ソードアート・オンライン インテンシブ   作:神谷 キリン

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二〇二三年六月五日 月曜日

 サクラフブキ アインクラッド第三十三層主街区

 

 転移門の光が霧散し、眼前の世界が唐突に切り替わった。

 ――和風。

 それが第一印象だった。

 これまでのどの階層の主街区とも異なり、第三十三層の通りには整然とした石畳が敷かれ、両脇には木造建築が並んでいる。軒先は緩やかに反り上がり、青灰色の瓦が陽光を浴びて鈍い光沢を放っていた。空気中には淡い香の匂いが漂い、どこか古刹(こさつ)のような雰囲気を醸し出している。

 

「……戦国時代か?」

 

 僕は思わず呟いた。

 僕はこの層に到達した第一陣(ファースト・バッチ)の一人だ。

 通りにプレイヤーの姿は殆どなく、露店の準備をするNPCの商人が疎らにいる程度だ。彼らは麻や絹の着物を纏い、腰には紐を巻き、頭には笠や手拭いを被っている。時折風が吹くと、軒下の風鈴が涼やかな音色を奏でた。

 

 メインストリートを歩く。両側の店舗はまだ大半が閉まっており、『支度中』の木札を掲げた店先で、店主がのんびりと門枠を拭いている光景が見られた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 茶屋の前を通り過ぎると、NPCの女将が淑やかに頭を下げた。その声は、まるで別の時代から響いてきたかのように柔らかい。僕は軽く会釈を返し、先へと進んだ。

 

 通りの突き当たりには朱色の鳥居が聳(そび)えていた。それを潜り抜けると、視界が一気に開けた――どうやらここが主街区の中央広場らしい。中心には巨大な桜の木が鎮座しており、薄紅色の花弁が風に舞い、地面を埋め尽くしている。

 

「……季節設定は春か?」

 

 舞い落ちる花弁を掌で受け止める。それは一瞬だけ皮膚に留まり、すぐに微細な光の粒子となって消えた。本来、アインクラッドの季節は現実世界の時間経過と連動しているはずだが、この層は温暖な気候に設定されているようだ。あるいは、現実が六月だからだろうか。SAOのディテールへの拘(こだわ)りは常に驚嘆に値する。花弁の触感さえも、あまりにリアルにシミュレートされていた。

 

 広場の周囲にはすでに開店している店が数軒あった。その一つに『鍛冶屋』の看板が掛かっている。

 引き戸を開けて中に入り、壁の陳列棚を一瞥する。大半が太刀や打刀といった和風武器で占められており、稀にレイピアなどが混じっている程度だ。この層の武器屋も、全体的な様式(スタイル)に合わせているらしい。

 

 鍛冶屋を出て、別の小道を探索する。道の終端は石段になっており、小高い丘へと続いていた。石段の両脇には石灯籠が並び、火は入っていないものの、彫刻の紋様は精緻を極めていた。

 丘の上に登ると、視界はさらに開けた。ここからは主街区全体を一望できる――重なり合う瓦屋根、蜿蜒(えんえん)と続く石畳の街路、遠くには天守閣のシルエットさえ確認できた。

 現在時刻は午後四時十七分。日没まではまだ時間があるが、未知のエリアへ単独で挑むにはリスクが高すぎる。

 

          ***

 

 主街区に戻ると、通りの人影は少し増えていた。数人のプレイヤーが連れ立って歩いている。彼らも到着したばかりなのだろう、新しい店を見つけては興奮気味に議論している。

 

「この層の料理店、『懐石(かいせき)』の限定メニューがあるらしいぜ!」

 

「マジか? そりゃ食っとかないとな!」

 

 彼らの会話が遠ざかっていく。僕は時間を確認し、まずは宿を確保することに決めた。

 第三十三層の宿屋もまた、伝統的な和風旅館の様式だった。畳敷きの部屋、障子戸、床の間には桜の枝が生けられた磁器の瓶が飾られている。NPCの女将が浴衣と手拭いを差し出し、微笑んだ。

 

「温泉は裏庭にございます。ご自由にお使いください」

 

「……温泉まであるのか」

 

 裏庭へ通じる木戸を開ける。

 ――白濁した湯けむり。

 石造りの露天風呂が竹垣で囲まれ、水面は夕陽の残照を映し、数枚の桜の花弁が漂っていた。SAOの物理演算エンジンは温泉の熱量さえも再現しており、湯に足を踏み入れた瞬間、疲労度が緩やかに回復していくのを感じた。

 湯船の縁の岩に背を預け、空を仰ぐ。

 温泉の熱気が皮膚から浸透し、筋肉の深層に溜まった疲れを蒸発させていく。夕焼けに染まった空は、茜色と薄紫のグラデーションを描いていた。水面に浮かぶ花弁が波紋に合わせて揺れ、まるで呼吸しているかのようだ。

 ――SAOの温泉、ここまで再現しているとはな。

 手で湯を掻くと、仮想(バーチャル)の熱が指先から伝わってくる。二十分ほど浸かり、僕は湯から上がった。

 

 宿を出る頃には、夜の帳(とばり)が完全に下りていた。

 街路の提灯に次々と明かりが灯り、橙色の光の輪が石畳に斑模様の影を落とす。夜風は桜の香りを孕んで頬を撫で、昼間の喧騒とは異なる静寂を運んできた。

路地を一つ曲がると、不意に濃厚な香りが鼻腔をくすぐった。豚骨の深みのあるコクと、ネギやニンニクの薬味が混ざり合った、夜の空気の中で一際食欲をそそる香りだ。

 

「……ラーメンか?」

 

 路地の奥で、『博多屋』という暖簾(のれん)を掲げた小さな店が明かりを灯していた。木造の店先には低いテーブルが数卓並べられ、疎らなNPCの客たちが丼に顔を埋めている。ズルズルと麺を啜る音が、少し離れた場所まで聞こえてきた。

 暖簾を潜る。店内は簡素だが清潔だった。L字型の木製カウンターに、七、八脚のハイスツール。壁には黄色く変色したメニューが貼られている。麺を茹でる大鍋からは盛大に湯気が立ち上り、店主と思しきNPC――捻り鉢巻きをした中年男性が、長い菜箸で鍋をかき混ぜていた。

 

「いらっしゃい!」

 

 店主は顔も上げずに叫んだ。腹の底から出るような、よく通る声だ。

 僕はカウンターの隅に座り、壁のメニューを一瞥した。『博多豚骨ラーメン』『味噌ラーメン』『醤油ラーメン』……種類は多くないが、王道は押さえている。

 

「博多豚骨を一つ。チャーシューと煮卵追加(トッピング)で」

 

「あいよ!」

 

 店主は手際よく細麺の玉を沸騰した湯に放り込み、同時に氷冷庫からチャーシューの切り身を取り出した。その動作は流れるようで、熟練のラーメン職人として設定されていることが見て取れた。

 麺を待つ間に決済ウィンドウを開き、350コルを店主のアカウントへ送金する。システム音が鳴ると、店主は満足げに頷き、湯切りに集中した。

 

 五分とかからずに、湯気を立てるラーメンが目の前に滑ってきた。

 ――乳白色の豚骨スープの表面に黄金色の脂が浮き、ストレートの細麺が中央に整然と畳まれている。その上には桜色のチャーシューが三枚、半熟の煮卵、そして鮮やかな青ネギの山。スープには揚げニンニクの粒も散らされており、香りが強烈に鼻腔を刺激する。

 箸を取り、まずはスープを一口。

 とろみのあるスープが舌の上を滑る。豚骨の旨味が瞬時に口内で爆発し、追いかけるようにニンニクの香りと背脂の甘みが広がる。温度は完璧で、口内を火傷させず、かつ風味を最大限に引き立てる熱さだ。

 ――現実(リアル)の博多ラーメンと、ほぼ同じだ。

 麺の食感も申し分ない。細いがコシがあり(アルデンテ)、スープの味を完璧に吸着している。チャーシューは口の中で解け、煮卵の黄身は半熟のゼリー状で、箸で突くと濃厚な卵液が流れ出した。

 

「……美味い」

 

 思わず独り言が漏れる。それを聞きつけた店主が、得意げに胸を張った。

 

「当たり前よ! うちのスープは丸二十時間煮込んでるんだからな!」

 

 プログラムされた定型文(セリフ)だとわかっていても、不思議と気分が高揚する。

 半分ほど食べたところで、引き戸が再び開いた。二人のプレイヤーが入ってくる。レベリング帰りなのか、装備には疲労感が滲んでいた。彼らは僕を見て明らかに驚いた様子だった。こんな場所に他のプレイヤーがいるとは思わなかったのだろう。

 

「あ、先客か」

 

「しかもソロだ……」

 

 彼らは小声で囁き合い、カウンターの反対側に座った。夜風が隙間から吹き込み、ラーメンの湯気を揺らして散らした。

 

          ***

 

 ラーメンの余韻(アフターテイスト)を舌に残したまま、宿の木戸を押し開ける。

 途端、炭火とタレが焦げる香ばしい匂いが漂ってきた。

 ――ん?

 チェックイン時にはガランとしていた一階ロビーの隅に、いつの間にか暖色の明かりが灯っていた。柱には『鳥安』と書かれた小さな木札が下がり、その下には五、六人も座れば満席になるL字カウンターが出現している。炭炉の焼き台からは白い煙が立ち上り、数本の鶏肉がジューッと音を立てている。脂が炭に落ち、小さな火花が散る。

 

「居酒屋……?」

 

 入り口で一秒ほど呆気にとられる。どうやら夜間限定のギミックらしい。

 

「へい、いらっしゃい~」

 

 紺色の手拭いを巻いたNPCの大将が顔を上げた。炭火の熱でその丸顔は赤く火照っている。焼き台の脇の小皿にはネギ、砂肝、鶏皮などが整然と並び、木桶には日本酒の瓶が数本冷やされていた。

 大将が渋団扇(しぶうちわ)でパタパタと炭を扇ぐ。火の粉が舞い、焼き網の上の串肉が食欲をそそるキツネ色に染まっていく。

 胃袋はラーメンで満たされたはずなのに、僕の腹の虫はだらしなく声を上げた。

 

「……メニューを」

 

「あいよ!」

 

 大将はカウンターの下から小さな木札を取り出した。炭で『もも』『砂肝』『皮』『ねぎま』『焼きおにぎり』といったシンプルな品書きが記されている。価格はラーメン屋より高めだが、許容範囲内だ。

 

「もも二本、皮一本、ねぎま一本」

 

「酒はどうする? うちは梅酒がおすすめだ。さっぱりしてて脂を流してくれるぜ」

 

「いらない」

 

「了解~」

 

 大将は手際よく注文の串を網に乗せ、琥珀色のタレを刷毛で塗った。甘辛い香りが室内に充満し、炭の匂いと混ざり合って安らぎを覚える香りとなる。

 カウンターの端に腰を下ろす。

 

「冒険者様は、今日サクラフブキに着いたばかりで?」

 

 大将が串を返しながら話しかけてくる。NPCの会話ロジックは大抵こうだ。

 

「ああ」

 

「そいつはいい場所に来なさった」

 

 彼は誇らしげに胸を張った。

 

「うちのタレは秘伝の配合でね、十三種類の調味料を使ってるんだ。天守閣のお偉いさん(・・・・)も絶賛した味だよ!」

 

 ――天守閣のお偉いさん?

 狩り場に関するヒントか、あるいは天守閣に何らかのクエストの糸口があるという示唆か。

 だが今は、目の前で焦げ目を増していく焼き鳥の方が重要だった。

 

「お待たせしました」

 

 大将が焼き上がった串を小さな竹皿に乗せて滑らせてきた。

 鶏もも肉は表面が微かに焦げ、タレが琥珀のように輝いている。皮は食欲をそそる弧を描いて縮こまり、余分な脂が落ちて半透明の黄金色を呈していた。ネギマのネギは鮮やかな緑を残しつつ、縁(へり)が少し焦げて香ばしい匂いを放っている。

 まずはもも肉を一口。

 パリッとした皮の食感と、内側の肉の弾力が絶妙な対比(コントラスト)を成している。秘伝のタレは甘辛さの中に微かな柚子の香りが潜んでおり、脂の重さを完璧に中和していた。

 

「……美味い」

 

「へへっ、こいつは俺の自信作でね!」

 

 大将は新たな食材を焼き網に乗せた。白い煙がゆらりと立ち上り、天井付近で薄い雲を作る。この居酒屋の明かりは、旅館の他のエリアとは隔絶された小宇宙のようで、ここがSAOというデスゲームの中であることを忘れさせる安らぎに満ちていた。

 

 三本目の串に手を伸ばした時、再び引き戸が開いた。三人のプレイヤーが騒々しく入ってくる。鎧には戦闘の痕跡が残っていた。

 

「大将! もも三本!」

 

「あいよ! すぐ焼くぜ!」

 

 彼らは僕の斜め向かいに座り、その一人が僕の腰の刀を目ざとく見つけた。

 

「おい、その刀いいな。三十三層のドロップか?」

 

「違う」

 

 会話はそこで途切れた。見知らぬ階層で、プレイヤー同士が警戒心を抱くのは常だ。ましてや深夜の居酒屋となれば尚更である。僕たちは互いに沈黙を守り、串を口に運んだ。炭火の爆ぜる音と、大将の鼻歌だけが静寂を埋めていた。

 

 最後のネギマを平らげ、メニューから480コルを支払う。大将が渋団扇で焼き網の縁を叩き、カチリと小気味よい音を鳴らした。

 

「また来な!」

 

「……ああ」

 

 階段を上る背後で、新たな串が焼ける音が聞こえた。三階の客室は静まり返っており、障子の外から鹿威(ししおど)しの音が断続的に聞こえてくる。月光が和紙を通して畳に落ち、刀掛けの輪郭を浮かび上がらせていた。

 

          ***

 

 早朝のサクラフブキは薄霧に包まれていた。木造建築の建具には朝露が凝結している。

 僕は昨日の石畳を辿り、街の中心部へと向かった。『シュンエイ・ブレード』の鞘が歩調に合わせて微かに揺れる。通りの店舗はまだ大半が閉まっているが、数軒の朝食屋からは味噌汁の香りが漂っていた。

 

 朱塗りの鳥居を潜ると、視界が一気に開けた。

 朝霧の奥に、天守閣の威容がぼんやりと浮かび上がっている。五層の黒塗りの楼閣が石垣の上に聳え立ち、瓦屋根は翼を広げた黒鷹のようだった。主街区と天守閣を繋ぐのは幅広の『大手道(おおてみち)』で、両脇には火の消えた石灯籠が整然と並んでいる。

 石敷きの坂道に足を踏み入れる。靴底が湿った石を擦り、微細な音を立てた。高度が上がるにつれ、サクラフブキの全景が眼下に展開される――波打つような青灰色の瓦屋根、そして遠く第三十三層の外縁が雲海と溶け合う様。

 

「……ん?」

 

 坂の中腹に差し掛かった時、視界にシステムテキストが表示された。

 

『Outer Field』

 

 足が勝手に止まる。

 周囲を見渡す。景色は先ほどと何ら変わらない。同じ石畳、同じ石灯籠、舞い散る桜の花弁さえも変わらない。だが、システム判定に誤りはない――ここからはすでに、圏外(フィールド)なのだ。

 

「なるほど」

 

 僕は低く呟いた。

 第三十三層の設計(デザイン)は実に巧妙だ。主街区(セーフエリア)と狩り場(フィールド)の間に明確な境界線(ライン)が存在しない。プレイヤーは無防備なまま、危険地帯へと足を踏み入れることになる。

 さらに五十メートルほど進むと、天守閣の正門が目前に迫った。巨大な黒漆塗りの門扉は閉ざされており、門釘(もんくぎ)が朝日に冷ややかな金属光沢を放っている。門の両脇には二体の武者鎧が直立していた――いや、あれは装飾品ではない。

 

『Tenshukaku Guard』

 

 僕が視認した瞬間、面頬(めんぽお)の奥で紅い光が灯った。

 金属が擦れ合う不快な音と共に、彼らはゆっくりと太刀を振り上げた。

 

「侵入者……排除……」

 

 右手が柄に掛かる。『シュンエイ・ブレード』を抜き放った刹那、朝霧が刃によって鮮明に切り裂かれた。

 左側の衛兵(ガーディアン)が先制攻撃を仕掛けてきた。太刀が驚異的な速度で振り下ろされる。

 サイドステップで躱す。刃風が肩を掠め、石畳に深い亀裂を走らせた。重心移動の慣性を利用し、僕は逆手で衛兵の脇腹を薙ぐ――。

 

 ガキン!

 

 刃と鎧が激突し、火花が散る。衛兵のHPバーは5%も減っていない。防御力は異常なほど高かった。

右側の衛兵も同時に迫り、太刀が横薙ぎに襲い来る。

 僕は身を低くして転がり(ロール)、刃が頭頂部を掠めるのを感じた。髪が数筋削ぎ落とされ、宙に舞う。

 

「……厄介だな」

 

 二体の連携(リンク)は完璧で、攻守に隙がない。さらに面倒なことに、関節部には特殊装甲が施されており、通常の斬撃では有効打(クリティカル)になりにくい。

 数歩バックステップして距離(レンジ)を取り、呼吸を整える。

 ――なら、こうだ。

 衛兵が再び刀を振り上げた瞬間、僕は爆発的に加速した。太刀が振り下ろされるその刹那、ステップを急転換。『シュンエイ・ブレード』の軽量特性を最大限に活かした、直角に近い機動(ライト・アングル)。

 

 ――《スラント》。

 

 刃が上段から斜めに走り、左の衛兵の兜と胸甲の結合部(ジョイント)を正確に捉える。装甲の隙間、防御の最薄部だ。

 パキリ!

 金属の断裂音が乾いた響きを立てる。衛兵のHPが一瞬で15%減少し、その動作に明らかな遅延(ラグ)が生じた。

 右の衛兵の太刀が迫る。僕は左の衛兵の肩を足場にして跳躍し、空中で身を翻す。切っ先がもう一方の衛兵の首の隙間を狙う――。

 

 ――《レイジ・スパイク》。

 

 刃が隙間を貫通し、衛兵のHPがレッドゾーンへ急落する。怪物はよろめいて後退し、太刀がカランと音を立てて落ちた。

 着地と同時に横薙ぎを追撃し、左の衛兵がついにポリゴンの欠片となって四散。残る一体もコア損傷で動作が鈍重だ。

 

「終わりだ」

 

 刃が完璧な半円を描き、衛兵の兜を両断した。紅い光が消え、鎧がガシャリと崩れ落ちて消滅した。

 刀身に付着した金属片を振り払い、目と鼻の先にある天守閣の正門を見上げる。

 

          ***

 

 天守閣の扉は想像以上に重かった。

 黒漆の板戸に両手を当て、力任せに押し開く。蝶番(ちょうつがい)が低い呻きを上げ、広がる隙間から陽光が射し込み、薄暗い内部を照らした。

 ――予想していたモンスターの群れはいない。

 広大な広間は空っぽで、隅の常夜灯が幽かに燃えているだけだ。塵一つない畳敷きの床、中央には青銅の香炉。紫煙が立ち上り、天井の梁(はり)の間を漂っている。両脇の襖(ふすま)は堅く閉ざされ、描かれた松と鶴の絵が薄闇の中で静謐さを醸し出していた。

 

 広間の正面には巨大な掛け軸が掛かっていた。焦墨(しょうぼく)で描かれた山岳図だ――雷光の中で雲海がうねり、山頂に蟠(わだかま)る龍の鱗は青藍の釉薬(ゆうやく)ごとき色を帯びている。龍髭(りゅうし)を伝う雨粒、稲妻に照らされた龍眼には電弧が走っているように見えた。

 画の右下には一人の武士。陣笠を被り、蓑(みの)が暴風に煽られ、腰の双刀が覗いている。泥濘(ぬかるみ)の山道に足袋が沈み、その三歩先には柄の付いた青銅の鈴が突き刺さっている。

 

「……静かすぎる」

 

 低く呟き、右手は柄から離さない。『シュンエイ』の鞘が腰に触れ、馴染んだ冷たさを伝えてくる。

 広間を抜け、回廊を進む。天守閣の内部構造は外観以上に複雑だった。折れ曲がる回廊、隠し階段、まるで精巧な迷宮だ。時折、角に散らばる刀掛けや甲冑を見かけるが、いずれもシステム上のモンスター判定(タグ)はない。

 

 二階の配置はさらに異様だった――全ての部屋が左右対称(シンメトリー)に配置され、襖の紋様まで同一だ。適当な障子を開けると、そこは茶室だった。矮卓(わいたく)には打ちかけの囲碁が置かれ、茶碗からは湯気が立ち上っている。主がつい先ほどまでそこに居たかのように。

 

 さらに上層へ。

 三階の曲がり角で、異質な扉を発見した――朱塗りの枠、黒い板戸には金泥(きんでい)で封魔陣のような紋様が描かれている。

 扉を押し開けた瞬間、視界の端に唐突にバフアイコン――いや、デバフアイコンが現れた。

 『封』の文字。

 即座にメニューを開く。全てのソードスキルアイコンが灰色(グレーアウト)し、同様に『封』のマーカーが付いている。

 ――スキル使用不可(アンチ・スキル・エリア)か?

 部屋の中央で、一つの人影がゆっくりと立ち上がった。

それは暗紅色の甲冑を纏った武士だった。兜はなく、蒼白な顔には無数の刀傷が刻まれている。手には長身の打刀が握られ、その刀身は不吉な暗紅色を呈していた。

 

『ネームレス・サムライ(Nameless Samurai)』

 

 台詞はなく、咆哮もない。武士はただ沈黙を守り、中段の構え(ミドル・ガード)をとった。その瞳は恐ろしいほどに虚ろで、魂を喪失し、ただ戦闘本能のみが残存しているかのようだ。

 僕は深く息を吸い込み、ゆっくりと『シュンエイ・ブレード』を抜き放つ。

 ――ソードスキル使用不可。つまり、全ての攻撃は最も基礎的な「斬る」「突く」動作のみに依存しなければならない。システムによる軌道修正(モーション・アシスト)も、ダメージ補正(バフ)もなく、あの《ホリゾンタル》のような初歩的な技さえ発動しない。

 

 武士が動いた。

 驚異的な速度だった。暗紅の刃が残像を引き、僕の喉元を直撃する軌道を描く。辛うじて体を捻って回避するが、切っ先が首筋を掠め、鋭い痛みが走った。HPの減少は微々たるものだが、その一太刀の精度(プレシジョン)は戦慄に値した。

 反撃に移ろうとした瞬間、問題の深刻さを痛感する――スキルアシストがないため、刃の軌道制御(コントロール)が完全に自分の腕に委ねられているのだ。普段、呼吸するように繰り出していた《ソニックリープ》や《レイジ・スパイク》が、その予備動作(初動)すら分からなくなるほど遠い。

 

 武士の二の太刀が続く。今度は下段からの斬り上げだ。

 僕は半歩下がり、刀を横にして受ける。薄暗い部屋で、金属が噛み合う火花が目に痛いほど弾けた。

 

「……厄介だな」

 

 冷や汗がこめかみを伝い落ちる。武士の攻撃には一切の虚飾がない。一撃一撃が急所を狙い、コンマ一秒の無駄もない。さらに恐ろしいのは、奴が僕の回避方向を予測(リード)しているかのように、追撃が窒息するほど正確であることだ。

 ――これこそが、真正なる『技術(テクニック)』の勝負。

 システム補助も、スキル補正もない。あるのは原始的な剣戟(けんげき)のみ。

 

 武士の刃が再び迫る。僕は奥歯を噛み締め、意識を相手の挙動に集中させた。

 サイドステップで躱し、『シュンエイ』で横薙ぎを受ける――。

 

 ガキン!

 

 金属衝突の振動が柄を通して虎口(ここう)に走り、腕を痺れさせる。武士の筋力値(STR)は桁外れで、一撃ごとに僕の武器をへし折らんばかりの勢いだ。アシストなしの防御(ガード)は、純粋に筋力と反応速度に依存するため、肉体への負担(ロード)は想像を絶する。

 二歩下がって距離(レンジ)をリセットする。呼吸はすでに乱れていた。武士は追撃せず、その場に立ち尽くしている。虚ろな目が僕をロックオンし、次なる好機を待っている。

 ――こいつ、ただのモブじゃない。

 狂暴な攻撃衝動(アグロ)がなく、固定された行動パターン(ルーチン)もない。呼吸のリズムさえ完璧に制御されている。その動作は簡潔にして致死的、千回の鍛錬を経たかのように無駄がない。

 

 握りを直し、重心を深く沈める。

 武士が動いた。

 その踏み込みは無音に近い。刃が左下から斜めに斬り上がってくる。辛うじて受け止めるが、武士の剣勢が突如変化した。手首を返し、刃が毒蛇のように僕の防御を迂回し、胸へと突き出される――。

 

 ズプッ!

 

 激痛。HPバーが一割近く消し飛ぶ。歯を食いしばって後退するが、武士の追撃は影のように張り付いて離れない。速すぎる。アシストなしでは、僕の反応速度(リアクション)が完全に遅れをとっている。

 二撃目が左肩を切り裂き、三撃目が右脇腹を掠める。

 HPは緩慢に、しかし確実に削られ、瞬く間に70%を割った。武士の攻撃速度(テンポ)は加速し、僕の防御は徐々に追い詰められていく。刃が交錯するたび、腕の筋肉が悲鳴を上げた。

 ――マズい。

 このままでは(ジリ貧だ)、本当に圧殺される。

 

 武士の次なる一撃は、上段からの唐竹割り。僕は無理やり身を逸らし、刃が鼻先を擦過して床板に深い亀裂を穿つ。生じた刹那の隙、僕は逆手で奴の手首を狙う――。

 

 ガキン!

 

 武士の刀はいつの間にか戻っており、正確に僕の攻撃を遮断(ブロック)していた。その瞳は依然として虚無で、この死闘さえも機械的な反復作業であるかのようだ。

 ――隙がない?

 いや、あり得ない。

 いかなる戦闘スタイルにも弱点(ウィークポイント)はある。僕がまだそれを見出せていないだけだ。

 

 武士の刀が再び襲い来る。今度は連続の横薙ぎだ。一歩、また一歩と後退を余儀なくされ、背中が壁に触れる。攻撃のリズムはさらに速まり、刀光が空中に密閉された網を織り上げ、僕を絶境へと追い込んでいく。

 HP60%。

 ――落ち着け(クールダウン)。

 深く息を吸い、精神を強制的に集中させる。

 武士の剣術は凄烈だが、無軌道ではない。すべての攻撃はある種の法則(ロジック)に従っている。まるでプログラムされたかのように――ただ、その実行精度(エクセキューション)が完璧すぎるだけだ。

 奴の次の一手(ネクスト)を予測できれば……。

 

 武士の切っ先が迫る。僕は猛然と姿勢を低くした。防御を捨て、前方へ突進(チャージ)する――。

 

 ザシュッ!

 

 左腕が裂かれ、HPがさらに削れる。だが、距離(レンジ)は潰した。『シュンエイ』を武士の喉元へ突き出す。奴は半歩下がらざるを得ず、剣勢が僅かに停滞した。

 ――有効だ!

 だが、代償(コスト)が大きすぎる。

 武士の眼差しは冷徹なままだ。僕の反撃など、取るに足らない足掻きだとでも言うように。再び刀が振り上げられ、暗紅の刃が薄闇の中で異様な輝きを放つ。

 

 呼吸を止め、全神経を相手の挙動(モーション)に注ぎ込む。武士の斬撃は依然として鋭いが、今、その動きが僕の目にはスローモーションのように鮮明に映り始めていた――。

 

 ――左肩が僅かに沈む。横薙ぎの予兆(プレ・モーション)。

 ――右足が半歩下がる。次は突き(スラスト)だ。

 ――切っ先の軌道が三寸上振れしている。狙いは喉。

 

 これらの微細な徴候(サイン)は、普段のシステムアシストに頼った戦闘では看過されていたものだ。だが今、システムという補助輪を奪われたことで、肉体は強制的に、最も原始的な『読み(リード)』へと覚醒しつつあった。

 

 武士の刀が動いた。

 予測通り、刃は左から右へと薙ぎ払われる。

 僕は防御しない。後退もしない。刃の軌道に向かって、猛然と踏み込んだ――。

 

 シュッ!

 

 刃風が胸元を走り、マントが切り裂かれる。だが、その一瞬の交錯(クロス)により、僕は武士の内懐(インサイド)へ侵入することに成功した。

 ――今だ(ナウ)!

 『シュンエイ』を下段から擦り上げ、武士の利き腕の手首を狙う。

 

 ガキンッ!

 

 火花が散る。武士の反応は神速だった。柄を押し下げ、辛うじてその一撃を防いだ。だが、奴の体勢(バランス)は崩れ、再構築のために半歩後退を強いられた。

 ――初めて、奴を退かせた。

 武士の虚ろな瞳に、初めて微かな揺らぎが生じた。眼前の敵対者(オポーネント)を再評価しているかのようだ。

 僕は奴に立て直す時間(タイム)を与えない。即座に追撃する。

 刃が銀色の軌跡を連続して描く。一刀一刀が、武士の関節と甲冑の継ぎ目を正確に狙う。

 華麗なソードスキルはない。あるのは基礎的な「斬撃」「刺突」「斬り上げ」のみ。だがその速度と角度は、先ほどまでとは比較にならないほど鋭角で、致命的だった。

武士の防御は依然として完璧だが、そのリズムは明らかに狂わされていた。奴の刀捌きには、もはや先ほどまでの流水のごとき滑らかさはなく、防御のたびに微細な遅延(ラグ)が生じている。

 ――奴は僕の攻撃に適応しようとしている。だが、僕もまた奴に適応しているのだ。

 HPは60%で膠着しているが、戦況は覆り始めていた。

 

 武士の刀が再び襲い来る。今度は迅雷の突きだ。僕は回避せず、刀身の側面(サイド)で奴の刃を正確に弾き、同時に踏み込んだ――。

 

 ザシュッ!

 

 『シュンエイ』の切っ先が武士の左肩を切り裂いた。武士のHPが初めて減少する。微々たる3%だが、この一太刀の意味はダメージ数値(バリュー)よりも遥かに大きい。

 ――勝てる。

 

 武士は二歩後退した。その虚ろな瞳が、何か別の感情で埋め尽くされたように見えた。剣勢が突如として変化する。鋭利で精緻だった斬撃が、なりふり構わぬ狂暴な連撃へと変貌した。

 

 ガキン! ガキン! ガキン!

 

 暴風雨のごとき三連斬。僕は連続防御(パリング)を強いられ、腕が痺れて感覚を失いかける。武士の攻勢は以前にも増して凄まじく、まるで激昂しているかのようだ。

 だが、攻撃が狂暴になればなるほど、隙(ギャップ)もまた大きくなる。

 四撃目が振り下ろされる瞬間、僕は猛然と身を捻った。刃が鼻先を掠める。生じた一瞬の空白、僕は逆手で武士の側腹を薙いだ――。

 

 ズプッ!

 

 刃が甲冑の継ぎ目に深く食い込み、武士のHPが再び低下する。

 奴の動作はもはや完璧無欠ではない。暗紅色の甲冑には無数の刀傷が刻まれている。防御のたびに看過できない遅れが生じ、反撃からは当初の精細さが失われていた。

 ――ソードスキルの補助がないことで、逆に肉体が原始的な『戦闘』を記憶していく。

 

 武士の刀が来る。上段からの唐竹割りだ。僕は退くどころか前進し、刃が額に触れる寸前でサイドステップ、右から左への横薙ぎを放つ――。

 

 シュッ!

 

 刃は武士の右腕の甲冑の隙間を正確に断ち切り、裂け目から暗い色の液体が滲み出した。HPがさらに削れる。だが奴の目は依然として虚ろで、痛みを感じていないかのようだ。

 反撃(カウンター)のリズムは、完全に僕の手の中にあった。

 武士の剣勢が乱れ始める。連続攻撃は流麗さを欠き、機械的な固執を感じさせるものになった。奴のあらゆる手はすでに見切っており、あらゆる斬撃は予測の範疇だ。

 ――奴の動きは、すべて網膜に焼き付いている。

 

 武士が突如変則的な動きを見せた。左下からの斬り上げ。僕のリズムを崩そうという意図だ。だが、僕はとっくにそれを看破していた。刃を先置きして軌道を封じる。刃と刃が激突した瞬間――。

 

 ガキンッ!

 

 火花が散る。武士の刀が弾かれ、中門(胴体)がガラ空きになる。

 ――致命的な隙(フェイタル・ギャップ)。

 踏み込み、切っ先を喉元へ突き出す。

 武士は辛うじて首を捻って避けたが、僕の刃はそのまま押し下げられ、胸板を切り裂いた。HPが再び減少する。

 

 武士がついに後退を始めた。その足取りはもはや盤石ではない。虚無の瞳に、初めて『困惑』に近い色が浮かんだ。なぜ自分が圧倒されているのか理解できない、とでも言うように。

 ――スキルなし。システムアシストなし。純粋な『技術(テクニック)』のみの決着。

 深く息を吸い、握りを直す。武士のHPは残り僅か。次の一撃が終焉(エンド)だ。

 奴もそれを悟ったのか、突如として防御を放棄した。両手で柄を握り締め、浑身の力で振り下ろしてくる!

 ――捨て身の一撃。

 僕は正面から受けなかった。微かに体を逸らし、その刃を鼻先の数ミリ前で通過させる。刃が空を切った瞬間、僕の突きはすでに放たれていた――。

 

 ドスッ!

 

 『シュンエイ』が武士の心臓部を貫通し、切っ先が背中へと突き抜けた。

 武士の動きが凍りついた。刀がゆっくりと垂れ下がり、暗紅色の甲冑に亀裂が走り始める。台詞も、断末魔もなく、最後の足掻きさえもなかった。武士の体は砕けた磁器のようにひび割れ、無数のポリゴンとなって四散した。

 

 部屋に静寂が戻る。荒い自分の呼吸音だけが、空虚な空間に反響していた。

 僕はその場に立ち尽くし、ドロップアイテムのシステム通知(アナウンス)を待った――しかし、何も表示されない。希少素材も、特殊装備も、ありふれた強化石さえもない。

 

「……おかしい」

 

 このクラスのエリートモブを倒して、経験値とコルだけというのはあり得ない。僕は周囲を見渡した。視線が部屋の隅々を走査する。

 調度は極めて簡素だった。四方の壁には青銅の灯火が掛かり、微弱だが安定した光を放っている。床には濃色の畳が敷かれ、縁は少し擦り切れていた。

 部屋の中央、正中線上に、低い刀掛けが鎮座している。

 刀掛けには、一振りの未だ抜かれざる太刀が奉納されていた。

 

 数歩近づき、仔細に観察する。

 ――これはドロップ品ではない。背景オブジェクトだ。拾うことはできない。鞘は漆黒で、暗金色の組み紐が巻かれている。鍔(つば)には雷雲の紋様が彫り込まれていた。刀掛けの前には小ぶりの香炉が置かれ、紫煙が立ち上り、淡い白檀の香りを漂わせている。

 

 刀掛けの真上の壁には、古びた掛け軸が飾られていた。描かれているのは神話の神――素戔嗚尊(スサノオノミコト)。十拳剣(とつかのつるぎ)を手に、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の屍を踏みつけている。背景には荒れ狂う雷雲と怒濤。

 僕の視線は、掛け軸の右下の隅に釘付けになった――そこには、一枚の黄ばんだ紙片が貼り付けられていた。

紙片の文字は幾分か掠れていたが、内容は依然として判読可能だった――。

 

『天泣(てんきゅう)が地を焼く時、

 地に這う者は唯(ただ)、滅びを待つのみ。

 其は神威、触れれば即ち灰燼(かいじん)と化す。

 抗う術(すべ)は一つ、地との縁(えにし)を断つことなり。

 宙(そら)にて雷(いかずち)を刀身に喰らわせ、

 着地するより疾(と)く、敵へと解き放て』

 

 紙片を裏返すと、背面にも一行の小文字が記されていた――。

 

『心誠なれば、鈴を持ちて鳥居を穿ち、神の地へ至らん』

 

「……鈴? 鳥居?」

 

 僕は眉根を寄せ、再び部屋を見回した。刀掛けと掛け軸以外、ここには『鈴』や『鳥居』に類するものは何一つ存在しない。

 ――隠しクエスト(Hidden Quest)か?

 刀掛けの太刀に触れてみるが、反応はない。持ち上げることすら不可能だ。香炉も固定されており、掛け軸も壁に張り付いている。

 紙片自体はアイテムではなく、ただ読むことしかできないオブジェクトだ。

 

「……心誠なれば、か」

 

 低く言葉を反芻し、視線を再びスサノオノミコトの図へと落とす。画中の神の眼光は稲妻のごとく鋭く、紙面を透して観る者を射抜かんばかりだ。

 ――文字通り解釈するなら、『鈴を持って鳥居を潜る』ことで、所謂(いわゆる)『神の地』へと至れるということか。だが、鈴は何処にある? 鳥居は何処だ?

 部屋の中にその二つがないことは明白だ。ならば……この部屋の外か?

 

 最後に一瞥して紙片の内容を脳裏に刻み込み、扉へと背を向けた。

 扉を押し開けた瞬間、背後の掛け軸が微かに揺れた気がした。スサノオノミコトの瞳が、一瞬だけ雷光を帯びたように。

 だが振り返った時、そこには変わらぬ静寂があるだけだった。

 

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