ソードアート・オンライン インテンシブ   作:神谷 キリン

11 / 14
9

朝日がサクラフブキの石畳に降り注ぎ、空気中には仮想の桜の淡い香りが漂っている。僕は天守閣前の広場の中央に立ち、あの巨大な朱塗りの鳥居を見上げていた。

 ――やはり、反応はない。

 鳥居の下をくぐり抜け、あるいは往復してみたが、システムは何の通知(アナウンス)も寄越さないし、周囲で特殊イベント(フラグ)が立つ気配もない。通りがかりのプレイヤーたちが僕を一瞥し、不審そうな顔をしたが、すぐに興味を失って去っていった。

 

「……そう簡単にはいかないか」

 

 僕は溜息をつき、無意識に腰の太刀の柄を指で叩いた。

 紙片には『鈴を持ちて鳥居を穿(うが)ち』とあった。だが、今の僕は鈴など持っていないし、どこの鳥居へ行くべきかも分からない。サクラフブキのこの大鳥居は壮観だが、正解の場所ではないらしい。

 

「……鈴……」

 

 低く呟き、脳内の記憶領域(ストレージ)を検索する。SAOの装備カテゴリには確かに『鈴』系の装飾品(アクセサリ)が存在するが、その大半はただの飾り(コスメティック)で、特殊効果(エフェクト)はない。それに、紙片が指す『鈴』は、プレイヤーが購入できる物品ではなく、何らかのクエストアイテム(キーアイテム)である可能性が高い。

 ――あるいは、別の場所を探すべきか?

 マップを開き、主街区の各所を走査(スキャン)する。サクラフブキの建築様式は伝統的な和風で、通りの両側には木造の町屋が並び、時折小さな神社や仏堂が見受けられる。その中で、街の東側に位置する一つの神社が僕の注意を引いた。

 

「……稲荷(いなり)神社?」

 

 僕は微かに眉をひそめた。稲荷神社といえば、現実(リアル)では五穀豊穣や商売繁盛を願う場所だ。だが、戦闘を主軸とするSAOにおいて、農業や商業はさして重要ではない。開発者はなぜ、わざわざこのようなロケーションを配置したのか?

 一抹の疑念を抱きつつ、僕は東へと足を向けた。

 

 蜿蜒(えんえん)と続く路地を幾つか抜けると、視界が開けた。

 こじんまりとしていながら精緻な造りの稲荷神社が、石段の上に鎮座している。朱色の鳥居が参道に沿って連なり、本殿へと続くトンネルを形成していた。両脇の狛狐(こまぎつね)の石像が静かに蹲(うずくま)り、稲穂や巻物を咥え、その瞳で来訪者を見定めているようだ。

 本殿の前には巨大な鈴(本坪鈴)が吊るされ、その下には太い注連縄(しめなわ)が垂れ下がっている。

 

「……鈴?」

 

 早足で近づき、その鈴に手を伸ばす――しかし、やはりインタラクト不可(ノン・インタラクティブ)だ。

 

「チッ……」

 

 やはり、神社の鈴はただの背景装飾(オブジェクト)で、拾うことも鳴らすこともできない。

 周囲を見回し、他の手掛かりを探す。絵馬掛けにはプレイヤーたちの書き込みが溢れていた。「早期クリア祈願」や「レア装備求む」といった切実な願いが大半だ。本殿脇の賽銭箱には仮想通貨(コル)が山積みにされており、ここをパワースポット扱いしているプレイヤーも少なくないらしい。

 ――だが、紙片の言う『鈴』は、一体どこにある?

 思考を巡らせていたその時、一陣の風が吹き抜け、神社の片隅にある何かが僕の視線を引き寄せた。

 それは小さな社務所だった。暖簾には稲荷神の紋章が染め抜かれている。戸が半ば開いており、中で人影が動いたように見えた。

 

「……NPC?」

 

 数歩近づき、静かに格子戸を引く。

 薄暗い室内。白衣緋袴(びゃくえひばかま)の巫女が矮卓の前に正座し、古びた帳簿を手にしていた。開閉音に気づき、彼女はゆっくりと顔を上げた。温和だが、どこか疲労の色を帯びた顔立ちだ。

 

「稲荷神社へようこそ。何かお困り事でしょうか」

 

 その声は柔らかいが、瞳にはある種の深淵が宿っており、僕の来意を見透かしているかのようだった。

 僕は少し躊躇ったが、単刀直入に尋ねることにした。

 

「すみません……ここに、持ち出せる『鈴』はありますか?」

 

 巫女は僅かに目を見開き、やがて意味深長な笑みを浮かべた。

 

「鈴……ですか」

 

 彼女は帳簿を置き、背後の棚から小さな木箱を取り出すと、そっと僕の前へ滑らせた。

 

「『心誠なる者』であれば、あるいはこれがお役に立つかもしれません」

 

 木箱を受け取り、ゆっくりと蓋を開ける――そこには、古朴な銅の鈴が静かに横たわっていた。鈴の胴には細密な雷紋(らいもん)が刻まれ、舌(ぜつ)には注連縄の房が結ばれている。

 

『System Alert:アイテム「神楽鈴(かぐらすず)」を獲得』

 

「これは……?」

 

 巫女は直接答えず、ただ静かに告げた。

 

「鈴を持ちて鳥居を穿ち、神の地へ至らん――なれどお忘れなきよう。真の神に見(まみ)えるは、『心誠なる者』のみ」

 

 その口調には何らかの暗示が含まれていた。僕がさらに問おうとした時、彼女の輪郭は徐々に薄れ、やがて空気中へと霧散して消えた。

 ――クエストNPCか?

 手の中の『神楽鈴』は微かに冷たく、銅の表面に刻まれた雷紋は、無言のうちに何かを訴えかけているようだった。

稲荷神社の鳥居の前に立ち、深く息を吸い込む。鈴を握りしめ、一歩踏み出した――。

 ――何も起きない。

 風が神社の注連縄(しめなわ)を揺らし、朱色の鳥居が陽光の下で淡い影を落としているだけだ。システム通知もなく、シーンの変化もなく、違和感一つない。

 

「……『心誠なれば』、か?」

 

 僕は低く呟き、再試行(リトライ)する。今度は目を閉じ、鳥居をくぐる瞬間に、脳裏であの紙片の文字を唱える――。

 ――心誠なれば、鈴を持ちて鳥居を穿ち、神の地へ至らん。

 一歩、二歩、三歩……。

 目を開ける。眼前に広がるのは相変わらず神社の参道で、狛狐が静かに蹲(うずくま)っているだけだった。

 

「……もう一度だ」

 

 踵を返し、再度鳥居をくぐる。

 やはり反応はない。

 

 サクラフブキの広場、巨大な鳥居が聳(そび)え立っている。その直下に立ち、朱塗りの梁(はり)を見上げる。手の中の鈴を揺らしてみるが、音はしない。

 ――おかしい。鈴なのに、なぜ鳴らない?

 強く振ってみるが、鈴舌(ぜつ)が固定されているかのように微動だにしない。行き交うプレイヤーたちが、時折僕をチラリと見るが、すぐに視線を外す。鳥居の下で呆けているプレイヤーになど、誰も興味はない。

 

「……よし、やめた」

 

 最終的に、僕は匙を投げた。

 無意味な隠し要素(イースターエッグ)かもしれないし、発生条件(フラグ)が想像以上に複雑なのかもしれない。SAOには隠しクエストが多いが、すべてのヒントが容易に解けるわけではない。

 鈴をインベントリに戻し、城外へと足を向けた。

 

          ***

 

 第三十三層のフィールドは、主街区外縁の山林地帯だ。モンスターのレベル帯は32から35。出現するのは主に『落魄の浪人(ソリタリー・ローニン)』や『山猿鬼(マウンテン・オーガ)』といった敵だ。攻撃パターンは敏捷型(アジリティ・タイプ)だが、雷属性に関する特性は見当たらない。

 山道を進む。林間の霧はまだ晴れきっておらず、木漏れ日が地面に斑模様の光と影を描いていた。

 

「……『ソリタリー・ローニン』か」

 

 前方の小径に、ボロボロのマントを羽織った浪人風のNPCが樹木に寄りかかっていた。手には錆びついた太刀。カーソル(カラー)は灰色。こちらから攻撃するか、一定範囲(アグロエリア)に入らない限り襲ってはこない非アクティブ型だ。

 僕は迂回せず、真っ直ぐに歩み寄った。浪人がゆっくりと顔を上げ、濁った眼球で僕をロックオンする。錆びた太刀が微かに持ち上がった。

 剣筋は精妙とは言い難いが、正確に急所を狙ってくる。初撃をサイドステップで躱し、『シュンエイ』で横薙ぎに斬り払う。

 

「……遅い」

 

 浪人はよろめき後退したが、すぐさま飛び掛かってきた。今度は刃に不気味な黒光りが宿っている。ソードスキルだ。

 正面からは受けない。半歩下がってスキルの空振りを誘い、硬直(ディレイ)の瞬間に突進(チャージ)する――。

 浪人のHPが瞬時にゼロになる。体が一瞬硬直し、やがて崩れ落ちてポリゴンの欠片となった。ドロップは僅かなコルと、ありふれた鉄鉱石。価値はない。

 

 刀を納め、山林の奥へ。山道の突き当たりは断崖になっていた。崖下は雲霧に覆われ、下層の風景が微かに透けて見える。僕は縁に立ち、この仮想世界を俯瞰した。

 

          ***

 

 夕暮れのサクラフブキは、橙紅色の残照に包まれていた。通りの提灯が次々と灯り、石畳に暖かな光の輪を広げている。

 『博多屋』の暖簾をくぐる。豚骨の芳醇な香りが迎えてくれた。

 店内は前回より活気づいていた。レベリングを終えたプレイヤーたちで矮卓は埋まっている。僕はカウンターの隅に陣取り、看板メニューの豚骨ラーメンを注文した。

 麺を待ちながら、天守閣のマッピングデータをファイルにまとめる。

 ――アルゴに売れば、それなりのコルにはなるはずだ。

ラーメンが届いた直後、勢いよく引き戸が開いた。

 

「よぉ~コーちゃん! 一人で抜け駆けとは水臭いネ!」

 

 振り返らなくても誰かは分かる。アルゴのトレードマークであるマントが、店内の灯りに照らされて一際目立っていた。彼女はニシシと笑いながら近づいてくると、遠慮なく僕の対面に座り込んだ。

 

「大将、チャーシューメン一つ! ネギ多めで!」

 

 厨房へ叫ぶと、すぐに僕の方へ向き直る。

 

「天守閣を探索したんだって? 収穫はあったかイ?」

 

「……耳が早いな」

 

「当然サ~」

 

 彼女は得意げに人差し指を振った。

 

「あるソロプレイヤーが天守閣の一層を単独攻略(ソロ)したって噂だヨ。スキル使用不可(アンチ・スキル)の部屋があって、部屋から逃げ出してタゲを切ることはできても、今のプレイヤーじゃ誰も挑もうとしない。まさか勝つ奴がいるとはネ~」

 

 僕は答えなかった。アルゴの情報網は確かに恐ろしい。だが、『神楽鈴』や謎の紙片については、彼女もまだ掴んでいないようだ。

 

「で~」

 

 彼女は身を乗り出し、琥珀色の瞳を悪戯っぽく輝かせた。

 

「マッピングデータ、売らないかイ? 色をつけてやるヨ~」

 

 トレードウィンドウを開き、天守閣のマップデータをドラッグする。アルゴは一瞥し、ヒューッと口笛を吹いた。

 

「わお、隠し部屋までマーキング済みかイ? コーちゃん流石だネ!」

 

 彼女は気前よく5000コルを支払った。その後、不意に僕の顔を数秒間凝視した。

 

「……何だ?」

 

「よく見ると、コーちゃんってホントに女の子みたいな顔してるよネ~」

 

 彼女は意地悪く笑い、僕の頬をツンと突いた。

 

「髪を伸ばせば、アスナちゃんより可愛いかもヨ~」

 

「……黙って食え」

 

 アルゴはケラケラと笑った。ちょうど大将が彼女のラーメンを運んでくる。彼女は箸を掴み、ズルズルと豪快に一口啜ると、咀嚼しながら言った。

 

「そうそう、天守閣の裏に、超~壮観な『千本鳥居』があるの、知ってるかイ?」

 

「千本鳥居?」

 

「何百何千もの鳥居がトンネルみたいに連なってるアレだヨ!」

 

 彼女は身振り手振りを交えた。

 

「圏内(セーフエリア)にあるただの観光スポットさ。大勢のプレイヤーが記念撮影(スクショ)しに行ってるし、そこで告白すると成功率が上がるなんて噂もあるヨ~」

 

 僕の手元の箸が、ピタリと止まった。

 ――鳥居……しかも『何百何千』だと?

 

 アルゴはラーメンに夢中で、僕の反応には気づいていない。

 

「興味があるなら行ってみなヨ。どうせ暇だろ? ま、写真は撮れても隠し宝箱(チェスト)一つない場所だケドね~」

 

「……場所は?」

 

「天守閣の西側の小道を入って、突き当たりだヨ」

 

 彼女は上目遣いに僕を見た。

 

「何だイ、急に観光に興味が出たのかナ?」

 

「ただの好奇心だ」

 

「ふ~ん」

 

 アルゴは意味深に鼻を鳴らしたが、それ以上は追求してこなかった。三口ほどで残りの麺を平らげ、口元を拭うと、急に声を潜めた。

 

「あと、最近は気をつけなヨ。この層でレッドプレイヤー(殺人者)が動いてるって噂だ。ま、最前線(トップ)がまだ三十三層だからネ、奴らも上がってきてるのサ」

 

「……分かった」

 

 彼女は手を振り、一陣の風のように店を飛び出し、瞬く間に夜の闇へと消えていった。

 僕は箸を置き、窓外の月光を見やった。

 ――千本鳥居、か。

 運を試してみる価値はある。

 

          ***

 

 第三十三層の薄雲を透かし、月光が天守閣の裏山へと続く小径を照らしている。

 僕は『神楽鈴』を握りしめ、アルゴの教えに従って進んだ。石畳はやがて土と苔に変わり、両脇の灌木からは時折虫の音が聞こえるが、それ以上に支配的なのは静寂だった――システムが生成した風の音さえも際立つほどの、深い静寂だ。

ラーメンが届いた直後、勢いよく引き戸が開いた。

 

「よぉ~コーちゃん! 一人で抜け駆けとは水臭いネ!」

 

 振り返らなくても誰かは分かる。アルゴのトレードマークであるマントが、店内の灯りに照らされて一際目立っていた。彼女はニシシと笑いながら近づいてくると、遠慮なく僕の対面に座り込んだ。

 

「大将、チャーシューメン一つ! ネギ多めで!」

 

 厨房へ叫ぶと、すぐに僕の方へ向き直る。

 

「天守閣を探索したんだって? 収穫はあったかイ?」

 

「……耳が早いな」

 

「当然サ~」

 

 彼女は得意げに人差し指を振った。

 

「あるソロプレイヤーが天守閣の一層を単独攻略(ソロ)したって噂だヨ。スキル使用不可(アンチ・スキル)の部屋があって、部屋から逃げ出してタゲを切ることはできても、今のプレイヤーじゃ誰も挑もうとしない。まさか勝つ奴がいるとはネ~」

 

 僕は答えなかった。アルゴの情報網は確かに恐ろしい。だが、『神楽鈴』や謎の紙片については、彼女もまだ掴んでいないようだ。

 

「で~」

 

 彼女は身を乗り出し、琥珀色の瞳を悪戯っぽく輝かせた。

 

「マッピングデータ、売らないかイ? 色をつけてやるヨ~」

 

 トレードウィンドウを開き、天守閣のマップデータをドラッグする。アルゴは一瞥し、ヒューッと口笛を吹いた。

 

「わお、隠し部屋までマーキング済みかイ? コーちゃん流石だネ!」

 

 彼女は気前よく5000コルを支払った。その後、不意に僕の顔を数秒間凝視した。

 

「……何だ?」

 

「よく見ると、コーちゃんってホントに女の子みたいな顔してるよネ~」

 

 彼女は意地悪く笑い、僕の頬をツンと突いた。

 

「髪を伸ばせば、アスナちゃんより可愛いかもヨ~」

 

「……黙って食え」

 

 アルゴはケラケラと笑った。ちょうど大将が彼女のラーメンを運んでくる。彼女は箸を掴み、ズルズルと豪快に一口啜ると、咀嚼しながら言った。

 

「そうそう、天守閣の裏に、超~壮観な『千本鳥居』があるの、知ってるかイ?」

 

「千本鳥居?」

 

「何百何千もの鳥居がトンネルみたいに連なってるアレだヨ!」

 

 彼女は身振り手振りを交えた。

 

「圏内(セーフエリア)にあるただの観光スポットさ。大勢のプレイヤーが記念撮影(スクショ)しに行ってるし、そこで告白すると成功率が上がるなんて噂もあるヨ~」

 

 僕の手元の箸が、ピタリと止まった。

 ――鳥居……しかも『何百何千』だと?

 

 アルゴはラーメンに夢中で、僕の反応には気づいていない。

 

「興味があるなら行ってみなヨ。どうせ暇だろ? ま、写真は撮れても隠し宝箱(チェスト)一つない場所だケドね~」

 

「……場所は?」

 

「天守閣の西側の小道を入って、突き当たりだヨ」

 

 彼女は上目遣いに僕を見た。

 

「何だイ、急に観光に興味が出たのかナ?」

 

「ただの好奇心だ」

 

「ふ~ん」

 

 アルゴは意味深に鼻を鳴らしたが、それ以上は追求してこなかった。三口ほどで残りの麺を平らげ、口元を拭うと、急に声を潜めた。

 

「あと、最近は気をつけなヨ。この層でレッドプレイヤー(殺人者)が動いてるって噂だ。ま、最前線(トップ)がまだ三十三層だからネ、奴らも上がってきてるのサ」

 

「……分かった」

 

 彼女は手を振り、一陣の風のように店を飛び出し、瞬く間に夜の闇へと消えていった。

 僕は箸を置き、窓外の月光を見やった。

 ――千本鳥居、か。

 運を試してみる価値はある。

 

          ***

 

 第三十三層の薄雲を透かし、月光が天守閣の裏山へと続く小径を照らしている。

 僕は『神楽鈴』を握りしめ、アルゴの教えに従って進んだ。石畳はやがて土と苔に変わり、両脇の灌木からは時折虫の音が聞こえるが、それ以上に支配的なのは静寂だった――システムが生成した風の音さえも際立つほどの、深い静寂だ。

竹林を抜けると、眼前の光景は壮烈なものへと変貌した。

 ――千本鳥居。

 数百、あるいは数千もの朱塗りの鳥居が山肌に沿って延々と連なり、終わりのないトンネルを形成している。柱の一本一本には掠れた文字が刻まれており、それは奉納者の名のようでもあり、あるいは古代の祝詞(のりと)のようでもあった。月光が鳥居の隙間から差し込み、地面に光と影の織物を広げている。

 

「……流石に壮観だな」

 

 僕は低く呟き、第一の鳥居の下へと足を踏み入れた。

 ――反応はない。

 手の中の『神楽鈴』は沈黙を守り、銅の冷たさは変わらない。二つ、三つ……十番目の鳥居をくぐり抜けても、何事も起きない。夜風が鳥居の列を吹き抜け、僕の徒労を嘲笑うかのような微かな風切り音を立てた。

 

「……スサノオノミコト」

 

 足を止め、目を閉じる。脳裏に『禁技の間』の掛け軸に描かれていた神の姿を浮かべる――十拳剣(とつかのつるぎ)を手に、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を踏みつけ、雷霆(らいてい)を纏う荒ぶる神。

 ――心誠なれば……。

 再び歩き出し、次の鳥居をくぐる。

 依然として変化はない。

 

「……チッ」

 

 深く息を吸い、神楽鈴を目の高さに掲げる。鈴は月光を浴びて鈍い銅色に光り、雷紋の刻印が流動しているようにも見えたが、それは錯覚に過ぎないだろう。

 ――やり方を変えるべきか?

 記憶にある現実の神社参拝の作法は『二礼二拍手一礼』だ。SAOに強制的なモーション設定はないが、あるいは……。

 僕は鳥居の中央に立ち、ゆっくりと両腕を広げ、それから掌を合わせた。

 システムガイドも、プリセットされた動作(エモーション)もない。ただ記憶の中の儀式を頼りに、緩慢かつ厳粛に前へと歩みを進める。

 一歩、二歩、三歩……。

 不意に、月光が目を焼くほどに眩さを増した。

 反射的に目を細める。千本鳥居の突き当たり――本来ならただの山道であるはずの場所に――いつの間にか巨大な朱塗りの鳥居が出現していた。他の鳥居とは比較にならない巨躯。柱には太い注連縄(しめなわ)が巻き付けられ、房が風に揺れている。

 

「……これは?」

 

 歩調を速め、最後の数基の小さな鳥居を抜け、その大鳥居の前へと至る。

 

 チリリン――。

 

 神楽鈴が微かに震え、ついに最初の清音を響かせた。音量は大きくないが、夜空全体を貫通するような響きだった。

 大鳥居の中央で大気が歪曲し、水面のような波紋が広がり始める。僕は鈴を強く握り締め、その揺らぎの中へと踏み込んだ。

 

          ***

 

 鳥居を抜けた瞬間、周囲の景色が劇的に変転した。

 湿った空気が顔を打つ。土と青草の匂いが混じっている。

 僕は石段の起点に立っていた。見上げれば、鉛色の空から銀糸のような雨が降り注ぎ、石段を濡らし、薄い水膜を形成している。

 ――雨だ。

 細密な雨粒が肩や髪を濡らしていく。SAOの環境(エンバイロメント)システムは、雨が皮膚に触れる冷感や、雫が首筋を伝って襟元へ滑り込む感触までも完璧にシミュレートしていた。

 見上げれば、山頂はそう遠くない。徒歩五分といったところか。石段は蜿蜒(えんえん)と上へ伸び、その果てに漆黒の洞口(ほらぐち)が微かに見えた。

 

 ゴロゴロォ――。

 

 金色の雷光が雲海を引き裂き、辺りを真昼のように照らし出した。耳をつんざく雷鳴。だが奇妙なことに、落雷は遠方の樹叢(じゅそう)や岩場に落ちるばかりで、石段には決して近づこうとしない。

 

「……安全地帯(セーフティエリア)か」

 

 僕は低く呟き、腰の『シュンエイ』を確認して、登攀(とうはん)を開始した。

 雨に洗われた石段は異常に滑りやすい。雨脚は強まり、石に叩きつけられた水滴が細かな飛沫を上げる。両側の斜面からは雨水が集まって小川となり、時折、流された落ち葉を運んでいく。

 

 カッ――ドォォン!

 

 また一筋、金色の雷が落ちた。今度は近い。強烈な光に目を細める。光が消えた後、空気中には微かなオゾンの臭いが残り、雨の湿気と混ざり合って、不思議と精神を研ぎ澄ませた。

 中腹の石段脇に、小さな石祠(せきし)が立っていた。表面は苔むし、屋根には雷雲の紋様が彫られている。祠の前には腐敗した供物がいくつか――果物か握り飯だったのだろうが、雨に打たれて原形を留めていない。

 

 山頂に近づくにつれ、雨音と雷鳴はいっそう激しさを増した。数秒おきに金色の稲妻が空を引き裂き、山全体を明滅させる。轟音が鳴り響いているにもかかわらず、僕の内面は異常なほど静寂だった。まるで、これらの雷電はただの背景演出(エフェクト)であり、真の脅威ではないと確信しているかのように。

 

 ついに、山頂へ到達した。

 眼前の洞窟は想像よりも浅かった。入り口はいびつな円形で、縁は風化している。洞内は奇妙なほど乾燥しており、外の豪雨とは鮮明な対比を成していた。

 洞窟の中央には、粗末な石の卓(つくえ)が置かれていた。その上には、古朴な陶器の酒瓶と、小さな盃が一つ。酒瓶の表面には雷紋が刻まれ、注ぎ口にはまだ乾ききっていない液体が数滴残り、薄暗い光の中で琥珀色の艶を放っていた。

 

「……飲めってことか?」

 

 一瞬躊躇したが、紙片にあった『心誠』の二文字を思い出し、酒瓶を手に取った。

 液体を盃に注ぐ。水のように澄んでいるが、濃厚な米の香りが立ち上る。迷いを捨て、一気に干した。

 ――味は想像よりも穏やかだった。淡い甘みと一抹の辛味。だが、喉の奥から奇妙な灼熱感が広がり始めた。

 

 ズガァァァン!!!

 

 洞窟の外で、かつてない規模の雷鳴が炸裂した。山洞全体が激震する。

 視界が歪み始めた。石卓、洞窟、足元の地面さえもが、掻き回された水面のように揺らぐ。

 焦点が再び結ばれた瞬間、足元はもはや堅固な岩盤ではなかった。

 そこは、うねる雲海の上だった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。