いるかちゃんが忙しくなる前にデートをする事になった。こっから先はシーズンが本格的に始まるので今までのようにはいられない。多分いるかちゃんと触れ合える機会は著しく少なくなるだろう。なのでその前に長く一緒にいようという趣旨のデートである。これは毎年企画されている定番行事でもう5年目ぐらいになる。
名古屋駅の金時計で落ち合うことになっているので集合時間より早めに到着しておく。多くの人が集合場所に設定している金時計は平日であるにも関わらず多くの人で賑わっている。ただ休日に比べたらよっぽどマシなので平日に行くことにして良かったなと思う。
『もうすぐ着く』
『了解、ゆっくりで良いからね~』
通知が来たのでメッセージアプリを確認すると連絡が来ていた。このタイミングで連絡をくれたなら予定してた時間より大分余裕を持てそうで心に余裕ができる。いるかちゃんどんな服着て来るのかなと楽しみに待っていると見知らぬ女性に声をかけられる。
「あの、斯波沙地選手ですか」
「そうですけど」
突然話しかけられて引退したのに思わず選手であることを肯定してしまう。俺程度の選手なんて一年もあれば忘れられてしまうと考えていたが覚えていてくれた人もいるらしい。
「やっぱりそうですよね!!二年前の親善試合を観たときからのファンで最近全く情報が無かったので怪我でもされたのかと思ってました」
「そうなんですね。応援してもらってたのに申し訳無いんですけど実は俺既に引退していてもうサッカーはしてないんです。期待に添えずすみません」
「そうだったんですね」
悲しそうな表情を浮かべているのを見ると少し申し訳ないという気持ちになるが仕方のないことなので選手としての俺は諦めてもらうしかない。でもこうして引退した後もファンだって言ってもらえるのは案外嬉しい。人の心に残るプレーが出来たんだなって実感できるのが良い。
「あのもし良かったら連絡先交換してもらえませんか?」
緊張した面持ちでそう告げてくれた目の前の子に一瞬冷たい目を送ってしまう。久しぶりだから完全に油断していた。現役時代も偶に居たんだよなファンを騙った恋愛厨、そんな事するなら素直にナンパしてくれた方が印象良いのに。個人的な価値観だから押し付ける気は無いけど個人的に印象が悪くなるだけだ。もうパッパと断ってもうすぐ来るいるかちゃんと合流しよう。
「ごめんなさい連絡先の交換等はファンの方とはしないようにしているんです。」
「それでも私ずっと斯波くんのこと探してたんです。簡単には諦めたく無いんです」
「そうなんですね、けど俺はあなたに興味ないんですよね」
「それでもお願いします!!」
周りの人でもしっかり聞き取れるぐらい大きな声でそういう女、彼女には自分がどのように写っているのだろうか。ヒロインとかにでも見えているのかな、まぁ他人なので気持ちを推し量ることはできない。
「いい加減迷惑なんで諦めて下さい」
「そこをお願いします!連絡先だけでいいんです!連絡はしないですから。ホント1年間ずっと探してたんです」
そんな会話にならない言い合いを続ける。周りの人からの注目を集めているが助けてくれそうな気配は無い。いい加減長いし走って逃げようと決心する。
「あ、ちょっと待って!」
「うるさいババア!マジで迷惑だからついてくんな」
考えておいた捨てゼリフを吐いて走り出す。驚いた女も走ってついてくるが流石に地力が違うので少ししたら簡単にまけた。
『着いたけどサチが見当たらないんだけど』
『今走って逃げてる』
『どういう状況?』
金時計に戻ると再び女に遭遇してしまう可能性があるので連絡して別の場所で合流する事にした。
「有名人ってこんな感じなのかな」
「走って逃げるって相手はどんなバケモンだよ」
無事にいるかちゃんと合流してから事の顛末を話した。話を聞いてもあまり女のイメージ出来ないのか首を傾げている。見た目に限った話をするならどこにでもいそうな人だったしきっと普段は社会に紛れているのだろう。
少しあがっていた息も落ち着いたのでいるかちゃんの姿を改めて見る。いつもはパンツが多いいるかちゃんだが今日はロングスカートを着ていて全体的にいつもと違った印象を受ける。いつも出している耳のピアスを隠してるのも清楚感を出してるのか。さながらどこかのご令嬢の様。長く語ったが結局何が言いたいかと言うといつもとのギャップがあって凄い可愛いという事だ。
「なんかこういつもとのギャップでやばいメッチャ可愛い」
「おい普段の語彙力どこにやった」
話してみるといつものいるかちゃんで安心する。いるかちゃんは自分の可愛さを自覚してないんじゃないかと思う。俺を変な奴みたいに言うけどいるかちゃんと同年代にこのギャップを見せたら男だけでなく女も好きになってしまうだろう。
「今日は19時までに帰るって約束してるんだから呆けてないで早く行こ」
「門限のこと完全に忘れてた」
門限が19時というのは五里邸で夕食を食べることになっているからだ。以前何も言わずに遅くにいるかちゃんを返したら凄い怒られて結果としてこうなった。反省はしてます。ただそうなると意外と一緒にいられる時間は短い。こんな駅の隅っこで話している場合ではない。
「では今日一日エスコートさせてくださいお姫様」
「私そんなキャラじゃ無いんだけど」
差し出した俺の手をいるかちゃんがとり手を繋ぐ。握られた手を意識すると幸福感を感じるが手汗をかきそうなので一旦意識を逸らす。今日の目的はお買い物なので百貨店まで歩く。少し距離はあるが苦になるほど遠くでも無いので散歩感覚だ。
「あそこのビル前まで気に入ってた服屋があったんだけど最近閉店しちゃったんだよね」
「あのビルご飯を食べる時ぐらいしか行かないな。何てお店?知ってるかも」
百貨店までの道を通って見れる景色は別にいつも見る名古屋と変わらないがいるかちゃんと話ながら歩くと不思議と新鮮さを感じる。きっと自分と違った視点を持っているからだろうが価値観を共有できてそうないるかちゃんとでも見え方に違いがあるんだなと思う。
「百貨店ってさ何かババアっぽいよね」
「うーんイメージの問題なのかなぁ」
目的の百貨店に入ってすぐいるかちゃんが小声で言う。実際はそんなこと無いんだろうけど年配向けというイメージを持つのは理解できる。子供の頃に大人が行くイオンみたいな印象を持っていたからかな?今度輝也くんとご飯に行くし話のネタにしよう。
「今日は何でも選んでくれていいよ。多分高い時計ぐらいまでならいける」
「そういう際限が無い所が誠二先生に怒られてるんでしょ。お願いするのも化粧品だから」
いるかちゃんはそう言って俺の手を引き迷わず百貨店の中を進んでいく。今日は俺がエスコートするつもりだったのに気づいたら逆転している。連れてこられたのは言っていた通り化粧品売り場だ、いくつかブランドが並んでいるがいるかちゃんには目当てのブランドがあるらしい。迷わず店員さんに声をかけている。
いるかちゃんは店員さんと話し合いながら商品を選んでいる。そうなると一人残されるわけで少しの間孤独を感じることになる。さっきまで二人で仲良くしてたので余計にそう感じる。世の男たちはこの時間何をしているのだろう?慣れてそうだしこれも今度輝也くんに聞こう。
「ねぇサチこの色どう?」
なんとなくいるかちゃんを見ていると口紅をした彼女にどうかと聞かれる。清楚感のある服装にしては凄い色っぽい口紅をしていて大人っぽい印象を受ける。きっと普段のラフな格好にも似合うだろうな。
「凄い似合ってる。なんか大人っぽい」
「だよね。もうちょっと派手でも良いかな〜」
そうして再び色を選びに戻っていった。何回も試すのは店員さん大変じゃないか?と思ったが結構ノリノリで提案しているように見えるし大丈夫なのかな。平日の昼間で人も少なめだし暇なんだろうか。その後も何種類か試していたけれど結局最初の色に落ち着いた。値段は想像してたより安くホントにコレで良いのかと聞いたら背中を叩かれた。すみません自重します。
「ありがと」
「いるかちゃんが満足なら良いよ。ただ不完全燃焼」
「買って貰えるだけでも嬉しいんだから自重して」
店員さんから商品を受け取り一緒にウィンドウショッピングをする。似合いそうな服を見る度に買ってあげたい気持ちになるがこれ以上買ったら気を使わせてしいそうで嫌なので自重しろと自分に言い聞かせた。
この後は俺の普段着を買ったりいるかちゃんの五里夫妻へのプレゼント選びを手伝ったりした。あっという間に過ぎてしまった時間は名残惜しいが確実に思い出の一つとなったので良しとしたい。このデートのあとは五里邸で夕食を頂いた。
「沙地くんやっと自制出来るようになったんだね」
その時に今日の話をしたら誠二先生の奥さんである泰子さんにこう言われた。隣に座る誠二先生も首を縦に振って同意している。2人の浮かべる笑みに自分にどんなイメージが付いているのか聞きたくなる夕食だった。あ、いるかちゃん昼食で鰻とか高いものを頼もうとしたこと言わないで怒られちゃうから!