酒呑童子の退屈   作:まったり愛好家

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第六話 不思議な不思議なコスプレイヤー

僕――真田利コハクは、蛍光灯の白い光の下で、レトルトカレーを温めながら鼻歌なんて歌っていた。

 

「ふんふふーん……」

 

ワンルームのアパート。

六畳一間に小さなキッチン。

ベッドと勉強机と本棚がぎゅうぎゅうに詰め込まれた、いかにも“初めての一人暮らし”という感じの部屋だ。

 

窓の外では、車の走る音が絶え間なく聞こえる。

遠くで救急車のサイレンが鳴り、誰かの生活音が壁越しに響く。

 

それが、僕の日常だ。

 

僕の名前は真田利コハク。

どこにでもいる普通の高校生である。

 

成績は普通。

運動神経も普通。

友達は……まあ、それなりにいると思う。多分。

 

クラスで中心にいるタイプではないが、昼休みに一人で弁当を食べるほどでもない。

文化祭では裏方に回ることが多く、体育祭では中堅どころの順位を取る。

 

特筆すべき才能もなければ、致命的な欠点もない。

 

強いて言えば、オタクだ。

 

Youtubeのおすすめ欄はゲーム実況ばかり。

本棚の半分は漫画とライトノベル。

スマホの待ち受けは推しキャラ。

 

「……まあ、普通だよな」

 

電子レンジが「チン」と鳴る。

 

僕は鍋敷きを敷き、皿を取り出す。

湯気が立ちのぼり、カレーの匂いが部屋に広がる。

 

自炊、と言ってもこんなものだ。

たまにちゃんと作るけど、今日はバイト帰りで疲れている。

 

最近、一人暮らしを始めた。

 

高校が家から遠い、というのが建前。

「何事も経験だ」と親に言われたのが本音だ。

 

最初は不安だった。

 

洗濯の回数がわからない。

米の炊き方が微妙。

ゴミ出しの日を忘れる。

 

けれど、もう慣れた。

 

朝は自分で起きて、弁当を詰め、学校へ行く。

放課後はバイト。

帰ってきて洗濯して、風呂に入って、少しゲームをして寝る。

 

規則正しく、平和で、問題のない生活。

 

スプーンを手に取り、カレーを口に運ぶ。

 

「うま」

 

誰に聞かせるでもない独り言。

 

静かな部屋に、自分の声だけが響く。

 

そんな僕だが、一つだけ他人に誇れることがある。

 

運の良さだ。

 

小学生の頃。

 

道路に飛び出してしまい、車に撥ねられた。

 

普通なら大怪我。

下手をすれば命に関わる。

 

だが僕は、奇跡的に軽い打撲だけで済んだ。

 

「あんた、強運だねぇ」

 

母にそう言われたのを覚えている。

 

中学校では、給食で食中毒騒ぎがあった。

 

クラスの半分が早退。

学年閉鎖。

 

だが僕は、なぜかその日だけ給食を残していた。

理由は単純、好きじゃなかったから。

 

結果、僕だけ無事。

 

テスト前日に高熱が出たこともあるが、本番では平熱に戻った。

財布を落としたこともあるが、交番に届いていた。

抽選会ではなぜか二等が当たった。

 

「コハクって、地味に運いいよな」

 

友達にも言われる。

 

僕自身も、そう思う。

 

だから、漠然と信じていた。

 

自分はきっと、大きなトラブルには巻き込まれない。

 

頭を抱えるような借金も。

夜も眠れないような宿敵も。

命の危険も。

 

縁がない、と。

 

テレビでは物騒なニュースが流れる。

事故、事件、災害。

 

でもそれは、どこか遠い世界の出来事だった。

 

自分には関係ない。

 

そう思っていた。

 

カレーを食べ終え、皿を流しに置く。

水を出し、スポンジで軽くこする。

 

窓の外を見ると、夜の街が広がっている。

ネオンが滲み、車のヘッドライトが線を描く。

 

平和だ。

 

今日も何事もなく終わる。

 

風呂に入って、スマホをいじって、明日の授業を思い出して少しだけ憂鬱になって、それでも普通に眠る。

 

そんな夜になるはずだった。

 

……少なくとも、今日までは。

 

ーーー

 

次の日の夕方、僕はいつものようにバイト先へ向かった。

 

働いているのは、駅から少し離れた場所にある小さなファミレスだ。全国チェーンでもなく、これといった名物料理があるわけでもない。良く言えば落ち着いていて、悪く言えば地味。客層も近所の家族連れや、仕事帰りのサラリーマンがほとんどで、波風の立つような出来事も滅多にない。

 

その日も特筆すべきことは何もなかった。オーダーを取り、料理を運び、レジを打ち、皿を下げる。淡々とした時間が過ぎていく。クレームもなく、トラブルもなく、ただ静かに閉店時間を迎えた。

 

「お疲れー」

 

「お疲れ様です」

 

そんなやり取りをして、僕は店を出た。

 

十一月に入ったばかりだというのに、空気はすっかり冬のものだった。吐く息が白く、街灯の下でふわりと揺れる。道行く人たちはみな厚手のコートやダウンを身にまとい、首元にはマフラーを巻いている。

 

かくいう僕も例外ではない。ネックウォーマーに耳当てという、少し過剰かもしれない装備で完全防寒体制だ。だって寒いんだもん、と心の中で言い訳する。

 

バイト先から家までは徒歩十分ほど。普段はこの距離がちょうどいい運動になるのだけれど、今日ばかりは自転車で来ればよかったと後悔した。指先がじんじんと冷える。耳当ての中で耳がじわじわ痛い。

 

「急に寒くなりすぎだろ……」

 

独りごちる。冬が本格的に始まるとはいえ、体の準備というものがある。心の準備もだ。

 

帰り道の途中にある小さな公園に立ち寄り、僕は自動販売機の前で立ち止まった。夜の公園は人影もまばらで、街灯の光がベンチや遊具をぼんやりと照らしている。

 

小銭を入れ、迷わずお汁粉のボタンを押す。ゴトン、と音を立てて落ちてくる缶を取り出すと、両手で包み込むように持った。

 

「あったまるな〜」

 

缶の熱がじんわりと手のひらに広がる。ベンチに腰を下ろし、プルタブを開けると、甘い香りが立ち上った。ひと口飲む。とろりとした甘さが喉を通り、体の芯まで染み渡る。

 

深呼吸をひとつ。白い息が夜空に溶ける。

 

今年の冬は寒そうだな、とぼんやり考えていたそのときだった。

 

「なんだいそれ? お汁粉っぽいが……あの変な機械から出てきたよな?」

 

不意に声をかけられ、僕は顔を上げた。

 

そこに立っていたのは、小学校中学年くらいに見える女の子だった。けれど、その格好が妙だった。どこか時代がかった、コスプレのような服装。手には瓢箪をぶら下げている。

 

「えーっと……何かようかな?」

 

思わず身構える。さっきお汁粉の話をしていたし、欲しいのだろうかと一瞬考えた。

 

「あんたさっき、あの変な機械からお汁粉だしてただろ? あれ、どうやるんだ?」

 

「どうって……自販機の使い方知らないの?」

 

「あれは自販機というのか。知らん」

 

「ええ……嘘でしょ……君、何歳?」

 

「歳か……覚えとらんな」

 

「覚えてないって……じゃあ、今何年生?」

 

「何年生? なんのことだ?」

 

「小学校のことだよ」

 

「なんだそれ?」

 

「え……」

 

言葉に詰まる。小学校を知らない? そんなことある?

 

変なコスプレをしているし、もしかしてロールプレイか何かだろうか。そう自分を納得させる。

 

「私の歳よりも、あの機械の使い方教えてくれよ」

 

「え? ああ、そうだね」

 

よくわからないが、演技なら付き合ってあげよう。

 

「これは自動販売機って言ってね、お金を入れてボタンを押せば、好きな商品が勝手に出てくるんだよ」

 

「ほー……こりゃあ便利だな。街のあっちこっちに置いてあるわけだ」

 

彼女は興味深そうに商品を眺める。

 

「金は、どこに入れればいいんだ?」

 

「そこの、小さな隙間に一枚ずつ入れるんだよ」

 

「ここか……あれ? 入らんぞ?」

 

「え? 嘘。見してみて」

 

差し出された硬貨を見て、僕は目を丸くした。

 

「これって……何?」

 

「何って金だが」

 

古びた、明らかに現行ではない硬貨。まるで歴史の教科書に出てきそうな代物だった。

 

「こんな昔の硬貨みたいなの使えないよ。本物のお金じゃないと」

 

「なんだって⁉︎ この金は使えんのか⁉︎ そりゃあえらいことだな……」

 

「逆になんで使えると思ったの……」

 

「……まあいい。この機械で金が使えんのならばお前のをもらうか」

 

「僕の? 嫌だけど?」

 

「チッ……仕方ない。酒でも飲むか」

 

そう言って、彼女は瓢箪の口を傾けた。

 

「酒って……ませた子だな……」

 

次の瞬間、ふわりと漂った匂いに僕は固まった。

 

「え? 待って? 本当にアルコールの匂いするんだけど⁉︎」

 

「ああ? 酒なんだから当たり前だろ」

 

「待って待て待って? なんでお酒飲んでるの⁉︎ ダメでしょ⁉︎」

 

「ダメって何が?」

 

「君みたいな子がお酒飲んじゃダメでしょって。僕でもまだダメなのに」

 

「そんなこと誰が決めたんだよ」

 

「国だよ! いいから飲むのやめて!」

 

「おうおうおう、怒鳴るなって……」

 

「怒鳴りもするよ……僕ならまだしも君くらい小さな子の飲酒は洒落にならないからね」

 

「めんどくさい世の中だねぇ」

 

「多分そう言う問題じゃないけど……それよりも、そのお酒どこから持ってきたの?」

 

「私の瓢箪は特別性でな、無限に酒が沸いてくるんだ」

 

「今そういうのいいから。これ以上ふざけるんなら君を交番に連れていくからね」

 

「交番所か? 脅してるつもりならやめとけ。お前にゃ無理だ」

 

「何を偉そうに……そもそもこんな時間まで外で何してるのさ」

 

「暇つぶしだ。何か面白いもんはないかとぶらぶら歩いてるんだ」

 

「親は心配してないの? もうとっくに日は沈んでるけど」

 

「親? 私に親はいないよ」

 

「……それって本当のこと?」

 

「なんで嘘なんか吐かなきゃならんのだ」

 

「……それでも、君の親代わりのほとが心配して」

 

「それもおらんな。というか身内がおらん」

 

「は? ……どう言うこと?」

 

「じゃあ今まで……どうやって生きてきたの?」

 

「野獣狩ったり人間から獲ったりだな。まあ、あまり食べる必要はないが」

 

「嘘でしょ……警察とかは」

 

「捕まったことはないな」

 

僕は言葉を失った。

 

彼女が嘘をついているようには見えない。それなのに、身内がいないと平然と語り、動物を狩って生きてきたと言うその姿が、妙に現実味を帯びて胸に刺さる。

 

よく見ると、腕は細く、爪は汚れている。髪はぼさぼさで艶がなく、服も瓢箪も使い込まれている。

 

孤児……なのだろうか。

 

いや、こんなに飄々とした孤児がいるのか?

 

「君は、いくあてとかはあるのかい?」

 

「いくあて? ないが?」

 

やっぱり。

 

どうする。警察に届けるか? でも、さっきの様子からして素直に行くとは思えない。

 

だったら――

 

「じゃあさ、僕のうちに……泊まっていかない?」

 

「お前の家か? なんで急に」

 

「いやなんか……いくあてもなしってのはかわいそうだなって……こんなに小さいのに」

 

「素性もわからん私を、家にあげることに抵抗はないのか?」

 

「そりゃああるけど……流石にほっとけないって」

 

「ふーん……私としては、雨風凌げる宿があるならそれに越したことはないな」

 

「言葉に甘えて、泊まらせてもらうよ」

 

「わかった。家近いから、すぐに着くと思う」

 

そう言って、僕は立ち上がり、自分の家へと歩き出した。

 

道中、僕はほとんど休む暇もなく質問攻めにあっていた。

 

「なあなあ、あの光ってる箱はなんだ?」

 

「信号機だよ。赤は止まれ、青は進めって意味」

 

「ほう……人間は光で交通を制御してるのか。便利だな」

 

歩きながら、少女――伊吹萃香はきょろきょろと周囲を見回していた。街灯、コンビニ、通り過ぎる車、そして等間隔に並ぶ自動販売機。そのどれもが彼女には珍しいらしく、一つ見つけるたびに足を止めては僕に質問を投げてくる。

 

「さっきの自販機ってやつ、なんであんなに種類があるんだ?」

 

「飲み物とか食べ物とか、売るものが違うからだよ」

 

「なるほどな……人間は機械に商売までやらせてるのか」

 

感心したようにうなずく萃香。

 

僕は苦笑しながら歩き続けた。こんな調子で、道のりはいつもの倍くらい長く感じた。

 

それでもどうにかマンションの前までたどり着いた。

 

「ここだよ」

 

僕が立ち止まると、萃香は建物を見上げた。

 

「借宿か。大きくはないが、なかなか頑丈そうだな」

 

そう言いながら、マンションの外壁に手を伸ばし、ぺたぺたと撫でている。まるで建物の質を確かめる職人みたいだ。

 

「借宿っていうか……普通のマンションだけどね」

 

「ふむ。石でも木でもない。変わった素材だな」

 

興味深そうに指先で外壁を叩いている。

 

僕は苦笑しながら階段を上がり、自分の部屋の前に立った。ポケットから鍵を取り出し、ガチャリと回す。

 

「どうぞ」

 

ドアを開けて中へ招き入れる。

 

「おー!」

 

萃香は一歩足を踏み入れた瞬間、ぱっと顔を輝かせた。

 

「信じられないくらいに清潔じゃないか!」

 

部屋をぐるりと見回しながら、感嘆の声を上げる。

 

「外壁だけじゃなくて部屋の中まで壁が塗装されてるのか。天井もそうだな。どこか洋風ちっくだ」

 

壁や天井を見上げながら、いちいち感心している。

 

その様子はまるで、マンションに入るのが初めてみたいだった。

 

やっぱり孤児なのだろうか。

 

「まあ……好きなとこに座ってて。お茶かなんか出すよ」

 

女の子、それも初対面の子を家に招き入れたのは生まれて初めてだ。どうも落ち着かない。こういうときの作法なんてわからないので、とりあえずお茶を出しておくことにした。

 

「おお、気が聞くじゃあないか」

 

萃香はそう言うと、部屋の真ん中に置いてある座椅子にちょこんと腰を下ろした。

 

座ると同時に、体に巻き付けている鎖のようなものがジャラリと音を立てる。鈍い金属音だった。もしかしたら本物の金属なのかもしれない。

 

僕はキッチンで急須にお湯を注ぎ、湯のみを二つ用意する。少し安っぽい茶葉だけれど、ないよりはいいだろう。

 

「はい、安っぽいお茶だけど、どうぞ」

 

湯のみを差し出しながら、僕も正面の座椅子に腰を下ろした。

 

萃香は湯のみを持ち上げ、湯気を覗き込む。

 

「ほう……香りがいいな」

 

少しだけ口をつけ、ふっと息を吐いた。

 

「ええっと……家にもついたことだし、君について聞いてもいいかな?」

 

僕がそう言うと、萃香は肩をすくめた。

 

「私か?いいぞ。さっきから不思議そうに見てたからな」

 

湯のみを机に置き、こちらを見る。

 

「私は……そうだな。鬼だ」

 

「それは、そう言う設定ってこと?」

 

「まーだ私のことを仮装だって思ってるのか?」

 

「そりゃまあ……普通じゃないし」

 

僕が苦笑すると、萃香は少し呆れたように息を吐いた。

 

「それなら……おい。腕を出してみろ」

 

「腕?なんで?」

 

「腕相撲だ。怪力を見せれば疑いも晴れるだろうと思ってな」

 

「怪力……まあいいか」

 

半信半疑のまま、僕は机の上に肘をついた。萃香の小さな手を握る。

 

細く、小さな腕。力なんてほとんど入っていないように見える。ひねったら折れてしまいそうだ。

 

「いっせーの!」

 

次の瞬間。

 

ダンッ‼︎

 

「いっっっっったぁ!」

 

凄まじい勢いで、僕の腕が机に叩きつけられた。

 

痛みが腕から肩まで駆け上がる。

 

「うそぉ⁉︎ 結構本気でやったよ⁉︎ そのほっそい腕でどうやったのさ⁉︎」

 

僕が腕を押さえながら叫ぶと、萃香はけろりとした顔で言った。

 

「だから言ったろう?人間じゃないんだ。腕が細かろうと力はある」

 

「いやでも……まだ力が強いだけの子供っていう可能性が……」

 

「まだ言うか⁉︎」

 

萃香は顔をしかめた。

 

「面倒臭いな……そんならこれでどうだ?」

 

そう言った瞬間だった。

 

彼女はふっと息を吸い込み――

 

ボッ。

 

口から炎が噴き出した。

 

「うわああああ‼︎何何何⁉︎」

 

僕は思わず椅子ごと後ろに下がった。

 

萃香は平然とした顔で言う。

 

「火を吹いて見た」

 

「何してるの⁉︎というかどうやったの⁉︎」

 

「妖術の類だが……どうだ?これで信じる気になったか?」

 

僕はしばらく固まっていたが、やがて肩を落とした。

 

「いやまあ……うん。流石に信じるほかないというか……」

 

「よーし!」

 

萃香は満足そうに頷いた。

 

「それじゃあ、次はお前だ。お前は何者だ?」

 

「ぼく?……別に、何者でもないよ。普通の高校生だよ」

 

「ふーん……名は?」

 

「コハクだよ。真田利コハク。君は?」

 

「伊吹萃香だ」

 

「伊吹さんか。……何から聞こうか……」

 

少し考えてから、僕は口を開いた。

 

「えっと、なんであの公園にいたの?」

 

「特に理由はないな。適当に歩いてたらあそこにいた」

 

「そうじゃなくて……鬼って普通、山奥とかにいるもんじゃないの?」

 

「そうだな。実際山奥からきた。同にも最近つまらなくてな。人間の文化が気になったんだ」

 

「そう……なんだ。それであんなにいろんなことに驚いてたのか」

 

「そう言うことだ。人間の文化に触れること自体百年ぶりくらいだからな。何でもかんでも新鮮なんだ」

 

百年ぶり。

 

その言葉に僕は少しだけ引っかかったが、深くは突っ込まなかった。

 

「ふーん……これからどうするつもり?」

 

「これから、か」

 

萃香は顎に手を当てた。

 

「適当に過ごすさ。昼間は適当に観光して夜は寝る」

 

「ご飯……と言うかお金はどうするの?お金使えないのしか持ってないでしょ」

 

「金はそこらへんの輩潰して奪うさ。手っ取り早いし」

 

「ええ⁉︎」

 

僕は思わず身を乗り出した。

 

「ダメダメダメ‼︎物騒すぎるよ!バイトするとかにしてよ」

 

「バイト?」

 

「働いて稼いでってこと。少なくとも犯罪なんてダメだからね!」

 

「働いて、か。それは戸籍がなくてもできるのか?」

 

「え?」

 

「ツノが生えてても?この見た目でも?」

 

萃香は自分の頭の角を指で叩いた。

 

「そりゃあ……無理だね」

 

僕は正直に答えた。

 

「だろ?それじゃあまともには無理だろ」

 

「確かにそうだけど……帰るって選択肢は?」

 

「ない。少なくとも四ヶ月は帰らんぞ」

 

「じゃあどうするのさ?鬼と言えど無一文で生きてはいけないでしょ。というか山奥ではどうやって生きてきたの?」

 

「山奥には人間と妖怪が一緒に暮らしててな。まあ共存はしていないが。人間の里に姿を隠して野獣の肉やらを入りに行って、収入はそれだった」

 

「野獣の肉……それはここでは無理だね」

 

「まあいいさ」

 

萃香はあっさり言った。

 

「最悪食わなくても生きていける。寝床も雑魚寝でどうとでもなるだろう。大した問題じゃないさ」

 

「そう……なんだ」

 

僕は思わず黙り込んだ。

 

「なんだ?難しい顔して。哀れみか?」

 

「哀れんでは……いるかもしれないけど。違うよ。ただ……」

 

言葉を探しながら、僕は続けた。

 

「僕は親からの仕送りもあるし、バイトもしてるから……食事くらいなら面倒見れるかもって思って……」

 

萃香はしばらく僕を見つめていた。

 

「……お人好しか?お前」

 

「そんな言い方ないじゃんか」

 

「いやいや……友人とかならまだしも、初対面だぞ?」

 

「まあいや……そうなんだけども」

 

「ましてや鬼だぞ?」

 

「わかってるけど……なんか、その見た目で野宿ってなんか……心にくるって言うか」

 

僕が言うと、萃香は眉を上げた。

 

「見た目?私の見た目が童だから情が湧いたって?」

 

「……うん」

 

一瞬の沈黙。

 

そして――

 

「はっはっは!」

 

萃香は腹を抱えて笑い出した。

 

「お前の何十倍か生きてるってのにそんな事言われたのは初めてだよ!」

 

その子――伊吹萃香は、ヒーヒーと息を漏らしながら腹を抱えて笑っていた。

 

畳の上で体を折り曲げるようにして、肩を震わせている。笑いすぎたのか、目の端にはうっすら涙まで浮かんでいた。

 

「いやぁ……笑った笑った。涙まで出てきたよ」

 

袖で目元をぐしぐしと拭いながら、ようやく落ち着いた様子で言う。

 

僕は少しむくれながら腕を組んだ。

 

「そんなに笑うこともないじゃんか。こっちは親切心でやってるんだし」

 

「そうかもしれんがなぁ……」

 

萃香はまだ笑いの余韻を残したまま、くつくつと喉を鳴らした。

 

「ちとお人好しすぎるな、お前」

 

「そんなことは……」

 

「あるさ」

 

言葉を遮るように、きっぱりと言い切られる。

 

「他人の飯の面倒をみるとか言ってる時点で相当だ」

 

「多分……僕じゃなくてもそうすると思うけど……」

 

僕がぼそりと呟くと、萃香は肩をすくめた。

 

「まあなんにせよ」

 

そう言って、軽く伸びをする。

 

「泊めてくれるんならお言葉に甘えるがな」

 

――――――

 

それからしばらくして。

 

家にしばらく泊まることが決まった伊吹さんは、押し入れから出した座布団を床に並べ始めていた。

 

「えっと……それ、何してるの?」

 

「寝床作りだ」

 

座布団を二枚、三枚と並べ、その上にさらに重ねる。意外と手慣れた様子だ。

 

「いや、僕のベッド使えばいいじゃん」

 

部屋の隅にあるシングルベッドを指差して言う。

 

けれど萃香は首を振った。

 

「いい。そこまで世話になるつもりはない」

 

「でもさ――」

 

「それに」

 

座布団をぽんぽんと叩きながら言う。

 

「こういう雑魚寝の方が落ち着く」

 

「……そう」

 

結局それ以上は言えなかった。

 

萃香は座布団をいくつか重ね、簡易的な布団を作り上げると、満足そうにその上に腰を下ろした。

 

僕はキッチンの方へ向かいながら声をかける。

 

「それじゃあ夜ご飯を作るけど、何か要望とかってあるかな?」

 

といっても、たいしたものは作れないけれど。

 

萃香は顎に手を当て、少し考える仕草をした。

 

「そうだな……現代の飯を食わせてくれ」

 

「現代の飯?」

 

「私はな」

 

萃香は天井を見上げた。

 

「ここ数百年、現代社会とまともに関わってこなかった。せいぜい第一次世界大戦を見学したくらいだ」

 

さらっととんでもないことを言う。

 

「そんなもんで、今の日本人の食卓がどんなものかを知らん。だから、今の日本の普通の飯が食いたい」

 

「なるほどね」

 

僕は頷いた。

 

「わかった」

 

となると、あまり深く考えなくてもよさそうだ。

 

冷蔵庫を開ける。

 

豆腐がたくさん余っている。

 

「麻婆豆腐でいいかな……」

 

冷凍庫を開けると、冷凍ご飯もいくつか残っている。

 

「あとは味噌汁と……サラダでいいか」

 

普通の飯が食べたいって言ってたし、凝った料理を出す必要はないだろう。

 

そう結論づけて、棚からインスタント味噌汁とクックドゥの麻婆豆腐を取り出した。

 

すると、背後から視線を感じた。

 

振り返ると、萃香がすぐ後ろに立っている。

 

「なんだそれ?食材か?」

 

興味津々といった顔で、僕の手元を覗き込んでいる。

 

「これは料理を簡単にするアイテムだよ」

 

僕はパッケージを持ち上げながら説明した。

 

「こっちのインスタント味噌汁は、お湯を入れれば味噌汁ができるし、こっちのは豆腐を切って入れて温めたら麻婆豆腐ができる」

 

萃香はじっとパッケージを見つめていた。

 

「……それは美味いのかねぇ……?」

 

少し疑わしそうな声。

 

僕は笑った。

 

「美味しいとも。どっちも企業が試行錯誤してできたものだから、素人が作るよりかは数段美味しいのができるよ」

 

「……まあ、食わんことにはわからんな」

 

そう言うと、萃香は踵を返し、さっき作った座布団の布団へ戻っていった。

 

その背中を見ながら、僕はぽつりと呟く。

 

「まあでも確かに……冷凍とかインスタントって初見だと美味しそうには見えないのかな」

 

そんなことを考えながら、準備を進める。

 

――――――

 

冷凍ご飯と麻婆豆腐を電子レンジで温める。

 

味噌汁の椀にインスタントの中身を入れて、お湯を注ぐ。

 

サラダ代わりにミックスベジタブルを皿に盛る。

 

数分後。

 

「ご飯、できたよ」

 

僕が声をかけると、萃香がすぐに起き上がった。

 

「早いな⁉︎」

 

机の上に並んだ料理を見て目を丸くする。

 

「それに火の音がしなかったが」

 

「火を使わなくても料理ができる時代だからね」

 

「すごいな……」

 

萃香は机に顔を近づけ、湯気の立つ麻婆豆腐を覗き込む。

 

「料理も見栄えは悪くない。臭いもいい」

 

箸を手に取り、ひと口。

 

ぱくり。

 

「お……?」

 

目を少し見開いた。

 

「美味いぞ?とても温めただけとは思えん」

 

「そーだよねー」

 

僕も箸を持ちながら頷く。

 

「食べるたびによくできてるなーって感心するよ」

 

萃香は次に味噌汁をすすった。

 

「味噌汁も出汁をしっかり感じる。まるで訳がわからんな」

 

「日本に生まれて感謝だ」

 

僕が冗談めかして言うと、萃香は箸を止めてこちらを見た。

 

「……お前は、どれくらいの裕福度なんだ?」

 

「なにさ急に」

 

「ふと気になってな」

 

萃香は麻婆豆腐をつつきながら言う。

 

「今食った麻婆豆腐も味噌汁も、確かに美味い。さらに持ってある野菜も新鮮だ。この生活水準のお前は、果たしてどれくらい裕福なのかと思ってな」

 

箸でミックスベジタブルを指す。

 

「全員が全員、今みたいな食事はできんだろう?」

 

「あー……どうだろう」

 

僕は少し考えた。

 

「平均よりは裕福なのかな?」

 

「そんな程度か?」

 

「そうだね」

 

僕は肩をすくめる。

 

「今使った時短調理アイテムは普通に作るよりかは割高になっちゃうし、ずっとこんな風な食事ってわけでもないからね」

 

ご飯を一口食べて続ける。

 

「僕は親からの仕送りがあるから、普通よりもお金に余裕があるってだけ」

 

「ふぅん……」

 

萃香は少し考えるように黙った。

 

「ってことは、この食事は大体の人間が食えるくらい安価なんだな」

 

「そうだね」

 

僕は指で数えながら言う。

 

「麻婆豆腐は300円くらい、味噌汁は一杯60円くらいだね」

 

「安いな」

 

萃香はぽつりと言った。

 

「外食よりも安い」

 

そこまで言って、ふっと息を吐く。

 

「街は舗装されきって、画家みたいにでかい建物が立ち並んで、食事は手軽で美味いものが食える……様変わりしすぎだろ」

 

「まあ……昔と比べれば確かに」

 

僕が言うと、萃香は箸を置き、少しだけ笑った。

 

「おまけに初対面のやつを家に泊めて飯を振る舞うやつまでいる……平和なんだな、ここは」

 

僕は小さく笑った。

 

「いいことだね」

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