グラン歴 761年
ラインハルトだ。オレはくさくなどない。
イシュタル様との出会いから、はやくも半年が過ぎ去った。
衝撃の「くさい」発言はやはり誤解だったようで、わだかまりもなく、上手くやれていると思う。彼女との出会いは全部、ちゃんと覚えてる。傷つけられたこともあったけど……
それは……えーと……忘れた!
守役として側に控えることは多くなったが、相変わらずの訓練と執務の日々。
イシュタル様の、だんだんと遠慮がなくなってきた態度は嬉しいところだ。
オレがオルエンのことを語ると、向こうも興味をもってくれたようで、自分にも妹のような存在が出来たことを話してくれた。その妹のような存在とは、おそらく……。
ここ半年で、ユグドラルの事情は大きく変わった。
今、グランベルの勢力は圧倒的だ。シレジアは必死の抵抗をしたようだが、戦争というほどのものさえ起こらなかった。ユグドラシル大陸のほぼ全てがグランベルのものになるのはあっという間だった。
ヴェルダン王国やアグストリア諸公連合はとうに滅びて、今ではグランベルの直轄地となっている。イザーク王国には、ドズル公国率いるグラオリッターが侵攻を続けており、既に大勢が決したと聞く。レンスターとトラキアは、まだバチバチやりあってるんだけどね。
フリージの先遣隊は、すでにトラキアとマンスター地域との両方に接する国境付近に陣取っており、そこから両者に対してにらみをきかせている状況だ。徐々にその数を増していって機をうかがい、南北トラキアの統一が果たされようとするその時には……。
歴史通りに事が進むとしたら、レンスターはあと二年か三年ほどの運命だろう。
季節は夏の終わりを迎え、しかし、それでもオレの周囲はまだ平和だった。
フリージの城の一角、日の光が柔らかく差し込む専用の訓練場。
ラインハルトは十三歳になり、以前よりも背が伸び、肩幅も広くなって、凛とした青年騎士の趣を増していた。彼が腰に帯びた魔道書からは、静かだが底知れない雷の魔力が感じられる。
その傍らで、六歳になったばかりの妹オルエンが、自分より少し大きな練習用の魔道書を抱え、真剣な眼差しで的を見つめていた。
「いいか、オルエン。魔力は『出す』んじゃない。『流す』んだ。体の中にある雷の奔流を、指先から外の世界へ導いてやる感覚だ」
ラインハルトは優しく語りかけ、妹の小さな肩に手を添えて姿勢を正す。
イシュタルとの日々も積み重ねながら、妹の才能を伸ばすことにも余念がない。
「わかりました、お兄様!」
オルエンは大きく頷くと、短い詠唱を唱えた。
まだたどたどしいが、彼女の周囲に小さな電流が走り始める。幼いながらも、フリージの血を引く者特有の、純粋で鋭い魔力が空間に満ちていく。
ふっと息を吐き、彼女が指先を向けると、的の少し手前で「バチッ」と電撃が弾けた。
「すごい! 惜しいな、最後にもう少しだけ魔力を込めていれば、完璧に発動していたぞ」
ラインハルトは惜しみなく賞賛の言葉をかけ、オルエンの柔らかな髪を撫でた。
「えへへ、もう一回やります!」
オルエンは頬を少し紅潮させ、負けず嫌いな笑みを浮かべて再び魔道書を開く。
おてんばで活発な彼女は、訓練で泥にまみれることも厭わない。そのひたむきな姿は、ただ可愛らしいだけでなく、将来の片鱗を見せていた。
訓練場の入り口では、数人の騎士や兵たちが足を止めて、その様子を眺めていた。
「さすがはラインハルト様。妹君の指導も熱心だ」
「オルエン殿も、あの年齢でこれほどの魔力を……血筋だな」
囁き交わされる賞賛の声。
ラインハルトはそれらを耳に入れながら、表情には出さず内心で誇らしさを感じていた。
(よし、この才能なら、物語の原作通りに鍛えなくとも、必ず強力な戦力になる。オルエン自身を守るためにも、魔道の才能をのばしてやらねば。半ズボン魔道士は近いな。)
ラインハルトは、真剣に練習を続ける妹を見つめながら、穏やかな笑みを浮かべた。
運命の歯車は冷酷に回り続けているが、その中で大切な者たちを守り抜くという決意が、彼の中でより一層強固なものとなっていた。
「精がでますね、ラインハルト」
その鈴を転がすような愛らしい声に、訓練場にいた者たちの動きが止まった。
視線の先には、六歳になったイシュタル様が、付き従う侍女たちを少し離れたところに控えさせ、こちらへと歩いてきていた。
かつての「くさい」発言以来、あの発言が「ラインハルトの纏う魔力の濃厚さを表した子供なりの表現」であったとオレの中で結論づけられてからは、彼女との関係は極めて良好だ。むしろ、彼女の方からこうして声をかけてくれるのは、守役として喜びだった。
「これは、イシュタル様。……妹に魔道の手ほどきをしていたところです」
オレはオルエンの小さな肩に置いていた手を離すと、流れるような動作で膝をつき、完璧な礼を取った。隣でオルエンも慌てて魔道書を閉じ、兄の所作を真似て深々と頭を下げる。
訓練場にいた兵たちも、一斉に姿勢を正し、イシュタル様へ敬意を示す。
この場の空気が、一瞬で凛とした静謐へと切り替わる。
「ごきげんよう、イシュタル様。今、お兄様に魔法を教えてもらっていました。」
オルエンが礼の姿勢のまま、少しだけ顔を上げて元気に答える。
イシュタル様はその様子を見ると、幼い貴婦人のような優雅さで微笑む。
そして、親しみを込めた、少しくだけた態度で挨拶を返した。
「オルエンも頑張ってるのね。ごめんね、ちょっとお兄様を借りるわ。……ラインハルト、少しお話がしたいのですが、いいでしょうか?」
「喜んで」
オレは立ち上がり、イシュタル様を少し日陰のある東屋へと誘導する。
後ろでオルエンがこちらを見送る気配がした。妹は立場をわきまえて、ちゃんと待つことが出来る聞き分けの良い素晴らしい子なのだ。真の妹から、名誉妹へと意識をうつす。
半年前に初めて出会った時よりも、イシュタル様の纏う魔力の質は明らかに鋭く、そして強くなっている。それが嬉しい反面、この才能がユリウスに目をつけられる要因でもあることに、オレの心はなんとも言えない気持ちになる。
東屋の椅子に腰掛けたイシュタル様は、小さな両手を膝の上で重ね、少し改まった表情でオレを見つめた。
「ラインハルトの魔道の教え方は、とても素晴らしいわ」
イシュタル様は唇を綻ばせ、真摯な瞳でオレを見つめた。
その言葉の裏には、六歳という年齢にそぐわないほどの、自らの力に対する責任感と、守役であるオレへの信頼が隠されている。
「この半年、私の魔力は安定して、強くなったわ……。これも、あなたの指導のおかげだと感謝しています」
彼女が自らの手を見つめる。そこには、トールハンマーの継承者に相応しい、強大な魔力の奔流がかすかに揺らめいていた。
その成長は、オレにとっても望外の喜びであり、同時にこの世界の運命を書き換えるための重要な一歩だった。
しかし、彼女はそこで一度言葉を切り、少し困ったような表情を浮かべた。
「……ただ、問題もあるのです」
イシュタル様は小さな溜息をつく。
「私の魔力が上がったことが、周囲の者たちの耳に入って……。フリージの有力な魔道の家の者が、ラインハルトの指導を願い出てきたの」
「有力な魔道の家、ですか」
オレは静かに頷き、内心でその言葉の意味を精査する。
ラインハルトという、イシュタル様の守役であり、かつ若くして規格外の才能を持つ男を、自らの派閥に取り込みたいのだろうか。あるいは、ラインハルトの教導術そのものを盗み出し、自らの家の力を高めようという算段か。
「お父様にはまだ伝えていません。……あなたが、どうしたいのかを知りたかったから」
イシュタル様はオレの目をじっと見つめ、その小さな手をテーブルの上に広げた。
オレの回答を待っている。
「……その件、お役目に差し支えない範囲であれば、お引き受けいたしましょう」
オレは特に深く考える風でもなく、返事をした。
イシュタル様が話を持ってきたと言うことは、彼女にとって利のある話なのだろう。
この世はインガオホーなのだ。引き受けるのにヤブサカではない。
「私の指導をご希望されるのであれば、オルエンと一緒の指導という形になりますが……それでも構わないならばと、お伝えください」
オレの返答を聞いたイシュタル様の表情が、パッと明るくなった。それまでの重苦しい雰囲気が嘘のように消え去り、安堵に満ちたホッとした様子で、その小さな胸を撫で下ろす。
「まあ! 本当? ……それなら心配いらないわ。その、願い出てきた皆というのは……」
イシュタル様は少しおかしそうに笑うと、指を三本立てた。
「ラインハルトより年下の、女の子たちばかりなの。上は十歳、下はオルエンや私と同じ六歳の子供が全部で三人。皆、貴方の指導を熱望しているわ」
(少女ばかり、ね……)
内心で少し拍子抜けした。てっきり、大人たちが出てきてガチガチの派閥闘争に巻き込まれるのかと思っていたが、まさか少女たちのチームティーチングだったとは。
とはいえ、これもまた、オレたちの未来を変えるための重要なステップかもしれない。
「承知いたしました。ならば、若き魔道士たちの育成に励むとしましょう」
オレは喜んでイシュタル様へと返事を返す。
ふむ……最強ユニット育成計画……いいんじゃあないか……。
確保、収容、保護! 確保、収容、保護! フリージは人材の宝石箱や~!!
イシュタル様の前を辞して、訓練場へと戻る。
「さあ、オルエン! もう一度、魔法の練習を始めるぞ!」
オレは声を弾ませ、待っていたオルエンへと声をかけた。
歴史は、オレの手の中で変えていくのだ!
東屋から立ち去り、訓練場の中央へと戻っていくラインハルトの背中を、イシュタルは静かに見送っていた。
オルエンの髪を撫で、楽しそうに笑い声を上げるその姿は、いかにも若き騎士らしい活気に満ちている。
(……引き受けてもらえて、よかったわ)
イシュタルの胸には安堵の念があった。有力な魔道士の家々の要求を無下に断れば、それこそフリージ内での不和の種になりかねない。幼いイシュタルにもそれはわかっていた。
それをラインハルトは、あまりに軽く、そして快く引き受けてくれた。
だが。
(……そんなに、嬉しいのかしら?)
その晴れやかな笑顔を見ていると、ふと、胸の奥に小さな、ちくりとした痛みが走る。
ラインハルトはイシュタルの騎士だ。イシュタルのためだけに剣を振るい、魔法を教える存在だと思っていた。
それなのに、他の少女たちを指導することが、あそこまで彼を昂揚させるものなのだろうか。
(オルエンは妹だからいいけれど……)
そう自分に言い聞かせてみるが、胸のわだかまりは消えない。
彼が一番に見せるべきなのは、自分への忠誠のはずだ。なのに、他の少女たちの方に、あのような純粋な喜びを見せたように感じてしまう。
それはイシュタルにとって、まだ名前も知らない、形容しがたい感情だった。
ただ、胸が少しだけ苦しく、彼を独占したいと願うような、幼いけれど純粋な、やきもち。
「ラインハルトったら……」
イシュタルは誰にも聞こえない声で呟くと、ふう、と小さな溜息をついた。
その表情は、六歳の少女らしい、少し拗ねたような、可愛らしいものへと変わっていた。
グラン歴 770年
フリージの公女の居室は、重厚な石造りの城にあって、珍しく明るい陽光に満ちていた。
十五歳になったイシュタルは、窓辺の机で魔道書の解読に没頭していた。
かつては難解に思えた文字が、今では魔道書の魔力と共鳴し、彼女の中で静かな知識の奔流となっている。その穏やかな時間は、控えめなノックの音によってさえぎられた。
「イシュタル様、失礼いたします」
入ってきたのは、軽装の革鎧に身を包んだ、イシュタルの幼馴染である。
現在はラインハルトの部下としてフリージ城の守備についている魔道士の少女だ。
彼女は緊張した面持ちで、抱えていた小さな木箱を胸に抱いている。
ラインハルトは「独自に行動する」と言って現在は城を離れている。
何かこまごまとしたことを言っていたが、イシュタルは彼を信頼して許可を出した。
彼がフリージの利益、あるいはイシュタルの安全のために様々な情報収集を続けていることは知っている。彼が不在の間に自身の身を守る役目を、共に学んだ幼馴染の彼女に託していったことも理解していた。
「どうしたの? そんなに固くなって」
イシュタルはペンを置き、柔らかな微笑を浮かべて少女を促した。
「あ、はい。……その、ユリウス様からお預かりいたしました」
少女は木箱をテーブルの上にそっと置く。
蓋を開けると、そこにはまだ朝露を湛えた、鮮やかな青い花が敷き詰められていた。
ユリウスが好んで使う、静かな魔力を秘めた特殊な花だ。
木箱の隅には、つたない字で「イシュタル」と書かれたメモが添えられていた。
それを見た瞬間、イシュタルの胸が熱いもので満たされる。
今のユリウスは九歳。幼い彼は、皇子とは思えないほどに優しく、無邪気で、純真そのものの心を持っている。彼がイシュタルのために花を摘み、部下に託して届けさせたという事実が、彼女の心に深い安らぎをもたらした。
ラインハルトは、ユリウスの心根がいつか歪んでしまうのではないかと危惧していたが、この純粋な心づかいは、イシュタルにとって何よりも尊いものに思えた。
「ありがとう。ユリウス様は、お元気だった?」
「はい。とても……お優しい方でした」
少女はほっとしたように息を吐き、ラインハルトとはまた違う、イシュタルに対する純粋な忠誠の微笑を返す。
イシュタルは箱の中の花を一輪手に取り、鼻を近づけた。
冷たい雷の魔力とは真逆の、甘く優しい花の香りがする。
彼女の表情は、十五歳の少女らしい、無防備で幸せな綻びを見せていた。
この純真なユリウスの心を、この優しい世界を、守り抜きたい。
彼女は青い花をそっと握りしめ、今はただ、この胸の温かさだけを感じていたいと思った。
ユリウスからの青い花の香りに包まれながら、ふと、懐かしい記憶の扉が開いた。
それはまだ五歳だった頃、初めてラインハルトと対峙した日の記憶。
幼い自分が、彼に向かって無邪気に「くさい」と言い放ち、周囲を凍りつかせたあの滑稽で、けれど温かい一日のこと。
「……ふふ」
思わず零れた笑みに、木箱を抱えて立っていた少女が不思議そうな顔をする。
「どうされたのですか、イシュタル様」
「いいえ、少し昔のことを思い出していたの。ラインハルトと初めて会った日のこと」
イシュタルは窓の外、ラインハルトが去っていった方角へと目を向けながら、静かに語り始めた。
「あの時、私……ラインハルトに『とってもくさい』と言ったのよ。侍女たちが恋人同士で言い合っていたのを真似してね」
「えっ……ラインハルト様にですか!?」
少女が目を丸くし、驚きに声を上げた。今の冷静沈着なフリージの騎士団長に対して、そんな幼い悪戯のような言葉が放たれたとは想像もつかないようだった。
「ええ。当時の教育係は卒倒しそうになっていたわ。ラインハルト自身も、相当戸惑っていたみたいだけれど……」
あの日のことをイシュタルは思い出す。
当時のイシュタルが城内を散策しているときに耳にした言葉。
洗濯場に近い回廊を通りかかったとき、若い侍女たちが顔を寄せ合い、頬を赤らめて熱心に話し込んでいたのだ。
『……もう、あの人ったら本当に「クサい」のよ』 『まあ、お幸せね。それだけ想われている証拠じゃない』
その言葉を口にした侍女は、困ったように眉を下げながらも、これ以上ないほど幸せそうに微笑んでいた。周囲の者たちも笑いながら、温かな祝福の眼差しを向けていた。
幼いイシュタルにとって、「くさい」という言葉の意味は正確には分からなかった。
けれど、それが「親愛」や「特別な絆」を証明する、魔法のような響きを持って響いたのは確かだったのだ。
自分も、この目の前の少年に、あの侍女たちのような特別な親しみを示したい。
そう純粋に願ったイシュタルが、満面の笑みでその言葉を贈ったのが事の顛末だった。
イシュタルは花の匂いをもう一度深く吸い込み、記憶の中の少年の困惑した表情を思い浮かべて、優しく目を細める。
「でも、ラインハルトは『そのくささに磨きをかける』と言ってくれたの。その言葉が、何よりも嬉しかったのよ」
それが当時の彼女にとっての最高の親愛の証であり、彼を自分の「騎士」として信頼した始まりだった。少女は、イシュタルの穏やかな表情を見て、その言葉の裏にある深い信頼を感じ取ったようだった。
「……実はラインハルトには、なぜあの時『くさい』と言ったのか、本当の理由は伝えていないの」
イシュタルは少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
ラインハルトは、イシュタルが侍女たちの会話から「くさい」=「素敵な人」という誤解をしていたことに気づいていたのかもしれない。けれど、あえてそれを正さず、その言葉を受け入れた。その優しさを、十五歳になった今の彼女は理解している。
「いつか、聞いてみようかしら。『あの時、なんで驚いたの?』って」
イシュタルは青い花を優しく机の上に置き、ラインハルトの部下である少女に向き直った。
「その時は、あなたも一緒に笑ってくれるでしょう?」
少女は一瞬呆然とした後、晴れやかな笑顔で頷いた。
イシュタルと少女が会話を続ける声が、部屋の中で華やかに響いている。
部屋にはまだ、あの頃の冷たい鉄の匂いと、今は優しい花の香りが、奇妙に混ざり合って漂っていた。
みんな大好きイシュタルちゃん。過激派は許して。
年齢差をラインハルトにからかわれて、フーリジの血脈が覚醒。
本来持っていなかった怒りのスキルを獲得する。
待ち伏せ+怒りの同時発動がある聖戦仕様でトールハンマーが飛んでくる。
なんてものを生み出してしまったのだ……いったいどういうことなのだ……!?
おまけにカリスマもつけとこか。