彼女はトレセン学園で誰にも期待されていなかった。
ウマ娘のくせにヒトのように走るウマ娘。誰よりも遅く、常に最下位だったことからブービーと呼ばれてきた。
中央トレセン学園になぜ入れたのか分からないほど遅かったはずの彼女は、とあるトレーナーとの出会いを機に日本の英雄と呼ばれるようになった。
『1着ゥ! ラーズグリーズ1着! 見事な末脚! 最後方から全員をぶち抜いたぁ!』
そんな彼女が、日本の誰もが夢見て何度も手折られた栄光を二度も叶えた。
両手を広げて全身で喝采を浴びる彼女の姿は、かつてブービーと呼ばれていたとはとても思えないほど堂々としていた。
「たづなよ……。やり遂げてしまったな」
「えぇ……。日本にいる誰もが願った夢を、たった1人のウマ娘が叶えてしまいましたね」
彼女たちは、誰よりも努力を続けながらも花開かなかったラーズグリーズの姿を知っている。
ウマ娘のように走れず苦しんでいた彼女の姿を。誰よりも遅い自分を誰よりも憎んでいた彼女を。そのポーカーフェイスに秘められた激情を誰よりも知っていた。
だからこそ、初めてトレーナーができた日。2人は誰よりも喜び、そして同時に不安になった。
なぜならそのトレーナーは、まだ免許をとって1年目のド新人。だが、その不安はオープン戦で吹き飛ばされた。
『早い! 早すぎる! 彼女のようなウマ娘が今までどこに隠れていたぁ!』
選んだ作戦は大逃げ。最後の博打として選ばれるはずのそれで、短距離のオープン戦を圧勝。
『圧倒的だ! ラーズグリーズ1着! 彼女に走れない距離はあるのか!?』
続けてマイルのG1、中距離のG1をそれぞれ先行、差しで勝利。
『もう間違いない! 彼女の強さは別格だ! ラーズグリーズ1着! 全ての距離のG1をあらゆる脚質で勝ちました!』
戻って短距離のG1を大逃げで勝ち、長距離を追い込みで大差勝ち。まるで別人のように成長した彼女は、これまでの周囲の評価を覆して世代最強のウマ娘と呼ばれるようになった。
まだ1年目のトレーナーである彼がどうやってここまで彼女を育てることができたのか疑問は尽きないが、実った彼女の努力の前では些細なことである。まぁ実際は——
(ステータス上げてるだけじゃ勝てないくらい教えろやぁ!)
(当たり前なんだよなぁ。ステータス上げただけの赤ん坊のハイハイと鍛えられた陸上選手の全力疾走じゃどっちが早いか明白だろ)
(仕様書くらいよこせクソ女神ィ!)
(いや〜。まさか走り方知らないとは。ごめんね)
「「ナチュラルに回線割り込んでこないでください」」
そう。このバカは、なまじステータスが見えるせいでそれを上げるだけで勝てると思い込んでしまっていたのだ。
(でもこんなに頑張って
(そこを動くなクソトレーナー。その綺麗な顔を吹っ飛ばしてやる)
(この顔面国宝を殴るとは正気か?)
宣言通りに殴りかかってくるラーズグリーズの拳を紙一重で避けるトレーナー。空を切る轟音が手加減をしていないことを如実に知らせているが、彼の表情に焦りの色はない。この程度は普段の戯れの一部なのだ。
そんなくだらない会話をして平和に過ごしている彼らと裏腹に、周囲は突如として覚醒した彼女の対策を練ることに必死になった。だが、その全ては無駄になる。
自由自在な脚質。なんだったらレース中に変えてきたりする。仮に競り合っても単純なステータスの暴力で勝つ。もはや戦うことが間違いとすらされた。
そうしているうちに、彼女とのレースを回避するウマ娘が増えてきた。これに彼らは困った。
(ま、まずい。力が……気が溢れる……)
(ブロリーかな?)
(ステータスを使いこなせるようになったせいで闘争本能が刺激された結果だね。このままだとレースを求める悲しきモンスターになってしまうよ。どうしようか子羊くん)
(……日本以外に行けばいいんじゃね?)
(それダァ!)
使いこなせるようになった力の発散先を求めて、彼らは戦場を世界へ移した。
アメリカ、イギリス、ドバイ、フランス。ターフだろうがダートだろうがどんな距離だろうが全て出走し、桁が一つずつ増えていく貯金額に恐怖しながら世界中のレース場を荒らし回った。そしてついに辿り着いた世界最高峰の舞台、世代を代表するウマ娘が集う舞台を単純なステータスの暴力だけで優勝したのがこのバカコンビである。
(で、
(どうしてだよぉぉぉぉぉ!)
とても優勝したウマ娘とは思えない慟哭が2人の回線に響いた。
(女神ぃ! どういうことだぁ!)
(いやぁ。これに関してはこっちも知らないんだけど?)
(強いて言うなら使うほどの相手がいなかったのではないか?)
(もっと強敵求めてレースしろってことじゃないの?)
まさかの3女神全員からのメッセージである。この女神たちフットワークが軽い。
(うぇぇぇ……でももう凱旋門賞は嫌だぁ)
(単純な暴で勝っといて何言ってんだろうね。こいつは)
(緊張で吐きそうになるんだよ!)
なおこの願いは翌年には無視されるものとする。
「うむ! 今日は祝杯だ! 記念すべき日本の英雄の誕生に!」
「はい。ラーズグリーズさんの記念すべき日に」
この日、中央トレセン学園は眠らない夜になった。