――マティアスは、クラウスと一緒に行くことになった。
魔法省では「一人で行く」のが規則らしいが、どうしてもクラウスが譲らない。
結局二人が折れ、クラウスの同行を許可したのだ。
家の前に停まっていたのは、どこからどう見てもオンボロの
外の塗装は剥げ、錆が浮き、どっからどう見ても廃車寸前である。
同じクラウスのトラバントと並べても、クラウスのほうがまだましに見えた。
「……我々の車より、よほど新しく見えますね」シュミットが苦笑した。
ミュラーがキーを取り出し、ドアロックを開ける。
恐る恐る中を覗くと――驚くべき光景が、そこには広がっていた。
ソファはふかふかの白色で、アームレストは木目がついた茶色。
クラウスがかがむぐらいだった天井は、マティアスが中で背伸びできるぐらい高い。
「――これが魔法か」クラウスが呟いた。
「俺の車も、これぐらいほしいもんだ……」
「無理ですね。魔法工学の知識が必要です」ミュラーが苦笑した。
話を終え、早速車に乗り込んだ。
ミュラーがキーを回すと、ガタガタいうくせに音もなく滑り出す。
助手席のシュミットが、ダッシュボードの水晶玉をぽんと叩いた。
「ツィーゲル横丁まで頼みます、ヴェーゲフェー」
球の中に小さな羽影が揺らぎ、甲高い声が響いた。
「――了解。でも今日は気分がいいから、湖を見に行こうよ!」
「寄り道はだめだ、ヴェーゲフェー」ミュラーが苦笑する。
「ぶー……つまんないの」光がしゅんと曇った。
マティアスは目を輝かせる。
「――これ、何?」
「これは
「ほしい!」
マティアスの頼み事に、シュミットが即座に答えた。
「――これは魔力がないと動きません。魔力注入は大人になってからですよ」
「えー!」
マティアスがソファに沈み込むと、妖精がケラケラと笑った。
「まあでも、そんな便利とは言えないな」ミュラーが苦笑した。
「なんで?」
「――こいつ、結構拗ねるんだよ。前なんか、一週間も口を利かなかったんだぞ?」
クラウスは苦い顔をしていたが、息子のはしゃぎぶりを見て、やはり口を閉ざした。
▽ ▽ ▽
ドレスデンまでは、家から車で1時間ほど。
マティアスも一度だけ行ったことがあるけど、それももう5歳ぐらいの話。
今となっては、もう遠い記憶だ。
車が市街地に入ると、マティアスの目は窓に釘付けになった。
灰色の石造りの建物は、幼い頃に見たまま。
だがその間に、赤や黄色の鮮やかな看板が並んでいる。
「……なに、あれ」
指差した先には、黄色い大きな「M」の文字。
ヴェーゲフェーが言った。
「あれはマクドナルド! 西から来た、食べ物の店よ」
「まく……どなるど?」
マティアスは首を傾げる。
「ハンバーガーを売ってるんです」シュミットが補足した。
「はん……バーガー?」
「パンに肉を挟んで食べる、簡単な料理です」
「パンに……肉?」
マティアスの目がさらに丸くなる。
クラウスが鼻を鳴らした。
「くだらんジャンクフードだ」
それでもマティアスは、その看板から目を離せなかった。
▽ ▽ ▽
車はしばらく通りを走り、少しそれた道に入り――脇道で、ぴたっと止まった。
ミュラーがエンジンを止め、キーを鍵穴から抜く。
「――さあ、降りますよ」シュミットが言った。
「……なんで?」
マティアスには、ここで降りる理由がピンとこなかった。
なにせここはただの裏通り。
灰色の家屋と店が数件あるだけで、その先に広がっているはずの魔法界の景色さえ見えない。
ヴェーゲフェーが答えた。
「――ツィーゲル横丁には駐車場がないの! だからみんな歩くか路駐!」
「――駐禁取られるだろ」クラウスが尋ねた。
「大丈夫――留守番がいるからな」
ミュラーがそう言って、水晶玉をポンポンと叩いた。
「ヴェーゲフェー、留守番を頼む」
「ふんっ、また私に頼るのね? ――まあ、いいけど」
妖精が鼻を鳴らすと、ダッシュボードの上に分厚い紙が現れた。
深緑の紙に金の鷲章――どうやら、許可証のようである。
「――こういうのは、やっぱり妖精に限るな」ミュラーが言った。
▽ ▽ ▽
しばらく歩いて行くと、一つの酒場が見えてきた。
「『
そう言われても、マティアスには意味がわからなかった。
なにせそこはただの酒場なのだ。
荘厳なゲートもなければ、杖や魔導書を売る店もない。
マティアスが考えるうちに、シュミットが店の中に入る。
クラウスに肩をポンポンと叩かれ、マティアスも中に入った。
店の中には、もう何人かの客がいた。
タバコをふかしてたり、朝っぱらからビールを飲んだりしていて、店主らしき人と話している人もいる。
どこにでもある酒場、どこにでもある日常だった。
「やぁ、ミュラーさん――今日もブロッケンですかい?」
店主らしき人が、こちらに話しかけてきた。
かなりの老齢で、「空襲を生き延びた」と言われてもおかしくない風貌である。
店主はミュラーに目を向けながら、器用にグラスを拭いていた。
「ええ、そうです」シュミットが答えた。
「そうかい、そうかい――いやはや、いい時代になりましたわ」店主は続ける。
「
「おい、またその話か?」ミュラーが言った。
「いやいや、考えてみろよ」すぐそばの客が割り込んだ。
「親父はツィーゲル横丁の魔法使いを、30年も守ってきたんだぜ? お前みたいな西の役人とは、格が違うんだよ」
「まあまあ」
シュミットが客をなだめる間に、ミュラーが言った。
「私達は先に行く。ゲート前で待ち合わせだ」
▽ ▽ ▽
マティアスとクラウスは、ミュラーに連れられて店の奥へと向かった。
店の奥には、ボロっちい木の扉があった。
開けても物置があるだけで、魔法の商店街はどこにも見えない。
「――ツィーゲル横丁は、もともと闇市だったんだ」
ミュラーの発言に、クラウスがうなった。
「そんなところに、息子を行かせるわけには――」
「闇市とはいえど、今は真っ当な市場です。それに闇市だった理由も、魔法シュタージから逃れるためですよ」
クラウスは黙った。
その間に、ミュラーは杖を取り出す。
折りたたみを解除し、扉の角をコツコツと叩く。
「見ててください」
ミュラーが最後にドアノブを叩くと、扉の先から光が漏れ出た。
「開けてください」
マティアスがドアを開けると、そこには石畳の通りが広がっていた。
両脇は店で埋まり、一本道の通りになっている。
――さっきまでただの物置だったそこは、魔法の通りになっていた。
「――ツィーゲル横丁へようこそ」
ミュラーは困惑とした表情のマティアスを見て、にっこりと笑った。
【あとがき】
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