ひとしきり砂浜で揉みくちゃにされ、全身砂だらけになったあなたは、ギンジと共に着替えと洗顔のため、少し離れた公衆トイレへと向かった。
外の刺すような熱気とは裏腹に、コンクリート造りの建物内はひんやりと冷たく、どこか粘りつくような薄暗い静けさが漂っていた。
1. 鏡の中の幻聴
蛇口を捻り、冷たい水で顔の砂を洗い流していた、その時だった。
背後――右耳のすぐ後ろで、冷気を含んだクスクスという笑い声と共に、奇妙な囁きが鼓膜を震わせたのだ。
「……『■■■』は、もうすぐだね……」
子供のようでもあり、老婆のようでもある、性別不明の歪んだ声。
肝心の単語だけは、まるで電子的なノイズが混じったように聞き取れなかったが、その嘲笑うような響きに、あなたの背筋には氷の楔を打ち込まれたような戦慄が走った。
「……っ!?」
あなたは濡れた顔のまま、弾かれたように振り返った。
しかし、そこには汚れたタイルの壁と、静まり返った個室のドアが並んでいるだけ。人の気配など、微塵もなかった。
2. ギンジの反応
「……おい、どうした? 急に血相を変えて」
手を拭き終えたギンジが、鏡越しに怪訝そうな視線をこちらに向けていた。
あなたは荒くなった呼吸を必死に整えながら、周囲を何度も見回す。
「いや、今……誰かに話しかけられた気がして。なんというか、すぐ後ろで……」
「あ?」
ギンジは片眉を上げ、誰もいない個室を一瞥してから、呆れたように鼻を鳴らした。
「誰もいねえぞ。……お前、昨日の徹夜作業とさっきの『埋没の刑』で、頭まで砂が詰まったか? 幻聴だろ、幻聴」
「……そう、かな。気のせい、か……」
3. 残響
あなたは自分の耳を疑いながらも、確かに聞こえた不気味な声の残響を、どうしても拭い去ることができない。
これ以上ここで立ち尽くしているのも気味が悪く、あなたは重い足取りで出口へと向かった。
「ほら、行くぞ。みんな待ってる」
ギンジに促され、あなたはトイレを後にした。
眩しい陽光の下へ戻るその瞬間、背後の鏡に「人型をしたノイズ」が映ったような気がしたが、それを振り返って確認する勇気は、今のあなたにはなかった。
一歩外へ踏み出した瞬間、刺すような夏の日差しと、眩い光の奔流があなたを飲み込んだ。そこには先ほどまでの不気味な静寂など微塵も感じさせない、突き抜けるような青空と、仲間たちの無邪気な歓声が広がっている。
「おーい、遅いぞ! ギンジ、まさか(あなたの名前)を個室に閉じ込めてシメてたんじゃねぇだろうな!」
アカネが波打ち際から手を振り、喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。
あなたはその陽光に目を細めながら、一瞬だけ、背後の薄暗いトイレの入り口を振り返った。しかし、そこには煤けたコンクリートの壁が沈黙を保っているだけだった。
「……いや、なんでもない。ちょっと目が回っただけだ」
あなたは無理やり口角を上げ、笑顔という名の仮面を顔に貼り付けた。喉元までせり上がってくる得体の知れない不安を心の奥底へ押し込み、あなたは光に溢れた喧騒の中へと戻っていった。
祭りのあと、忍び寄る夜の帳
遊び尽くした10人は、夕焼けが海を真っ赤に焼き尽くす頃、心地よい疲労感と共に駅への道を歩き始めた。
「あー、食ったし遊んだ! これで思い残すことはねぇな!」
「明日は筋肉痛確定ね。……(あなたの名前)、あんたのせいなんだから」
「僕も……久しぶりにこんなに動いたよ……」
アカネ、サキ、アオトたちが口々に今日の名残を語り合い、弾けるような笑い声が夕暮れの空に溶けていく。
しかし、あなたの心臓の奥底には、あのトイレで感じた「氷のような冷たさ」が、棘(とげ)となって深く刺さったままだった。
帰路の電車にて:沈黙の車内
ガタン、ゴトン……。
一定のリズムを刻むレールの振動が、遊び疲れた仲間たちを深い眠りへと誘う。
ロングシートの端ではアカネが口を開けて爆睡し、その肩にミサが寄りかかっていた。親友もギンジも腕を組んで目を閉じ、ハロもまた、カバンの中で静かにスリープモードに入っている。
窓の外はオレンジ色の残光が消え、次第に濃密な夜の帳(とばり)へと塗りつぶされていった。
あなただけが眠れず、暗い窓ガラスに鏡のように映る自分の顔を、ぼんやりと見つめていた。
(……気のせいだ。疲れているだけなんだ)
そう自分に言い聞かせようとした、その時だった。
電車の走行音に混じって、また「あのノイズ」が脳裏を直接撫でた。
『……もうすぐだね……』
ふと、窓ガラスに映るあなたの背後――眠っている仲間たちのわずかな隙間に、あり得ない「黒い影」が映り込んだ気がした。
「っ!?」
あなたは弾かれたように振り返った。
しかし、そこにあるのは安らかな寝息を立てる仲間たちの、無防備で平和な姿だけだ。
「……なんだよ、クソ……」
あなたは浮き出た冷や汗を拭い、再び正面を向いた。
けれど、窓ガラスに映る自分自身の瞳が、どこか他人のもののように冷たく、無機質に見えてならない。あなたは逃げ場のない不安に駆られ、知らず知らずのうちに自分の腕を強く抱きしめていた。
最高の夏は、終わった。
しかし、あなたの日常の裏側で、「聞き取れなかった何か」が、確実にその産声を上げようとしていた。