酒呑童子の退屈   作:まったり愛好家

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今回もかなり力を入れて描きました。


第二話 占いとの遭遇

 私は、昨日ぶりに人里へと足を運んでいた。

 

 昨日も歩いた道だというのに、今日の空気はどこか違って感じられる。

 朝と昼の境目、里はほどよく賑わいながらも、どこか気の抜けた穏やかさに包まれていた。

 

 昨日の店――あのフライドポテトとビールを出す、外の世界の匂いがする店。

 そこへ向かっているのだろうかと思うかもしれないが、今日は違う。

 

 ああいう楽しみというのは、時々味わうからこそいいのだ。

 頻繁に通ってしまえば、感動は薄れ、ありがたみも失せる。

 

 ――慣れてしまっては、勿体ない。

 

 だから今日は、あの店の前を通りかかっても、きっと暖簾をくぐらない。

 そう心に決めて、私は人里の通りを歩いていた。

 

 とはいえ、暇なものは暇だ。

 やることがあるわけでもなく、目的があるわけでもない。

 

 結局、今日も今日とて、人里をぶらついている。

 理由はそれだけだ。

 

「さて……どうしようかね」

 

 私は独りごちた。

 

 昨日は食事をした。

 今日は、何か別のことをしてみたい。

 

 そう思いながら、昨日とは違う道へと足を向ける。

 細い通りに入ると、景色はがらりと変わった。

 

 人形劇の一座が、小さな舞台を組み立てている。

 紙芝居屋が、子供たちを集めて声を張り上げている。

 飴売り、玩具売り、手品師まがいの男。

 

 それぞれが、それぞれの生き方で、人里の隅を賑わせていた。

 

 だが――

 

「……うーん」

 

 私は、どれもいまひとつ食指が動かなかった。

 

 面白くないわけじゃない。

 だが、今の気分とは、どこか噛み合わない。

 

 人形劇は少し子供向けすぎる。

 紙芝居は、話の先が見えてしまう。

 手品は、種があると分かってしまえば、どうにも白ける。

 

「なんか、違うんだよなぁ……」

 

 私は顎に手を当て、歩きながらぼんやりと考える。

 

 何かこう、いい感じにお手軽で。

 なおかつ、ある程度は面白くて。

 それでいて、深く考えずに済むもの。

 

 そんな都合のいい娯楽が、そう簡単に転がっているはずもないのだが。

 

 私は、道の両脇をちらちらと見回しながら歩いた。

 店先、屋台、人の流れ。

 期待と落胆を、何度も繰り返す。

 

 そのときだった。

 

「そこの方、少し宜しいですかな?」

 

 背後から、落ち着いた男の声がかかった。

 

 私は足を止め、振り返る。

 

 そこに立っていたのは、一人の男だった。

 

 背丈は中くらい。

 肩幅も広すぎず、狭すぎず。

 顔つきは四角めで、鼻が高く、彫りが深い。

 

 全体的におとなしい顔立ちだが、どこか胡散臭さが滲んでいる。

 目が、妙に人を観察する目だ。

 

 緑色の袈裟を身にまとい、下は質素な着物。

 いかにも庶民、といった風体だ。

 

「なんだい?」

 

 私は、警戒を隠さずに言った。

 

「わたしに用か?」

 

「ええ。いえね」

 

 男は、にこりともせず、しかし敵意も見せずに続ける。

 

「さっきから、あなたが里を歩いている様子を拝見していたのですが……どうにも、楽しそうではない」

 

 私は、片眉を上げた。

 

「人の顔を観察するとは、趣味が悪いね」

 

「これは失礼」

 

 男は軽く頭を下げる。

 

「ですが、あちらを見ては首を振り、こちらを見ては溜息をつく。

 そういった様子を何度も繰り返しておられましたので」

 

 観察されていた、と気づき、少しだけ居心地が悪くなる。

 

「何か、悩み事でもあるのではないかと思いまして」

 

「悩み事、ねぇ……」

 

 私は、少し考える素振りを見せた。

 

「あるにはあるが、だからどうしたっていうんだ?」

 

「いえいえ」

 

 男は、両手を軽く振る。

 

「無理に聞き出そうというわけではありません。ただ、もしよろしければ、わたしが力になれるかもしれない、と思いまして」

 

「力?」

 

 私が訝しげに見ると、男は、待ってましたと言わんばかりに言った。

 

「ええ。実はわたし、占いを生業にしておりまして」

 

「占い?」

 

 思わず、鼻で笑ってしまう。

 

「占いっていったら、手相を見たり、干支を聞いたりして、未来を当てるっていう……あの、胡散臭い商売かい?」

 

 男は、少しだけ苦笑した。

 

「おお、まあ……否定はしません。

 しかし、ずいぶんと占いに当たりが強いですね」

 

「別に、過去に嫌な目にあったわけじゃあないんだが」

 

 私は腕を組む。

 

「どうにも気に入らなくてな。

 占いってのは、大抵、巫女のお告げや神の予言とは違って、霊力も神力もない人間がやってるイメージがある」

 

 男は、黙って聞いている。

 

「だから、信じる気になれない。

 胡散臭い、としか思えないんだ」

 

 言い切ると、男は少し目を細めた。

 

「胡散臭い、というのは……よく言われます」

 

 男は、穏やかな声で言った。

 

「ですが、占いとは必ずしも『こうなる』と断言するものではありません。

 あくまで、信じるかどうかは、その人次第」

 

「信じなくてもいいって?」

 

 私は首を傾げる。

 

「それじゃあ、占っている意味があるのかねぇ?」

 

「そこも含めて、占いなのです」

 

 男は、静かに言った。

 

「占いは、予知や予言とは違い、具体的な未来を提示するものではありません。

 あくまで、助言に留まる」

 

 私は、黙って聞く。

 

「助言を信じるかどうかは、本人次第。

 占いもまた、同じなのです」

 

「……ふーん」

 

 私は、顎をさすった。

 

 妙に理屈は通っている。

 それが余計に、胡散臭さを増している気もするが。

 

「その助言とやらは、一体いくらかかるんだい?」

 

 少しの興味が、勝ってしまった。

 

「わたしの場合は」

 

 男は、指を一本立てた。

 

「一回、七十文になります」

 

「七十文……」

 

 私は、周囲の里の喧騒を感じながら、考えた。

 

 暇つぶしには、ちょうどいい。

 胡散臭いのも、まあ一興だ。

 

「……一回、やってみようか」

 

 そう言うと、男の目が、わずかに輝いた。

 

「ありがとうございます」

 

 男は、深く頭を下げる。

 

「では、わたしの店までご案内しましょう」

 

 男は踵を返し、道を歩き出した。

 

 私は、その後ろについていく。

 

 少し行った先、通りから外れた場所に、小さな店があった。

 

 看板は控えめで、派手さはない。

 だが、妙に目を引く、不思議な店だった。

 

 男は、戸を開ける。

 

「どうぞ」

 

 そう言って、店の中へと入っていった。

 

 私は、一瞬だけ立ち止まり――

 そして、その後に続いた。

 

 最初に感じたのは、鉄の匂いだった。

 

 戸をくぐった瞬間、鼻の奥にじん、と重たい感覚が走る。

 血の匂いに似ているが、それよりも乾いていて、冷たい。

 

 建物に打ち込まれている釘が、長い年月のあいだ錆びたまま放置されているのか。

 あるいは、錆びた金具や古い道具がどこかに積まれているのか。

 

 いずれにせよ、鼻につく、はっきりとした鉄の匂いだった。

 

 人里の店にしては、妙に湿り気のある空気。

 陽の光も弱く、障子越しに入る光は白く濁っている。

 

「さあさあ、こちらへ」

 

 男の声に促され、私は靴を脱ぎ、座敷へと上がった。

 

 畳は年季が入っているが、手入れはされているらしく、踏んだ感触はしっかりとしている。

 男は、座敷の中央に置かれた座椅子を指し示した。

 

「どうぞ、楽な姿勢で」

 

「……ああ」

 

 私は腰を下ろした。

 

 座椅子は低く、少し背もたれが反っている。

 体を預けると、自然と視線が男の胸元あたりに向く高さだ。

 

 男は私が座ったのを確認すると、軽く一礼し、奥へと引っ込んでいった。

 

 襖の向こうで、木箱を扱うような音がする。

 コト、コト、と乾いた音。

 

 私はその間、室内を見回した。

 

 飾り気はほとんどない。

 壁に掛けられた古い紙札が数枚。

 意味の分からない図形や文字が描かれている。

 

 そして、やはり匂いだ。

 鉄の匂いが、薄く、しかし確かに、この部屋全体に染みついている。

 

 やがて、男が戻ってきた。

 

 両手に抱えているのは、黒塗りの箱。

 年季は入っているが、傷は少なく、丁寧に扱われてきたことがわかる。

 

「お待たせしました」

 

 男はそう言って、箱を座卓の上に置いた。

 

 箱の蓋を開けると、中から現れたのは、色鮮やかな札だった。

 

「これは……花札、かい?」

 

 思わず声に出る。

 

「ええ、そうです」

 

 男は頷いた。

 

「賭博に使われる、あの花札でございます」

 

「占いに、花札?」

 

 私は、少し意外そうに眉を上げた。

 

「はい。わたしの占いは、手相でも干支でも顔相でもありません。この花札を用いるんです」

 

 男はそう言いながら、札を一枚ずつ、丁寧に並べていく。

 

 その動きに、無駄がない。

 まるで、長年繰り返してきた儀式のようだ。

 

 そして気づく。

 

 この花札――やけに綺麗だ。

 

 角は揃い、色も鮮やか。

 汚れも、折れもない。

 

 この店の雰囲気には、正直言って似つかわしくない。

 むしろ、どこか高級さすら感じさせる。

 

「ずいぶん、立派な花札だね」

 

「ありがとうございます」

 

 男は微笑む。

 

「これは、長く使っておりますが、大切にしているものですから」

 

 男は札をすべて揃えると、一度、手を止めた。

 

「さて」

 

 そう前置きしてから、私を見る。

 

「早速、占いを始めたいところですが、その前に一つ、お聞きしたいことがございます」

 

「なんだい?」

 

「お客様が、占ってほしいことは何でしょう?」

 

 男は、柔らかい声で言った。

 

「大まかで構いません。具体的でなくとも結構です」

 

 私は、少し考えた。

 

 占い、か。

 未来を知りたいわけでも、運勢を気にしているわけでもない。

 

 だが、せっかくここまで来たのだ。

 

「そうだねぇ……」

 

 私は、麦傘の縁に手をやり、ツノが見えない位置を意識しながら腕を動かす。

 

「わたしは最近、どうにも暇を持て余していてね」

 

 男は、静かに頷く。

 

「昔みたいに、活気のある揉め事だとか、戦だの、謀反だの……そういうものが、最近はめっきりなくなってしまった」

 

 言葉にしながら、少しだけ懐かしさが滲む。

 

「だから、何かこう……わたしの気を紛らわせてくれるものを探しているんだ」

 

 私は、正直に続けた。

 

「いってしまえば、暇つぶしがしたい。それだけだよ」

 

 男は、少し目を丸くした。

 

「ほう……」

 

 そして、苦笑する。

 

「揉め事、戦、謀反がなくて暇、ですか。

 随分と活力がおありのようで」

 

「普通は、望まないかい?」

 

「ええ、まあ」

 

 男は肩をすくめた。

 

「大抵の方は、平穏を望みます。

 ですが、それが退屈になる方も、確かにおられますな」

 

 男は、札を手に取り、混ぜ始めた。

 

「人それぞれ、です。

 それが悪いとは、わたしは思いませんよ」

 

 札が、シャラシャラと音を立てる。

 

「では」

 

 男は札を混ぜ終えると、それらをすべて裏向きにし、扇状に並べた。

 

「この中から、どれか一枚を選んでください」

 

「それで?」

 

「あなたの現状が、どうなっているのかを見てみます」

 

 私は、少しだけ迷ったが、深く考えるのも馬鹿らしい。

 

 適当に、一枚。

 

 指先で札をつまみ、引き寄せた。

 

「……出てきたのは」

 

 男は札を表にする。

 

「桜の赤短ですね」

 

 鮮やかな赤。

 桜の絵柄が、目に入る。

 

「非常に、いいですよ」

 

「いい、ねぇ」

 

 私は、半信半疑で言った。

 

 男は、札を卓上に置き、解説を始める。

 

「今、引いていただいた札は、あなたの現状を示すものです」

 

 男は、札を指で軽く叩く。

 

「この札の意味は、三つ。

 純潔、気まぐれ、そして非常にいい*1

 

「ずいぶん、抽象的だな」

 

「ええ」

 

 男は頷いた。

 

「この場合、純潔は外します」

 

「なんで?」

 

「あなたからは、そういった印象を受けませんので」

 

 私は、思わず鼻で笑った。

 

「率直だね」

 

「占い師ですから」

 

 男は、淡々と続ける。

 

「残るは、気まぐれと非常にいい。

 これが、あなたの現状を表しています」

 

「気まぐれ、ねぇ……」

 

 私は、腕を組む。

 

「どういう意味だい?」

 

「気まぐれ、というのは、あなた自身です」

 

 男は、私を真っ直ぐに見た。

 

「あれやこれやと決められず、良さそうなものが見つかっても、すぐに飽きて離れてしまう」

 

 少し、胸がちくりとする。

 

「今のあなたは、何か暇を潰せるものを求めています。

 ですが、それに人生を賭けるほどの情熱はない」

 

 男は、淡々と語る。

 

「気軽に楽しめて、気軽に離れられる。

 そういうものを、無意識に探している」

 

「……確かに、そうだな」

 

 私は、苦笑した。

 

「別に、現状が変わるほどの何かを求めているわけじゃない」

 

「ええ」

 

 男は頷く。

 

「そして、もう一つ。非常にいい」

 

 男は、札を軽く撫でた。

 

「これは、解釈の幅が広い意味ですが……

 現状を示す札に出ている、という点が重要です」

 

「どういうことだ?」

 

「つまり」

 

 男は、少し声を落とす。

 

「あなたはすでに、問題を解決しかかっている」

 

 私は、目を細めた。

 

「自覚は、ありませんか?」

 

 その言葉で、脳裏に浮かんだのは――

 昨日の、フライドポテト専門店。

 

 油の匂い。

 塩の味。

 ビールの苦味。

 

 あれは、確かに、悪くなかった。

 

「あなたが気づいていないだけで」

 

 男は続ける。

 

「問題を解決する糸口は、すでに掴んでいるのです」

 

「……なるほどね」

 

 私は、小さく息を吐いた。

 

「まとめますと」

 

 男は、札を整えながら言った。

 

「あなたは今、様々な角度から暇つぶしの種を探しています」

 

 札が、卓の上で揃えられる。

 

「重いものではなく、気軽に楽しめるもの。

 そして、あなたにとって最適な何かの糸口は、すでに手中にある」

 

 男は、そこで一度、言葉を切った。

 

 静寂。

 

 私は、頭の中で、今聞いたことを反芻する。

 

 思い当たる節が、ありすぎる。

 

「……思ってたより、ちゃんと言ってくれるんだな」

 

 私は、正直に言った。

 

「もっと、こう……曖昧な言い方をするもんだと思ってた」

 

 男は、微かに口角を上げた。

 

「占い師が、自分の占いに疑いを持つことはありませんので」

 

 そう言って、男は再び花札を手に取った。

 

 そして、また私の前に、静かに札を並べ始めた。

 

「次に引いていただくのが――」

 

男は、並べられた花札の上に、ゆっくりと指を滑らせた。

 

「障害の札でございます」

 

その声は、先ほどまでよりもわずかに低く、落ち着いている。

座敷の空気が、ほんの少しだけ引き締まったように感じられた。

 

「あなたの目的が成就するまでに、どのような障害が待ち受けているのか。

 あるいは、障害が存在するのかどうか――それを示す札でございます」

 

私は、軽く肩をすくめた。

 

「障害、ねぇ。

 まあ、何事もそううまくはいかないもんだ」

 

男は、小さく頷き、再び札をすべて裏返す。

卓の上に扇状に広がる花札は、色を隠した途端、どこか無機質に見えた。

 

「どうぞ。先ほどと同じように、直感で一枚」

 

「直感ね」

 

私は、ほんの一瞬だけ指を止めたが、深く考えるのはやめた。

どうせ、考えたところで意味はないのだ。

 

指先で、ひとつ。

 

引き寄せる。

 

男は、それを受け取り、表にした。

 

「……出てきたのは」

 

男の視線が、札に落ちる。

 

「萩のカスでございますね」

 

地味な札だ。

赤もなく、派手さもない。

どこか、余白のような印象を受ける。

 

「意味合いとしては、非常にシンプルで」

 

男は、淡々と続ける。

 

「不要なもの*2、という意味でございます」

 

「不要、か」

 

私は、鼻で小さく息を吐いた。

 

「どういうことだい?」

 

「はい」

 

男は、萩の札を指で軽く叩いた。

 

「あなたは、この先、一見すると面白そうな物事に、数多く出会うでしょう」

 

男の言葉に、私は思わず口角を上げる。

 

「それは、まあ……そうだろうね」

 

「ですが」

 

男は、そこで一拍置いた。

 

「その中のほとんどは、あなたの望む条件には当てはまらない」

 

静かな断言。

 

「それらを、不要と見極め、手を引くことができなければ」

 

男は、私を見る。

 

「あなたは、無駄に時間を過ごすことになるかもしれません」

 

座敷の中に、言葉が落ちる。

 

「それが、あなたにとっての障害となります」

 

私は、少し考え込んだ。

 

確かに、心当たりがある。

いや、ありすぎる。

 

「一見面白そうなもの、か」

 

私は、ゆっくりと頷いた。

 

「確かに、わたしはそういうものに、真っ先に飛びつくタイプだ」

 

男は、何も言わず、聞いている。

 

「で、その中のほとんどが、わたしに合わないときた」

 

私は、苦笑した。

 

「……それは、確かに厄介だね」

 

「ええ」

 

男は静かに同意する。

 

「興味を持つこと自体は、決して悪いことではありません。

 ですが、引き際を誤ると、ただの消耗になります」

 

「なるほどな」

 

私は、腕を組んだ。

 

「気に留めておこう。

 不要なものを、ちゃんと不要だと切り捨てる、か」

 

「そうなさいますよう」

 

男は、丁寧に札を脇へと寄せた。

 

「さて」

 

そう言って、また別の札を手に取る。

 

「どんどん、いきましょうか」

 

男の指先が、再び花札を整える。

 

「次は――自覚の札でございます」

 

「自覚?」

 

「はい」

 

男は頷いた。

 

「あなたが、この問題について、どこまで自覚をしているかを示すものです」

 

「なるほどね」

 

私は、少しだけ背筋を伸ばした。

 

「自分のことを、どれだけ分かっているか、ってわけか」

 

「その通りです」

 

男は札を裏返し、また私の前に並べる。

 

「では、こちらも一枚」

 

私は、今度は迷わなかった。

 

さっと手を伸ばし、札を引く。

 

男がそれを受け取り、表にする。

 

「……出てきたのは」

 

男の表情が、わずかに和らぐ。

 

「菊に盃、ですね」

 

絵柄には、盃と菊。

どこか、雅な印象を受ける札だ。

 

「五節句のひとつ、重陽の節句をご存じでしょうか」

 

「九月九日、だったか?」

 

「ええ」

 

男は、頷いて説明を始める。

 

「この札は、その重陽の節句に行われる、菊酒の風習がモチーフになっています」

 

男の声は、どこか講釈めいているが、不思議と耳障りではない。

 

「蒸した菊の花びらを器に入れ、冷酒を注ぎ、一晩置く。

 そうして香りを移した酒を、菊を鑑賞しながら飲む」

 

私は、ぼんやりとその光景を思い浮かべる。

 

「それを飲むと、長生きができると信じられていました」

 

「ほう」

 

「ですが」

 

男は、そこで少し間を置いた。

 

「今回、注目していただきたいのは、菊酒の“作り方”です」

 

男の指が、札の盃をなぞる。

 

「蒸した花びらを入れ、酒を注ぎ、一晩置く」

 

「……待ち、だね」

 

思わず、私が口にした。

 

男は、満足そうに頷いた。

 

「その通りです。

 この札が示しているのは、“待つこと”」

 

男は、私を見据える。

 

「あなたは、おそらく、自分の満足いく現状を手に入れるには、かなりの時間がかかると考えているでしょう」

 

胸の奥を、指で突かれたような気分になる。

 

「先ほど、現状の札で“気まぐれ”が出ていましたね」

 

男は、淡々と続ける。

 

「それを踏まえると、あなたは、時間をかけて、様々なことに挑戦し、その中で気に入ったものを探すつもりなのでしょう」

 

「……ああ」

 

私は、小さく頷いた。

 

「それは、試みとしては、非常に素晴らしい」

 

男は、はっきりと言った。

 

「焦らず、手広くやる。

 それは、成功の秘訣でもあります」

 

だが、と男は続ける。

 

「その分、不要なものが増えるという障害を抱えることになる」

 

私は、先ほどの萩の札を思い出す。

 

「これは、避けられないことです」

 

男は、静かに言った。

 

「ですから――」

 

少し、声を柔らかくする。

 

「時間がかかる、というその気持ちを持ち続けること。

 失敗があっても、焦らず、ゆったりと挑戦し続けることを、お勧めします」

 

男は、そこで言葉を止めた。

 

私は、しばらく黙っていた。

 

占いだ。

ただの花札占いだ。

 

そう思っていたはずなのに。

 

「……はへぇ」

 

思わず、間の抜けた声が出た。

 

「確かに」

 

私は、頭を掻く。

 

「言ってることが、やけに当たってるのが、面白いな」

 

男は、微笑むだけだ。

 

「占い師は、当てにいきますからね」

 

「いやいや」

 

私は、苦笑した。

 

「それにしたって、だ」

 

私は、正直に言う。

 

「あんたの言った通り、わたしは時間をかけて、ゆっくりやるつもりだった」

 

暇つぶしだ。

大それた目的なんて、最初からない。

 

「……花札占い、か」

 

私は、卓の上の札を眺めた。

 

「案外、おもしろいかもしれないな」

 

そう呟いた自分の声は、思っていたよりも、少しだけ弾んでいた。

 

「では」

 

男は、花札を一度きれいに揃え、軽く息を整えた。

 

「最後に、未来の札を引いていただきましょう」

 

その言葉には、先ほどまでとは違う、わずかな重みがあった。

占いの締め。

これ以上は掘り下げない、という線引きの響き。

 

「未来、ね」

 

私は、曖昧に笑った。

 

未来なんてものは、鬼である私にとっては、ずいぶんと長く、ずいぶんと移ろいやすい。

だが、それでも“これから”と言われると、耳を傾けてしまうのは、性分なのだろう。

 

男は、札を裏返し、再び扇状に並べる。

 

「これが最後です。

 同じように、直感で」

 

「了解」

 

私は、今度はほんの一瞬だけ、札の上に手をかざした。

何かを感じ取ろうとしたわけではない。

ただ、区切りとして、そうしたくなっただけだ。

 

そして、一枚。

 

引く。

 

男は、静かに札を受け取り、ゆっくりと表にした。

 

「……これは」

 

一瞬、男の視線が札の上で止まる。

 

「桐のカス、ですね」

 

桐。

 

地味な札だ。

だが、どこか特別な気配を感じさせる。

 

「こちらは、少し特殊な札でございます」

 

男は、そう前置きしてから、言葉を選ぶように語り始めた。

 

「普通、カス札というのは、多かれ少なかれ、よくない結果が出やすい。

 あるいは、恩恵が少なく、地味で終わる札であることが多いのですが」

 

男は、桐の札を、卓の中央に置く。

 

「この桐のカスは、違います」

 

「ほう?」

 

「桐とは」

 

男は、静かに言った。

 

「鳳凰がとまる木」

 

その言葉に、私はわずかに眉を上げた。

 

「他のカス札とは、一線を画す存在です」

 

男は続ける。

 

「意味としては、宿木。

 そして、締めくくり」

 

「……悪くはなさそうだね」

 

正直な感想だった。

 

宿木。

締めくくり。

 

少なくとも、破滅や失敗といった言葉ではない。

 

男は、小さく頷いた。

 

「ええ。決して、悪い札ではありません」

 

男は、桐の札から視線を上げ、私を見る。

 

「宿木、という意味から読み解くなら」

 

男の声は、穏やかだ。

 

「あなたが、しっくりくるものを見つける、という未来が考えられます」

 

「ほう」

 

「ですが」

 

男は、そこで言葉を切った。

 

「その宿木が“桐の木”である、という点が重要です」

 

私は、黙って聞いている。

 

「つまり」

 

男は、少し言葉を慎重に選ぶ。

 

「あなたを、鳳凰として見る解釈もできる」

 

「鳳凰、か」

 

私は、鼻で小さく笑った。

 

「ずいぶんと大層だね」

 

「いえ」

 

男は、否定も肯定もしない。

 

「鳳凰は、燃え盛る火の鳥」

 

男の声が、少し低くなる。

 

「たとえ、自ら宿木を選び、とまったとしても」

 

男は、桐の札を指でなぞる。

 

「やがて、その木は、鳳凰の炎によって燃えてしまうでしょう」

 

座敷の空気が、わずかに張り詰める。

 

「つまり」

 

男は続ける。

 

「あなたは、自分で納得のいく暇つぶしを見つけられるかもしれません」

 

私の脳裏に、いくつかの光景が浮かぶ。

人里。

店。

酒。

占い。

 

「ですが」

 

男は、淡々と言った。

 

「それは、長くは続かない可能性が高い」

 

「……なるほど」

 

私は、ゆっくりと頷いた。

 

「それが、あなたが鳳凰であるからなのか」

 

男は言葉を重ねる。

 

「それとも、別の原因があるのかは、分かりません」

 

男は、ほんの少しだけ、視線を和らげた。

 

「鳳凰とは、定住せず、空を舞い、自らの炎を掲げる存在」

 

その言葉は、妙に耳に残った。

 

「あなたの性根が、そもそも定住に向かない可能性もありますね」

 

私は、思わず苦笑した。

 

「言われてみれば、否定できない」

 

男は、桐の札をもう一度、軽く叩く。

 

「そして、もうひとつの意味――締めくくり」

 

男の声は、再び落ち着きを取り戻す。

 

「あなたは、その桐の木を最後に、暇がなくなる可能性があります」

 

「暇が、なくなる?」

 

「ええ」

 

男は頷く。

 

「あなたの焦がれている、謀反や戦が起きるのかもしれません」

 

私は、少しだけ口角を上げた。

 

「……それは、少し楽しそうだ」

 

「あるいは」

 

男は、淡々と続ける。

 

「桐の木が燃えたことで、あなた自身の気質が変わるのかもしれません」

 

「変わる、か」

 

「どちらにせよ」

 

男は、はっきりと言った。

 

「あなたの“暇”は、なくなるでしょう」

 

その言葉は、不思議と重くはなかった。

むしろ、静かな確信のように感じられた。

 

男は、そこまで話すと、ゆっくりと背筋を伸ばし、私の方を向いた。

 

「以上で」

 

男は、深く一礼する。

 

「占いは、これにて終わりです」

 

座敷に、静けさが戻る。

 

「今回、わたしが語ったのは、あくまで占い。

 助言でございます」

 

男の声は、柔らかい。

 

「確実に、その道を辿るとも言いません。

 あなたの選択が、何かを変えることもあるでしょう」

 

男は、穏やかな目で、私を見る。

 

「ですから」

 

少し、微笑む。

 

「頭の片隅にでも置いておいて、時折、思い出す程度で構いません」

 

そう語る男の目つきは、先ほどまでとは違っていた。

どこか、柔らかく。

やけに、緩やかだった。

 

私は、卓の上に並ぶ花札を眺めながら、小さく息を吐いた。

 

未来、か。

 

占いにしては、ずいぶんと、悪くない締めくくりだ。

 

そう思った自分に、少しだけ驚きながら、私は何も言わずに、そこに座っていた。

 

わたしは、少し――いや、正直に言えば、かなり面食らっていた。

 

胸の奥に、得体の知れないものが残っている。

それは不安とも、恐怖とも違う。

かといって、はっきりとした喜びでもなかった。

 

ただ、今まで感じたことのない感覚だった。

 

目の前に座る男を、もう一度、まじまじと見る。

 

……大きい。

 

いや、体格の話ではない。

背丈も、肩幅も、ごく普通だ。

霊力の気配も薄いし、神力の揺らぎも感じない。

妖怪としての本能で測れば、脅威と判断する要素はほとんどない。

 

それなのに。

 

今のわたしには、男の存在そのものが、妙に大きく見えた。

 

輪郭がはっきりしているわけではない。

むしろ、掴みどころがない。

なのに、確かにそこに「重さ」がある。

 

わたしの行く末。

わたしの心象。

わたし自身ですら、明確に言葉にできずにいた部分に、踏み込んできた存在。

 

――未だかつて、いなかった。

 

わたしを、わたし以上に理解しているのではないか。

そんな錯覚すら覚える。

 

理屈では、理解できる。

 

これは占いだ。

誰にでも当てはまる言葉を、それらしく並べただけのものかもしれない。

心理誘導の類だと切り捨てることもできる。

 

目の前の男は、霊力も神力も、単純な腕力でさえ、ろくに持ち合わせていなさそうだ。

力の世界で生きてきたわたしからすれば、取るに足らない存在のはずだった。

 

その男の助言。

 

胡散臭い花札占い。

 

――そのはずなのに。

 

どうしてか、わたしの胸の奥に、深く、深く響いている。

 

言葉の一つ一つが、表面をなぞるのではなく、芯を叩いてくる。

まるで、ずっと蓋をしていた箱を、勝手に開けられたような気分だ。

 

余命を宣告されたときのような、どうしようもない絶望ではない。

かといって、未来を約束されたような、分かりやすい喜びでもない。

 

ただ。

 

何か、とても素晴らしいものの一端を、ほんの一瞬だけ覗き見た。

そんな感覚だった。

 

わたしは、無意識のうちに、深く息を吸い込んでいた。

 

胸いっぱいに空気が入る。

それでも、足りない気がして、もう一度。

 

深呼吸。

 

心臓が、やけに早鐘を打っている。

 

どくん。

どくん。

 

自分の鼓動が、こんなにはっきりと聞こえるのは、いつ以来だろう。

 

――なぜ、こんなにも動揺している?

 

答えは、薄々分かっていた。

 

占い、というものに、ここまで踏み込まれたのが初めてだったからだ。

 

「占いなんて、所詮は遊びだろ」

 

そう思っていた。

最初は、完全に。

 

胡散臭いと、はっきり口にしたのは、強がりでも何でもない。

本心だった。

 

それなのに。

 

途中から、わたしは疑うことをやめていた。

男の言葉を、一つも取りこぼすまいと、耳を傾けていた。

 

まるで、自分の人生を、丁寧に分解され、説明されているような感覚。

 

「ああ、そうだ」

 

「確かに、そうかもしれない」

 

心のどこかで、何度も頷いていた。

 

それが悔しいのか。

それとも、嬉しいのか。

 

自分でも、うまく整理できない。

 

わたしは、ゆっくりと立ち上がった。

 

畳が、わずかに軋む。

足の裏に伝わる感触が、妙に現実的だ。

 

数歩進み、男の横に立つ。

 

男は、こちらを見上げることもなく、静かに座ったままだった。

まるで、こうなることが分かっていたかのように。

 

わたしは、一瞬だけ、どう声をかけるか迷った。

 

そして。

 

男の背中を、軽く――しかし、はっきりとした音が鳴る程度に――パン、と叩いた。

 

「いい経験ができたよ」

 

短く、率直に。

 

それ以上、言葉を飾る気にはなれなかった。

 

男は、少し驚いたように肩を揺らし、それから、ゆっくりと振り返った。

 

「それは、よかったです」

 

口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。

 

「では、満足していただけたようですので、お会計をいたします」

 

事務的な言葉。

だが、その声音には、どこか柔らかさが残っていた。

 

男は、慣れた動作で手を差し出す。

 

わたしは、懐に手を入れ、銭を取り出した。

 

数える。

 

一枚、二枚――。

 

そして、差し出された手のひらに、140文をのせた。

 

男が、一瞬だけ目を瞬かせる。

 

「……お客さん、多いですよ?」

 

「多くのせたんだよ」

 

わたしは、肩をすくめた。

 

「あんたの占いに対する、敬意だと思ってくれ」

 

男の視線が、静かにわたしに向く。

 

「それに」

 

少しだけ、言葉を選ぶ。

 

「また、新しい世界を見た気がした」

 

占い一つで、世界が変わるわけじゃない。

分かっている。

 

でも、見え方が変わることは、確かにある。

 

「そのことへの、感謝だ」

 

男は、しばらく黙っていた。

 

そして、ゆっくりと、銭を受け取る。

 

「……ありがとうございます」

 

その声は、占い師としてのものではなく、ただの一人の男の声だった。

 

わたしは、それを確認すると、軽く腕を振った。

 

「じゃあな」

 

それだけ言って、店の戸に手をかける。

 

戸を開けると、夜の空気が流れ込んできた。

ひんやりとしていて、少し湿り気がある。

 

一歩、外に出る。

 

戸を閉める音が、背後で静かに響く。

 

歩き出すと、足取りは自然と軽くなっていた。

 

空を見上げる。

 

――高い。

 

いつもと変わらない夜空のはずなのに、やけに高く感じる。

それとも。

 

自分が、少し小さくなったのだろうか。

 

そんな錯覚を覚えながら、わたしは、夜の道を歩いていった。

*1
純潔は桜の花言葉、気まぐれはソメイヨシノの花言葉、非常にいいは、ふだに書いてある短冊にそう書いてある

*2
正確には、食べ残し、あまりもの、不要なもの





本作で用いた占いは、わたし自身が花札をルーレットで引き、その結果をそのまま反映させたものです。いわば完全に運任せ。作為も必然もなく、巡ってきた札との一期一会で物語を書き進めました。

もっとも、花札占いというものは本来もう少し複雑で、調べれば調べるほど奥深く、なかなか一筋縄ではいきません。そこで今回は、タロット占いに近い感覚で札の意味を調べつつ、自分なりの解釈を重ねながら物語に落とし込んでみました。

占いとして、そして物語として、少しでも「なるほど」と思っていただける説得力が生まれていたなら幸いです。

もし本作を楽しんでいただけましたら、感想やお気に入りなどを残していただけると、作者はたいへん喜びます。是非ともよこしてやってください。

ここまで呼んでくださり大変ありがとうございます。ぜひ次話も快くお待ちください。
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