世界の片隅で愛を紡いでいたケモノ   作:星乃 望夢

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第四話

「さて、と、そろそろ仕事の時間か」

 

俺がそう言って立ち上がると、ミサトさんはソファの上で抱えていたクッションをぎゅっと押しつぶし、「えー、もう?」と露骨に唇を尖らせた。

 

その「ちょっち寂しそう」な表情に後ろ髪を引かれるが、俺は玄関に向かうわけじゃない。

 

居間の隅にあるデスクに向かい、インカムを装着してPCの電源を入れるだけだ。

 

「行ってきます」ではなく、「始めます」。

 

それが俺の仕事のスタイルだ。

 

俺は、いわゆる「普通」の社会人として生きることはできなかった。

 

かつてはスーツを着て満員電車に揺られていた時期もあったが、度重なるパワハラと過重労働で心がポッキリと折れた。

 

転職を繰り返すたびに傷は深くなり、最終的に「外に出て働く」という機能が壊れてしまった成れの果て。

 

けれど、捨てる神あれば拾う神あり、とはよく言ったものだ。

 

今はこうして在宅で、サーバーのシステム点検やログ監視を請け負っている。

 

障害年金というセーフティネットと、この在宅ワークの報酬。合わせれば、同年代の平均的なサラリーマンの1.5倍くらいの手取りにはなる。

 

元々、女遊びもギャンブルもしない。唯一の趣味だったエヴァも完結した今、散財する先なんてない。

 

だから、ミサトさんの毎晩のビール代や、たまの贅沢な食事を賄うくらいの甲斐性は、こんな俺にもあるつもりだ。

 

カタカタ、ッターン。

 

キーボードを叩く音が静かな部屋に響く。

 

背後でミサトさんが、忍び足で近づいてくる気配がした。

 

「……ふーん。あんた、意外とやるじゃない」

 

背後から覗き込んだミサトさんが、モニターに流れる文字列を見て感心したように声を上げた。

 

彼女には意味不明な羅列に見えるだろうが、俺が迷いなくコマンドを打ち込んでいく様が新鮮に映ったらしい。

 

「これ、MAGIのシステム管理してた連中より手際いいかもよ? ほんと、エンジニアとしてネルフにスカウトしたいくらいだわ」

 

「……買い被りですよ。ただのシステムのお守りです」

 

「謙遜しないの。リツコが見たら『欲しい人材ね』ってメガネを光らせるわよ、きっと」

 

ポン、と肩に置かれた手の重み。

 

その何気ない一言が、俺の胸の奥で燻っていた劣等感を少しだけ溶かしてくれた。

 

社会のレールから外れ、壊れてしまった俺。

 

でも、憧れのネルフ作戦部長に「欲しい」と言ってもらえた。

 

それだけで、この仕事をしてきた意味があったような気がして、俺は少しだけ背筋を伸ばしてキーボードに向き直った。

 

ミサトさんに見られていると思うと、いつもよりタイピングが軽快になるのは、我ながら単純すぎると思うけれど。

 

 

◇◇◇

 

 

キーボードを叩く手を一旦止めて、俺はくるりと椅子を回転させ、ソファで退屈そうに雑誌(俺の古いエヴァのムック本だ)をめくっているミサトさんに向き直った。

 

「ねえ、ミサトさん。提案があるんですけど」

 

「ん? なあに? 晩御飯のメニューなら、唐揚げがいいわね」

 

「いや、仕事の話です。……もし『お酒を飲みながら稼げる仕事』とかあったら、どうします?」

 

その瞬間、ミサトさんの目がキラーンと光った。

 

が、すぐに警戒心を露わにしてジロリと俺を睨みつける。

 

「……あんたねぇ。私がいくら戸籍がないからって、キャバクラとかスナックで働かせる気? 悪いけど、お酌するのはもう懲り懲りよ。セクハラ親父の相手なんてしたら、条件反射で背負い投げしちゃうわよ?」

 

「いやいや、違いますって。そういう『夜の店』じゃないです。家から一歩も出なくていいんです」

 

「は? 家で飲んでてお金になる? ……なにそれ、怪しいお薬の治験バイトか何か?」

 

あまりに疑り深いので、俺は苦笑しながらPCのモニターを指差した。

 

「『動画配信者』……YouTuberって奴ですよ」

 

「ゆー……ちゅーばー?」

 

キョトンとするミサトさんに、俺は現代のネット文化について説明を始めた。

 

カメラに向かってお酒を飲んで、雑談をして、見ている人たちのコメントに反応する。

 

いわゆる「晩酌配信」や「雑談配信」というスタイルだ。

 

「ミサトさん、ネルフでの指揮官経験……というか、対人スキルはめちゃくちゃ高いじゃないですか。表面上は明るく振る舞って、場を盛り上げて、人の話を聞いて適当に……いや、上手に相槌を打つ。そういう『気のいいお姉さん』のスキル、ネットじゃすごい武器になるんですよ」

 

俺の言葉に、ミサトさんは「表面上は、ねぇ」と苦笑しつつも、興味深そうに顎に手をやった。

 

「つまり……私はここでヱビスビールを飲みながら、カメラに向かって『あら、今日も疲れたわね~! 乾杯!』とかやってればいいってこと?」

 

「ざっくり言えばそうです。で、それを見た視聴者が『楽しかった』とか『元気出た』って思ったら、お金……投げ銭をくれるシステムがあるんです」

 

「投げ銭……おひねりみたいなものかしら?」

 

「そうです。ミサトさんのそのキャラと、酸いも甘いも噛み分けたトーク力なら、間違いなく人気出ますよ。それに、俺が機材の設定とか管理は全部やりますから。ミサトさんはただ、楽しく飲んでくれればいい」

 

ミサトさんはしばらく考え込んでいたが、やがてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「……なるほどね。『サービス、サービスぅ!』って愛想振りまいて、その上ビール代が稼げるなら……悪くない話じゃない。それに、寂しい誰かの話し相手になるくらいなら、今の私にもできそうだしね」

 

「でしょ? 俺も、ミサトさんが外で変な男に絡まれる心配しなくて済みますし」

 

「あら、心配性な旦那様」

 

ミサトさんは茶化すように笑うと、「乗ったわ!」と缶ビールを高々と掲げた。

 

「善は急げよ! 早速今夜からやってみましょうか!……あ、でも顔出しマズいんじゃない? 戸籍ないのに有名になったら黒服の人とか来ない?」

 

「ネルフがある世界でもあるまいし、そんな事ないですって。設定はそうですね……『元・秘密組織の美人女幹部』とかどうです?」

 

「……あんた、それほぼノンフィクションじゃない」

 

こうして、俺とミサトさんの奇妙な「二人三脚」の配信者生活が幕を開けようとしていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「チャンネル名は……『ミサトの作戦会議室』。うん、これで行きましょう」

 

モニターに表示されたロゴを見ながら、俺は頷いた。

 

ちょっと堅苦しい気もするが、視聴者は「元・秘密組織の美人女幹部」というロールプレイ(実際は本人だが)を期待して来るのだ。

 

『葛城家のリビング』という案も最後まで悩んだが、それだとありふれたカップルチャンネルに埋もれてしまう。

 

やはりここは、彼女のキャリアを活かしたストレートなネーミングが一番だ。

 

「作戦会議室、ね。ま、私らしくていいんじゃない?」

 

ミサトさんも缶ビール片手に、そのタイトルにご満悦の様子だ。

 

だが、ふと何かを思い出したように、彼女は少し首を傾げて俺の方を向いた。

 

「……で、その『作戦会議』の相棒についてなんだけどさ」

 

「はい? 何か不備でも?」

 

「違うわよ。……あんた、どうしてずっと敬語なの?」

 

不意打ちの質問に、俺はキーボードを叩く手を止めた。

 

「だって、あんたの方が今は年上なんでしょ? 33歳。私は29歳。なのに、ずーっと『ミサトさん』『ですか』『ます』って。……なんか、調子狂っちゃうのよねぇ」

 

ミサトさんは口元を緩めつつも、不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。

 

確かにそうだ。一般的に考えれば、年下の女性に敬語を使い続ける年上の男というのは、少し奇妙な構図かもしれない。

 

でも、俺の中ではそれが絶対的なルールとして刻み込まれてしまっているのだ。

 

俺は視線を彷徨わせ、無意識のうちに両手の人差し指を胸の前でチョンチョンと突き合わせた。

 

33歳のおっさんがやる仕草じゃないとは思う。でも、彼女の前だとどうしても、気持ちが縮こまってしまう。

 

「だって……俺、ミサトさんにずっと憧れてたから。なんというか、俺のメンタルは……あの頃のシンジ君と同じ目線なんですよ。ずっと画面の下から、カッコいいミサトさんを見上げてたんです」

 

俺は上目遣いで、恐る恐る彼女の顔色を伺った。

 

「だから、ミサトさんにはなんだか敬語になっちゃって。……その、イヤ、ですか?」

 

不安げに首を傾げ、問いかける。

 

その瞬間、ミサトさんの目が大きく見開かれた。

 

目の前にいるのは自分より年上の男。

 

けれど彼女の瞳には、今の俺の姿が、あの14歳の少年――繊細で、傷つきやすくて、誰よりも守ってあげたかったシンジ君の姿と、完全に重なって見えていたに違いない。

 

「……っ」

 

ミサトさんは一瞬言葉を詰まらせ、それから「はぁ~……」と長く、甘い溜息をついた。

 

そして、愛おしそうに俺の頭をガシガシと撫で回した。

 

「……イヤなわけないでしょ。ほんと、あんたは……図体ばっかりデカくなって、中身は可愛いまんまなのね」

 

その声色は、部下に対するものでも、恋人に対するものでもなく。

 

あの日、なりたくてなれなかった「母親」のような優しさに満ちていた。

 

 

◇◇◇

 

 

ウェブカメラ直撮り、顔出しスタイルでの配信。

 

俺は配信ソフトの「開始」ボタンをクリックし、手でOKサインを送る。

 

『ミサトの作戦会議室』、記念すべき第一回配信がスタートした。

 

「総員、第一種戦闘配置。これより、第一回『ミサトの作戦会議室』を開始するわ。……状況はどう?」

 

画面の中のミサトさんは、少し緊張した面持ちで、しかし凛とした「指揮官」の声色で切り出した。

 

手元には、缶のUCCコーヒー。

 

赤いジャケットを羽織り、サングラスをずらしてカメラを見据えるその姿は、まさしく俺たちが知る「葛城ミサト」そのものだ。

 

俺の目の前のコメント欄が、凄まじい勢いで流れ始める。

 

『うわっ、本物!?』

『クオリティ高すぎて草』

『コスプレ? 声も似すぎだろ』

『ミサトさん結婚してくれー!』

『いきなりUCC缶とか分かってるw』

 

「ふふ、なかなか良い反応じゃない。……今日の議題は、『現代社会におけるストレスとの戦い方』についてよ。みんな、日々の業務、ご苦労様」

 

ミサトさんはコメントを拾いながら、UCCコーヒーを一口啜る。

 

前半は、俺と打ち合わせた通りの「真面目な悩み相談コーナー」だ。

 

「上司がウザい」「残業が多い」といったコメントに対し、「中間管理職ってのは辛いものよねぇ。分かるわ、板挟みの気持ち」と、実体験(?)に基づいた重みのあるアドバイスを返していく。

 

完璧だ。

 

完璧な「理想の上司」としてのミサトさんがそこにいる。

 

同接数はみるみるうちに跳ね上がり、数千人を突破した。

 

……だが、開始から30分が経過した頃だった。

 

「……んー。……あー……」

 

ミサトさんが、空になったUCC缶をカランと揺らし、チラリと画面外の俺に視線を送ってきた。

 

その目が訴えている。

 

『コーヒーじゃ、喉が潤わないわよ!』と。

 

俺は苦笑しながら、「OK」のハンドサインを出した。

 

ここからは、後半戦だ。

 

「……ま、堅苦しい話はここまで! 作戦終了!」

 

ミサトさんはそう言うなり、足元のクーラーボックスから「あるもの」を取り出した。

 

金色のボディに、恵比寿様のマーク。

 

ヱビスビールだ。

 

プシュッ!!

 

小気味良い開栓音がマイクに乗る。

 

「んぐ、んぐ、んぐ……ぷはぁーーっ!! くぅ~、やっぱ仕事の後はこれよねぇ!!」

 

さっきまでの凛とした表情が崩壊し、だらしなくも最高に幸せそうな笑顔が画面いっぱいに広がる。

 

赤いジャケットを「暑いわね」と脱ぎ捨て、タンクトップ姿になって足を組み替える。

 

コメント欄が爆発した。

 

『!?』

『キャラ変www』

『うっわ飲みっぷり最高かよ』

『ここからが本番かww』

『これ素だろ絶対www』

『俺も飲むわ! 乾杯!』

 

「さーて、ここからは無礼講よ! みんな、飲み物は持った?日頃の鬱憤、私が全部聞いてあげるから、じゃんじゃん書き込みなさい!」

 

画面に向けてウインクを飛ばすミサトさん。

 

スパチャの通知音が、ひっきりなしに鳴り響く。

 

高額な赤スパが飛び交い、「ビール代にしてくれ!」「もっと飲んでるところ見せて!」と応援コメントが殺到する。

 

「あら、ありがとう! このお金でまた美味しいお酒が飲めるわね♪……え? 『33歳独身男ですが、ミサトさんに踏まれたいです』?……あんたねぇ、そういうのはもっと高いお酒持ってきたら考えてあげるわよ、なーんてね! あはは!」

 

豪快に笑い、リスナーを弄り、ビールを煽る。

 

そこには、アニメのキャラクターの殻を破った、生身の「葛城ミサト」の魅力が溢れていた。

 

飾らない、人間くさい、俺が……俺たちが大好きだったお姉さん。

 

俺はコメントの流れを管理しながら、その光景を眩しく見つめていた。

 

彼女は、この世界でも愛されている。

 

この場所で、彼女はただの「人気配信者」として、みんなに笑顔を届けている。

 

(……よかった。ミサトさん)

 

画面の中で「次! おかわり!」と空き缶を振る彼女と目が合った気がして、俺は誰にも見えないように、小さくガッツポーズをした。

 

 

◇◇◇

 

 

カタカタ、ッターン。

 

俺は配信管理画面の「概要欄」を開き、素早くキーボードを走らせた。

 

視聴者の熱量が上がると同時に、スパチャの勢いも加速している。

 

ありがたいことだが、ただの叫びや意味のない文字列で埋め尽くされては、ミサトさんが拾うべき「声」が埋もれてしまう。

 

俺はとっさに判断し、追記を入力した。

 

【作戦要綱:補足事項】

※スパチャ(補給物資)に添付するコメントは、なるべく『人生相談』や『作戦報告(悩み事)』でお願いします。

※戦況(コメントの流れ)が激化しているため、全てを拾い切れるわけではありません。

予め、ご理解とご協力をお願いします。

 

「更新」ボタンをクリック。

 

即座にモデレーター権限でチャット欄にも固定メッセージとして貼り付ける。

 

『了解!』

『ラジャー!』

『補給物資、装填!』

 

リスナーたちもノリが良い。すぐにコメントの質が変わり、ミサトさんが答えやすい相談が増え始めた。

 

「ん、ありがと。……お、次の相談は……『上司が理不尽で……』か。あるわよねぇ、そういうの。私も昔、司令官が人の話を聞かない頑固親父でさぁ……」

 

画面の中のミサトさんが、俺の出したフォローを即座に汲み取り、スムーズにトークを展開していく。

 

俺はマイクの音量バランスを微調整し、BGMのフェードを操作し、荒らしコメントを瞬時にブロックする。

 

(……これだ)

 

モニターの光に照らされながら、俺は奇妙な高揚感を覚えていた。

 

やっていることは、ただのYouTubeとOBSの操作だ。

 

けれど、今の俺の心境は、かつて憧れたネルフ本部の発令所にいるオペレーターそのものだった。

 

戦術作戦部作戦局第一課課長、葛城ミサト。

 

彼女が前線(配信画面)で指揮を執り、俺が後方(PC裏)で情報を整理し、環境を整え、彼女をサポートする。

 

「パターン青、荒らしです」

「シグナルロストなし、回線安定」

「主電源供給システム(ビール)、残量低下。補給準備よし」

 

心の中で、そんな台詞を呟いてみる。

 

日向マコトや伊吹マヤ、青葉シゲルが感じていたであろう緊張感とやり甲斐が、今の俺には痛いほど分かる。

 

俺は今、MAGIシステムの一角を担うシステムエンジニアとして、ミサトさんと完全に同期(シンクロ)しているんだ。

 

社会のレールから外れ、何者にもなれなかった俺が、今、この人の役に立っている。

 

「ミサトさんを支えている」という実感だけが、俺の指先を熱く走らせていた。

 

 

◇◇◇

 

 

モニター越しに見る彼女の笑顔は、いつも以上に輝いて見えた。

 

けれど、その輝きが俺の心臓を物理的に止める凶器になるとは、数秒前まで予想していなかった。

 

きっかけは、一件の赤スパだった。

 

PN: 迷える子羊

『ミサトさん、相談です。好きな人に告白する勇気が持てません。今の関係が壊れるのが怖くて……背中を押してください』

 

ミサトさんはビールを一口飲み、ふう、と息をつくと、カメラに向かって真剣な眼差しを向けた。

 

「勇気が持てない……うん、当然よ。誰だって自分が可愛くて、傷つくのは怖いもの」

 

そこまでは良かった。いつもの頼れるお姉さんのアドバイスだ。

 

だが、彼女はそこでふと、カメラのレンズから視線を外し──背中越しの俺の方を、とろんとした甘い目で見つめた。

 

「でもね。逃げちゃダメ。傷つく覚悟で飛び込まないと、手に入らないものもあるわ。……ねえ? そこにいる私のエンジニア君もそう」

 

「っ!?」

 

俺は喉の奥で変な悲鳴を上げた。

 

やめろ。嫌な予感がする。ステイだミサトさん、それ以上はいけない。

 

だが、暴走した指揮官は止まらない。彼女は悪戯っぽく口角を上げ、全世界に向けて爆弾を投下した。

 

「彼だって最初はオドオドしてたけど……震えながら、私に飛び込んで来てくれたのよ?おかげで今は、こうして私が『幸せ』になれてるんだから。……ねっ、旦那様?」

 

ドカーン!!

 

俺の脳内で何かが爆発した。

 

羞恥心という名のATフィールドが粉々に砕け散り、顔面から火が出るほどの熱が噴き出す。

 

「旦那様」って! それ配信に乗ってるから! 何万人聞いてると思ってんだ!

 

当然、コメント欄は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 

『はああああああああ!?』

『マ!? ガチで付き合ってんの!?』

『エンジニア氏、そこ代われえええええ!!』

『裏切り者ォォォォ!』

『リア充爆発しろ!』

『エンジニア氏爆発しろ』

『爆発しろ』

画面を埋め尽くす「爆発しろ」の弾幕。

 

俺は顔を両手で覆い、机に突っ伏してのたうち回りたい衝動を必死に抑え込んだ。

 

憧れの人に公共の電波でノロケられるなんて、オタク冥利に尽きる……いや、刺激が強すぎて致死量だ。

 

けれど、俺はエンジニアだ。

 

この場の空気を、エンタメとして処理しなければならない。

 

震える指でキーボードを叩く。

 

俺はモデレーター権限を使い、チャット欄に冷静かつ、エヴァファンならクスリとくる一文を打ち込んだ。

 

【Mod】エンジニア:

N2爆弾が無いので爆発しません。

 

そのコメントが表示された瞬間、怒り狂っていたコメント欄が一瞬止まり、すぐに「草」「うまい」「座布団一枚」「N2なら仕方ない」という笑いの渦へと変わっていった。

 

「あはは! 『N2がないから爆発しない』だって! 言うじゃない!」

 

画面の中のミサトさんが、手を叩いて大笑いしている。

 

その楽しそうな姿を見ながら、俺は熱り冷めやらぬ頬をさすり、深い深いため息をついた。

 

(……ほんと、この人には一生勝てる気がしない)

 

心臓はまだ早鐘を打っていたが、不思議と悪い気分ではなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

『配信終了』のボタンをクリックし、OBSの送出を停止する。

 

ふぅ、と長く息を吐き出すと、部屋にはPCのファンの回る低い音だけが残った。

 

「……ど、どうだった? 私、変なこと言ってなかった?」

 

ヘッドセットを外し、少し上気した顔でこちらを覗き込んでくるミサトさん。

 

俺は無言で、YouTubeの管理画面を指差した。

 

「見てください、これ」

 

「……えーっと? 『同時接続数:12,480人』……?」

 

ミサトさんが目を丸くして数値を読み上げる。

 

無名の新人が、初配信で同時接続1万人超え。これは「普通」じゃない。異常事態と言ってもいい大成功だ。

 

そして、さらに重要な数字がその横にある。

 

「こっちです。こっち」

 

「い、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……じゅうまん……」

 

ミサトさんの指が震え、その声が裏返った。

 

「さ、さんじゅうまんえんんんんっ!?」

 

「はい。30万円です。たった2時間の晩酌雑談で、新卒のサラリーマンが1ヶ月汗水垂らして稼ぐ初任給以上を、叩き出しちゃいましたよ」

 

もちろん、ここからプラットフォームの手数料などが引かれるから、丸々手に入るわけではない。それでも、とんでもない額だ。

 

俺があれこれ悩んでいた「ミサトさんの就職問題」が、この2時間で粉々に吹き飛んでしまった。

 

「う、嘘でしょ……? ただビール飲んで、愚痴聞いて、あんたとのろけてただけよ!?」

 

「それが『葛城ミサト』というコンテンツの力であり……今のミサトさんの『価値』ですよ」

 

俺がそう告げると、ミサトさんは信じられないといった様子で、自分の手のひらをじっと見つめた。

 

戦場で血に塗れ、多くの命を背負い、誰からも理解されずに戦い続けてきた手。

 

それが今、平和な世界で、ただ「そこにいて喋る」だけで、これだけの価値を生み出したのだ。

 

「……そっか。私、ここでも生きていけるのね」

 

ポツリと漏らした言葉には、安堵の色が滲んでいた。

 

俺の扶養に入るだけじゃない。彼女自身が、彼女らしく輝ける場所を見つけたのだ。

 

と、感傷に浸っていたのも束の間。

 

ミサトさんはバッと顔を上げると、獲物を見つけた肉食獣のような満面の笑みを浮かべて、俺の首に抱きついた。

 

「やったわーーっ!! 大勝利よ!!ねえ、これですぐに美味しいお酒とおつまみ、山ほど買えるわよね!?」

 

「あはは、実際に入金されるのは来月ですけどね。……ま、今日のお祝い分くらいは、俺が出しますよ」

 

俺が苦笑すると、ミサトさんは「さすが私のエンジニア様!」と頬ずりをしてきた。

 

「んじゃ、配信は終わったし……ここからは『オフ会』ね?」

 

彼女の手が、俺のシャツの裾にするりと入り込む。

 

耳元で囁かれる声は、さっきまで1万人の前で喋っていた「元気なお姉さん」の声ではなく、俺だけが知る、湿度を帯びた「女」の声だった。

 

「さっきのスパチャのコメント……『エンジニア爆発しろ』だったわよね?」

 

「……ええ、N2爆弾がないから爆発しないと答えましたけど」

 

「ふふ。……爆弾はないけど、私が骨の髄までとろけさせて、頭の中『爆発』させてあげるわよ?」

 

そう言って妖艶に唇を舐めるミサトさんを見て、俺は観念したように天井を仰いだ。

 

どうやら今夜の「作戦」は、まだまだ終わりそうにない。

 

 

 

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