男は海を漂っている。
『いつも後ろでコソコソやってるヤツなんざ、S級ギルドには要らねぇんだよ』……
言うまでもなく、それは記憶の海である。
『考え直せ███、リュートはいつも我々の役に』……
流れのままに漂う中で、いくつもの記憶が浮かんでは消えていく。
『無理だよ██████、アイツは言っても聞かないんだからさ』……
栄光から挫折。天国から地獄。
『あぁぁぁごめんなさいごめんなさいごめんなさい、わたしがもっと、もっとしっかりしていればぁ』……
胸を突き刺し蝕む、煩悶と懊悩の記憶。
『救いようがないですね』……
二度と見たくもないものでさえ、容赦なく彼の頭を侵して止まなかった。
『解散じゃ、
████は、今日で解散じゃ』……
「……」
男は海を漂っている。
水を打つような声を最後に、水底へと沈んでいく。
意識は混濁し、視界が暗転する。
酒場に通じるスイングドアを開けると、相変わらずの暴力的な喧騒が、あたしを乱暴に歓迎していた。
見慣れた面子が酒瓶を煽り、つまみを突き、有り触れた世間話で盛り上がる。目の前の馬鹿騒ぎに夢中な彼らは、ちっぽけなあたしの存在になんて気付いてすらいない。
――いつも通りで何よりよ。心の中で毒づいて、足をクエストカウンターへと向ける。
「――あぁ、どうも。お疲れ様です」
受付嬢の柔らかい眼差しが、眼鏡の奥から優しく向けられる。うん、とそれに短く返事をする。
「
「ん」
「何よりです。では、依頼品をご提示ください」
手のひらサイズの麻袋を懐から取り出して、カウンターの上に置く。失礼します、とひと言告げて、彼女はその中身を検め始めるけれど、しかしこの古典的な方法をいつまで続けるつもりなんだろうか。もっと効率的なやり方は、他にいくらでもありそうなもんだけど。
「はい、問題ないですね」
あたしの疑問もいざ知らず、受付嬢は微笑む。そのまま麻袋は背後の棚へ。代わりに手に持ってくるのは、渡したものとはまた別の麻袋だ。
「報酬になります。お疲れ様でした」
「ん」
それを受け取って、そのまま隣のカウンター席に移動する。一息吐いてフードを取り去ると、母親譲りの、クセのある赤黒い毛が揺れた。何も手を加えなければ、目元に掛かるくらいには伸びた前髪……そろそろ整えてもいいかもしれない。今度こそ、そこら辺の美容室にでもお願いしてみようかな……
「――おぉぉいッ!! マスタァー!!」
その時――酒場の喧騒に負けないくらいの大声が、カウンター席の隅の方から聞こえてきていた。
ここに来るのが初めての人なら、一体何事かと驚くことだろう。けどあたしは――『あたしたち』にとっては、もはや慣れたものだ。ジトっと瞳が湿るのを自覚しながら、ちらとそちらへ目を向ける。
「もぉ一杯、追加で持ってこぉぉーいッ!!」
「おいおい……あんたいくらなんでも飲み過ぎだって。いくら金あるからって……」
「あァん!? 俺がぁ、俺のカネでいくら呑もうがぁ、俺の勝手だろぉがぁ!!」
「そうかもしんねぇけどなぁ……」
……うわぁ。
今日もいるんだ……あの『鎧の男』。
短い金髪に無精ひげ。薄汚れた鎧に酒気を帯びた顔。誰がどう見てもそれとわかるくらいの、典型的な『酔っ払い』。今やこの酒場名物と化した彼は、今日も今日とて、『豪快に』酒を呷っているようである。
彼と関わったことのないあたしには、当然彼の身の上など知らない。けれど毎日のように酒を浴びれる生活は、度を越し過ぎて想像に難くないってもんだ。
いい御身分なことで――皮肉たっぷりに考えながら、手元の呼び鈴を鳴らす。
対応に追われていたマスターがこちらに振り向き、歩み寄ってくる。その表情は、救いの女神でも見たかのようだった。
「おぉナーシャ。精が出るな」
「うん……あのさ。いい加減出禁にでもした方が良くない? アレ」
「そりゃあ無理な相談だ。これも客商売の常ってな」
それもそうか。彼は特別暴れ回っているわけでもなければ、タダ酒を喰っているわけでもない。無理矢理追い出すのは無理筋だ。
ならば『いつものように』、正当に追い出せるタイミングを待つしかない。
「
「あ。うん。お願い」
マスターの言葉に返すと、彼は手早く準備をする。少しの待ち時間の後、出てきたのは、あまり大きくはないサンドイッチのセットだ。
量はあまり多いとは言えないけれど、あたしにとっては、この上ないご馳走。目が輝く――のを必死に引っ込めながら、ぼそりと呟く。
「……いただきます」
食器で小さく切り分けながら口に運ぶ。周囲に満ちる喧騒が、いやに大きく聞こえる。半分くらいまで食べ進めたところで、目の前に立つマスターが息を吸ったのが分かった。
「ナーシャ、」
「ん」
「お前さん、育ち盛りだろうし……もう少し食うもん食った方がいいんじゃねぇか?」
「余計なお世話よ」
確かに少量だし、栄養バランス的にも良好とは言えない。あたしの今の年齢を考えれば、もっと量を摂るべきだと思う。でも――そもそもの『容量』が多くなければ、求めるものは詰め込めない。
「あたしは、これで十分なの」
あたしは、少食なのだ。
「ん~……」
でもマスターは、あたしの返事に納得がいかないみたいだ。難しそうに唸ると、
「そうは言ってもなぁ……」
と、更に言葉を続けようとした。
「――いやっ! おやっさんの言う通りだ!!」
その時だった。聞き慣れない男の声が、突然そこに飛び込んできたのは。
え、とあたしが反応するより早く、隣に誰かが押しかけてくる。それは見慣れない青年。年齢もそんなに離れていなさそうな、逆立った赤髪の特徴的な男だった。
高そうには見えないが、しっかりと鎧を着こんでいる辺り――『勇者』であることは、一目でわかった。
「あんたにも色々事情あるんだろうが、身体は資本だ! それで病気にでもなっちまったら、元も子もないぜ!」
「……誰よアンタ」
「おっと! オレとしたことが! 自己紹介を忘れちまってたぜ!」
――なんだコイツ。率直に言えばそれだった。
「俺はエドガーっつーんだ! こっちのエルヴィンと……ここにはいねぇけど、あと一人の三人でギルドを組んでる」
「……」
ご丁寧に、そのもう一人――エルヴィンとやらが、彼――エドガーの傍に姿を現す。ターバンみたいな帽子に金髪、尖った耳――エルフか。コイツと違って、割と聡明そうに見えるけど。
だからといって、あたしが信用するかどうかとは別問題だ。
「……そのギルドの二人が、一体何の用?」
問いかけると、エドガーは、いやぁ、と恥ずかしそうに後頭部を掻いた。
「実はな……割の良さそうな依頼を見つけたはいいんだが、受けるには人数が足りなくてなぁ……」
「別に……受注人数に下限はないでしょ。勝手に受けたらいいじゃない」
「いやいや! 依頼はいつ、何が起きるかわかんねーんだぞ!? 『規定人数』は満たすに越したことねーだろ!」
コイツの理論はわからないでもないけど。ならすっぱり諦めればいいだけの話では。それとあたしの小食っぷりに、一体どんな関係があるっていうのか。
「アリもアリ! 大アリだろ! 節制するんなら、まず食費から削るのが常だからな!」
あたしの疑問に、彼は答えながら依頼票を差し出すことで応じる。言うまでもなく、彼の言う『割のいい依頼』というやつだろう。半信半疑で受け取ったそれの内容は……どうやら、『ゴブリン集団』の撃退。
近場の洞窟に巣食っているゴブリンを追い払え……とのことで。それ自体はあまり難しそうには思えない――にも関わらず。
「……!」
報酬額に、思わず目を見開いた。うそ――ゴブリンと言えば、魔物の中でも最下位レベルの魔物のはずなのに。
この額――相場の二、三倍は高いじゃない!
「な、」
口から漏れた声は、困惑に塗れていた。
「何かの間違いじゃないの? こんな額……」
「ところがどっこい、マジなんだなこれが。なんでもそこが、依頼人にとっての憩いの場所? だか思い出の場所? だかでな。何としてでも、一刻も早く追っ払いたいって話らしい」
信じ難い話だけれど、依頼というのは、『協会』の何重もの確認と精査で受領されるものだ。依頼票にもちゃんと押印がされているし……まぁ、間違いがない、とは言い切れないけれど、信用に足るのは『間違いない』。
ってことは……本気でこの額で、あたしたちに依頼を……
「もちろん、外部の人に協力させるんだ。報酬は弾むぜ」
畳み掛けるみたいに、エドガーは言う。
「報酬は山分けになるけどな。あんたの取り分は……全体の5割、でどうだ!」
「――!」
――思わず立ち上がる。
彼の発言のひとつひとつが、確実に信用のおけるものとは確信出来ない。
それでも、毎日の生活に困窮するあたしにとって、彼の提案は、大変に魅力的だった。
依頼する側が取り分を遠慮するのは、別に奇妙なことではないけれど――
――半分。この少なくない報酬を、それだけ。しかも一人ではなく、仲間がいる任務でもらえるなら……
……正直、ここまで旨い話もない。
「あんた、魔導士だろ?」
彼は続ける。
「これでうちは『近距離職』が一人、『遠距離職』が一人、『全距離職』が一人だ。バランスもちょうどいいし……」
彼の視線がこちらに向く。にやり、とちょっと悪者っぽい笑みが口元に灯った。
「やる気満々みたいだし、問題はねぇな!」
「……うっさいわね」
「じゃあ決まりだな!」
ぱん、とエドガーは手を叩く。早速、出立と行くらしい――あたしは依頼票をエドガーに返した。
「そんじゃ、改めて」
彼は、あたしに手を差し出す。
「短い間になるだろうけど、くれぐれも――」
よろしくな――と、続くはずだったろう彼の言葉は。
「――ちょっと、」
盛大な邪魔によって、遮られていた。
「待ったぁぁぁぁぁッ!!」
がしゃーん、ごろごろ、どてーんっ!
……擬音で表現するなら、そんな感じだろうか。
創作のように荒々しく、コミカルに、そして突然に、その場に割り込んできたのは――アルコールの匂いを纏った大柄な男。
金髪に、薄汚れた鎧。わかりやすい見てくれを、見間違えるはずもない。
「……!」
それは間違いなく。
間違いなく、あたしの正反対の位置、カウンター席の隅で酔い潰れていた、例の男。
あの、飲んだくれだった。
「――んなっ」
一瞬の静寂――
締結した契約書を破かれたように、しばし硬直していたエドガーは、ハッと我に返ると、床に倒れ伏した男を見て言った。
「なんだこのおっさん!? いきなり何――ってクサッ! 臭すぎだろあんた何杯飲んでんだ、臭いで人殺す気か!?」
「お前らぁ、黙って聞いてりゃ、好き勝手言いやがってぇ~~……」
「せめてちゃんと立ち上がってから言えっての! つーか呂律もろくに回ってねぇし! せめて一杯水飲め! ほら!」
「うぷっ……」
「吐くな!! えずくな! 邪魔するつもりなら他所行け他所!!」
「……」
――何この状況。さっきまでの空気が嘘みたいだ。
一応、さぁ行くぞ、って気を引き締めたつもりだったんだけど。酔っ払いに間に入りこまれたんじゃあ、エドガーの方も面子丸潰れに……
「こんな、こんななぁ……!!」
嘔吐は避けたものの、依然として足元も覚束ない状態で、男は話を続ける。
「幼気な女の子にぃ、寄ってたかってアブねー取引持ちかけるなんざ、勇者の名が廃れるってもんだぜぇ~~~??」
「いや……こんな昼前から飲んでる奴に言われたくねーんだけど」
「俺も!! 一緒に行くっ!!」
――再び、一瞬の静寂。
あたしたち三人とも、ぽかん、と呆然とするけれど、何とか言葉を理解したらしいエドガーが、ぎょっと目をひん剥いていた。
「は――はぁ!? あんたも!? いや、っつーか別に頼んでねーっつーの!! 俺たちの分け前が減っちまうじゃねぇか!!」
「ワケマエ? なんだそりゃ新種の魔物かぁ? そんなら任せろ! この俺が、ぜぇんぶぶっ倒してやるからよぉ!」
「魔物じゃねぇ! ルールの話だルールの話!! 人数増えたらその分もらえる金も減るんだぞ! お前、それだけちゃんと働けんのか!?」
「モラエル……あぁあの辺境の国かぁ!! あそこはいい国だったよなぁ、田舎だけど穏やかで、飯がうまくてなぁ!!」
「んな名前の国ねぇよ!! わかった、わかったからまず水飲んで来い! このままじゃまともに話も出来ねぇだろ! なぁ!」
「――うぷっ」
「定期的にえずくなっ!! 外行けっての外!! あぁクソ、これだから酔っ払いの相手は……!!」
「……エド」
埒が明かない会話の最中――冷静な声は、エルヴィンによるもの。
振り返ったエドガーは、何やら小声で話し合いをする。それを見て、地に足が着き、ぞわっと忘れ去ったはずの感覚が蘇る。
――なんか。
バシバシ、嫌な予感がする……
「――オッケイ、わかった」
でもどうやら、事態は既に断れる地点を逸してしまったようだった。
「オッサン、アンタの同行も認めてやる!」
「え……いいの?」
「おう。取り分が減っても仕方ねぇ、それだけ楽に仕事出来るって考えようぜ」
それとも、考える時間さえ無駄と思ったか。
再度ひとつ、拍手をしたエドガーは、気を取り直して……と、あたしたちを一瞥した。
「そういうわけだ、お二人さん! 至らねぇこともあるだろうが、依頼の達成目指して、頑張ろうぜ!」
改めて、差し出される手。
「よろしくな!」
「……」
一瞬、躊躇い――
でも、今更逃げるのも無理だと、あたしも覚悟を決めた。
「……よろしく」
挨拶もほどほどに――
薄っぺらそうな鎧に包まれた手を、軽く握った。