虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第87話 バリアハート寄航日(一日目) ~ラインズブラック

「具合はどうだ?」

 リィンが声をかけた先には、ベッドに横になるアリサの姿があった。

 多少あわてた様子で掛布を胸上まで引き上げたアリサは、「だ、大丈夫よ! なにか用?」と医務室の戸口に立つリィンを見やった。

「用って言うか、様子を見に来たんだが」

「……そうよね。ごめんなさい、とっさのことだったから」

「ノックはして入室したぞ」

「そういうことじゃないの!」

 ぷいっとアリサは首を反対側に向けてしまう。しかしすぐに「あいたた……」と、また顔がこちらに戻ってきた。

「うぅ、急に動くとまだきついわ」

「無理するな。まあ、思ったより元気そうで安心したが」

 ぴくりとアリサが反応した。

「心配してくれてたの?」

「当たり前だ」

「あ……ありがと」

 毛布をさらに顔まで上げながら、アリサは小声で言う。照れ隠しのつもりなのか、目線を室内に振って、

「そういえばシャロンは? さっきまでいたと思うんだけど」

「ここに来る途中に通路ですれ違ったよ。替えのタオルとか持ってくるって」

「そうなのね。喉が渇いたし、飲み物を頼んでおけば良かったかも」

「用意してくるんじゃないか? シャロンさんだし」

 有能を絵に描いたような人だ。その上、アリサの性格や行動パターンまでも知り尽くしている。

 きっとベストなタイミングで『そろそろ喉が乾く頃かと思いまして』などと言いながら帰ってくるに違いない。

 リィンはベッド横の丸椅子に腰かけた。

「で、調子は?」

「昨日よりマシよ。と言っても、レイゼルから降りたあとの記憶はないんだけどね」

 戦闘終了後に操縦席を出たアリサは、そのまま倒れこんでしまった。そしてすぐさま担架でこの医務室に直行だ。

 レイゼルのエネルギー転化による超高速駆動――フルストームモードの反動らしい。

 ミントに言わせれば、〝導力車の急加速と急ブレーキと急ドリフトを数秒単位で繰り返しながら、ところどころで交通事故を起こしつつ、その衝撃を三倍にしたぐらいの圧迫が連続して全方向から押し寄せる”のだとか。

 ミントは『ほええ~、アリサちゃん、よく無事だったねー』と安穏としたコメントをしていたが、この通りまったくもって無事ではない。

「今の状況がどうなってるのか知りたいわ」

「たくさんあって何から伝えるかな……。まずカレイジャスはバリアハート空港に停泊中だ。それと昨日の内に、《北の猟兵》とアルバレア公の身柄は正規軍に引き渡された。ケルディックの警護は第四機構師団の分隊が継続して引き受けてくれている」

 確保されたヘルムートは放心状態が続いているらしく、その回復を待って詳しい調書を取るそうだ。

 《北の猟兵》は結局、サラがほとんど一人で制圧した。戦闘結果の報告書は淡白なものだったし、彼女自身多くを語らなかったが、やはり複雑な心境には違いない。

「ユーシスは大丈夫?」

「全員に頭を下げて回ってたよ。勝手をしてすまなかったって。時間が取れたら医務室にもあとで顔を出すつもりらしい」

「そんなの気にしなくていいのに。普通じゃいられなくて当たり前よ。ただでさえ複雑な立場だったんだから」

「それは俺も言ったんだが、けじめはつけたいそうだ。アリサ、どうかお手柔らかに頼む。平手打ちだけは勘弁してやって欲しい」

「しないし! だから私は怒ってないってば!」

 そのユーシスは現在艦内にいない。アルバレア城館に戻って家の細事を片付けたり、不在の間の指示をアルノーに言づてたりと、膨大な後処理に追われている。

 それらの関係で三日はバリアハートに留まる予定だ。

「……あの人は」

「ん? ああ」

 誰のことかはすぐわかった。

 直接戦ったアリサにしてみれば、それが一番気になるところなのだろう。

「スカーレットも艦内にいる。まだ意識は戻っていないが、さすがにこの医務室というわけにはいかなかった」

「じゃあどこに?」

「アルフィン殿下の私室だ。殿下のベッドで寝かされてる」

「……まずくない、それ」

「もちろんお止めした。でも、わかるだろ?」

 ああ見えて中々どうして強情だ。危惧の進言も問題ありませんの一点張りで、まったく聞き入れてもらえず。

 せめてスカーレットの腕だけでも拘束すべきなのだが、それも強く拒否された。下手をすれば噛みつかれそうな剣幕だった。

 やむを得ず部屋の前に警護を二人つけて、異変を感じたらすぐに突入する手はずになっている。

 騎士の話を含め、彼女の今後の処遇がどうなるか、まだ誰にもわからない。

「心配だけど……どうにもならなさそうね。報告はそのくらいかしら」

「あとは鉄機隊のことかな。アリサはこの辺りについては知らないんだったか。俺もまた聞きした内容になるが――」

「ならば私から話そう」

 別の声が割って入る。リィンを挟んで反対側、もう一つのベッドからだ。アリサと同じくベッドに横になるラウラが、視線をこちらに向けていた。

「起こしたか? すまない」

「最初から目は覚めていた。体のダメージもアリサに比べれば幾分マシだろう。気にするでない」

 それでも消耗は隠せていない。体力も戻りきっていないし、そのせいかどこか覇気もなかった。

「殿下をお連れしてオーロックス砦に移動中に、B班は鉄機隊の襲撃を受けた。デュバリィの他に二人、エンネアとアイネスと名乗る者たちもいた」

 弓使いと戦斧使い。実力も相当のもので、人数で勝るⅦ組でも攻めあぐねたという。

「目的は私たちの撃退ではなく、アルフィン殿下だとデュバリィは言った。指揮系統もアルバレア公ではなく、カイエン公らしい」

「まだ皇女殿下を利用する気なのか」

「象徴として扱う感じではなかったな。もっとなにか、実益を兼ねたなにか。……そう、アルノールの血が足りなくて、なにかが目覚めないとか……」

「血……?」

 カイエンは何をしようとしている。

 ユミルでもアルフィン皇女をさらおうとし、この上取り戻そうとしているのは、最初から違う目的があったからか? 血というなら同族のセドリック皇太子は?

 考えてわかることではなかったが、真意を推し量れない薄気味悪さに背すじが冷えた。

 ラウラは目を伏せる。

「すまなかった」

「え?」

「私が隙を見せたばかりに、どうにか拮抗していた戦局を崩された。彼女らの目的にしても、得られる情報を逃してしまったかもしれない」

「ラウラのせいじゃないでしょう」

 もう一つのベッドからアリサが言う。

「しかし……いや、そうだな」

 ラウラは小さな息を吐く。

 敵と対峙中に彼女が隙を見せるというのは考えにくいことだった。何かがあったのかもしれない。もう少し回復したら事情を聞いてみようか。

 その鉄機隊はラウラが抜けた穴を突く形で、Ⅶ組の陣形を突破してアルフィンを追った。しかしケストレルとレイゼルの戦闘区域を囲う炎の壁に阻まれ、やむなく撤退したそうだ。

 結果的にアルフィンが炎の内側に入っていたことが、功を奏したと言えるだろう。

 情報を整理するとこんなところだ。

 リィンは置き時計を見る。思っていたより時間が経っていた。

「つい話し込んでしまったな。体調に障ってもなんだし、俺はこの辺で失礼するよ」

「待って」

「待て」

 丸椅子から立ちかけたリィンの両手を、両側のベッドから差し出された二人の手がふわりとつかんだ。

「あと少しだけ、ここにいて」

「うん。たのむ」

「あ、ああ」

 もう一度腰を下ろす。左右の手は握られたままだった。

 柔らかい手のひらから体温が伝わってくる。ほのかに湿った優しげな視線を向けられて、リィンは落ち着かない気持ちになった。

 予期しない感情の動きに戸惑い、思考を鈍らせたのも一瞬、アリサとラウラがくすりと笑う。

「もしかして照れた?」

「そうなのか?」

「いや、からかわないでくれ」

 二人の少女は目配せすると、互いに頬を緩めた。不意打ちだ。リィンにとっても、それは魅力的な笑顔に思えた。

 かすかに高まる鼓動の元は、どこから感じたものだろう。あるいは、どちらからか感じたのか……?

「それにしても、なんだかいつもと逆よね」

「逆?」

「だって作戦後はだいたいあなたが倒れてるでしょ。で、私たちが医務室まで心配と釘刺しにくるのが恒例行事だったじゃない」

「言われてみればそうだな」

 カレイジャスを運用してからの双竜橋戦、黒竜関戦。どちらも重奏リンクを多用した反動だ。

「ねえ、なんで今回は平気なの?」

「それは……」

 オーロックス砦戦でも能力は酷使した。

 最大級の霊力をもって放ったアルテアカノンとクラウ・ソラリオンの合成アーツ。三人を同時に繋いだ重奏リンク。ヴァリマールには命を削る力だとまで言われた。

 なのになぜ、俺はこうして平然と動けている。わからないとしか言いようがなく、リィンが返答に窮していると、アリサの握る右手がほんの少し強まった。

「私はリィンが無事ならそれでいい。けど、当たり前のように大きな力に慣れていくあなたは心配よ」

 アリサの言うことは理解できていた。ここ最近、確かに自分がおかしい。知るはずのない光景を幻視したり、己の剣を問う何者かの声を聞いたり。思えばそれらは、騎神に乗るようになってからだ。

 だが……

「その力があれば多くのものを守れる。そんなことを考えている顔だ」

 ラウラが言葉を継ぐ。今度は左手がぐっと握られた。

「ヴァリマールの力は強大で、それを扱えるのはそなただけだ。だから無用な責任感に駆られているのだろう」

「力には責任が伴う。無用じゃない」

「拾った力であってもか?」

 騎神をそのように言われたのは初めてだった。

「元来、騎神の行使はそなたの能力ではない。心身を鍛えた上に体得したものでもない。試しを突破したのはⅦ組全員だ。もしかしたら私たちの誰かが起動者になっていた可能性もある」

「それでも手にしたのが俺である以上は……」

「何もかもを守ろうとするな。そなたが守りたいのは近くにいる私たちか? 今までに縁あった人々か? これまでに訪れた地域か? それとも帝国全土か? あるいは大陸までもか?」

 何も言えなかった。

 スカーレットを助けた時に、自分の手の届く範囲は守り抜くと決めた。しかしそれを騎神の力が及ぶ範囲と混同してしまっている。

 ラウラが言うのはそういうことだ。

「力に責任を持つなとは言わないが、線引きはした方がよい。そなたのことだ。下手をすれば、誰かが遠くで転んだことさえも自分のせいにしかねん」

「……それはさすがにないと思うけどな」

「最後のは冗談だ。ただどれだけの力を得たとしても、己が一個の人間であることは覚えておいてくれ」

「ああ。わかった」

 強さではなく、弱さを認めてくれる。彼女の言葉にリィンは理由もなく安心した。

「しかしなんだな。ラウラもアリサも、俺以上に俺を知っているというか。エリゼもそうだったが」

「そこはまあ、深く考えずとも――いや、そろそろ深く考えて欲しくもあるが……そうだな」

 その視線が天井に移る。

「リィン。そなたに聞きたいことと、伝えたいことがある。今度でいいから少し時間を作ってくれ」

「ええっ!?」

 なぜかアリサが驚いた声を出す。ラウラは苦笑した。

「あー、そなたが考えているようなことではないから、安心するがいい。そんなの私にだって心の準備が……いる」

「よ、よね? そうよね?」

 それはリィンに理解できないやり取りだった。咳払いを一つしたあと、「ところで」とラウラは話題を変えた。

「マキアスはどうした? かなりの痛手を負ったと聞いているが、医務室に来ていないというのは」

「もちろん絶対安静の指示は出てるんだけどな。……まあなんだ。ずっとトワ会長と口論してる」

 

 

《★ラインズブラック★》

 

 

「なんでですか! 納得できません!」

「ダメなものはダメなの」

 ブリッジでは押し問答が続いていた。マキアスが訴え、トワがそれを拒む。その構図は崩れることなく、まもなく一時間が経過するところだった。

「クルーの安全は確約できます。問題ないでしょう!?」

「なんの保証にもなってないよ」

「そんな……リィンたちにも聞いて下さいよ。絶対大丈夫って言いますから!」

 根気強くマキアスは頭を下げた。

「お願いします。認めて下さい。クロとルーダの乗艦を!」

 彼の訴えはこれだ。艦長席のトワは依然として首を縦に振らない。理由は単純。魔獣だからだ。

 仮にマキアスに懐いていても、他の人にもそうとは限らない。リスクが不確定である以上、艦の安全を預かる身として了承できない――というのがトワの返答である。

 この二匹は特別だとマキアスがどれだけ熱弁しても、議論は平行線のままだった。

「この話はここで終わり。マキアス君も医務室に戻って休んで。本当は一番重症なんだからね。咳しただけであばらが痛むんでしょ」

「それくらいなんともありません。どうか……僕が責任をもって面倒みます。食事の用意も、朝夕の散歩もやります」

「ダメです。元の場所に帰してきなさい」

 ふるふると眼鏡の奥がにじむ。

「トワ会長のわからず屋ーっ!」

「あっ」

 たまらずマキアスはブリッジを飛び出した。とっさに伸ばしたトワの手が空を切る。

 つかめるものもなく、さまよったその手を引き戻し、トワは自分の眉間を揉んだ。

「だって……ダメなんだもん。私、間違ってるのかなあ。もうちょっと話を聞いてあげても……ううん、やっぱり(うち)じゃ飼えないし……」

「優しいお母さんと聞き分けのない息子。んふふ」

 一人葛藤するトワを眺めつつ、観測席のヴィヴィがぼそっとつぶやいた。

 

 

 重い気持ちのままカレイジャスの外に出たマキアスは、艦着場を回って船尾側へと移動する。

 人目につかない物陰から飛び出して、自分を出迎えてくれたのは小さな二匹。一応騒ぎにならないために、ここで待機するよう言い含めていたのだ。彼らは自分の指示をちゃんと守っていた。

 飛び猫――クロの毛並みを手早くチェックしつつ、マキアスは言う。

「ダメだったよ。お前たちは乗せられないってさ。危なくなんかないのにな。はあ……」

 愛くるしい仕草で小首をかしげるクロのかたわら、しゅるしゅると一本の触手が伸びてきて、マキアスの肩をさすった。足元に寄り添うドローメが、赤い一つ目で見上げてくる。

「ありがとう、ルーダ。僕は大丈夫だ。しかし困ったな。どうするべきか……」

 僕を探して旧校舎から追ってきたのだろう。せっかく合流までできたのに、ここに置いていくわけにも行かない。

 もう一度トワ会長に頼み込んでみるか。エリオットとガイウスの援護射撃つきで。唯一事情を知る彼らなら、きっと力になってくれる。

 オーロックス砦戦での実績だってある。魔獣たちが暴れてくれなかったら、ユーシスと二人での基地内潜入は容易ではなかっただろう。

 しかし……とマキアスはかがみ込んで首を垂れる。

 トワは強敵だ。口頭弁論で彼女を上回る人間などそうはいない。三人がかりの説得であっても同じこと。

「うーむ、うーむ……そうだ!」

 ひらめいた。とってもすばらしいアイデアを。

 それでも論述でトワを上回る人物はいるのだ。その人にアドバイスをもらえばいいではないか。ちょうど彼女はバリアハートに来ている。

 マキアスは意気揚々と立ち上がった。

 

 

「――そういう事情でして……なにかいい案はないでしょうか?」

「なるほど」

 マキアスの相談を聞き終えたクレア・リーヴェルトは、手にしたティーカップを軽く揺らした。半分くらい減った中身が小さく波打つ。

 バリアハート市内の小洒落たカフェである。マキアスはアルバレア城館で処務を片付けていたクレアを、昼時を理由にランチに誘ったのだった。

 心臓が破けんばかりに高鳴り、眼鏡を爆散させかけながら、たった一言のセリフを何度も噛んだ上でのお誘いだ。石化寸前のマキアスに微笑んで、彼女は快諾してくれた。一億ミラを積んでも手に入らない笑顔だった。

「……マキアスさんは魔獣と意思疎通ができるのですか?」

 珍しく長考した上で出てきた一言。氷の乙女ですら戸惑ってしまうほどの内容だったのだ。

「いやそんな、意思疎通だなんて……ちょっと気持ちがわかるくらいで」

 謎の謙遜を見せるマキアスの背中から、しゅるると一対の触手が伸びてくる。

 表情をこわばらせたクレアは、素早くジャケットの内側に手を入れた。銃を抜くべきかと逡巡する間に、触手の先端がマキアス側のコーヒーカップにたぷんと浸かる。

 ゴキュッゴキュッと触手を通じてコーヒーが飲まれる――というか吸収されていった。

「マ、マキアスさん。もしかしてそのリュックサックの中には……!?」

「え? ああ、ルーダとクロが入っていまして、ここまでは背負ってきました。ははは、さすがに町中では怖がる人もいるでしょうからね。その辺りの配慮は忘れていませんよ。しかしうっかりしていたな……ウェイター!」

 マキアスは片腕を上げるとパチンと指を鳴らした。それは彼の中での格好いい男の所作だったりする。

「コーヒーをもう一つ。あとビスケットも。大尉は何か? 食後のデザートでもごちそうしましょう」

「い、いえ。私はもう大丈夫です。お腹いっぱいです」

 少しすると、追加のオーダーが運ばれてきた。その時だけ触手はリュックの中に収納されているので、ウェイターが不審がる様子はなかった。

 ウェイターが離れると、再び出てきた触手がコーヒーを吸い始める。

 マキアスはビスケットをつまむと、リュックの中に放り込んだ。『シャッ』と小さな鳴き声がして、バリバリとそれを砕く音が続く。

「お前たちの分の注文を忘れてしまっていた。すまないな。たくさん食べてくれ」

「やっぱり意思疎通ができているとしか……まさか」

 クレアはまじまじとマキアスの顔を凝視した。

「マキアスさんは〝黒の系譜”という言葉を聞いたことがありますか? あるいは〝黒い表紙の歴史書”を読んだことは?」

「いいえ?」

「……そうですか。どうやら思い違いのようです」

 クレアは手元の紅茶を飲み干した。

「話を本題に戻しましょう。どうすれば二匹の魔獣を《紅き翼》に乗艦させられるかでしたね。それも艦長に認めてもらう形で」

「はい。しかしトワ会長は安全が保証できないと」

「至極当然です。今ある情報だけでは私も同じ判断をするでしょう」

「で、ですがクロもルーダもオーロックス砦戦では力を貸してくれました。これ以上なにをすればいいものか……」

「おそらくトワさんの懸念事項は一つ。仮に魔獣に助力の意思があったとして、それがマキアスさんにのみ働いたのではないかということです」

「要するに危害を加えられないのが僕だけだと?」

 うなずくクレア。「なるほど……」とマキアスは一考する。

「つまり二匹の危険性の無さを、僕以外で証明すればいいのですね?」

「それが現実的な線かと。ただ一つ二つでは弱い。トワさんを納得させられるくらいの事例の量はいるでしょうね」

「理解しました。いや、さすがはクレア大尉。相談して良かった」

 ふんすっと鼻息を荒くしたマキアスは勢いよく立ち上がる。

「聞いたな、お前たち。大尉にお礼を言うんだ」

『シャンッ』

『……キュッ』

 マキアスのリュックからくぐもった鳴き声がした。

「どうした、ルーダ。何が気にいらないんだ? ……すみません大尉、どうもルーダの機嫌が悪いみたいで」

「私にはわかりませんが。そういえばさっきから微妙に触手で威嚇されていたような……」

「ウェイター!」

 またしても格好いいポーズでパッチンと指を鳴らす。ウェイターの一人がテーブルまでやってきた。

「会計を。二人分まとめてくれて結構だ」

「マキアスさん?」

「ここは僕におごらせて下さい。なに、気にする必要はありません。女性を食事に誘った紳士としては当然の――あれ?」

 上着とズボンのポケットをぱんぱん叩く。嫌な汗が全身から噴き出してきた。

「そ、そうか。あのままカレイジャスを飛び出してきたから……!」

 財布を持ってくるのを忘れていたのだ。どこかに小銭くらいないものかと、わたわたリュックサックをまさぐるもクロとルーダがじゃれついてくるだけだった。

「どうぞ、私と彼の分で」

 焦るマキアスの横から、クレアが代金をウェイターに支払った。

「あ!」

「ふふ、気にしないで下さい。久しぶりにゆっくりした休憩を取れましたので、そのお礼です」

 他意はまったくないようだが、ここぞの男気を粉砕されたマキアスの顔がみるみる紅潮していく。

「どうしました?」

「うわあああ!」

 いても立ってもいられず、リュックをひっつかむとマキアスは駆け出した。

「マキアスさん! 触手出てますよ!」

 そんなクレアの声を背中で受けながら、しかし振り向ける顔もなく。

 マキアス・レーグニッツ、17歳の冬。今日が人生で一番恥ずかしい日となった。

 

 ●

 

「はあ……僕ってやつは……」

 地の底に届いてしまうくらいの、深いため息。

 僕のバカやろう。なぜ財布を確認してこなかったんだ。これはしばらく落ち込んで――いや、ここは気持ちを切り替えなくては。

「ルーダ、クロ。今からが重要だ。僕に協力してくれよ?」

 カレイジャスに戻ったマキアスは、リュックからクロとルーダを出した。二匹とも気合いの入った鳴き声を返してくる。

 危険性のなさを証明すると言っても、理論詰めでは難しい。なら訴えるべきはその逆。役に立つと行動で示せばいい。それも外堀から埋めていく形で。

 まずマキアスが向かったのは食堂だった。廊下からのぞいてみると、数人の学院生が利用している。昼時は過ぎたとはいえ、まだ忙しさの中にある頃合いだ。

 キッチンではニコラスが調理を担当し、フロアではエミリーが料理を運んでいた。先日カレイジャスに合流した二人は、コンビネーションもばっちりに食堂業務を回してくれている。

「エミリーさん、二番卓のオムライス二皿上がりだよ。いけるかい?」

「まっかせといて!」

 ニコラスから渡された二つのトレーを、エミリーは両手に抱える。彼女が向かう二番テーブルには、レックスとベリルが対面して座っていた。

「どうしたんだよ、ベリル。最近ちょっと変だぞ」

「なにが」

「だって再会してから全然しゃべってくれないじゃん。俺なんか悪いことしたか?」

「別に。もういいかしら。私、もう部屋に戻りたいんだけど」

「まだオムライス来てないし!」

 レックスたちは何やら揉めているようだ。どこか険呑な雰囲気が漂っている。二人の仲は良く、写真部とオカルト研究会を合併させて、心霊写真部なるものを結成したとまで記憶しているが。

 そこにエミリーが近づく。持った時の位置が悪かったのか、トレーが斜めになっている。しかし両手が塞がっているから、どうにもできない。

 テーブルに到達する直前、腕からずるりとトレイが傾いた。

「今だ!」

 マキアスの号令でクロが飛び出す。瞬時にエミリーの下から回り込み、落ちかけていたトレイを頭で支えた。

 エミリーは何が起こったのか分かっていない。

 役目を果たしたクロは、ぱたぱたと羽ばたいて食堂の外へと飛んでいく。

「ひっ! 魔獣!?」

 いきなりトレイの裏から出現した飛び猫に、エミリーはのけぞった。

 その拍子に後ろに放り投げた二つのオムライスが、一番テーブルに座っていたエリオットとガイウスの頭に直撃したことなど、すでにその場を離れたマキアスには知りようもないことだった。

 

 食堂を出た向かい、端末室から聞き覚えのある声がした。ステファンが床に這いつくばって、デスク下の隙間に必死に手を入れている。

「よし。次はルーダの出番みたいだな。頼むぞ」

『キュッ』

 机の下へと触手が伸びていく。

 すぐに何かを絡め取る。彼のメガネだった。デスクの上に置いていたものをうっかり落として、さらに足で蹴ってしまったというところだろう。

 ルーダはそれをステファンに手渡してやった。

「大丈夫でしたか、先輩」

「ああ、その声はマキアス君か。助かったよ……ん?」

 すちゃっとメガネを顔にかけ、ステファンは振り返り、硬直する。

 戸口に立つマキアスの背に、一対の触手がゆらゆらと踊っていたからだ。ステファンから見れば、それはマキアス自身に触手が生えているようだった。

 薄暗い端末室に差し込む逆光とも相まって、ひどく妖しい陰影を浮き立たせている。そのタイミングで頭裏にしがみ付いていたクロが、ダメ押しとばかりにマキアスの耳元から『キシャアア……』と両翼を広げた。まさに悪魔のごときシルエットだ。

「なっ、君は……!?」

「心配しないで下さい。危害を加えるようなことはしません」

「い、いつからだい? いつからそんなことに!?」

「今年の夏過ぎくらいからですね。隠していてすみませんでした」

「急に生えてくるものなのか……?」

「なにがでしょう?」

「いや、いいんだ。僕の見識不足かもしれない。まだまだ勉強が足りないな。世界の闇は深い……」

 それ以上は口をつぐむステファンに軽く会釈し、マキアスと魔獣は端末室を後にした。

 

 

 好調だ。思った以上にみんなの役に立てている。この調子で行けば、トワ会長も首を縦に振らざるを得ないだろう。

 魔獣二匹を従えるマキアスは、気分も上場にカレイジャス内を闊歩した。

「お前たち、もう少しだ。がんばろうな――っと、あれは……」

 通路の奥から、大きな洗濯かごを抱えたモニカが歩いてくる。大量の衣類が詰まっているようで、足取りも心許ない。

 アクシデントの予感。これは好機だ。

「わわっ?」

 案の定モニカはよたついた。体勢が前に崩れ、洗濯かごの中身を派手にぶちまける。

「やったぞ! クロ、ルーダ、ダブルで行ってくれ!」

 ルーダの触手が走り、クロも俊敏に飛び回り、空中の洗濯物を鮮やかにキャッチしていく。それを唖然と見守るモニカ。

 だが量が多過ぎたせいで、さすがに二匹だけでは取りこぼしがあった。

 マキアスも床に落ちたそれらの回収を手伝った。

「や、やだ!? それ私の……ッ!」

「え?」

 そのなにかを手にした瞬間、モニカの顔色が変わり、同時にマキアス目がけて突進した。

 普段の彼女からは考えられないスプリンターのような力強いストライド。

「ど、どうしたんダバアッ!?」

 ホップ、ステップ、ニーキック。ダンと鋭く床を跳ね、加速のついた乙女の膝がマキアスの顔面にめり込む。膝の周囲からはみ出るようにして、粉砕されたレンズの欠片が飛び散った。

 シチュエーションに既視感を覚えたのもわずか、勢いに押されるまま背中から倒れた後頭部に鈍い衝撃が走る。 暗転していく視界の端に、驚いて逃げ出すクロとルーダが映り込んだが、声を発することは叶わない。ほどなくマキアスの意識は虚無へと落ちた。

 

 ●

 

 トワはまだ悩んでいた。前部甲板の手すりにもたれかかって、空港からも見える翡翠の街並みをぼんやりと眺める。

 マキアスから事情は聞いた。

 ある日突然ヘイムダルの実家に現れた飛び猫とドローメ。いかな経緯かで地下水道からオスト地区のレーグニッツ邸に上がってきた二匹は、その時点でかなり衰弱していた。

 出来心から世話をして、エリオットとガイウスの助力も借り、紆余曲折を経て、最終的には士官学院の旧校舎地下に住処を移したそうだ。

 そして内戦が勃発する。

 しばらく姿を見せなかった自分を追って、彼らは学院を抜け出したというのがマキアスの見解である。各地を回って配下の魔獣を増やしながら、いずれ自分の力になろうとしたのだと。

 その結果が先のオーロックス砦攻略戦だ。

 理屈はわかった。にわかには信じがたいが、あり得ることなのだろう。実際の戦果も了解している。

 人数差で圧倒的に不利だったマキアスとユーシスが砦内部に進入できたのは、初手で魔獣の群れが暴れ回ったという理由が大きい。というかほぼそれだ。

 だがそれが艦内で起きたらどうする。魔獣。どうしても保証はできない。

 乗艦申請は飛び猫とドローメだけだが、二匹が呼べば配下の群れはすぐに駆けつけるという。

 マキアスは自信たっぷりに艦の防衛に役立つというが、逆だ。それは災害以外の何物でもない。

「うん……やっぱり無理だね……」

 頭の中で何度も検討してみるも、やはりその結論に至る。

 確かに数奇な偶然が紡いだ絆ではあろう。マキアスの気持ちを尊重したくもある。ポジティブにも考えた。オーロックス砦の屋上から転落したマキアスを助けたのが、件の飛び猫とドローメだったとユーシスからの報告にもあった。

 ならばもし、転落したのがユーシスだったら? 魔獣たちはマキアスを助けたのと同様の行動をしただろうか。

 答えは〝わからない”。

 そこが不明確な以上、マキアス以外の人間には牙をむく可能性も否定できないことになるのだ。

「え? ……えっ!?」

 その時、気がついた。

 視線を上げた先に、その二匹の魔獣がいる。数アージュ前方にまで接近されていて、どちらもトワをじっと見ている。

 どうしてこんなところに。艦内には入れちゃダメって言ったのに。マキアス君が? それとも勝手に? 魔導銃はない。《ARCUS》ならある。でも攻撃をするわけには。

 コンマ一秒で思考がめまぐるしく動く。

 しかし動揺していた。距離を開けなくてはと、とっさに足を引いてしまったのだ。甲板の端。足を引けるスペースなどないのに。

 かかとが段差にかかる。腰が手すりにぶつかる。のけぞってしまったから、重心は上背にあった。

「あっ!?」

 手すりを横軸にして後ろに半回転。体勢を戻すための腹筋に力を込める間もなく、視界がぐるりと縦に回り、トワはあっけなく甲板の外に放り出されてしまう。

 悲鳴と同時に、魔獣たちは動いていた。

 

 

 ここまでゆっくり二人と話したのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 子供の頃の話、学院に入ってからの話、他愛ない部活の話。今後の情勢のことなどまったく関係ない雑談だった。

「――それでね、その時のフェリスったら」

「似たようなことなら水泳部でもあったな。確かカスパルが――」

「へえ、そうなのか」

 ベッドに寝たまま楽しげに話すアリサとラウラ。その二人に挟まれて、リィンも相槌を打つ。実際楽しい時間だった。もしも内戦が起こらなかったら、俺たちはこんな学院生活を送れていたのだろうか。

 ふと思った時、かすかな物音を聞き留めた。

「いまなにか……」

 立ち上がって、感覚を尖らせてみる。人の気配。だが窓の外からだ。

「リィン?」

「どうしたのだ?」

「静かに」

 リィンは慎重に窓際に近づいていく。閉まっている遮光カーテンの裾をそっとつまむと、シャっと一気に引き開けた。

 同時にリィンの目も見開かれた。そこに上下逆さまのトワが宙吊りになっていたのだ。

『あっ、や!? リィン君!?』

 窓の外のトワは、太い紐のようなものに片足を絡め取られていた。これはドローメの触手だ。攻撃の意思は感じない。なんらかの事情で転落した彼女を助けようとしてくれているのだろう。

 室内にいるリィンには何もできない。

 もう一本の触手が伸びてきて、今度はトワの腰から胸にかけて巻き付いた。

『ひぁあっ!? ちょ、待っ、ぬるぬるして……っ やあ!』

 起伏の少ない体形が災いしてか、うまく絡めないらしい。触手が蠢き、まさぐられるごとに、トワは苦悶に喘いで身をよじらせる。その吐息が窓に小さなくもりを生んだ。

「リィン、何やってるのよ!」

「そなた、そこから動け!」

 背後からアリサとラウラの非難が飛んできたが、リィンは動じなかった。

「失礼します。そろそろ喉が乾く頃かと思いましてお飲み物を――あら?」

 シャロンが戻ってきた。しかしリィンは振り返らない。

 飛び猫が急降下してきて、トワの肩をつかむ。羽ばたいて上昇しようとしたものの、爪がかかって上着がびりりっと破れてしまった。飛び猫はあきらめず、何度もトライする。チャレンジを重ねるたびに、衣類の欠損は広がっていった。その隙間に触手が潜り込んでいく。くるくると色んな角度に回される。360度のアングルが目まぐるしく展開されていく。

 抵抗の術を持たないトワは、もはやなされるがままだった。

「やだ、もう……リィンくん、見ないでぇ……ああぅっ」

 強い意思の下、リィンは視線をそらさなかった。

 ようやくトワが引き上げられていく。窓枠から見えなくなるまで、リィンは彼女を見送った。気付けばぐっと握っていた両こぶしを緩めながら、後ろに振り返る。

「ふう。トワ会長なら大丈夫そうだ。いや、驚いたな」

 アリサとラウラは何も言わない。無言のまま、冷えた視線を突き刺してくるのみだ。訳知り顔で微笑を浮かべるシャロンは、「所要を思い出しましたので、わたくしはこれで」と、飲み物をテーブルに置いて退室した。

 カーテンを閉め直し、リィンは咳払いをする。

「まずは話を聞いて欲しい」

『聞かない』

 二人そろって吐き捨て、リィンの顔に枕が投げつけられた。

 

 ●

 

「探したぞ、お前たち! あ、トワ会長?」

 息を吹き返したマキアスが甲板に着く。眼鏡はスペアだ。鼻はまだ痛い。

 クロとルーダの間には、トワがへたりこんでいた。はあはあと、その息遣いはなぜか荒かった。

「……認める」

 はだけた衣服をぎゅっと羽織りつつ、トワはぼそっとつぶやく。

「え? 認めるって、クロとルーダの乗艦をですか……?」

「うん」

「あ、ありがとうございます! ですがどうして?」

「……助けられたから。マキアス君の言うこと、わかったよ。でも面倒はちゃんと見ること」

「もちろんです! お約束します!」

 二匹を抱き寄せ、マキアスは喜んだ。

 トワはうつむいたまま言う。

「それと、リィン君をここに呼んできてくれるかな? ……お話したいことがあるんだ」

 どことなく凄みのある声だった。その後に連れてきたリィンがトワとどのような話をしたのか、マキアスには知る由もなかった。

 この日の夜。魔獣二匹の乗艦が艦長から正式に告げられる。

 その裏ではとあるメイドによって、リィン・シュバルツァーは〝極めて特殊な趣好”の持ち主であるとの噂がクルーたちの間に広まっていった。

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

 

《魔獣珍道中⑧》

 

 

 皆が寝静まった夜、カレイジャスを抜け出したルーダは、バリアハート市内に出向いていた。闇夜に紛れて、誰にも見つかっていない。

 たどり着いたのは宿泊用のホテル。匂いで分かる。この建物の一室にあいつがいる。

 やわらかボディをフル活用し、排気ダクトの中を通って厨房へ。誰もいない。そこから通路伝いに客室を目指す。

 ここだ。

 とある部屋の前でルーダは止まった。触手でドアノブを回してみるも開かない。施錠されている。

 赤い一つ目が天井に向いた。今度は通風ダクトだ。触手を伸ばして網目状の柵を外し、そのまま自分の体をダクトに引き上げる。

 狭いダクト内をむにむにと抜けて――ルーダは目当ての部屋への侵入を果たしたのだった。

 絨毯敷きの部屋には、小さな寝息の音が立っている。

 やっぱりいた。今日の昼にマキアスが妙に反応していた人間のメス。クレアとか呼ばれていた。

 ルーダは触手をぬらりと蠢かした。

 これも今日学んだことだった。小柄な個体の人間が高所から落ちた時に、自分の触手を巻き付かせてやったが、どうやらこれは恥辱を与えることにも繋がるらしい。

 本当は艦内に復讐を果たしたい人間がいる。かつて自分を地下水道に落とした人間だ。恨みは消えていない。

 しかしマキアスから、艦内の人間には危害を加えるなと言われていた。

 だったらこの女ならいいだろう。こいつは群れの外の人間だ。

 ルーダは触手をぬるる~とベッドに伸ばした。

「誰ですか?」

 クレアが言った。ベッド上で身を起こした彼女は、枕元に忍ばせてあった銃を手にしている。なんと勘の鋭い女だ。だがこちらの姿は見つけられていない。

 ルーダはベッドの下に隠れていた。

 ここで退くわけないでしょ。マキアスに手を出すんじゃないわよ。着衣は透けるくらい薄手の布きれ程度。すぐにはぎ取って、触手に絡めて、ありとあらゆる方法で反撃できないほどに屈服させてやる。

 静かに這う触手がクレアに迫る。クレアは気配を敏感に感じ取って、チャキッと銃を構える。その殺気を察して、ルーダは触手の向きを変更する。そこにまたクレアが反応する。

 その不毛な膠着状態は、夜が明けるまで続いた。

 

 ●

 

 あいつは仕方ないな……と、クロはルーダのことを考えた。

 ルーダは先ほど町に出て行ってしまったのだ。止めはしたが、朝までには帰ると言って聞かなかった。

「ニャッ」

 甲板で空を眺めていたクロの横に、白い飛び猫が降り立った。彼女はシロ。クロのガールフレンドだ。

 どうしたの、月なんか眺めて。

 そう聞いてきた。

「シャー」

 すまない。俺とルーダしか乗れないらしい。なんならマキアスにもう一度掛け合ってもらって――

「ニャニャウ」

 だめよ。飛び猫族だけで100匹くらいいるんだから。さすがに無理でしょ。それにゴディとか行儀よく出来なさそうだし。

 そう言われて、クロは頭を垂れた。

「ニャフッ。ニャ……」

 大丈夫よ。あなたが呼べば、私たちはすぐに駆けつけるから。それができる位置に常に待機しておくつもり。……それにしてもあの人がマキアスなのね。驚いたわ。

「シャッ?」

「ニャニャニャン」

 なにがと問うと、シロも月を見上げて言う。

 私、子供の頃に人間の仕掛けた罠にかかったことがあるって話したわよね。助けてくれたのが人間の子供だったとも。間違いない。あの時の子供がマキアスよ。赤い街の近くの森。多分、彼の故郷の近くでもあるのでしょう?

「シャーシャ……」

 そんな偶然が。

「ニャウ、ニャニャン」

 必然かもね。彼はやっぱり私たちの宿願を叶えてくれる存在かもしれない。

 かつて一人の人間が、魔獣と呼ばれる種族に共振させた千年にも及ぶ盟約。〝白の帝”に裏切られた〝黒の王”が最後に私たちに送った思念。

「シャーッ……シャッ」

 でも簡単じゃない。約束の土地を守護するのは〝白き帝”が率いる〝六つの柱”だ。今までの〝黒の王”は誰も突破できなかったって聞いてる。

「ニャ……ニャアニャ」

 十の力を有する〝白の帝”に対抗すべく、黒の系譜は長い年月をかけて十八の技を完成させたの。それをマキアスが引き継いでくれているなら、あるいは。

 ねえ、クロ。もしも約束の地に帰ることができたら、その時は私と――

「シャ」

 そこから先は俺に言わせてくれ。

 こつんと額と額を合わせる黒と白の飛び猫。満月の光は彼らだけを照らしていた。

 

 

 ★ ★ ★

 

 




《ラインズブラック》をお付き合い下さりありがとうございます。

前回は『夢にて夢みて』だったので、本編更新はずいぶん久しぶりになりました。

今回はマキアス奮闘記がメインでしたが、オーロックス砦戦から間が空いているので、メイン、サブ含め直近で必要な進行情報をまとめています。

①レックスとベリルはケンカ中。

②ガイラーさんはアイゼンガルド連峰の谷底の川に落下。

③ロジーヌさんは意識不明の重体。

④シュミット博士は皇女サンダーで煉獄へ。ゼムリアストーンは手に入ったけど、ヴァリマールの剣は作れない。作る方法もない。

⑤スカーレットは艦内で療養中。アルフィンから騎士になるよう誘われたが、返答はしていない。

⑥まだカレイジャスに合流できていない学院生はアラン、ロギンス、テレジア、コレット、ブリジット。

⑦エリゼは依然カレル離宮で侍女勤め。リゼットの経歴を知り、彼女を〝抗う道を選ばなかったクロウ・アームブラスト”と評し、また自分とリゼットがリィンとクロウとの関係に似ているとも感じた。なおヴィータやスカーレットを除けば、クロウの過去を知っているのは現時点でエリゼのみ。

⑧マキアスは三人以上の重奏リンクとオーバーライズで何かを気付く。しかし魔獣のことで頭がいっぱいで、結局誰にも話せていない。ヴィヴィの催眠術でリィンの記憶を戻せる可能性もつかんでいるが、クレアのことで頭がいっぱいで、まだ行動に移せていない。重要なことを胸に抱えたまま、タイミングを逃し続けるミステイク眼鏡。

こんなところでしょうか。
第二部も大詰めになってきています。引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。
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