甲板の先端に並ぶ柵の一つに、ミュゼはしがみついている。爆風に煽られてデッキから転落する寸前で、かろうじて手が届いたのだ。
リィンはデッキの手前側、先ほどこじ開けたドアに掴まっていた。
傾斜角はすでに70度近い。ミュゼのそばまですべり台の要領で向かえなくもなかったが、今度は止まれる自信がなかった。下手を打てば、ミュゼより先に単身スカイダイブだ。
どこかに足場はないか。噴煙が晴れない視界に目を凝らした時、さらに傾きがひどくなる。飛行艇の後部と前部を繋いでいるのは、申し訳程度の鉄骨とケーブルのみ。もはや展望デッキはほとんど垂直だ。
ミュゼの足は外に投げ出され、両腕だけでぶらさがっている。
「うぅ……ちょっと厳しいかもです……」
「待っていろ!」
転移術があればすぐに助けられるのに。エマはどこだ。見える範囲にはいない。まさかまだ敵のリーダーと戦っているのか。
この状況では、探すも加勢もできはしない。
リィンはわずかな足場を頼りに、急ぎ崖と一体化したデッキの先へ向かう。
もう少しだった。
体一つ分の距離まで近づいたところで、先にミュゼが限界を迎えてしまった。
「あっ」
「ミュゼ!」
小さな体が柵から離れる。とっさに伸ばしたリィンの手は、彼女の腕をかすめるだけに終わった。300アージュはあろうかという山間の谷底へ、ミュゼが落ちていく。
迷わずリィンもその後を追った。機外に飛び出し、落下しながら拳を掲げる。
「来い! ヴァリマール!!」
体の最奥で爆ぜた意思が電撃的に駆け上がり、リィンの背後の景色をぐらりと歪めた。起動者の呼びかけに呼応した灰の騎神が、燐光を散らしながら空間転移で現れる。
吸い込まれるようにして核に乗り込んだリィンは、正面モニターに映る小さな人影を見据えた。リィンからミュゼまでの距離は100アージュ。ミュゼから谷底までの距離も100アージュ。地表への墜落まで、時間にしておよそ6秒。
間に合うか。間に合ってみせる。
「フィー、騎神リンクだ! 今すぐに!」
《ARCUS》に叫ぶと同時、了解が返ってくるよりも早く遮蔽物を透過したリンクラインが、《レイヴン》の特性と共にヴァリマールに到達する。
ブーストバインダー展開。漆黒の輝きを粉雪に混じらせて、弾丸のごとく急降下。瞬時にミュゼまで追いつく。
「相対速度の調整頼む!」
『任セルガイイ』
ミュゼの落下スピードに合わせ、ヴァリマールが手のひらを緩やかに差し出した。慎重にやんわりと受け止める。
ミュゼは目をパチクリとしばたたいて、こちらを見上げていた。驚いているが、ケガはないようだ。
谷底は流れの強い川だった。激流に足がつく寸前でスラスター噴射。派手に水しぶきを巻き上げて、ヴァリマールは崖際を飛翔する。
『これが灰の騎神……本当にリィンさんが動かしてるんですね』
「説明はあとだ。頭をかばって身をかがめていてくれ。まだやることがある」
違和感があった。一般に騎神という呼び名は知られていない。多くが灰色の騎士人形と呼ぶ。彼女はどこで騎神の名を知ったのだ。それに俺が操縦していることを知っていたような口振りだ。この子は一体。
今は問い質している余裕がない。
左手にミュゼを持ち変えて、なるべく風の影響を受けない胸の近くへ。
見上げる先、今にも飛行艇が崖から落ちてこようとしていた。リィンは《ARCUS》のリンク相手を切り変える。
「ラウラ、繋いでくれ!」
『状況は見えぬが、承知だ』
続いて《ブレイブ》が宿り、機体が赤い光をまとう。ヴァリマールは展望デッキの下に回り込むと、力を集中した右手だけで飛行艇の前部を押し上げた。
「ぐっ、おおおお!!」
重い。一手に負担を引き受ける右肘がみしりと軋む。
しかしここは退けない。
全開にしたスラスター推力を加算し、反対側からワイヤーで引っ張るレイゼルの力も相乗し、少しずつ飛行艇を奥へと押しやっていく。
せり上がる展望デッキが形ばかり水平に戻った。ヴァリマールの力で、どうにか安全圏まで移動させることができたのだ。
そのヴァリマールが急速に離脱する。助け出した女の子を先にカレイジャスまで連れて行くのだろう。正しい判断だ。
だがこちらの危機は去っていない。執拗に攻めてくるガイラーを、エマは必死で凌いでいた。
「まだ誘爆の可能性は残っています! ここで退かなければ、冗談では済みませんよ!」
「冗談? この後におよんで冗談とは」
「状況がわかっていないんですか!」
「わかっているさ。私の目的に君を取り込む絶好の機会だということがね」
何を言っても無駄だ。理解していたはずなのに。
エマは気を引き締め直した。忘れてはいけない。自分の手には、帝国に生きる男子諸氏の未来がある。彼らを紫の魔手の餌食にしない為にも、ガイラーはここで倒すべき相手だ。
決意を乗せて、魔導杖を振るう。
床を突き破った光の剣が、ガイラーの足元から襲い掛かった。悟られないよう床下に仕込んで置いた一本だ。
「ほう、悪くないね」
それを素手で防ぐ。五指が妖しく蠢くと、剣は瞬く間に形状崩壊を起こした。光の粒子が霧散していく。
ガイラーの動きがわずかに止まった。その隙をついて、転移術で背後へ。アステルフレアをゼロ距離で見舞う。
人間一人を飲み込むほど巨大な火球は、しかし振り返りざまの手刀の一振りで両断された。二つに分かれた炎が甲板をV字に走り、散乱していた建材を直撃。
引火してしまった。メラメラと炎が拡がっていく。
「あ……っ!」
しまった。だが焦りは隠す。付け入る隙は見せてはならない。
炎壁を背に従えるガイラーは、煉獄を住処とする魔人そのものに思えた。半年前まで穏やかに用務員をしていた男が、どうやったら狂乱のデーモンになれる。
ガイラーが高く跳ぶ。この跳躍力一つとっても、すでに人間の身体能力を凌駕していた。
こんな人外の相手に有効な手はあるのか。せめて動きの先さえ読めれば。
霊力を固めた光弾で牽制しつつ、エマはあることを思いついた。
念話術ならどうか。この術は読心術の類とは異なる。いわゆる表層の思考で会話をするのみだ。
ここに来て対話をするつもりはない。だが表層に出てくる情報なら拾えるかもしれない。たとえば“次は右に行く”“上に飛ぶ”“まっすぐ仕掛ける”などだ。それで十分、予測はつく。
問題はこちらの考えも伝わることだったが、それでも物は試しである。
エマは意識を集中し、ガイラーに念話術を繋げた。
さあ、次はどう動くんですか。あなたの思考を――
『俺のこと恨んでいるか?』
『クロック。どうして……どうして俺の前から姿を消したんだ』
留めきれなくなった激情が、リィンの口調を荒立てる。クロックは肩をすくめた。波打ち際の砂浜で、その銀髪が風にそよいでいる。どこか悲しげだった。
『言えないことがあった』
『俺に言えないことってなんだ。俺とお前の関係ってそんなものなのか!』
『怒るなよ』
『クロック……!』
波の音が近付いては、また遠ざかる。それは二人の距離とも似ていた。
埋めようのない隙間。時間と共にできてしまった綻び。もう元通りにはなれない。
リィンは顔をうつむかせた。
『だったらさ。なんでまた俺の前に現れたんだ。ずっと消えたままでいいだろ! 俺がクロックのこと忘れるまで!』
『忘れられたくなかったんだろうな、お前には』
『……え?』
顔を上げる。彼は困ったように笑っていた。どうしていいかわからなくて、リィンは踵を返した。
『なんだよそれ! 馬鹿にして――』
その肩をつかまれ、ぐいっと引き寄せられる。強い力にたたらを踏んでしまった。振り返った目の前にクロックの顔があった。
彼は抑揚をつけて、想いのたけを歌い上げた。
『リィン。俺は本気さ。本気と書いてマジさあ』
『騙されない。もう騙されない。マジとか言っても騙されないー』
高らかにリィンも歌う。気持ちを詩に乗せて。
ステップ、ターン、ジャンプ。
夕陽が踊る彼らを茜色に染めている。やがて伸びる二つの影は一つに重なり、リィンとクロックは同時に喉を震わせた。
『オーバーザレインボウー!』
Are you ready?
「っきゃあああ!?」
たまらず絶叫するエマ。
戦闘中にこんなモノを考えているなんて。台詞だけじゃなくて地文まで。
これ以上思考を読めない。むしろ読みたくない。
人が立ち入ってはいけない深淵の領域をのぞき見た気分だった。ごめんなさいヴィータ姉さん。この人、姉さんより深淵です。
「というかなんで最後ミュージカル風!?」
頭の中が混沌過ぎる。
朦朧として足のおぼつかないエマに、ガイラーが肉薄してきた。ろくに狙いを定められないまま、手あたり次第に光弾を撃ちまくる。
風に舞う落ち葉のような動きで、それらの全てをガイラーはすり抜けた。
「私がどれほどの時間、落ち葉を掃き続けてきたと思うのかね」
「落ち葉を掃いても落ち葉の動きを模した体捌きは身に付かないと思います。どうしてそんな……。あなたが普通の用務員さんのままでいてくれたら……」
「そうとも。君のおかげだ」
ガイラーが腕を突き出した。得体の知れない紫の波動が放たれる。
あれに触れてはいけない。エマはクレセントシェルを展開。球状の防護壁で身を包み、明らかにマイナス作用しかないであろうエネルギー波を弾いた。
「私のおかげ?」
「エマ君に出会わなければ、それこそ私はしがない用務員として平凡な日々を享受していただろう。それは定年後も変わることなく、彩りのない人生をつつがなくまっとうするだけだった。しかしそうはならなかった」
どこか遠くを見る目で、ガイラーは空を振り仰いだ。
「あの数枚の原稿用紙が、私の世界を変えたのだ。人生が熱を持ち、輝きを放ち、青春のほとばしりを感じるようになった」
「ち、ちょっと待って下さい。あの小説は私が書いたものじゃないって知っているんですよね!?」
かつてガイラーの転機となった小説は、ドロテの書いたものだった。講評のために一時預かっていたのだが、色々あって彼の手に渡り、そしてエマが書いた作品だと勘違いされたのだ。
ストーリーの流れや文体の癖などから推察され、その誤解も一応解けてはいる。
「無論、ドロテ君にも感謝している。だが私を導いたのは紛れもなくエマ君だ。君は私の導き手なのだよ」
「そっち方面の導き手はやってませんので!」
「君には才能がある。埋もれさせておくには惜しい人材だ」
「その才能ってそっち方面ですよね!?」
私が道を踏み外させてしまった用務員さん。しかし道に戻ろうとはせず。むしろ私をその道に引きずり込もうとしている用務員さん。
やはり彼を止めるのが、私の使命なのだろう。何をどう天秤にかけたとしても、帝国男子たちの未来には代えられない。
エマの意思を受けた魔導杖――その魔玉が強い光を発した。
「最初の約束忘れてませんよね」
「二言はないと言った」
生み出した光の剣に、さらに力を注ぐ。刀身は厚く、重く。剣先は広く、鋭く。
感触、見た目はほとんど実体の剣だ。「……すばらしい」と、感嘆の吐息を揺らすガイラーが、すっと腰を落とした。自然体からの初動を常とする彼にしては、最初から構えを取るのは珍しい。
本気だ。
肌で直感したエマは、先制の攻撃を仕掛けた。360度、全方位に顕現させた大剣の全てを、中心に位置するガイラーに突撃させる。
体力的にもこれは最後の攻撃になる。全身全霊のイセリアルキャリバーだ。
しかし当たらない。攻撃のわずかな隙間を縫うようにして、ガイラーは回避する。
一度避けたとしても終わりではない。軌道を変えた大剣が円を描いて、再び舞い戻ってくる。
その内の一本が、先ほどと同じく手で受け止められた。
「む、ぬうっ……!」
今までの光剣とは霊力の密度が違う。砕くことは叶わず、ガイラーは上体をそらして受け流した。
エマの膝が折れそうになる。疲労が限界にきていた。空中を疾駆する大剣に小さな亀裂が入り始める。これ以上長引くと、強度を維持できない。
「はあ、はあ……まだ!」
大剣は渦を巻くようにして、ガイラーの逃げ場を狭めていく。迫る刃の群れに、彼は上へ飛んだ。
予想通りだ。そこなら踏ん張りもきかないし、方向転換もできない。急浮上した大剣が追いすがる。
ガイラーは身をひるがえした。矢継ぎ早に飛んでくる剣の腹を足場に、連続して空中を駆け上がっていく。突然に体を反転させると、行き過ぎた剣の一つを蹴り、地上へと急降下してきた。
高度からの体当たりだが、その速度は尋常ではない。大気との摩擦熱で燃えるガイラーが、真っ赤な尾を引いて落ちてくる。もはや隕石だ。
イセリアルキャリバーの乱発だけで仕留められるとも思っていない。上空に追いやっていたのは時間を稼ぐ為だ。《ARCUS》にセットしているクオーツに導力が満ちた。
アーツ駆動――ジャッジメントボルト。
網膜に焼き付く緑光が錯綜し、鮮烈な電撃が猛スピードで撃ち上がる。不純を滅する裁きの雷が、ガイラーを飲み込んだ。
「ぬあっ、かああああ!!」
止まらない。素手で稲妻を引き裂いている。駆動を切らさないまま、エマは《ARCUS》にEPチャージを装填した。
導力を強制的に流し込むことで、アーツの出力を跳ね上げたのだ。正規の使用法ではない。戦術オーブメントが壊れるおそれもある。
けれどそうでもしなければ、この用務員を組み伏せることなど不可能だ。
勢いを増した雷光が牙と爪を成し、鱗を逆立てる龍と化す。
咆哮。戦慄する空。
ガイラーの勢いを殺すことには成功した。同時にジャッジメントボルトも弾けて消える。膨大なエネルギーの余波が放射状に拡散され、エマの三つ編みを揺らして過ぎた。
「うっ……」
エマは両膝をつく。手から離れた魔導杖が床を転がった。
ガイラーはデッキの端、ひん曲がった柵の上に着地する。
「見事だ。実に……実にいいね」
焦げた外套はボロボロになっているが、それだけ。倒せなかったのだ。
「無理に動かない方がいい。まずは君の健闘を称えよう。しかし勝負は勝負。敗北の宣言を聞かせてもらいたいな」
「………いやです」
「物事にはルールがある。万事において規則は必要だ。それを守るのは当然として、破らない為の抑止力も重要になってくる。エマ君は委員長だ。Ⅶ組の委員長だ。彼らの模範たる委員長だ。その君が約束を反故にするというのはどうなんだろうね。いや私はいいのだ。だが仲間たちが見たらどう思うかな。幻滅するのではないかな。学院に戻った君を待っているのは、友人の輪から弾き出され、昼休みに机で一人コッペパンをかじる毎日だけだ。いいのかね、それでも。意地を張ったがゆえに、君はコッペパン以外の全てを失うのだよ」
「わかりました! もうわかりましたから! あとお昼はお弁当派ですので!」
ごめんなさい、男子の皆様方……。私、がんばりました。がんばったんです。でも無理だったんです。
恨んでくれてかまいません。責めてくれてかまいません。あら、視界が滲んでますね。うふふ、眼鏡の度が合わなくなっちゃったんでしょうか。
「わ、私は……ガイラーさんとの勝負の、け、結果……」
「結果?」
「ま、ま、負……」
決定的な言葉を発する寸前だった。ガイラーの足元が爆発した。
甲板の炎が巡り、何かに引火したのだ。飛び散る破片の中に、パイプの残骸らしきものが見えた。空調循環用のものらしい。行き場を無くして滞留していた酸素に熱が加えられ、膨張した空気にパイプが耐えられなくなったのだろう。
「おや、女神はいたずらがお好きのようだ」
衝撃に巻かれたガイラーは柵の外に飛ばされた。悠々とした態度はそのままで、宙を落下し始める。
「ガイラーさん!」
転移術で助けようとする。しかし発動しない。もう力が欠片も残っていなかった。
落ちながらガイラーは言った。
「今日は引き分けだね。そうだな。私は先にもう一つの目的を果たすとしよう。ケネス君によろしく伝えてくれたまえ」
「待っ――」
ガイラーは谷底へと消えた。
しばらく放心状態でいると、少女をカレイジャスに送り届けたらしいヴァリマールが戻ってきた。
リィンの話では人質は全員無事、猟兵も全員捕縛、爆弾処理の三人もケガはなしとのことだった。
飛行艇の再起は望めなさそうだが、作戦は成功である。エマの心はとても晴れやかとは言えなかったが。
『とりあえずカレイジャスに戻ろう。あとは委員長だけだ。ヴァリマールの手に乗ってくれ。あ、準契約者だから核でも大丈夫か。ちょっと狭いけどな』
「リィンさん」
『ああ』
甲板に着地したヴァリマールが片膝をつく。エマは疲れ切った瞳で見上げた。
「ごめんなさい……」
『なんで謝るんだ?』
――続く――
《世界の四分の一を君に》をお付き合い頂きありがとうございます。
ちょくちょくのやり合いはありつつも、ガチでガイラーさんとエマが戦うのは実に前作の10話以来だったりします。
あの時はあくまで学生と用務員としての対峙でしたが、今回は魔女と魔人にグレードアップしての戦いになっています。いつだって無駄に全力の二人でした。
ミュゼの年齢に関しては微妙なところで、計算してみると生まれ月によってはエリゼと同い年の可能性もあります。ただ年下の場合もあるので、初等部中等部という設定を作って対応しました。
同年代だった場合、閃Ⅲでエリゼがトールズ分校に入学する展開もあるでしょうね。そうなると士官学院仕様のミニスカエリゼが誕生するわけです。やばいですよ兄様。
それでは引き続き次回もお楽しみ頂ければ幸いです。……忘れられてしまいそうですが、本編のメインはあくまでヴァリマールの剣作りなのです。